BLEACH El fuego no se apaga. 作:更夜
青い空を奔る雲は悠々とその姿を変えながら流れる。
抜けるような青はどこまでも終わりなく世界を広げ、その先にある筈の今見えぬ星さえもその手に掴める錯覚を見る者に与えていた。
だがそれは偽り。
その空は行き止まりの空。
何処までも抜けるような青は現実ではただの壁、天蓋に施された淡い幻に過ぎなかった。
その偽りの空は破面達の巣くう城、虚夜宮の天蓋に描かれたもの。
いくつもの巨大な構造物とそれを取り巻く広大な砂漠、そしてその全てを悠々と覆い尽くす最早形容できぬ天蓋、という名の空。
虚圏に広がる永遠の夜空とは、まさに真逆の趣。
雲は動き、別れて混ざり、千切れて消えてまた生まれてを繰り返す。
しかし季節の移ろいも時の移ろいもなく、曇りも、雨も、嵐も雪も無くただ永遠の晴天だけを映すその空は、晴れ晴れしくも禍々しい異質な空だった。
何故そんなものが天蓋に施されているのか。
ただ城の敷地を覆うだけが役目の天蓋に、態々空を映し出す必要など無い。
覆うことが目的ならば、ただ無機質な壁面と同じ白い天蓋があれば事足りるのだ。
光無き事が問題なのならば、ただその広大な砂漠を照らすに足りる無数の光源があればいいのだ。
だがその難無く事足りる天蓋の拵えは、本来白いだけの天蓋には華美な青。
そしてそれを施したのは、誰あろう藍染惣右介その人だった。
おおよそ実利のみを追求する藍染惣右介という人物。
その藍染が施したというこの青空という名の装飾は、彼らしからぬものにも見える。
装飾、とは飾り立てることだ。
今あるものをより美しく、より豪奢に見せるための作業、天蓋という覆うことが目的のそれに、しかも広大な虚夜宮を覆う天蓋の全面に青空を映す事はまさしくそれであると言えよう。
だが、先も述べた通り藍染は実利を求める、それ以外を欲しない彼が装飾という必要過多を良しとするだろうか、必要性の無いものを天蓋に映し出すだろうか。
そんな事はありはしない。
虚夜宮を覆う天蓋に施された青空、それは藍染惣右介の“眼”だった。
青空より注ぐ光、その
青空は美しく、穏やかなそれなどではない。
藍染が虚夜宮で起こるほぼ全てを自らが掌握するための装置でしかないのだ。
それが偶々青空だったというだけで、藍染にとってはそれが曇りであれ雨であれ、闇夜であれ朝焼けであれ、また夕暮れであれなんら変らない。
重要なのは破面達を掌握する事、そしてその全てを自分は見ていると、知っているのだと彼等破面達に印象付けその精神を見えない檻へと閉じ込め支配するという、藍染にとっての“利”。
それ以外はただの戯れに過ぎないのだ。
そんな偽りと、畏怖と悪意の空をフェルナンドは一人、寝転がりながら眺めていた。
場所は第3宮、彼がこの虚夜宮へと連れてこられてから今日まで厄介になり続けている
そこは彼のお気に入りの場所のひとつ。
巨大な構造物同士が密集せず、広大な砂漠を隔てて個々の構造物が点在する虚夜宮では、フェルナンドの居るその場所で彼の視界を遮るものは何一つ無く、見上げればそこには空しか見えなかった。
そこでフェルナンドは両手を頭の後ろで組み、仰向けに寝転がりながら流れる雲を眺めていた。
青空に映える白は何者に邪魔される事もなく、ただ悠々と空を泳ぐ。
フェルナンドはただそれを眺める。
特に何をするでもなく、絶え間なく形を変え流れていく雲を眺める彼。
彼はそうして空を眺めているのが嫌いではなかった。
絶え間なく姿を変える雲、時に彼自身にも思いもよらぬ変化を見せるそれら。
その変化に富んだ雲が泳ぐ空を、フェルナンドは日がな一日ただ眺めて過ごすことも少なくなかった。
決してその手に掴む事かなわず、一つの形に囚われず、その在り様を様々に変化させ続ける雲はある種彼の理想像に近かった。
それは内面的な事だけではなく、戦士として、戦う姿勢として、そして彼の目指す戦い方に近いという事。
決して一つの形に拘る事無く、時々の状況に合わせ変化し、また進化し続ける。
ある種誰しもが求める戦いの理想像、フェルナンドとてそれは例外ではなく、その理想像を彼は雲に見ているのだろう。
だがそれも頭の端で考える程度、彼が此処でこうして空を眺めるのは、ただそうしているのが嫌いではないというだけだった。
「何が見える?」
「……ハリベル……か 」
そうして仰向けに寝転んだままのフェルナンドに、何者かが声をかける。
その何者かは、ある意味誰よりもこの場にいることが相応しい人物。
