黒谷ヤマメの異世界旅行   作:ゆっくり霊沙

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大規模な設計 1908~

〔翌年〕

この年に私は第2号令を発令した。

内容は

 

《・防寒服の量産

・捕虜について

・鹵獲品について

・ラーイグラードの名称変更》

だった。

ラーイグラードの名称変更は、ドイツにあるのにロシア風な名前はどうかと思うと雨咲から言われたからだった。

なのでラーイシュタットに変更した。

 

〔次の年〕

比較的平和な年で、この年の世界では特に何もおこらなかった。

ただ、ミレニアムでは人員の再編をしたり、戦時マニュアルの作成、戦闘服の改良がおこなわれた。

戦闘服の改良点は、私の糸が使われたことだ。

最初の世界で中学3年の時に渡されてから好んで着ていた服の繊維をそのままコピーして、防弾の性能をさらに上げた仕組みになっていた。

そのため、長袖長ズボンとなったが安全のために妥協した。(見た目はドイツ国防軍の戦闘服)

また、有害ガスの免疫をつけるため、抗体をミレニアム全員に投与した。

(ヤマメの能力を使って最高性能にしてある)

万が一のためにガスマスク(濾過式)が全員に配られ、後々のことを考えて量産された。

後に、私達が造ったガスマスクの形が他のガスマスクと違うことから、ミレニアム軍と判断するのはガスマスクと呼ばれるようになるのは数年後の話・・・。

 

〔さらに次の年〕

この年は、世界的な出来事でポルトガルで革命があったり、伊藤博文が暗殺されたと物騒なことがあったが、ヤマメは別のことを考えていた。

 

(・・・第一次世界大戦まで5年をきった・・・あるものを作っているけど、量が足りない・・・あとどれぐらい必要だろう。)

ヤマメが考えていたのはスペイン風邪の特効薬だった。

フランソワさんの農地から送られたジャガイモや穀物に特効薬を注入していたので、ドイツ国内では多少抑えられると思うが、薬事態も造られていた。

それでも大量に造るとなると量が足りなかった。

 

〔1911年〕

この年グレーナーが中佐に昇進し、鉄道課長に任命され、ドイツの鉄道網が彼の管轄下におかれた。

たびたび彼から鉄道の路線をどう伸ばすのが良いか聞かれるようになり、私はグレーナーの仕事を手紙で手伝う形となった。

この頃バルカン半島では不穏な空気が流れだし、戦争間近のようだった。

そんな時、私はある老人と出会った。

彼の名はパウル・フォン・ヒンデンブルク。

後の大統領で大戦時は参謀総長だった人物だが、この時は現役を引退していて、旅行で東プロイセンに来て早朝の散歩をしているときに、転びそうになったのを助けた事から知り合った。

その後、趣味の話をしているときに、絵画を集めているとしり、ヒトラーについて話すとぜひ会ってみたいとのことで、、ヒンデンブルクさんには見られないように私はヒトラーに作品を持って来るように無線で話し、こちらに来て絵を見せると絶賛されて、すぐにうちと明けあったようだ。

その後私達は1時間ほど絵について話をして別れるのだった。


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