7th DRAGON Ⅲ 夢幻の葬花   作:アレクシエル

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code:3 「天地を、断つ」

 

1.

 

 

 

晴れ渡っていた空は、旋回するドラゴンが振りまく瘴気によって青黒い霧がかかったように曇り、四角錐の形をしたノーデンス本社ビルの前───正門広場にもフロワロが少しずつ侵食し始めている。

正門広場にて暴威を振るうドラゴンは全部で4体。そのうちの1体は格別大きな躯体を持ち、3体の白い外皮をした竜"ホワイトドラゴン"が並ぶ奥に構えている。

帝竜・スペクタス───ここ、ノーデンスを拠点としてフロワロを撒き散らす為に降り立ったそのドラゴンは、朱色の厚い外皮と、尻尾や肩先、背中に至るまでにスパイクのような棘を等間隔に生やし、太い腕と一体となった両翼の端からは、斧のように鋭く平たい刃が2枚ずつ重なって生えている。

また、それと同じ形をした小さな刃が手甲部・及び口元に1対ずつ備わっていた。

 

「…………はぁー…………」

 

増援はなく、手元には一切の武器もない。そんな絶望的な状況のさなか、紫苑はまるで深いため息をつくかのように息を吐き、同じだけ吸う。

 

それは、いつも通りの彼女の戦闘合図だった。

 

2秒後、紫苑の姿はその地点から瞬きをする間に消えていた。

 

 

 

「──────砕けろッ!!」

 

 

 

ドスン!! と、衝突音にも似た音が1番近くにいたホワイトドラゴンの胸元から響き渡る。

紫苑は6メートル程の距離を一瞬で詰め、ドラゴンの胸元に潜り込み、下から抉り抜くように拳をぶち当てた。

 

『ガギャアァァァッ!!』

 

紫苑は、ただ力任せに攻撃したのではない。

確かに紫苑の身体能力は、セブンスエンカウントでも測定されたように並外れているが、それだけでは硬い外皮を持つドラゴンに拳でダメージなど与えられない。

ならば、どうすれば良いのか。その術を紫苑は心得ていた。

中華拳法の極意───発勁を独自に研究し、アレンジを加え、築き上げた"対竜"専用の戦闘技量。

力をただぶつけるのではなく、効率良く伝達させ、内側から破壊する。紫苑にとっては50ミリの弾頭でも壊せない扉も、ドラゴンの外皮も、さして大差なかった。

拳から放たれた力は外皮を無視して、ドラゴンの内蔵を抉るように伝達し、ズタズタに壊す。

無防備を晒し、心臓を叩き割られた(・・・・・・)ドラゴンは、1度だけ吠え叫ぶとそれだけで力なく膝から崩れ落ちた。

 

「あと、3体!!」

 

その姿に、ミオは圧倒されていつの間にか涙は止まっていた。恐怖による身体の震えも、もうない。

 

「……紫苑……っ、」

 

むしろ、打ち震えていた。拳ひとつでドラゴン1体を倒してしまった紫苑の姿に、胸の高鳴りすら覚えていたのだ。

ミオは無意識のうちに分析をする。紫苑の強さを。ドラゴンの挙動を、弱点を。わずかな大気の遷移をも感じ取り、次にドラゴンがとる行動を、予測する。

 

「………っ、紫苑! 気をつけて、ブレスが来るよ!!」

「ミオちゃん……!? …おーけー、あたしに任せて!」

 

深呼吸をし、体内で発した力の流れを完璧にコントロールする。

対して、2体残ったホワイトドラゴンの片方が大きく口を開き、その喉奥から青白い炎が吐き出され、紫苑を焼き払おうと襲いかかった。

回避は許されない。蒼炎の射線上にはミオがいる。ならば紫苑のとる行動はひとつだ。

 

「───はぁぁぁぁ……失せろ!!」

 

吹裂く也。ドラゴンの放ったブレスに対して、練り上げた力を左手から放出し、空気を振動させる。

その空気の振動によってブレスはほぼ完璧に打ち消される。わずかに打ち漏らした火の粉が紫苑の身体にほんの少しだけ飛ぶが、ダメージは全くなかった。

さらに紫苑は左脚を軸に、アスファルトに亀裂が入る程の力で強く踏み込み、ブレスを放ってきたドラゴンの眼前へと瞬時に飛び込む。

仲間のやられる姿を見ていたからだろうか。今度はドラゴンも牙を大きく剥き、紫苑を噛み砕かんと襲いかかった。しかし、

 

