BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.86

 

 

 

 

「俺と来い、女…… 」

 

 

目の前で弾けた人の身体、ベチャリと嫌な音を立てて地面に飛び散った血の塊、一目で致命傷だと判るそれを事も無げに彼らに与えた男は、底冷えするほど無機質な声で彼女、井上織姫(おりひめ)にそう告げた。

 

現世への破面襲来の報を受け、尸魂界(ソウルソサエティ)にてルキアと共に修行を行っていた織姫は、一足先に現世へと向かったルキアを追うため急ぎ旅禍(りょか)と呼ばれる死神以外用の穿界門(せんかいもん)に飛び込んだ。

尸魂界と現世の間にある断界を急ぐ織姫、しかし突如として彼女の前に現れたその男は、彼女の行く手を阻むと護衛として同道した死神二名を一瞬で無力化し、その場を支配する。

場を支配した男が発した声にあったのは拒否を許さぬ色、否定する事は許されず、ただ首を縦に振ることだけがお前に許された唯一の事だと、その声の主は言外に彼女に告げていた。

彼女を見つめる瞳に感情は無い、それでもその理不尽な暴力にただ屈する事を良しとしなかった織姫は、男の硝子球のような緑の瞳に毅然と正面から対峙する。

だがそれも男の、ウルキオラ・シファーという名の災厄の前では、あまりに儚いものだった。

 

 

「お前に残された答えは肯定だけだ。 否定は即、死を意味する…… お前の(・・・)ではなく、お前の仲間の死を(・・・・・・・・)……だ」

 

 

男、ウルキオラの背後で突如小さく裂けた空間に映し出された光景に、織姫は息を呑んだ。

映し出されたのは等しく傷つき血を流す友の姿、出会ってそう長く無い者も居るがそれでも“仲間”と呼べるだけの時間を共にした友人達、それを見せ付けウルキオラは言い放ったのだ、たった今、目の前で彼女の護衛として同道しただけの死神を殺した彼は、彼女が彼の申出を拒否した瞬間背後に映し出された仲間を殺す、と。

 

硝子の様な瞳、彼の内面を何も映さない緑の瞳、だからこそ怖ろしいのはその瞳が揺れないから。

揺れない瞳とは即ち揺れない精神、何一つ迷う事無く即断即決によって行動し、己の行動に何一つの疑いも持たない強さの証。

故に織姫は理解してしまった、その瞳を真正面から見据えていたが故に理解してしまったのだ、この男の、ウルキオラの言葉には何一つ嘘が無いという事を。

もし自分が彼の意に沿わぬ言葉を口にすればその時は、自分の大切な人たちはきっと殺されてしまうのだ、という事を。

 

 

「理解したか? 女。 これは始めから交渉ではない、お前には何一つ自由は与えられていない。お前の力に藍染様は興味を示された、お前を今殺さない理由はそれだけだ。もう一度言う…… 俺と来い、女。 これは命令だ…… 」

 

 

抗えない、見せ付けられた強固な意志の前に、織姫に残された選択肢は屈服をおいて他になかった。

如何に彼女が普通の人間よりも霊的な領域に踏み込んでいようとも、如何に彼女が普通の人間を優に越える特異な力を手にしていようとも、その精神はまだ青さの残る人間の少女なのだ、猶予なく迫られる殺生与奪の選択を前にして抗えるものではない。

一度眼を伏せ小さく決意と別れを自らのうちで決めた彼女、震える腕を押さえるようにもう片方の手でぐっと握り、伏せた眼を上げた彼女だったが、恐怖の中固めた決意は、しかし思いもよらない光景によって呆気なく崩壊した。

 

ウルキオラの背後に避けた空間の中央、そこに映し出されていた人物、黒い衣を翻し戦う橙色の髪をした青年、傷つきながらも敵を前に退かず戦い続けていたその青年は、しかし突如として放たれたおぞましいほどの黒い閃光に呑まれる。

その光景に驚きと恐怖で眼を見開いた織姫、彼女が見つめる避けた空間を黒い光が満たし全てを塗りつぶす。

 

そして閃光が収まり次に映し出されたのは、傷だらけの無残な姿で力なく墜落する青年の姿だった。

 

 

「あ、あぁぁ…… そん、な…… 嫌…… いやぁぁ! お願い! 止めさせて! 言う通りにするから!あなたの言う通り付いて行くから! だから止めさせて!お願い! 黒崎くんが! あのままじゃ黒崎くんが死んじゃう!お願い! 何でも言うこと聞くから! お願い……!お願い…… 黒崎くんが…… 死んじゃうよぉ…… 」

 

 

固めた決意、それをいとも容易く崩壊させ感情を決壊させたのは、彼女の大切な人が死に瀕する姿だった。

肯定以外の言葉を発すれば殺すというウルキオラの言葉にも構う事無く、、溢れ出す喪失への恐怖は織姫にただ叫ばせる。

止めてくれと、何でも言う事を聞くから、何でも言う通りにするから、だから、だから止めてくれと。

失うという事は誰にでも等しく怖ろしい事、そしてそれが大切な人であればあるほど直面したときの恐怖は大きく、重く、そして人を容易く押し潰す。

 

織姫にどれだけ自覚があったのかは定かではない、しかし傷だらけの姿で力なく堕ちる一護の姿は、彼女をこの自らの生死がかかった場面で泣き崩れ、取り乱させるほど強烈なものであり、その恐怖の大きさこそ、彼女の中の一護への思いの裏返しなのだろう。

叫び懇願し泣き崩れる織姫、震える小さな肩、大きな瞳から溢れる涙はとめどなくそこに居るのはただか弱い年相応の少女。

 

自分の命をなげうってでも大切な人を、ただ大切な人を護りたいと願い涙する織姫の姿、それを見たウルキオラは僅かに眉をしかめた。

織姫の姿、ウルキオラにとってそれは、感情という名の愚かな揺れに起因する非合理的な行動、人間が見せる愚かしさの最たるものであり、脳の奥に感じるザラつきにも似た感覚は、彼にとって不快でしかなかった。

他人の生死、目先の生死、そんなものに振り回され時に他者の為に自らの命すら差し出す人間、あまりにも合理性に欠けるそれは理解しようにも理解できない愚かな行為。

今もって目の前で涙を流し座り込む織姫の姿は、敵に願い乞うという彼からすればあまりにも無意味な行動であり流れ続ける敗北者の涙も、その意味も理由も、全ては“こころ”という脆弱極まりないものに起因すると断じたウルキオラに浮かんだのは、きっと侮蔑だったのだろう。

 

