【習作】物理で殴る!   作:天瀬

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第一話、魔王の帰国

 とある一室。其処に在るのは二つの人影。

 一つは三十路前と思われる男性の姿。もう一つは高校生くらいの少年と思しき姿。年若い少年の方が席に着き、三十路前の男性の方が立っているという光景は見るものによっては違和感を覚えかねないが、この二人に置いては其れが正しい形となっている。

 男の名は甘粕冬馬。日本国内の魔術師と呪術師を束ねる国家機関、正史編纂委員会のエージェント。そして甘粕の前に座る少年は彼の上司であり、正史編纂委員会の次期総帥にして、古来より帝に仕えてきた四家の一、沙耶宮の次期頭首である沙耶宮馨。

 なお、見た目こそ少年然とし男性が着るような衣服を身に付けているが、この沙耶宮の次期頭首はれっきとした十八歳の女性である。

 

「しかしまぁ、厄介な事になったね」

 

 ぼやきながら馨が投げ出した書類は、その内容の重要性の割に枚数は少ない。目の前に立つ人物や部下たちの能力を疑っていない彼女であってももう少し何かなかったのか、と言いたくなるほどに。

 

「えぇ、ついこの間までは日本には一人も存在していなかったカンピオーネの新たな誕生。それ自体は喜ばしい、というべきかもしれませんが」

「日本に二人目、という事態は流石に予想外にもほどがあるね」

 

 カンピオーネ。『エピメテウスの落とし子』『魔王』『羅刹王』とも呼ばれる存在。だが、どんな異名よりもそれを的確に現す言葉が存在する。

 『神殺し』。カンピオーネとは、人の身でありながら神話に登場する神や英雄、天使、魔獣を殺害した者にのみ与えられる名前であり称号。イタリア語でチャンピオンの意を持ち、日本語とするならば勝者の意を持つ。

 カンピオーネとは勝者である。まつろわぬ神と称される神話に背き、人に害をなすようになった人をはるかに超越した神という存在に打ち勝った、そして以降も勝ち続け、殺し続ける事を義務付けられた存在である。それ故に、その身体は肉体的、魔術的にも人間を超越した者へと作り変えられている。

 彼等に法は通用しない。彼等を束縛する術はない。只の人間では彼等を縛ることなど叶わない。その気になれば人類全てを殺傷しうるその存在を相手に刃向う事の愚かさは、その特性故に横暴な態度を取ったカンピオーネに挑み、そして敗れていった先人たちが示している。

 まつろわぬ神を殺しさえするのであれば何をしても許される特権を持つ王。それがカンピオーネ。

 

「七人目…日本の一人目の魔王、草薙護堂は日常に置いては良識のある王でしたが……」

「この八人目までそうだ、とは限らないのが問題かな。彼に関する情報が少なすぎる」

 

 甘粕の言葉に馨が深く吐息を吐く。彼女の机の上に投げられた資料には八人目のカンピオーネ、葛原剣の個人情報が記されている。

 くずはらつるぎ。年齢は十五歳、高校一年生。性別は男。張り付けられた写真を見る限りにおいてその顔立ちに特徴と言える特徴はない。黒髪に黒眼の典型的な日本人の面立ちをしている。身長は百八十未満、体重は八十前後。実際は書類には詳細な値が記載されているのだが、この場にいる二人にはその程度の数値と認識された。

 家族構成は両親と妹のみであり、その両親と妹も昨年事故で亡くしている。天涯孤独の身の上となっており高校には親の遺産で通っているようだ。その事情から奨学金の申請を行っており、認められている。

 学校の成績は優秀。中学時代はバスケット部に所属していたが、先の事情から退部しその時間をバイトに当てている。

 そしてバイトで溜めた資金で持って元々趣味であった海外旅行を敢行。夏休みでもない平日からの旅行など奨学金を貰う身では正気とは思えないが、彼なりに思う所があったのだろう。この予定だけは誰に諌められても頑として首を縦に振らなかったという。

 そして旅行先のギリシャにてまつろわぬ神と遭遇、これを殺害してカンピオーネになったとの事。

 

「彼の過去の人となりを見る限りでは特に問題を起こしそうにも見えないけれど、最後の最も重要な所の情報が全くないね」

「ギリシャの小結社からの情報で、権能や殺害した神については知らぬ存ぜぬの一点張りだったそうですからね」

 

 今回の新たなカンピオーネに付いての情報を流したのは、アスクレピオスの弟子と名乗るギリシャの結社だという。

 その結社はギリシャでも歴史が古く、しかし、魔術的な意味でさえ表舞台に出ることはめったにない。存在を知っていたはずの甘粕も馨も今回の情報源としての名前を聞いて、そういえばそんな結社もあったな、と思い出したほどなのだ。