「遅いっ!!」

 

ドラゴンの顎をすり抜けるように腹下へと潜り込み、そこから拳を3度ほど打ち込む。

ドガガガッ!! と連続して響く激しい音と共に、ホワイトドラゴンがもがき、身をよじる。

逃すまい、と紫苑も飛び上がり、大きく隙を晒したドラゴンの胸元へと追い打ちの一撃───全身を駒のように一回転させて勢いを乗せた、回し蹴りを叩き込んだ。

 

『ギャ、オォォッ……!』

 

左脚の爪先に集約した力は、狙撃手の弾丸のようにドラゴンの心臓を貫き、確実に破壊する。

それを確認するまでもなく、紫苑は回し蹴りの勢いを利用して2メートル程高く飛び上がり、残る雑兵へと攻撃を仕掛ける。

 

 

「………すごい……」

 

 

ミオの眼は、紫苑の一挙一動を一瞬たりとも見逃さなかった。

紫苑の攻撃方法の原理を遠目から観察し、それがとても普通の人間には真似出来ない高度な技術であると理解する。

 

紫苑は、ただ優秀なS級というだけではない。

「天才である」というだけで勝てるほど、ドラゴンは甘い相手じゃない。

ドラゴンを倒す為に研鑽し続けた結果が、今の紫苑を築き上げているのだ。

並外れた才能と、並外れた努力。それに耐えうるだけの強靭な精神力。そして、執念。それら全てが集まることによって初めて"人の身の限界"というひとつの壁を壊し、乗り越え、更なる次元へと達することができる。

全ては、守る為に。今度こそ、大切な人を守る為に。その為なら自分の全てを惜しまない。

自分が傷つくよりも、世界が滅びるよりも、大切な人を失うことの方が怖いから────

 

天地(あまつち) 紫苑(しおん)とは、そういう人間だった。

 

 

また1体、ドラゴンの断末魔が木霊する。

 

 

 

これこそが、"竜を狩る者"の戦いだった。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

鬼神にも勝る紫苑の戦いをモニタールームから見ていたアリーとジュリエッタは、もはや言葉すら忘れて静かに見入っていた。

紫苑はもはや"S級"という枠組みにすら収まらない、正真正銘の"規格外"なのだと、思い知らされたからだ。

一切の武器もない状況でドラゴンを2体、3体…と打ち倒してゆくその姿に、美しささえ見出していた。

 

「…すごいねー、紫苑ちゃん」

 

アリーは、手元のデスクトップに記されたデータと、正門前広場からの映像を見比べながらぼやいた。

 

「発勁を応用した、独自の"対竜格闘術"。おばあさまと同じ戦い方みたいだね、あれは」

 

しかし、ジュリエッタからは返事はない。瞬きすら忘れて紫苑の姿を見ていたからだ。

 

「…でも、あの帝竜は手強そうだねー」

 

アリーが新たに端末から呼び出したデータは、ISDFのサーバー内に記録されている、過去に出現したドラゴン達の詳細なデータだ。

そこに、(くだん)のドラゴンの情報も記されていた。

ジュリエッタは一瞬だけその端末の画面を見やり、また巨大モニターへと視線を戻しながらぼやく。

 

「帝竜スペクタス……80年前にアメリカに現れた帝竜と、ほぼ同じ個体のようね。ヤツの外皮は複数の層になっていて、物理攻撃がまるで通じない。ナパーム弾を大量に撃ち込んで、街ひとつと引き替えに撃破……か。サイアクね」

「んふふー、紫苑ちゃんの攻撃も効くか怪しいわね」

「横須賀基地から向かってるISDFの到着まで、およそ10分……ナガミミ、ちょっと頼まれてくれるかしら」

『へいへい、なんだよジュリエッタ』

 

ジュリエッタはやはり画面から視線を離さないまま、デスクの上にちょこんと立つナガミミに指示を出した。

 