(これが人間…… 己の命を他者のために容易く投げ出す愚かな種族…… 何故命を投げてまで懇願する、何故涙を流す…… 理解できない…… チッ!これもまた、“こころ”とやらに起因する人間の不可解さ…… こんなにもあっさりと揺れるものを拠り所にする人間、コイツ等はそれに一体何の価値を見出しているというのだ…… )

 

 

理解出来ず不可解、寄る辺に足りるとは到底思えないその脆弱と希薄さに満ちた存在、ウルキオラからすれば唾棄すべき弱さがこころだった。

故に、そのこころに従うかのように感情を顕にする織姫の姿は彼に不快感を齎すのだろう、だがウルキオラはそれ以上自らの不快感の理由を考えはしなかった、彼にとって今重要なのは自らの不快感よりも藍染より与えられた任務、その成功以外にはなかったからだ。

 

 

黒虚閃(セロ・オスキュラス)…… グリムジョーめ、塵相手に余計な事を。 あの一撃で現世の霊子、空間の安定はひどく乱れた。現世があのような状態では“コレ”を使うことは出来ない……か。予定が狂ったか…… だが、問題はない )

 

 

状況は決して良くなかった、思考を巡らせるウルキオラはコートに忍ばせたあるモノに触れ、しかしそれは日の目を見る事無く彼の中で黙殺される。

それは僅かに細工の施された細い腕輪、無論ただの腕輪ではなく装着した者の周りに特殊な霊膜を張り、存在を完全に隠匿できるという代物。

本来ウルキオラが敷いた策は、大まかに言えばこの腕輪を織姫に与え、時間の猶予と現世の人間に別れを告げる事を許すことで、ウルキオラが情けをかけたと誤認(・・・・・・・・・)させ、更に彼女自身に自ら破面側へと渡ったと錯覚(・・・・・・・・・・・・・)させる事。

全ては思考と感情、こころを理解せずとも人間という個体の反応を予測し、ウルキオラではなく人間の方がが自ら自分を囲う檻をつくるよう仕向ける、という心理の檻。

勿論他にも細かな効果はあるのだが、成らず破棄されたものを語ったところで意味はない、それよりも今は別の手段をもって織姫を縛る事こそウルキオラには必要な事だった。

 

だがそれは最早完成していると言っていい。

 

 

「……いいだろう。 女、お前が俺と来るならばあの塵の命は救ってやる。 ……だが、お前には今すぐに虚圏(ウェコムンド)へ来てもらう。猶予は与えない、譲歩もない、今後一切我等に逆らう事は許されない。貴様は藍染様の所有物としてのみ存在を許される人形となる。文句は無いな? 」

 

 

人を縛るうえでもっとも効果的なものの一つが“希望”である。

 

希望があれば人は歩む事が出来る、どんな暗闇だろうともどんなに過酷な道程だろうと、進む先に希望があれば人はその足を止める事無く歩み続ける事が出来る、例えそれが“偽り”であっても。

簡単な事だった、一護の命が消えることにこれ程まで感情を顕にする織姫を誘導する事など、ウルキオラには造作も無い事。

彼がしたのは救ってやるという一言を口にするだけ、不利な条件を畳みかけそれでもなお、彼女がしがみ付くであろう一言を口にしただけ。

だがそれだけで織姫の雰囲気は劇的に変化したのだ、織姫の肩の震えは止まり漏れた声も溢れる涙も止まる、不安と絶望そして失う事への恐怖に苛まれていた彼女に見えた一筋の光明、希望。

自分が彼等の下に行きさえすれば良い、そうすれば一護の命は助かる、大切な人の命が救われる、そんなあからさまな希望はしかし彼女にとって確かにしがみ付くに値するものだった。

 

 

「行きます。 虚圏へ…… 従います、アナタ達に…… 」

 

「……ならばコレをくぐれ、お前の意思でお前が選択し、お前がその足で歩いて進め。そう…… 全てはお前が決めたこと(・・・・・・・・)だ」

 

「はい…… 」

 

 

顔を上げウルキオラを見上げる織姫の瞳に迷いは無かった。

ただ一言従うと、共に行くと言った彼女の言葉には、その場凌ぎではない決意が見えた。

そんな彼女を見るウルキオラは、ジッとその織姫の瞳を見据えるとスッとコートのポケットから片手を出し、指を刺すようにして空間に触れる。

ウルキオラに触れられた空間はまるで硝子のように砕け散り、そしてそこに現われたのは黒腔(ガルダンタ)、光は届かずただただ闇がある虚圏へと続く道。

彼は言う、全てはお前の意思、全てはお前の選択、進む事を決めたのもその足を踏み出すのも、そして歩む事も全てはお前の決めたことだと。

 

それにただ織姫は頷き、立ち上がるとその足を踏み出した。

歩み闇へと近付くほど彼女は大切な人と日常から遠ざかり、遠ざかれば遠ざかるほど彼女が大切にしていたものは平穏を得る。

両立できない二つ、しかし彼女にそれを嘆く気持ちはなかった、あったのはただ大切な人達を想うこころ、自分は大丈夫だから、心配しなくていいからとこころの中で語りかけるその胸中は穏やかだった。

 

歩む織姫は遂に空間と空間の境目に至り、一瞬だが立ち止まる。

ウルキオラはそれを急かさずただ見据えるだけ、彼にとって重要なのは彼女が“完全に彼女の意思”でその先へ進んだという事実、その重要性、心理の檻の完成をただウルキオラは見据えていた。

一瞬足を止めた織姫はだが次の瞬間またその足を進めた、踏み出した足は遂に境界を越え闇を踏みしめる、踏み出したそれは別れの一歩、もう二度と交わる事もまみえる事も無いであろう日常との別れの一歩だった。

 

 

(さよなら、みんな…… さよなら…… 黒崎くん………… )

 

 

闇に溶ける彼女の姿、そして振り返る事無くこころの中で呟かれた言葉もまた、闇へと溶け、消えていった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけるなよウルキオラ! テメェ…… どういう心算だよ! 」

 

 

怒声が響くのは広大な広間、その広大さに反するようにその場に居る人影は多くはなかった。

虚夜宮(ラス・ノーチェス)、虚圏の中心であり藍染惣右介が治める巨大な白亜の宮殿、その中央に聳える奉王宮(レイアドラス・パラシオ)、その内にある玉座の間(デュランテ・エンペラドル)に集められたのは、つい数時間前、現世への侵攻を命ぜられた破面達。

