BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.92

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、聞いた? アノ話 」

 

 

そこは虚夜宮(ラス・ノーチェス)の とある通路。

通路といっても壁の端から端までは10m以上はあり、天井も高く、一直線に伸びた先はかなり長い。

そんな通路の壁際で何事かヒソヒソと話す二体の破面(アランカル)

そのうちヒョロリと背が高く、薄く幅の広い胴に対して手足が枝のように細い体型の破面、有り体に言えば河童のような破面がそう聞くと、もう一人の何もしていないのに汗をかいている、背が低くずんぐりと太った豚の様な破面が答えた。

 

 

「ブヒヒ。 聞いた聞いた。 あのフェルナンドとかいう十刃落ち(プリバロン)、ついに藍染様にブッ殺されたらしいじゃねぇの」

 

 

何とも可笑しそうに笑う小太りの破面、身長差の大きい二体の会話風景は壁際でも妙に目立っている。

話題に上がったのは他でもない、嘗ては虚夜宮最高戦力である十刃(エスパーダ)へと上り詰め、しかし最短でその座を剥奪され十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)へと落ちた破面、フェルナンド・アルディエンデについて。

人の口に戸が立てられぬのと同じように、破面の口にもまた戸など立てられず、どこから漏れたのかその噂はまことしやかに虚夜宮中で囁かれていた。

 

 

破面No.106(アランカル・シエントセスタ)フェルナンド・アルディエンデが藍染に殺された”

 

 

その噂は瞬く間に、特に数字持ち(ヌメロス)よりも下の吹き溜まり、階級も無く力も無く、ただ破面であるというだけの破面もどきや出来損ない達に広まった。

フェルナンドとはある意味彼等と同じ、いや同じであったはず(・・・・・)の存在だ。

嘗ては数字を持たず、子供という非力を象徴する姿をしていた彼。それはある種彼等 虚夜宮の最下層の更に下に属する彼等と同じではあった。

しかし、フェルナンドはそれこそ瞬きの速さで力を手にし、階級である数字を、あまつさえその最高峰である十刃の座を手にしたのだ。

それは成功の物語、最下層から一息に頂点へと駆け上がる彼の姿は、間違いなく希望の象徴の筈だった。

 

だが、希望よりも容易く感情を支配するもの、それは“嫉み”だ。

 

何故アイツだけが、自分と同じ筈だったのに何故アイツだけが、何故自分ではなく(・・・・・・)アイツだけが。

 

希望が羨む心を通し羨望となり、羨望は歪みを帯びて嫉妬へと返じそして、嫉みへとその姿を変えていく。

彼等の力とフェルナンドの力、それは確かに根本を異なるがしかし、決定的に違っていたのは、彼等ははじめから(・・・・・)諦めフェルナンドは諦める事を知らなかった(・・・・・・)こと。

その違いが全てを決した、そう言ってしまえば簡単なことだが彼等はそれを認められない。

 

自らを棚上げし、自分の不幸の理由を他者に求める(・・・・・・)彼等には、それを認められないのだ。

 

 

「ススススス。 そうそう、いい気味だねぇ。調子に乗った挙句に落ちるとこまで落ちた、って奴じゃん?」

 

「ブヒヒヒィ。 まったくまったく。 分不相応ってのはこういう事を言うんだろうさ」

 

 

後ろ向き、日陰日陰へと自ら進み、暗闇の底に慣れた彼等の目には否応無く映えるのだろう。

フェルナンドという強烈なまでの光、それが何処までも眩しく、しかしその眩しい光が自分達と同じ暗闇から更に下へと落ちゆく様は、彼等にとってどこか自分達がフェルナンドの上に立った(・・・・・)様な感覚を芽生えさせたのかもしれない。

 

 

だがそれは大きな誤りだ。

 

 

何故なら彼等は止まったまま(・・・・・・)なのだから。

例えフェルナンドが彼等より暗い闇の底へ落ちたとしても、彼の光は一向に衰えない。

それは彼が自らの意思によって立ち、自らの意思をもって落ちることを選択したから。

全て自らの選択に責任を持ち、自らの意思で“己の道”を歩んでいるから。

 

しかしこの破面達は別、彼等には上に這い上がろうという意思が無い、かといって前に歩み出すこともしなければ、落ちるところまで落ちてやろうという覚悟も無い。

ただただ現状という暗闇に同化する事を選択した彼等は、現状維持という名の緩やかな腐敗に犯されているのだろう。

だがそれに気付かず、他者の後退や衰退、或いは転落をほくそ笑む彼等は饒舌に語り合う。

 

 

「近頃はこういう話題が多いこったぜ。 106番もそうだが最近じゃあの6番も随分大人しいって話じゃねぇの。昔は十刃でも無いのに子分連れてギラギラして威張り散らしてた癖によぉ。牙が抜けた獣ってのも哀れなもんだ~ブッヒヒヒヒィ 」

 

「スススススス。 そうそう。 何でもず~っと自分の宮殿に篭りっきりだ、って話だよ。それとあの新しい1番、あれ大丈夫なのか? 聞けば毎日毎日昼寝三昧、いっつも欠伸してダルそうにしてるらしいじゃん。そんなのが1番ってどうなの? 今の十刃って 」

 

「ブヒッ。 そう言うなよ。 そんな言い方したら可哀相だろ?そんなのに1番とられた2番がよぉ…… ブッ!ブヒヒヒヒヒ! 」

 

 

他者の噂話を吐き捨て、嘲り、貶す。

かといって噂の張本人の前には立てず、本人の前で同じ会話など口が裂けても出来はしない。

所詮はその程度、現状を維持するための向上心すら無くした者の末路としては、まずありふれた光景。

本質が見えない者達の言葉を鵜呑みにした口さがない者達、その口さがない者達の侮蔑の言葉を更に鵜呑みにした救いようがない者達、それが彼等なのだ。

歪められた像の正誤を確かめる事もなく、ただ己のちっぽけな自尊心を満足させる。

ある種のおぞましさすら感じさせる会話が続く。

 

