月読調VS霧崎マイ。
二人は師弟関係だが、師弟として当然ある技量差以上に、差が開いている部分がある。
それは、スピードだ。
マイは世界大会準決勝で先鋒として出場し、"トリックのスピードが非常に速い"という一点のみを武器にして、それを評価され、強豪ドイツ相手に五人VS五人の団体戦で四タテという頭のおかしいことをしたことすらある。
そのスピードは世界レベルを超え、世界トップクラスだ。
マイは指導した調にさえ「速すぎて気持ち悪い」と言わせるほどの域に居る。
「ちょっとー、提案があるんですけど」
そんなマイが、スタッフを引き止め……
「わたし達、別のルールでやりたいんですけど、双方の同意があればできます?」
ルールの変更を申し出てきたものだから、調は最大限に警戒心を高めていた。
ルールにガバガバな穴があるわけではないが、双方の同意と運営の同意があれば、危険なことでない限り特別ルールでの試合が行われることがある。
とはいえ、本当に稀なことだ。
加え、マイが提示したルールは既定のルールをほとんど変えないものだった。
・二人が同時にトリックをスタートさせる
・連続トリックの完成度とトリック完成までの速度を採点基準に
・使用トリックの数を10に
・両者トリック終了と同時に採点、敗者にダメージ
以上の四つのみである。運営は評議の結果、両者の同意があればいいとした。
ルーピングトリック、つまりスピード勝負になりがちな勝負であれば、マイはまず負けない。
マイが付け足したルールは一見、スピードスピナーのマイに有利なものに見える。
だが、スピードは元々トリックの審査基準の中に含まれているため、このルールの中にマイが有利になるものはない。
トリック数が増える分、トリック一つ一つの完成度が採点基準における比重を増やすため、調の勝機が増してさえいた。
調はマイの思惑が読めない。このルールで、どう勝とうというのか?
(張り合うのは望むところ)
だが、調は真っ向からぶつかり合うことを選ぶ。
師とは弟子にとって、古今東西乗り越えるべき壁である。
マイの思惑がどうであれ、調は全力でぶつかっていくことを選んだ。
『では、両者位置について……始め!』
調はトリックを開始する。
まずはダブル・シュート・ザ・ムーンからと、調は速度と精度をどちらもおろそかにしないよう意識して、丁寧にかつ最速でトリックを開始する。
「―――っ」
しかし調は、マイを見てトリックの最中だというのに目を見開いてしまう。
マイは何もしていなかった。
トリックすらしていなかった。
ヨーヨーを手にして不敵に笑い、されど何の動きも見せていなかった。
まるで、調を先に行かせても、すぐに追いつけるとでも言わんばかりに。
「バカにして……!」
調は怒りを押さえ込みながら、ペースアップ。
冷静さは失われていても、手先が狂わないのはF.I.S.での厳しい訓練の賜物か?
今は亡きマム達にみっちり叩き込まれた技の精度の保ち方を、マム達が全く予想していなかった方向性で最大限に活用する調。
しかしマイは、猛スピードでトリックをこなしていく調を見てもどこ吹く風だ。
「このくらいでちょうどいいハンデなのよ」
調が三つのトリックを終え、決定的な差を付けたタイミングで、マイは動き出す。
「わたしの名前は霧崎マイ。世界最速の女なんだから」
彼女の異名は『ワープスピード』。彼女の技は、誰よりも速い。
「―――!」
調はマイの技を見たことはある。だからその速さを知っている。
しかし調は、マイの"全力の速さ"までは知らなかった。
この時までは。
(嘘、こんなに速いの……!?)
調が5トリック目を終わらせた時、マイは3トリックを終わらせていた。
調が7トリック目を終わらせた時、マイは6トリックを終わらせていた。
それだけではない。
マイが行っているトリックは、全て調が行っているトリックと同じだった。
(しかもこれ、私と同じ……!)
調がやったトリックを、調の後から続くようにプレイして、調よりも遥かに速く終わらせていくマイ。調に技を教えたのはマイだ。こんな芸当も余裕で出来るのだろう。
マイは余裕だが、そんな方法で追い上げられる調からすればたまったものではない。
甘かった。
彼女の想定は、甘かったのだ。
3トリック分先行というハンデですら足りなすぎる。
このまま行けば、最終トリックの最中で追い抜かれ、そのままスピード評価の差で負ける。
ハンデを与えてなおスピードで圧倒してくるマイを目にして、調に戦慄が走った。
(だったら!)
