東方ギャザリング   作:roisin

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49 陥穽

 

 

 

 

 

 

 太陽が大地を焦がす砂地に土煙を彼らが見たのは、日が昇り切った頃合だった。

 地平線から立ち上る陽炎に、ぽつり、ぽつりと、歪む存在、波打つ人型。それが時間の経過と共に、段々と輪郭をはっきりさせてゆき、その数を、十、百、と増やしていった。ウィリクの国からやって来た、人間の軍隊である。

 土煙を立ち上らせて、黙々と進軍する姿には、玉の汗が吹き出る気温であるというのに、見る者の背筋を振るわせるものがある。

 

 

 

 そんな一団を全て見渡せるそこは、砂漠に急遽構築された、新しい【土地】。眼下を広大な黄色が締める【頂雲の湖】の頂上の一端で、三つの人影が息を潜め、一つの影が悠々と直立していた。

 前者がリン、九十九、【伏龍、孔明】であり、後者が七天大聖を統べる者、平天大聖である。

 リン達は、姿を見られては拙いだろうと、山頂で伏せ、極力ウィリクの軍勢の視界に入らぬようにしているのだが、一方の後者である平天大聖は、そんな苦労を嘲笑うかのように、何食わぬ顔で佇んでいた。

 

「……おい」

 

 基本、目上の他人には丁寧語である九十九だが、これには眉を顰めるものがあった。

 

「何でしょう」

 

 しかし、それを歯牙にも掛けないのが妖怪の王。

 楽し気な表情を隠そうともせずに、これから起こるであろう一挙一動を見逃すまいと、その眼を油断無く巡らせている。色々な力―――【集められた魔法』を見せ付けたとはいえ、修羅の如き闘気を纏っている訳でも、英雄宛らの風格を漂わせている訳でも無い存在からの不満など、耳を貸すにも値しない。と、思っている節があるせいでもあるのだが、最大の理由は、他者の不快な感情を楽しんでいるからに他ならない。

 しかしながら、一応は、九十九の要望に応えてはいるのだ。

 炎下の地、力ある妖怪達の住まうタッキリ山に君臨する、大聖の頂点。それが、○○の能力によるものではない―――妖術の一つや二つ、使えない訳が無い。

 

「……もう、いいッス」

 

 不貞腐れながらも口を噤む九十九は、思いっきり膨れっ面を晒しつつ、顔を前方へと向け直す。何せ、今の平天大聖の姿は、視界の先に辛うじて見える陽炎と同様に、揺らめき、掠れ、間近であっても目を疑うほどに、周囲の風景と同化していたのだから。

 至近でこれなのだから、それがキロは離れているであろう、人間の目で捉えられる事はないだろう。

 そう思うからこそ、九十九は何も言葉を……嗜める事すら出来ないまま、時は過ぎ―――。

 

「―――ツクモ。そろそろ」

 

 不貞腐される九十九と、それを愉快そうに眺める平天大聖。それら間の微妙な空気を完全に無視する形で、目の前の展開に全神経を集中させていたリンが、時を告げた。既に、今朝方のおかしな態度は抜け切っている。今、リンが見ているものは、如何にこの作戦を完遂させるかという点と、その先に見る、母親との幸せの未来だけ。

 

「……あぃよ」

 

 それを感じ取ったのか、九十九は不承不承と言葉を返し、雰囲気を引き締めたものに変えた。

 

「最終確認。……居ない、な?」

「ああ。お母様の姿は、影も形も視認出来ない。仲間達からも報告は来ていない。―――これで、何の気兼ねも無くなった、ということだね」

 

 既に二人……いや、三人か……の意識は、その全貌を現した、ウィリクの国の軍勢へと注がれている。

 

「しかし……楽しそうですね、孔明先生」

 

 視線は切らずに、言葉だけを真横の軍師へと投げ掛けた。硬い地面に伏せる孔明が、九十九の声に応え、念話を送る。

 

「……はぁ、『大兵力は素晴らしい』……ですか」

 

 魏という大国を、呉という強国を。それらと隣り合わせの、食うか喰われるかの死闘を演じ続けてきた経歴を思い返したせいか。存在こそ人間ではなく、ただの食欲の強いネズミの群れではあるけれど、それが+1/+1修正の効力で成人男性と同等の力を持ち、命令には従順であり、五十万匹近く居て維持費(食費等)もクリアしているというのだから、これが恵まれていない訳が無い。

