BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.47

 

 

 

 

 

吹き飛ばされる浅黒の大男。

吹き飛ばしたのは金色の髪の青年。

何が起こったのか、何故そうなったのか、それはある意味瑣末なことなのかもしれない。

 

重要なのは結末。

闘技場の砂漠を囲むようにしてそれを見る者達の目に映った光景。

その光景を見た者は一様にこう言うだろう。

 

 

十刃を番号無しが一撃で吹き飛ばした、と。

 

 

 

拳を振りぬいた体勢でいたフェルナンドが残心を終え姿勢を戻す。

その左肩には彼が吹き飛ばした男の斬魄刀がしっかりと食い込んでいたが、彼にそれを気にする様子はなかった。

確かにフェルナンドの肩はその刃によって斬られはしていたが、傷はそれ程深い訳ではなく精々一寸程度、人であれば判らないが生憎彼等は人でなしの破面(アランカル)だ、それだけでそう簡単に死にはしないだろう。

 

対してもう一人の男、浅黒の大男ゾマリ・ルルーは混乱の極地にいた。

何が自分の身に起きたのか彼には判らなかった、かろうじて判るのはあの時フェルナンドが自分の脇腹に添えるようにして出した右の拳、アレが原因だということだけ。

ゾマリにとってそれだけは確定だった。

なにせ吹き飛ばされ、砂漠に膝を着く屈辱を味わい口から血を吐き出しながら触った自分の脇腹には、信じられない事に拳大の陥没(・・・・・)が刻まれていたのだから。

猛烈な痛み、鋼皮(イエロ)の守りなど役に立たないという程の衝撃は、彼の内と外を一撃で破壊していた。

 

 

「ギザ、マ…… 私……に、一体、なにを……しだっ!」

 

 

ゾマリのその形相は、既に無表情とは懸離れたものだった。

相手を見下ろすようなそれではなく、困惑、屈辱と怒り、そして激痛に歪む苦悶が入り混じった様な、そんな顔でフェルナンドを睨みつける彼。

額からは一気に脂汗が噴出し、呼吸は浅く整うことは無い。

そこに浮かぶのは明らかなダメージ。

たった一撃、拳一つ分にも満たない隙間から放たれた一撃、しかしその絶大な力の一撃によってゾマリは今、砂漠に膝を付いているのだ。

 

 

「別に? 何も特別な事はしちゃいねぇよ。 ただ、力一杯殴っただけだ」

 

 

荒れ狂う感情とそれを上回るかのような痛みを抱えたゾマリの問に対し、フェルナンドは何を包み隠すでもなく答える。

それはそうだろう、何をした、と問われれば彼の持つ答えは一つ、“殴った”という単純なもの以外ない。

フェルナンドに他の解など無いのだ、ただ付け加えるならばそれが彼の言ったとおり“力一杯”だった、という事以外。

 

先程放ったフェルナンドの一撃、それは突き詰めれば本当に彼の言ったとおり力一杯殴りつけた拳。

だがその力一杯が曲者、拳をほぼ相手に密着させた状態からというのは如何に腕力の強い者でも、そう威力のある拳打など出来ない。

体勢的不利はそのまま威力の減衰に直結し、結果悪足掻き程度の攻撃にしかならないのだ。

 

だが、フェルナンドがそんな攻撃を良しとする訳がない。

 

超密着状態、誰もが有効打を持たない間合いだからこそフェルナンドは磨く、拳の届く範囲で自分に死角などあってはならないと。

腕だけでは駄目、体の捻りを加えてもまだ弱い、ならばどうする、どうすればいいという試行錯誤。

そしてその膨大な試行錯誤の後に生まれたのが先の一撃。

現世で言うところの寸頸と呼ばれる拳打に酷似した一撃は全身の力を、それこそ腕から上半身、胴とそれを支える下半身、更にそれらを覆う大量の筋肉が産む莫大な力とその基盤たる骨の強度、そして生まれた莫大な力を円滑に伝える全身の間接、それらに体内を駆け巡る霊力という名の奔流を合わせ、何よりその動作の膨大な反復。

 

