〔4/1〕
黄色作戦が発動した。
マンシュタインとグデーリアンが指揮するA軍集で戦車の4割りが当てられ、フランス北部に存在する森林地帯を突破し、海側を壁に一気にフランス領土に侵出した。
マジノ線を正面から突破するのはマンシュタイン率いるB軍集で、航空機は全てこの軍集に集められ使用された。
マジノ線は確かに陸上からは強力な防壁だったが、空からの要塞破壊用に開発された地中貫通爆弾が使用されると戦線に大きな穴が空くことになった。
このときのフランス兵の死者は15万人にもなった。
B軍集はそのまま突破し、1日で60キロ進撃した。
最後にイタリア軍がドイツの進軍に合わせてフランス国境を突破した。
ここでは空挺部隊が後ろをとり半包囲状態に陥ったフランス軍だったが、参謀総長が射殺されていることが末端の兵士に伝えると士気が崩壊し、潰走した。
〔4/6〕
ドイツ海軍空母機動艦隊がイギリス海軍と初の海戦がおこなわれた。
ドイツの損害は軽空母1隻が中破、駆逐艦4隻が撃沈したが、相手側の戦艦を中破、軽巡洋艦1隻撃沈、潜水艦3隻を撃沈させた。
ドイツ海軍は空母の有用性を改めて認知する結果となった。
〔4/7〕
特殊作戦軍団が北上し、A軍集と合流した。
また、ダンケルクにて連合軍約34万人を捕虜にすることに成功した。
〔4/9〕
B軍集にパリ20キロに迫る。
フランス政府は脱出し、イギリスに臨時政府を設立した。
また、パリ無防備都市宣言。
〔4/10〕
パリ無血入場に成功する。
マジノ線の全線が崩壊し約60万人の捕虜を獲得する。
【ヴェルサイユ】〔4/15〕
私はフランス現首相となったペタン元帥と休戦協定を締結するためにヴェルサイユ宮殿に移動した。
(・・・なんと言うか、壮大だな。)
ベルリン宮殿よりも大きく、そして圧倒的な存在感と神秘性を兼ね備えたヴェルサイユ宮殿にヤマメは脱帽した。
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間にはすでにペタン元帥以下数名の政府及び軍関係者が待っていた。
驚いたことにそこにはド・ゴール将軍もいたのだ。
私は気持ちを切り替えて椅子に座り、休戦条約を締結した。
《・大陸横断同盟にフランス軍の兵器の一部及び設計図、暗号表を提出する
・フランス北部の海軍基地及び造船所の使用を許可する
・フランス軍の動員解除をおこなう
・フランス軍の残存兵力は40万人とする
・ドイツ兵器の製造を許可する
・ドイツ、イタリアとの国境通過を簡略化する
・鉄道を共有化する
・大陸横断同盟との関税を4%以下にする
・植民地に大陸横断同盟の移動を無許可で可能にする(4年間のみ)》
と賠償金及び領土を一切要求しなかった。
しかし、関税の制限はフランス経済に打撃を与えることとなり、ドイツに経済的依存をする原因となる。
(約20年か・・・私はあっという間だったけど・・・)
ヤマメは周りを見渡すとドイツの将軍達が泣いていた。
休戦したフランス政府は今後ペタンフランスと呼ばれるようになる。
〔4/20〕
(残りはイギリスか・・・アメリカが動きそうだから準備しとかないとな~。)
イギリスでフランス臨時政府(今後自由フランス)は植民地で抵抗運動を使用としていたが、軍はペタンフランスを支持し、兵力は集まらなかった。
初音ミクが絶望し、精神が崩壊し廃人となるなど自由フランスは指導者不足となったが、さらに追い討ちをかけることとなる、イギリスがどちらのフランスにつくか悩んでいたフランス艦隊を砲撃したのだ。
これによりフランス艦隊は戦艦2隻が轟沈し、国民感情は一気に反英に傾いていくのだった。