IF GOD - 神は斜陽に打ち震える - 完   作:鈴木_

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13 Turning

名人就位式。

壇上で真新しい羽織袴姿のヒカルに、名人の允許(いんきょ)状が授与され、記者たちのカメラがフラッシュを焚くと同時に、集まった参加者たちからも年若い名人に大きな拍手が送られる。

それから、タイトル賞金の授与、名人戦を振り返っての感想、そして来年は挑戦を受ける側になった心構えなどをスピーチし、集まった取材記者の質問に一定時間答える。

 

それが終われば、立食パーティとなり、親しいもの達や関係者と談笑しながら楽しいひと時となる。

 

「梨川先生!!」

 

ヒカルが着慣れていない袴を蹴るようにして、就位式に出席してくれた梨川の元まで走り寄る。

子供ではないのだから会場で走るなと小言の一つ言いたくなる光景だが、その当人の式なので普段目くじらを立てる周囲も多少のことは目を瞑ることにする。

 

「先生、来てくれてありがとう!」

 

子供の雰囲気が残る笑顔でヒカルは梨川が来てくれたことを喜ぶ。

しばらくタイトル戦やリーグ戦の対局が続いて、梨川の元へ久しく顔を出すことが出来なかった。

碁の棋士ではないが、行洋と同じ眼差しをした梨川に会えることはヒカルにとって、心が安らぐ一時だ。

けれど、

 

「おめでとう、進藤くん。いや、もう進藤名人と呼ぶべきかな」

 

「ッ―!」

 

ほんの一瞬、ヒカルの表情が歪む。

しかし、梨川がどうかしたのかと問う前に、表情の歪みは消え去り、どこにでもいるような若者らしい笑顔に切り替わる。

 

「やめてよ。進藤のままでいいですよ。梨川先生に名人なんて呼ばれたら、おれ萎縮しちゃって何も出来なくなっちゃう。」

 

そうヒカルが惚けるので、梨川も深く追求することはなく、ヒカルの申し出を受けることにした。

 

梨川は気づいていた。

ヒカルは笑顔の裏に、深い闇を持っている。

誰もが羨ましがるほど碁の才能に溢れ、世間からもこれほど脚光を浴び注目を集めているというのに、ヒカルはそれらをどこか他人事のように見ている節がある。

圧倒的な囲碁の強さもそうだが、誰も知らない筈の敦盛の原型を知っていたりと、ヒカルには謎めいた部分がたまに垣間見える瞬間があった。

 

自身が後援を勤める相手に対し、それが気にならないと言えば嘘になるが、追求できるだけの理由も持ち合わせていない。

ヒカルを後ろから支えてやる立場の自分が、何の理由もなくヒカルの動揺を誘うわけにはいかないのだ。

 

「名人戦で猫を拾ったそうだね」

 

「え?あ、うん。白猫なんだけれど、虎次郎って名づけたんです」

 

「白猫なのに、虎とはまた面白い名前を付けたね」

 

「江戸時代の本因坊秀策っていう棋士の幼名が虎次郎で、そこから貰ったんです」

 

「江戸時代の棋士の幼名とは、猫もいい名前を貰ったものだ」

 

世間話に過ぎない会話だったが、それが本当に嬉しかったようにヒカルは微笑む。

その笑顔ゆえに、余計にヒカルが奥底に抱える闇とのアンバランスさが際立つように感じられる。

しかしそのまま会話を続けようとして後援を勤める梨川への取材が入り、次いでヒカルにも個別の取材が入ったことで、短い再開はお開きになってしまう。

 

「そんな顔をするな、進藤」

 

不意に声をかけられて振り向いたヒカルの横に、森下の姿があった。

 

「森下、せんせ……」

 

「お前が名人なんだ」

 

ヒカルを名人だと断言した言葉に、ヒカルの体がビクリと怯える。

 

「少なくとも、行洋は前を見ていた」

 

 

「……はい」

 

「分かったなら行って来い」

 

トンとヒカルの背中を軽く押して、森下は取材チームが待っている方へヒカルを送りだす。

そこに先ほど梨川に走り寄った浮いた雰囲気はなく、しっかり地を踏みしめ、顔も前を向いているように見える。

 

「自分が彼に対して今更こういうのはもう失礼に当たるかもしれませんが、立派になりましたよね、進藤くん」

 

まだ名人って言われ慣れてなくて戸惑っているのかな、と就位式に出席していた白川が、羽織袴姿のヒカルを微笑ましそうに見やる。

囲碁教室でシチョウを教えていた子供が、あれよあれよという間に自身を追い抜き、囲碁界の頂点の一つに立ってしまった。

だが白川と正反対に、森下の表情は晴れないままだった。

 