全てが連動し、収束し、昇華した巨大な力、それが相手に密着したフェルナンドの拳から放たれた“力”の真実。

その先にあるのは死、よくて骨と内臓の著しい損傷。

先ず初見で避けられるはずもなく、こうしてゾマリが生きているのは一重に彼が十刃まで上り詰めた実力者ゆえだろう。

 

 

「ふざげるな!! ゴホッ! ……た、ただ殴っただけだと?それだけの事でこの…… この私が膝をッ…… キザマ程度を相手に、膝を付ぐものか!」

 

当然ではあるがゾマリがそれを認められるはずも無い。

彼の自尊心、それも絶対的王である藍染の御使いを自称する彼の自尊心が、ただ殴られたというだけで膝を付いた事を認められるはずも無いのだ。

何かある、そうに決まっている、そうでなければ、そうでなければ自分より格下であるフェルナンドが自分に膝を付かせる事など出来る筈がないと。

疑いというよりも彼の中では確信に近い感情が否定するのだ。

それが只の打撃だ、という事実を。

 

 

「アンタがどう考えようと、俺には関係ねぇんだが……な。まぁ、何にしろ賭けに勝ったのが俺だった、ってだけの話さ」

 

「賭け……だと……!? そうか! やはりぞうか!そうでなければおかしい! ゴホッ、所詮、運に任せた、攻撃!そうでなければ“最速”たる私が、キサマの攻撃を受けるなどありえる筈がない!」

 

 

フェルナンドが零した呟き、それに対し声を大にして叫ぶゾマリ。

賭けという運の要素が絡む攻撃、それが全てだと。

その運任せの攻撃、どちらに転ぶかもわからない攻撃が偶々自分を捉えたに過ぎないと、ゾマリはフェルナンドの言葉から確信していた。

自分が誤っている、という思考が存在しないが為に。

 

 

「……確かに“運”だったさ。 アンタが俺の背後を(・・・・・)とるかどうかは……な。まぁ歩が悪い賭けじゃなかった。 十中八九当たる、アンタは絶対背後に来るってのはな」

 

「ふざけた事を…… アナタ程度が私の行動を予測した……と?」

 

「あぁ。 アンタははじめっから正面から攻撃して来なかった。 “決め”は大抵後ろをとろうとする。 大方俺に屈辱を、とでも思ってたんだろう?だから賭けた…… 足を止めればアンタは必ず背後に来る。はじめは違っても俺の首を獲る時は必ず来る、ってなぁ 」

 

 

フェルナンドの賭け、それはゾマリが来るかどうかという賭け。

しかしその賭けは決して歩の悪いものではないと、彼は確信を持ていた。

最後の一撃、その瞬間に至るまでの全ての攻防、その全てでゾマリは必ずといっていいほど背後を、フェルナンドの背後を取ろうとしていた。

動き回る事で確かに攻撃を避ける事は出来る、しかし自分の攻撃は悉く避けられ、当たったとしても分裂体のみ。

その状況を打破するため、フェルナンドは賭けたのだ、足を止めた自分の背後にゾマリは来る、ということに。

 

今までほぼ全て背後を取りに来ていたゾマリ。

だが足を止めたその時、再び其処に来るとは限らない。

別から来れば背後に気を張っている自分は、避けられる保障はないと。

だがだからこそそれに賭ける価値はあった、このまま攻撃を避け続けて何になるのか、それが戦いと呼べるのか、自身になんの危険も背負わずに勝利など獲られるはずが無い。

危機を乗り越えた先に勝利があるというのなら、フェルナンドは寸毫も迷う事は無いのだ。

 

 

そして彼は掴んだ、一撃を、回生の一撃を穿つ機会を。

 

 

「認めないッ…… 認められるものか! 私がアナタ程度に見透かされたなどという事、認められるはずが無い!」

 

 

なんと滑稽な事か、ゾマリからすればそう思えてくる現状。

確かにフェルナンドの言ったとおりだった、この破面に最大の屈辱を与えるにはどうするべきか、それを考えたときゾマリが思い至った答えはまさしくそれ。

戦士、自らをそう自覚するものにとって最大の屈辱、背後を取られ死す事。

 

