久々に熟睡出来た気がする。
日が傾き、木の陰からはみ出た腕が西日によって焼かれた事で、俺は目が覚めた。
「……ふぁ……いてて……。―――よ! っと」
木の瘤を枕代わりにしていた事で、体が妙な形で固まっていたらしい。体中が異音を奏でるのを強引に無視。無理矢理動かす事で、何とか稼動域を確保。
視界いっぱいに広がる紅。それは、地平線に沈む夕日が世界を燃やしていた。
赤一色に染め上げられた大地は、こちらの心を動かすのには充分なものであった。言葉もなく、動きもなく。大自然の脈動に、あぁ、とか、おぉ、とか。内心で感嘆の声を上げながら。
時間を忘れ、目的を忘れ、思考を忘れて―――幾許か。 黄昏の時間が闇に沈み、瞬きを持った星々が天井に灯る刻限となって、ようやく俺は動き出した。
寝起きと同時に座り続けていた事で、またもや体が固まってしまったらしい。立ち上がろうと背筋を伸ばしただけで、良い感じに関節から音がした。
「んーっ!」
尻の砂埃を叩いて落とし、上体を反らして節々を解す。全身バッキバキ。体が楽器になった気分だ。
真っ暗。とまではいかないものの、完全に日没してしまった今となっては、星の光が強いとはいえ、良好な視野を確保するのはやや難しい。
さっと周りを見渡して、耳を澄ます。鈴虫の音と微風の感触が俺の頬を撫でていた。
(ナ……リンは……居ないか)
彼女どころか、夜の暗さを差し引いても、一面を覆い尽くしていたネズミの一匹すら発見出来ない。
少し寂しいけれど、別れを惜しむまでの関係でも無かったと思う事で、気にしない、の方針を取る。
何も告げられずに居なくなってしまった事は悲しいが、そこまでの間柄ではないのだし、こんなものか。と割り切って、これからの事を考え……
(あれ、ジャン袋は?)
……る事には至らなかった。
寝る前に、体の横辺りにほっ放り出した筈のものが消えている。寝ぼけて消してしまったかとも思ったのだが、未だに僅かな体力の消費は感じられる。袋は未だに出現中だ。
二度寝も辞さない脳味噌に何とかがんばって貰いながら、今自身が置かれている状況を整理する。
アニメ描写であれば、きっと今のBGMは、時計の秒針がカチリカチリと音を立てているシーンかもしれないと思いつつ、頭上に擬似豆電球が灯った……気がする。
これからの行動が決まった。
それは。
「寝る」
枕代わりをしてくれていた木を見て、【隠れ家】を呼び出した。安全地帯確保です。
中に入れば、かつての如く真っ暗な無限の奥行きをみせる室内が広がっている。
これで勇丸でも居れば、あの時の再現になるなとチラと考え、すぐに破棄した。今は感傷に浸る気分ではない。もっと他の事に意識を回すべきだ。
無くなったモノは【ジャンドールの鞍袋】のみ。けれどそれは、いつでも消せて、いつでも出現させられる代物である。生き物ではないのだし、別に拘る必要は無い。
けれど、もし仮にこれが消えてしまった云々のものでなく、他者によって奪われたモノであったとしたら。
今までの流れから導かれた答えはあまり気分の良いものではなかった。それを行ったのは、かなり高い確率で、あの妖怪の少女であるのだから。
だとしたら―――
(まだ確定じゃないけど……。もし彼女だとしたら……何でだ? 何で態々、人様の物を盗む真似を……)
大事なものに変わりは無いとはいえ、それは幾らでも取替えが効くもの。
何をされても……まぁ問題は無い、と。その心の余裕も相まって、怒りよりも、疑問の方が先に立つ。
一番有力そうな理由は、彼女が漏らした、満腹になるのは初めて云々、との言葉から、ネズミ達の食料源確保の為だろう。
普段から腹を空かせていた仲間達の欲求を満たす代物を見せたのだ。無限に湧き出る食べ物袋。それに興味を持たない筈が無い。
ただ、だからといって窃盗は宜しくない。
今、供給を断って消しても良いが、それでは面白く……ゲフンゲフン。教育上いただけないので、直接会って、今後は止めるよう懲らしめ……指摘しておこう。
当人了承の元、踏んづけてしまったことが発端の出来事は、既に貸し借りは終わっている。その上でこちらに害を成したというのであれば、もう手心を加える必要は無いのだから。
(という訳で、お休みなさい)
敷き詰められた、藁の布団の上で横になる。ミシャクジの外套と月の衣類の効果で、あの時ほど……というよりは、むしろ格段に寝易くはなっているのだが、それでも違和感を感じずには居られないのは。
(月に戻りてぇ……)
空調の効いた部屋。ふかふかのベッド。何に襲われるでもない、安全で清潔な環境。美人な同居人。あぁ、寝る時だけ月の生活空間が欲しいです。
早くも逆ホームシック? に掛かった俺は、数日で慣れるさ。と、過ごし易かった生活環境を思考の外へと追い遣りつつ、目を閉じた。
「おはようございまーす!」
新鮮な空気を胸いっぱいに取り入れて、日の出と共に、元気ハツラツ挨拶一声。誰に聞かせる風でなく、世界に向けて自己主張。……誰か居たら絶対しませんが。
【隠れ家】の扉から這い出た俺は、眼下に広がる緑の大地に向けて声を荒げた。
夜更かしする理由が宴会以外で皆無となっていたので、朝日が昇るか否か。な時間帯で起床する癖が付いていた。
起きてたって娯楽が無いんです。天体観測くらいしか。……それはそれで楽しかったんですけどね。夜な夜な星を観察しに繰り出す方々の趣味が何となく理解出来る経験でした。機会があれば、天文学に詳しい人から夜空の下で、色々な話を聞いてみたいものだ。
月の頃との時差で生活のリズムが狂うかとも思っていたのだが、どうも良い感じで体内時間とマッチする緯度……経度だっけか……?へと降り立つ事が出来たようだ。