グリムジョー、ヤミー、ルピ、サラマ、そして彼らとは別の命を帯びかつこの侵攻の指揮を取っていたウルキオラ、彼ら五人がこの玉座の間に集められたのは言うまでもなく現世侵攻の報告のため、しかし彼等の主である藍染は未だその姿を見せておらず、そして彼等の中でもっともこの任務で不満を抱えていたルピがそれを爆発させていたのだ。

 

 

「聞いてるのかよウルキオラ! テメェの撤退要請が早すぎたせいで、ボクはあの死神崩れを殺しそこなった(・・・・・・・)んだぞ!あのまま戦ってればボクは絶対勝ってたんだ!それを…… お前のせいだぞ! あれじゃぁまるでボクが逃げたみたいじゃないか!ふざけるな! こんな屈辱っ…… どう落とし前つけるてくれるのさ!」

 

「………… 」

 

 

喚き散らしまるで駄々をこねるように叫ぶルピ、その彼に詰め寄られているウルキオラはといえば、眼を閉じて無視を決め込むように瞑目していた。

それを遠目から見ているヤミーは一言、うるせぇなぁと愚痴を零し、サラマは言葉にこそ出さないもののヤレヤレといった風で肩をすくめている。

グリムジョーはその光景すら眼に入っていないかのようで、別に僅かな苛立ちをその内に仕舞いこんで眼を閉じていた。

 

 

「何とか言ったらどうなのさ!そもそもさっきの侵攻が人間の女一匹攫うための囮だって!?馬鹿にするのもいい加減にしなよ! ボクはお前と同じ十刃(エスパーダ)なんだ!それをただの囮だなんて…… このボクを誰だと思ってる!!」

 

「……今回の任務は藍染様直々のものだ。 万が一にも失敗など許されない」

 

「それでこのボクを囮に? ふざけるなよ! 要は自分ひとりじゃ任務に失敗するかもしれないって思っただけじゃないか!お前はいいさ! 女を攫って任務成功だ。 でもボクは!ボクはお前のせいでこの上ない屈辱を受けたんだよ!このボクがだ! 」

 

 

ウルキオラの答えに欠片も満足がいかないルピは、更に憤慨して彼に食って掛る。

最早当てこすり以外の何者でもないその言、責任転嫁に現実逃避を上塗りし続ける彼の姿に流石のウルキオラも小さく舌打ちをし、苛立ちを顕にするが、ルピの眼にはそれすら映らない。

それもその筈、彼はただ自分自身が残した結果を受け入れたくないだけなのだ、責任から逃れ現実から逃れ結果から逃れ、自らの自尊心を守る為に喚き散らす彼には他人の感情の機微など関係ない、彼はただ喚く事でこう言いたいだけなのだ、自分は悪くない(・・・・・・・)と。

 

 

 

「皆よく戻ってくれた。 ご苦労だったね…… 」

 

 

 

しかしそれも終わり、この男が登場した事で場の空気は一変する。

彼等の立つ場所よりも高に見据えられた玉座、そこに現れた男藍染(あいぜん) 惣右介(そうすけ)の登場によって。

薄っすらとした笑みを絶やさぬその顔、優美さと余裕を感じさせる声と所作、死神でありながら破面の衣を纏い彼ら破面をただ己の圧倒的な力によって完全に支配する王、いや彼らにとって創造主であり唯一無二の存在である彼。

傍らに部下である死神 東仙 要を従えた藍染は悠々と玉座に向かう、喚き散らしていたルピは藍染が現われると彼から視線を逸らし、バツが悪そうに黙り込み、他の面々もそれぞれ僅かだが緊張の度合いを高める。

無意識に彼等が萎縮し緊張する存在、根本的な次元の違いをただその場に居るというだけで感じさせるかのような藍染の存在感とカリスマ性が、そこに現われているような気がした。

 

 

「今回の任務、ウルキオラ以外の面々には秘する事が多くあった。だがそれはそれだけこの任務が重要であった、という事の証明だと思って欲しい。そして囮とは敵にそうとは悟らせない事が何より重要なもの、それに関してキミ達は優秀だったよ。結果的に(・・・・)囮としてしまった事はすまないと思う……だがキミ達の力があればこそ、死神の目を釘付けにしておく事が出来た。感謝しているよ 」

 

 

 

玉座にゆっくりと腰掛けながら語る藍染の言葉に淀みはない、それがまるで本心の言葉であるかのように、それがまるでこころからの労いと謝罪であるかのように。

 

しかしそれはまやかし(・・・・)である。

 

この男に(まこと)の言葉などというものは存在しない、少なくとも今この場に措いて語って聞かせた言葉に彼の本心は無かった。

あるのは如何に眼下の者達の思考を操作するかという手管、彼等が何を求めまた何に怒っているか、その感情は何処から来るのかそしてどうすればそれを自分の思った方向へ向け、自分の欲しい答えを彼等が“自ら導き出したと錯覚させる”事が出来るか、という方法論。

彼にとってそれは難しいことでは無い、今この場に至る数百年の道程の中彼は一度たりともそれしくじった事がないのだ、こと他者を意のままにすることに関してこの男ほど秀でた者は居ないだろう。

傑出した才能と叡智、しかしそれを全て自分のためだけに使う藍染、だが誰もそれを咎める事は出来ない。

何故なら異を唱えるならばそれに足る才気と力を持たねば成らず、この男に比するそれを持つ者はそう多くは無いからだ。

 

 

「……と言ってもキミ等とてそう易々と納得できるものではない。特にルピ、キミの憤りは察して余りある。 本当にキミの気位の高さは(・・・・・・)十刃のそれだと思わされるよ」

 

「……当たり前ですよ。 このボクが人間の女一匹攫うためだけの囮に使われるなんて、我慢できる訳が無いっ!」

 

 

眼下の破面達の反応を見ながら藍染は、彼らには判らないほど小さくその笑みを深くする。

そして彼等の中で唯一人この任務に憤りを顕にしていたルピに話しかけた。

お前の憤りも、怒りも、何もかも私は理解できると、お前の感じるそれらはそう感じるのが当然の代物で、そう感じるからこそお前は十刃に相応しいのだと語る藍染。

その言葉にどれだけ真実が含まれているのかは察して余りあるだろう、それを見抜き茶番だと内心で笑うか戯れだと瞑目するか、自分には関係ないと無視を決め込むかはそれぞれであり、それをそう思うことが当然である(・・・・・)と受け取るのもまた個人の自由に他ならない。

 

ただそれが本当に(・・・)彼自身の意思かは別として。

 

 

「そうだね。 キミの憤りは最もだ。 だが彼女の能力(チカラ)は面白い、非常に……ね。 ……しかしそれだけでは納得も出来ないだろう?ならばここはひとつ、キミ自身で彼女の能力を見定めるといい。(かなめ)、彼女を此処に…… 」