調はマイに教わった技を自分なりに発展させた技、ストリングプレイダブルスパイダーベイビーならば瞬時に後追いされないと判断し、9つ目のトリックにそれを選択する。
ストリングプレイであれば、調はマイを上回る才能がある。
そう調に言ったのは、他でもないかつてのマイだ。
調は指先の器用さを活かし、今日までマイに一度も見せたことのない技で引き離そうとし――
「それ、一回見せてもらったから」
「……っ!」
――あっさりと技を模倣し、追いついてきたマイに表情を苦々しく歪めた。
9つ目のトリック終了は同時。
調は最後のトリックを見せれば、そのトリックが終わる前にマイに抜かれ、負けてしまうという状況にまで追い込まれてしまっていた。
観客もまた、ワープしているのかと思わされるほどのマイのスピードに驚嘆している。
負け犬となって瞬一の隣の席を取った弁慶もまた、その一人だった。
「瞬一! い、いくらなんでもありゃ速過ぎやせんか!?」
「いや、あれでも霧崎のMAXじゃねえさ。月読じゃそこまで追い込めないんだろう」
「なんと!」
瞬一は弁慶と比較すればまだ冷静だが、こめかみに冷や汗が一筋流れている。
マイには長時間のプレイに耐えられるスタミナがない。重量のある高性能ヨーヨーを使うパワーもない。超高難易度のトリックを安定して成功させられる最高位のテクもない。
彼女の武器はどこまでもスピードだ。
テクニックで言えば、調とそこまで差は無いだろう。
だからこそ、調もテクの勝負に持ち込んだのだが……
「ストリングプレイダブルスパイダーベイビーをコピーする速さまで、ワープスピードかよ」
マイはトリックの習得スピードまでもが速かった。
ヨーヨーのトリックは、それができる人の実演を見てそれを真似するのが習得への一番の近道、なんて言われることが多いものだ。
スピナーにとってのYouTubeが、最高の親友であることに間違いはない。
マイは調というお手本をじっくり見ることで、その技をきっちり習得していたのだ。
そして最終的に、調の技を調より速く終わらせるという脅威のスピードを見せつけた。
ここに来るまで、マイは調が2トリック終わらせるまでの間に3トリックを終わらせるというペースを維持している。
これがまたとてつもない。
別種のものに例えてみれば分かりやすい。
仮に、今の調の速度を50m走で6秒ジャストのスピードであると仮定しよう。
マイの速度は、50m走を4秒で走っているのに等しい。
文字通り次元の違う、"気持ち悪いくらい"の速さ。
「あいつは、速さだけなら俺が全力でやっても追いつけねえ」
速度で勝敗を競う限り、調はマイには追いつけない。
最後のトリックを前にして、二人は膠着状態に陥った。
マイは調が最後のトリックを選んでから後追いで始めるつもりであり、だからこそ調は迂闊に最後のトリックを始められない。
膠着はほんの数秒だったが、マイは調を急かし始める。
「で、最後のトリックは何にするの?」
真っ当に試合を始めていれば、この勝負マイの圧勝で決まったはずだ。
曲がりなりにも勝負になっているのは、マイが相応のハンデをくれてやったからに過ぎない。
そのハンデも、9つ目のトリックが終わった時点で無くなってしまった。
次の、最後のトリックにおける勝負は、なんのハンデも無い真っ向勝負。
月読調と霧崎マイが、初めて"ハンデも手加減も無しに全力でぶつかり合う勝負"となるだろう。
まともにやりあえば、調は確実に負ける。
されど、相手が師でも、相手が圧倒的格上であっても、調はまだ何も諦めてはいなかった。
調は目を閉じ、深呼吸し、覚悟を決めて、目を開ける。
「……」
そして左手で持っていたヨーヨーを捨て、右手一つでサンセットを構えた。
「! ファイヤーボールを……」
片手のヨーヨーを捨て、両手で行うトリックを捨て、片手のみで敵に挑む。
スピナーにとってそれは、片腕を捨ててでも勝ちに行く覚悟に等しい。
マイが応じなければ、ヨーヨー一つで行えるトリックとヨーヨー二つで行えるトリックの差で、自動的にマイが勝利する構図が完成する、危険な賭けだ。
だが、調は目でマイを挑発する。
調は分かっていた。
この師匠ならば、挑発すれば乗ってくると。
案の定、マイはニヤリと笑って、左手のヨーヨーを同時に捨てる。
『な、なんとー! 両者とも同時に左手のヨーヨーを捨てた! 一体どうなってしまうんだ!?』
相対する二人は、空気の緊張を高めながら睨み合う。
今の二人はホルスターに手をかけた西武のガンマンに等しい。
どちらが速いかを競うがために、その手の
「っ!」
そして、調が先に抜いた。
調のプレイを見て、遅れてマイも調に続く。
この動きで、今大会のレギュレーションに反しないトリックは一つのみ。
手から離したヨーヨーを、手首の返しで加速させて100回連続でループさせる……ルーピングトリックの、ループ・ザ・ループ100だ。
(血迷った? 諦めた? それとも、負けた時の言い訳作り? ま、いいケド)
ループ勝負はスピードの差が最も顕著に出る。
すなわち、霧崎マイの独壇場だ。
調もそれは分かっていただろうに、何故このトリックで勝負を挑んだのか?
