BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.54

 

 

 

 

 

彼の人生は順調だった。

 

生前という遠い昔の事まではわからないが、死後という今を見る限りおそらくは順調だった事だろう。

今という瞬間を見ただけでそう思ってしまえるほど、彼の人生は順調だった。

 

他より突出した霊圧、元々高かった知能、そして圧倒的な能力。

“支配”という絶対的なそれをもって彼は死後の第二の人生を、(ホロウ)としての人生を謳歌していた。

はじめは彼もその他の虚と同様に人間を襲い魂を喰らう、という本能の部類の中で生きていた。

しかし、いつしか彼は人間を襲って喰らう事よりも、人間を能力で支配し、思うように操る事に快感を見出していく。

自らの意思を残したままの人間はただ操られるまま、自らの肉体に起こったありえない出来事に困惑し恐怖する。

だが人間の身体は持ち主である本人の意思など無視して動いてしまう。

 

意思を離れ動く身体、伸ばされる両腕、徐々に強く握り締められる両手、そしてその両手が握るのは自由を奪われ支配された人間の愛する者の首。

身に起こった不可解な出来事よりも、人間は意志を離れた自分の身体が行う凶行に悲鳴を上げる。

やめろ、とまれと叫ぶ口とは裏腹に、人間の両手はその人間が愛してやまない者の命を奪おうと強く強く握られていく。

愛する者の困惑と疑問の眼差しを受けながら、人間は恐怖と絶望の淵から底へと突き落とされた様に苦しみの声を上げながらしかし、その手を緩める事は出来ない。

 

いつしか愛する者の呼吸は止まり、それでも締め上げられた首はゴキリという音を立てて折れ曲がった。

両の手が離されればそれはまるで手折られた花のように地へ落ち、路傍で踏みつけられた草木と変わらない姿を人間に晒すのだ。

絶望、怨嗟、恐怖と憎しみ、向ける先の無いそれが人間の中を支配し慟哭の叫びをあげさせる。

 

 

 

 

 

それを彼は後ろから眺め、笑うのだ。

 

 

 

 

 

耳にと届くのは心地よい悲しみの叫び、眼に映るのは血の涙を流し膝を折るちっぽけな人間。

何の理由も無く、何の前触れも無く自らの愛する者を自らの手で殺すという想像もしなかった出来事。

人間の“心”というものが壊れるには充分な出来事。

その壊れゆく様を彼は笑い、見下し、観察する。

 

 

彼の意思(・・・・)が人間に手に奪わせた(・・・・)、愛する者の魂を喰らいながら。

 

 

これこそが支配だと言わんばかりに、一方的に命じ実行させる支配というものだと言わんばかりに。

支配し、その快感と喜劇でしかない涙する人間の姿を眺め、それに浸る愉悦の瞬間こそ彼の至福の時。

自らの圧倒的な支配に酔うことこそ彼の生きがいだった。

 

 

 

だが、そうして人間を使って自らの愉悦を満たしていた彼に予期せぬ変化が訪れる。

 

それは“渇き”だった。

どうしようもない渇き、喉ではなく、腹でもなく、しかし全身を襲う猛烈な渇き、枯渇感とでも言うべき猛烈なそれが彼を苦しめていく。

渇き、餓える彼。

いくら人間を殺し喰らい、ときたま彼を殺しに来る死神を殺し喰らってもその渇きは一向に癒える事は無かった。

猛烈な渇きは日を追う毎強くなり発狂寸前にまで追い込まれた彼。

そんな彼の視界の端に偶然にも一体の虚が捉えられる。

 

そこから終わりまでは速かった、気が付けば彼は虚の血肉を喰らっていた。

必死に、ただただ必死になって肉を噛み千切り血を啜る。

訪れたのはこの上ない充足感、自分が虚を殺し喰らっているという事をその充足感は彼に理解させたがそれでも彼が止まる事は無く、一体の名もない虚はその姿を消してしまう。

それはまるで砂漠に落とされた一滴の水、瞬く間に吸収されるそれは彼を襲う”渇き”に対抗する唯一の手段がそれであると彼に明示していた。

 

 

同属、虚を殺し、喰らえという事を。

 

 

理解してからの行動というものは早く、彼は手当たり次第に同属を殺し喰らっていく。

餓え以上の渇きを消し去るためにと一体でも多く虚を殺し、喰らう彼。

しかしそれでも渇きの根本は消え去る事無く、彼の中に在り続け次第虚を喰らう事でも彼の渇きは癒えなくなってしまう。

 

順調だった彼の人生、それに立ち込めた暗雲はしかし彼に再びの転機を齎す。

渇きという不測の事態、それを抱えるのは彼だけではなかったのだ。

同じ渇きを抱えた虚、どういう理屈か、あるいは奥底に眠った化生としての本能なのか、同じ苦しみを抱えた彼らは何故か一箇所に集まっていく。

そして集まった先ではじまるのは螺旋の晩餐。

互いに殺し合い、喰らい合い、血と肉とに別れ、或いは腹におさまる事で同化しながら彼らは次第に“ひとつ”になっていったのだ。

 

そして最後に残るのは一体の巨大な化物。

頭から黒い外套を被り、白い仮面以外何も彩るものが無いかのような巨大な虚、大虚(メノスグランデ)

それも大虚の中で最下層である最下級大虚(ギリアン)の誕生である。

 

しかしその最下級大虚は画一的な仮面ではなく、大量の眼をあしらった仮面をつけていた。

それは虚が集まって出来た大虚にあって“個”という自我を失わなかった証、百を超える虚の集合の中にあって“一”を保ち続けた者の証。

彼という自我、彼という個、彼の他者を支配し自らが上であるという強烈なまでの自尊心が、彼という“一”を存在させ続けた証だった。

 

