BLEACH El fuego no se apaga. 作:更夜
その場所は暗い地の底。
まるで天上より差し込む光を拒むように、ただ暗黒に塗り固められたかのような場所。
暗黒が淀み溜まるかのようなその場所は、ある種異界と呼ぶに相応しい雰囲気を存分に醸し出す。
虚夜宮という人間にとって既に異界であるその場所で、しかしその場所は更なる異界であった。
実際にその場所は地下ではなく、何の事は無いただの部屋。
にも拘らず、見る者に暗くおどろおどろしい印象を与えるのは、その部屋に立ち込める色とりどりの煙のせいか、或いはその部屋の主の狂気によるものだろうか。
誰しもがその部屋の扉を開けることを躊躇する。
何故なら開けてしまえば否応無しに目にしてしまうからだ、自分という存在と明らかに次元の違う狂ったモノを。
「…………たったの三十二秒……か。 高々この程度の投薬に耐えられないとはやはり第一期、それもその残りカスでは脆すぎるな…… まぁいい。 お前達、コレを洗って薬液に漬けておけ、実験動物の餌くらいにはなるだろう」
色とりどりの煙を上げるぐつぐつと煮立ったような薬液と、用途不明の器具が所狭しと押し込められ、生物のようにうねる管が壁面に無数に張り巡らされた一室で、その部屋の主はなんとも気軽にそう口にした。
そのあまりの気軽さ故にその場で繰り広げられている事象すら、軽いものに感じてしまうほどのその言葉。
しかしその行為は常軌を逸している。
部屋の中心に備え付けられた椅子。
その椅子に一体の破面が座っていた。
だがその破面はただ座っているだけではなく身体中を拘束され、そして頭の先からつま先までを無数の配線に覆われ、それと同等の数の管が身体中に突き立てられていた。
配線の先を辿れば無数の機械へとつながれ、何かしらを計測し。
管からは絶えず液体が流し込まれ、全身の血管だけが不自然に隆起し波打ち、明らかに正常ではない流れを目視できるほど。
口を大きく開き何かを叫ぼうとするその破面、その叫びは痛みなのか救いを求めるものなのか、だが予め喉を切開されたその破面の叫びは音にはならず唯虚しく口だけが開かれ、ヒューヒューと喉から空気が漏れるのみ。
身体中を拘束されているにも拘らずその拘束を引きちぎらんばかりにビクビクと全身が痙攣していたその破面は、一際大きく痙攣を起すと口からは大量の泡と涎を、眼と鼻からは夥しい量の血液を、そして身体中の穴という穴から何かしらの体液を垂れ流し絶命した。
十人が見ればおそらく十人が目を背けたくなるような凶行。
だがこの部屋の主はそれを平然とやってのける。
いや嬉々としてやってのける。
その凶行を前にして眼を背けるどころか、眼を見開き、その顔に満面の喜色を浮かべながら嬉々として観察するのだ。
目の前の出来事のほんの一部でも見逃さぬように、目の前で起こるかもしれない新たな現象に、まるで乙女のように恋焦がれながら見続けるのだ。
命が悲鳴を上げ続ける光景を。
そうして狂気に恋焦がれる男、今目の前で命が消えた事を、いや消した事を当然の犠牲と捕らえるその男の名はザエルアポロ、破面
桃色の髪と、それと同じ桃色の瞳。
所々跳ねた様な癖毛はそれなりに整えられ手には白の手袋を、そしてその身を包むのはまるで医者の白衣のような形状の死覇装。
仮面の名残は眼鏡のように残り、彼に理知的な印象を与える。
だがその理知的な印象こそ彼にとっては何よりの仮面、その一見理知的で物静かな風貌からは想像出来ないほどの狂気を、この男はその内から溢れさせているのだから。
「まったく…… この程度の
その発言は自らの所業に彼が何の疑いも持っていないことを如実に示していた。
彼にとってそれは当然の行為なのだろう、自分の研究とは何にもまして崇高であり、その過程に自分以外の他者がかかわれること自体が光栄な事だと、それこそその過程に加われるのだから命などいくらでも差し出すものだ、とすら考えているその言葉。
そう、彼にとって命とは彼の目的の為に消費される消耗品であり、それ以上の価値など見出されはしないのだ。
