【ドイツ政府首脳室】〔6/8〕
仕事に戻った私はすぐに外交関係や、同盟国側と連合軍側の動きを確認していると、イタリアとトルコからアフリカ戦線のイギリス軍をエジプトから撤退させるために兵力を1個師団送ってほしいとのことだった。
私はロンメル将軍に電話でアフリカ戦線の援軍の指揮官に任命し、Ⅳ号1型戦車、Ⅴ号1型戦車、さらに戦闘実験として新型のⅥ号1型戦車(レオパルド2型戦車)も約100両編入させた。
次に極東の日本の動きが気になった。
少し前に日露中立条約が締結し、フランスの影響力が弱まったベトナムに進軍、これを併合した。
しかし、アメリカ、イギリスが対日戦略物資輸出禁止法が発表されると日本軍でアメリカ強硬派が台頭していると弐集院から連絡がきたのだ。
弐集院に私は
《・・・死ぬなよ。》
と手紙を送るのだった。
〔6/15〕
ドイツ海軍の潜水艦がイギリスの戦艦を沈めることに成功した。
イギリスはどこから攻撃されたかもわからず轟沈したようで、スパイが取ってきたイギリス新聞には
《ドイツ潜水艦隊強力なり!!》
と書かれていた。
〔6/20〕
ジブラルタル攻略作戦始動
ベルリンの空港か約60機、他の空港や、空軍基地からもC00合計590機(10機は整備のため作戦に参加せず)が飛び立っていった。
一機あたり約90トンの爆弾を搭載し、それが一斉にジブラルタル要塞に降り注いだのだ。
結果、守備兵約3万人とともに地上から消滅し、後から海軍の上陸部隊が見たものはただの更地だけだった。
〔6/22〕
ドイツ政府はジブラルタル攻略成功を大々的に宣伝し、空軍の強力さをさらに見せつける結果となった。
海軍はその後救援にきた艦隊をきっちり仕留めたことで自信になった様だ。
〔7/5〕
エジプト攻略戦もイタリア主導で開始され、勝利したようだ。
イギリス軍戦車の攻撃はⅥ号1型戦車には傷ひとつつけることができず、イタリア軍戦車にも貫通しない柔らか戦車となっていた。
昔の戦車不要論がここまでイギリス軍戦車を弱体化させた結果だった。
ロンメル将軍は補給を気にしながら進撃を続け、イギリス軍のエジプト部隊の約20%を戦闘不能にさせる戦果をあげた。
〔8/18〕
流石のイギリスも堪えたのかペタンフランスに爆撃するのを止め、兵力の備蓄とアメリカの参戦を催促するようになったようだ。
私はアメリカ参戦前に戦争を片付けるためにイギリスと和平交渉に入る準備を始めた。
〔9/1〕
イギリスとの和平交渉前に同盟国側の意見を統一することにし、各国の外交関係者が旧チェコスロバキアのプラハに集まるのだった。