 

渇きという逆境から彼は更なる力を持って生還した。

そして得た力は強大、彼は再び自らの力に酔いしれる。

力に酔う、というのは総じて愚かな結末を招く事となるが、その時の彼はどうやらその例から漏れる存在だった様子。

彼の“支配”は完全無欠、愚鈍な最下級大虚など恐れるに足らず、さらにその上位存在である中級大虚(アジューカス)ですら彼の敵ではなかった。

彼が誇る“眼”の威力、その一点を持って彼は逆らうものを悉く屈服させそれを糧として生きていく。

そうして糧を得つづけ、彼がその身体を覆い隠す黒い外套を脱ぐ事にそう時間はかからなかった。

 

 

黒から白へ、その色を変えた彼の身体。

黒い外套は強靭な白い外皮へと変わり、身体は小さく縮んでも霊圧は反比例するようにより強大となっていく。

仮面のみに留まっていた眼は身体全体に行き渡り、彼の視線そして人生にも死角は無いものとなった。

彼の敵は彼を害する前に彼によって支配され、その時の気分如何で終わりが決まる。

首をゆっくりと捻じ切るか、身体中の間接という間接を一つずつ外していくか、自分の内蔵を全て自分の手で引き出させるか、総じて悪趣味な死に様、殺し方を彼は嘲笑の下実行する。

それこそが支配、何人も寄せ付けない支配の姿である事を確認し、そしてそれに酔いながら。

支配とは絶対、絶対とは唯一無二、その支配力を有する自身こそは誰よりも優れ、その支配を受ける事は他者にとって誉れですらある。

そんな独りよがりで狂った持論、しかし彼にとっての真理、支配とは絶対、そしてそれを受ける事は至上の喜びですらあると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

持論、真理、自らが定めた(ことわり)の至高性。

疑う余地すらなく存在し続ける“支配”という力。

全てを平伏させるこの世で最も尊い力の名。

 

 

 

そして彼が崇拝する“支配(ソレ)”は、遂に彼の前に具現した。

 

 

 

 

「私に仕える気はあるかい?」

 

 

 

 

彼の能力をおそらくその男は知っていた。

それでも尚、男は彼の正面に立ち、彼に向かってそんな台詞を言い放ったのだ。

彼の視界に入る、それは即ち自らの自由を放棄したという事と同義なのだ、だが男にそんな気配は微塵も無い。

あるのはただ圧倒的な存在感、ただ立っているだけの男はしかしその気配だけで他を圧倒する。

薄く笑った顔も、黒縁の眼鏡の奥に見える暗すぎる瞳も、そして発する常軌を逸した霊圧も、全てその男にとってはごく自然なことでしかし他者にとっては尋常ならざるもの。

 

彼は、支配の眼を持った彼はそんないきなり現われ、自分に仕える気はあるかと彼に問う男を前にただ呆然と立ち尽くしていた。

見た目は人間、しかし霊圧から見て死神であろうその男。

死神が虚である自分を殺そうとするのではなく生かし、尚且つ自分の配下に加えようとする不思議。

異常である、そして何より傲慢であるその言葉。

“支配”を有する彼を支配しようという傲慢、それも死神という彼にとっては取るに足らない存在がだ。

彼の能力からすればその男が立っている位置はまさしく必殺の間合いの内側、もとより視界に入ってきた時点で彼の勝利は、支配は確実に成ったと言っていいのだ。

傲慢なる死神の言、不遜ともいえるその態度、支配を支配しようという理に逆らうかの如き振る舞い。

 

 

 

 

しかし、それを前にして彼は能力を持ってその死神の男を支配する事はなかった。

何故ならその男が発する気配、纏う気、視線から、表情の機微から、頭の先から指先、そして足の先に至るまでのそれら全てを合わせその男という“存在”が発するものは、彼が信じ、崇拝してやまない支配そのもの(・・・・・・)だったからだ。

 

何より彼を魅了したのはそれがその男の能力ではなく、存在であったということ。

能力という云わば技能の一つとして他者を支配するのではなく、その男はただそこに立っているというだけで彼以外の存在を支配している。

それは人という形に収まる筈がないほどの力、超自然的ともいえる存在感。

古来英雄、革命家と呼ばれる人間達が悉く有していた力、他を惹きつけてやまないがしかし、能力ではない才覚の部類に当たるもの。

王の資質(・・・・)とでも呼ぶべき力を存分に有し、そしてそれを意識して振るう事が出来るこの死神の男はただその場に立ち、ただ彼を見つめるだけ。

 

しかし彼には言葉が聞こえる。

降り注ぐように、闇空しかない虚圏にあってそれは彼に光を指したかのように注がれていた。

そこにあることが当然、そうあるべきが当然だとその男の気配は、纏う気は彼に言うのだ。

 

 

 

 

私の前に屈せ、と。

 

 

 

 

王の言葉。

彼にとってそれは天啓だった。

支配という力を他の誰よりも理解し、信じ、崇拝する彼だからこそその言葉は天啓たりえた。

彼は自身の能力とその男との差を理解したのだ。

自分の支配はただ押さえつけ、無理矢理に権利を剥奪するものと。

しかし、しかし目の前にいるその男の発する支配は彼から何一つ奪う事無く、そうあることが理だと告げる。

 

彼は膝を折り屈する事に何の疑問も感じなかった。

“格”が違う。

支配の格、存在の格、立っている場所、見ている景色、その全てが違いすぎる。

余人が求めて手に入るものでなく、しかしそれを当然と、ごく自然な事だと振るう男。

彼が求めた彼自身の理想像はその男であり、しかし今はそれを口にすることすら憚られるほど大それた事だと彼は認識していた。

 