「くっ……!」
調がリードを保てたのも、最初のループ10回分くらいのもので、先に始めたというのに、ループ回数はマイにあっという間に追い抜かれていた。
超速という表現ですら生温い速度に、調はマイにぐんぐん差を付けられていく。
(……あーあ、結局呆気無く終わっちゃった)
このまま圧倒して終わりかな、とマイが思ったのその瞬間。
月読調の眼光が、強く
「……え?」
途端に、調の追い上げが始まる。
(!?)
焦ったのはマイだ。
気合だけでマイに追いすがれる速度が出せるなら、これまで数多くのスピナーがそうしてきただろう。しかし現実に、マイに気合だけで追いつけた者など居なかった。
なのに、なのにだ。
今の調は、相対的に言えばマイよりも速い。
でなければ差が縮まるはずがない。
(どんな魔法を用意したってのよ……!)
調を見ても、何か特別なことをやっている様子はない。
ただただ必死に、ループを繰り返しているだけだ。
なのにループの回数差は、徐々に縮まっている。
「私は、負けない!」
調の強い眼光を、強い言葉を肌で感じて、マイは自分が負けるかもしれない現状を理解する。
「……上等!」
そしてマイもまた、自身のスピードの限界に挑み始めた。
マイの速度に突如食らいつき始めた調に、観客席が沸き始める。
観客の大半はなぜ調が追随できているのか理解していないが、その興奮は冷めやらない。
「瞬一! なんじゃあれは!? 月読が速くなったのか!?」
「違う。霧崎が少しだけ遅くなったんだ」
月読調と霧崎マイ。二人の高速戦に弁慶はついて行けていないが、瞬一は別だ。
世界レベルのスピナーである彼には、弁慶とは違うものが見えている。
「ヨーヨー、特にループはやればやるほど
だが、それだけじゃない。
内のシャフトに糸が巻かれる度合いもまた、プレイのたびに偏っていく」
ヨーヨー素人でも、ヨーヨーに糸を巻いて下に振り下ろし、自分の手元に戻って来たヨーヨーを再度振り下ろすと、少し回転力が弱まることは知っているだろう。
それも当然だ。
最初に振り下ろしたヨーヨーは、人の手で綺麗に糸が巻かれている。
だが二回目以降は、ヨーヨーの回転が自動的に巻き取った糸でしかないのだから。
「最初に
ヨーヨーが最高のパフォーマンスを発揮するのは、手で巻いた直後に決まってる」
「それがあの月読のスピードとどう関係があるんじゃ!?」
「何回もループさせてりゃ、ストリングはキツく巻かれないままだ。
加えて軸周りでストリングが偏った巻かれ方をすることになる。
すると、ループを繰り返すたびに僅かに速度が下がる……が。
月読のやつ、全く速度が下がらない。それで相対的に、霧崎に追いついてるんだ」
「ッ!?」
堂本瞬一の動体視力は、野生動物のそれに限りなく近い。ゆえに、見逃さない。
「ループの一回一回を信じられない精度でやってやがる。
だから綺麗にストリングが巻かれて、ヨーヨー自体の安定性も跳ね上がる。
月読のサンセットは、ループのたびにストリングを丁寧に巻き直してるのと同じなんだ」
調は器用に、ループでヨーヨーを戻す際に、糸がどう巻かれるかすらも制御しきっている。
「あいつ、手先の器用さをそのまま速さに転換して―――霧崎に追いついてやがる」
それが、瞬一が見抜いた調の速度の秘密だ。
「じゃ、じゃが!