 勝利条件こそ特殊なものではあるけれど、常に綱渡りであった頃と比べれば、今歩んでいる道は、幅三メートルの石畳の歩道。安堵を覚えるのも仕方の無い事だろう。

 

 ―――そして、彼らがウィリクの国の四万人の軍勢を眼下に収めきったところで、とうとうその時は訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 違和感を覚えたのは、一団の先頭を進む、真紅の衣を身に着けた者だった。取り分け機微には鋭く、先も、持ち前の観察眼にて、一軍を滅ぼし得る砂蠍を難なく迎撃している。

 その者―――仮に、将軍、と呼ぶ事にする人物は、前方に見えてきた森林地帯、自然豊かな新緑が地平線一杯に広がるそれと、その奥の天に突き出す霊峰、タッキリ山へと進軍を続けていた。

 名立たる魑魅魍魎が潜む魔境。それ故に、手付かずの自然と資源が残る地。

 何より、方々の国から略奪の限りを尽くし、天界や、名立たる仙人から譲り、あるいは強奪したと聞く、一国を手放してもまだ足りぬほどの効能をもたらすという、数々の財宝達。あの一帯を手に入れられたのならば、西方の地までも手中に収められるかもしれない。

 新たにもたらされた武器―――火筒は、人間の一軍をも滅ぼし得る砂蠍を瞬く間に打ち倒すという成果を上げた。

 弓や弩よりも威力と射程に優れ、バリスタや投石器よりも運用性に秀でた、これまでの戦争を児戯にも等しいものへと様変わりさせられるだけの性能を秘めたもの。使用回数の制限と、湿気に弱いという欠点、命中率の低さ、等々。解決すべき問題は山積みであるが、それらを笑って受け入れられる程に、あれは素晴らしいの一言に尽きる兵器である。

 この聖戦が成功すれば、より純度の高い鉄を精製し、威力、射程を強化した火筒を生み出せよう。

 伏魔殿と化した森林地帯は、自身の能力に縋る妖魔達の塒。故に、資源を大量に活用するという選択肢が存在せず―――その様な土地であるから、これら兵器の要となる燃える土も、大量に眠っている可能性も高い。

 ……いや、そもそもが、それらが埋まっている、という確定の情報としてもたらされた結果が、この進撃である。

 

 

 

 全てを変えたと言っても過言ではない、ヴェラと名乗る商人の到来。一体何処でこれら情報や武器、人材を集めてきたのか不思議でならないが、それらが何らこちらに対して不利益に繋がらないというのだから、真に不気味で、都合が良く―――信頼出来ぬ者。

 

 ―――これが終われば、神の元へと送らねばならない。

 

 自国の諜報機関を用いて調べ上げた範囲では、まだこの情報と武器を所持しているのは、この国のみ。

 商人とは、過程はともあれ、最終的には利益を最優先に行動する。これだけの成果を生み出す人材は惜しいが、だからといって、自らの命を危険に晒しては元も子もない。過去、あれとは幾度か話した事はあった。だが、その全ての印象がこちらの利となり、裏付けされた成功が浮かび上がり、言動一つ一つ、どれをとっても疑う余地が無いもので。

 

 ―――あれは、人ではない。そう結論付けるには、然して時間は掛からなかった。

 

 もうすぐで、三十も半ば。無駄に、毛の生え揃わぬ内から、幾年も海千山千の化かし合いの場で生き抜いてはいない。人間、誰しも欠点があり、弱点があり、表と裏の……少なくとも、片側から見れば、善か悪―――利か損かのどちらかに取れる行動を、幾つも積み重ねている筈なのに、あれには、それが無いのだ。とてもではないが、あれを御せるとは思わない。今この思考すらも、あれの手の内、予測の範囲なのではないかという懸念が捨て切れずにいるくらいである。一刻も早く、不安の種が芽吹かぬよう、迅速に刈り取らねば安眠の日々は訪れないだろう。