何故ならそれはこの場所がその何者かの、いや彼女の居城であるが故、フェルナンドに声を掛けたのは誰もがこの場に居る事に些かの疑問も抱かぬ人物、第3十刃ティア・ハリベルだった。
弱い風が彼女のフェルナンドと同じ金の髪を軽くなびかせる。
それを片手で押さえながらハリベルは一言呟き、そのままその問の答えを待たずフェルナンドの横に座った。
片膝を立て、立てた膝に片腕を乗せるようにして座る彼女。
その視線は空ではなく前方へ、フェルナンドの方を向くわけでもなく何を見るでもなく前を見つめている。
「何が見える? フェルナンド…… 」
少し間を置いて、再びハリベルが口を開いた。
それは先程と同じ言葉、空を見るフェルナンドに一体何が見えるのか、と問う言葉。
「別に…… 何か、を見てる訳じゃねぇよ」
「その割には随分と長い間、見ていたようだったがな…… この空、を 」
視線を合わせず語る二人。
何も真剣な話という事でもない他愛ない会話。
この二人からすればある種珍しい光景ですらある語らいの姿がそこにはあった。
「まぁ・・・な。 何かを見てる、っつうよりはこの広がる空を眺めてただけだ。お前こそ随分長い間コッチを見てたが……何か用でもあるのかよ」
「フッ。 気が付いていたのなら、声の一つも掛ければいいものを…… 」
「それは、俺の台詞でもある……がな 」
ただ語り合う二人。
それは何も特別なことではなく、当然の姿。
その会話はなんら実りを求めるものではない。
お互いが思ったことを口にする。
それの行き来だけ、それはなんとも穏やかな雰囲気であり、破壊の権化たる破面の巣食うこの虚夜宮には似つかわしくない筈のもの。
しかし、今この場ではそんな穏やかな空気が、空を行く雲の如くゆったりと流れていた。
「私は…… お前が
ふとハリベルが漏らした言葉。
それは、隣で今も尚空を眺めているフェルナンドの姿を見て彼女が思った事。
この空は見た目とは裏腹にただ美しいだけのものではないと彼女は知っていた、そして勿論フェルナンドとてそれは知っているだろうと。
それならば、彼がこうしてこの空を飽きずに眺め続けるというのは、どうにも彼女の中では腑に落ちない部分があったからだ。
「……どうしてまたそう思う?」
「 言ってしまえばこの空は、藍染様の“眼”だ。この澄んだ青も、たゆたう雲もその全てはまやかし…… お前がそういったものを好むのが、どうにも私には違和感があってな」
フェルナンドの問に素直に答えるハリベル。
そんなハリベルの言葉に、フェルナンドは小さく笑う。
「ハッ! 確かに……な。 そう言われると気持ち悪ぃ事この上無ぇが、偽物だろうとなんだろうとただ眺めてる分にはいいだろう?止まらず、変化し続ける雲を見てるのは、悪く無ぇ…… 」
「そういうものか…… 」
「……あぁ、そういうもの……さ 」
ハリベルの問に答えたフェルナンド。
その言葉にはおそらく嘘偽りはないのだろう。
ハリベルの耳に届いたフェルナンドの声は、とても穏やかだった。
遠くから眺めている分には悪くない、そう答えたフェルナンドの言葉。
ここで、“良い”ではなく“悪くない”と答える辺りが、彼の彼らしいところかもしれない。
そんなフェルナンドの答えに、ハリベルはまた小さく呟く。
そしてその呟きに、フェルナンドもまた答える。
まるで当たり前のように続く二人のやり取り、“戦い”という要素を除いてこれほど彼等が語らった事は今までないかもしれなかった。
互いにその“生”と“戦い”という要素を切り離すことが出来ない二人、そんな二人が戦士ではなくただの一人として語らう。
それはある意味で“師弟”であり、ある意味で“友人”のような関係にも見えた。
「……聞いた話ではフェルナンド。 お前
その後も他愛ない会話を続けていた二人。
そんな中、ハリベルがそう切り出した。
仰向けのフェルナンドにハリベルの表情をうかがい知ることは出来ないが、彼にはその声はどこか険があるものに聞こえた。
「あぁ、らしいな…… ただの喧嘩さ、大した事でも無ぇ 」
「あぁそうだろう。
「…………なんだよ ……随分拘るじゃねぇか 」
自分が十刃と戦うというのにどこか他人事、そしてそれが別段大した事ではないと語るフェルナンド。
そしてその部分にはハリベルも同意なのだろう。
そこに至った経緯や、理由などというものは瑣末な事、紆余曲折を経ようとその場の勢いであろうと、戦うと決めたのならば何を慌てることもない。