 

「だがやっぱり近頃の一番はアイツで決まりだよなぁ」

 

「ススス。 そうだねぇ、そこは間違いないでしょ」

 

 

一頻り侮蔑と嘲りを吐いた彼等、その上で話題に上るのはある人物。

ワザとらしく互いに顔を近づけ、口元を手で隠すように、まるで自分達はよからぬ事を話していますと言わんばかりに。

そしてそんな姿とは裏腹に、目元は細い三日月を横に倒したような笑みを浮かべる彼等。

今までの会話を食事に例えるならば前菜、或いは食前酒といったところか、主食はこれから、といった雰囲気が二人から漏れ、その漏れ出す雰囲気には先程以上の嘲りの情が浮かぶ。

 

 

「まったく、最近じゃ手がつけられねぇ、って話だぜ?」

 

「彼も可哀相だよねぇ。 あんなのの従属官じゃさぁ。スススス、いや彼の場合、自分から進んでそうなったんだから自業自得か」

 

「ブヒッ。 確かに自業自得だろうさ。 主人を選ぶ眼が節穴だと苦労する、ッつういい見本だ。 ……いやぁ? アイツの場合自分で目玉を潰した(・・・・・・・・・)のが馬鹿だっただけか?ブヒヒヒヒ 」

 

 

まず浮かんだのは哀れみだった。

件の人物ではなくその周り、従属官を哀れむようにして蔑む彼等。

哀れむようで端々に堪えきれないといった嘲笑を零し、それでも哀れで哀れで仕方が無い風を装うのは、最早様式でしかないのだろう。

あくまで哀れみ、何故なら自分達底辺に哀れまれる十刃の従属官、その様式こそが彼らを満足させるのだから。

 

 

「前はなんだったっけか? すぐ近くを通り過ぎただけの奴をいきなり真っ二つ、だったか?」

 

「そうだねぇ。 その前は…… 天蓋の日の下で偶々斬魄刀を磨いてた奴が、これまた真っ二つだったよねぇ」

 

「おっかねぇなぁ。 聞いた話じゃ他にもそこら中でいきなり、って話だ。ブヒヒ。 いよいよ頭がイカれッブ! 」

 

 

まず従属官を哀れみ、そして彼らは件の人物について語り始めた。

曰く、近くを通り過ぎただけの破面を殺した。

曰く、ただ斬魄刀を磨いていただけの破面を殺した。

彼等の話にどれだけ信憑性があるかは判らない。

信じるに値しないことの方がきっと多いのだろうがしかし、噂とはどれだけ歪められようともそれが広まるだけの“事実”がなければ生まれる事は無い。

そう考えると彼らが語るこれらの言葉にも、一握の真実はきっと隠れているのだろう。

 

だがそうして気持ちよく語っていた小さく太った破面の口を、細身の破面が突如として押えて黙らせる。

何事かと暴れる太った破面に対し、細身の破面は口を塞いでいるのと反対の手の人差し指を立て、自分の口元に持っていった。

静かにしろ、そんな仕草をする細身の破面を訝しむ太った破面だったが、続いて口の前に立てられた指が廊下の奥を差し、その先に居る人物を確認すると全てに合点がいった様子で頷く。

 

 

「噂をすれば影、なんてのはよく言ったもんだねぇ」

 

「ブヒッ。 いやまったくだぜ 」

 

 

口を塞いでいた手を離した細身の破面は、かなり声を抑え、太った破面にギリギリ聞こえる程度の声で呟く。

太った破面も同様に声を落とし、流れる汗を拭きながら応えた。

二人の視線の先、その人影はかなり遠くしかし、周りの景色からまるで浮き上がったように映える。

耳に届くのは一定の間隔で続く音。 何か重い物を引き摺りそれと床が擦れたような、重苦しい音。

そして視界に映るのは、白を基調とした虚夜宮において、まるで歪みを帯びたような黒い気配。

僅かに背を曲げて歩いているにも拘らず、長身痩躯の身体は頭一つ他より抜きん出ており、更には腕の太さに見合わぬ巨大な斬魄刀がより一層この男の異質さを強調していた。

 

第5十刃(クイント・エスパーダ) ノイトラ・ジルガ。

 

壁際で噂話に花を咲かせていた二人が、最後にとっておいたとっておき。

フェルナンドの転落劇もそうだがそれをして尚、ノイトラの凶行は彼等の耳に事ある毎に届いていた。

その件の人物が今まさに自分達の居る方へと歩いてくる、運が良いのか悪いのか、彼らにとって判断は難しいところだろう。

だがそれでも下世話な性根は、運の良し悪しなど関係なく首を持ち上げる。

 

 

「いやだいやだ、何だよあれ。 完全にイッちまってる(・・・・・・・)じゃねぇか」

 

「そうだねぇ。 一目見て正気じゃない(・・・・・・)ってのがよく判るよ。落ちたもんだ…… 」

 

 

自分達に近付いてくるノイトラを見やり、太った破面も細身の破面も一様に浮かべるのは哀れみ、そして嫌悪。

うな垂れる、とまではいかないがそれでも背を曲げて歩くノイトラ。顔はその長い黒髪に隠れて確認しづらいが、それでも纏う気配が、霊圧が、明らかに尋常では無い事だけは確かだった。

色で言えば先も言ったとおり黒、感触で言えば殺気を針としてまるで泥のよう。

おどろおどろしい、という表現がもっとも適切であり、その姿は幽鬼の様にさえ見える。

 

格下、次元を異なったように下位に属するものは、本来上位の力を正しく感じ取る事は出来ない。

何故なら正しく理解してしまえばそれだけで、自分が壊れてしまうと下位の者達はわかっているのだ、本能的に。

自らの許容を超えた力、それを理解など出来るはずも無く。下位に属する者にとってそれを苦も無く御する上位に属する者とは、それだけで異質。

だがそんな下位の更に下位に属する二人にも、今のノイトラの異常さは感じ取れた。

それは実力とは別の部分なのか、それともその次元を隔て理解を拒否する本能すら超え、無理矢理彼らが理解させられてしまうほどの力なのかは定かでは無い。

 