「…直ちにエントランスホールにいる人達を他のフロアに移し、ウチのありったけの武器を下に集めて。…それが完了したら、隔壁を一部開けてちょうだい」

『武器だぁ? まあ構わねえけど…どうすんだよ。ノーデンスには戦闘員なんていねえだろ?』

「いるわよ。1人で、しかも丸腰で戦ってるおバカがね。時間が惜しいわ、3分…いえ、せめて5分でやってちょうだい」

『3分でやらせるよ。少し待ってな』

 

ナガミミはアリーが使用しているのとは異なる端末から、警備部へと連絡を飛ばす。指示は、被害者の誘導・運搬。それからすぐに通信を切り替え、

 

『おい、リッカ。聞こえてるか?』

『はいはーい! 何のご要件でしょうかー?』

『……ちっとはトーンを下げて喋れよ、耳が痛い。お前んとこにある新商品をありったけエントランスに運べ。なんならチカにも手伝わせろ。いいか、2分でやれ』

『かしこまりましたぁー! ほらチカ、行くよ! 3徹くらいでへばるな! 時間が───』

 

それより先の会話は雑音とみなし、ナガミミは一方的に通信を切った。

それから、デスクの上からひょいと飛び降りて、紫苑に破壊された扉の方へと向かう。

 

『俺様も行ってくる』

「あら、珍しいわね。アンタが率先して動くなんて」

『ションベン垂れのコムスメがいつまでもあんなとこ居たら邪魔だろうが。回収してくる。それに、ドラゴンの事は俺様の方が詳しいからな』

「素直じゃないわね?」

『ふん、そりゃお前もだろジュリエッタ』

 

ひょこひょこ、と小さな体格の割には意外と早足で部屋から出てゆくナガミミ。

巨大モニターには、たった今4体目のホワイトドラゴンを紫苑が駆逐した瞬間が映されていた。

残るは帝竜・スペクタスのみ。人智を超えた相手を前にしても、彼女の足は決して止まることはない。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

引き連れた仲間の竜達を全て撃破されたことで、今まで無関心を気取っていたかのような帝竜が、ついに咆哮を上げた。

 

 

『──────オォォォォァァァァァッ!!!』

 

 

耳を裂くように甲高く、地を揺らす程に低く響き渡る咆哮は、それだけでノーデンスのビルのガラスのいくつかにヒビを加える。

対峙するのはただ1人。ミオを守るように立ち塞がり、凶暴な雄叫びにも一切動じない、紫苑のみだ。

 

「……さて、どうしようかな……」

 

スペクタスの外皮は、ホワイトドラゴンのそれよりも格段に厚い。拳を当てても、その効果は内蔵を抉るまでには達しないことは、紫苑も承知していた。

 

「……まあ、泣き言ばっかり言ってられないけどね!!」

 

重心を変え、呼吸を整える。身体の中で発した運動エネルギーを増幅させ、撃鉄を起こした拳銃さながらに効率良く集約する。

紫苑が攻撃態勢をとると同時に、スペクタスが地響きを鳴らしながら突進し、その巨大な腕を大きく振りかぶる。

斧状の刃とスパイクのような棘が紫苑の身体を抉り取ろうと、襲いかかった。

その軌道を正確に読み取り、後ずさるのではなく逆に前へと踏み込み、攻撃のタイミングをずらす。

スペクタスの懐へといとも簡単に潜り込んだ紫苑は、溜め込んだ力を左手に集め、

 

「やぁっ!!」

 

スペクタスの鳩尾にも似た箇所に拳を叩き込んだ。しかし、

 

「……!? ちっ、やっぱり…!」

 

分厚い外皮に対して、まるで巨大な緩衝材でも殴ったかのように、力が伝達しない感覚を覚える。

初撃は効果なし───すぐにそれを悟った紫苑は、急速にスペクタスの脇の方から外へと退避する。

それを追うかのようにスペクタスは腕を振りかぶり、鋭利なスパイク部分で紫苑を切り裂こうとしてきた。

 

「させる、かっ!!」

 

ただ走り抜けるだけでは間に合わない、と察した紫苑は、勢いそのままに頭から真横に跳躍し、身をよじって攻撃を躱す。

スパイクの先端部分が紫苑のブレザーをかすめ、その一瞬の接触だけでズタズタに引き裂かれたが、紫苑自身にはダメージはなく、受け身をとりながら体制を立て直した。

 