「ザエルアポロさまーっ。 ザエルアポロさまーっ」
一人低劣と断じた破面が片付けられるサマをつまらなそうに眺めていたザエルアポロに、何者かが声をかける。
その声の方へ彼が振り向くと、何者かが飛び跳ねるように彼に近付いてきた。
「ルミーナか、なんだ……」
ルミーナ、そう呼ばれたのは奇怪な形をした破面だった。
人というよりは寧ろ球形に近い身体、そこから枝のように細い手足と押しつぶしたような醜面の破面がザエルアポロに近付く。
このルミーナと呼ばれた破面はザエルアポロの従属官であった。
本来従属官とは十刃のみに許された支配権の象徴、No.11以下を支配出来るという特権階級を示すための存在である。
だがザエルアポロは十刃ではない。
彼、ザエルアポロが持つ番号は“No.102” 、一見その数字の大きさから産まれの遅さかそれもと弱すぎるのかと錯覚しがちなその数字。
だが彼の持つ数字は
数字持ちは最大No.99まで、つまり
だがザエルアポロの持つ番号はNo.102、“3桁”の数字である。
その本来ならば与えられる事のない数字、しかしその数字には数字持ち達の持つそれよりも尚意味があるのだ。
ザエルアポロは十刃ではない。
この説明には足りない部分がある。
ザエルアポロは、
“3桁の数字”、その本来ありえない数字は即ち“剥奪の証”、その三桁が示すのは『階級を剥奪されし者』、三桁の数字を持つ者の全てが元十刃。
『
元十刃、その立場によってザエルアポロは従属官を配下においている。
本来ならば十刃落ちになった時点で従属官は支配から解放され、一介の数字持ちに戻るものである。
だが、ザエルアポロの抱える従属官は少々特殊だった。
彼の従属官のその全ては彼が大虚を改造し、その改造大虚を彼が独自に破面化したものだった。
そうした工程で生まれた彼の従属官は数字を持たず、そして破面としての機能よりも従属官としての機能を重視して精製されているため、従属官以外ではその存在意義を成さなかった。
故に限定的にザエルアポロは十刃落ちでありながら、従属官を使役する事を許されているのだ。
「きた! きた! イールフォルト!イールフォルトきた!」
その従属官の一体であるルミーナという破面は、ザエルアポロの前まで飛び跳ねながらやってくると、頭の上で手を叩きながらそう叫んだ。
まるで出来の悪い人形のように飛び跳ねるルミーナ、そのルミーナの報告にザエルアポロは「あぁ、そういえば」と呟き、何かに耳を澄ますように耳元へ片手を持っていく。
「……本当だ、カスの割には最低限時間通り行動するだけの知性だけはあるらしい…… あのカスにしては上出来だろう 」
まるで塵でも見るかのような目つき。
そんな目つきをしたままザエルアポロは管と煙と薬液に満ちた部屋を後にする。
そして向かったのは別の一室。
そこは先程まで彼がいた場所とは打って変わって、普通といっていい部屋だった。
それほど大きくない部屋には、大き目の長机とその両端にそれぞれ置かれた椅子、それぞれの席にはカップに紅茶のような液体が用意されていた。
「やぁ、
部屋に入るなりそう口火を切ったのはザエルアポロだった。
先程までの明らかな侮蔑の視線は消え去り、にこやかな笑顔で両手を広げながら長机の端の席に座る男にそう話しかける。
本当に先程まで命を弄び、それを嬉々として見ていた男とは思えぬその態度。
そして話しかけられた方の男は、ザエルアポロの姿を確認すると一瞬であるが眉をしかめ、眼を細める。
「あ、あぁ。 悪くないぜ、
一瞬、ほんの一瞬であるが口ごもるようにしてそう答えたのは、先程ルミーナがザエルアポロへと報告した人物。
名をイールフォルト、破面
金色の長髪、頭のやや前辺りから後ろへと仮面の名残があり、痩せ型の体型と端正な顔立ち。
だがその端正な顔も今は若干歪んで見えた。
そしてその名前、イールフォルト・グランツ、そうグランツである。
それは何も偶然の一致ではなく明らかな
ザエルアポロ・グランツとイールフォルト・グランツは世にも珍しい
「そうかい、それは良かった。 僕が治療した甲斐があったというものだね。さぁ、冷めないうちにどうぞ、兄さん 」