 そしてより豊かになった自国を見れば、自分の求心力は、女王の比を超えるだろう。そうなれば、後は思うがままだ。頂点の交代は、恙無く行われる筈。特産の宝石、一種のみで保っているような経済ではあるが、それはまだ尽きぬ様子を見せず。最悪、自分の代だけならば湯水の如く財を消費しても問題は無い。場合によっては、民からも搾取するという選択肢もある。将来は約束されたようなものだ。これを機に豪族、豪商達が、己が利益の確保に邁進しているが、主要な箇所はほぼ全て抑えてある。多少の権利の剥離は許してしまうが、幾らかの損失は目を瞑ろう。ある程度の蜜も蒔かねば、呼び水とはならないのだから。

 所詮、下々の心は低きに流れる。甘い方、楽な方へと転がった先にあるものは、決して抜け出せぬ階級。名だけが国民であるという、奴隷と大差の無い家畜。女王への真の忠誠心を持つ者はとうに消し去っており、これさえ成せば、自分の未来は曙光が登る事になるだろう。

 

 

 

 ―――そう思う、国を立っての、五日目。半刻もすれば腹の虫が騒ぎ出す刻限に、将軍は、それを見た。水蒸気が飽和状態となり、凝縮した後に水粒となって空中に浮遊し続ける現象―――霧である。

 馬鹿な。という突発的な感想は、どうするか、という思考によって塗り潰される。早朝や夕暮れならば、まだ分からないでもないが、今は真昼以外の何者でも無い。

 見れば、それは既に視界の先の目的地を白で覆い隠し、瞬く間にこちらの軍勢を飲み込まんと近づいて来ているではないか。

 

「×●○×■!!」

 

 指示を飛ばし、密集させ、停止を命じる。既に霧は自分の体に触れ始め、真後ろに追随する者の姿の視認も難しくなって来ていた。

 停止を命じておいて、正解であった。

 ここまで濃い霧に出会った事も、あまりに唐突に発生した自然現象に対処する術もなく、これでは歩くだけで軍が散り散りになるだろうと理解させられるだけの天災である。指示が行き届くまでにはまだ時間が掛かるだろうが、軍の壊滅という、最悪の事態は回避出来そうだ。

 ……しかし、これを自然がもたらしたものだとは考え難い。どうやら、早くも妖魔達の洗礼を受けてしまった可能性がチラ付く。

 手を伸ばせば、手の平が白で埋まる視界。多量の水分は、火筒の肝である、燃える土をただの屑土のものへと変容させてしまう。周囲の警戒と、なるべく火筒を外気に晒さぬよう命令し、後続に対し、指示を口にする。続々と集結しつつある一軍は、徐々にその規模を増しつつ、互いの安否を確認。響く号令の数と音量から考察するに、今のところは順調に―――

 

「―――▲△ッ!?」

 

 ―――足元から伝わる微震。

 四万人の兵士達でも実現不可能であろう振動に、堪らず驚きの声を上げてしまう。

 巨人の到来。大地の悲鳴。世界の鳴き声。それらを思わずには居られない未知の不安が、周囲の視界が完全に塞がっているという現実と相まって、警戒心と、それよりも尚強い恐怖心を芽生えさせた。

 数秒毎に振動と音量が比例し、体と鼓膜を揺らす。そしてそれは、後方にて集っていた兵達にとっては、より深刻な事態をもたらしていた。

 神の名を上げ、天に祈る者。

 耳を塞ぎ、目を瞑り。体を小さく丸めて、地面に伏せる者。

 地震、という自然現象に全くと言っていいほどに耐性の無い彼らにとって、それはこの世の終わり。終焉に他ならぬ、星の断末魔に聞こえているのだろう。幾ら戦に身を置く者であったとしても、槍で突かれるでも、剣で切り裂かれるでもない、全く予想していなかった死は受け入れ難い。

 恐怖の伝播は静かに、素早く。砂地に染み込む水のように。同様が恐れを生み、恐れは足へと、脳へと伝わる。

 

「■□▲ッ!!」

 

 白で閉ざされた視界と、世界を揺るがす鼓動に耐え切れなくなった、とある者が、とうとうその職務を放棄した。手に持つ剣から察するに、切り込み隊の内の一人であったのだろう。

 浅黒かった顔であっても尚分かる程に血色を失わせ、不安に駆られて抜刀していたそれを放り出す。その集団の、隊長の静止も耳に入らない。自らの命を守る為にと握り込んだ武器をも捨て去って、逃亡への……生還への第一歩を踏み出そうとし―――その未来は永久に閉ざされてしまったのだと知るのに、然して時間は必要無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音だけ。という経験も、中々あるもんじゃないと思う。それが喜び方面ではなく、恐怖系の方であれば、尚の事。

 意識せず、ポロリと出てきた言葉は、溜め息成分100%。

 

「……無いわー」

 

 いや、やったのは自分なんですけどね?

