やや肌寒い風が、俺が休んでいる屋内を通り過ぎる。
日も傾き、そろそろ夕暮れに差し掛かる時間帯。
誰が訪れる事も無く。自身も動こうとしない為、外から聞こえてくる木を打ち付ける音や、時折響く人々や鬼、鳥などの獣の声だけが俺の周りを支配していた。
今回の出来事―――戦闘を振り返る。
戦果は快勝。
苦戦する場面もなく、体力面での時間制限は問題だが、中ランクの鬼達相手にこの出来栄えならば、ギリギリ及第点の自己評価を付けても良いだろう。
しかし、改善点が多々出てきたのは、喜ぶべきか悲しむべきか。
【ハルクフラッシュ】
数十体の天使と、1体のゾンビによる軍団。
俺の体力が増えたのなら、いずれ天使達は三桁の大台にまで増やす事が出来るだろう。
けれど、元の数値が2/2である天使達の攻撃は、恐らく3/3~5/5である鬼達の進行を止めるのにも一苦労。
切り札であった30/30以上の修正を受けていた筈のゾンビは、どのような制約が掛かったのか、その馬鹿げた数値が発揮されているとは思えない状況を一角との戦闘で示唆していた。
つまり、仮に一騎当千や国士無双級のエース………ここの世界を基準に考えるのなら、絡め手が主体なスキマや亡霊姫といった方々は除外するとしても、鬼の四天王やスカーレット姉妹、フラワーマスターに、神の残り火を使う鳥さんなどが出張ってきた場合への対抗が難しい。
……神奈子さんが味方で良かった。最悪泣き付いて助けてもらうのも……あ~……壮絶にカッコ悪い展開なので、最終手段の1つに入れておく事にしなければ。
選択肢は無いよりあった方が良いだろう。絶対回避したい事態ではあるが。
で、対抗策を考える事にする。
雨だれ石を穿つ作戦はやや効力に難有り。よって、小出しに連続でダメージを与える線ではなく、1発に威力を集中させる………先の【死の門の悪魔】などの、大体5/5以上を指す場合が多い【ファッティ】と呼ばれる大型クリーチャーが望ましい。
よって、1枚で多大な効果を発揮するカードを使うのが無難、ということなのかもしれない。
と、前方に誰かの気配を感じる。
どれ、と顔をそちらに向けてみれば―――玄関に男が1人。
「おじさん……」
「……おう」
体の所々が濡れ、水浴び………な訳はないから、恐らく漁から帰ってきたのだろう。
手には何も持っていないようだが、乗っていた船にでも置いてきたのだろうか。
ただおじさんは、家を壊されている。現在鬼達が急遽建造しているとはいえ、思い入れがあるものであった筈だ。
俺の気持ち1つで鬼達を許し、この村への略奪を止めるように言い聞かせたが、村人達の………家を壊されたおじさん達の不満が消えた訳ではない。
『力のない者の宿命だ』とか言ってその手の考えを切り捨てても良いのだが、生憎それを行うには、親切にされ過ぎた。情の1つくらいは移ってしまう。
「……体は、もういいのか?」
「ええ、お陰様で。全快とまではいきませんが、普通に生活する分には何の支障もありませんよ」
「そうか……」
そう言って、おじさんは言葉を切った。
いや、何か言おうとして、それが口に出せないでいる様だ。
そのまま、俺達の間を風が通り過ぎる。
視線を泳がせ、何度か口を湿らせて。
そして、意を決したように、ぽつりぽつりと話し出した。
「……今更なのは分かってる。言葉遣いも同じだ。謝って済むとは思っていないが、言わせて欲しい。―――済まなかった。俺に出来る事なら何でもする」
済まなかった、の部分で、玄関先の地面に頭を付けて、土下座を行ってきた。
参った。
雰囲気からして予想はしていたけれど、おじさんからすると土下座するレベルの問題だったらしい。
気にしていないと村長に言ったばかりだった故か、まだおじさんには伝わっていないようだ。
この村で一番良くしてくれた相手だっただけに、この変わり様は、中々に応えるものがある。
「……謝罪を受けます。ただ、私はあなた方と接していて、一度たりとも気分を害した事はありません。ですので、出来る限り今まで通りに接してくれる事。これが、私がおじさん―――この村の方々に望む事です」
「九十九……兄ちゃんは……それでいいのか?」
「良いも何も、それを望んでいるんですよ。鬼退治とか雷を落とすとか色々やりましたが、これでも小心者でして。平伏されるよりは、手を手を取り合って笑顔でいたいんです」