「………やってくれるわね」

 

紫苑のブレザーは胸元で縦に大きく引き裂かれ、かろうじて下着だけは無事、という状態だった。

が、そんな瑣末な事を気にしている場合ではない。身体を引き裂かれなかっただけマシというものだ。

それよりももっと重大な事は、スペクタスに対しては紫苑の拳のみでは有効なダメージを見込めない、という事実だ。

そもそも、対竜用の格闘術を会得しているとはいえ、拳のみで戦うという選択肢は悪手なのだから。

 

『グルルルルル…………』

 

スペクタスの胸元が、少し膨らんだように見えた。口から大量に空気を取り入れ、体内機関でそれをエネルギーへと変換、放出する準備をしているのた。

 

「ブレス? そんなもの、今更当たったりなんか──────」

 

いや、違う。紫苑は直感的に悟った。スペクタスは確かに、左側面に飛んだ紫苑の方へと向き直っている。

だがスペクタスの眼は紫苑を見ていない(・・・・・・・・)。奴の狙いは、

 

「ミオちゃん!!」

 

爆発的に飛び上がり、全速力で紫苑はミオの元へと走り出した。

スペクタスに狙われている、という事はミオ自身もすぐに理解したようだが、恐怖で下半身に力が入らない状態が今も続き、身動きをとれないでいた。

そして、自分を救うべく駆けつけようとした紫苑の姿を見つける。このままでは2人共ブレスを避けられずにやられてしまう、と悟ったミオは、

 

「…っ、紫苑!! 来ちゃだめぇぇぇ!!」

 

と、喉が張り裂けそうな声で叫んだ。

ミオを救出しようとすれば、確実に紫苑はブレスを受けてしまう。今度は発勁による防御も間に合わないだろう。

ドラゴンと戦えるのは紫苑しかいない。だから来るな、と叫んだ。

だが、紫苑の足は止まらない。

 

 

『グォァァァァァァァァ!!』

 

 

スペクタスの獰猛な口が開かれ、漏れ出た熱量がスペクタスの周囲に陽炎(かげろう)を生み、視界を歪ませる。

そこから吐かれるのは、ホワイトドラゴンなど比較にもならない威力のブレス。火球のように吐き出されたそれは、真っ直ぐにミオの方めがけて飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

エントランスホールでは、警備員達の指示の元に避難民の誘導が行われ、それとは反対に大量の重火器と刀剣類が山のように集められていた。

武器を運んでいたのはまるで双子のような少女2人だった。片方は快活さが目立つ褐色の肌に金髪の少女、もう片方は色白の肌に栗色の髪をしている大人しそうな少女だ。髪色や肌の色の差異があるが、それ以外の外見はよく似ている。

その2人に指示を出しているのは、3階から大急ぎで駆けつけたナガミミだった。

 

『……こんなもんか、ウチにある武器は』

「はい! どれも最新型の対ドラゴン仕様の武器ですよぉ!」

『まあまあ上出来だな、リッカ。よしチカ、隔壁を上げろ』

「ど、ドラゴンが攻め込んで来るんじゃないですかぁ…?」

『ばかやろう、隔壁上げなきゃあいつに武器渡せねえだろ』

「ひ、ひぇぇ………」

 

びくつきながらも、チカと呼ばれた栗色の髪の少女はエントランス受付に仕込まれた隔壁の開閉スイッチを押した。

隔壁、といってもモニタールームの扉ほど分厚いものではない。せいぜい防火シャッターに毛が生えた程度のもので、爆弾程度なら防げるが、そもそも対ドラゴン用の設備としては物足りなさも少し残るものだ。

それ故に、昇降する速度も決して遅くはない。10秒程で隔壁の一区画だけが開くと、そこからは炎の海のような光景が拡がり──────

 

 

 

「!? きゃあぁぁぁ!!」

『な、なんだチカ、どうし………なッ!?』

 

 

 