届くはずが無いと、この男に、いやこの方に届く者など居はしないと。

支配の愉悦、しかしそれ以上にこの絶対的支配者に仕えられるという幸運。

支配されるという事に何の違和感も感じないのは、彼が支配という力を知る故に。

 

絶対の支配とは、至高の喜びであるが故に。

 

 

 

死神の男、藍染惣右介に屈した彼はそこで更なる力を得る。

 

破面化。

 

虚、大虚、それらを象徴する仮面。

それを脱ぎ捨てる事で更なる力を得る方法。

藍染惣右介はその方法を確立し、自らの軍勢を創り上げていた。

 

そして彼もまた破面化を経て力はより強大となっていく。

人の身体、脆く儚く、彼にとって愉悦の為に心と共に壊しつくしたその入れ物にその身をやつした彼。

しかし彼に後悔はない。

何故ならそれは彼の王、藍染によって為されたものであったから。

王の言葉、王の行い、それらは疑う余地など彼にとって皆無、故に後悔などは存在しないのだ。

 

破面という桁外れの力を有する化生達。

その中にあって彼は頭角を現し、上へ上へと昇っていく。

ただただ王の為に、王に仇なす者をより多く排するためには自らの力を高めるより他無いと。

そう全ては王の為、支配の具現たる王の為、王の支配を更に揺るぎ無いものにするのが自身の勤め、その為に命奪う事こそ自身の宿命と。

なにも王である藍染がそれを望んだわけでも、彼に命じたわけでもない。

しかし彼はそれが天意であると、勅命であると信じて疑わないのだ。

 

勅命、天意、天啓、そして彼に下賜されたのは『第7(セプティマ) 』の号。

下賜された数字を身体に刻み彼は自らを天意の、王意の代行者、御使いとして歩みだした。

 

 

これが彼の、第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ゾマリ・ルルーが歩んだ軌跡。

何の問題もなく、それどころか余人が羨むほど軽やかに階段を駆け上がったかのような彼の人生。

順風満帆、不利に出会おうともその悉くを乗り越え、更なる力へと換えてきた彼の人生はまさしく順調だったといえるだろう。

 

 

 

 

 

そう、順調だった(・・・)……と。

 

 

 

 

 

王の御使い、一桁の数字を賜りし者達の名を十刃(エスパーダ)

しかし彼らはゾマリとは違い、それぞれの思惑や突きつけられた支配に対し否応無く従っている部分があった。

中には藍染に対し、崇拝とまでは行かずとも敬意を払う者もあったがそれもまたゾマリとは違ったもの。

崇め奉る事こそ自分達の“王”に対し自分達が許される唯一の振る舞いと理解しているゾマリには、只の敬意ですら軽く感じられた。

 

だがそれは詮無き事。

如何にゾマリが自らの理想と信仰を説いたとて、十刃という個性の塊のような集団がそれに同調する訳も無いのだ。

故にゾマリは唯一人、王の御使いたる使命を遂行せんと動く。

王の歩む道、ただ真っ直ぐに些かも曲る事無く一直線に敷かれるべき道、その行く先、進む先の万難を排する事こそ自らの使命として。

だが彼が奉る“王”に本来、万難等と呼ぶべきもの自体が存在しない。

それがあると思う事すら不敬に当たる、そう思わせるほど王の力とは底知れず、そして強大だった。

だがそれでも、王からすれば何の障害にすらならない存在であっても、王が進む道にそれらがあることがゾマリには許しがたかった。

 

故に排する。

 

逆らう者、否を唱える者、それらを悉く排しゾマリは王の進む道を整える。

万難、いや瑣末で害にすらなりえない存在達、しかしそれら俗物が王を煩わせる事すらあってはならないと。

進む道は清廉潔白に、一点の汚れなく敷かれた絨毯、或いは万里の彼方まで続く小石一つ無い道、言うなれば覇道とも言うべき道。

自らはその露払いとして、そして尖兵として蹂躙するのみと。

 

 

しかし、そうして覇道の露払いを行うゾマリの前に“石”は現れた。

 

 

これから王が進むであろう道の真ん中に忽然と現われた小さな石、ただそこを歩くのみならば気にも留めないであろう小さな石。

しかしゾマリはそれに気がつき、どうしようもなくその石を嫌悪した。

跨げば、或いは無視すれば済む筈のそれを彼はどうしようもなく排したくなったのだ。

只の小石、それが道の真ん中にまるで鎮座しているかのようにあるという不快感、そうあることが当然、誰も自分を退かせはしないというゾマリからすればなんの根拠も無い自負がその石には溢れていた。

故にゾマリはその石を踏み潰すことに、いや、踏み潰すのではなく存在を消し去る事を決断した。

彼にとってあまりに不遜なその石を、あまりに不快なその石を。

 

 

 

力の差は歴然の筈だった。

ゾマリは今に至るまで挫折というものを知らず、歩む傍から道が開けるように順調に、そして順当に力を付けて来た。

それ故の自負、自分は確実に強いという自負、故に自分が下位の者に後れをとるなどという事は想像すら出来ない夢幻の域。

その自負に間違いは無い、現実彼は強くその能力は確かに他を圧倒し、彼に勝利を呼び込むだろう。

 

だがしかし、彼は溺れているのだ。

 

