IF GOD - 神は斜陽に打ち震える - 完   作:鈴木_

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09 『天才』ゆえに

行洋が突然亡くなったことで、行洋が保持していた6つのタイトルホルダーは空位となっている。

7大タイトルのうち、桑原の保有する『本因坊』のタイトル以外の複数のタイトルを持つ棋士の死去により、タイトルの座が空位になるという事態は、過去にも前例がなかった。

日本棋院はこの問題をどうするのか話し合った結果、リーグ戦の勝敗結果から上位2名を暫定的にタイトル戦という形にすることに決定した。

そして今期の特例となった『名人』のタイトル戦で上位2名のタイトル挑戦者となったのは、一柳とヒカルの二人が勝ちあがっている。

成績的にはヒカルがリーグ戦全勝の1位、それに一柳が2位に続いた。

すでに囲碁に寄せるメディアの関心度は例年に無く異常なほど高い。

各局のニュース番組がこぞってヒカルを取り上げ、特集を組む番組まで出てきた。

中学を卒業したばかりのヒカルが、誰よりも『名人』というビッグタイトルに近いのだ。

プロ試験に合格するまで、ネット碁で正体を伏せたまま海外のプロ棋士たちを打ち破り、亡くなった行洋と隠れた交流まであったという話題性も抜群だ。

これで周囲通りにヒカルが『名人』となれば、世界に通じる稀有な棋士としてさらに話題はうなぎ登りになるだろう。

対して日本棋院側というと、テレビや雑誌新聞で取り上げられ、多くの人に囲碁に関心を持ってもらうことこそ喜ばしかったが、実際にヒカル自身への取材となると受けていいのか、それとも断るべきか悩んだ。

初のタイトル戦で対局に集中したいだろうヒカルの気持ちもあるし、対局過多の疲労が否めない行洋の死去というまだまだ世間の記憶も新しい前例がある。

ヒカルの実力を考えれば、今回の『名人戦』以外の他のタイトルでも対局数は確実に増えていくことだろう。

いくら年齢的にまだまだ若いといっても、いきなりヒカルにまで倒れでもされたら、今度こそ棋院は世間から責められかねない。

全ての取材を断るわけにはいかない。

しかし、どの番組のどの取材をとなると、他と不平が出てしまう。

簡単にコレと決めるのも、取材内容によってはタイトル戦直前のヒカルの集中を邪魔する可能性がある。

嬉しいが同時に悩みは尽きず、ヒカル自身直接の取材は、タイトルそのもののスポンサー関係か、以前より棋院と親しく、難しい精神状態にある棋士への注意に慣れた取材関係者筋のみの限定取材に絞られた。

「新聞、いままでほとんど取り扱わなかったところまで進藤の名前がトップで出ていますね」

棋院のロビーで囲碁関係の週間雑誌や新聞が置かれているラックから、適当に新聞を取り広げた伊角が、表紙のトップに大きく載ったヒカルの姿を広げながら言う。

それを伊角の隣に腰を下ろし、横目に見やった門脇が

「テレビつけて進藤君の名前出てこない番組なんてもうないんじゃないか?アナウンサーの決まり文句は『天才進藤』だろ?彼のお陰で、この前、同じ囲碁のプロ棋士ってだけで、囲碁のルールも全く知らない女の子たちにキャーキャー騒がれたよ」