ガシャァァァァン!! と、隔壁が開いて間も無く、外側から何かがガラスの壁を粉々に破壊しながら飛び込んできた。

その"何か"はその勢いのままに真っ直ぐ飛び、激しい音を立てながら壁に激突し、赤い液体を撒き散らしながら床に落ちた。

"それ"は、傷つかぬようにミオを抱きしめたまま、ドラゴンの攻撃を受けて吹き飛ばされた少女の無残な姿だった。

 

『し、紫苑っ!? おい、大丈夫か!!?』

 

流石のナガミミも相当に取り乱し、血まみれの紫苑の元へと駆け付ける。

 

「…はぁ、はぁ……ごふっ………っ、ゆだ、ん…したわぁ………ミオちゃ、んは…無事……?」

『このアホンダラ! てめえの心配をしやがれ!!』

 

スペクタスのブレスからミオを庇い直撃を受けた紫苑が、ナガミミ達がちょうど隔壁を開いた瞬間に吹き飛ばされてきた───

否、ブレスを喰らいながらも隔壁が開くのを確認し、建物内に吹き飛ばされるように当たり方を調節(・・・・・・・)したのだ。

 

「紫苑っ!! しおんっ!! …ごめんなさい、わたしのせいで…! ごめんなさい、っ……しおん……!」

「…っ、はぁ……ミオちゃんのせい、じゃないよ……守るって、約束した、でしょ……?」

 

先んじて引き裂かれていたブレザーは火球の直撃でほとんどが吹き飛び、素肌が露わになっていた。右腕は火傷で爛れ、口から吹きこぼれた血が胸元を通って臍のあたりまで流れている。

 

「……ったた……! はぁ、ふぅ……あばら、イった…かな……」

 

それでも、紫苑は壁に寄りかかりながらゆっくりと立ち上がる。その眼は、真っ直ぐに遠方のスペクタスを見据えていた。

 

「…ごめん、武器…くれる……?」

『ばっかやろう! 死にに行く気か!? もうすぐISDFが到着する、あとはヤツらに任せろ!』

「……ううん、それ、無理……がふっ………あたしが勝てなきゃ、誰も…勝てない、よ……」

 

ゆっくりと、それでいて力強く、紫苑は武器の集められた箇所にまで歩く。山積みにされた武器の中から紫苑が指差したのは、セブンスエンカウントで使用したものに酷似した長い片刃剣だった。

 

「…それ…取って、くれる……?」

「ひっ…!」

「…はやく、しろぉぉぉ!!」

「は、はいぃっ!!」

 

満身創痍の紫苑から飛び出た怒号は、怯えるチカの背筋をピンと張らせた。逆らうことも、止めることもできずに、チカは紫苑の指差した刀を渡す。

受け取ったその刀を杖代わりにして、紫苑は砕けたガラス面から再び外へと出ようとする。

その後ろ姿を止められるものは、誰もいなかった。

 

 

 

『ゴガァァァァァァァァァァッ!!!』

 

 

 

 

殺した、と確信した相手が現れたからか、紫苑が外へと出るとほぼ同時にスペクタスの咆哮がビリビリと空気を振動させた。

対する紫苑は刀を右腰の位置に固定し、居合の構えを作ろうとするが、

 

「……ってて……だめだ、力入んない……」

 

ブレスの直撃を大きく受けた右腕は皮膚が爛れるだけに留まらず、骨も折れているようで、だらりと下がったまま動かせない。それだけでなく、白雪のように透き通っていたはずのきめ細やかな肌は、内出血で所々が紫色へと変わっている。もはや身体を動かすだけでも、拷問に等しい苦痛を伴っていた。

 

「………なら………」

 

右手の指先になんとか力を入れ、鞘だけを抜いて地面へと捨てた。

抜き身の刀を左腕だけで持ち、居合の構えを組み直す。

乱れた呼吸を無理矢理整え、深く息を吐き、吸う。鉛の匂いと煤けた土煙が、肺へと浸透してゆく。

 

「……一撃で、終わらせる…!!」

 

それは、不退転・不動の構え─────

 

『グォォォォ!!』

 

スペクタスも先程と同様に、或いはそれ以上に大気を取り込む。翼はさらに拡がり、口元から炎が零れ、全身が高熱で赤みを帯び始めた。

ミオに向けて放たれた無常の一撃よりも、さらに大きな一撃が来る。今度は紫苑だけでなく、隔壁をも消し炭にしてエントランスフロアにいる全員すらも焼き払うだろう。

 