己が強力無比な能力に、“支配”を奪うという誰も逆らう事が出来ないであろう自身の能力がある故に。

行き過ぎた自負、即ちそれは溺れ酔いしれる陶酔であり傲慢でしかない。

だがそれに彼は気付かない。

何故なら酔いしれているから、溺れ、甘美なる酒の海に身を沈めるかのように酔いしれているから。

自らの傲慢とも取れる自負と高すぎる自尊心、忠誠という名を借りた身勝手に。

 

そして気が付かないからこそ他者のそれが眼に栄える。

自分以外の他者が自分と同じように酔いしれているのが無意識に眼に映るのだ。

それが彼には気に入らないのだ、他の何にも増して。

陶酔は、甘美なる美酒は自分にのみ許されるべきだという捻れた思考が、自らを絶対唯一と信じ疑わない高慢さが彼を突き動かす。

その捻れた思考の先に居たのが件の小石、フェルナンド・アルディエンデという名の彼にとっての小さな小石だった。

 

 

粛清、断罪、王命、そのどれもがその実借り物の理由。

そしてその借り物の理由で覆い隠されていたのはゾマリ・ルルーの醜い怒り。

許せない、ただ暴として力を振るう数字も持たない破面風情が、自分に出来ない事を平然とやってのけた事が。

王に対する不遜、自分が膝を屈し、それが当然の理とまで理解した相手にまるで対等に振舞う下郎。

それはフェルナンドという破面が支配されていないという証明、自分が支配された相手に支配されなかった事の証明。

そして支配を跳ね除けたという事は自分よりあの愚かしい破面が上だという事の証明(・・・・・・・・・)となってしまうと。

 

 

 

許せない、何にも増して。

 

 

 

鬱屈した思考、達観と静寂の表層からは伺えない“負”の思考。

身に渦巻くそれをしかし自覚せず、王命、断罪、御使いの使命を声高に叫ぶゾマリ。

 

そして開かれた戦端は彼が望んだものとは違いすぎていた。

 

 

勝っていた筈だった。

体躯も、霊圧も、速さも、剣技も何もかもが。

事実彼は戦いを優位に進め、圧していたと言って良かっただろう。

しかし戦いは必ず相手に、フェルナンドに傾いていく。

 

只の一撃、打ち抜かれた拳で彼の“最速”は奪われた。

許容しきれない事態だった。

自分が追い込んだと思った相手、しかしその実追い込まれ誘い込まれていたのは自分だったという現実。

認められない現実がそこにはあり、怒りのままに彼は真の姿を解放する。

 

 

真の姿、支配の眼を有する白の僧正。

見開かれた眼はゾマリに告げる、奪え、奪え、屈服させろと。

その言葉にゾマリは従い、フェルナンドの腕を奪う事で屈辱を与えんとした。

結果は成功、フェルナンドの左腕は破壊されとても動かせるはずが無い状態に追い込まれる。

ゾマリはその姿に、フェルナンドのその姿に歓喜していた。

当然だ、やはり自分は強く、支配は絶対であるとその時フェルナンドの姿は彼に物語っていたからと。

支配とは絶対、そしてその支配を有する自分が屈した藍染惣右介という王の支配はさらに究極。

その支配を跳ね除けることなど出来はしない、自分が屈した支配を跳ね除ける事など不可能、故に自分方が“上”であると。

笑う自身と俯く敵、その構図こそ彼が最も望む図式。

見下す者と見下される者の図式、勝者と敗者の図式なのだ。

 

 

だがそれをして尚、戦いはまたもフェルナンドへと傾いていった。

 

 

左腕、ゾマリが破壊したと思っていたそれをフェルナンドは攻撃に使い、尚且つ彼の右腕を打撃に絡めて折ったのだ。

ありえない戦法、少なくともゾマリには一生思いつかない方法、壊れた左腕を使うという常軌を逸したフェルナンドの攻撃によってゾマリはまたしても傷を負ってしまう。

混乱と困惑の中ゾマリはそのありえない出来事を必死で否定していた。

自分が傷を負う、それも解放した姿で、だ。

ありえない、解放前と解放後では傷を負うという意味合いの重さが違いすぎると。

ありえない、ありえない、ありえない、内心でその事実を否定するゾマリ、しかし彼の打ち抜かれた顎と折れた右腕はその痛みが現実である事を必死で彼に伝えている。

 

 

「温いんだよ、テメェは……」

 

 

そんなゾマリに叩きつけられたのは痛烈な言葉だった。

温いと、自らの快楽の為に相手への攻撃を中途半端に止めたお前は“温い”と、路傍の石、フェルナンドは言い放った。

ふざけた物言い、そして何処までも自分を見下したかのような物言い。

自分に向かってそんな物言いは許されない、自分は支配者だと、“王”である藍染惣右介に支配という能力を持つが故に最も近い(・・・・)存在だと。

お前は“下”だ、何処までも、地の底より尚暗く深い深淵に立ち、自身は“天”に最も近い存在だと。

我慢の限界。

最早容赦など無い、見開いた五十の眼、その全てを持って貴様を支配し、貴様自身の力で持って貴様という存在を引き千切るとゾマリは決定する。

容赦など無く、ただ全力で。

 

そしてこの時が、初めてゾマリ・ルルーが何の驕りも侮りも無くフェルナンド・アルディエンデという存在を見た瞬間。

愚かなる獣と御使いではなく、ただ“敵”として認識した瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だがそれは、些か遅きに失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の眼に映ったのは炎の柱だった。

紅く、ただ紅く燃え盛るその柱は何処か神々しくさえあり、しかしゾマリはそれを全力で否定していた。

そう、その燃え盛る炎の柱は彼の敵なのだ。

フェルナンド・アルディエンデの刀剣解放、帰刃(レスレクシオン)