 

「畏まりました…… 」

 

 

藍染の言葉に玉座の傍らに控えていた東仙は、小さく礼をした後踵を返した。

彼女を此処に、その言葉が意味するものは一つしか無い、ルピをはじめとして多くの十刃クラスが囮として使われた任務の目標、ウルキオラによって虚夜宮へと誘われた人間の少女、藍染惣右介をして非常に面白いと言わしめたその能力の持ち主が彼等の前に姿を表すという事。

そして藍染の命を受け程無くして再び東仙は玉座の間へと戻った、しかし戻ったのは藍染の玉座のある高みではなくウルキオラ等の立つ床の方であり、そして彼の後ろにつき従うようにして現われたのは、長い胡桃色の髪をした人間の少女、井上織姫だった。

 

複数の視線が織姫に集まりその視線に篭った感情は様々、怒り、興味、無関心、そんな視線に晒された織姫は胸の前に持ってきた手をギュッと握り締める。

そうしなければ気圧されてしまうという危機感、自分とは到底理解できない程強大な悪を持ち、それを何の躊躇いも無く振るい、何の躊躇も無く命を殺し尽くす、破面という存在はそれだけ強大で禍々しい存在であるという事、自分はその前に何処までも無力であるという事を今更ながら本能的に察した彼女に今出来る精一杯、自らを保つために出来るそんな僅かばかりの抵抗が彼女に出来る唯一の事だった。

 

 

 

「ようこそ。 井上 織姫…… 我等はキミをこころから歓迎しよう」

 

 

 

気を張る織姫の背がゾクリと震える。

彼女の視線その遥か高みに座り彼女を見下ろす男が発したその声、僅かに低くしかし良く響くその声は柔和で温厚そうで在りながら、彼女にはその根本がひどく冷たいものに感じられた。

たった一言、それだけで身体の芯が冷え切ってしまう感覚、織姫が今まで味わった事がない畏れや恐怖とも違う感覚。

それはおそらく存在の差、種族、年齢、性別、ではなく霊力や霊圧の類でもないそれは生まれ持った存在の差、次元が違うという言葉が最も適当に思えるそれは、ただ藍染の存在の大きさと強さの前に織姫が対しきれないが為に感じたものなのだろう。

破面と相対したときとも違うそれは無力感よりも逆らう事すら思い描けないような、何処までもそして何もかもが圧倒的な存在であると織姫に思わせていた。

 

 

 

「さて…… さっそくだが織姫、キミの能力を我が同胞達に見せて欲しい。その為に…… 要、ルピを斬ってくれ(・・・・・・・・)

 

 

 

「なっ!!」

 

「ハイ…… 」

 

 

あまりに突然言い放たれた言葉に誰もが一瞬硬直し、だがただ一人東仙要だけが刀を抜き放っていた。

そしておそらく藍染の言葉に最も動揺していたであろうルピは、東仙の刀に対応出来る筈も無く、東仙の放った攻撃は電光石火の速さでいとも容易くルピの肉体に突き刺さる。

放たれた突きは三度、それぞれが鎖結(さけつ)魄睡(はくすい)そして心臓を的確に貫き破壊し、一瞬遅れてルピの傷口から血が噴き出す。

 

 

「……グ……っ! ……ゴフっ! なん……で…… 」

 

 

口から血の塊を吐き出しながら崩れるルピ、血を吐きながら何故だと驚きと怒りに染まった顔で東仙を見上げ彼は、東仙の袴の裾を握り締めるが、東仙は無言でもう一度刀を振るいその袴を握り締める手を上腕から斬り落す。

数瞬の後ルピの口から血飛沫と共に叫ばれる悲鳴、愛らしい少年の容姿とは似ても似つかない咆哮は腕、を斬り落された痛みと怒りが混ざり合った凄まじいものだった。

斬り落され転がった上腕は東仙の鬼道によって燃やされ灰となり、鎖結、魄睡といった臓器は再建再生の難しい臓器、何より心臓を潰された以上ルピの命は風前の灯。

こんなにも呆気なく終わる命、こんなにも呆気なく命が奪われる場所、それが虚圏、それが虚夜宮。

 

 

「さあ、織姫。 早速だが彼を救ってくれるかい?キミのその能力で…… 」

 

 

だがやはりこの男は、この虚圏、この虚夜宮の主はその程度では揺るがない。

自らが命じて斬らせたというのにまったくそれを意に介していない、罪悪感もなにもない、ただあるのは織姫の力を彼等破面に見せる利、というそれだけ。

結果が判りきっているからこそこの男は時間すら惜しまない、どう転ぼうと己が求めた結末は手に入ると判っているから。

そして所詮この一連の出来事も彼にとっては戯れに他ならず、それでも彼に不利に成る事など一つもありはしないのだ。

 

 

「なんで…… なんでこんな事が出来るんですか……?」

 

 

この状況で口を開いたのは織姫だった。

まるでそれが当然の出来事であるといった風で語る藍染も、その藍染の命に異を唱える事もなくそれを実行した東仙も、そして自らの同胞が目の前で斬られたというのに、顔色一つ変えずに平然としていられる破面達も、彼女からすればどうかしているとしか思えなかったのだ。

元来、井上 織姫という人物は他者を悪し様に言う事を好まない、それは彼女のこれまでの境遇や、それ故に培われた他者への優しさからなのだが、その優しさが言うのだ、彼らは間違っていると。

故に彼女は意を決し口を開いた、弱々しく見えて存外強いその意思こそ、人間井上 織姫の強さなのだろう。

だがその優しき強さも、藍染に爪を立てることすら出来ないのが現状である。

 

 

「織姫、これは必要な事(・・・・)なんだよ。私にとっても彼らにとっても、そしてキミにとっても……ね。私とてここで貴重な十刃の一角を失うのは惜しい、ただキミがその力を使いたくない(・・・・・・)、と言うのならば、私からこれ以上無理強いはしないよ。ただその時は残念だがルピには死んでもらうより他無い(・・・・・・・・・・・)。キミの目の前で……ね…… 」

 

「そんな! 」

 

 

藍染の言葉に織姫は一瞬異を唱える、だが彼女のこころは既に決まっていた。

それは選ばされたといってもいい選択ではあった、今目の前で消えゆく命、それを見殺しにするかいなかの選択を前に、織姫が取る選択など始めから決まっているのだ、それが例え破面であったとしても。

藍染は決して命じない、全てを彼女に委ねるかのように全て彼女が選択したいように進めさせ、結果完全に自分の思ったとおりの展開を導き出す事こそ彼の手管、そしてそれは彼にとって赤子の手を捻るように容易い事なのだ。

