【首相室】〔1929年3/2〕
私は首相室に外務大臣ノイラート、経済大臣シャハト、運送大臣グレーナー、軍需大臣トート、工業大臣シュペーアと数名の経済学者(ミレニアム所属)、アメリカの経済に詳しいユダヤ系ドイツ人(ミレニアム工作員)を集めて重大な会議をしていた。
理由はウォール街の株価大暴落が史実通りおこるか、おこった時の対応だった。
この会議に参加しているメンバーは全員最初の世界のことを教え、半妖にしているので私は信用していた。
また、イタリアとフィンランドもこの機会に稼ごうとしているのでドイツと協力して多大な利益を吸い上げる(アメリカ人の恨みの分散)ことを約束していた。
この会議で決まったことは
《・恐慌前にドイツ資本の回収
・壮絶なマネーゲームを展開
・潰れそうな有力起業をドイツ及びイタリア、フィンランドに誘致する》
ことが決定し、国家予算の2倍の額(ミレニアムの資本及び金、ドイツの統制している起業)を全て使ったマネーゲームがここに始まった。
〔9/3〕
アメリカで大暴落が始まった。
このときにはドイツ、イタリア、フィンランドの3国は資本の回収が大体終わり、次の段階に進んだ。
〔10月〕
ドイツ国際連盟に加盟
〔12月〕
再び同じメンバーで会議をおこなったが、シャハトは終始満面の笑みを浮かべていた。
理由は現在の残り賠償額の5倍近くの利益をあげることに成功したのだ。
また、アメリカの企業と特許も複数獲得することに成功するのだった。
〔1930年1/5〕
第二次4カ年計画終了を宣言し、第三次4カ年計画を発表した。
内容は
《・工業地帯の増設
・火力発電所の増設
・集合住宅の誘致
・農家救済(機械化)
・全企業での部品の共通化
・ゲルマニア計画(中期)》
となった。
ゲルマニア計画は第二次段階に移行し、東西横断メインストリート(道幅120メートル)とベルリン中央駅の建設だった。
ベルリン中央駅にはミレニアム管轄下の地下鉄以外は全ての路線に行けるようにすることにだった。
〔3/18〕
イギリスで銀の暴落がおきたのでここでも少しだけ稼いだ。
少しだけなのはこれ以上恨みを買うような行為は控えるためだった。
〔9/30〕
独ソ経済協定締結がおこった。
これはイギリスとフランスがブロック経済を開始したのでドイツの経済的需要を満たすためだった。
ただ、これだけでは足りないので独伊経済協定、北欧4カ国とポーランド、トルコとルーマニアに経済協定を締結した。
〔1931年2/1〕
私はオーストリアと結託して国際連盟にドイツ及びオーストリア合併を通達。
フランスは反対したものの、経済処置を加えるだけで最終的には民族自決の観点から許可され、オーストリア国内で合併の国民選挙が3月におこなわれた。
結果・・・投票の95%が合併に賛成しオーストリアはドイツに吸収され、ドイツ国名を大ドイツ共和国と改名するのだった。
(計画通り!!これで国民の右翼左翼どちらの支持も獲得できた。)
全ては次の大統領選挙にむけて動くヤマメだった。
ドイツ工業力 160(220)
インフラ率 130%
国力 208(286)
アメリカ国力 320
恐慌でドイツ、イタリア、フィンランドに荒らされたため。
ソ連国力 340