黒谷ヤマメの異世界旅行   作:ゆっくり霊沙

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前の話であった国籍うんぬんは作者がこれ以上詳しくするとヤマメさんが警察署、もしくは孤児院暮らしが始まるのでそこでストップしました。
ご理解とご協力をお願いいたします。


退院

病院での生活でも私は驚いていた。

始めに驚いたのは院内食で海の幸が出たことだ。

かれこれ200年ちかく食べて無かったので涙を流してしまったのは少し恥ずかしい。

次に驚いたのは上を見上げた時に光っている棒が天井についていたことだ。

火がないのにどうしてついているのかわからず、老人にたずねて電気と言うもので電灯の中にあるフィラメントと呼ばれる線に電気が流れ、その流れに抵抗する力によって光っていることがわかった。

また、老人は私が質問したことを詳しく丁寧に教えてくれた。ここが日本国であること、平成と呼ばれる時代であること、お金のこと、自由民主主義などを・・・

 

老人視点

この子としゃべっているととても不思議だ。

いまだ5歳くらいしかないのにまるで昔のことを知っているようだった。

5歳くらいの子供なら、聞かないような質問をどんどんしてくる。

少し楽しくなって詳しく教えても理解している事から私はこの子を見守って見たくなった。

幸いにもこの子の名前は黒谷ヤマメと言うし、私の名前も黒谷 千里だから名前が変わることもない。

前に警察からもらった資料を今夜書いてみるか。

 

ヤマメ視点

退院をすることになった。

私は外に出る不安が少し出てくる半面、楽しみな気持ちでもある。

いつ以来だろうかこんなに楽しみになったのは。

しかし、体が小さくなった弊害が精神を肉体に合わせて落ちたことだとは・・・

老人いや、おじいさんとこれから呼ぼう。

おじいさんとしゃべっているうちに違和感に気づくことがてきたのが幸いか、凝り固まっていた頭をもう一度鍛え直すいい機会だろう。

今私は5歳となっているらしい。

6歳になると小学校と呼ばれる寺子屋みたいなものに強制的に入れさせられるらしいが、それまでにこの時代の常識を学んでいかなければならないな。

ふふ、もう少し幻想郷に帰らなくてもいいかな。

 

【千里のおじいさん】

千里は普通の中学校から当時の進学校に進み、関西の一流大学の医学部で活動し、そのままそこの附属病院で医師をしていた。

ある時友人が学会で発表するからと上京し、その帰りに少し寄り道をしたのがきっかけで運命の相手を見つけたのだが、彼女は地元にある病院の薬剤師として働いていたので千里はどうしてもその彼女のことが忘れられず、その病院で働くことにした。

それから5年後に彼女と結婚し、幸せな家庭を築き上げようとしたやさきに不況の波がその病院を圧迫した。

大きな病院ならこのようなことにはならないだろうが地元の個人経営の病院だったためにそのダメージは大きく、その時の医院長が自殺してしまい、ナンバー2であった千里が緊急に医院長となり病院の立て直しに全力を注ぐこととなり、彼女との時間が余り取れなかったのだ。彼女も必死に千里を支え、政府からの援助枠の拡大により経営を立て直すことに成功するが、無理がたたり、彼女は帰らぬ人となった。49歳のことだった。

彼は大いに悔やんだが、悩んでいても彼女も浮かばないだろうと思い、彼は病院を大きくすることに力を入れた。

そのかいあっては県で一、二を争う立派なものとなり、現役を引退65歳のこと。

それから3年後薬剤師だった彼女と共にきた数少ない場所であった栗ヶ丘に散歩がてらいった時にヤマメと出会った。

 




次回はおじいさんの家に着いたところから

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