 

 

「さぁ、織姫…… 」

 

「は……い…… 」

 

 

高みより促す声に織姫は逡巡の後ただ、そう答えるより他無かった。

他の選択しは無い、少なくとも彼女にそれは選択出来ないのだからもうこれ以外に無い、自らの力であの破面を救うという選択以外。

近付く織姫をルピは口から血と小さな赤い泡を吐き、腕の断面から血を流しながらも睨みつけていた。

命惜しさで気でも触れたか、人間風情に何が出来ると視線で語るルピは、しかし傷の深さまでは虚勢で誤魔化す事は叶わず、顔色は見る見る悪くなっていく。

床に這い蹲り仰向けに倒れたルピの傍に立った織姫は、両側のこめかみ辺りに付けたヘアピンに軽く触れると小さく呟く。

 

 

舜桜(しゅんおう)、あやめ 」

 

 

すると花を象ったヘアピンの花弁が光りを放ち、そして飛び出したのは二つの小さな物体。宙を飛ぶそれらは鳥とも妖精ともつかない掌に乗る程度のもので、織姫の頭上を旋回している。

それが織姫の能力の発現であることは言うまでも無く、そしてそこから起こった出来事、彼女が発した一言の後に起こった変化はそれを見た全ての者に、驚きを与えて余りあるものだった。

 

 

 

双天帰盾(そうてんきしゅ)…… 私は、拒絶する…… 」

 

 

 

織姫の発した言葉、言葉には魂が乗りそれは言霊となって外界に発現する。

織姫の頭上を旋回していた二つの飛行体が彼女の言霊を受け、旋回をやめるとそれぞれ横たわるルピの頭と足先へと移動し、互いを頂点とした楕円の結界でルピの身体を包み込む。

そして織姫が結界に手をかざすと、その後の変化は劇的に訪れる。

 

ルピの傷から溢れ出る血は止まり顔色は見る見る良くなっていく。

息と共に零れていた血も止まり、それが示すのは傷が癒えているという事、鎖結、魄睡といった重要臓器をいとも簡単に再生する治癒力には驚かされるが、それ以上にその光景を見ていた者達を驚かせたのは、別の事柄だった。

 

斬り落されたルピの腕、落されそして東仙によって灰にされた彼の腕が、元へと戻っていく(・・・・・・・・)のだ。

 

それは新たに生えるでもなく、他を繋ぎ合わせるでもなく、ただ何も無い空間から失われた腕の一部が現われ、再びより合わさっていくような光景。

小さなそれらは断面に集まるでもなく、ただ自分が元からその位置にあった(・・・・・・・・)とでも言うようにルピの腕へと集まり、骨も肉も血管も神経も何もかもが同時に再建されていく。

それは一目見て異常だと判る光景、東仙に貫かれた鎖結や魄睡が癒える事と、失われた腕が再び元に戻る事は決して同義では無い。

今、在るもの(・・・・)を元通りにする事と既に失われたもの(・・・・・・)を元通りにする事は明らかに異なることであり、織姫の一連の能力は最早“治癒”という次元を超えるものだと、その光景は示していた。

 

 

「ケッケケ。 こいつはまたとんでもない御穣チャンだ…… 」

 

 

目の前の光景、それに思わずサラマが声を漏らしてしまうほど、その出来事は衝撃的だった。

明らかに治癒とは異なる回復現象、既に回復と呼んでいいのかすら怪しいそれを初めて見た者の反応として、それは間違いではない。

何よりその超常の力を自らの意思で行使しているのは、彼らよりも脆く弱い筈の人間の少女なのだ、驚くなという方が無理な話だろう。

 

 

「嘘…… だろ……? 人間風情に、こんな…… 」

 

 

だが、この面々の中でおそらく群を抜いて驚き、動揺しているのはルピだろう。

ほんの少し前まで自分自身が瀕死の重傷を負い、もしもそのまま助かっていたとしても霊的重要臓器を失った自分がどうなるか、など眼に見えていたのだ。

生きようと死のうと自分に明日など無い、そう思っていたルピは今、傷を負う前となんら変わらぬ状態で上体だけを起し床に座っている。

斬られそして再生した手を確認するように裏表と返し、確かに貫かれた胸を触って確認する彼、その顔は呆然といった様子で先程までの激昂は嘘の様に退いていた。

その身に起こった出来事に感情が追いついていないかのように、その身に起こった超常の理を理解するのを拒むかのように。

 

 

「ケケ。 嘘も何も自分で体験したじゃァないですか、第6十刃サン。しかしこいつは…… 限定空間の……回帰?ってやつですかい?結界で覆った内部の空間を巻き戻す…… 人のままで(・・・・・)この能力…… 恐れ入るねぇ 」

 

 

呆然とするルピを揶揄するように軽口を叩くサラマ、ルピが言い返してこないと判っているからこそのそれは何とも彼らしい。

ルピにチクリと一言放りつけたサラマはその視線を織姫へと向け、顎をさすりながら驚きと感心が入り混じった顔で彼女を見る。

結界で覆い治癒再生されるという点から、結界という限定的な空間の内部を回帰させることによる回復現象、つまりは空間回帰の類だと織姫の能力にアタリをつけたサラマ。

その能力も然ることながら彼が驚いたのは、そんな高度な能力を破面でも、まして死神でもない只の人間である彼女が発現させたという事、内心「それは藍染様の眼にもとまるわなぁ」と、織姫に同情しながらもそれは露ほども見せないサラマであったが、彼の言に次いで放たれた言葉には心底驚くことになる。

 

 

「フフ。 違う(・・)よ、サラマ。 彼女の能力は空間回帰ではない(・・・・・・・・)…… ウルキオラも彼女の能力を空間、もしくは時間回帰の類と見たようだがそのどちらも間違っている。彼女の能力…… それは『 事象の拒絶(・・・・・)』だ…… 」

 

 

驚きが電流のように駆け巡った。

藍染の放った一言『 事象の拒絶 』。

空間回帰でも時間回帰でもなく、織姫の能力として彼らに明かされたそれは極めて異質なもの。

先の空間、時間の回帰にしても人間がただ個人で至る事が奇跡である、とさえ言える部類の能力であるにも拘らず、それらを易々と超える力の名は彼等を驚愕させるに充分すぎるものであった。

 

 

「事象とは全ての現れと帰結、事の起こりと終わり、そして一つの物体が過去から今へと至る間に経た全ての過程。彼女の能力はその過程の中で対象に起ったあらゆる事象を限定し、拒絶し、否定する事で全てを“起る前”の状態へ帰す能力。時間や空間を介する必要がない完全な上位能力。人、死神、虚、それらに許された域を易々と超える…… まさに、“神の領域すら侵す能力”だよ 」