「……はぁぁぁ……………」

 

紫苑は、深く息を吐く。ボロボロの全身を使って作られた力を効率良く1箇所へと集約、風の流れと一体になり、心を無にする。

 

それは、万物をも斬り裂く絶対なる刃。

 

 

「…天地(てんち)を─────」

 

 

それは、何者にも阻むことのできぬ、絶対なる意志の剣。

 

 

「─────断つ…!!」

 

 

風を乗せ、持てる力の全てを、意志の全てを乗せて、視界に映る全てを断ち切る抜き身の刃を、横一閃に振り抜いた。

 

 

『ゴォアァァァァァ─────ッ!!?』

 

 

 

ブレスを吐こうとしたスペクタスの動きが止まった。不完全燃焼を起こしたような臭いがほんの少し起こり、そこから微動だにしない。

 

「……終わり、よ……!」

 

鞘に仕舞う代わりに、刀を地面へと投げ捨てる。もはや刀を握る力も使い切ってしまったからだ。

紫苑の左手から落ちた刀が、アスファルトに触れて音を立てた時───

 

 

『ギャアォォォァァァァッ!!』

 

 

スペクタスの身体が横半分に両断され、その断面から噴水のような血飛沫を上げた。

周囲のフロワロが、スペクタスの絶命に呼応するかのように枯れ果て、塵となって全て霧散してゆく。

 

「……やったよ、ミオ…ちゃん……」

 

それを見届けた紫苑は、ようやく安心して意識を手放し、地面に身を投げるように倒れた。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

スペクタスが撃破されてからおよそ1分後、何台かの車両がノーデンス正門広場へと乗り付けた。

ボンネットとスライドドアの側面には"ISDF"という文字を基としたシンボルマークが刻まれている。

そのうちの一番先頭にいた車から2人の男が降り、目の前の惨状に溜め息をついた。

 

「………こいつは、ひどいな」

 

そう溢したのは大きな傷の目立つ坊主頭に顎髭が印象的な大男───頼友(ヨリトモ) 東吾。

 

「…ええ、ひどいですね」

 

それに追随する若い男───如月 優真(ユウマ)もまた、同じように苦い顔をして答える。が、その関心は惨状よりも他の部分へと目移りしてゆく。

広場に転がる、5頭のドラゴンの死体。うち1つは、胴体で分断されて絶命した帝竜・スペクタスのものだ。

 

「帝竜……!? まさか、一体誰がこれを?」

 

ユウマは驚きを隠せないまま広場を歩き回り、周囲を見直す。こんな真似、自分以外に(・・・・・)できるはずないのに。そう思いながら。

転がるのはドラゴンの死体だけではない。捕食されて肩より上しか残っていない人間の遺体、引き千切られた上に黒焦げにされた人間の遺体など、有事に慣れていない者が見れば間違いなく吐き気を催してしまうような、痛々しい亡骸が何体も転がされている。恐らくは逃げ遅れた者たちなのだろう、と。

 

その中にユウマは、ただひとりかすかに呼吸音をさせている者を見つけた。

 

「提督、生存者です!」

「…この惨状で生きていたか。でかした、ユウマ!」

 

駆けつけたユウマに抱き起こされたのは、赤紫の髪の、下着とスカート以外の服がボロ布と化し、白い肌を吐いた血で赤く染めて失神している少女だった。

 

「…っ!? この(むすめ)は…!」

「提督、どうかしましたか?」

「……いや、昔の知り合いにそっくりでな。確かノーデンスには独自の医療室があったな。そこに運ばせた方が確実だろう」

「了解。俺が運びますよ」

 

完全に気を失っているようだが、かえってその方が好都合だった。痣だらけの全身のどこに触れられようと、激痛を伴うだろうからだ。

 

「……まさか、この娘が帝竜を倒したのか?」

 

と、ヨリトモは半信半疑で少女を見るや、車の中からブランケットを1枚取り出し、ユウマに投げる。

ユウマはブランケットを受け取ると、下着のみの紫苑の上半身をそれで隠すようにくるんでやり、優しく両腕で持ち上げて運び始めた。

 