なんとも柔和な態度、心底安堵しているかのような態度で兄の前に置かれた紅茶を勧めながら、ザエルアポロはイールフォルトの対面に座った。
にこやかに、唯にこやかに、体調を気遣いその回復を喜ぶ姿は誰が見ても献身的な出来た弟そのもの。
「あぁ…… いや、なんだ…… 用意してもらって悪いが遠慮しとくわ。直ぐに戻らねぇと……」
それに対して兄であるイールフォルトはなんとも歯切れの悪い態度だった。
勧められた紅茶をどこか躊躇うように断り、目の前に座る弟と視線も合わせようとしない、どこか萎縮しているようなその態度。
いや、それは萎縮などよりももっと直接的なものかもしれない。
「いいんだよ、兄さん。 僕が勝手にやった事だ、気にする必要は無いよ」
「あ、あぁ、悪いな…… 兄弟…… 」
(くそっ! 早く此処から帰りてぇ。 一秒だってこんなヤツの近くにいたら俺は、俺は…… )
にこやかな弟と、どこか居心地の悪そうな兄。
その一見不自然な構図は、しかし彼等の立場を考えれば当然ですらあった。
兄であるイールフォルトは、数字持ちの中でもかなり小さい数字である“15”の数字を持っている。
それは彼が早い段階で破面になったということも然ることながら、その数字を今まで守り続ける事が出来た、という事でもある。
だがそれは確かに彼の実力でもあるが、ある種の偶像と神格化によってなされている部分も大きい。
ここでの“号”の奪い合いに措いては、めったなことが無い限り10番台の破面が指名されることは無い。
それは下から這い上がってくる者にとってその番号は遠く、手の届かない存在であるという錯覚とNo.12グリムジョーの存在によって10番台の破面全体がある種別格だと捉えられている節があるからだ。
グリムジョーと同じ10番台の破面、実力こそ彼に及ばないもののおそらくは強いという先入観と、その強者と戦う事で全てを失うというリスクを背負う下位の者にとって、イールフォルトのいる10番台とはある種禁忌に近かった。
そうしてなんとかNo.15を守り続ける兄、イールフォルト。
しかしその弟であるザエルアポロは違っていた。
彼の弟は現在No.102、非常に大きな数字はしかし彼の弟が元十刃であるということを何よりも確かに示していた。
それは兄であるイールフォルトにとって喜ばしい事というよりも、むしろ引け目でしかなかった。
弟は今は違うが元十刃、それに引き換え自分は今の地位を守ることがやっと、十刃など夢見ることさえない、と。
そして何より彼が今居心地の悪い理由、それは目の前の弟自身にあった。
「……さん? 兄さん? 聞こえているかい?」
「ッ! あぁ悪いな兄弟、少し考え事をしちまってて……」
かけられた言葉に不様にも大きく反応してしまったイールフォルト。
そんな兄をザエルアポロは心配した素振りで気遣う。
取り繕うようなイールフォルトの態度、それにも一瞬の間を置いてだが弟である彼はにこやかに答えた。
「……いや、いいんだよ兄さん。それにしてもあの時は驚いた、砂漠で兄さんが倒れているんだから。」
あくまでにこやかに語るザエルアポロ。
両手を広げ、本当に驚いたといった態度で語るのは随分と前の光景だった。
それはフェルナンドがハリベルの試練によって、数字持ちを片っ端から狩り倒していた時の事。
数字持ちのほぼ全てがその対象であったため、イールフォルトもその例に漏れずフェルナンドに襲われ見事敗北を喫していた。
おそらくは拳足による打撃、だがそれによって負った外傷は予想以上のものだった。
互いに鋼皮という守りがあるにも拘らず、それがまるで紙か布のように強力無比な攻撃に曝されたイールフォルトは、己の敗北を知る前にその意識を手放してしまった。
そして彼が次に目を覚ましたのは知らない部屋の中。
蠢く管が壁中を覆い、薬液と機材の山の部屋の中心に据えられた寝台の上でだった。
その光景は彼にハッキリとある感情を刻み込む。
そしてそんな彼にかけられたのは、更に彼を追い込む最悪の声だった。
「目が覚めたかい?