 

「なんともまぁ…… 」

 

 

事象の拒絶、対象に起こったあらゆる出来事を限定し、拒絶し否定する事で何事も起る前の状態へと帰すことが出来る能力。

過去に負った傷も、失われた身体の一部も、それだけに留まらず無機物であっても有機物であっても何もかも、起った事象を限定し拒絶するその能力は対象をそれこそ無に帰すことすら可能な能力なのだ。

時間や空間といった一定の方向に進むものや、その空間で起った事のみを限定して回帰させるのではない、時間や空間といったものをまったく無視してただ起った事象のみを拒絶するのが織姫の能力。

サラマが驚きを通り越して呆れすら見せるほどのその能力は、人間の領分などいとも容易く飛び越え死神、虚の力すら超えた先、そこに存在するであろう神の定めた事象の域を踏み越える程の稀有な存在。

それが彼らの目の前に立つ人間の少女、 井上織姫なのだ。

 

 

「判ってくれたかな? ルピ。 キミが体感した彼女の能力がどれだけ稀有な存在であるか…… 今回の任務に最も不満を見せたキミだからこそ、その身をもって彼女の価値を知ってもらうことにしたんだ。突然の事ですまないとは思うが…… 理解してくれるね?」

 

「………… 」

 

 

織姫の稀有なる能力、その価値、その希少性を藍染はこの場にいる誰よりも、それこそ能力の持ち主である織姫以上に理解していた。

だからこそ今回の任務がどれだけ重要であったかをルピに理解させるため、藍染は彼を死の淵に追いやりそして織姫の力で呼戻したのだ。

たかが人間の女、その程度の存在と高を括っていたルピだからこそこの藍染の仕打ちは堪えるだろう、おおよそ人という種より全てに措いて優れているであろう彼という存在すら抗うことが出来ない死という事象を彼女は、織姫は事もあろうに彼の目の前で否定し拒絶したのだから。

床に座るルピの肩はワナワナと震え俯き加減の顔は見えずしかし、ぶつぶつと言葉だけは呟かれていた。

その呟きは徐々に音量を増しそして小さくとも明確にある単語が聞く物の耳に届く。

 

 

 

「―― 化物(・・)…… 」

 

 

 

震えた肩は隠し切れない怒りではなく恐怖から、だが俯いた顔はその恐怖を否定するような憎悪に歪む。

神の領域を侵す力、それを体験したからこそ判るその異常性、自らの死をすぐ傍に感じながらそれが急速に遠ざかった事への違和感、それが示す命を握られた(・・・・・・)感覚と抗えぬ事への畏れ。

癒しという本来安堵を感じるべきものから感じた確かな恐怖は、ルピに怯えを齎すのに充分なもので、しかし自分がどれだけ異常な力を持っているとしても人間の女一人に怯えを抱くという事実を認めることを、彼の誰より高い自尊心が拒んでいた。

 

 

「化物…… 化物…… 化物っ! こんな馬鹿げた能力ありえない…… 何なんだよお前! こんな…… こんな能力…… おかしいだろ、こんなの…… こんなのボク達よりお前の方が、よっぽど化物(・・・・・・)じゃないかっ……!」

 

 

呟き搾り出された言葉、理性で否定しながらも本能がそれを感じる故に恐怖し、それを自尊心が再び否定する。

目の当たりにしただけならどれだけ良かっただろうか、それを体験する事無くただその眼で見ただけならばどれだけ楽だっただろうか、そんなもしもを夢想しながらルピは恐怖に駆られ、それでも変えられない現実を彼はこう呼んだのだ。

 

化物。

 

振るわれた能力は人の頚城(くびき)を容易く踏み越えたもの、死神にも虚にもそして破面にも踏み込めない領域を、なんの代償も払う事無く易々と侵す能力を振るう者の呼び名を、彼はそれ以外に持たなかった。

命を刈り取り魂を喰らう存在である自分を差し置いて尚、彼女を化物と呼ぶより他無いという現実、彼に比べ明らかに非力で脆弱な存在である人間の少女、いや、そうであるからこそ尚引き立つその異常性こそ、ルピが織姫を化物と呼ぶ根幹の理由なのかもしれない。

 

織姫はそのルピの言葉に思わず一歩後ずさる。

自分が他人と違う事はとうの昔に知っていた、普通では無いから、自分とは違うからという理由で云われない敵意に晒されたこともあった、だがそれでも、その決定的な一言を口にした者は誰も居なかった。

 

化物。

それが指すのは人では無い何か、人とは違う何か、人が持たないモノを持ち人を外れた何か、そこまで考えて織姫はそれ以上先に進むことをやめる。

それ以上考えれば戻れない、気付いてはいけない、例えそう思っていたとしてもそれを自覚してはいけないと。

 

だが虚圏の絶対なる王は、その織姫のこころの機微に笑みを深めて言い放つ。

 

 

「そうだよ、織姫。 キミの能力は人間のそれを既に凌駕している。その能力を得た瞬間から、キミは人を超えた存在になったんだ。実に素晴らしい…… だが人間とは矮小な生き物でもある。そう容易く自分とは違う(・・・・・・)存在を受け入れる事は出来ない。そしてキミの能力ように自分の矮小な物差しから外れ、計れず得体の知れ無いチカラを持つ者を、人間は恐怖と忌諱の感情を込めてこう呼ぶのさ…… 化物、と…… 」

 

「っ! 」

 

 

藍染の言葉の槍に貫かれ織姫が息を呑む。

キミは人とは違う、人を凌駕し人の踏み込めない領域に達した存在こそがキミだと語る藍染は、笑みを浮かべ織姫を見下ろしていた。

しかし藍染の言葉は織姫の能力を肯定すると同時にそれが人間にとってどれだけ“受け入れ難い存在”であるか、そして人間とは須らく自分とは違うものを排するもので、自分に理解できない存在を化物という言葉で括るのだと織姫に告げる。

それが抗えぬ真実であるとして、人間という愚かな生き物の愚かな行動の帰結として。

 

 

「だが織姫、それは仕方が無い事でもある。キミの苦悩や悲しみは人間達には理解出来ない。力を持つ者が持たざる者の苦しみを知らないように、持たざる者もまた、力持つ者のそれを真の意味で理解など出来ないのだよ。悲しい事にね…… だがキミはそれを知っている。彼ら凡庸な人間に自分は理解してもらえないと知っている。だからキミは隠しているのだろう?黒崎一護達以外の人間に、彼ら以外の友人達に(・・・・・・・・・)キミの能力を…… 」