「そうかもしれませんよ提督。この人からは俺と同じ匂い(・・・・・・)がする」

「お前と同じ、だと?」

「ああいえ、気にしないでください提督」

「……いや、その娘がもし俺の知り合いと関係あるのなら、あながち有り得なくはないと思ってな」

 

上司と部下、というよりはまるで親子のようにも見える2人の軍人は、紫苑を抱えたままノーデンスのエントランスへと向かってゆく。

その背後ではISDFの軍人達が現場の処理に取り掛かり始めていた。

かちゃり、と割れたガラスを安全靴で踏み越えてエントランスホールへと入ると、まず目に飛び込んできたのは床に積まれた大量の武器類。

そして、うさぎのように目を真っ赤にして泣きじゃくる翡翠色の髪の、懐かしささえ感じさせる少女の姿だった。

 

「……なぜ、あいつがここにいる…?」

「提督?」

「ああ、いや何でもない。すまんな」

 

涙をぽろぽろと流している少女…ミオは、ユウマに抱きかかえられた紫苑の姿を見つけると、飛びつくように近づいてきた。

 

「紫苑っ!」

 

そう呼びかけるが返事はない。が、ユウマの腕の中でうなされたように寝息を立てていることを確かめ、ひとまず安堵する。それでもミオの涙は止まらない。

 

「この人は、君のお友達なのかい?」と、ユウマが優しく問いかける。

「………はい。私を守ろうとして、紫苑は……ぐすっ…」

「ああ、どうか自分を責めないで。力なき者を守るのは力を持つ者の義務ですから。俺や、この人のようにね」

「………?」

「すぐにその意味がわかりますよ。何故なら───地獄は、始まったばかりなんですから」

 

どこか重みを感じさせるユウマの言葉に身動きひとつ取れず、ミオはそのまま運ばれる紫苑を見送る事しかできなかった。

 

「………義務、なの…?」

 

ミオは、遅れてユウマの言葉を反芻し…否定する。

義務なものか。守ろうとして、自分を抱きしめてくれたあの温もりは、義務によるものなどでは決してない。

 

「………紫苑……ごめんなさい……っ……」

 

何もできなかった自分が憎い。いつでも笑いかけてくれて、守ると約束してくれた人が、ボロボロになるのを見ている事しか出来なかった自分が憎い。

強くなりたい。そんな想いが、幼いミオの心の中に芽吹き始めていた。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

帝竜の襲撃───第三次竜災害が始まってから、およそ2日が経過した頃。

ノーデンス地下1階・医務室の一角にあるコンピューターが2台ほど置かれた空間では、"ホリィ"と記された名札をしたノーデンス専属の医者が、画面上のデータと睨めっこをしていた。

 

「………ううむ、信じられん。たった2日で……どうなってるんだ?」

 

ホリィが診ていたのは、ドラゴンとの戦闘で傷ついた紫苑のカルテやレントゲンなどのデータだった。

医務室もやはりドラゴンとの戦闘を想定して、別室には救命医療が可能な程の設備がひととおり整っている。紫苑もまた運ばれてすぐに緊急措置が行われ、包帯を身体中に巻かれてベッドで寝かされていた。

ホリィの診断では全治1カ月以上───むしろ、あれだけのダメージを受けてその程度で済んでいることの方が、奇跡に等しかった。仮に帝竜のブレスの直撃を受けたのが紫苑ではなくミオだったならば、間違いなく即死だったろう。

しかし、ホリィが困惑する理由はそれだけに留まらない。

 

「………この事は、ジュリエッタさんに報告すべきだろうか…?」

 

ホリィのいる部屋から壁を1枚挟んで向こう側にはベッドが2つあり、うちひとつに紫苑の寝かされている。そこには2つの人影があった。ひとつは、ベッドから半身を起こした紫苑。もう一つは──────

 

 

「ごめんね、紫苑。起こしちゃったかな……」

「ううん、朝からミオちゃんの可愛い顔が見れて幸せだよー♪」

「も、もうっ……紫苑ってば………」

 

ミオは、大事をとってノーデンス内にあるレストフロアに泊まっており、ここ2日間のうちの殆どを紫苑の見舞いに費やしていた。

というのも、街中は既にドラゴンだらけになり、ISDFによる掃討活動が執り行われている。そんな中にミオを帰すのは危険だ、というアリーの気遣いによるものでもある。

 