重要な事は一つ。 ノイトラが誰の目から見ても明らかなほど正常では無い(・・・・・・)という事なのだ。

 

通路の中央を歩くノイトラ。

閑散とした通路にあってそれでも、まるでその彼を避けるように居合わせた破面達は道を空けた。

ノイトラがそうしろと威圧したわけでは無い。ただ彼らは理性よりも更に深い動物的本能で察したのだ、そうしなければ駄目だと。

彼を避けるようにして壁際へと流れる破面立ちにあって、はじめから壁際にいた二人の破面達はそのまま動くことも無く、ただ口元を手で隠しながら視線だけをノイトラへと向けて話を続ける。

決してノイトラの前に立つ事など出来ない彼等、だがそれでも彼を噂することを止めないのは、ある意味根性が座っているとも言えるだろう。

いや、それは根性よりも寧ろ別物、自分達は大丈夫(・・・・・・・)だという根拠の無い自信がそうさせるのかもしれない。

 

 

「怖い怖い。 破面の僕が言うのもなんだけど、あれじゃまるで物凄く性質の悪い悪霊みたいじゃないか」

 

「違いねぇ。 怨霊っつうか…… なんにせよ、まともじゃねぇな。気味が悪いぜ。 正直見てるだけで胸糞悪くなる霊圧だ…… 」

 

「これはもう完全に壊れてる(・・・・)っぽいねぇ。106番に続いて十刃落ちから処分の流れも近いかなぁ?ススススス。 あぁ、それなら上が端からみんなああなれば僕らも十刃になれちゃう?」

 

「ブヒヒ。 それはそれでおもしれぇ。 上が端から狂っちまえば、そのうち俺達も十刃ってか」

 

 

ヒソヒソと話す二体の破面。

ノイトラはもう彼等の傍を通りすぎようとしていた。

それほど近くにノイトラが居るというのに彼らは噂話という名のやっかみ、侮辱をやめなかった。

まるでスリルを楽しむように、絶対に聞こえないように声をますます落とし、手で覆い隠し、ノイトラに絶対気付かれないと判断しつつスリルを楽しむ。

絶対安全を確認した上でのママゴトのようなスリル、火遊びを。

根拠の無い安心を。

 

だが世に絶対など存在しない。

 

 

 

「スススススス。 おもしろいでしょう?そうなればッブボゲェ! 」

 

「お、おいどうしッ!ヒィ! 」

 

 

太った破面はもう一人の細身の破面の言葉がいたくツボに入ったのか、ノイトラへと向けていた視線を切り、目を閉じるようにしてニヤニヤと笑っていた。

このまま上が全てノイトラのように狂ってしまえば自分も十刃、そんなあるわけが無い事をただノイトラを揶揄するためだけにいう事の愚かしさ、だがその愚かしさが面白い、と。

しかしその直後、細身の破面が発した奇声。何事かと思い細身の破面の方へと視線を向けた彼が眼にしたのは、胴の中ほどから上が無い(・・・・・・・・・)細身の破面の胴体。

 

先程までしっかりと意思を持ち立っていた脚は、数瞬の後に糸が切れた人形のように崩れ、太った破面の足下に血溜まりを作るだけの物体へと変わり、上半身は黒く巨大な何か(・・)に壁へと叩きつけられ、見るも無残。

身体を分断するにあき足らず、壁に叩きつけ押しつぶし、原形をとどめる事を許さないかのような一撃。

目の前に突如として現われた惨劇に、太った破面は腰を抜かし尻餅をつき、ただ後ずさる様にもがく。

 

細身の破面を一瞬にして肉塊へと変えた黒い何か、それはまるで背中を合わせた三日月のような偉容の巨大な斬魄刀。

三日月の背と背が合わさった部分から伸びた柄、そしてその端から連なる輪の大きな鎖、その先が繋がるのは無論、通路中央に立つ幽鬼。

そう、細身の破面を瞬時に絶命たらしめたのはノイトラ、自らの巨大すぎる斬魄刀を投げ付け、その一撃をもって彼は件の破面を惨殺したのだ。

 

 

 

「…………うるせぇんだよ 」

 

 

 

一言、ただ一言を発しただけで太った破面を含め、その場に居合わせたほかの破面全ての視線がノイトラに集中する。

ボソリと呟かれただけの言葉、決して大声では無いがしかし、その言葉は力を持ったかのように場を縛り上げ、呼吸を止めさせる。

目の前で起こった惨劇が、その惨劇を引き起こした張本人が発した言葉に、その場の全てが呑まれたのだ。

 

腰布に繋がった鎖を引き、壁へと突き刺さった斬魄刀を自らの元へと引き寄せたノイトラ。

斬魄刀が抜けたことで押しつぶされていた細身の破面の残骸は、ボロボロと壁から剥がれ落ち転がる。

最早そこに生命を見出す事は出来ない。そこにあるのはただただ醜悪さと嫌悪の対象だけだった。

転がった破面の残骸に太った破面は再び声になら無い悲鳴を上げ、だがそれでもノイトラの様子を伺おうと彼へと視線を向ける。

 

 

「ヒィィ! 」

 

 

だが、そこには更なる恐怖があった。

 

眼だ。

 

黒く長いノイトラの髪、顔を覆うようにして垂れた髪と髪の隙間、そこからのぞく眼。

開けるだけ見開かれ、血走り、充血し、怒りとも憎しみともつかないただただ強烈な意思を浮かべる眼がそこにあり、太った破面を射抜いて殺さんとしているのだ。

纏う雰囲気から太った破面にさえ、ノイトラが尋常な状態では無い事は察しが付いていた。

だがこれはあまりに度を越している(・・・・・・・)と、戦闘時でもなければ何一つ気を昂ぶらせるものがない現状で、この男はまるで泥沼の戦場を這いずる兵士のような狂気を宿していると。