「……そうか……分かった。言うとおりにしよう」
何とか条件は飲んでくれた様で、渋々……というよりは『これで本当に良いのか?』といった様子で引き下がってくれた。
しばらくはギクシャクした関係になるだろうが、このおじさんとは、また元通りの接し方に戻って欲しいという願いがあった。
真っ白い犬を連れた真っ白い男と、見るからに怪しい相手を自分の家に招き入れ、宴会の席では、俺と村人との架け橋を買って出てくれた親切な人。
一度優しさを知った分、そんな人から今後ずっと他人行儀にされた日には、俺の心にはまた1つ、消えない傷が残りそうだ。
なので、少しでもこの空気を払拭するべく、別の話題に切り替える。
「あ~、おじさんは、漁の帰りですか? 鬼とか居て大変だったでしょ」
「―――そうだな、俺なんかあんまり怖いもんだから、お前の言ったとおり、すぐ漁に出ちまったよ」
こちらの意図を察してくれたようで、少し詰まりながらも返答をしてくれた。
「確かに。あいつらおっきいですからね。威圧感とかハンパないですよ」
「お陰で村長がみんなの代表という名の人身御供になって、お前の世話をする事になったんだぞ。あの鬼達が宴会やらかす中で。……とても生きた心地はしなかっただろうな」
「うっ、そうですか……。後でお礼言っておきます」
それは何ともバツの悪い役目を押し付けてしまった。
意図せずの結果とはいえ、俺の為に老骨に無理打ちながら、がんばってくれたのだ。
後でお礼の1つでもしておこう。
「―――お礼と言えば、こっちもまだ言ってなかったな……。ありがとう、九十九。お前のお陰で、村の人間は全員無事だ。助かったよ」
そう言って、おじさんは潮風と土埃で汚れた顔を、笑顔で飾りながら向けてきた。
思えば、村長からは許しを請う言葉しか受けとっていなかった。
神が生きる時代から、日本人とは謝罪を第一にするものかと思いに耽ると同時、感謝を言ってくれたおじさんに心が温かくなる。
過程はともあれ、誰かに感謝されるのは気分が良い。
今後はこのような場面に出会ったら、謝罪と同時に感謝を述べるように広めていこうと思う。
……状況を鑑みるに、少なくとも今回起こった状況下でそれをするのは、すっごく言い難いだろうけれど。
「そう言って貰えて何よりです。がんばった甲斐がありました。今、おじさんの家とかその他壊れた諸々を鬼達に直させてますんで、何日か分かりませんが、しばらく待っていて下さい」
「鬼の手作りか……縁起が良いやら悪いやら―――くくっ」
「ですかねぇ……ぷっ」
“災害を擬人化したような相手が作る家に住む”というコンセプトが互いにツボに入ったようで、それぞれ忍び笑いから、声を荒げての笑いに変わる。
先程までの空気は嘘のように消え去り、今はただ馬鹿話に花を咲かせる男が2人―――と1匹。
「そういえば、ちゃんとした紹介がまだでしたね。俺の事は言ったので……こいつは俺の友達―――や、その他諸々を兼用している、勇丸って言うんです。とっても頼りになる相棒ですよ」
傍らで顔を伏せていた勇丸に視線を向け、こいつがそうですよ、と示してみる。
そんな忠犬はその意図を組み、おじさんの方へ目を細めながら、軽く会釈をして、また顔を伏せた。
ちょっとドライな挨拶だが、元々あまり感情などを表現することの少ない奴だ。これくらいは愛嬌の内に入るだろう。
「ただの犬じゃねぇとは思っていたが、賢いワンコなんだな。おっと、俺の名前は太郎。宜しくな、勇丸」
告げてから、勇丸の伏せられた頭を、ごつい手でわしゃわしゃと撫でる。
相棒はちょっと迷惑そうに鼻息を一つ吐くと、後はただされるがままに状況に身を任せた。
……ってか、これだけ一緒に居て、未だにおじさんの名前を尋ねていなかった事へ、自分自身に対して軽く驚いた。
転生前はそんな事無かった筈だが、こっちに来てからは気づかない内に、名前に対してはあまり執着しないんだろうか。
それとも東方世界で作品に出ていない方々への世界的な修正なんだろうか。まぁ、細かい事は気にしないでおこう。
しかし、太郎か。
……ありきたりだよなぁ、まさにモブその1の名前って感じじゃないか(かなり失礼です)。
「そういえば、おじさんってさっきまで漁に行ってたんですよね。どうでしたか?」
名前を知った直後だが、名前で呼ぶのも照れ臭いので、おじさんで通す事に決めた。