 

「はーっはっはっはっ!!」

 

 俺の背後。声高らかに、腹を抱えて笑う平天大聖サマ。

 もはや姿を隠す気など微塵も無い、と、とても楽しそうに爆笑中。何が楽しいんだが分かんないけれど、出来ればしばらく関わりたくないお声で御座います。

 

「うん。これなら」

 

 一方。喜び、という点のみならば、リンも同様の心境にはなっているらしい。

 目の前で繰り広げられる、当人達からしてみれば悪夢以外の何者でもない現象を前にして、ネズミっ娘は片手で小さく握り拳を作り、今回の作戦の手応えを感じているようだ。グッ、って感じで。

 

 

 

 ―――格別、難しい事はしていない。陥穽。またの名を、落とし穴。

 かのニュートン先生が見つけた偉大な法則。重力の恩恵を最大限に利用した、古来より罠の常套手段として位置する、単純にして、効果絶大なトラップ。一定以下の体躯強度しか持たない生命にとっては、命を失う場合もある、危険なもの。

 ……ただそれが、総勢四万に及ぶ人間達を瞬く間に飲み込むほどの広範囲な規模であったり、高さにして、三、四階建ての建造物に匹敵するものであった事くらいか。特筆すべき点としては。

 後はそこに、孔明先生が存命だった頃に得ていた、この辺り一帯の知識―――枯渇した水脈群と、『集められた魔法』の力を併用させただけ。

 水脈が枯れた事が原因で、この一体が砂漠になったのかどうかは定かではないけれど、ただの敷き詰められた砂の足場よりは落とし穴として活用し易い地形であったのは間違いない。それを、五十万のネズミさん達でゴリゴリと耐久値を減らし、崩壊寸前へと持って行き、タイミング良く、発動させただけだ。

 けれど、その発動方法が難題でもあった。通常の落とし穴であれば、一定以上の負荷を切欠にするものなのだが、今回は範囲が範囲故にそうもいかず、こちらで誘発を計る必要が生じ。

 

(始めは【頂雲の湖】の水を利用して、支えの石柱を水圧で圧し折る算段だったんだが……)

 

 この作戦を発案した、数日前の会議の最中。ふと目に入った、こちらを面白そうに眺める平天大聖の姿に、何だか不公平な気持ちがフツフツと沸いて来た。真面目やってる横で、楽し気にされちゃあ、不満の一つも生まれるというものではないだろうか。例えそれが、こちらが切欠を作った流れであったとしても。

 

『暇なら手伝って!』

『良いですよ?』

 

 おぉう。と逆にキョドったのは、記憶に新しい。

 余りにすんなり受け入れられた事で面食らう羽目になったけれど、了解を得られたのなら良いのでは。なんて思っていたのだが。

 これが後の交渉―――こちらから何かしらの譲歩を引き出し易くする為の複線だと気づくのは、それが実際に効果を発揮した場面……タッキリ山に【禁忌の果樹園】を造林? するのを確約をした際に、【伏龍、孔明】から指摘を受けてからだった。

 俺からしてみれば、時間が掛かるとはいえ元手は無料なんで、損の無いやり取りであった……のは結果論。『この程度で良かった』と、後から孔明先生にネチネチと攻められる経験は、出来れば一度に留めておきたい。

 尤も、その後、妖怪とはいえ一角の王と交渉を成功させた点“だけ”は褒めてくれた。これが俗に言う飴と鞭というヤツなのだろうか。勉強になります。次回からは、もう少し飴の成分多めを期待してみよう。

 で。

 始めは平天大聖が落とし穴地帯ごと、何かの重圧によってペシャンコにする方法を提案されたのだが、それじゃあ目的の一つである、軍隊不殺が達成出来ないってんで……。

 