最も大きな死角であり、それ故に戦士たるもの常に気を張り獲られることを許さぬ背後。

その背後を取りどうしようもない実力差を判らせ、いや、背後を取られたことすら気付かないという最大の屈辱に沈め、後悔の海に沈める事。

それがゾマリの考えた屈辱的な死と、最上の勝利の姿。

 

だがフェルナンドはその考えを見透かし、敢えて踏み込ませ利用したというのだ。

ゾマリにそれを認められるはずが無い、格下であるフェルナンドに言うなれば操られたという現実。

“支配”を知る彼からすれば、フェルナンドに自身を支配されたのとそれは同義であり、これ以上ないほどの屈辱なのだ。

 

 

「知るかよ。 アンタが認める認めないなんてもんは……な。コッチだって無傷って訳じゃ無ぇ。 見ろよ、アンタの刀がいい具合にめり込んで、やがる…… クッ!っと 」

 

 

叫ぶゾマリに対し、フェルナンドは知った事かとそれをバッサリと斬り捨ててしまった。

確かにそうなのかもしれない。

認めるも認めないも、そんなものは個人の了見の中の話でしかなく、それを押し付けたところで押し付けられた方からすれば関係ないのだ。

そんなゾマリの叫びなど何処吹く風、といった風でフェルナンドは自分の左肩に食い込むゾマリの斬魄刀に手をかける。

今の今まで刀が肩に刺さったままだったというのがおかしな話ではあるが、フェルナンドの放った脇腹への一撃、その威力に思わずそれを放してしまったゾマリ。

そうして刀を肩から外す様子をゾマリは苦々しくも見つけている。

 

斬魄刀とは死神、そして破面に共通する全ての鍵といっていい。

死神はその霊力を押し固め刃とし、その手に持った己が内にいる斬魄刀本体の名を呼ぶことで更なる力を発揮し、戦う。

破面とて同じ、虚としての力の核を封じ刃と成したそれ、その名を呼ぶことで彼等は真の姿と力を解放するのだ。

その斬魄刀が己が手の内にない、というのは彼等にとって翼をもがれたに等しく、そのまま戦闘を行えば結果など見えている。

 

ゾマリの不覚、それはフェルナンドの攻撃をその驕りによって受けたことも然ることながら、その手から斬魄刀を手放してしまった事。

そしてその斬魄刀を敵が所持している、ということに他ならない。

現状を見ればこの勝負は決したといっていいだろう。

ゾマリが受けたダメージはあまりに大きすぎる、肋骨の多くは砕け、内臓にも深刻なダメージを追っている可能性があり、そんな状態、十全でない状態では如何に十刃最速と謳われようと、その十全の速さを発揮する事などできないのだ。

 

 

たった一撃、フェルナンドはたった一撃でゾマリの十刃最速の足を奪った、その一撃はどちらにとっても重い一撃となったのだ。

 

 

どうしようもない状況。

ゾマリにとってはある意味絶体絶命といえる状況。

どうやってそれを打破するか、多少回復したのか脇腹を押さえながらも立ち上がったゾマリ、そのゾマリに鈍色の流星が奔る。

流星はゾマリの目の前の砂漠へと一直線に奔り、そして突き刺さった。

 

 

「……これは、一体、何の心算です 」

 

「何の心算もねぇよ。 抜け、アンタの刀(・・・・・)だ」

 

 

ゾマリの正面、その砂漠に突き刺さった鈍色の流星、それは刀だった。

そう刀だ、斬魄刀、丁寧にも一振りされ血が飛ばされた第7十刃ゾマリ・ルルーの斬魄刀がそこには突き刺さっていた。

突き刺さった刀を見たゾマリは困惑の声でその理由をフェルナンドに問う、一体何の心算だと。

だがフェルナンドは答えない、というか答えるべき解がないといった風ですらある。

そう、フェルナンドに他意はない。

他意はないのだ、その言葉が全て、自分の肉を半ば切裂き止っていた刀、それをただ持ち主に返したというそれだけの事。

言葉通り、それはお前の刀だから返した、だから抜け、と言い放ったのだ。

それがどれ程ゾマリの神経を逆撫でる行為かも気にする事無く。

 