燃え盛るのは長く伸びた金の髪と袴。

鍛え上げられた上半身は顕となり、その力強さはそれだけで他を圧倒する。

瞳は爛々と輝きただ戦いに胸躍らせるかのように、ニィと持ち上げられた口角、嗤っている、獰猛に歯を覗かせて。

 

霊圧も何もかもが紅く、そしてその紅は全てを燃やし尽くすように。

離れた位置にも肌を焼くような熱風を生じさせ、しかしそんなものはただの余波に過ぎず何の攻撃ですらないのだろう。

視線の先で拳を叩き合わせ、叫ぶフェルナンドを睨むゾマリ。

両の拳を叩き合わせるという事は、解放による超回復によって彼の左腕は回復したという事なのだろう。

いや元々壊れた左腕でも何の躊躇いも無く使う手合、治った治っていないなどというのは瑣末な問題か。

そう瑣末、相手が回復したかどうかなどという事は瑣末な事だ。

ゾマリがするべきことはただ一つ、敵を屠る事一つ。

その磨き上げた究極の一をもって、支配という名の絶対をもって殺す事のみ。

 

 

 

 

 

そしてゾマリの身体中の眼は暗く光り、時は“今”へと追いついた。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「解放したからどうしたというのです!!そんなもの私の前では無意味!私の『(アモール)』を受けなさい!!」

 

 

 

 

 

 

叫びと共に放たれるのは愛という名の烙印。

支配者の刻印であり押し付けの愛。

ゾマリ・ルルーの身体に無数存在する“眼”、その数五十あまりのほぼ半数から放たれる暗い光は叫び声と共にどれ一つ他所を向く事無く、中空に立つフェルナンドに向かい疾走し、そして直撃した(・・・・)

 

 

「ハァ、ハァ、はぁ、はっ…… はは、ははは…… ふはハははははははははは!!!無意味! 解放すら私の“愛”の前では無意味!やはり支配とは絶対にして孤高!お前のような者が私に勝てるはずが、私の上の筈があるものか!そして最早私に油断はない!即刻その五体、引き千切ってくれる!!」

 

 

命中したのは絶対の支配。

相手の支配権を奪うという誰も抗えない力の烙印。

それをしてゾマリは己が勝利を叫んだ。

当然だろう、最早敵に逆転の目などなく、後は自分が敵の身体を敵自身の力で引き裂き、千切れば事は終わるのだから。

完全勝利、油断らしい油断をした覚えはゾマリには無いが受けた傷と痛み、しかしそれでも勝利に変わりはない。

故に叫ぶ、故に笑う、その勝利を。

 

束の間の(・・・・)勝利を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と愉しそうだな。 えぇ? 十刃サンよぉ…… 」

 

 

 

 

 

 

 

声は彼の視線の先から、身体中、それこそ隙間無く頭の先から足の先までを刻印に埋められた男から。

今や炎の化身となったフェルナンド・アルディエンデから放たれていた。

 

 

「馬鹿……な…… 」

 

 

ゾマリから零れた驚愕は今の彼にある唯一の感情。

ただ刻印を受けただけではない、フェルナンドはその頭部にも(・・・・)確実に刻印を受けているのだ。

それはゾマリからすれば完全勝利の場所。

ゾマリの能力『愛』は刻印を刻んだ部位の支配権を剥奪し、己がものとする能力。

だがそれにはひとつ例外がある。

それが頭部、意思の集合たる脳があるこの場所に刻印を穿つ事が出来れば、彼は無条件で敵の身体全体を支配できるのだ。

 

 

「ありえない…… ありえない、ありえないありえないぃぃ!!貴様何故意識がある!何故そうも平然としている!何故私の支配が効いていない(・・・・・・)!!」

 

 

そう、勝利の光景を眼にしたあまりゾマリは失念していた。

自らの愛、自らの支配がフェルナンドに有効となっているかを確かめる事を。

そして顕現した不可解はゾマリからある意味で完全に余裕を奪い去っていた。

そうなのだ、フェルナンドの意識があることでわかるようにゾマリの支配は彼に効いていない。

身体に刻印を穿たれたというのに、無数の刻印を刻まれたというのに、だ。

 

 

「答えろォォォ!! フェルナンド・アルディエンデェェェェエエ!!」

 

 

怨嗟がそのまま物質化してしまいそうなほど濃い叫び。

支配という彼の絶対を崩されそうになったゾマリはただ恨みを込め叫んだ。

 

 

「そう叫ぶなよ…… 簡単な事じゃねぇか。テメェの攻撃は、俺に届いてねぇ(・・・・・)んだよ」

 

 

ごく自然に、首を軽く筋を伸ばすように傾げながらフェルナンドは応えた。

届いていない、ゾマリの問にそう答えたフェルナンド。

的を射ているようでそうでないような答え、しかしその答えは次の瞬間白日のものとなった。

 

 

何処がはじめかはおそらく誰も判らないだろう。

ゾマリとてそれは判らず、それよりも目の前で起こった信じられない光景にただ驚きを隠せずに居る。

黒い点に八枚の葉を放射状にあしらった様なゾマリの刻印、フェルナンドの身体に刻まれているであろうその刻印がどれともなしに燃え上がった(・・・・・・)のだ。

端から燃え上がるようにその姿を消していく刻印達、フェルナンドはごく自然に、何か特別な動作をするでもなくただ立っているだけ。

それでも刻印は燃え上がり続け、そしてその姿を完全に消すのにさほど時間は要さなかった。

 

 

「そんな…… 馬鹿、な…… 」

 

 

 