ラジオ体操よりも簡単な軽い運動の後、日課となっていたあれを、昨夜はし忘れていた事実を思い出した。月の服によって、今は自動で体を清潔に保ってくれているのだが、あれは汚れを落とすだけではなく、心や体の疲労を取り除いてくれるもの。
幸い、【隠れ家】―――【土地】は残したままだ。これならば問題なく使用出来る。
(いつもは秘湯、諏訪に入浴してたからなぁ)
洩矢から守矢になる以前から、考えてはいた。そして月にての初使用の際には、俺含む、周囲の誰もが目を見張る展開になったのを思い出し、あれは気分が良かったなと記憶が蘇り、笑みを浮かべる。
残念ながら、永琳さんの実験との名目であったので、それを堪能するまでの段階には至らなかったのが心残りであったくらいか。名前が何の捻りもないものではあるけれど、すぐさま思い出せる、という点においてはそれ以上望むべくも無いカードであった。
(丁度、周りには雪も被ってたし)
もし熱さで参ってしまうのであれば、そこで体を冷やすのも良いかもしれない。というか、むしろ至れり尽くせりではないか。
「んじゃいつも通りに、っと。……おほん。―――召喚!【温泉】!」
【隠れ家】の側面にあった大地が発光し、数瞬の後に輝きを失った。早朝であるのに暑さを感じる一帯に負けないよう主張するかの如き、濛々と立ち込める湯気は、それが高い温度を保有しているのだと理解させられるものである。
絵柄の通り、【温泉】の縁には降り積もった雪が残っていた。この辺りは製作テーマの影響が強いのだろう。真夏の草原に雪の彩りが添えられている温泉。という、例えに困る現状であるのだが、一応、温泉は温泉だ。そこまで深く考える必要も無いだろう。
『温泉/Hot Springs』
2マナで、緑の【エンチャント(土地)】
本来は、全体に影響を与えるか、クリーチャーの強化、弱体化が主な使い方の【エンチャント】ではあるが、これは【土地】に付与するもの。
これを付けられた【土地】は【タップ】する事で対象のクリーチャー一体かプレイヤー一人に与えられるダメージを一点軽減する能力を得る。
出来れば日本の山間なんかで使いたかったな。と思いながら、さっと周りを見渡して人気の無い事を確認すると、俺は着込んだ衣服を乱暴に脱ぎ捨てて、快楽の泉へと突貫していったのだった。
―――湯温を微塵も考慮しないままに。
直後、絹を裂く男の声が木霊する。『アチョー』とも『ホアタァー』とも聞こえるそれは、宛らカンフー映画の気合の掛け声のように。【温泉】の縁に積もっていた雪の上で、軽度の火傷一歩手前まで陥った体を冷やしながらのたうち回る全裸男の姿は、それから数分の間、見られたという。
そして、一芝居も終わりを告げて、日も高々と登り、等しく全てを焦がす時間帯となった頃。
「地味にヒリヒリする……」
【隠れ家】を消し、【温泉】を消し。
衣服を着込み、その隙間から覗く、日焼けとは違う風に薄紅となった表皮を優しく擦りながら、白い外套を羽織った男が、草原の上で突っ立っていた。
じくじくと痛覚を刺激している、赤肌からもたらされる不快感を、何かカードを使って回復させようかという思考と共に、頭の隅に退けておく。今度からは水温が低い……冷たい奴を出そう。最低でも、火傷しない温度のを。折角、常時常夏な場所にやってきたのだ。水泳という酷暑対策の風情を楽しむのも一興だろう。……決して、再び熱い思いをしたくないから、ではない。密かに決意しながら、これからの行動を改めて思い返し、その手始めとなる力を行使した。
「あーい、きゃーん……フラーイッ!!」
脳内イメージ。時を○る少女の、あれ。
軽快に一歩を刻み、その体は―――宙に浮いた。大か小かの放物線しか画けない【ジャンプ】とは違う滞空模様。他の力を利用した手段【羽ばたき飛行機械】とも違う。
空中移動手段の最後の一つ。青の1マナ【エンチャント】であり、名前もそのままである【飛行】だ。
効果は当たり前の様に発揮されていて。一秒、二秒と足が地面に着く事は無く、今も尚その記録を伸ばし続けている。
(……成功だ……)
内心で呟いた感想は、その一言では終わらない。
(成功だっ!)
とうとうそれは、外へと漏れる。
「―――うおおおお!!(俺、飛んでるぞ!!)」
言葉よりも先に、感動の声の方が先に突いて出てしまったようだ。
忘れていた、昔の記憶。誰もが一度は夢見た筈だ。そして、現実を突きつけられ……諦めた、夢。
「……っ」
歯を食いしばり、歓喜の声を、笑みへと変える。
忘れ去ったかつての願いが実を結び、埃を被って……埃に埋没していた好奇心を再び目覚めさせた。
(そうだった……空を飛ぶ事なんて、昔は何度も夢見た事だったじゃないか)
自らの意思によって、縦横無尽に宙を駆ける。
【ジャンプ】を使った時には、楽しさよりも、滑空に対する恐怖と、早く慣れて目的地へ行かなければという使命感が背景にあって、好奇心を満たす方に比重は置かれていなかった。
故に今回の【飛行】は、それら心の制限が殆ど無い状態で体験する訳で―――。
速度こそ地上を全力疾走する程度のものだが、何の制約も受けずに移動出来るという体験が、より一層俺の心を沸き立たせていた。
鳥のように素早くも、蝶のように優雅でも無いけれど。十、二十メートルと高度を稼ぎ、恐怖を覚え始めたところで力を抜く。
【ジャンプ】の時に体験した擬似無重力を再び感じながら、地面に激突ギリギリ……は怖かったので、ある程度のところまで落下した後に、もう一度意識を集中し、空中にピタリ停止した。
僅かなブレーキによって、突如発生した引力に全身を襲われ、少し咽る。急発進、急停止は通常状態では結構厳しそうだと理解するけれど。
(もっとだ。もっと、もっと、もっと―――!!)