 

「……私は、私は今までこれ以上の屈辱を知りません…… フェルナンド・アルディエンデ、愚かなる獣よ。不遜なる態度、藍染様への度重なる不忠、そして…… そしてその傲慢が過ぎる驕りッ! 許し難い!! 何にも増して!!」

 

 

そう、フェルナンドに他意はない、だがそれがない故にその行いはあまりにも残酷だった。

ゾマリの顔には苦悶も屈辱もなくなりただ怒りだけが、激怒の表情だけがありありと浮かぶ。

屈辱、その行動はあまりにもゾマリにとって屈辱的。

自分の圧倒的有利を呆気なく手放すフェルナンドの行動、そしてその行動はゾマリに確信させる。

その斬魄刀(圧倒的有利)を返そうとも、この破面は自分に勝つ気でいるという事を。

許し難い傲慢、度が過ぎる驕り、どこまでも不遜なその態度、その全てがゾマリの癇に障り逆鱗を掻き毟る。

王である藍染への忠義と崇拝が彼の全て、その王を穢し尚且つ自分自身をも軽んじるこの破面を、ゾマリは今、猛烈に殺したかった。

 

 

「それで結構! 漸く喧嘩らしくなって来たじゃねぇか!お題目なんか要らねぇぇ! 気に入らないだから倒す!戦いにこれ以上の理由は余分なだけなんだよ!」

 

「黙りなさい! 例え怒りに染まったとて、アナタのような獣と同じ考えを私は抱かない!この刀…… 私に返した事を後悔して死になさい! 鎮まれ!『呪眼僧伽(ブルヘリア)』!!」

 

 

高まったゾマリの怒りに、フェルナンドははじめて叫んだ。

そう、彼が待ち望んだのはそういった反応。

フェルナンドが望んだのは只の喧嘩なのだ、制裁、誅殺、断罪などといった御託の類、大義名分に頼った戦いなど彼は一切望んでいない。

あるのは個と個の戦い、何も介在するもののないただ戦うことだけを目的とした戦いなのだ。

 

そんなフェルナンドの叫びにすらゾマリは異を唱える。

たとえ怒りに染まり、目の前のフェルナンドに憎しみを持って挑もうともそれが喧嘩という低俗なものになることはない、と。

あくまでこれは誅殺、その為の決闘であると。

 

そしてゾマリは叫びながら突き刺さった斬魄刀を抜き放つ。

再び帰ってきた自分の斬魄刀、だが今彼にそれを感じる余裕はない。

引き抜き、そして構えると彼はすぐさまそれを叫ぶ。

真なる姿、真なる能力を呼び覚ますその名を。

 

霊圧の上昇、悲鳴を上げる大気と闘技場、その中で一人獣の笑みを浮かべるフェルナンド。

戦いは次の段階に移行しようとしていた……

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

フェルナンドとゾマリの戦いが始まるその幾分か前。

その小さな破面は焦っていた。

小さな破面は頭には片方の角が折れた兜の仮面の名残を被り、肩口でそろえた色の薄い黄緑色の髪は揺れ、非常に薄い紫色の瞳に焦りを浮かべ、息を切らしながら走っている。

振られる腕も踏み出される脚も一言で言えば華奢であり、とてもではないが戦闘に堪えられるようには見えないその破面は今、焦っていた。

 

 

その小さな破面は常にもう一人、大きな破面と行動を共にしていた。

何時も傍らにいた大きな破面は、この目の前で行われる決闘を見ながら終始不機嫌で、難しい顔をして、そしてその不機嫌さよりも尚深い悲しみをその瞳に浮かべていた。

小さな破面とてそれは同じだった。

傍らに立つ大きな破面の服の裾をその手でギュッと握りながら、それでも目を逸らす事をしないのは小さな破面なりの意地なのかもしれない。

 

 

「……別に、見てなくてもいいんだぜ?」

 

 

そんな小さな破面の雰囲気を察したのか、大きな破面はぶっきらぼうにもその破面を気遣って見せる。

自分は一切闘技場から視線を切らないまま、見たくなければ見なくていいと。

 

