code:1 「キミはあたしが守るから」
1.
西暦2100年改め、UE77年───過去に2度の竜災害を経験し、かつては毒花フロワロに侵された街並みも、少しずつ元の輝きを取り戻しつつある。
2020年・続く2021年とドラゴンに侵略された世界各国では、統治能力を著しく欠いた状態が数年続き、竜災害において先陣を切った"ムラクモ機関"を筆頭に再統合され、現在、国際自衛軍"ISDF"と名を改めた機関による治安管理がなされていた。
ドラゴンという共通の敵を見出した人類は戦争を辞めざるを得なくなり、今日びニュースでも地域紛争やテロなどといった単語を聞くことも相当珍しくなった程だ。
朱色に濃紺を混ぜたような赤紫の長い髪の少女・
もうしばらく訪れていない東京の景色は特に目移りするものはない。強いて言えば、今日だけで3回ナンパされかけたぐらいか。
とはいえ、まるで学徒服のようなブレザーとスカートを着た上で、それにそぐわぬ黒のタイツを穿き、それに加えて赤紫の髪ともなれば、男女問わず注目を惹くのは無理もない話だ。
「ま、それだけ平和になったって事だよねー。はぁ…せめて可愛い女の子だったら遊んであげたのに…」
彼女は、いわゆる『男性に興味がない』部類の人間だ。しかしUE77年現在、そういった嗜好の人間は特に珍しいわけでもなく、もはや後ろ指を差されることの方が珍しい位だった。逆に言えば、竜災害をきっかけにそういった風潮が消え失せたのだろうか。
ただし紫苑自身には、特定のパートナーがいたことはない。
紫苑は実に退屈そうに、「ふぁぁ…」と手で口元を押さえながら欠伸をし、それからディスプレイを見て、目的の駅が近い事を確認して席を立った。
2.
80年前に『東京ビッグサイト』と呼ばれていた場所は、現在『ノーデンス・エンタープライゼス』という外資系ゲーム企業によって買収され、特徴的な逆四角錐型の建物の裏に巨大なビル…ノーデンス本社が立ち並んでいた。
旧国際展示場駅で下車した紫苑は、心地良い秋風に赤紫の髪を揺らしながらチョコバーをかじり、そのノーデンス・エンタープライゼスへと足を向けて歩く。
道中またも男性に声をかけられるが、やんわりと断り、また歩くこと約7分───ようやくノーデンス本社・正門前広場へと到着した。
彼女がここを訪れた理由は1つ。ノーデンス・エンタープライゼスが開発した大ヒットゲーム施設・『セブンスエンカウント』での遊戯をする為であり、現在正門前広場に集まっている大勢の人達の目的も恐らく共通していると思われた。
「元々は軍事的なシミュレーション装置だったのではないか」と噂されたり、「竜災害を娯楽にするなど言語道断」などという手厳しい意見も少なからずあるようだが、平和になれば刺激を求めるのが人間の
戦争を題材にしたゲームが流行するのは、今も昔も変わらないようだった。
そんな訳で現ノーデンス・エンタープライゼスとなっている逆四角錐型の建物へ向かってゆく。
「えーと…チケット売り場はどこかな?」
セブンスエンカウントは超人気ゲーム施設だ。通常ならば事前に予約して前売り券を買うものだが、紫苑は「当日券でいけるだろう」とタカを括って千葉県からはるばるやって来たのだ。
しかしいくら見回しても、チケット売り場が見当たらない。別館の前にある入場窓口には、ハットをかぶったへちゃむくれのウサギ人形が立っており、何やら自動音声で入場手続きをしているようだ。
止むを得ず、紫苑はそのウサギ人形の近くへと向かうと、
『セブンスエンカウントへようこそミミ!』
とやけにリアルな少年のような声でウサギ人形から声をかけられてビクッ! と肩を上げてしまった。
(し、喋った!? この人形が!?)
しかし動揺を悟られまいとしてすぐに呼吸を整え、それから周囲を見回す。どうやら紫苑の近くには、長袖のシャツに赤いリボンが目立つ可愛らしい女の子以外にはいないようだった。
(………ん!?)
が、その少女は十分に紫苑の目を惹いた。
活発系美少女である紫苑とは対照的な、儚げな印象をしたとても顔立ちの整った小柄な少女。風邪気味なのか「こほ、こほっ」と軽く咳をする彼女は、あまり陽の光を浴びていないのだろうか、澄んだ白い肌をしていた。
可愛い─────たまらず、紫苑の心の声が口から零れ落ちてしまうところだった。
(……いかんいかん、落ち着け私。それよりも当日券を手に入れないと!)