 

「確か、名前の通りに医療系の魔術を追及する結社でしたか」

「うん、やっている事は素材や神秘の収集、それらを用いて魔術を用いた医術の研究に霊薬生成。結社の目標は死者をも蘇らせると言われる“アスクレピオスの秘薬”の精製。ただその目的に何処までもストイックなため、権力とか他の魔術とかに興味無しでひたすら研究だけしてるっていう話だけど」

「馨さんには理解できない世界ですね」

「初日で抜け出す自信があるよ」

 

 肩を竦めて見せる馨に甘粕は何時ものに妬けた笑みを浮かべた表情のまま頷く。

 伊達と酔狂が身上であるこの少女にストイックな研究などまったく似合いなどしない。その彼女が媛巫女としても優秀であるというのは何の冗談か、と思ったこともある。

 馨に勝るのは只一人、神がかりを行える清秋院の次期頭首のみ。

 

 と、其処まで思考をしてふと甘粕は一人の媛巫女の事を思い出した。

 

 七人目のカンピオーネである草薙護堂の傍に侍る、世界でも随一と言える強大な霊視能力を持つ万里谷祐理。その彼女に水を空けられているとは言え次ぐ霊視能力を持ち、そして体術や呪術では馨に追随するモノを持つ媛巫女。

 その能力も、またその容姿も優秀であったために護堂に送り込む媛巫女として名が挙がっていた少女達のうちの一人。結局その座には祐理が収まったため希望していた媛巫女全てに断りを入れたのだが、大半が仕方ないという様子を見せる中、悔しそうに歯噛みをした少女。

 

「どうかしたかい、甘粕さん?」

「……いえ、何でもありません」

 

 首を緩く横に振り、脳裏に浮かんだ姿を隅に置く。今は媛巫女の事を考えている時ではなく、新たな魔王への対処について考えるべき時である。

 それでもし必要ならば次は彼女に声をかけてみるのも良いだろう、と脳内で付箋だけ張っておいた。

 

「しかし、結社の人間でありながら、己たちが見つけたカンピオーネの権能について知らないなんてことがあるんでしょうか?」

「それなんだけど、そもそも組織の人間の中でも彼と近しくしていたのはたった二人。そのうち一人は賢人議会の特別顧問殿ですら手出しをためらう人物で、もう一人はその人物の弟子らしい」

「……なんでそんな弱小結社にそんな人物がいるんですか」

「研究肌だからじゃないかい? 知らないけど」

 

 お手上げ、というように両手を上げた馨に甘粕は何とも言えない笑みを浮かべる。どうやらこの剣という少年について、本当に重要な事についての情報を得る手段は今現在全く無いらしい。

 

「こうなってくると、この彼がカンピオーネである、という事すらも怪しくなってくるんですが」

「だがしかし、だとすると研究一筋の結社が態々情報を流す理由が解らなくなる。イタリアのお偉方は恐らくデマだろうと流しそうだけどね」

「先ほどお話に合った特別顧問殿はどうなんです?」

「彼女は信じているんじゃないかな、さっきの話した躊躇う人の存在を考えるとね」

 

 ふむ、と甘粕は考え込む姿勢を見せ、馨も椅子にもたれて思考を巡らす。

 彼等は下に部下を持つ身であり、同時に命を賭けさせ、命を賭ける立場の人間である。常に最悪と最良を想定し、更に次善を準備して物事にかからねばならない。

 この場合の最良は、八人目が資料通りに特に問題を起こすような人物でない事。

 この場合の最悪は、八人目が七人目と争うような人物である事。カンピオーネ同士の殺し合いが偶発的に発生したら、どれだけの被害が発生するのかなど想像したくもない。

 

「新たなカンピオーネという情報がデマであるか、あるいは彼が権能に惑わされ性格が変わったりしていない事を願いつつ情報を集めるべきかな、今は」

「それ以外、今すぐ私達に打てる手はないでしょうね」

 

 二人が新たな神殺しの権能を知りたがった最大の理由がここにある。大きな力は容易く人の心を捻じ曲げる。神殺しなどという大きなイベントを挟めばなおの事だ。

 日本の二人目の王も、少なくとも日常に置いてだけでも温厚でありますように。二人は心からそう願った。

 

「……ところで。資料によると彼はそろそろ日本に帰ってくるとのことだけど、今どのあたりに居るんだろうか」

「あぁ、それなんですが馨さん」

 

 馨の疑問に、何時もの笑顔のままに甘粕は手に持っていた携帯の画面を馨の方に向けた。其処には数多の名前と何かしらの機体番号と思しき文字と、時間が記載されている。

 その内容をざっと見て馨はすぐに飛行機の乗客名簿と悟った。その中に葛原剣の名前を確認してから、日本への到着日付と時刻を確認し、時計を見上げる。

 