常在戦場などという言葉が生易しいほど、心構えなどという段階ではなくこの男は戦場の最前線で、命を賭け死線を掻い潜り続けている様にすら見えるのだ。

 

化物、狂人、破綻者、そのどれもが彼に当て嵌まり、そのどれもが何処か適当でない。

そう思わせるほど圧倒的な何か(・・)を感じさせるノイトラに、その姿に、太った破面は息すら出来ない恐怖を覚えた。

何よりその恐怖とは死の恐怖であり、搾取される者が感じ取る絶対的不可避の恐怖だったのだ。

 

 

 

 

「他人の耳元で(・・・)ギャァギャァと…… うるせぇんだよカスが 」

 

 

 

 

言葉と共に振り上げられた巨大な斬魄刀。

そして太った破面が覚えているのは、その後自らに迫り来た黒い何かだけ。

そしてグシャリと何かがつぶれる音だけを残し、彼の存在は世界から消えた。

 

人を呪わば穴ふたつ、他者に怨嗟を向け、嘲笑う事しかしなかった彼等二人に同情の余地は無い。

だがこのノイトラの凶行はどうだ。

あまりに常軌を逸した行動、おそらく件の破面達の噂もこれを目の前にすればほぼ真実だったのかもしれない。

それでもその噂が真実だとしてノイトラの行動に説明がつくか、と問われれば否だろう。

結局のところこの行動に意味があるのか無いのかすら、誰にもわからない。

 

ただただノイトラは辺り一面に恐怖だけをばら撒き、また通路を歩き出した。

ズズズと一定の間隔で斬魄刀を引き摺る音を残して。

 

“最強”という名の“死”を求める幽鬼、ノイトラ・ジルガ。

狂気に染まる彼の道に終わりはまだ見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大な月が照らす虚圏の砂漠。

白い砂と黒い夜空、そしてその夜空に浮かぶ月だけが、世界を構成する全て。

だが本来静寂こそ似合う砂漠にあって、そこだけは静寂とは無縁の世界を小さく形成していた。

 

砂漠と夜空の境界、地平線と平行に走るのは小さな砂煙。

更に近付けば砂煙の先を走るのは三体の破面であり、どうやら一番小さな破面の後をヒョロリとした破面と、どう考えても顔と身体の比率がおかしい破面が追いかけているように見えた。

 

 

「シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ!」

 

「ばぼははははははははははははははは!」

 

 

小さな破面の後を追う二体のは面は、奇声を発しながら小さな破面を追い、小さな破面は必死になってこれらから逃げている。

どう考えてもいじめっ子といじめられっ子の図式、被害者と加害者、といった様子ではあるが実は違う。

彼等の名は小さい幼女の姿をした破面からネル・トゥ。ヒョロリとしてどこかクワガタの様に見える仮面で顔を覆っている破面がペッシェ・ガティーシェ。最後に大きな顔とそれに見合った大きな仮面を付け、二頭身の体型をしたドンドチャッカ・ビルスタン。

 

そして先頭を走る、というか追いかけられている様に見えるネルと呼ばれる破面は、嘗て(メス)の破面の中で最上位に立ち、何者をも寄せ付けぬ強さを誇った第3十刃(トレス・エスパーダ)、ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンクその人なのだ。

 

だが今の彼女には当時の記憶も、そして力もない。

彼女は破面という戦闘集団の中にあって戦いを好まなかった。

ヒトから虚という獣へと堕ち、そして破面となって“理性”を取り戻した自分達は、戦うことに“理由”を求めるべきだと。

誰かが気に喰わない、気に入らない、そんな破面の大多数をしめる戦いの理由は、ネリエルからすれば単なる“本能”の部類であり、己を“戦士”から“獣”へと落とすに等しい行為。

戦士には戦士の戦いがあり、戦士は獣の命を背負うことはしないと。

 

だがそれに異を唱えたものがいた。

 

ノイトラ・ジルガ。

今も、そして当時も“最強”という言葉に取り付かれていた生粋の獣は、雌である彼女が自分の上位にいる事を良しとせず、また本能の戦い(・・・・・)を否定する事を良しとせず、事ある毎に戦いを挑んだのだ。

しかし全てにおいて勝利したのはネリエル。

そしてその全ての勝利において、ネリエルは終ぞノイトラの命を奪うことはなかった。

 

だがそれはノイトラの自尊心を激しく傷つけた。

雌である彼女が自分の上に立つ事が気に喰わない、何より戦いを否定する彼女が気に喰わないと。

自分と同じように数多の同胞を喰らい、その屍の上に立っているにも拘らず。

自分よりも多くの経験と時間を戦いに費やし、それに見合うだけの力を持っているにも拘らずと。

 

 

故にノイトラはネリエルを罠にかけ、面を割り、虚圏の砂漠へと捨てたのだ。

 

 

自分と彼女の間にある溝、経験という名の溝を埋める時を稼ぐために。

そしてその溝が埋まったとき、“理性”と“本能”のどちらが正しかったのかを、どちらがより“最強”という名の高みに昇るべきなのかを証明するために。

 

 

 

結果ネリエルは、いやネルは砂漠を駆けている。

紆余曲折の上ではあるが、ネルとなって砂漠を駆けている。

 

ちなみに今ネルが必死に逃げているように見えている(・・・・・)この激走は、名を『無限追跡ごっこ』と言い、彼女等の遊びの一つだ。

娯楽、と呼べるものが一切存在しない虚圏において、彼女等がああでもないこうでもないと頭を捻り、捻りすぎたが故に生まれたのがこの遊び。

一人が逃げ二人が追う、逃げる役は常にネルでペッシェとドンドチャッカが追う役というのがお決まりの様だ。

別段捕まったからといって何かある訳でもない。ただ腐っても破面である彼女等の有り余る体力の上で行われる鬼ごっこである、という点だけが特異な点。

結果そうそう逃げる役であるネルが捕まることも無く、まるで無限に続くかのような遊びゆえに、名を無限追跡ごっこなのだろう。

 