ヨーヨーの安定性が上がったところで、そこまで差が出るものなのか!?
わしゃあ、とてもじゃないが信じられんぞ!」
「悔しいが、俺はループの速度じゃ霧崎に勝てねえ。
だけど、一回だけ勝ったことがある。
俺がハイパードラゴンを使って、あいつが普通のヨーヨーを使ってた時だ」
ハイパードラゴン。
当時の最先端技術をヨーヨーなんかに惜しみなく注いだ結果、ミクロン単位で精密に調整された構造、莫大なコストで製造されたボディバランスにより、信じられない安定性を獲得した、過去の日本代表が使っていた専用ヨーヨーである。
そのヨーヨーの開発者いわく、ハイパードラゴンは最高の状態であればただ回っているだけで無重力空間を発生させるという。
瞬一はそのヨーヨーを使い、使用しているヨーヨーの安定性に差がある状態で、霧崎とループの速度を競ったことがあるのだ。
「霧崎より遥かに安定性のあるヨーヨーを使った、あの一回。
そん時だけは、俺は霧崎の1.5倍の速さでループ出来てたらしい」
「1.5倍……!」
1.5倍。
すなわち、今さっきまであった調とマイの速度差と、ほぼ同じだ。
安定性次第で、1.5倍の速度差が出るのであれば……今のこの瞬間、二人の少女が互角の速度を叩き出しているのは、何もおかしなことではない。
二人は喋り慣れていない、口を開けばどもるようなタイプの人間ではない。
けれど、必要な時以外は基本的には喋らない。
そんな二人がガラにもなく、魂を震わせるように叫んでいる。
「あああああああッ!」
目に残像しか映らないような速度で回るヨーヨーは、会場に風切る音を響かせていく。
「やああああああッ!」
ストリングをトリックの最中に綺麗に巻くこの技を、調はまだループ・ザ・ループでしか使えない。そしてこの技を使わなければ、調ではマイの速度には追いつけない。
マイの土俵かと思われたこの勝負はその実、調の土俵の上だったのだ。
だからこそ、マイは負けじと自身の速度の限界に挑む。
調もまた、負けてたまるかと自身の速度の限界に挑む。
両者は己の全てを懸けて、ループ・ザ・ループを加速させていく。
『二人ともすごい! すごい速さだぁ!』
月読調は歯を食いしばる。
戦いの結果には勝ちがあり、負けがある。
ならば勝ちたいと、調は人として当然の思考で己を奮い立たせる。
人には強い人が居て、弱い人が居る。
自分が弱いと思っている調は、歯を食いしばって"強くなりたい"と心から願う。
勝ちが全てだと、調が思っているわけではない。
強さが全てだと、そう思っているわけでもない。
だが、それでも。
「勝ちたい」と、「強くなりたい」と、調はそれを強く求める。
「私は、あなたを越えて行く!」
霧崎マイは歯を食いしばる。
彼女がヨーヨーに初めて触ったその日から、何年経っただろうか。
速さだけでは誰にも負けないと意地を張り始めてから、何年が経っただろうか。
だから、負けられない。
霧崎マイは、ヨーヨーを始めてから一週間の初心者には、負けられない。
速さを競う勝負でだけは負けられない。
重ねてきた年季が、積み上げてきた速さのプライドが、彼女に負けを許容させない。
相手が自分の教え子なのだからなおさらだ。
"自分が速さで負けることだけは許せない"。マイもまた、負けず嫌いな少女だった。
「そう簡単に越せるほど、わたしは小さな壁じゃない!」
二人は更に加速した。
「「 ああああああああッ! 」」
器用さを速さに転換し、月読調は加速する。
彼女は自分の弱さと戦い続ける。息が切れ、体力が尽きて苦しくて、腕も高速ループのせいで痛んでいるが、それでも調は速度を緩めない。
勝負から逃げ、妥協し、楽な道を選ぶこと。
それは自分の弱さに向き合い乗り越えることもできないまま、自分の弱さに負けることだから。
(弱い自分に負けて、みじめな気持ちにはなりたくない―――!)