ハハハ、と門脇がまんざらでもない様子で軽口を続ける。

それは門脇だけではないだろう。

ヒカルがメディアに取り上げられる頻度が高まるほどに、世間の囲碁への関心が高まっている証だ。

現にセミナーや初心者教室は申し込みが殺到して予約待ちばかりだという。

伊角を挟み、門脇と反対側に座っていた和谷も想像を膨らませ、

「十代でタイトルか~、いいな~。十代で年収億越えとか俺も一度でいいからなってみてー」

己がタイトルホルダーになった時のことを想像する。

すでに想像の中の和谷は、多くの報道陣に囲まれながらインタビューの受け答えまで考えている。

しかし、ふと想像から現実に戻れば、イッキに覚めてしまう反動も大きい。

タイトルに手をかけたヒカルと、まだまだ予選の一番下にいる自身との差に、落胆して溜息をつかずにはいられない。

「なんか、マジで俺たちとは違う世界に行ったような感じだな」

「和谷、違うだろ?進藤が行ったんじゃなくて、俺たちが取り残された気分なだけだ」

すかさず的確な指摘が伊角から入る。

「痛いっ!痛いとこ伊角さんに突かれた!」

「あははは」

心臓のあたりを両手で押さえ、大仰に痛がる振りをする和谷に、伊角だけでなく門脇も笑みを零す。

「でも、和谷が俺は羨ましいよ」

「なんで?」

「実力を隠していた蟠(わだかま)り云々は別にして、あれだけの実力者と同じ研究会なんだ。話聞いてるだけでも勉強になるだろ?」

伊角に尋ねられ、和谷ははじめムッと顔を顰めたが、しばらく悩み、口をへの字にして頭をクシャクシャに掻いた。

院生の頃から付き合いの長い伊角に、今更見栄や虚勢を張っても仕方ない。

「……勉強になりすぎて、実力差を思い知らされない日はないよ。研究会行くたび、がっつり凹んで家帰るのも慣れた。伊角さんじゃないけど、同じ研究会ってだけで知らないやつから変な因縁つけられるのも、進藤のサイン強請られるのも、もう慣れ過ぎた!」

「あ、ソレ俺も。ちょっと知り合いって話しただけで、すごい形相で進藤のサイン頼まれて断るの大変なんだよな~」

とくに楊海からはヒカルとの対局まで伊角は頼まれる始末で、中国棋院でたくさん世話になった手前、他と同様に断るわけにもいかず、様子を見て頼んでみると返事したがまだヒカルに話せず仕舞いだ。

楊海も日本でのヒカルの対局スケジュール状況はネットで分っているだろうから、無理に対局を頼んできたりしないことで、とりあえずは助かっている。

伊角の賛同に和谷はうんうん神妙に頷く。

「とにかくアイツの読みの深さが半端じゃないんだよ。白川先生や森下先生とか研究会に顔出してるメンバーは誰も言わないけど、ウチの研究会で進藤の読みについていけてるヤツは一人もいない。あそこまで実力差を見せつけられたら、悔しがる暇もないんだぜ?まだ相手が塔矢先生や桑原先生あたりだったら納得出来るけど」

「後援スポンサーも企業じゃなく家柄正しい能の家元に決まったらしいな。ホントに進藤君はどこからそんな相手見つけてくるんだ?いや、百歩譲って見つけてもいいけど、そんな相手をどうやって落としたのか、秘訣でもあるんだったら是非教えてほしいよ」

和谷の後に続いた門脇が、開いている新聞から身体を起こし、簡単に畳んでから両腕を上で組み、大きく背伸びした。

ヒカルが相手を落としたのか、相手がヒカルに惚れて率先してなったのかまでは分らない。

けれど通例、棋士の後援会会長などのスポンサーは企業の社長や重役、地域の名主がなるのがほとんどである。

江戸時代から続く能の家元が後援会会長になったという前例は、過去、囲碁関係者の誰一人聞いたことがなかった。

それほどの名家なら援助するだけの金は持っているのだろうが、能という日本古来の伝統芸能を守る相手が、個人のスポンサーになり、表に堂々と名前を出すということは極めて異例だ。

「でも俺は、多分これが普通なんだと思うな。実力隠していた頃の進藤君が逆におかしかった気がする。こっちの方がしっくり来る」

「門脇さん?」

急にどうかしたのかと、隣に座っていた伊角は門脇の方を振り返った。

「……俺、実は前に進藤君が院生だったとき通りがかりに一局打ったことがあってさ」

「進藤が院生だったときって、まだ実力隠していたときですよね?」

「そう。プロ試験に申し込みに来たついでに、力試しに適当な院生捕まえて打ったんだ。そしたら……」

「そしたら?」

「偶然捕まえた相手は進藤君で、コテンパンに返り討ちされた」

アハハ、と言ってる門脇の口調こそ軽いものではあったが、内容そのものは決して軽くない。

まだヒカルが院生で、隠していた実力を垣間見せた貴重な証言なのだ。

聞いた伊角と和谷は二人同時に目を見開き言葉を失う。

特に和谷は門脇がネットで、プロ試験受験を一年遅らせたという噂を聞いていた。

その理由として『自分より年下の子供に完敗して、自分を鍛え直すため』という聞いた当時こそ、そこまで深く考えていなかった噂が、実は真実で、しかも門脇を負かした相手がヒカルだと分り、納得出来るような気がした。

門脇は強いが、ヒカルが本気で打ったのなら足元にも及ばなかったことだろう。

「俺の勝手な考えだけど、俺がすれ違いに捕まえたのと一緒で進藤君も警戒を解いてたんだと思う。相手の実力がどれだけとか全く分らない、偶然の通りがかりの一局だ。だから進藤君は隠していた実力を開放して俺は見事に負けた」