多少の無理など気にも留めず、全速力で大空を味わう。
自由とは、こういう事だ。
虫も、鳥も、飛行機も。あの、空を泳ぐ雲にすら。幼き頃の俺が、空行く者達に向けた羨望の眼差しは、間違いではなかったのだ。
無心で空を駆けた。ただ只管に。ただ我武者羅に。平衡感覚を維持する為の三半規管へのダメージなど、まるで気にもならない。
全身を焼く太陽の熱に浮かれているのか。
「おおお―――!!」
今はただ、叶った夢に突き動かされて―――。
「丸一日遊び続けるとは思いませんでした」
我に返ったのは、次の日の明け方であった。【エンチャント】である【飛行】の維持もそうだが、飛行能力の行使自体にも、そこまで体力は使わなかった。
それでも、使い続ければ減るものは減るのだと。ぼやけ始めた視界から、自身が熱中症に掛かる一歩手前になっていた事を察した。
死んだら元も子もない。と、慌てて休憩。そのまま、体調の回復を図った安息は睡眠へとシフトしてゆき、朝日を拝むまでに至ったのだった。
(結構、体力減ってた筈なんだけどなぁ。永琳さんに貰った腕輪、一体どの程度で効果を発揮してくれるんだか……)
まさか壊れちゃいないだろうな。と不安に駆られるものの、あの人がそんな軟な代物を造る訳も無いと思い直……思う事にする。頼りの道具路線から、もしかしたらのお守り程度の認識には変更したけれど。
とりあえず、かなり体力を使わないと効果を発揮してくれないのだろう。と思う路線で、この懸念事項は終了させる事にした。
丸一日中遊び倒して見上げた青空は、とても清々しい気分にさせてくれる。息も絶え絶え。体バテバテであるというのに、実に心地良い疲労具合です。
既に太陽は高々と。再びお世話になる木の陰にお邪魔しつつ、マナと体力の回復を兼ねた休憩を取る。
外側にでなく、内側に意識を向けてみれば、今までに出した各種【土地】や、クリーチャー達との繋がりを感じられた。
その中の一つ。意識した時のみであり、加えて大雑把にしか感じられないのだが、行方知れずとなったジャン袋の方角が分かった。
「……西、か」
方角なんて全く分からん呟きですが。気分です、気分。
太陽や星の位置から自分の場所や方角を割り出す、なんて、理科の講義で習った筈ではあるのだが、完全に記憶から抜け落ちている。覚えているのはそれを習っただけの記憶であり、それをどう割り出すのか、なんて情報は、これっぽっちも残っていなかったのだった。
仮にジャン袋のある方角が西だとして、勇丸や【水没した地下墓地】等々を感じる方向は、殆ど対面。反対側。目的地とは逆の方面である為に、面倒臭さが込み上がる。
(別に追わなくても良いかな……いずれは日本……場所は何処からは知らんが……幻想郷で会えるんだろうし……)
その時に問い詰めれば良いか、と。いくら東方キャラとはいえ、出会って僅か数時間。一方的に踏み付けてしまったけれど、それは既に謝罪済み。そこまで気に掛けていた者でもない。
……そもそもが、俺が幻想郷に行けるのだろうか。という問題は置いておく。
ただ。
(……何なんだよ、あの悲しそうな目は)
睡魔に負ける直前。見間違いと判断したその表情が、今は妙に、思考の隅でチラつく。
一分が経ち、二分が過ぎ。
「―――あ~、もう」
すぐに用事を済ませれば万事解決。三度、頭を掻き毟る。
大和の国から離れて、大体二ヶ月前後。もうここまで来たら一日二日など誤差のようなものではないか。……戸島村でもそんな事思った気もするが、スルーします。
まるで、『明日からやる!』と宿題に手をつけない子供のように。
一瞬、不満そうに口を尖らせる諏訪子さんと、眉間に皺が寄る神奈子さんと、態度こそ凛としているものの、尻尾が垂れ下がった勇丸のイメージが脳裏を掠めた。
(すんません。帰ったら穴埋めはしますんで、許して下さい)
大和で行っていた事。妖怪を退ける。という仕事は常にあったのだが、旅立つ前の段階では、人間の手によって大分補えるようになって来ていた。伊達に、鉄精製の技術を獲得してはいないというところか。
神奈子さんからも、徐々に前線から退くように指示は受けている。俺ががんばればがんばる程に、民達が育たなくなるから、と。その分、事務仕事の割合が増加傾向にはなっていたが。
……あ。
(……やべぇ。諏訪子さんに何て言うか考えてなかった)
月に居た時は『出たトコ勝負!』という気概があったのだが、こうして地球へと降り立ち、帰還が現実味を帯びて来た事で決意が揺らいで来ていた。
喉元過ぎれば何とやら。とある諺を体言しそうになったので、頭を振って、雑念を払う。
再度熟考。数分間、知恵熱が出そうな程に思案して。
「―――よし! それを考えてから戻ろう!」
……ごめん俺嘘ついた。
頭を振って払った筈の雑念は残っていたらしく、熟考を経て、ヘタレと名を変えて結晶化してしまっていたようだ。
人それを、現実逃避という。
(リンを探している間に何か参考になる案でもあれば……)
おぼろげに感じられるジャン袋の方角へと、【飛行】ではなく【ジャンプ】による跳躍力を前方に傾ける事で高速移動を果たす。
視界の先には白茶色な地帯、砂漠が広がっている。精々が自分の全力ダッシュな速度しか出せない【飛行】では、砂漠の脅威その一である熱中症の危険と、単純に、移動速度で疑問が残る。
その点【ジャンプ】は電光石火な速度を出す事も可能であった。何せ、一瞬で地上から上空へと打ち上がる力を持っているのだから。目が慣れ、体もその速度に順応出来たのであれば、彼の新聞記者な鴉天狗にすら勝るとも劣らない次元に到達出来るのではないかと思える程に。
緑を抜け、砂のみの大地を飛び跳ねる影が一つ。
兎のような、陽炎のような。それを見る者が居たのなら、きっと、そう例えていたかもしれない。
しかし、死の大地に態々赴く物好きなど居らず、唯一の物好きは飛び跳ねている者のみ。
結局、跳躍を繰り返す者が土壁で作られた町並みを発見するまで、その姿を見た者は空を流れる雲と、灼熱の世界を創り上げている存在のみであった。
太陽が地平線へと没する少し前。砂漠で営みを築く者達が住まう場所に、俺は来ていた。
【ジャンプ】による遠距離上空視察で、大雑把な全体の町並みは把握している。十字に敷かれたメインストリートと、そのバッテンの中央にそびえ立つ、白亜の城。
といっても、豪華絢爛な代物というよりは、箱を幾つも継ぎ足し積み重ねただけの印象を受ける造りになっていた。少し見方を変えれば、要塞か砦か。と言えるだろう。
(何だろなぁ。テレビでやってた中国辺境の……ウイグル自治区だっけ……紹介番組なんかでこんな衣装見たような……いや、あれはインドだったか?)