閑話休題。

遊びの上ではあるが、必死に逃げるネル。

彼女等に言わせれば、この本気で逃げている加減もまた遊びの一環なのだろう。

 

 

「お、お助けっス~~! 」

 

 

事の顛末を知っていれば若干の白々しさもあるが、そこは迫真の演技と置き換えて叫ぶのはネル。

小さな子供のような外見に、ヒトの頭蓋骨が砕けたような仮面を頭に載せ、顔を横切るように薄桃色の仮面紋(エスティグマ)が奔る。

額から眉間そして鼻筋にまで奔る傷跡は、かつてノイトラが彼女に刻み込んだ決別の傷。

 

はぁはぁと息を切らせながら娯楽である無限追跡ごっこを続ける彼女と、ペッシェ、ドンドチャッカの三人。

その光景は本来の破面や居といった者達の性質、戦い殺し奪う事を常とする者達の性質からすれば異端であり、向けられる視線も侮蔑や嘲笑、所謂“落伍者”へと向けられるものが大多数だろう。

 

だが彼女等にとってそれこそが求めたものだったのかもしれない。

記憶をなくしてはいるが、嘗てネリエルと呼ばれていたころのネルが願ったもの、それがこの光景には溢れている。

他者にとってどれだけ無意味なものだろうと、それが彼女等にとって無意味とは限らない。

いや他者にとって無意味だからこそ、彼女等にとっては何より意味があるのだ。

 

 

「どうしたのだネル! このままでは追いついてしまうぞ~!」

 

「元気だすでヤンス~! 」

 

 

ネルを追いかけるペッシェとドンドチャッカは、逃げるネルにじりじりと迫りながら声をかける。

逃げるネルを煽る二人の言葉に、ネルは息を切らしながら足を速めた。

 

 

「はっ!はっ!はっ!はっ!はヘブッ!! 」

 

 

息を切らしながらも速度を上げ、二人を引き離しにかかったネル。

だが速度を上げる事に夢中になったばかりに、足下が疎かになったのか。

何かに躓きそのまま顔面から砂漠に突き刺さってしまった。

 

だが問題はここから。

躓いたのがネル一人だけならばまだ問題は無い。

しかしネルの後ろには後二人控えているのだ、それもどう考えても足下が疎かそうな者(・・・・・・・・・)が二人。

 

 

「ヌオっぷブ!」

 

 

まず見事に足下が疎かそうな者その一が、ネルと同じモノに躓いた。それも盛大に。

ネルよりもやや遠くに顔から砂漠に着地し、そのまま顔を砂漠に擦りつけながら滑るペッシェ。

ある意味芸術的な着地をした彼ではあるが、彼の不幸はこれだけで終わらない。

何故なら足下が疎かそうな者はもう一人いるのだから。

 

 

「ヤンス~~!? 」

 

 

やはり同じモノに躓いたのは、足下が疎かそうな者その二。三人の中でいちばん身体が大きいドンドチャッカだ。

身体が大きい、という事は質量保存の法則よろしく遠くまで飛ぶ。

そしてその着地点には最早当然の様にペッシェが居るのだ。

 

ドンという音と共に見事にペッシェの上に着地したドンドチャッカ。

その下には声なき悲鳴を上げたエビゾリ状態のペッシェ。

いっそ狙って着地したのか? と思ってしまうほど、此処までの流れはある意味で完璧だった。

 

 

「ぺっぺっ! ふたり共だいじょうぶだか? 」

 

 

砂漠から顔を上げ、口に入った砂を吐き出したネルは二人に声をかける。

 

 

「ネル~。 オイラは大丈夫でヤンス~ 」

 

 

そんなネルに向けて大きく両手を振るドンドチャッカ。

何とも無邪気なものだが忘れてはいけない。 彼の下には現在進行形で一人下敷きにされている事を。

 

 

「ド、ドンドチャッカ。 とりあえずどくのだ…… お、重い…… 」

 

「? ペッシェの声が聞こえるでヤンス。 でも姿が見えないでヤンス…… ペッシェ~ どこでヤンスか~? ペッシェ~~」

 

 

ドンドチャッカが乗っていては動けないペッシェ。

まずは彼にどいてもらうことを第一と考えた彼は、搾り出すようにドンドチャッカへと声をかける。

だがドンドチャッカはといえばペッシェの上で左右を見回し、しかしそこにペッシェの姿がないと判ると、両手を口の横の添えて大きな声で彼を呼んだ。

無論彼を下敷きにしたまま。

 

 

「ペッシェ~ ペッシェ~ どこでヤンス~~? ……た、たたた大変でヤンス! ペペペペッシェがいないでヤンス~~」

 

「いや、ちょッ…… し、した、したに…… 」

 

「ペッシェ~ペッシェ~どこでヤンス~!イジワルしないで出てきて欲しいでヤンス~!!」

 

「ちょッ! なッ!? え!? 何故このタイミングで地団駄ッ!?」

 

 

ペッシェの声はすれども姿は見えず、そんな状況にドンドチャッカは狼狽したように慌て始める。

大変だ大変だと叫びながら、ペッシェの名を呼び続ける彼。

絶賛下敷き中のペッシェの声は何故か届かず、あろうことかドンドチャッカはペッシェの上で(・・)立ち上がると、ドンドンと地団駄を踏むように慌てふためく始末。

地団駄が踏まれるたびにペッシェからは何とも情けない悲鳴が漏れるのだが、ドンドチャッカは最早お構いなし状態。

結局ネルがドンドチャッカの足下の砂に半ば埋まっているペッシェを発見するまで、暫しの間そんな混沌とした状況は続いていた。

 

 

 

 

 

「ワザとかッ! いっそワザとなのか!? 」

 

 

砂から掘り出されたペッシェは、大量の砂を吐き出した後、憤慨するようにドンドチャッカに詰め寄った。

ただお互いの姿がどちらかと言えば、ひょうきんな見た目に属しているため、憤慨して怒る姿も威力半減ではあるが。

 

 

「わ、ワザとじゃないでヤンス。 ペッシェももっと早く言ってくれればオイラだって直ぐどいたでヤンスよ」

 