「そんなことがあったんですか……」と伊角。

「俺としては逆にコテンパンにされて良かったと思ってるよ。あのときの俺はハッキリ囲碁を甘く見ていた。そんな俺を進藤君が冷水ぶっかけて目を覚まさせてくれた。だから……ずっと変だなと思ってたんだよ。どうして進藤君の話題が上がらないのか。プロ試験全勝で合格とか新初段の対局とか、俺を負かしたときの実力があればもっと話題になってもいいだろうにって」

「門脇さんにしてみればそりゃそうでしょうね」

プロ以上の実力がある自らをコテンパンに負かした子供が、プロ試験全勝とは言え、それ以外で全く話題にならなかったら、和谷でも首を捻るだろう。

「まさかネットで千人斬りとか塔矢先生とこっそり打ってたことまでは知らなかったけど、今のこの状況の方が彼の実力を考えると自然な気がして、俺的にはしっくりくる」

しみじみした口調をそこで一度区切り、門脇は自分を負かしたときのヒカルの姿を脳裏に思い浮かべながら呟く。

「囲碁を覚えて一千年」

「は?なんすか?それ」

 

意味不明な呟きに、和谷がすぐさま問う。

 

「俺が負けたとき、進藤君が言ったセリフさ」

 

「一千年って、そんなわけ」

 

「もちろん子供の冗談だって分ってる。けどそう言った彼に、あの時、歳とか関係なく俺は憧れたね。自分じゃ一生かかっても追いつけないくらい圧倒的な実力で、彼がどこまで高みに上るのかその先を見てみたいって理由なく思った」

 

性別に関係なく自分以外の誰かに憧れを抱くのは突然で、その一瞬が記憶の中に深く刻みこまれる。酷く鮮やかで強烈で、抗(あがら)う術もなく無償に惹きつけられる。

一生に一度あるかどうかの出会いだ。

院生と侮った子供が、己が決めた道で誰よりも高みに立ち、神に愛されたとしかいいようの無い類稀な才能を持っていた。

同じプロ棋士としてヒカルの才能へ嫉妬や妬みが全く無いとは言わない。

しかし、実力を表に出し、周囲から天才の賛美されるヒカルと出会えた奇跡を、門脇は感謝せずにはいられなかった。

プロ棋士としてヒカルと同じ道を歩み、遥かな高みを目指すことが出来る歓びは何にも勝るだろう。

 

「もしかして門脇さん、進藤のファンだったりするんですか?」

 

満足そうに語る門脇に、伊角が何気なく尋ねれば、神妙な顔つきをパッと明るくさせ、

 

「もっちろん!彼と初めて対局したときからずっとファンだぜ。もしかすると俺が進藤君のファン一号かもな。お、噂をすればだ」

 

廊下の向こうから伝わってくるざわめきを耳が捉え、視線を向けたさきに、ざわめきの犯人を見つける。

玄関から入ってきたヒカルの姿に一般客がざわつき、それまでやっていたことなど忘れたように、一心にヒカルの姿を追っている。

今日はヒカルの対局はなかった筈だ。

となれば何か取材か何かで棋院に来たのだろうが、メディアで大注目を浴びるヒカルが突然現れ、棋院内がにわかに沸き立つ。

そのヒカルが、伊角たち3人の姿を見つけ、年相応の笑顔で頬をほころばせた。

 

「伊角さん久しぶり。こんにちは、門脇さん」

 

研究会で頻繁に会っている和谷には、軽く手を上げる。

 

「こんちは」

 

と、ポーカーフェイスのふりをして涼しい顔で門脇は挨拶を返す。

しかし、伊角はというと、少し考える素振りを見せた次の瞬間、ニコリと微笑み

 

「ちょうどお前の噂してたところだ」

 

「俺の?影口?」

 

「違う。聞いて驚け」

 

いやにもったいぶった言い方をする伊角に、ヒカルが無防備に近づく。

 

「何?」

 

「門脇さんがお前のファン一号ということが判明した」

 

「ちょっと伊角君!?」

 

伊角の一言に、それまでポーカーフェイスのふりを決め込んでいた門脇が身を乗り出し、いきなり何を言い出すのかと慌てて伊角の口を押さえた。

確かに、さきほど自らヒカルのファン一号かもしれないと言ったが、それをわざわざ本人の前で言わなくてもいいだろうと、門脇の顔は真っ赤になる。

 

「……何ソレ」

 

同じプロ棋士の門脇が自分のファンだと言われても、ありがとうと言うしかないが、反応に困る会話だ。

引き気味のヒカルの反応に気を良くした伊角が、口を押さえる門脇を横へそらし

 