 

「だったら…… 自分だって見なきゃいいじゃん…… 」

 

 

大きな破面の気遣いにも、その小さな破面は視線を逸らす事はしなかった。

それは一重に大きな破面の為。

自分だけが痛みと悲しみから遠ざかるのは、小さい破面には耐えられなかった。

大きい破面だけがそれを背負おうとするのは卑怯だと思っていた。

痛みも、悲しみも、楽しさも、嬉しさも、全て二人で分かち合うのだと、小さい破面は決めていたのだから。

 

 

 

だが、たった一体の破面の登場が繋がる二人を別つ。

暴虐、暴慢を尽くし、目の前に命があるということすら目に映らないかのように振舞うその巨大な破面。

その振る舞いを見た小さな破面の手は、先程より強い力で裾をつかみ、そしてかすかに震えていた。

その裾を掴む手に大きな破面の手がそっと重なる。

 

ぬくもり、震える手に感じたぬくもりは自分以外の他者の体温。

そしてそのぬくもりは絶対的な安心感、だがその手のぬくもりに小さな破面の手が緩んだ瞬間、大きな破面は小さく呟く。

 

 

「ここで大人しくしてろよ? ……リリネット 」

 

 

「えっ?」

 

 

リリネットと呼ばれた小さな破面が呟いたときには、すでに大きな破面は其処には居なかった。

彷徨う視線、リリネットの視線が次にその大きな破面を捉えたのは闘技場のど真ん中、巨大な破面に対するようにして立っているその姿だった。

そしてリリネットが声を上げるよりも早く事態はめまぐるしく変化する。

緋色の霊圧が飛び砂漠は弾け、砂煙が晴れた其処には大きな破面の姿はなく、その姿は巨大な破面の懐、そして大きな破面はそのまま巨大な破面の首を掴むと上へ、リリネットだからこそ感じたその動き、そして大きな破面はリリネットを残し天蓋の外へとその姿を消してしまった。

 

 

リリネットは焦っていた。

置いてけぼりを食らった事も然ることながら、また背負わせてしまう(・・・・・・・・・・)と。

大きな破面は何時もそうだと内心愚痴るリリネット。

何時だって自分ひとりで背負おうとする、自分が居るのに、せっかく二人になった(・・・・・・)のに何時も何時も、と。

それが大きな破面の優しさである事もリリネットは理解していた、失いたくない、失わせてなるものか、ならば泥も火の粉も敵の刃も、その全てを自分が受けようという、大きな破面の優しさ。

だがそんなものはリリネットとて同じなのだ。

失いたくない、絶対に一人になんかしないという思いは同じなのだ。

 

だから焦る。

大きい破面の力を疑う訳ではない。

でももし、万が一、あの巨大な破面が強かったらと思うとリリネットは焦らずにはいられない。

 

だから自分が、自分が傍にいなければとリリネットは焦る。

闘技場の通路、皆が舞台たる砂漠へとその視線を向け閑散とするその通路を、リリネットは一人上に向かって走っていた。

どうすればいいかなんて判っていない、でも上へ、とにかく上へとリリネットは駆けているのだ。

 

 

「ハァ、ハァ…… 馬鹿ッ、スタークの大馬鹿! いっつも、一人で、カッコつけて…… いっつも一人で、背負い……込んで! 」

 

 

走りながらも口をつくのは恨み言ばかり。

大きな破面、スタークに対する恨み言ばかり。

気に入らない、気に入らないと、子ども扱いが気に入らない、護っているという考えが気に入らない、自分は護られるために生まれてきた訳じゃない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と。

どっちが元かも判らない。

でもどちらを護るだとか、そういう関係ではないだろうとリリネットは思う。

片方が片方を、ではなく、両方が共に支えあい寄り添って生きるために、自分達は居るんだからと。

 

 

「わぷっ!」

 

 

一心不乱に走るリリネット。

誰もいない通路は好都合であり、全力で駆け抜けるリリネットはそのまま全速力で角を曲ろうとする。

だがその角の先には思わぬ壁があった。

全力で走っていたリリネットは無論止まる事など出来ずに、その壁へと正面からぶつかってしまう。

 