(平天大聖の……何か知らん妖術で支えを崩してもらって……)

 

 ……というか、魔術とか魔法に比べて、そもそも妖術自体が下級の代物ではなかったか。八雲さんの式神さんの式神さんが、子供騙し的なもんだと言ってたような……言ってなかったような……。

 それをどうやったらここ【頂雲の湖】の頂から、キロは離れた砂漠の地下を狙い撃ちしたんでしょうか。機会があれば教えてくれねぇかなぁ、タダで、簡単に。これから起こるであろう展開を考えるに、可能性は低そうではあるけれど。

 

「素晴らしいものですねぇ。羽の生えた、赤蜥蜴の使役。山と湖の一体になった、大地創造。甘美な果樹を実らせる、命が実る木々の造林。そして今度は、自然現象の発生。……ネズミ達の先走りを諌める為に使用した昨晩は、月明かりのみの視界であったので細部は把握出来ませんでしたが、こうして隅々まで見渡せる場所と、しっかりと明かりが差す刻限であれば……くっくっくっ……」

 

 楽しそうだなー、この人。帰ってくんねーかなー、今すぐに。

 

「名前、お伺いしても?」

 

 道を尋ねる風に気軽な、平天大聖の言葉。

 流れ的に、今使った能力―――カードを指すんだろう。

 まぁ、別に隠すようなものではないので、サクっとご説明しちゃいましょう。

 ―――昨晩、ネズミ達の先走り(原因・俺)を阻害し。今日、人の列を塞き止め、線から円へと膨張を誘い、落とし穴の効果範囲内に人数を集中させる為に用いた、それは。

 

「【濃霧】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

濃霧(のうむ)

 1マナの、緑の【インスタント】

 このターン中のクリーチャーの攻撃を軽減し、ゼロにする。

 

 緑による【コンバット・トリック】の代表格。数々の亜種が派生しており、この効果の優秀さ(ゲームバランスとしてのもの)が窺える一枚。効果の程は、たった一ターン、相手のクリーチャー攻撃を無効にするだけのものであるが、油断大敵、とばかりに飛んでくる【濃霧】には、窮鼠の一撃にも似た効力がある。緑を使う者は勿論、一定期間以上MTGを楽しんでいるプレイヤーにとっては、馴染みの深いカードである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嘘は言ってないのだが、どうやらあちらさんは、誤魔化されたと思ったらしい。声にこそ出してはいないが、やれやれ。と幻聴すら聞こえて来る始末な仕草。胡散臭いくらいに似合っております。

 

(まぁ、名前そのまんまだもんなぁ)

 

 逆の立場なら、俺だって疑って掛かる……まず信じない自信はある。こちらは嘘偽り無い事実を言っただけなのだが、勝手に相手が勘違いして空回りしてくれる展開というのは、中々に無い経験だ。それが、こちらがそれを把握している状況であれば、尚の事。

 面白い。

 これからの流れを考えると憂鬱にしかならないけれど、それでも、その最中に楽しみを見つけられたのは、冷静さのレベルでも上昇したんじゃないかと思える経験であった。

 ……現実逃避が上手くなっただけ、という可能性は、目を瞑る事にして、今はただ、“来た”時に備えて、事前に選んでおいたカードを、脳裏に思い描くのだった。

 

 

 

 

 

 ―――無数の悲鳴は、深い霧と、穴の空いた大地に飲み込まれ、消え入る灯火のように小さくなっていく。

 鋼の鎧を持つ蠍を砕いた武器を持とうとも、それが万の軍勢に運用されようとも、相手が居なければ意味を失うもの。振るう相手の居なくなった火筒は、砂の底で瓦礫と化して、それは瀕死となった人間達には、無用の長物と成り果てる。

 足の折れた獣は捨てて。水と、食料と、気持ち程度の武具を手に、鈍重な足取りで撤退を開始する、人、人、人、人。人の群れ。そこに見えるは、総数、四万に届く敗走軍と、それらを見下ろす―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――なぁ」

 

 出鼻を挫かれる。とは、この事か。九十九の顔は前方の敗軍を見つめたままに、背後に居る妖怪の王へと、平坦な声を投げ掛けた。

 チグハグな丁寧語は消えて、今は、フラットな関係のそれへと変化している。

 契約を守り、隠す気の無い面従腹背を貫いていた平天大聖の表情が、この時、初めて僅かに固まった。

 