スピードを求めた今日までの日々の全てを込めて、霧崎マイは加速する。
昨日の自分が、今日の自分に速さで負けるのはいい。
けれど、自分以外の誰かが、自分より速いことは許せない。
彼女は自分以外の誰かの"速さ"と、常に戦い続ける。
(速さでだけは、私以外の誰にも、負けられない―――!)
二人は叫ぶ。二人の声が会場に響き渡る。
両者の手でヨーヨーが加速する。風切る音が、二人の声に混ざっていく。
ある観客は息を飲み、ある観客は歓声を上げ、ある観客は二人の内片方を応援した。
『これは……これは……どちらが勝つのでしょうか……!?
いや! どちらが勝ってもおかしくはない! 二人共、速過ぎる!』
ループの回数が進むごとに、両者の意地を懸けたデッドヒートは加速していく。
最初の10回は、調がスタートダッシュの分勝っていた。
けれど20回を過ぎる頃には、マイは調を追い抜いていた。
30回を過ぎ、更に差は広がる。
40回を過ぎると、差が広がるのが止まる。
50回を過ぎる頃にはとうとう、調が差を縮め始めた。
60回を越え、調はぐんぐん差を縮めていく。
70回を終えた頃にマイが意地を見せ、再度差を広げる。
80回前後の時に調もまた限界を越え、差を縮める。
そして90回を越えたその時、二人のループスピードとループ回数は、完全に並んでいた。
「私がッ!」
「わたしがっ!」
「「 勝つ! 」」
速く、速く、目の前に居るこのライバルよりももっと速く、その先へ。
敵を倒すのではなく、ライバルを超えるために死力を尽くす。
それは物騒な生まれ、物騒な育ち、物騒な境遇のせいで、物騒な訓練と実戦の中で生きてきた調にとって、生まれて初めての経験だった。
誰かを傷付けて得る勝利も、大切なものの喪失に繋がる敗北も、ここにはない。
(なのに私は、何故こんなにも、必死になって勝とうとしているんだろう)
勝っても負けても、誰も失いはしない。
なのに何故調は、世界の命運を賭けて戦った時と同じくらい、必死に戦っているのだろうか。
答えなど、考えるまでもない。
彼女が既に、
『どっちだ!? どっちが勝つ!? 二人共、頑張れー!』
二人のヨーヨーが加速し、最後の10回が終わる。
そして、ヨーヨーキャッチ特有の軽快な音が響き、熱き戦いに終止符が打たれた。
勝者の手にはヨーヨーが握られ、敗者の手にヨーヨーはない。
敗者のヨーヨーは
「ど、どういうことじゃ……?」
戸惑いの声を上げたのは、弁慶だけではない。観客席にざわめきが広がっていく。
「……あー、あれな。俺も昔よくやらかしてたわ」
苦々しい顔の瞬一には、何故この結末に至ったのか、その理由が理解できているようだ。
「短期間で詰め込みの練習し過ぎると、よく分かんなくなるんだよな。
"どのくらいでストリングが切れるのか"って感覚が。
長い間繰り返しやってると、糸がどのくらいの期間で切れるのか、体感で分かるようになる。
だけど、短期間にストリングが切れるまで猛練習するのを繰り返してると、それが分からない」
敗者のストリングは、高速ループの負荷によりちぎれてしまっていた。
「あいつは気付いてなかったんだ。
自分のヨーヨーのストリングの状態に。
そして、無茶なループを繰り返した場合、どのくらいの負荷がかかるのかってことに」
100回目のループを終えて、自分の手に戻ろそうとしたヨーヨーがあらぬ方向へと飛んでいったのを見て、
マイがヨーヨーをキャッチした時点で、勝敗は決まった。
「……限界を超えた速度を出してなければ、こうはならなかったはずだ。
あいつのストリングも、十分保ったはずだ。
だがおそらく、霧崎の方は"試合中にストリングが切れる可能性"を予想してた。
あいつも世界大会の時、途中でストリングが切れたのトラウマだろうしな。
そのせいで、霧崎の方のストリングだけが新品で、この激戦に耐え切ってくれたんだ」
今となっては、この名も皮肉としか言いようがない。
「なら、二人の勝敗を決めたのは……」
「ああ。"ヨーヨーに捧げた人生の量"ってことだ」
勝者が決めたトリックに相応の衝撃波が、敗者の体を襲う。
激戦に相応しい衝撃に吹っ飛ばされながら、調は目を閉じる。
あんなにも、勝ちたかったはずなのに。
不思議と、心地の良い敗北だった。