どこか可愛らしい声を漏らしながらぶつかるリリネット。

そしてそのまま後ろに倒れるか、と思いきやそうはならなかった。

 

 

 

「あらぁ、ビックリしたなぁ~。 どや? 怪我ないか?ちっこい破面サン?」

 

 

 

リリネットがぶつかった壁、それが後ろへ倒れ掛かったリリネットの腕を掴み、それを阻止していた。

銀色の髪に糸のように細い眼、笑ったまま固まったような顔に意匠は違うがリリネット達破面と同じ白い死覇装を纏った男。

仮面もなく、仮面紋もなく、漏れ出す霊圧すら破面のもので無いその男は死神、リリネットがぶつかった壁の名は『市丸ギン』といった。

 

一度リリネットの身体をひょいと持ち上げて立たせると、市丸はリリネットに視線を合わせるようにしてしゃがむ。

リリネットの方も急いでいるのだが、自分からぶつかった手前ばつが悪そうであった。

 

「なんや急いどったみたいやけど、ちゃ~んと前見なアカンで?ええな? ほな、僕はもう行くよって。 上の戦い見て来い(・・・・・・・・)、なんて言われてしもたんや。ほなな、ちっこい“(ぼん)” 」

 

 

ポンポンとリリネットの頭を軽く二度ほど叩くと、市丸は立ち上がりその場を去ろうとする。

が、去り際に市丸が残した言葉は、リリネットの脳天から身体を駆け巡るような衝撃を残していた。

振り返ったリリネット、その視線の先には意外と歩くのが早いのか遠ざかりつつある市丸の姿が、急ぎ後を追いかけるリリネット。

此処でコイツを逃す訳にはいかない、といった風で必至に後を追い、そしてリリネットは横合いから半ば滑り込むようにして市丸の脛を目掛け強かに蹴りを放った。

 

 

ゴン、という鈍い音が響き、その格好のまま固まる二人。

そして廊下を半ばすべるようにして蹴りを放ったリリネットは、そのまま蹴った足を押さえて床をのた打ち回る。

 

 

「なにすんねや? 坊。 いきなり蹴るなんてヒドイやないか」

 

 

のた打ち回るリリネットに対し、市丸は別段痛みを感じていないといった風で転がるリリネットに話しかける。

市丸からしてみればなんとも理解できない初対面の破面の行動に、若干困惑していたがあまりそれは表に出ていないようだった。

 

 

「ッ~~~~!! ちょっとアンタ!いったいどんな脛の硬さしてんのさ!」

 

「どんな、言われても普通やで? 坊こそ一体どないしたんや」

 

 

自分から蹴っておいて何ともな言い草であるが、リリネットは瞳に涙を溜めながら市丸を指差しながら叫ぶ。

そんな理不尽なリリネットの言葉に市丸は普通に答えたが、その光景はなんとも微妙ではあった。

まぁ行動の選択やその他もろもろに疑問はあるが、ここまでして自分を止めた小さな破面に市丸は理由を問う。

おそらくは先ほど急いでいた用件に関することなのだろうとアタリは付けていたが、リリネットの答えはまさにその通りだった。

 

 

「アンタ上にいくんだろ? だったらアタシも一緒に連れてってよ!お願いだ!」

 

「……止めとき。 君が面白半分で(・・・・・)見に行っていいもんと違う。命は大事にするもんや、行けば君……死ぬで 」

 

 

リリネットの答えは明確。

上に、上に行くといった市丸に自分も連れて行け、というもの。

自分で向かったのでは遅すぎる、悔しいが自分に間に合う程の力はないとリリネットは理解していた、だからこれはリリネットにとって天恵であり、唯一残された道なのだ。

だが市丸はそれを止めようとする。

其処に至るまでの経緯も何も知らない市丸からすれば、この小さな破面が言う言葉はひどく軽いものに聞こえた。

故に止める、幼い容姿の破面、感じる力も大きくないその破面があの化物と、その化物を有無を言わさず連れ去った破面の戦闘の現場にいれば、どうなるかなど目に見えていたからだ。

 

 