白い布を着崩した和服のように身に着けた服装の男性と、色褪せた赤やら黄色やらの布で着飾った女性。前者は、大きさ、形、色、がどれ一つとして同じものを発見出来ない程に多種に渡って見られる帽子を、被る、というよりは乗せた姿で歩き回っていて。
後者は、服同様に様々な色合いのスカーフを、頭に被せたヘッドスカーフとでも呼べる格好で、炎天下の道を進んでいた。そのまま頭に籠やら壷やらを乗っけてくれれば、まさにテレビで見た人達そのものである。
土壁で作られた家々が、出来の悪い積み木を積み重ねたような造形で、道に沿って立ち並ぶ。数頭に連なって進む、背中にジャン袋並の水袋を幾つか背負うラクダの列。少し離れて、ロバの列が後に続く。
まるで、インドと中国の合いの子のような場所。それが、この町に来て思った感想だった。
諏訪子さんから貰った外套を、彼らに習って体に巻き付ける。大和では神様の従者、的なポジションであったので、『まぁそんな格好も普通だよね』なんて思われたのだが、ここではそうも行く筈が無いだろう。郷に入れば郷に従え。習慣なんぞ知る訳も無いので、せめて服装くらいは。と、思ったのだ。
とはいっても、所詮ずぶの素人。どうにも、湯上りのオヤジが腰にタオル巻いているだけな気がしてならない。これあれだ。古代ギリシャとかあの辺の衣装……キトンだったか……みたいな。そういう外見になっている筈だ。
だからだろう。道行く人達の視線が結構刺さる。身長が他の人達と比べても、頭半分くらい出ているのも原因ではないだろうか。
お陰で眉間に皺寄りまくり。勘弁してほしいッス。
「まぁ。なんて綺麗な外套」
「あら本当。白いだけじゃないわ。水面に光が反射しているかのような光景ね。……素敵。何処で仕立てたのかしら」
「きっと名のある豪族の……それも戦士に違いない。見ろ、あの顔を。一切の油断の無い眼をしてやがる。ありゃかなり腕の立つ奴だぜ。きっと名のある国の……そうだな。将軍に違いねぇ」
何やら外野が言っているけど、聞きたくない……聞いたら羞恥の炎で焼け死にそうなので、極力耳には入れないようにする。アー、アー、ワタシ、ニホンジーン、ガイコクゴ、キコエナイ、キコエナーイ。
……早いところ、本来の目的を果たしてしまおう。
(リンが居るのは……)
ジャン袋がある方向へと目を向ける。恐らく、そこにあの少女も居る筈だ。
……でもね?
「……感覚が郊外なんですが」
町とは正反対。つまりは真後ろ。
あれだ。どう見ても砂漠―――ひいては、彼女と出会った草原地帯に続いている方角であった。
……と、いうことは、だ。
「―――通り過ぎた!」
超ガッテム。
視線を更に集める結果になったが、構わず天を仰いで心中の苦悩を発散。少し気分が楽になったのだが、今度は別の苦悩が全身を突き刺している。……周囲からの視線を一身に集めておりますです。
おっかしーなー。移動中にそれらしい影は無かったんだけどなぁ。探す対象が小さ過ぎて見逃したんだろか。
「うぅ、撤収撤収」
チャック全開であったのを公然の場で気づいた時の行動みたいに、可能な限り体を小さくしながら、人混みから遠そうな路地裏へと足早に退避した。
そして、完全に日が没した町に、幾つもの火が灯り始める。
家々の間から零れるそれの一箇所。取り分け大きく光る、歓談と喧騒の声が入り混じり漏れるその家―――店は、耳にする声や物音を肯定するように、人々が席に着き、飲めや歌えの宴を作り出していた。
色々な料理。様々な飲み物。多種の人種。瓶詰めのジェリービーンズのような、小さな世界。そんな世界の一角。カウンター席にも似た場所の隅。
出された酒や料理を黙々と咀嚼しながら……
「……お、結構イケるな。カクテルみたいなもんか。リンゴ……が原酒かな? そこに砂糖でも入れて造ったのか……味に角はあるけど……ジャン袋のレパートリーに追加しとこうかな」
「それはムサッラーと言う果実酒でして。ここじゃあ鼻垂れのガキから耄碌した年寄りまで作れる、ごく一般的なもんでさぁ」
「ふむふむ。……飲み口は甘くて柔らかいけど、結構度数強そうだな……程々にしておかないと」
店内の誰もが白い外套に注意を引かれて一度は目を向けるが、ただ飲食を口にするだけで大して動きの無い様子に興味を継続させられなくなり、視線を切る。
「こっちは……炒飯? ドライカレーのカレー無し? 何だろ分からん。……で、こっちが具沢山スープ、と。色、赤いなぁ……。でも、香辛料の香りが良い感じに腹に染みる。空きっ腹には堪らんですよこれは」
「(どらいかれー?)飯はポロと言って、羊の肉と玉葱や人参を炒めて蒸したもので、スープは“ダ”ンバンジー。最近、お隣さんから入ってきたバンバンジーっていう料理にヒントを貰って造ったんですがね、これが結構上手くいきまして。鶏とジャガイモ、トマトなんかを唐辛子入れて煮込んでみたもんでさぁ。もし腹に余裕がありましたら、残ったスープに平麺入れてお召になるのも良いですぜ」
「そりゃ良い事聞きました。これでもそこそこ食えると自負してますんで。是非お願いします」
「分かりやした。……しかし、これだけ食べて頂いて貰ってあれですが、お客様みたいな貴族にゃあ、うち等庶民の味は合わんでしょう」
「いえいえ。郷土料理ってのは美味い不味いも確かにありますが、一番はその土地で食べられてるものを食べる事に意味があると思いますから。それに、酒も料理も美味しいですよ?……というか貴族じゃありませんよ俺。……えーと……旅人とでも思っておいて下さい」
「そういうもんですかねぇ。あ、別にお客様の素性を探ろうって訳じゃないんでさぁ。ただの好奇心。お代もしっかり頂けておりますし、他意はありやせん」
やはり金は力か。まぁ見ず知らずの他人をいきなり信じろというのが土台無理な話でもある。そういう意味だと、簡単に理解し合える……かどうかは別として、互いの信用の構築を一気に楽にしてくれる、この金という代物は、やはり凄い発明なのだと実感するのだった。
カウンターの奥で酒の補充をして来た細身の男と二三の言葉を交わした後、俺は黙々と料理を咀嚼し―――店内の会話に耳を傾けるのだった。
こちらスネ……九十九。現在、潜入ミッションを観光……もとい、敢行中だ。