愕然とした呟きは何処までも彼の内面を表していた。

消える。

自分の刻印が、力の刻印が、支配の刻印が。

それも消え去ったのではなく消し去られた(・・・・・・)のだ、たった一体の破面によって。

どのような原理原則を用いたのかは判らない、しかし事実として彼の眼に映るのはただ轟々と燃え盛る炎髪の男。

 

ギリッと奥歯を噛締め砕いてしまいそうな音が鳴る。

ゾマリ・ルルーにとって何よりもありえない事態、そしてありえてはならない事態。

それは支配の敗北(・・・・・)に他ならない。

『愛』という名の支配、それを今、彼は目の前で覆されたのだ。

支配を尊び崇拝する彼、そんな彼がその光景を許せるはずもなく。

 

 

 

「ウォォォォオオオォオオォォオオ!! 受けろ!受けろ受けろ受けろ受けろ受けろ受けろウケロォォォォオ!!私の『(支配)』をぉぉぉおおぉお!!!」

 

 

 

ゾマリの身体に残る全ての目が暗く光り力を発する。

支配の力、何者も抗えないはずの強大で、不可侵で、そして圧倒的で絶対の力。

冷静な姿などそこには無く、額に汗をながし目を見開き、口を大きく開けて叫びを上げるゾマリ。

達観の僧の姿はそこには最早無く、ただただ認められないものを認めたくないという子供のような否定の感情だけを浮かべるのみ。

 

 

 

 

 

「それで? 気は済んだかよ 」

 

 

 

 

 

それでも、ただ認めたくないという感情だけの支配は届く事は無かった。

ゾマリの狂気にも似た叫びと共に放た『愛』、しかしフェルナンドは平然と佇む。

それもその筈だ、何故ならゾマリの刻印は今度はフェルナンドの身体に到達する前、瞬時に燃え尽きてしまったのだから。

 

 

最早ゾマリは呆然と、ただ呆然と立ち尽くすのみ。

支配は、たった今崩れ去った。

たった一体の破面に、その全ては瓦解させられたのだ。

 

「何故だ…… どうして…… どうして支配できないッ!」

 

 

理解不能の現象、瞳は戸惑いに揺れ、同じく震える両の掌を見つめるようにして俯くゾマリ。

信仰の崩壊は個の消失、依って立つ地の崩壊は根幹を薙ぎ倒す。

揺れ惑うゾマリ、最早回復の兆しすらおぼろげな彼に声は降る。

 

 

「言っただろうが、届いてねぇってよ。虚閃でも何でもねぇテメェの霊圧なんざ、俺の霊圧が焼き尽くしちまっただけの話だ。どうにも俺の霊圧はこういう類には(・・・・・・・)強いらしい…… 俺の肌に届く前に止まって燃えちまいやがった」

 

 

そう、それは支配するしないではなく、その段階にすら至っていないという事。

フェルナンドの放つ紅い炎の如き霊圧、それを前に攻勢能力の欠片もないゾマリの『愛』はあまりに脆弱だったのだ。

もの皆焼き尽くす炎、それを思わせるフェルナンドの霊圧、それは物質に留まらず霊圧すら焼き尽くしていた。

ゾマリの霊圧、『愛』は彼に届く前に彼の霊圧という炎に焼き尽くされ、彼に届く頃にはその力を失っていたのだ。

フェルナンド自身も己の炎、その特異性は把握していなかったような口ぶりだがしかし、この炎の特異性はゾマリにとってあまりに致命的といえるだろう。

 

 

「さて、もういいだろ? テメェの番はこれで終わり…… 次は俺の番(・・・)でいいよなぁ!!」

 

 

叫び、そしてフェルナンドは僅かな炎の残滓を残しその場から消えた。

ゾマリの忘我など関係ない、それは全てゾマリの事情でありフェルナンドにとっては汲み取る必要が無い事柄。

消えたフェルナンドに次いで動いたのはゾマリ、いや、正確には彼の意思で動いたのではなく彼の意思とは別に身体がその場から吹き飛ばされたのだ。

脇腹からくの字に曲り、宙へと吹き飛ばされるゾマリ。

その顔は再び驚愕の極地へ、瞬きにも満たない間に彼の間合いは潰され、そこは既に彼の敵の間合いへと塗り替えられる。

脇腹へと打ち込まれた一撃はミシミシと音を立てるかのように容易くめり込み、見る者にまるで突き抜けた衝撃が見えるかの如き凄まじさを感じさせた。

防御も何も無く吹き飛ばされるゾマリ、脇腹に奔るのは激痛という言葉すら生ぬるい強烈な痛み、殴られたというより突き刺さったかのような拳の一撃。

脇腹から反対まで拳が貫通しなかったのは一重に彼の十刃としての性能であり僥倖、生きているというただそれだけで僥倖だと思えるほど、その一撃は圧倒的だった。

 

だが彼への攻撃は止まらない。

宙へと吹き飛ばされたゾマリにかかる影、そして彼がその影を視認するより速く奔る再びの衝撃。

肩に一撃、叩き下ろされたのはおそらく踵落とし、それをもって宙へと吹き飛ばされたゾマリの身体は砂漠に叩き落される。

 

 

「ゴファ! 」

 

 

声というよりは音、叩きつけられた衝撃で肺から押し出された空気が彼の喉を鳴らす。

仰向けに叩きつけられたゾマリは、眼は開いているが痛みで思考は追いつかず、ただ浅い息を繰り返すのみ。

だが一瞬の休息すら彼の敵は許してはくれない。

ゾマリの視界を覆う砂煙から現われたのは足。

上空から充分な加速をつけて叩き下ろされるその蹴りは、足の裏で踏み潰すのではなく足を寝かせ外側を刃に見立てた足刀、それがゾマリの首を的確に狙い打ち、そして断ち切らんとする。