その時、頭から冷水をかけられた様な錯覚をイールフォルトは感じた。
振り向いたそこには彼の弟が、ザエルアポロが立っていたのだ。
光が反射した眼鏡によりその瞳は見えない、しかし中指でその眼鏡の位置を直すようにしている彼の口元を、イールフォルトは一生忘れられないだろう。
その喜色に歪んだ怖ろしい笑みを。
そして語られるのは砂漠に倒れていた自分を見つけ、自分が治療したという弟の言葉だった。
だがそんなものはイールフォルトにとってどうでもよかった。
彼は去りたかったのだ、一刻も早くこの場から、この明らかに異質で醜悪なこの空間から。
イールフォルトはザエルアポロが一通り話終えると、すぐさまそこから去ろうとする。
ザエルアポロはそんな兄を止めなかった、しかし最後に去り行く兄の背中にこう告げたのだ。
「傷の治り具合が気になるから、定期的に此処に通ってくれないかな?心配なんだよ、兄さんが……」
背中にかけられた言葉は、ある種イールフォルトにとって死刑宣告に近かった。
此処に、この場所に何度も来なければならないのかと、そしてこの弟に何度も合わなければならないのかと。
怖ろしい、怖ろしい、自分の弟が怖ろしい。
イールフォルトにあるのはそんな感情だけ、出来ることならばもう二度と此処に、弟の領域に足を踏み入れたくは無いしかし、しかし花開いた恐怖はその弟の言葉を無視する事さえ出来なくなくさせていた。
「本当に驚いたよ、でももう大丈夫なようだ。感じる霊圧や全体的な霊子組成も問題なさそうだし…… うん。 完治、といっていいだろうね。」
「ほ、本当か!?」
それはイールフォルトにとってこれ以上ない程喜ばしい言葉だった。
問題ない、完治といって言い、それは即ちもう此処にくる必要が無い、という事。
あのおどろおどろしい部屋の近くへと、そしてこの弟の目の前に来る必要が無いという事なのだ。
思わず身を乗り出すイールフォルトに、ザエルアポロはやはりにこやかなままだった。
「あぁ本当さ。 本当によかったよ、兄さんにとっても、そして僕にとっても……ね…… 」
念押しをするように確認するイールフォルトに、ザエルアポロは本当だと再び答える。
そしてよかったと、本当によかったと笑みを浮かべた。
完治した事が兄にとっても、そして自分にとってもその出来事は喜ばしい事だった、と。
だがその最後の言葉はイールフォルトには聞こえなかった。
彼の中には今、もうこの場に来なくていいという喜びだけが満ちており、それ以外のものを、それこそ恐れる弟の言葉を受け入れる隙間などありはしなかった。
「そうか! じゃ、じゃぁ俺は帰らせてもらうぜ、あばよ兄弟。」
それだけ言い残すとイールフォルトはそそくさと席を立ち、その部屋から出て行ってしまった。
よほどこの場にいることが嫌だったのだろう。
それこそ脱兎のごとく去っていく兄を、ザエルアポロは眼鏡の位置を直しながら見送った。
そしてその顔からはにこやかな笑みは消え去り、塵を見下す視線と、イラつきが浮かび上がる。
「・・・・・・カスが・・・ 獅子の檻に放り込まれた鹿のように震える姿は不快でしかなかったな……アレを見る度、心底
そう言いながら立ち上がるザエルアポロ。
切り離してよかった、彼の零したこの言葉こそザエルアポロとイールフォルトという破面の兄弟という存在を説明する鍵。
ザエルアポロが十刃に座していた頃、彼は当時のどの十刃にも引けをとらない強大な力を有していた。
それこそ彼に叶うのは
だがそれは武、戦闘力という観点のみ。
そして彼はその戦闘力を“暴力”としてしか扱えなかった。
まるでネロの様に、しかしザエルアポロはネロの様にそれに溺れるのではなくそんな自分を良しとしなかった。
彼が求め、目指したのは
その為にザエルアポロは自分にとって、自分の目指すものにとって
切り離したものは様々、そしてその中に彼は、イールフォルトは居た。
親を持たない筈の大虚や破面、それに縁を持つ兄弟がいる理由。
同じ親から生まれた、という事象が存在しない以上彼等が兄弟である理由は、
そう、イールフォルト・グランツとはザエルアポロ・グランツが完全な生命を目指す上で自らに必要ないと、不要だと切り離した存在なのだ。