リンの後を追って、通り過ぎた。これってつまりは、しばらく待っていれば彼女は後からやってくるのではないか。と、いまいち信憑性の無い答えを信じる事にしたのだった。
(折角色々見て回るって決めたんだ。少しは経験値積んでおかないと)
視野を広げて柔軟な発想を―――うん。そういう事で。
基本は東方プロジェクトのイベントを観察するところだが、興味があるのは、出来事だけではない。場所、建造物、サブキャラ等々。別に、事象だけしか見なければいけない理由など無いのだ。
(海外旅行とか行ってみたかったし)
何処まで生前の世界観を引用したら良いものか判断は付かないものの、あっちにしてもこっちにしても、一度も日本から出た事は無かったのだから、どちらも未知であるという意味では、両者に大した差はない。
むしろ、これからこちらで生きていかねばならないという点では、こちらの常識が今後の常識になる。知っておいて、損はないだろう。
(それが日本で役に立つかは怪しいとこだけどなー)
結局は、初めての海外旅行。というフレーズを正当化したかっただけだったのかもしれない。
でも、出来れば最初はヨーロッパ辺りを見て回りたかったんだがなぁ。それなりのツアー組むと、お値段が二十万行きそう……というか余裕で超えそうで、仕事が一週間前後の休みが取れなかった為に、昔は諦めていたのだった。
何せ今は、個人的に最大の問題点であった言語の壁、という点をクリアしている。次に金銭面。トドメで、船やら飛行機やらといった、移動手段を模索しなければならない……どころか、既に現地入りしている現状。昔に諦めていた理由の悉くが、既に取り除かれているのだ。自重する理由はかなり薄れていた。
で、待機&観光目的で、宿を見つけ―――
『お客さん、うちは結構高いが大丈夫かい?』
一目で町の者じゃないと看破され、男の言葉で、現地の銭なんぞ持っているわきゃ無い。という事実を突きつけられた。
背中に一筋。嫌な汗が流れていったのだが、そこはほら。俺は金銭面では不自由する事はないのだった。宝石が、価値のあるものである限り。
Gパンのポケットに突っ込んであったそれを店主に見せる。
小指の爪程のそれ―――恐ろしい程に精巧な細工を施されたサファイアを見た途端、相手の疑惑の目が一変し。
『ようこそお客様! ご滞在は二週間? 三週間? いやいや一ヶ月でございますか? お気の済むまでごゆるりと! おぉい! お客様を一番良いお部屋へとご案内しなさい!』
何と見事な変わり身。ビフォア、アフターの二者比較画像で見比べてみたくなる。
今にして思えば―――当然物によるんだろうが―――BB弾くらいの大きさの宝石が数十万なんぞザラな価値観であり、光具合もそうだけれど、大きくなればなるほどに、その値段は倍々に膨れ上がっていたのだった。
それが、BB弾どころでなく、その倍以上ある、ビー玉サイズ。
しかもこれは、この世界で最も先を行くであろう所にて製造されたもの。具体的に幾つかは分からないけれど、この店主の豹変振りを見るに、その価値たるや、計り知れないレベルなんだろう。既に代金として支払ってしまったのだが、あれは一体どれくらいの価値があるものだったのだろうか。やり過ぎた、という点だけはよく分かる反応ではあったが。
(月に居た時、【宝石鉱山】から採取したのを幾つか加工して持ってきておいて良かった)
材料は俺が。カッティングは向こうが。
一応は宝石同士が傷つけ合わないように、本に挟んだ栞の如く、厚手のハンカチ二つ折りにし、その間に閉じて持ち運びをしていた内の一つである。重さは死に繋がる節がある旅において、元々片手で数えられる程度の量しか持ってきていなかったのだけれど、この分ではもう少し多めに拝借してくるべきであったか。
そう思うと、月に対しては一体幾らの贈与を行った計算になるのだろう。疑問と、物欲から派生する後悔という名のみみっちさが沸いてくる。
(……あぁ、でも、宝石の価値はカッティングによるところも大きいからなぁ)
重さと輝きのバランスが大事なのだと、ジャパ何とかタカタの社長が言っていた気がする。
月の最先端技術を用いた細工で、より一層価値を高めた宝石達。持ちつ持たれつか。と結論付けて、【宝石鉱山】から無限に湧き出るものを惜しむという事実に、我ながケチな性格だと苦笑した。
で、そのまま宿泊施設一階にドッキングしていた飯屋へご厄介になり、夜を迎える流れとなった。代金も例の宝石から引いてくれるというし。
初めはただの興味から。日本に……大和の国に居た時では絶対に味わえないであろう感覚を、五感を駆使して楽しみつつ過ごしてみれば。
「全く……ウィリク様にも困ったもんだ」
俺の後方。このカウンター席に着く前に見たそこは、確か数人掛け用のテーブルが用意してあるところだった筈だ。
「なぁに、今はもう郊外は愚か、町に出てくる事もなくなって久しいじゃねぇか。もうすぐさ」
「だとすると、今後は色々とやり易くなるな」
「おうよ。ただ、それを狙ってるのは皆同じさ。最初でどれだけ稼げるかが肝だぜ」
幾人かが、何やら商売の話をしているらしい事は理解出来た。……あまり宜しくない方向の。
声に差が感じられないので誰が話しているのかは分からないけれど、何を言っているのかは理解出来るので、あまり問題は無い。無言の聞き手となっていたのだが、途中で思案に没頭した為に会話の過程がスッパリ抜けてしまったのだが……。
「それはあれじゃないか? 例のネズミ妖怪がウィリク様に取り入ってからじゃ?」
おっと。何やら心当たりのある話題が飛び出してきましたよっと。
「時期的には、そうだな」
「はは。じゃあ何か。今この国のトップは妖怪に食い殺されようとしているって訳か」
「何でも魅了の妖術を使うとか何とか。ウィリク様もそれにやられて一発でコロリってな具合だったそうだぞ」
「おいおい、それじゃあこの国での商売は上がったりじゃねぇか。妖怪に全部掻っ攫われちまうぞ」
「そこはあれだ。豪族のお歴々が既に手を打ってあるさ。大方、『女王の死因はこの妖怪が!』とか言って、そのままバッサリやるんだろうさ」
……あまり、ではなかった。どうやら、とても宜しくない話のようだ。
―――聞き耳を立てる。という行為が思ったよりも楽しくて、ついつい時間を忘れて没頭してしまっていた。