「……してやられた、と言うべきなんだろうね」

「いや、実に見事な情報戦でした」

 

 それぞれの組織が情報を受け取り、内容を理解し、行動を開始しようとする丁度その時に。

 件の八人目は空港についていたのである。

 

* * *

 

 日本の夏は蒸し暑い。只暑いだけであれば其処まで不快に感じたりもしないのだが、湿度が高く蒸していると異様に不快な感覚を覚えてしまうものだ。

 特に、ついこの間まで湿度の低い所に居ればなおのこと、それを強く感じてしまう。

 

「日本に帰ってきて何が辛いって、この湿度だよなぁ」

 

 溜息交じりに零す少年。年齢的な平均身長からすれば高い身長は百八十を超えないくらいであり、半袖のシャツから見える腕はそれなりに鍛えられ、引き締まった様子を見せている。体も腕と同じように引き締まっているならば、その筋肉は相応の重量となっている事だろう。

 邪魔にならない程度に切り整えられた黒の髪はまるで撫でつけられたかのように大人しいが、そこに整髪料などを使っている様子はない。寝癖があったとしてもいつのまにやら消えているような髪質、というだけの事。

 瞳は黒く、同年代の少年と比較すれば僅か落ち着いた印象を抱かせるのはその身に受けた不幸を乗り越えた為か。鼻梁はアジア人らしく高くは無くなだらかに、その下で暑さと湿気故に不快気に口が歪められている。

 その顔立ちを見たならば、十人中八人は普通、と評するだろう。残りの二人のうち一人は中の下と評し、一人は中の上と評するかもしれない。

 

 今現在正史編纂委員会の実質上トップの頭を悩ませる人物であり、世界の魔術師、呪術師達が最も注目している存在、葛原剣の名を持つ少年。

 空港のロビーに出てきた剣は、直ぐに何かを警戒するように周囲を伺った。自分の方をこっそりと窺うような気配はなく、安堵の息を一つ零す。

 

「うん、本当にちゃんと如何にかしてくれたみたいだな」

 

 人を止めて直ぐ己が一体どういう存在となりどれだけ貴重な存在であるかという事を嫌というほど叩き込まれ、さらには向こうで何度も人間を止めた体験をしていれば流石に自覚の一つや二つも芽生えるというものだろう。

 剣は自身の価値について最低限は理解している。故に、日本に戻ってすぐに監視だの組織からの接触だのがあることを警戒したのだ。

 向こうを発つ際に相棒が

 

『御師様が、とりあえず初日くらいは時間を上げるからゆっくりしなさいって。だから帰ったらちゃんと休みなさい』

 

 とは言ってくれていたものの、剣とその相棒の師はかなりの悪戯好きでもある。帰国しロビーに出た瞬間黒服に取り囲まれ行き成り連行されるという展開まで想像していた。

 なお、異国にて変わってしまってから常に共に居た相棒は今は隣に居ない。まだやることがある、と向こうに残っている。

 

「……」

 

 この数日彼女の定位置であったはずの左隣に目をやり、少しだけ困ったような表情で頬を掻いてから吐息を一つ、気分を切り替えて彼は歩き出した。

 珍しく本当に師匠が気を使ってくれたのだというのなら、確り休まねばならない。休んでおかねばまた碌でもない事に巻き込まれ、体力が持たなくなるという未来が在り得る。

 

「しかし、それでも少しばかり思う訳だけど」

 

 行きしなに詰めていた衣類がほぼ全部なくなってしまった所為でお土産をやたら詰め込む事が出来たキャリーバックを引いて空港の外、駅に向かいながら彼はひとりごとを零す。

 

「帰って来たって言うのに、出迎えなしって言うのは寂しいもんだなぁ。いや、仕方ないんだけどさぁ」

 

 お土産狙いのハイエナでも良いから出迎えの一つくらいは欲しかった、と思うのは少しばかり寂しい事だろうか。とは言え剣に友人が一人もいない、という事ではない。普通に会話をする社交性と洒落や冗談にもある程度ちゃんと乗る為に友人は多い方だと彼は自認している。

 そう、友人はいる。しかし出迎えはない。それにはとても、とても大きな理由が存在する。

 

「今日、平日だしなぁ」

 

 高校生である葛原剣の友人たちは、当然のように高校生である。平日にこんな空港に来れる訳がない、彼らは学校で授業を受けて居なければならないのだから。

 濁音交じりの音を立てるキャリーバックを引っ張りながら。やっぱり帰国は休日にするべきだったかなぁ、等とのんびり考えつつ一人自宅への帰路につく剣であった。


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