「違う! 面白半分なんかじゃない! アタシが…… アタシがいなきゃスタークが…… スタークが死んじゃうかもしれないんだ!そんなの駄目だ!ゼッタイ駄目なんだ!」

 

 

それは何にも増した必死の叫びだった。

スタークが死ぬ、何時も傍にいたスタークが死ぬ、そんな悲劇にリリネットに耐えられる筈がない。

本当にそうなるかは判らない、可能性は低いのかもしれない、だがそれでもゼロではない。

だから行く、何処へだろうと駆けつける、自分が居るのは護られるためではないと、自分もまたスタークを護るのだという決意がその薄い紫の瞳にはありありと浮かぶ。

 

 

「……スターク、 あの破面の兄さんの名前か? 坊はずっと…… あのスタークいう兄さんと一緒やったんか?」

 

 

リリネットの必死の声と瞳に映る熱意、それを感じた市丸。

スタークと呼ばれたあの破面、その破面とこの小さな破面はどういう関係なのか、市丸は知らなかったがずっと一緒だったのか、と問えば小さな破面はコクリと頷く。

 

 

「アタシとスタークはずっと一緒だった。 生まれた時からずっと…… だから行くんだ。 傷つけさせたりしない、アタシが一緒にいて(・・・・・)護るんだ!」

 

「ッ……!」

 

 

頷いた後俯くようにしていたリリネット、その手が握り締められそして再び上げた顔には、強靭な意志があった。

見た目は幼子、しかしその中身は確固たる人格を持った精神が宿っている事を感じさせる、そんな強い意思。

ずっと一緒だった、ずっと一緒に生きてきた、大切な大切な存在、だから傷つけさせはしない、だから自分が護るのだと。

 

その決意の視線と言葉、それは市丸にとって過去の自分とダブって見えた。

生まれた場所は違っていた、だが支えあって生きてきた、ずっと一緒に生きるのだと、そう思っていた。

だが現実は残酷で、大切だったものは傷つけられた、彼はそれを許さなかった、許せなかった。

だから何時か、何時か必ず作ろうとした、大切なものが“泣かないで住む世界”を、その為に大切なものから離れる(・・・)事になろうとも。

 

 

(……同じや。 この子も、僕も、大事なもんが傷つくのが見とぉないんや…… でも違うのはこの子は傍で、僕は遠くで護ろうとしてる事。どっちも同じ、でもどっちも違う…… 僕は…… 僕はあの時、本当はどっちを選んどったらよかった思う? ……なぁ、乱菊…… )

 

 

心の呟きは儚く、ただ響いて消えていく。

どちらも同じ、だがどちらも違う。

方法の正しさ、選択の正しさ、それは一概に言えたものでなく、言うなればどちらもが正解であり、またどちらも不正解。

傍にいることで護れる事、遠く離れたからこそ護れる事、片方しか選べないというのならそのどちらもが正解。

そして重要なのは選択したその道で何を成したか、という事なのだろう。

 

 

「……わかった、 連れてったる。 大事な人の為、やもんな」

 

 

再びしゃがみ込んでリリネットの頭をポンポンと叩いた市丸は、リリネットの願いを受け入れた。

大切な人、大事な人、その為に生きる事を示したリリネットの願いを、市丸は無碍にすることが出来なかったのだ。

自分もまた、大切な人の為に生きているが故に。

 

 

「ほんなら行くで、坊。 ちゃんと付いて来ぃや」

 

「……違う」

 

 

立ち上がった市丸がリリネットを伴い上へと向かおうとする。

しかし市丸が歩き出してもリリネットはその場から動かない。

どうかしたのかと市丸が振り返ると、プルプルと振るえるリリネットの姿がそこにあった。

今更になって震えているのか、と思い市丸が近付くとリリネットはガバッと顔を挙げ、市丸の顔を指差しながら叫んだ。

 

 

 

 

 

「いいか! アタシはリリネット! リリネット・ジンジャーバック!男じゃなくて“女”だ!よく覚えとけ、糸目!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天上の戦

 

月下の決闘

 

暴慢なる竜骨

 

狂乱し

 

割れた狼

 

逡巡に惑うか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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