 

“死”

 

迫る足刀からゾマリに明確な自身の死が見える。

今までありえなかった死の光景、それも自分の死の光景が。

そして死を前にしてとる行動など一つ、抗う事。

痛みにさいなまれ、死を目の前にしながらも彼とて十刃、そして最速の十刃。

残る力を振り絞った響転(ソニード)でその死の光景、それを招く敵の攻撃から間一髪で離脱し大きく距離をとった。

 

 

その行動、感じた感情の名に蓋をして。

 

 

 

「ハッ! 意外と臆病な反応だな、十刃サンよぉ」

 

 

ゾマリが距離をとった砂煙、その中から現われた炎の男はゾマリにそう呟いた。

いつか自分が口にした台詞が帰ってくる、ゾマリにとって苦く屈辱的な瞬間だっただろうが今の彼はそれどころではない。

激痛と疲労、受けたのは都合二発、だがそれだけで彼の体力は根こそぎ持っていかれた。

打撃の痛み、骨が折れているだろう痛み、そして何より腹と肩を刺し抉るように苛む“熱傷”が彼の息を荒くする。

 

 

(馬鹿なッ! 私がまったく眼で追えていないだと!?ヤツの位置が判るのは攻撃を喰らった後だけ、それも反撃どころではない強力なそれの後だけだ!そしてこの傷っ!肉を抉り骨を砕き、なにより触れただけで此方の鋼皮が焼け爛れるなどありえないではないか!)

 

 

声を発する事などできない、しかし思考は高速で回転ししかし答えらしい答えも無くただ否定の感情だけが加速していく。

ありえない、今日何度目かもわからない否定の言葉、それが駆け巡るゾマリの内側。

速さ、強さ、攻撃の威力、その何もかもが桁を外れている。

下位、それも数字すら持たない者の力を逸脱していると。

認められない、自分は今追い込まれている、しかしそれは認められないとゾマリは否定だけを繰り返し続けていた。

 

 

「最後の蹴りを避けたのは流石、だな。 意地か矜持か…… それとも別か、まぁそんなもんどれでも同じだ。重要なのはアンタも俺も、まだまだ(・・・・)って事だろう……?」

 

 

なんとしても否定せんと思考を繰り返すゾマリに聞こえたのはそんなフェルナンドの声。

己の一撃をからくも避わしたゾマリを讃えながらも、ニィと釣り上がった口角と轟々と燃える霊圧はフェルナンドの昂ぶりをよく顕している。

 

 

「ハァ、ハァ…… まだまだ……だと? 」

 

「あぁまだまだ、だ。 腕が折れようと顎に罅が入ろうと、そんなもんはまだまだ…… アンタだってそう思うだろう? 」

 

 

フェルナンドの言葉にただそれをオウム返しで答えるゾマリ。

だがそれは彼なりの考えあっての事、今彼に最も必要なものは休息、一瞬でも長い休息が必要なのだ。

受けたダメージは重大、どれも容易に回復出来るものではなくこの戦闘中の全快などまず考えられない。

だがそれでも、僅かでもこの重大重篤な状況を打開しなければゾマリに先は無い。

故の休息、彼にとってフェルナンドの言葉を聞くことに本来意味は無い、“まだまだ”という言葉にも特に疑問がある訳でもない。

 

必要なのは時間、言葉を交わすことではなく時間を稼ぐ事、ゾマリにあったのはそんな考え。

だからこそ続くフェルナンドの言葉は彼に予想できない。

いや彼がここまで傷を負っていなくとも、彼とフェルナンドの立場が逆になろうとも、彼からは一生そんな言葉は出ないだろう。

 

 

そしてフェルナンドは、それがさも当然だといった風にその言葉を口にした。

 

 

 

 

 

「その程度の傷ならまだまだ軽症(・・・・・・)だ。それにまだまだ足りねぇ(・・・・・・・・)だろ?戦いは! 喧嘩は! まだまだ此処から(・・・・・・・・)だろうがよ!俺もアンタも! まだまだもっと(・・・・・・・)派手な喧嘩が出来るってもんだろうがよ!」

 

 

 

 

 

この破面は一体何を言っているのか、ゾマリには理解できなかった。

時間稼ぎの心算で聞いた言葉、それが指していたのはゾマリ自身の状況。

軽症、フェルナンドはゾマリに対しそう言い放っていたのだ。

誰が見ても明らかな重傷を負った相手に、戦う事など困難であろう相手に平然と嬉々として。

 

お前も当然まだまだ足りないだろうと、その程度の傷はまだまだ軽傷だろうと、そしてまだもっと自分と戦えるだろう?と。

 

逸している、明らかに。

普通ではない、明らかに。

おそらくは狂っているのだと、ゾマリははじめて理解した。

この破面は狂っている、自分とは思考の根本が完全に違うと。

この身体の何処が軽症か、このどこがまだまだ戦えると言うのかと、これ以上何を望むのかと。

フェルナンドならば例え今のゾマリと同じ傷を負っていたとしても間髪置かず立ち上がり、相手へと挑みかかっただろう。

嬉々として、ニィと牙を剥く様に笑いながら。

 

だがゾマリは違う、いや大半の破面は違う。

この状況に嬉々と喜ぶ事など出来る訳が無く、それ以上にこの先の戦闘に胸躍らせることなどありえない。

狂った破面を前にゾマリはそれでも、王の御使いとしての矜持だけで思考する。

“支配”が、『愛』が効くのならばまだ状況を打破する手はあった、だがこの敵にはそれは効かないと。

ではどうすればいい、退く事はできない、ではどうすればいいと。

 

 

そして彼は思い至る。

いや思い至ってしまった(・・・・・・・)

自分には既にもう何も残っていない(・・・・・・・・)という事に。

彼という大地、彼という天、彼という世界の根幹を支えていた“支配”という名の柱。

だがしかし、それはフェルナンドの前に既に瓦解し、崩壊した。

では、支配の柱が崩壊した彼の世界には、一体何が残るだろうか?