とはいっても、行為もそうだが、その真は彼らの話す内容がとても興味を引いたからである。
女王に救われたネズミの妖怪。豪族達がこの国を手中に収める一歩手前状態。近々、何か大きな事が起こる。
ご当地物の料理を口にしつつ、色々と感想を抱きながら耳にした話を纏めるに、そんなところだった。
国存亡の危機という奴だ。今の話を―――この国の状況を要約するのなら。だからといって、何かする訳でもないけれど。口には出していない彼らの“思考”は、それこそ犯罪者が有しているであろうものであった。
誰を欺き、誰を利用するのか。物は、人は、時間は、そして、金は。十人十色の考えであるというのに、最終的には金銭方面へと結論に向かうのは、とても興味深いものがあった。
(内容はさて置くとしても、色々な考え方がある、ってのは勉強になるなぁ)
高い宿の影響か。後ろで悪巧みをしている方々は、かなりの豪商や貴族様達らしい。ある者は関税の権利を。ある者は大量の不動産を。実に様々な考え方やアプローチの仕方があるものだと感心するばかり。
昔は仕事の関係上も肉体労働に比重が置かれていたし、諏訪子さんの所でも、ほぼ肉体方面での貢献であったので、交渉事にはとんと疎かった事もあり、全てが真新しく、新鮮で。
千変万化に移り変わる思考の濁流を“観察”し、この土地の料理をパクつきながら、海千山千の狐や狸の会合に興味深く意識を傾け続けるのだった。
『テレパシー』
青で1マナの【エンチャント】
これが場にある限り、全ての対戦相手はその手札を公開したままゲームを進める。
思考でなく、記憶の部類になると途端に不明瞭になるけれど、そんな些細な不満を一風してしまうメリットを発揮しており、それが実感出来ていた。
俺的別名、『今日からあなたもさとりさん』カード。月での失敗を踏まえて、どうすれば誤解の無い関係を築けるのか。という考えの元から辿り着いた答えが、これであった。
思考で勝負する者達が、既に手札をばらされているという状況は、絵柄が透けて見えるトランプでババ抜きでもプレイしているようなものだろう。勿論、一方通行の。
魂胆やら本音やらを何の苦労せずに理解出来るのは、何とも新鮮な気分にさせてくれたのだが。
(これ、頭痛くてしょうがないんだが……)
一人一人に集中すればそこまででは無いのだが、二人目、三人目と同時に読み取ろうとする対象を増やしていくと、ジクジクとこめかみの辺りに鈍痛が走るようになった。……いや、もう一人目で、既に頭が重くなっていた。
痛みを抑える様に頭に手を当てると、一瞬、風邪引いたかと錯覚するほどの熱を感じる。体調不良ではないので、多分、知恵熱という奴だ。
(いっぱい人の話を聞けるようになったよ! でも性能フルに使ったら自壊するよ! ……とでも?)
あんまり使いたくないなぁ、このカード。
【テレパシー】による頭痛とはまた別の痛みが襲う。
通常ではありえない情報量―――脳味噌を酷使しまくっている結果だろうか。順繰りに彼らの頭の中を覗く事で頭痛を制限しながら、カードの性能を活かしきれない自分の頭をちょっと不満に思った。これが永琳さんやらの月の面々であれば、多分、余裕で使いこなす代物なのかもしれない。
(色々とお話、ありがとうございました)
解散ムードに突入していた彼らに習い、こちらも席を立つ。
後ろのお方達の代金をこちらで払う様に、オーナー……バーテン……店主? へと告げる。お代は、例のサファイアから代引きでお願いします。
『あいつらとお前、何の関係が?』と目の前の男の表情が―――思考も―――物語っているが、言葉で尋ねる真似はせずに、一つ頷くだけで了解してくれた。
(一度やってみたかったんだよね、これ)
気分は風来坊なカウボーイ。あるいはちょっとしたリッチマン。洋画で間々見た場面の焼き回しを、自分が体験出来る機会が巡ってこようとは。
何とも俗物な感覚であるが、実に良い気分です。自重する気はあまり無いが、全開にする気はもっと無い。欲望ばんじゃーい、する場面は見極めなくてはならないだろう。こうやって、小出しにする程度で今は十分である。
僅かに鈍痛のするコメカミを抑えながら、【テレパシー】を解除。就寝の為、借りた部屋へと戻り、床に就いた。
「……ねむ」
お早う御座います。頭が働きません。九十九です。……ってな具合の自己語りから今日を始めてみようと思った、今日この頃。日も昇りきっていて、人によっては昼ご飯にあり付いている時間帯だろうか。うぅ、日差しが暴力的。
一日中眠り扱けていたい衝動が、今も絶えず働か掛けてくるのだが、そうも言っていられない。
(ジャン袋、かなり近くに来てるっぽいな)
昨日と変わらず、脳天を焼く日差しが恨めしい。旅先の記念品の意味も兼ねて、帽子か何かを買っておこうか。
閉じた瞼の上から、眼球に『昼だぞ』と訴えかけて来た太陽との戦闘は、俺が折れる事で決着が付いた。まどろむ意識の中、【ジャンドールの鞍袋】の感覚が、大分近づいて来ているのを感じたからである。
慌てて……なのか重い動きなのか微妙なラインで起床→準備の流れを終えて、待ち人が居るであろう方面へと歩いて移動し、数十分後。出会った時と同じ格好―――薄いグレーのワンピースと木の枝、そして、大きな麻袋を持ったリンが、大通りを歩いているのを発見。
さてどうやって接触しようかと思っていたのだが……
(……何だ、この空気)
異様。次いで出てくる感想は、気持ち悪い、であった。
彼女が進む先に居た、人という人が道を譲り、あるいはその場から立ち去って……残っている者の誰もが、親の敵でも見つけた風な表情をしていた。
晒し者。
安直に言葉にするのなら、それが適切だと思えて……思えてしまってならない。
(お前、何したんだよ……)
並大抵の事では、今目の前で起こってる光景にはならないだろう。
しかし、そのとんでもない事を仕出かしたのであれば、この国の大事を中心に話していた、昨晩の男達の話題に上がっていた筈だ。
(なんだっけなー、なんかあった気がするなー)
昨夜の出来事を思い返す。動機こそふざけていたが、あの会話はとても興味を引くものであったのは間違いない。酔っていたとはいえ、かなり話は覚えている。
そして、該当項目に引っかかる話を一つ思い出した。
(……女王の娘になった。ってのが原因なのか?)