「言ったよね!? 下にいるって言ったよね絶対!でも踏んだよね完璧に! そりゃぁもう完璧に!」

 

「ふたりとも落つ着くッス。 元はといえばネルがコケなけりゃ」

 

 

ぷんすかと怒るペッシェと状況を半分くらいしか理解していないドンドチャッカ。

ほおっておいてもそのうち収まる些細な言い合いではあるが、ネルは両手をバタバタと振って二人の間に入る。

元を正せば最初に転んだ自分が悪いと。

そんなネルの姿にバツが悪いものを感じたのか、一度言葉に詰まった様子のペッシェは、ドンドチャッカに向けていた矛先を別のモノに向ける事にした。

 

 

「そうなのだ! 大体なんなのだ私たちをスッ転ばせた元凶は!そんなものがあったから私はあんな目に…… 」

 

 

そう、元を正せば転んだのはネルであるが、その更に元凶は何らかの(・・・・)物体があればこそ。

それに躓きさえしなければ、こんな流れにはならなかったと言うペッシェは、そちらの方に視線を向ける。

つられてネル、ドンドチャッカもそちらの方を向くが、その視線が集まった先には何とも奇妙なものが砂漠から生えていた。

 

 

「……手ッス 」

 

「……手なのだ」

 

「……手でヤンス 」

 

 

三人の死線が集まった先、そこにあったのは紛れも無くヒトの手(・・・・)だった。

前腕の半ば程だけが砂漠から見えている手、というか腕がそこにはあり、他には砂しかないことから彼女等三人が足をとられたのは、それしかないことは明白。

というより何故砂漠からヒトの手が生えているのか、という事の方が疑問なのだが、そんな疑問など今の彼女等には浮かばないだろう。

 

 

「ひぃぃぃぃ! 手、手手手手手ッスよペッシェ!なしてこっただ所に手が生えてるだか!? 」

 

「お、おおおおお落ち着くのだネル! そ、そうだこういう時は砂漠で拾った現世の文献にあった様に“素数”とやらを数えるのだ! …………そもそも素数が何か判らん!! おのれ人間め!さては私を罠に嵌めるためにワザとあんな文献を書いたのか!?くっ! 巧妙な種族め! 」

 

「だからワザと踏んだわけじゃないでヤンス!許してほしいでヤンス~! 」

 

「えぇ!? その話まだ続いてたの!? 」

 

 

明らかに動揺するネルと、動揺しながらも冷静さを保とうとしてまったく保てていないペッシェ、更にはまだ先程の話を引き摺るドンドチャッカ。

反応が三者三様過ぎるためか、それともこの状況を纏められる人物がこの中に居ないためか、それぞれ思い思いの反応をそのまま直で表現してしまっている空間は、収拾がつかないものになりつつある。

いや、そもそも収拾をつけようという気が無い様にも見えるが。

 

 

「えぇ~い、うるさいうるさい! 全員がツッコミ待ちの状況ってどんだけなのだ!ツッコミのクレクレ感がハンパないわ! 止め!もう止め! 」

 

 

このどうにも収拾がつかない状況に、まず最初に業を煮やしたのはペッシェ。

というか結局この中で一番それらしい役が彼なのだから、それもそれで仕方なし、と言ったところなのだろう。

そんな彼の様子に、他の二人もならば仕方ないといった様子で従うが、結局のところ残された問題が一つ。

 

そもそもあの腕は何なのか、という事だ。

 

 

「しかし…… 何でまたこんな所に腕が生えているのだ?」

 

「知らねッスよ 」

 

「知らないでヤンス? 」

 

(私も知らないから言っているのだが…… そもそも何だドンドチャッカ、その疑問形は!何故そこで疑問形になるのだ! ……いやいや、ここでツッコんだら私の負けな気がするのだ!落ち着けペッシェ、クールだ、クールになるのだ。だが…… )

 

 

物事の流れを本筋に戻すためか、あえて、いや涙を呑んで口をつぐんだペッシェ。

もしここで言ってしまえば話しはまたあらぬほうへ捻じ曲がり、結局戻ってこれない可能性もあるのだ。

彼の判断はある意味英断と言えるだろう。

だがそれでも、彼がどうしても気になることが口から零れる。

 

 

「そもそも、あの腕から先は付いている(・・・・・・・・・・)のだろうか……?」

 

 

そこである。 問題はまさにそこ。

今砂漠から見えている先、厳密に言えば前腕から先があるのか無いのか。

基本的に霊子で構成されている生物、虚であれ破面であれ死神であれ、それらは死ねば霊子へと還る。

生命の循環、人が死ねば朽ち、何時しか土へと還るように摂理として彼らは皆、霊子へと還るのだ。

 

では今、ペッシェ等の前にある腕はどうか?

腕はまだ朽ちているようには見えないが、そこから先があるのか無いのかまでは判らない。

要はそこに見えるものは“腕だけ”なのか、それとも“腕を含めた全て”なのか、その判断に困るというのがペッシェの口から零れた疑問。

そんな呟きにペッシェ以外の二人は過敏なまでの反応を見せた。

 

 

「ヒィィィ! ペッシェなしてそっただ怖いこツ言うだか!」

 

「コココココ怖いでヤンス~! ペッシェが怖いでヤンス~!」

 

 

顔を引きつらせて叫ぶネルとドンドチャッカ。

二人は悲鳴を上げながらペッシェにしがみ付くと、ぶるぶると震えていた。

 

そして震えながらペッシェを腕の方へとグイグイと押し始めた。

 

 

「え? ちょっ! な、何をしているのだ!?何故押す? 何故私を押すのだ! 」

 

 

グイグイと押される自分の現状に、ペッシェは疑問を叫びながらも足を突っ張りそれを阻止しようとする。

だが状況は二対一、力負けは目に見えた状況であり、突っ張る足の先に砂の山を作りながらも、ペッシェに抗う事は叶わなかった。

 

 

「そ、そんなに知りたかったらペッシェが確かめればいッス」

 