ただ一念を、勝つという一念を刻み込めば済む話なのだから。
だが、それとは別にどうにもハリベルには引っ掛かる事があった。
此処へ、このフェルナンドのお気に入りの場所にまで足を運んだ理由の半分がそれである、と言っても過言ではない。
「なに、別に拘っているつもりは無い。ただそうと決まったのならば、
「…………それを拘ってるって言うんだろうがよ……」
要するに、そして端的に言ってしまえばハリベルは気に入らなかったのだ。
第7十刃と戦う事が決まったのはいい、その当時派手な行動は控えろと言っておいたが向こうから戦いを望んだというのならば仕方が無い。
十刃を相手に退かず、それをただの喧嘩だと言ってのける豪胆さは流石とも言えるだろう。
だが、だがしかし、それを一切自分に教えなかったことがハリベルには気に入らなかった。
ハリベルがそれを知ったのはつい最近の事。
従属官であるアパッチ等に、「フェルナンドの野郎、ゾマリ相手にどんな戦い方をするんですかねぇ」と問われた時だった。
最初は何の話かと真剣に悩んだが、よくよく聞いてみればどうにもフェルナンドが第7十刃ゾマリ・ルルーと戦うという事の様だ。
その日、その時、その瞬間までその事実の一切を知らなかったハリベル。
前回の強奪決闘から随分と時間がたったというのに、それを知らなかったというのはある意味神懸かっていると言えなくもない。
それはさて置き、その事実をハリベルは気に入らなかった。
別に二人の関係は何事も包み隠さず伝える、などといったふざけた契約を結んでいる訳でもなく。
師と弟子という形でありながらも、その立場は対等でありフェルナンドが、またハリベルが互いに何事か報告しあう必要性も無い。
無いのだが一言あってくれてもいいだろうというのがハリベルの考えであり、フェルナンドがそれを言ったからといって何がある訳でもないのだが、どこか納得出来ないというのが本音なのだろう。
「いいじゃねぇか、 もう知ってんだからよ 」
「まったく…… まぁいい。 それでどうなんだ?お前はどれくらい相手の…… ゾマリの事を知っている?」
拘っているというフェルナンドの言葉を聞き、その理不尽な感情を切り替えるハリベル。
納得いったのかと問われればおそらく否であろう、過ぎた事、だが過ぎた事ゆえに気にかかる。
相変わらず視線を合わせない二人だが、ただの会話にはそれで事足りるのだろう。
寝転がったままのフェルナンドにハリベルは件の相手、ゾマリ・ルルーに対しフェルナンドがどれほどの情報を持っているのかと確認する。
戦いとは“個”の持つ力も重要ながら、“個”の情報というものも重要になってくる。
相手を知る事は自らの有利となる、相手の武器は何か、能力は何か、行動、思考の癖、性格、外見的な特徴と内面的な特徴からおおよその力を読み取る事、そこから対策を立てること、そうした情報のありなしは戦果に直結する要因の一つだ。
「別に…… 知らねぇし知ろうとも思わ無ぇ。それにコソコソ嗅ぎまわるなんてのは性に合わ無ぇよ」
「あの者は少々厄介だぞ? それでもか? 」
「それでもだ。 ハリベル、判ってると思うがもしお前が“それ”を知ってても教えんじゃねぇぞ」
情報というものの価値、フェルナンドとてそれを知らぬ訳では無い。
しかし必要は無いと答える彼。
それもまた彼らしさなのだろう、
勿論誰かから教えてもらったそれなど彼に何の価値も無い、もしそうして敵の弱点を知ろうとも彼は例え自らが窮地に立たされてもそれを突く事は無いだろう。
情報の価値と彼にとって価値があるものは違うのだ。
「判っている…… 念押しなどせずとも……な 」
教えるなと念押しするフェルナンドの言葉に、皆まで言うなとハリベルが答えた。
フェルナンドが念押ししたことは、彼女にとっても同じこと。
与えられた情報から得られるのは、何処までいっても与えられた勝利でしかない。
そのどうしようもない無価値を彼女とて判っている、ということだろう。
「そうかい…… 」
それだけ呟くと、フェルナンド再び空を眺める。
ハリベルもまたその隣に腰掛け、頬を撫でるかすかな風を感じていた。
先程までが嘘のように、二人は沈黙し、静かな時だけが流れ始める。
何を語るでもなく、かといってその沈黙に耐えられないという風でもなく。
そもそも互いに気を使いあうような間柄ではない二人、片方は気を使うなどという事とはどこか無縁にすら見える。
飾らない自分、ハリベルにとっては十刃という立場に囚われない姿であり、フェルナンドにとっては常通りの姿。