「立派なものか」

 

「森下先生?」

 

「アイツはまだ子供(ガキ)のままだ。どんなに囲碁が強かろうと、今でも行洋の背中を泣いておっかけてるような子供なんだよ」

 

「森下先生、それは……」

 

半ば侮辱とも取れる言葉だったが、下手に目上の森下に対してかける言葉が見当たらず、白川は言い淀む。

 

「……わかっとる。言い過ぎた……。進藤をあんな風にしたのは行洋だ」

 

ヒカルが隠していた真の実力を知っていながら、行洋も共になって隠そうとした。

行洋が何も考えなしに、単なる遊び半分でヒカルの実力を隠すことに手を貸したとは森下も思わない。

隠さなければならなかっただけの理由が、きっと在ると思う。

だが、信頼しきっていた行洋が突然亡くなってしまったことで、ヒカルは一人しかいない頼る相手を失ってしまった。

行洋が自らの胸の内一つに収め、大切に隠し守ろうとしたことが、逆に仇になってしまった結果だ。

 

最後まで責任を持って守ることが出来ず、たった一つしかなかった保護の手を失ったヒカルには喪失だけが残った。

 

せめてもう一人。

森下自身でないにしろ、行洋以外にもう一人、ヒカルの秘めた実力を知ってる誰かがいて、ヒカルを支えてやることが出来ていれば、きっと今より少しはマシだったのではないだろうか。

そう思うと、行き場のない憤りに、森下は唇をかみ締めるのだ。

 

 

「そして、それを許したのは私たちなのでしょうね。プロ棋士が誰一人進藤くんを止めることができずに、進藤君は名人にまでのぼりつめてしまった」

 

森下を諌めるわけでもなく、いつの間にか傍にやってきていた芹沢がただ静かに森下の言葉を補足する。

芹沢の視線は取材を受けているヒカルへと注がれている。

「アイツもとんだ置き土産残して逝きやがったもんだ」

 

 

 

 

 

 

 

朝と言うには少し遅い10時過ぎ、トントントンと階段を下りてきたヒカルは、居間で猫じゃらしにじゃれつく虎次郎の相手をしてやっている平八の姿を見て、

 

「じいちゃん来てたんだ?おはよー」

 

寝ぼけ眼のあくび交じりに挨拶した。

 

 

「おはよう」

 

「来てたんなら、起こしてくれてよかったのに」

 

「いや、昨日も夜遅くまで囲碁の仕事が入っておったんじゃろう、ヒカル。だから起こさんでいいとわしが美津子さんを止めたんだ。頑張っとる孫を無理やり起こすなんて出来んさ、おっと!」

 

ヒカルに気を取られている隙をつかれて、虎次郎に猫じゃらしを奪われてしまう。

まだまだ非力な子猫と侮った、と頭を掻く。

しかし虎次郎はフイとヒカルの方を見ると、夢中でじゃれついていた猫じゃらしなど興味無くなったとばかりに離し、トテトテと短い足でヒカルの傍まで歩いてくる。

 

拾ってきた当初こそ生まれて間もなく、首もようやく据わった感が漂っていた虎次郎も、名人のタイトル戦が終わるまでの一ヶ月で、一回り以上大きくなった。

最初は首の負担にならないようリボンだけ巻いて、最近ようやく猫の首輪らしい布製の首輪をつけたのだ。

 

「ちゃんと拾ってくれた恩人が分かるなんて賢いじゃないか」

 

「ハハ、まぁね」

 

そう言ったものの、傍まで寄ってきた虎次郎が見上げているのは、ヒカルではなく隣にいる佐為だ。

 

 

――虎次郎のやつ、お前のこと見えてるのかな?

 

――どうでしょう?猫は昔から妖になったり不可思議な力があると言われておりますが、ホント見えてるんですかね?私のこと

 

――江戸時代の虎次郎の頃はどうだった?猫くらいいただろ?

 

――虎次郎は猫を飼っていませんでしたし、指導碁で赴いた家々でも、猫は碁石を散らかすと遠ざけられてて……、えいっ!