「そうでヤンス! オイラがやってもいいけど、今日のところはペッシェがどうしてもって頼むから譲ってあげるでヤンス!」

 

「頼んでないッ! 全然! まったく! 欠片も頼んでないのだ!」

 

 

不用意な発言で結局割を食ったのはペッシェ。

構図的にはこれをひっくり返す事はまず叶わないだろう。

グイグイと押しに押され、抗いながらも抗いきれず、遂に腕の前まで押し運ばれたペッシェ。

そこまでペッシェを運ぶだけ運んだネルとドンドチャッカは、もういいだろうというところですぐさま引き返し、ペッシェだけを腕の傍に置き去りにすると、自分達は少し離れた場所でその様子を伺う。

そんな二人に恨めしそうな視線を送るペッシェだが、チラリと腕の方を見ると、もう覚悟を決めるしかないといった雰囲気で溜息をつく。

 

 

「あ~ハイハイわかったのだ 」

 

 

そんな台詞をはきながら、ペッシェは肩を落としまた溜息をつくと、その場にしゃがみ込む。

腕までは丁度ペッシェが自分の腕を伸ばせば届く程度の距離、砂漠から生え微動だにしない腕をじっと見つめていた彼は、一度目を閉じ、そして意を決したようにカッと眼を見開くと、自分の腕をそちらの方へと伸ばした。

 

ものすごくゆっくりと、だが。

 

そろりそろり、ゆっくりゆっくり、まるで蠅が止まるほどの速度で。

 

見れば重心は腕とは逆方向に掛けられるだけ掛けられ、何かあればすぐさまそこから離れられる準備は万端。

手は人差し指だけを伸ばし、その指もプルプルと震えている。

その姿は明らかに怯えている、というよりビビっているのがまる判りで、そんなペッシェの様子に面倒事を押し付けた方の二人は、自分達を棚上げして野次を飛ばす。

 

 

「ペッシェなにしてんスか! カッコわりぃと思わねぇだか!このシロアリ! 」

 

「臆病もんでヤンス! ウンコタレでヤンス!デベソ! ワキガ! 」

 

「うるさいッ! だったら自分達でやればいいのだ!!」

 

 

飛んでくる野次、というかただの悪口に思わず叫ぶペッシェ。

自分だけなんとなく危なそうなものに近付かせられ、安全な場所から野次を飛ばされれば誰でも頭にくるだろう。

だがそんなペッシェの怒りなど他所に、なおもほか二名は野次を飛ばす。

 

 

「あ、んじゃネルがやるッス 」

 

「いや、オイラがやるでヤンス! 」

 

「………… 」

 

 

ペッシェの様子に、そんなに嫌なら自分がやる、と言って勢いよく手を上げたのはネル。

そんなネルの後に続くように、いやいやそれなら自分がとこちらも勢いよく手を上げるドンドチャッカ。

二人のその姿に明らかに嫌なものを見た、という顔をするペッシェ。

だがペッシェがそんな顔をするのも無理は無い。何故ならペッシェ以外の二人の目は、あからさまにキラキラとしているのだ。

 

まるで何かを待っているように。

そしてその何かがわかるだけに、ペッシェは言わざるをえない、この台詞を。

 

 

「……それなら私がやるのだ 」

 

「「あ、どうぞどうぞ 」」

 

「だろうね! この流れじゃ!! 」

 

 

ある種の様式美、避け得ない流れ、それがそこには確かにあった。

ペッシェが手を上げるのを確認した瞬間、上げていた手を華麗に下げ、どうぞどうぞとまるで譲るようにして前へと差し出すネルとドンドチャッカ。

まさに掌返し、一瞬の変わり身、そしてその全てを判りきった上であえてその流れに乗ったペッシェ。

 

結局のところ彼らにとってこれらは全て娯楽なのだ。

そういったものに圧倒的に乏しい虚圏にあって、彼らには日常と違う全ては娯楽。

楽しいことなら尚楽しく、苦しく辛く、たとえ怖ろしいと思ったことさえ、三人揃えば変えられる。

そうして過ごすからこそ彼らは他とは異質、だが異質である事が彼らにとって何よりも幸福でいられるのだろう。

 

 

ひとしきり状況を楽しんだ三人は、というかペッシェは一人再び腕へとその手を伸ばす。

速度はやはり先程と同じ、ゆっくりゆっくり、だが確実に。

そして震える指はいよいよ、砂漠から生える腕へと触れる。

 

 

「ツンツン…… 」

 

 

気を紛らわすためか、あえて声を出しながら腕をつつくペッシェ。

腕、というよりは丁度掌の中心辺りを突くペッシェだったが、突いても反応は無い。

二度、三度、間を置きながら繰り返し突いてみても、やはり何の反応も返ってはこなかった。

 

慣れとは恐ろしいもので、数回突いても反応が無い腕を前にし、これはもう平気だと感じたペッシェは、ほんの少しであるが悪ノリを見せる。

具体的には突くのを止め、掌をくすぐるという行為にうってでたのだ。

もう大丈夫、もう平気、これはもう動かない、彼の中でそれが判ってしまったからこそ出来る行為。

その証拠に、こしょこしょとくすぐって見ても腕は何の反応も見せない。

 

 

「ふむ。 意外と大した事ないのだ。 ……しかしそう思うとアレだ。こんな所にこんなものがあるから私は躓いたわけで、そう思うとこう…… フツフツと湧き上がるものが…… 」

 

 

害は無い、そう判断したペッシェの奥底からこみ上げるもの。

それは、何もこんな所に腕が生えていなければ自分は転ぶ事も、まして踏みつけにされることも無かったと。

この仕打ちを受けた元凶は何かと考えれば、湧き上がる怒りをぶつけたくなるもの道理ではある。

ペッシェはおもむろに立ち上がると、片足を後方へ大きく振り、腕を蹴り飛ばそうとした。

正直思い切り走っていたペッシェ含め三人をつまずかせ、それでも傷一つ無い時点でこの腕の強度の方が彼等の脚より上なのは間違いないのだが、それはそれこれはこれ、要は気持ちの問題なのだろう。