「何でしょう」

 

 とはいえ、それも一瞬。すぐさま不敵な態度が戻り、些細な失敗をおくびにも出さず、言葉を返す。

 

「―――するのか?」

 

 伏せていた体を起こし、パンパンと、二回。前面に付着した土埃を払いながら、九十九は後ろへと振り返る。

 探るような声色。気さくを装った言葉。これから起こるであろう不安に対してか。その口調は、重い。

 

「はて。何を―――「……惚けてくれるなよ」―――……ふむ」

 

 腕を組み、顎に片手を添える形で、平天大聖が熟考する仕草を行った。

 けれど、油断無く上空へと気を巡らせている様は、そろそろ現れると思っているのだろう、タッキリ山の根城で姿を消した赤蜥蜴、【稲妻のドラゴン】を警戒しての行為である。

 

「これでも、感謝してるんだ。突然土足で乗り込んで来た、見ず知らずの……何処の馬の骨とも分かんねぇ奴相手に、考えはどうあれ、こうして最後まで付き合ってくれたばかりか、手助けまでしてくれたんだから」

 

 直立する九十九の傍に、隠し切れない懸念を表情に貼り付けたまま、リンがおずおずと寄り添った。それに習う形で、【伏龍、孔明】も横へと並ぶ。 太陽の真下。【頂雲の湖】の上。丁度、三対一の構図を画いた様に立つ彼らの姿は、これから始まる出来事を、否応無く思い起こさせるに足る立ち位置だ。

 

 

 

「―――では」

 

 

 

 大聖のおどけたような態度はなりを潜め、代わりに姿を覗かせるのは、妖怪の妖怪足る所以の形。歯止めの無い欲望の具現化。的確な応答では無かったが、次の言葉には、平天大聖の本心が含まれていた。

 

 

 

「あなたをここで貰い受ける事に致しましょう―――ッ!!」

 

 

 

 鋭さの増した、愉悦の笑み。

 それを体中から溢れさせながら、

 

 

 

「―――男にコクられる趣味はねぇ!!」

 

 

 

 九十九達の四方。四角く囲むように現れた角に、それぞれ一本。足元から、白銀の柱が生え揃う。地面から突き立ったそれらに合わせ、彼らの真下の岩肌が円形に砕け散り、三人の姿を暗闇の奥底へと誘い込んだ。

 

「―――ッ!?」

 

 なんと。

 言葉に出さずとも、落下を開始した九十九らからは、そんな平天大聖の驚きの言葉が、しっかりと顔に張り付いているのを読み取った。

 

「こんな事もあろうかとおぉぉーーー!!」

 

 一度言ってみたかった。と、九十九が内心で呟いたかどうかは定かではないけれど。

 リンを小脇に。孔明と肩を組む形で、九十九は一連の出来事の切欠を作った相手―――自由落下する【メムナイト】へと、自分達の背中を預け、対象をしっかりと視界に収め。

 

(【お粗末】!!)

 

 本来の力による攻勢か、自らも奈落へと飛び込もうかの追随か。その二択で平天大聖の心が揺れ動いた僅かな隙に、無力化に秀でた白のカードを繰り出した。

 大和の軍神が一人、八坂神奈子であっても一定以上の効果を発揮したそれは、大聖の頂点に位置する存在であっても、例外は無かったようだ。

 逡巡の後、忌々しげに、力による攻勢に移ろうとした途端、

 

「ッ!?」

 

 そこで、初めて平天大聖は、自身に起こった変化に気が付いた。この一帯ごと踏み潰さんとする……筈であった不可視の重圧は、しかし、本来の力の半分に届くか否かの効力しか現れない。予想していたよりも大幅に減少した攻撃範囲。山頂から、湖の麓まで。高低差にして百メートル以上はあるであろう、突如出現した穴を、それごと……地の底までも崩落させる気概で放たれた重圧も。いずれも十全の成果を発揮せず、山頂の何割かを砕くだけに留まった。下へと続く穴の入り口を塞いでしまっただけという、九十九達にとって最も都合の良いものへと。