そんな沈黙と静かな時間がどれほど続いただろうか。
隣に、互いが手を延ばせば届く距離にいる他人の存在があるにも拘らず、二人にそれを疎む雰囲気は無かった。
人は誰しも自分の距離、自分の領域を持っている。
その領域は人それぞれ、そして人は誰しもその領域を他者に犯されることを本能的に嫌う。
それは自分というものを無遠慮に侵略され、踏み躙られる感覚、言い知れない不快感、自己を守る壁の崩壊である。
しかし、このおおよそ互いの領域を侵犯している二人にその雰囲気はない。
それは即ち、自らの領域にそのものが居る事を本能的に許している、という事。
その者の存在を己の中で認め、常にある者としているという事。
フェルナンドなどは否定するかもしれないが、それは二人が“友”であるという事なのかもしれない。
「ハッ! こいつはいい」
沈黙を破ったのはフェルナンドのそんな言葉だった。
なにやら楽しそうにそう呟いた彼、そんな彼の方にハリベルが顔を向けると、彼は笑いながら顎で上を、空を差していた。
「あの雲、アパッチのヤツにそっくりだ 」
言われて空を見上げたハリベル。
そしてフェルナンドが差した先にある雲を見る。
そこには一塊の雲、一本長く突き出した形の雲を持ったそれはどうにも形は悪く、千切れかかった雲によりまるで大きく口を開いたアパッチの様だと、フェルナンドは笑うのだ。
「聞けばあの娘が怒るぞ、フェルナンド…… まぁ、似ていなくもないが……な 」
フェルナンドを窘めながらも、そのフェルナンドの言葉にどこか納得してしまったハリベル。
伸びた雲は彼女の角に、そして大きく口を開いたような姿は快活なアパッチの姿を髣髴とさせる、と。
そしてそう思ったとき、フェルナンドが言った“悪くない”という言葉にも、ハリベルは納得していた。
映し出されたそれ、決して本物ではないそれ、しかしこうして眺めるのも悪くないのかもしれないと。
そしてフェルナンドの隣に座っていたハリベルは、何事か思案するとそのままフェルナンドの隣に彼と同じように寝転がった。
「ハッ!いいのか? 天下の第3十刃が随分と
自分の隣に寝転がったハリベルを揶揄するようなフェルナンド。
だが、そんなフェルナンドの言葉など何処吹く風、気にせずそのまま横になり、フェルナンドと同じく空を眺めるハリベル。
「なに、構わんさ…… 既に一人見ている、と思えばそれが何人増えても変らんだろう?」
寝転がりながらそう口にするハリベル。
確かに彼等の姿はおそらくではあるが最低でも一人には捉えられている。
それは彼等の視線の先に広がる“目”の持ち主、常時その持ち主がその“眼”を用いているかは定かではない。
だが、その“眼”がある以上、見られていると思ったほうが懸命だろう。
それでもハリベルは常の彼女らしくない、だらしないと言われる様な屋上で寝転がるという姿を見せる。
それは十刃という責を負う彼女の本のひと時の小休止。
ただこうしてみたかった、というそれだけの話なのだ。
隣に寝転ぶ彼と同じように。
「それに…… 」
なんともしまらない雰囲気の中、ハリベルが続ける。
二人の視線は空へ、広がる蒼い天蓋の海へ注がれていた。
「それに?」
フェルナンドはそのハリベルの呟きの先を促すようにそう口にした。
視線は空、海を泳ぐ白い雲を捕らえる。
彼にはその雲が、どこか海原をいく雄々しくしかし華麗な鮫のようにも見えていた。
フェルナンドが視線を隣にいるハリベルへと向ける。
するとそこにはコチラを見ているハリベルの顔があった。
今日初めて二人の視線が絡む。
紅い瞳と翠の瞳、猛々しさと静けさをそれぞれ湛えた瞳がそれぞれを捉える。
互いの眼を見る二人、そしてハリベルが小さく笑う。
「それに…… こうして
小さく笑いながらそう口にしたハリベルを、フェルナンドはなんとも言いがたい顔になって見ていた。
だがそれも一瞬、いつも通りの皮肉気な笑みがそれを覆い隠す。
そしてフェルナンドも小さく笑い、視線を空へと戻しながら答える。
「ハッ! 言ってろ、ったく…… 」
視線を戻したフェルナンドと、それを追うように自分も視線を空へと戻すハリベル。
互いの瞳に映るのは、同じ景色、同じ空。
紅と翠の瞳に映る蒼穹の空。
今はただ同じ空を、同じ方向を向く彼等二人。
だが何時か、互いが向かい合う事を彼等は知っている。
それでも今、二人はこの青空を眺めるのだ。
二人、同じ方向を向いて……
僕は満たしたい
この溢れる好奇を
だから
君の
命を