そんでもって、あの後おじさんは何をやっていたのかが気になって尋ねてみたる。『収穫量はどうなのよ、と』。
【稲妻】をぶっ放した張本人としては感心が大いにある訳で。
これが成功していたら、上手くすれば簡単に大量の食材をゲット出来る方法が確立する。
ただ、生態系への影響が怖いってのもあるので、あまり多用出来るものではないのだけれど。
「おお、お前の言ったとおり、大小色々な魚が浮いててな。投網をすくう様に使ったのは初めてだったな。期待していいぞ。今夜は浜鍋だ!」
ニカッと海の男らしい笑顔を作り、心底嬉しそうに話してくれた。
喜んでもらえて何よりだと思う一方、作ってもらえる料理に若干の不安が過ぎる。
浜鍋。
確か海産の幸をこれでもかと大鍋に投入した具沢山の“味噌”汁を思い浮かべるのだが………。
「浜鍋、ですか。どんな料理なんです?」
「おう、取ってきた魚を適当な大きさに切って、それを大鍋でざっと煮込んで食べるんだ」
「塩味ですか?」
「? そりゃそうだろ。お前のところだと、他の調味料でも入れて食うのか?」
予感的中。
『何言ってんのお前』的に返答された内容に、思わず眉間に皺が寄る。
海産の塩味スープ。悪くは無いのだが、やっぱり数年前まで世界中の調味料が手に入る国で過ごしていた身分としては、それだけの味付けでは腹は膨れても心は満たされそうに無い。
思えば歓迎会と名ばかりの宴会では、酒は振舞ってもおつまみ―――食べ物系は殆ど出していない。
というのも、宴会開始時に用意されていた料理が多すぎて、俺が準備しなくても充分な量が確保出来ていたからだ。
新しく大量に品を出して、他の食べ物を腐らせる気はなかったので、何かお礼にと思って出したのが、浜辺では入手困難そうなキュウリの浅漬けとかそういったものだっただけ。
(そういえば味噌とか醤油とかは振舞ってなかったもんなぁ)
そうと決まれば即行動。
体力は………全快ではないが、大体は回復しただろうか。夜にでもなれば元通りになるだろうし。
これなら一角の要望に応えられるだろうかと目安を立てたところで、固まった体を解しながら立ち上がる。
「おじさん、料理なんですが、俺に作らせてもらえませんか?」
「おいおい、主賓に宴会の準備をさせる訳にゃあいかねぇだろう」
それはそうなのだが、それを許してしまうとちょっと残念な未来が待っているので、出来れば回避したい。
「料理作るのが趣味なんですよ。最近はあまりやっていなかったんで、久々にたくさん腕をふるう機会なもんですから、是非にと思いまして」
「料理……ねぇ……。そうまで言うなら良いけどよ。村全員が参加するんだ。昨日よりも少し増えるぞ?」
「あれ、昨日集まったのが全員じゃないんですか?」
「山に狩に行っていた連中がいたからな。本来ならまだしばらく山に篭って猟をするんだが、こんな事態になっただろ? お前がぶっ倒れてからしばらくして、村長がそいつらを呼び戻す為に狼煙を上げてるんだ。夕暮れ前には戻ると思うぞ。八人、だったか。今回行った奴らは」
「分かりました。―――今回は今までに無いくらい大量に作らないといけないですからね。鬼的な意味で」
「………そうか、あいつらが居るのを忘れてた。やっぱり宴会は一緒にやる流れになるのか? 申し訳ないんだが、こっちの様子次第じゃあ俺達は不参加って形になるかもしれん」
「その場合は仕方ないですね。あんな魔窟の中で宴会をしたい、なんて思う方が稀ですし」
「すまんなぁ兄ちゃん」
すまなそうにするおじさんだったが、その気持ちは充分に分かるので、苦笑で返事をする。
ここの人達には次回により豪勢な食事やらを用意して勘弁してもらおうと思う。
「じゃあ、ここの辺りで一番大きな台所あったら貸して頂けますか? 出来れば食材も」
「右隣の家が結構広かった筈だから、話をつけておくぞ。後、食材は半分くらいは残しておいてくれれば良いさ。どうせ村の全員で一生懸命食べても、食べ切れずに腐らせちまうしな」
保存用にも限界あるしな、と。
そう締めくくって、おじさんは隣の家へと向かって行った。
鬼の宴会を取り仕切る羽目になるとは思ってもみなかったが、あれだけの大酒飲みなのだ。きっと食べる量だって凄い筈。
恐らく今までに無いくらいジャン袋を多用する事態になるだろうと予想しながら、俺と勇丸もおじさんの後へと続いて出て行った。