 大聖の端整な顔立ちが、苦虫を噛み潰したように変貌する。自身に起こった変化。相手の退路を確保してしまった愚行。それらを微塵も予期出来なかった自分。様々な要因に対し憤慨を顕わにして。

 

「……ちぃッ!」

 

 一際大きな破砕音。遠目で見る者が居たのなら、そこには、蜃気楼のような、何かの巨獣の白足が見えた事だろう。久しい……本当に久しい、八つ当たりという行為を、平天大聖は自ら潰した瓦礫の山へと向けるのだった。

 大きな深呼吸を、一つ。足元の瓦礫から視線を切り、代わり、【濃霧】の晴れたそこに、未だ地の底を蠢き、這い上がろうとしている存在を見た。

 先に見た様は、愚鈍を体現する人間達の軍隊の……成れの果て。自らの行動の規模の大きさ故に、何をするにも派手になるものだ。そう思う平天大聖は、たった今取り逃がした獲物と交わしたものを思い浮かべる。

 

『人間の軍隊がこちらの地に足を踏み入れたとしても、国への報復は行わず、防衛のみにして欲しい』

 

 何ともまぁ、頭の悪い契約―――穴だらけの約束であった。

 まず、期間を設けていない。

 次、国の範囲を定めていない。

 そして、防衛の規模を決めていない。

 他にも他にも。穴だらけというよりは、むしろ穴しかないような取り決め。約束ならまだしも、あそこまで曖昧な契約は、大聖を統べる者にとって生まれて初めてであった。これまではその立場故、並み以上の知識を持つ者達としかやり取りを行っていなかったので、当然とも言える。

 なればこそ、九十九が意図的に曖昧にして、何処まで切り込んでくるのかを……真意を探ろうと垂らした餌なのだと、平天大聖は今の今まで思っていたくらいだった。

 彼自身、九十九の提示した理由の真意は十分に理解していた。今後とも人間達への攻撃を行わないように。との考えが窺えたのだから。

 これが九十九を手に入れた……機嫌の良い状態であったのならば、卑しい人間の頼みなれど、その真意までを汲み取り、反映させていた事だろうが、もう、それも適わない。

 あれらを全て潰してしまえば、このうねる感情の抑制に一役買ってくれるだろう。後は、これが終われば“自分以外に”かの国を攻めさせるべきか。それとも、真綿で首を絞めるかの如く、国境を封鎖し、餓死させるのも興味がある。

 そうすれば、そこに怒りを覚えて、復讐や報復という手段で、あちらから自らの元に来てくれるのではないか。

 そこにはもう、見る者全てに怖気を感じさせる笑みを湛えながら、自己の望みを如何にして叶えるかを巡らせる、妖怪の王の姿しか存在していない。

 恐怖に歪む人間というのは、それだけで大聖の心を満たしてくれるもの。遠方からでも見ていたこの山の頂。それを、瞬く間に崩す存在が、ゆっくりと自分達の方へ向かって来ていると知れば、あれらは、今よりもさぞ面白い様を見せ付けてくれるに違いない。

 平天大聖の足取りは、荒れた山岳であっても軽やかに。微塵も体勢を崩す事無く、ゆっくりと、撤退を開始している敗軍へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとまず、と。そう思わずには居られない。【頂雲の湖】の山頂から、湖の麓、どころか、更に下の枯渇水脈まで退避して来たのだ。油断は禁物ではあるけれど、幾ら妖怪の王とはいえ、そうそう追ってこられるものとは考え難い。時間は稼げた筈だ。

 安堵と言う名の吐息は、深く、大きく、何回か。ほんの僅かに瓦礫の隙間から太陽の光が差し込んで来る。人間であればその程度の光源、有って無いよなもの、程度のものが。

 

(こういう時には、心から感謝出来るね)

 

 自らが、ネズミという種であった事に。

 過酷な環境に対しての適応力は、数少ない自慢の一つである。

 

「おっと。先生、手を」

 

 よって、ただの人間……であると思う孔明先生は、この真っ暗闇にも等しい場で、若干の困惑を浮かべていた。暗中模索を体現する格好は、それが数日間、五十万の生き物に凛々しく指示を飛ばしていた事を思い返せば、悪戯してみたく……興味深いものがあるけれど、それをいつまでも見ている訳にもいかない。苛め心を覗かせた、自分を諌める。

