【東部方面司令部】〔1/29〕
この日、私はヒンデンブルクさんとルーデンドルフ閣下に組織の再編をするための許可を貰いに東部方面司令部に来ていた。
ルーデンドルフ閣下はすぐに2週間の時間を後方勤務として再編を許可された。
こうしてオーストリア救援軍は解体され、ミレニアム独立軍だけをしっかり見れるようになるのだった。
【ラーイシュタット】〔午後〕
私はその時間で逃げてきたオーストリア軍5万人の下士官(士官は雪山で死亡)を集め、戦闘に復帰できる兵士を集めさせた。
(数は2万人か・・・しかし人種がバラバラだな。)
当時のオーストリア軍は白人をごちゃ混ぜにしたようなカオスな軍隊だったので、逃げてきた兵の人種別比率は
ドイツ系3:ハンガリー系2:チェコ系1:スロバキア系1:ユダヤ系1:残り2とゴチャゴチャしていたので、人種別に組織を再編し直さした。
(一応ヤマメに忠誠を誓った模様)
再編したミレニアム独立軍団(装備は大砲だけ表記)
ミレニアム第1旅団
隊長 新田光義
隊員 約4000人(ドイツ系)
75mm野砲 450門
88mm砲 400門
100mm野砲 100門
L16 81mm 迫撃砲 1000門
ミレニアム第2旅団
隊長 アームストロング
隊員 約2000名(ユダヤ系)
L16 81mm 迫撃砲 500門
75mm野砲 200門
88mm砲 200門
ミレニアム第3旅団
隊長 モンティナ・マックス
隊員 約4000名(ハンガリー系)
L16 81mm 迫撃砲 1000門
75mm野砲 200門
88mm砲 200門
ミレニアム第4旅団
隊長 ルドル・フォン・シュトロハイム
隊員 約4000名(チョコ系、スロバキア系)
L16 81mm 迫撃砲 1000門
75mm野砲 200門
88mm砲 200門
となった。
残りの人物はラーイシュタットで労働者として働きながら、勉強してもらうことになった。
ここから約2週間は武器の使い方を慣れてもらうための訓練や、下士官を士官に上げて、部隊運用術の学習会等で終わった。
【東部戦線】〔2/12〕
ミレニアム独立軍団は戦線に復帰し、ドイツ第八軍の後方支援をおこなった。
その後戦線は安定し、更なる士官の育成と兵の精鋭化に努めるのだった。
【東部方面司令部】〔2/15〕
私は臨時准将に任命された。
これは、私達が再編中に東部戦線でドイツ軍が圧勝し、ロシア領域ポーランドから全てのロシア軍を撤退させた戦いで浸透戦術の有効性がわかったからだ。
ルーデンドルフ閣下からカルパシラ山脈の撤退成功と浸透戦術立案を褒め称えられ、東部方面での発言力はさらに上がるのだった。
ちなみにこの動きは司令部全員が賛成のようで、東部戦線のドイツ軍全てが精鋭部隊と呼ばれるようになったので、新聞によく取り上げられるからだった。