 

「そんな…… 私、は…… 」

 

 

織姫がもっとも恐れるものを、藍染 惣右介は簡単に見透かした。

彼女にとって大切なもの、両親を亡くし兄を亡くしただ一人で生きてきた彼女にとって、最も大切なものは“繋がり”。

小さな範囲でもそれでも確かに繋がっていると思える大切な友人達、彼女の中でそれらが如何に大きな割合を占めているかは言うまでも無い。

だが大切だと思えばこそ、そして大切だからこそ失いたくないと思えばこそ言えないのだ。

 

自分の持つ能力を、人とは異なる異能の力の存在を。

 

藍染は語る、力持つ者の苦しみは力無き者には判らないと、力無き者が力ある者に向けるのは羨望と嫉妬そして畏れであり、誰一人として彼等の苦悩や痛みに眼を向けるものなど居ないのだと。

持たない自分を変えるのではなく、持つ者を異端とし自らの世界から隔離し、あまつさえ蔑む事で自分自身を護ろうとするおろかな振る舞い、“不変”である事に意義を求め“変革”を受け入れず殻に閉じこもる。

 

それが人間、凡庸なる者達の限界がそこにあるのだと。

 

そして藍染は言うのだ、だがお前はそれを理解していると、理解しているが故に口を鎖し理解しているが故に畏れ隠していると。

自分という人間が得た異質なる能力を、それを異質だと知っているからこそ隠しているのだろうと。

同じように人とは違う力を持ち、人とは違う世界を知った友以外に、平凡な世界に生き日常を甘受し営みを続ける“異能を知らぬ友人”にと。

 

 

「人は矮小だよ織姫。 それはキミの友人とて変わりはしない…… そうだね、ではキミが本当に(・・・)畏れている事を当てて見せようか?キミが本当に畏れている事…… それは受け入れられる事(・・・・・・・・)だろう?キミの友人達がキミの能力を知り、瞳に畏れを浮かべながらそれでもキミを傷つけまいとして(・・・・・・・・・・・)キミに“偽りの笑顔”を向けキミを受け入れる…… それはキミにとって化物と呼ばれることよりずっと、怖ろしい事のはずだ」

 

「やめて…… 」

 

「何をだい? 私が語るのを止めても真実は変わりはしない(・・・・・・・・・・)。キミの能力は異質だよ、だが異質だからこそ素晴らしいと思わないかい?キミの能力はその気になれば“この世の全てを無に帰す”事が出来るというのに。破壊不可能な物質も、絶対不変の死も、そしてこの私すらも…… それを思えば人と人の繋がり等、あまりに瑣末で無意味なものとは感じないか?」

 

「やめてください! 」

 

 

やめてくれと、それ以上言わないでくれと叫ぶ織姫。

耳を塞ぎ嫌々と首を振り、藍染の言葉を否定するその姿は痛々しくあった。

実際彼女の不安や畏れは杞憂の域を出ないのだろう、彼女の友人たちに限った事を言えば彼等彼女等は彼女の能力を知ろうとも変わることは無い、それは彼女の為を思った気休めでも同情でもなく、彼女の友人たちはきっと彼女の能力ではなく彼女自身を見るからだ。

今まで友に過ごした彼女という人間を見るから、だから彼女が人と違う異能を持とうともきっと彼等の関係性は変わる事は無い。

 

しかし、そう思っていたとしてもたった一欠けらの不安を拭い去る事が出来ないのが人間なのだ。

 

藍染惣右介の言葉は優しく柔和であるが、その不安を揺さぶる。

小さな不安を刺激し増殖させ、大きな信頼と自信に疑念と揺らぎを与える、藍染の怖ろしいところは何も斬魄刀の能力や圧倒的霊圧だけではない、人という生物の機微を見透かしその者がもっとも恐れ隠そうとしているものを白日の下に晒す才能。

そして心理的に行く先と退路を断ち、その者を立ち止まらせ或いは理想的な逃げ道を用意し己が思いのままに歩ませる。

 

そう、呑み込んでしまうのだ、相手を。

 

 

「織姫、キミが現世に居たとしてそこに何がある?キミはキミの友人達に自分の能力を秘密とし、騙し、これからも虚構の平穏に生きるのかい?それとも打ち明け、畏れられ、一人涙を流すのかい?そんな世界に何の意味がある? その能力を得た瞬間から、キミの居場所は現世には無い(・・・・・・)のだよ。異質な力を持つ者は、同じように異質な者とあってこそはじめて己の存在を肯定出来る。キミが居るべきは現世ではなく此処だ、此処で私の為にその能力を捧げておくれ…… 」

 

 

不安を煽り退路を断ち、希望を砕き道を示す。

 

藍染の言葉は織姫を捕らえて放さず、何処にも向かうことを許さない、ただ藍染が望む方向以外何処にも。

彼が何を織姫に求めまた何をさせたいのかは今もって誰にも判らない、しかし言えるのは藍染にとって織姫の存在は現状、何かしら価値あるもの(・・・・・・)であり、彼が織姫を虚圏へと招いた事は決して気まぐれではなく思惑あってのことだという事実。

そしてその思惑は確実に彼にとって利のあるものでありまた、彼以外の多くの者達に不幸と悲しみを齎すもの。

 

藍染が織姫を言葉巧みに追い詰め退路を断つのは後ろを振り向かせる(・・・・・・)ため、彼女の不安を揺さぶるのは振り向いた先に恐怖を(・・・・・・・・・)幻視させる(・・・・・)”ため、恐怖は足枷となって踏み出す足を躊躇わせ、結果織姫は逃げる事もできず現状を受け入れるより他無い。

この虚圏に来ると選択したもの彼女、逆らわぬと約したのも彼女、決意が強ければ強いほどほんの一瞬振り向き見える世界は強い望郷を産みしかし、それは恐怖と後ろめたさを伴って彼女を苛む。

まるで真綿で首を絞めるようにじわじわと織姫を追い込む藍染の手管、追い詰められるほどに不安の足枷は大きく重く成長する。

 

だがその手管がどれだけ優れていようとも、それでも人の強さ(・・・・)とは理だけでは計れないのだ。

 

 

(あの人の…… 藍染さんの言ってる事はきっと間違ってない。私はどこかで怖がってる。 みんなに…… たつきちゃん達に怖がられる事を怖がってる。 ……でもそれは私のこころが弱いから、たつきちゃん達をほんの少しでも疑ってしまった、臆病な私のこころが弱いから。あの人にはそれが見えてるんだ…… でも…… でも私は…… )