後ろ髪を引かれる思いで視線を少女からウサギ人形へと戻し、「あのーすいませーん」と、軽い感じに問いかけてみた。
「ここって、当日券とかはどこで売ってるの?」
『…あー、申し訳ないミミ! 本施設は現在、前売り券のみの入場受付となってるミミ〜』
「えっ、そうなの!? …ちなみに、前売り券買った場合は…」
『前売り券は現在完売だミミ。恐らく速くても3年待ちになるミミ』
「さ、ささ3年ですって!? そんなぁ! せっかく千葉から2時間もかけてわざわざ出向いて来たってのにぃ!!」
…天地 紫苑という少女は、インターネットなどをあまり使わない為、そういった細かい情報に疎かったのだった。セブンスエンカウントの情報にしても、地方新聞で見知った程度の知識しかない。
超人気アイドルや歌手のライブチケットなど生ぬるい。当日券で入れるだろう、という考え自体がそもそも甘かったのだと、この場においてようやく思い知らされたのだった。
「はぁ………諦めて帰ろっかな…それか、そこらへんの奴を騙くらかしてチケットを譲ってもらおっかな……」
どうしても確かめたい事があったのに、と紫苑は肩をがっくりと落として後ろへと振り返った。
すると、肩を落としたことでちょうど良く、先程の少女とぱっちり目が合ってしまった。
「あ………あの……こほっ」
少女は何かを言いたそうにして口元をもごつかせている。その仕草すらも可愛らしく、紫苑の中に眠る庇護欲がくすぐられつつあった。
「なぁに、お姉ちゃんに何か用かな?」
と、目一杯の笑顔と甘い声で少女に声をかけてみた。
「……お姉さん、チケット持ってなかったんですか?」
「あー…実はそうなのよぉ。まさか当日券が売ってないだなんて夢にも思ってなかったからねぇ…とほほ」
「………もし、良かったら……私と一緒に入りませんか? そ、その…ひとりで入るの、緊張しちゃって……」
「えっ、いいの!?」
「は、はい。私のチケットなら、3人まで一緒に入れますから」
どうやら神は私を見捨てなかったようだ───と、紫苑は心の中でガッツポーズをとった。当然こんなおいしい話(しかも可愛い女の子から)を断る理由などある筈もない、と紫苑はふたつ返事で快諾した。
「うん、行く行く! ありがとー!」
「えへへ……私こそ、ありがとうございます」
少女は紫苑の返事を聞くと先程のウサギ人形の元へと向かい、ポケットの中から1枚のチケットを取り出し、提示した。するとウサギ人形は素っ頓狂な声を上げて、
『こっ、これは! S
と、手のひらを返すように態度を変えた。
「あの…後ろのお姉さんも一緒でもいいですか?」
『どうぞどうぞミミ!』
「えへへ、ありがとウサギさん」
がちゃん、と入場ゲートの電子ロックが解かれると、紫苑と少女は緩やかな階段を登り、いよいよセブンスエンカウントの入り口前に立った。
紫苑は入場する前に少女と正対し、軽い自己紹介を始める。
「ありがとね。えっと……あたしは
「わぁ、なんだかかっこいい名前ですね。わ…私は、那雲
「ミオちゃんね、わかった! あと敬語とか別に使わなくていいよ? 気軽に"紫苑"って呼んでくれればいいからね」
「う……うん! えへへ…よろしくね、紫苑」
これが、2人の少女達のファーストコンタクトだった。
3.
セブンスエンカウント・ホール内───
奥を見渡せば本施設のメインゲームの筐体と思われるカプセル型の装置が数個並び、ホールの入り口すぐ近くには、簡易的なドリンクカウンターがあり、スタッフと思しき人間がゲームで疲れた来客に飲料を振る舞っていた。
思えば、千葉にある自宅から出発してからこのかた2時間、一切水分を摂っていない。そういう時に、他人が喉の渇きを癒している場面を見てしまうと釣られてしまうものだ。
「あー喉渇いたなぁ…ねえねえミオちゃん。喉渇かない?」
「えと…ちょっと渇いたかな」
「そこでジュースでも飲んでこうよ。あたし奢るからさ!」
「…いいの?」
「いいのいいの! あたし、お金ならいーっぱい持ってるし、可愛い娘には大サービスよ?」
「か、可愛い…って、私が??」
すると、ミオは途端に顔を真っ赤にして少し俯いてしまった。その格好のまま、紫苑に促されてカウンター前の丸椅子に1人ずつ腰掛ける。
「そんなこと、おじいちゃん以外の人に言われたの初めてだよ……」
「だめよー俯いちゃ。せっかくの可愛い顔が見えないよ?」
「も、もう……私、オレンジジュースがいいな」
「はいよー。んじゃあたしはサイダーで!」
注文を受けたスタッフは、てきぱきと手慣れた様子でグラスを用意し、氷を入れる。そこに指定されたジュースを注ぎ、クロスで軽くグラスの滴を拭ってから2人へと差し出した。
この間、約24秒である。意外なところでプロ意識を感じた紫苑は素直に感心してその様子を眺めていた。
どちらともなく、ジュースを口にしながら会話が続く。
「そういえば、ミオちゃんはどうしてセブンスエンカウントに? あんまりああいうので遊ぶタイプには見えないけど」
「…私、お父さんを捜しに来たんだ。おじいちゃんの昔の知り合いがノーデンスにいる、って話を聞いて…それで、ノーデンスに来れば何かわかるかなって。そしたら、これがうちに届いたの」
そう言いながらミオが見せたのは、S級特別招待券の半券だった。
S級───それは、何かしらの能力において非凡の才を持つ者にのみ与えられる称号である。
(…となると、この娘も何かの能力が"S級"だってことなのかな?)