この国の最高権力者に取り入った妖怪。何も知らない状態で聞いたのであれば、ここに住む者ならば、真っ先に対処したい問題ではないか。
でもそれは……リンを見る民衆の眼を見れば、首を傾げざるを得ない。恐怖や嫉妬、怒りだけではないのだ。
あの汚物でも見るような目は……心当たりがあった。
(仲の良かったあいつと、俺によくしてくれた先輩の時だ)
前者は学生の時。
異性への告白に失敗し、それをネタに―――いや、原因となって、苛めの元になり。
後者は社会人となった時。
仕事は不器用であったけれど、人一倍責任感が強く、優しい人物であった為に、周囲の仕事“だけ”は出来る人から良い様に使い潰されていた。
その時にはそれぞれ解決策を講じ―――今思い返しても愉快な結果になったが―――そんな彼らに向けられていた周囲の目を連想させるのだ。この光景は。
―――あぁ……気に喰わない―――
久しく忘れていた感情を思い出す。が、それに合わせて、自制心も湧き上がった。
一部だけを見るんじゃない。まだ、こちらの知らない事情があるのかもしれないのだと。それでも心の温度が上昇していくのを止める事が出来ずに、ただじっと、侮蔑の視線を向けられる存在を視界から消えるまで見続けて―――
(……しまった、見失った)
―――我に返ったのは、あれからどれくらい経ってからか。
警察は勿論、軍隊も、妖怪も、恐らく、雑多な神すらも。純粋な力量で自分を諌める存在が少ない現状では、不満を爆発させずに堪えるのが、こうも難しいものだったとは思わなかった。
一分であった気もするし、その十倍は経っていたかもしれない。
未だに握り拳は硬く閉じられているとはいえ、感情が一気に臨界点を超える段階は過ぎていた。我慢、成功である。
この程度の憤慨など、仕事で腐るほど体験してきた筈なのだが……人間、ぬるま湯に慣れるのはとても早いのだと実感。
(権力者が他者を省みなくなっていく気分が良く分かった気がするわ……)
もしくは、叱られる事を知らない子供か。我が侭言い放題。し放題である。全てとは言わないが、テレビや新聞に名を連ねていた政治家なる面々を、良い反面教師だと思いながら、俺はリンが消え去って行った後を追った。
「……城じゃん」
当然と言えば当然か。何せ今の彼女は、女王の娘ポジションに納まっていると聞いた。
後を追って、数十分。何となく。な感覚を絞るようにメインストリートを突き進み、行き止まりというか十字の中央に陣取っているそこ―――城……砦……? を発見するに至る。
(どうするよ。不法侵入で見つかったら、処刑とか極刑とか当たり前な時代じゃなかったか)
他人の家に入って棚やベッドを漁り、武器やアイテム、ゴールドを入手してきたゲームの様になる筈も無く。こりゃ散策は諦めて、とっとと大和へ戻ろうかという考えが浮かぶと同時。
(……あ、あのカードなら)
不法侵入バッチコイなカードが連想された。体力もマナもカード枚数も、どれも充分にストックがある。多少の冒険は問題は無い。コストは2。【飛行】と同様の青の【エンチャント】である。
「これさえあれば覗き放題! 【不可視】!」
『不可視』
2マナで、青の【エンチャント(クリーチャー)】
【エンチャント】されているクリーチャーの攻撃は、クリーチャータイプ【壁】を持つ者によってしか防げない。
クリーチャーに【回避能力】を付与させる効力を、MTGで初めて持たせたカードである。
一瞬漏れた言葉は、この土地の悪霊か何かが乗り移って言わせたんだろう。東南アジア辺りでよくある『あれは悪魔がそうさせたのだ』という理屈である。つまり自分は無罪。清らかである俺の心が犯罪推奨な台詞をのたまう訳が無いのだ。……月で無関係の要人二人を昏倒させたような記憶はあるけれど。
(そう考えると、力使えば犯罪行為の百や二百は余裕で可能なんだよなぁ)
そこに手を染める理由が無いだけで、もし発生したのだとしたら、殆ど躊躇する感覚は無いだろう。現に、今行おうとしている不法侵入という違法に対して、全くと言っていいほどに抵抗を感じないのだから。
(使い道……マジで間違わないようにしないと……)
ちょっと前に空の上でやらかしたばかりなのだ。能力―――特に戦闘面での使用は極力控えておくべきだと思う。
堕ちる時は一瞬。そういう確信はある。
何処までがセーフなのかは人によって異なるので、その見極めを気をつけなければならないだろう。……既に落ちかかっている気もするが、こういうのは気づいた時にいつでも心を改めようとする気構えが大事だと思います。はい。
自身の犯罪に対する意識レベルはどの程度になってるんだと思いながら、頭を掻いた。わしゃわしゃと髪を梳かし……本来視界に入る筈であるものが見られない光景を目の当たりにする。
「……お、マジで無い」
思わず零れた呟きは、本来見える筈の自身の腕が、全く視認出来ない為であった。
いや、腕だけではない。足も、腰も、腹も、胸も。そして、影すらも。ステルス機能で誤魔化しているのではなく、どうやら本当に光が透過してしまっているようだ。確認する事は出来ないが、恐らくは顔すらも見えなくなっているんだろう。
本来ある筈の場所に、ものが無い。どれだけ目を凝らしても何も映らない異常さに、気持ち悪さとか好奇心とかを感じていると。
(あ、服も見えなくなってる)
良かった。この辺が不可視になっていなかったのなら、もし本当にこのカードを使う場面が来た場合には、服を脱いで対処しなければならなくなる。
(幾ら見えないっつったって、全裸で潜入捜査とかしたくありませんよ)
子供の頃は、噴水のある公園や実家の裏山の川などでよくやっていたので、その手の開放感はよく知っているものの、それをこの歳になってやろうとは思わない。
変な方向性の安堵感を得ながら、既に掛かっている【ジャンプ】の効果を行使。城の上へと跳ね上がる。細かな着地点調整などは、もう手慣れたものだ。
建造物の全体像を確認しつつ、中庭みたいな場所でもあれば、そこに着地したいと思っていたのだが。
(おっと……このままだと)
風を切る中、思い至る。
【ジャンプ】の効果で飛び跳ねた着地地点が、城の一番上……天守閣?になりそうであった。
まぁ、どうせ詳細な方向は分からないのだ。虱潰しに探すのならそれもアリだなと思いながら、風に揺れるカーテンが目に付く窓の縁へと着地を果たす。殆ど音のしない着地であったので、俺って実は隠密の才能が。とか馬鹿な事を考えつつ、レースのカーテンを潜り、室内へと視線を向けた。