故にザエルアポロは彼に侮蔑を向け、そしてその愚かさを見るたびに確信する。
自分の選択、彼を切り離すという選択は間違っていなかったと。
先程までイールフォルトが座っていた席の方へと移動しながら、一人呟き続ける。
「あの面積の小さい脳味噌で必死に考えたのか、出された紅茶に手をつけなかったのはある意味で奇跡だな。カスにも知能がある、ということが証明された瞬間だ……」
そう語りながら、カップに満ちた本来ならイールフォルトが飲んだであろう紅茶を一息に飲み干すザエルアポロ。
飲み干した後も別段変った様子は彼には無かった。
それもそのはず、カップに満たされた液体は本当にただの紅茶だっのだ、イールフォルトは内に渦巻く恐怖により警戒して口をつけなかったが、そんなことはザエルアポロには関係なく、彼の目的は別にあった。
「まぁいい。 ちょうど“箱”が欲しかったところにアレが転がっていたのは僥倖だった……
ザエルアポロの目的、それは兄であるイールフォルトの体内に埋め込んだ自分の作品、録霊蟲と呼ばれたそれが羽化しているか、その経過はどうかという確認以外なかった。
傷を癒したのも、こうして手厚くもてなしたのも、全ては自分の作品のため。
治療の際にその傷口から埋め込んだ録霊蟲およそ二百匹の卵が彼の兄の霊圧を喰らい、肥え育っているかの確認。
自分の作品をより遠くへと運び、より多く情報を得るための“箱”を完品に近い状態にするためだけだったのだ。
自らの存在を別った兄すらもただの“箱“として見る、そしてそれ以上の価値を見出さない、それどころか価値を与えてやった事に感謝すらするべきだというザエルアポロの考え。
それは破錠している考え方、縁すら、繋がりすら彼にとっては手段としての価値すら見出せるものではなく。
価値とは即ちどれだけ自分の研究を昇華出来るかという一点のみ。
溢れる狂気をどれだけこの世に具現できるか、という唯一点のみなのだ。
「それにしても……」
イールフォルトと相対した部屋から、再びあのおぞましい部屋へと戻ったザエルアポロは誰に話すでもなく呟く。
ぐるりと見渡したその視線は所狭しと置かれた機材と、薬液が満たされた無数の瓶や、床に転がる人の一部のような部品に注がれる。
「少々手狭になってきたな…… 十刃でなくとも研究さえ出来れば問題なかったが、このままでは僕の究極の目的に支障が出るかもしれない…… 」
明らかに狭いと感じるその部屋を見渡すザエルアポロ。
別段研究さえ出来れば彼には何の問題もない、それこそ彼が十刃の座を手放したのもそれが理由だ。
十刃とは否応無しに藍染の命によって戦闘に赴く必要がある。
それは
しかし、ザエルアポロにとってそれは、唯己の研究に費やす時間を奪われることに他ならなかった。
故に彼は十刃の座を明け渡し、十刃落ちとなってこうして研究三昧の日々を送っているのだ。
だが、その研究に支障が出る可能性が浮上した。
己の狂気を具現していくためには、どうしても場所が、設備が足りないということにザエルアポロは行き着いたのだ。
「十刃か…… やはり宮殿規模での施設があるのは大きかったか。まぁいい、十刃なんて
そうひとり結論付け、部屋の臆へと消えていくザエルアポロ。
口元に歪んだ笑みを浮かべながら放たれたその言葉は、決して楽観的な予測から来るものでは無かった。
彼の狂気、それはおそらく十刃の誰よりも抜きん出ている。
そしてその狂気は今や“戦闘力”としての側面でなく、“知識”として抜きん出ているのだ。
そう、彼ザエルアポロは嘗て“戦闘者”であり今は”研究者”。
どんな強者であろうと、今の彼の前では赤子以下へと姿を変える。
それは戦闘者ではなく研究者である故の事実。
時を掛けその全てを、それこそ相手を構成する霊子一つまで丸裸にし、そして思いのままにその命を奪う事ができる。
そう、彼は研究者。
嘗てその圧倒的なまでの戦闘力で十刃となり、しかし己の目的のためだけにその地位と力をアッサリと投げ捨てた男。
その狂気はとどまるを知らず、そしてまた一人、また一人と、狂気への贄は積まれていくのだ。
おそらく永遠に訪れないであろう、彼の好奇が満ちるその時まで……
崩れろ
崩れろ
深淵の月
崩れて混ざり混沌を成せ
玉を飲み込め
全てを喰らえ