 

 

「憎き腕めが! 私の裁きの鉄槌もとい、裁きの蹴りを喰らうがいいのだ!!」

 

 

そう叫んだペッシェは後ろに振り上げた足を勢いよく前へと振り抜く。

転ばされた事への恨みと、残りは諸々オイシクない役回りをやらされた恨み、どちらかと言えば後者が色濃いだろう一撃は、殊更正確に手の小指だけを狙うという陰湿な精度を持って砂漠に生えた腕目掛け一直線。

この瞬間ペッシェは何故か勝利を確信し、内心では苦いものが濯がれる感覚を味わっていた。

 

 

だがそれは一息に絶望へと変わる。

 

 

まずもって相手が悪かった。

砂漠に生えた腕は、少々のことならば問題とはしないが、自分に対して害意ある一撃(・・・・・・)に対して反応を示さないほど温厚では無い。

それがたとえ無意識であろうと(・・・・・・・・)なんだろうと関係なく、反射として行動を起すのがこの腕、いやこの“腕の主”なのだ。

 

 

「「「へ……? 」」」

 

 

当たる。 ペッシェがそう思った瞬間、事態は変化した。

蹴りを放ったペッシェだけではなく、その光景を見ていたネル、ドンドチャッカの彼等三人がそろって間抜けな声を漏らしてしまうほど、その光景は彼等の度肝を抜くもの。

彼等の目の前で砂漠に生えた腕は、自分へと迫った蹴りが当たるその瞬間、突如として動き蹴りを避わすと同時に、ペッシェの足首を思い切り掴んだ。

 

そう、三人共にもう動かないと高を括っていた腕は、今まさにペッシェを捕らえたのだ。

 

 

 

「「「~~~~~~~~ッ!!! 」」」

 

 

 

あまりの出来事に声にならない悲鳴を上げる三人。

慌てふためく傍観者二人と、恐怖におののく当事者一人。

 

普通の破面であることを捨てた三人、ただ三人で楽しく生きられれば幸せだった三人。

彼等の運命は、ここで大きく捻じ曲がったことだろう。

それが良い方向なのか、それとも悪い方向なのかは今はまだ判らない。

 

だが少なくとも当分の間、彼等三人が“つまらない”と思うことが無いことだけは確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした一護。 もう終わりか? 」

 

 

曇天の空、厚い雲に覆われた空と響く遠雷。

重苦しく、どこか何かを憂いている様な、そんな表情を見せる空に立つのは一人の男。

 

黒い癖毛の長髪にボロボロのコートを纏った男の名は『斬月』。

死神代行 黒崎一護の斬魄刀の本体であり、今もって一護を彼自身の精神奥深くに捕らえている張本人。

その視線の見下ろす先、どこまでも伸びる様な横倒しの摩天楼には、肩で大きく息をしながらそれでも倒れまいと立つ、橙色の髪の青年、黒崎一護がいた。

手には始解状態の斬月を握り、しかし今は普段握り慣れたその斬月すらもどかしく、重く感じられるほどの疲労を顔に湛える一護。

絶えず噴き出す汗が顎の先から滴り、浅い息を繰り返す彼。

 

しかし、下を向いていた顔を上げ、斬月を見据えるその瞳には、身体の疲労とは裏腹な闘志が見える。

 

 

「……まだ挑むか。 しかしどうした一護よ。今回は以前よりも人数は少ない(・・・・・・)筈だが?」

 

 

斬月は一護の瞳に滾る闘志を見ると、一度本当に小さく溜息を零した。

だがそれでも、この如何ともしがたい状況をどう打破するのだ、と問う彼の声は堅い。

そう、今一護と斬月が行っているのは、言うなれば何時かの再現。

 

卍解修行。

 

自らの斬魄刀を屈服させる事によって、死神は初めて卍解を手にする。

しかし、一護は焦りと慢心により一度屈服させた筈の斬月から、卍解を奪われてしまった。

故に一護はもう一度、斬月と向かい合い彼を屈服させ、卍解を取り戻しそして現実へ帰還しようとしているのだ。

 

 

だが、それには今、大きな障害(・・・・・)がある。

 

 

 

「ではもう一度言おう。 彼等二人を突破(・・・・・)し、私に一太刀浴びせること。これがお前に再び卍解を条件だ 」

 

 

そう、空に立つ斬月と摩天楼に立つ一護、その間に陣取るふたつの影。

白と黒、同じ意匠のフード付きコートを纏い、そのフードを目深に被ったふたつの影。

手にはどちらも一護の卍解である天鎖斬月を握り、一護の前に立ちはだかる様にして立っている。

顔は見えず、正体は判らず、しかし始解と卍解という差を差し引いても圧倒的な強さを見せるふたつの影が今、一護の道を塞いでいるのだ。

 

 

 

 

「さぁ一護。 再び力を手にし、誰かを護る事を望むのならば越えていけ。私を…… そしておまえ自身を 」

 

 

 

 

斬月の言葉に小さく息を吐く一護。

そして一歩、強く足を踏み込むと彼は摩天楼を砕きながら跳躍し、何度目かわからない挑戦に打って出る。

挑むは一護一人、迎え撃つは白と黒の影。

勝たねば、越えねばならない戦い。 しかし有限の中での戦い。

それはまるで流れ落ちる砂時計の砂の如く。

 

そして零れ落ちる砂は、刻一刻と終わりに近付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

深々

 

音も無く

 

全てを覆う

 

嗚呼それは

 

(ましろ)なる残酷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、ちまちまと書き続けてようやくそれなりの文量となりました。
いやホント待ってくれている方がいるなら申し訳ない限りです。

内容的には虚夜宮側、主人公側と一護が少し。
まぁ厳密にはノイトラと怪盗ネルドンペの回ですね。

真ん中あたりは殆どテンションで乗り切っているのがよく判ります。

次回は…… 雪が解ける前には投稿したいなぁ。

ではまた次回に。

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