「ということで、俺と一局どうだ?時間があればだが」

 

「うん!いいよ!今日は取材2つだけだから、それが終れば時間ある!」

 

「あ!伊角君!俺をダシにして進藤くんと対局が狙いか!?」

 

ヒカルのファン一号というのをネタに、ヒカルの関心を引きつけ、多忙でなかなか打つ機会がないヒカルと対局するのが目的だったのかと、門脇もだが、隣で大人二人で何遊んでいるんだと呆れていた和谷も食いつく。

研究会でヒカルと打てても、自分より強い相手と一局でも多く打てるのに越したことはない。

しかし、自分こそがヒカルと打つのだと言い争う3人を前に、

 

「大丈夫だよ、4人で打とうよ」

 

きょとんと無垢にのたまったヒカルのこの一言に、3人は言い争うのをピタリとやめ、お互いを交互に見やる。

 

「4人って、それは、俺は和谷君とってことかい?」

 

さすがに今日これから3人順に対局するだけの時間はない。

この場合、最初にヒカルが打つ相手を言いだしっぺの伊角と考えた場合、残る門脇と和谷が対局することになる。

和谷と対局するのもいいが、これから名人のタイトルをかけて戦うヒカルと天秤にかければ、見劣りしてしまうのは致し方ないだろう。

それは和谷にしても同じだったようで、門脇を見て固まってしまっている。

だが、ヒカルはさらなる言葉で3人を呆気に取らせた。

 

「違う違う。多面打ち。俺が3人同時に打つから」

 

たっぷり10秒は沈黙が流れただろう。

3人のうちで一番早く正気に戻った和谷が、額に血管を浮かび上がらせ、拳をぐっと握り締める。

 

「……お前」

 

ヒカルの実力はこの場にいる誰より、同じ研究会メンバーの和谷が知っているだろう。

しかし、アマならいざしらず己と同じプロ棋士相手3人に多面打ちをすると平気でヒカルは言ったのだ。

これで闘争心を掻き立てられなくては、プロの肩書きが泣くというものだ。

 

「言ったな、進藤……。やってやろうじゃん!舐めやがって、お前の長っ鼻を根元からボッキン折ってやる!伊角さん、門脇さん絶対勝つぞ!」

 

ついさっきまで言い争っていた3人がヒカル打倒を掲げ一致団結した瞬間だった。

 

 

 

 

 

帰りの電車の中で

 

「アイツは、人間じゃねぇ……」

 

そう呟いたのは和谷である。

そして和谷の呟きを隣で聞いていた伊角と門脇も、和谷に賛同するように無言を貫きそれを否定しなかった。

偶然棋院で出くわし、ヒカルに多面打ちで挑んだまではよかった。

3人のうち一人だけでも勝って、周囲から『天才』と囃し立てられるヒカルの鼻を折ってやろうと意気込んだ。

 

しかし、対局結果は3人ただ負けただけではなく、3人ともジゴ。

通常なら互先でジゴにはならないが、3人共に3目半で負けたのならジゴ同然のようなもの。ヒカルがワザと3つの盤面で巧妙に帳尻を合わせたのが明らかだ。

一人で対局してジゴなら自信に繋がっても、3人ともジゴとなると下手に負けるより、ショックは拡大に大きい。

そして勝った本人は、棋院を出る玄関で、再度、事務員に捕まって事務室に連れて行かれた。

 

「高段者と打つようになってから、進藤君さらに強くなったと思っていたけど、……あれに勝てる奴なんているのか?」

「和谷が進藤と同じ研究会でうらやましいって言ったが、撤回するっ……。お前よく進藤と同じ研究会で精神挫けないでいられるな……尊敬するぞ、俺なら無理だ」

 

「そんな見直し方されたくねぇよ、伊角さん」

 

ははは、とシャレにならない評価に和谷は乾いた笑みを浮かべるだけだ。

 

「今日見てた新聞にさ、進藤が『本因坊秀策』の再来だって書かれていた理由よく分かったよ。あんなヨミ、秀策以外例えようがなかっただけで、誇張表現じゃなかったんだって」

今日、棋院で開いていた新聞は囲碁新聞ではなかったが、新聞トップにヒカルの姿が映っていて何気なく伊角は取ったのだ。

キャッチは『本因坊秀策の再来』。

一般人が『本因坊秀策』と聞いたところで、頭を捻るだけだろうが、記事を書いた記者も、一般人受けするありきたりな単語ではなく、ヒカルに相応しい言葉がそれしか見つからなかったのかもしれない。


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