佐為が急に袖を虎次郎の前で振ってみせたが、虎次郎は驚いた様子もなく、かわいらしく首を斜めに捻るだけだ。

佐為の姿が見えているとも見えていないとも判別つかない。

もう少し虎次郎が大きくなれば、また違った反応が見られるかもしれないが、今はまだ無理のようだと諦め、ヒカルは遅くなった朝食を出してくれる食卓へとつく。

だが、ヒカルの朝食の準備をしながら、平八とヒカルのやりとりを聞いていた美津子はというと、朝食を出しながら困り顔で苦言をこぼした。

「義父さん、そんなにヒカルを持ち上げないでください。大阪からやっと帰ってきたかと思ったら、いきなり猫拾ったからウチで飼っていいかなんて言い出すんですから……」

 

世間一般の家庭のように美津子も同じく拾ったところに戻してきなさいと言えば、なんと大阪で対局前に拾ったのだと言うのだ。

さすがに美津子も、子猫を戻すためだけに大阪までもう一度行ってこいとは言えない。

猫のお世話グッズや餌代は自分が出すだの、頭を下げて頼み込むヒカルに、半ばなし崩しのように飼うことになったのだ。

「いい?ヒカル、動物はこれっきりよ!また拾ってきてもウチでは飼えません!アンタは囲碁の対局で地方に行くことがただでさえ多くて、世話をするのは結局お母さんなのよ!?」

 

「わかってるよ」

「まぁまぁ美津子さん、そんなに言わんでもヒカルももうわかっとるさ」

小言が止みそうにない気配に、平八が二人の間に入り、義理の父親に間に入られては美津子も小言を続けることはできない。

 

「しっかし、まさかお前が本当に名人になるとはなぁ~」

 

「見えないって?」

 

朝食のパンを口に詰め込みながらヒカルが問えば、

 

「いやいや立派な名人じゃ。近所でも評判になってわしも鼻が高いわい!」

 

やんちゃで外で遊んでばかりいたヒカルが、何が機転になったのか急に碁に興味を持ち出し、いつの間にかプロになっていたかと思うと、ついには名人というタイトルを取ってしまうまでに成長したのだ。

孫馬鹿でなくとも、自慢に思わない爺婆はいないだろう。

 

近所の人にすれ違うたび、町内の囲碁大会に顔を出すたび、いろんな人からヒカルの話を振られ自慢するまいと思っていても、つい自慢話の方向に話が流れてしまう。

いつかヒカルが自叙伝でも出したときに、祖父に初めて碁盤を買ってもらったなんて書かれた日には、まず間違いなく泣く自信がある。

 

「じゃあ、ヒカルの顔も見れたしそろそろ行くか」

 

虎次郎が興味を無くして床に落ちている猫じゃらしを机の上に置きながら、平八はソファから腰を上げる。

 

「何?じいちゃん、もう帰るの?」

 

「ちょっと届け物があっただけだからな」

 

「一局くらい俺と打っていけばいいのに」

 

「そうしたいのは山々だが、ばあさんとこの後待ち合わせて芝居に行く予定なんじゃ。時間が空いてるなら、お前も行くか?」

 

「芝居は~……いいや、遠慮しとく。ばあちゃんと二人で楽しんできなよ」

 

「そうか。じゃあな。対局頑張れよ、応援しとるから」

 

「うん」

 

平八を玄関まで送り、残った朝食も手早く胃に収めれば、

 

「ほら、虎次郎。上行くぞ」

 

ヒョイと虎次郎を小脇に抱え、美津子の小言がまた出ないうちにとヒカルは二階へ退散する。

虎次郎ももう少し大きくなれば、階段を上がれるようになるのだろうが、まだ子猫の短い足では、段差に足が届かない。二階の部屋に入って下ろしてやれば、さっそく床に置いていた座布団に的をつけたのか、いっちょまえに体を伏せて獲物を狙うポーズをするので、クスリとヒカルから笑みがこぼれた。

 

――ネット碁、久しぶりに打ちませんか?

「ネット碁したいのか?」

今日は次の対局相手の打った棋譜でもゆっくり並べてみようかと思っていたヒカルは、佐為の何気ない申し出に意外そうに返す。

 

――私が打つのではありません。ヒカルが打つのです。ここ数ヶ月、ヒカルは私としか打っていないでしょう?

 

「俺が?それはそうだけど」

 

――私の名前ではなく、前に打っていたみたいにヒカルの名前ですれば、誰も分かりませんよ

 

一瞬、佐為が碁の勉強をしなくていいのかとヒカルは思ったが、佐為以外と対局するという響きは、いつも佐為の対局を見ているだけのヒカルには抗い難く、

 

「……そうだな。お前以外と久しぶりに打つのもいいかな」

 

しばらく入れていなかったPCの電源を入れたのだった。

 


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