 前方へ延ばされていた手を取り、自分の方へ。優しく、しっかりと握り返してくれた手に、九十九に蘇らされた頃の、ネズミに対する怪訝な態度は無かった。僕が妖怪……人型だから。という理由もあるだろう。

 それでも、それが少し、嬉しくて。

 

(思ったよりも、ゴツゴツしてる)

 

 机仕事のイメージが強かったけれど、この手の平を握ってみて、考えを改める。筆を握った箇所を中心とした皮膚が、全て硬化しているのを感じ取れた。

 毛扇を絶えず振るっていたとはいえ、たった数日間でこうなるとは考え難い。これは以前から、こうだったのだろう。それだけで、過去どれだけの事を成して来たのかを、肌で感じられた気がする。

 

「―――それに引き換え……」

 

 後ろに続く存在、【メムナイト】へと顔を向けた。所々に変形した金属の皮は、落下の影響で受けたものだろう。矍鑠(かくしゃく)としている様子を見るに、どうやら、深刻な傷では無いようだ。

 ただ、【メムナイト】も夜目は効かないようで、孔明先生と同様に、周囲をおそるおそるといった感じで、手探り……

 

(手……?)

 

 そういえば、その部位は何だろう。足だろうか。爪だろうか。あるいは触手かもしれない。まぁ、手で良いか。と結論付けたところで、【メムナイト】が担ぐ者を見る。

 

「まさか、落下の衝撃で気絶するなんて……」

 

 傍から見ても気持ちの良い笑顔を浮かべながら、これからの展開の肝心要な人物―――九十九は、完全に意識を手放していた。両の頬が、僕の手の平と同じ大きさの小さな紅葉型に、幾重にも、赤々と張れているのはご愛嬌。僕だって手が痛いのだ。これくらいは、男の甲斐性だと思って受け入れて欲しい。

 ……心なしか、九十九の後頭部が蹴鞠の如く膨らんでいる気もするけれど。

 

(意識戻らないのって……これ……が原因、かな……?)

 

 それは……まぁ、見なかった事にして。

 

「参ったな……」

 

 冗談としか思えない体たらくを披露する恩人の、間延びした笑顔が緊張感を削いでゆく。

 この、ますますやる気の無くなった気持ちを、どう処理すれば良いものか。同様の心境を共有しているであろう孔明先生へと目をやれば、既に割り切っているのか、その目には力強い意思が宿っていた。これから取るべき道を考えているのだと察せられる。流石だ。

 

(本当なら無視したいんだけど……)

 

 お母様の……いや。人間達の軍隊は、叶うのならば、僕自身が手に掛けたいと思っていた者達だ。それが平天大聖が行うのなら―――外部によって行われるのなら、ある意味で願ったり叶ったりであったのだが、それはそれで……というより、国力の大幅な低下を招く要因となるので、予てよりの案の通り、極力命を救うよう、こうして嫌々ながらも行動に移している訳で。

 おかしな話だ。平天大聖との和平を結ぶよりも、むしろ敵対し、人間達の軍隊を救う方が国益となるのだから。九十九の存在を―――能力を知らなければ、怒号の如く拒絶していた事だろう。

 

「移動中くらいは、休ませてあげないとね」

 

 赤々とした皮膚になるまで、散々頬を張った側が言う台詞では無いけれど。

 水脈を辿り、目的の場所へ。十数分以内には着くけれど、休める時間があるのなら、これを用いない手は無い。その間に人間達へ犠牲が出てしまったのであれば、その時はその時だ。気持ち良く、晴れ晴れとした心を秘めつつ、『しかたなかった』と一言述べて、綺麗サッパリ諦める事にしよう。

 そろそろ同胞達と合流も出来るだろう。そう思いながら、完全な暗闇となりつつある水脈を、一人と一体と、荷物一つの先導を勤める。体の大きな【メムナイト】であっても通過可能なようには計らったつもりだが、こうして彼があまり不自由無く移動する様子を見るに、しっかりと仕事を行えたようだ。

 

 

 

 てくてくと、カツカツと、カシャカシャと。

 三者三様の足音を枯渇水脈―――洞窟へと響かせながら、人外一向は、人間の軍勢が落ちた方へと、その足を向けるのだった。

 

 

 


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