「その、いっぱい怪我してたけど……」

「だぁいじょうぶよー! あたし、昔から頑丈さが取り柄だったし! もう2日くらい寝てれば治ると思うよ!」

「そう、なの……? 良かった…!」

 

紫苑は、ミオが心配してくれた事が単純に嬉しかった。しかしそれとは裏腹に、不安そうな表情のままのミオを見て「どうにか気を晴らしてやりたい」と考えてしまう。

ちょっとしたおふざけでも仕掛けてみようか、と紫苑は思い、

 

「………あいたたた! なんか急にお腹が痛くなってきた!」

「えっ!? だ、大丈夫なの!? お医者さん呼んでくるよ!」

「だ、大丈夫だよミオちゃん! ほんのちょっと痛いだけだし! んー…そうだね、ミオちゃんがちゅーしてくれたら痛いの飛んでっちゃうかも」

 

と、白々しい事を言いながら長い髪を耳にかけるように除けて、身体ごと頬をミオの方に寄せて目を瞑った。

 

「え…っ、ち、ちゅー…!? でも私女の子だし……あっ!」

 

そこで、ふとミオは思い出した。2日前にジュリエッタが見抜いたように、紫苑は女性しか愛せない(・・・・・・・・)人間なのだという事を。

 

(………もしかして紫苑、私の事を……!?)

 

しかし肝心の紫苑は特にそこまで期待しているわけでもなく、せいぜい「紫苑のばか!」となじってくるか、あわよくば頬にキスしてくれるかなぁ、と軽く考えている程度だった。

 

(……でも紫苑は、命がけで私を助けてくれたし…それくらいは当然、なのかなぁ……うぅぅーっ…私、どうすれば……!)

 

が、紫苑のその期待は大幅に外れることとなった。

 

 

「───んぐっ、…!?」

 

 

唇に、ふわりと柔らかい何かが触れた。

一瞬、自分が何をされたのかわからずに目を開けると、心地良いライム系のシャンプーの香りが紫苑の鼻をくすぐる。

そして目の前…ゼロ距離に、目を閉じたミオの顔があることに気付き、ようやく何が起きたのかを理解した。

 

「………っ、はぁ………い…一回だけだからね!」

「み、ミオちゃん…今…!?」

「と、友達だから! その、好きだからとかそういう意味じゃなくて…た、助けてくれたし、だからそのっ……うぅぅ…ま、また明日来るからっ!!」

「あっ、ミオちゃん待って!?」

 

ミオは頬を真っ赤に染めて、逃げるようにベッドルームから走り去ってしまった。

慌てて追いかけようとするが、まだ痛みが残る(・・・・・・・)身体ではそれも叶わず、手を伸ばしながらミオの後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 

「………なんか、悪いコトしちゃったな……」

 

途端に、紫苑は罪悪感に駆られてしまう。

唇を押さえながら、高鳴る心臓に"静まれ"と命じようとしてみるが、それができるのならば苦労はしない。

ああ、情けない。紫苑は誰かに思いっきり頭を殴ってもらいたいとすら思った。

 

「………だめだよ、ミオちゃん。そんな事されたらあたし……」

 

もう数年来感じていない、胸が締め付けられるような、苦しさにも似た昂揚感。

思えば、初めて出逢った時からどうしてミオの事ばかり気にかけていたのか。あんなにも"守りたい"と思わせてくれたのか。

きっと、その時から惹かれ始めていたんだろうか。

 

「………ごめんね、ミオちゃん。ダメだって、わかってるのに………」

 

それは、とうの昔に忘れ果てたと思っていた感情。辛い記憶と連動してしまい、思い出す事を頑なに拒んでいた感情だった。

 

 

 

「……好きだよ…ミオちゃん、大好き……」

 

 

 

紫苑は、まるで初恋をした少女のように無邪気な微笑みを浮かべた。




デストロイ深度とは何ぞや、と小一時間考えた結果、なぜか発勁になってしまった……


Chapter 0編はここまでです。
ゆっくり書いて、しばらく間を空けてからChapter 1編を更新しようと思います。

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