 

 

そう、何も無い。

 

 

何一つ無い、彼という存在を支えるのはたった一本の柱だけだったのだから。

それが崩れ去った今、彼には何も残っていなかった。

支配からなる愉悦も、恍惚も、陶酔も何もかも、支配を失った彼には最早届かぬ幻想に過ぎない。

 

瓦解の音が響く。

彼という存在が崩れる音、自己価値の崩壊音。

存在価値の消失であり、至高の王に最も近かった自身が無価値へと落ちていく感覚。

ゾマリを襲う圧倒的な恐怖。

 

なんと薄い、なんと薄い事か。

たった一つを失うだけでこうも薄い背中へと成り果てたゾマリ。

何一つ背負う事無く、背負う事を放棄し愉悦の海に浸り溺れ続けたツケは今、彼に訪れた。

皆それぞれがそれぞれの信念を背負い生きている。

それは彼も同じ事、だが彼の信念は他者を害し愉悦に溺れる事、なんと薄く、なんと軽く、そしてなんとおぞましいく浅ましい事か。

故に瓦解は訪れたのだ、それも彼が小石と、路傍の石と決め付けた炎の化身によって。

 

 

 

 

 

「認められるものか………… 認められるものかぁぁぁあああ!!!私は絶対者だ! 私は支配者だ! 誰もが私に平伏し誰もが私に逆らえない!こんな!こんな事が! こんな姿が認められてたまるものかぁぁぁあぁアア!!!」

 

 

 

 

 

だがゾマリにそれを認められるはずも無い。

ただ支配だけも盲信し、支配を有する自分こそ最も尊いとすら考えた彼。

その彼が自分の失態、支配の瓦解など認めるわけが無い。

 

ゾマリの身体中の目から黄色の霊圧が放たれ彼の前でぶつかると、フェルナンドへ向け放たれる。

それは紛れも無い攻勢の霊圧、虚閃、彼に残された唯一の攻撃手段。

それこそ身体に残る全てを込めた虚閃は禍々しい光となってフェルナンドへと迫る。

虚閃、禍々しくも光るそれは意地の光りであり何より怨嗟の光り、認められないというゾマリの意地が、全てを台無しにした者への怨念が乗り移ったかのような虚閃は、常軌を逸した威力となってフェルナンドへと猛進していく。

 

 

対するフェルナンドは迫り来るそれを見てただ嗤っていた。

獰猛な笑みは、それだけで彼の血が熱くなっている事を如実に語る。

彼が待っていたのはこういう戦い、断罪だ、粛清だなどという言葉遊びなど彼には何の意味も無い。

戦いに過分な意味を求めてはいけない。

 

意味なき戦いは愚かだが、意味で飾り立てた戦いは愚味に過ぎる。

戦う事の理由など単純でいい、そして単純だからこそ、一つの方向にしか向いていないからこそ力は集約され増し高まるのだから。

 

 

「いいじゃねぇか!! これこそが戦いだろうが!これを超えていくからこそ意味があるんだろうがよ!派手な喧嘩だ!こいつは喧嘩だ! 喧嘩なんだよぉォォオオ!!」

 

 

叫びフェルナンドは右足を退く。

充分な貯めを右足におき、そして右腕を引き絞りながら拳を硬く握り締める。

左手は開いて前へ、迫り来る黄色の虚閃へと向けられた。

握り締めた拳には次第彼の霊圧が収束し、燃え盛るように紅く紅く輝く。

そう、今彼の腕は燃えていた。

それは比喩ではなく彼の腕は人間の形を保ちながら、しかし今炎の腕へとその姿を変えていたのだ。

燃え盛る彼の腕、炎となっても力強く握られた拳ははっきりと判り、その拳に乗るのは必殺の意。

今や肩から肩甲骨にかけてまでが炎となったフェルナンド、炎髪は激しく燃え上がり、肩から背に掛けての炎もそれに負けじと燃え吹き上がる。

 

眼前へと迫った虚閃を前にフェルナンドの準備は整っていた。

迎撃、そして反撃であり猛撃の拳。

既に限界まで引き絞られた炎の腕はただ解放のときを待つだけ。

迫る虚閃は禍々しさを増しながら、遂にフェルナンドを飲み込まんと牙をむいた。

 

今まさに伸ばした左腕に虚閃が触れるその瞬間、迎撃としてはあまりに遅いだろうその拍子、しかしフェルナンドの顔にはただ獰猛な笑みだけが。

嬉々とした笑みだけが浮かび、そして右手を封じる意思の枷は解き放たれ、彼の拳は解放される。

 

振り遅れているはずの右の拳、しかしその拳は圧倒的な拳速で突き出された。

だがその拳は最早拳ではなく、炎に拳の意を乗せたそれは黄色の虚閃が彼の左手に触れるより先に虚閃に着弾し、瞬間、紅く力強い波濤となって黄色の虚閃ごとその撃ち手であるゾマリ・ルルーの身体を飲み込んだ。

 

彼の者の断末魔の如き叫びと共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情を棄てよ

 

理を排せ

 

心を閉ざし

 

全てを封じ

 

 

禍招く

 

“獣”とならん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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