 

 

織姫は耳を塞いでいた手を下ろした。

それは屈服の姿にも見えたがその実少しだけ違っていた事は、顔を上げた彼女の瞳を見れば明らかだった。

藍染惣右介を前にその瞳には屈服の色は無かったのだ、存在の次元が違う、そんな相手を見上げる彼女の瞳にはそれに負けじとする思いが浮かんでいるのだ。

 

 

「あなたの言う事には従います…… でも、私の世界は此処じゃありません(・・・・・・・・・)。それに弱いのは私だけです。 だから私の…… 私の大切な人たち(・・・・・・)を、悪く言うのはやめてください!」

 

「ほぅ…… 」

 

 

それは王に対する言葉としても、また自分の命を確実に握っている相手に対する言葉としても不適当なもの。

ただ囚われただけの虜囚にすぎない彼女が、それを命じた王に対して意見する、己が意思をハッキリと言霊に乗せ王の言葉を否定する。

本来ならばありえないこと、破面とてそんな選択肢は持ちえずまた実行しないであろうそれを、脆く儚い人間である彼女は並々ならぬ思いでやってのけたのだ。

さしもの藍染もこの織姫の行動には感嘆の呟きを零し、サラマなどはわざとらしく藍染に背を向けククッと肩を揺らして笑いを堪え、東仙は眉間の皺を深くし、ルピは目の前の人間の少女の行動に完全に呆気に取られていた。

 

 

「なるほど…… 織姫、キミは人を外れた能力を持ちながら、その内は今だ人の矮小さに納まったままのようだ…… いいだろう、私にとって必要なのはキミの人格ではなく能力だ。その約定さえ違えなければキミの“こころの自由”は保障しよう。私も少々“戯れ”が過ぎた…… ウルキオラ、彼女の事はキミに一任する。くれぐれも、丁重に扱ってくれ 」

 

「ハイ…… 」

 

 

玉座を立った藍染はそれだけを言い残すと玉座の後ろへと消えた。

彼の姿が見えなくなった瞬間織姫の緊張の糸は切れ、その場にへたり込んでしまう。

その顔には明らかな疲労が見え、藍染惣右介と対峙する事が異能を持っているといえど人間にとって如何に魂を削る事か、という事を如実に語っていた。

藍染が消えたことでその場は解散となりグリムジョー、ヤミー、サラマ、東仙は各々その場を去り、ルピもまた立ち上がるとへたりこんだ織姫を一度睨みその場から去る。

残された織姫とウルキオラ、へたり込んだ織姫の背をウルキオラは僅かに眉間の皺を深くして見ていた。

おおよそただの人間と大差ないその少女、しかしただの人間には到底出来ない事をやってのけたその少女、肉体は脆弱、精神は未熟、能力は異常なれどそれでも戦いの脅威足りえるものではない、破面の誰にとっても障害になりえないその少女は破面の誰しもが敵わない存在にその未熟な爪を突きたてたのだ。

己の命を投げ出して誰かを救おうとしたかと思えば、今度は友人たちの名誉を護るため再びその身を投げ出す、自分という存在を度外視したあまりに非合理的な選択の数々としかしそれを成功させる何かしらのチカラ。

何がそれを支えたのか、何が彼女にそうまでさせたのか、ウルキオラには理解できない。

 

それが“こころ”という彼が否定し続けたものによるチカラなのだと、その時の彼には思いもよらないことだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エエんですか? 」

 

 

玉座の裏の通路を進み拓けた小部屋に出た藍染に声がかかる。

声の主は入り口の傍の壁に寄りかかり、その顔にまるで狐か蛇のような笑みを湛える銀髪の青年、藍染は彼の存在に気を裂く事無くそのまま歩き、振り返ると部屋の中央に据えられたソファに座り、ようやく青年の問いに答えた。

 

 

「何の事だい? ギン…… 」

 

 

藍染は壁際の青年 市丸 ギンの問いに問いをもって答えた。

主語を欠いた応酬は彼等二人の日常、まるで探りあうかのような会話ではあるが、存外どちらも嫌いではないのだろう。

壁に寄りかかっていた市丸は笑みを貼り付けたまま、藍染もまたその顔に笑みを貼り付けたまま、どちらも腹の底を探りあいしかしそれを見せない。

 

 

「あの娘、“希望”が残ってしまいましたよ?ホンマはあそこで絶望させて、よう動けんようにする心算やったんでしょ?」

 

「あぁ、その事か。 いいんだよ、ギン。 あれは私の戯れにすぎない…… 織姫(アレ)は所詮、道具だよ。 他より稀有ではあるがそれだけの……ね。だが道具はその機能を充分に発揮出来なければ意味は無い。アレの能力は精神に依存する部分が大きいようだ、ならば“希望”をぶら下げてやることも吝かではないよ。例えそれがまやかし(・・・・)であったとしてもね」

 

「……怖いお人やなぁ 」

 

 

藍染の笑みに冷たいものが浮かぶ、先程までの柔和さの中にほんの僅かに浮かぶ冷たさ、冷酷さ。

織姫をまるでモノのように呼び、餌と言い切ってそれ以上の価値が無いとするようなその冷たさこそ藍染の本質が見えた気がした。

囚われた織姫から全てを奪い去るのではなく、ほんの少しの希望をチラつかせ飼い慣らす事、人は例えそれが偽りでも希望があれば生きられる生物だと知るからこそ藍染は織姫にそれを残した。

それが織姫のうちから生まれた希望か、彼が与えたそれかは問題では無い、重要なのは織姫が“餌として機能する”という事だけなのだから。

 

 

「計画は全て順調に推移している。 私が全てを理解し、全てを手にする日も近いだろう…… 」

 

 

そう、全てはこの男の掌の上に、死神も破面も人間も全てはこの男の掌で踊る道化にすぎないのだ。

この男に見通せないものは存在しない、そう思えてしまうほどこの男、藍染惣右介は他と隔絶した場所に立っている。

そんな彼が一体何を望むというのか、一体何を求めるというのか、それを計れる者は存在せずそれ故に孤高の王はただ一人高みに達する資格を持つのだろう。

 

 

 

 

(さぁ、そろそろキミにも働いてもらおう…… その命、私の為に燃やし尽くしてもらうよ?フェルナンド・アルディエンデ…… )

 

 

 

 

藍染の浮かべた冷たい笑み、その笑みの視線の先に彼は確かに捉えていた。

荒ぶり燃え盛る炎の海、それが見せる生命の輝きを……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無垢なる叫び

 

空の器

 

全ての価値とは

 

私が与えるものだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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