王室、とはまさにこの事か。けばけばしいまでの煌びやかさは無いけれど、調度品のどれ一つとっても匠の粋が凝らされているのだと分かるものが申し訳程度に並べられている。この部屋の主の性格が透けて見える気がした。
壁に掛けられた真紅の布には大きな絵柄。多分、国旗かトレードマークか、そういう役割のものだろう。本棚に机。他数点の家具と、部屋の中央に陣取るキングサイズのベッドがこの部屋の全てであった。王座の間、というよりは、寝室としての意味合いが強い印象を受ける。
その巨大なベッド―――俺が三人、大の字になって寝てもまだ余裕のあるそこに、レースのカーテンに隠れてはっきりとは分からないが、初老の女性が腰掛けて、手にした本へ、静かに目を通していた。
(……はー)
漏れた息は、感心の意味が篭ったもの。風に吹かれてカーテンの奥が見える。年老いて尚分かる美がそこにはあり、艶の失われた髪も、水分の抜けきった肌も、それを崩すには至らない。
まるで完成された芸術は、終焉を迎えても……いや。終わりが近づけば近づく程に輝くのではないかと思わされるもので。
(綺麗な人……)
……何をしに、ここまで来たのであったか。
大和や月の面々を見ていても……あぁ、いや。失礼な言い方だが、ある意味で彼女達には見慣れてしまった為か。それらが全く皆無である、見るのも出会うのも初めてな人物であった場合は、こういう風になってしまうようだ。
(まさか年寄り相手に、こんな感想が沸くとは夢にも思わなかったわ……)
異性というよりも、価値ある美術品を目にした心境が適切か。室内を通り過ぎる優しげな風は、外の灼熱の気温を一瞬忘れさせられる。
レースが揺れる僅かな音と、初老の女性が本を捲る音のみが、今この場を構築しているかのような感覚の中。見惚れる。という言葉を体言していると、鈴を転がしたような……聞き覚えのある声が、俺の鼓膜を振るわせた。
「―――ただいま。ウィリクお母様」
今、彼女は幸せの中に居る。
優しい笑顔で老女に甘える少女に、全く関係の無い俺ですら、心の温かさを感じていた。
太陽光が白から赤へ。頭部を焼く日差しが斜め横から真横へと移り行く最中、素の少女の一端でも知れればと思って部屋に不法滞在し続けて、幾つか、既に知っている事も含めて分かった事がある。
目の前の老女がウィリクと呼ばれる、この国を統べている女王だという事。
リンは彼女に心を許しており、彼女の為に何かをしてあげたいのだという事。
そして、少女はこちらの目的であった【ジャンドールの鞍袋】の入っている麻袋を使おうとしているという事が分かった。
(袋からちょろっと宝石見えてますよー)
袖口からチラチラと覗き見える輝き。
ちょこっとだけではあるけれど、俺がNEN能力者であれば、具現化など容易なレベルにまで達しているジャン袋を見間違える筈が無い。
(でもそれ、俺以外には使えない筈なんだが……)
戸島村で鬼の一角が使おうとした際には、効果が現れず、散々引っ張り回した挙句にボロ絹状態へと姿を変えた。
もしかしたら。という展開もあるだろうが、可能性は限りなく低そうだと思っていると、リンの表情が一瞬固まり、取り繕う笑顔で行動を取り止めた。
やはり、というか何というか。ジャン袋を使用するのは失敗したようだ。
(自業自得だぜ全く……)
いつもならば、罪を犯した者が困るのはとても愉快だと感じるのだが、どうも善意から発生した行動であるようなので、いまいち楽しくない。というか、楽しくない。
(……さって、どうしたもんか)
リンに対してはこれといって思い入れがある訳でもなく、ウィリクと呼ばれていた老女にも、綺麗だとは思うが、それ以上の感情は無い。
求める結果は、俺が如何に楽しめるかである。罪悪感を抱かずに。
【テレパシー】を使おうかとも思ったのだが、あれは昨晩に使ったのが最後であり、再度使うには夜を待たなくてはいけない。後数時間は、使用不可状態。
状況から考えるに、リンはウィリクに対して隠し事をしてここに居る。それはつまり、バレたくない事項があるという事であり。
(それが、俺から持ってったジャン袋、と)
……ぬふふふ。
これは実に楽しそうではないか。悪趣味だと言える仕返しに、我ながらいい性格していると判断出来る。
(いつバラされるともしれない恐怖を味わうが良い!)
袋盗られたのをぶっちゃけるつもりは無い。リンが困るのを見たいだけであって、彼女が不幸になるのは望んでいないのだから。
ウィリクからは見えて、リンからは見えない位置へと移動。【エンチャント】である【不可視】を解除。
数秒の後。こちらの目論見通り、老女はこちらの姿を捉えてくれた。
「……あら、どちら様?」
急に現れた存在であるにも関わらず、これといって驚いた様子は見られない事に、これが年の功か。と、やや失礼な感想を思い浮かべた。場合によっては衛兵など呼ばれる展開も考慮していたのだが、どうやら杞憂で終わったようだ。
リンの目に俺の姿をしっかりと映し込むよう、ゆっくりと歩み寄る。
「―――なっ!?」
驚きの声が心地良い。これ以上無いほどに真ん丸に見開かれた眼と、小さく開けられた口。そしてピンと伸ばされた耳が、彼女の驚愕具合を如実に物語っていた。
悪戯……ドッキリ?が成功した事で内心でほくそ笑みながら、彼女の持っていたジャン袋を掴み、手を入れる。
出すのは葡萄酒云々と言っていたのだが、この熱帯な土地で暮らす人にとっては、冷たい物が喜ばれるものなんじゃないかと思ったので、冷たい飲食系代表だと思われる氷菓子を思案し、出す事にした。
各種銘柄が脳内選択肢に上がり……最終的に、相手の好みを考えるのではなく、今自分が食べたいものを出すという身も蓋も無い結論で纏まった。
何やらリンが絶望とも取れる諦めの表情を浮かべているのを他所に、諏訪の頃から散々やってきた精一杯の礼儀作法を実演。さり気無くこの地の者ではないと伝え、多少の無礼は許してね。とのニュアンスを含ませてみる。
取り出した棒アイス―――ガリガリ君ソーダ味(開封済み)を差し出す。今の時代にソーダ味なんて前衛的過ぎる。とか思ってはいけない。
驚いた。というよりは、とても興味深いものを見る目でそれを見つめるこの人に、先に感じた、年の功。という単語は間違いでは無かったようだと思うのだった。