そう思考しながらも、取り敢えずは聞き役に徹する紫苑。
どうやらこのミオという少女自身は、そういった非凡の才を持つ自覚すらしていないように見える。
「あのゲームって、3人一組でチームを組んで遊ぶんだね。だからこのチケットで3人まで入れたのかな?」
「…いっちょ、行っちゃう?」
「えっ!? "行っちゃう"って…セブンスエンカウントで遊ぶってこと?」
「だって、折角来たんだから勿体無くない? 次チケット取れるの3年後だよ?」
「で、でも私あんまりゲームとか得意じゃないよ…?」
「大丈夫だって! チームなんでしょ? あたしが守ったげるからさ! ミオちゃんはどうなのさ。ホントは遊んでみたいんでしょ〜?」
「え、えへへ……ほんとは、ちょっとだけ…」
よし! と紫苑はサイダーを一気に飲み干し、ぽきぽき、と両手の指の関節を鳴らした。
慌ててミオもオレンジジュースを一気飲みし、2人で席を立ってさらに奥にあるエントリーパネルの方へと並んで歩いていった。
翡翠色の長い髪と、赤紫の長髪。少し背丈に差があるものの、その2人が並んで歩く様は先程以上に人目を惹く。
案の定というか、その2人にとある男2人が背後から声をかけてきた。
「お嬢ちゃんたち、2人でセブンスエンカウントをプレイするのは無理があるんじゃない?」
「ふぇ!? え、えっと……」
突然声をかけられて、ミオがまるで小動物のような視線を向けて紫苑に助け舟を求めた。
そんな事とは気付かずに、さらにもう1人の方の男が言う。
「俺たちも2人なんだ。よかったら一緒にやらないかい?」
「えっ、えっと…し、紫苑…どうしよう…?」
しかし、件の紫苑の心情はこうである。
(……きゃーきゃー! オロオロするミオちゃん可愛い! はぁはぁ、写メ写メ! あとそこの野郎2人は後で去勢ね!)
…などとは思っても、口が裂けても言えるはずがない。折角(この数分で)積み上げたミオとの好感度が崩れてしまうからだ。
逆に考えよう、と紫苑は営業スマイルを造りながら答える。
「いいんですかぁー? 良かったー! 実は女2人だったからちょうど男手が欲しかったのよね! あ、でもこのゲーム3人まででしたっけ?」
「たしか、ナビゲーターとして4人目を連れていけるはずだったよ。どっちかがナビをやってくれるなら…」
「うーん、あたしかミオちゃんがナビゲーターねぇ……ミオちゃん、どうする? あたしはどっちでもいいよ?」
と、紫苑は少し意地悪な問いかけをミオにしてみた。見るからに気弱そうなミオは、恐らく前線に出るタイプではないだろうと思ったからだ。そしてその予想は見事に的中し、
「わ、私ナビゲーターやるよ! いい、かな…?」
「もちろんよー! ミオちゃんがナビしてくれるなら百人力よ!」
「えへへ………じゃあ、行こっか」
こうして、即席で組まれたチーム4人はセブンスエンカウント最奥にあるカプセル型の装置の方へと向かった。
スタッフの誘導のもとにカプセルに入ると、何やら大仰な音を立てながら4つのカプセルが閉じられる。
カプセルの蓋は、外からは中が見えないようになっているが、中からは外が見えるような半透明のカバーでできていた。
しかしそれが閉じると、半透明のカバーからほんの僅かな光が差すだけの真っ暗な閉鎖空間となる。
その状態で軽いヘッドギアが頭に装着され、半透明のカバーの上に電子パネルのような表示が映し出された。
「なるほど、脳の電気信号を使って電脳空間に擬似アクセス…ねぇ。ん? 何よこれ」
紫苑が首を傾げたのは、電子パネルに記された5つの項目だった。上から順に、
・【SAMURAI】
・【GOD HAND】
・【AGENT】
・【DUELIST】
・【NAVIGATOR】
という表示が並んでいる。ナビゲーター以外が赤文字で記されているのは、ナビゲーターはチームに必須のジョブではないからだろうか。
「……いや何これ。サムライしかわかんないわよ」
更にその横には、チーム内の他のメンバーが選択したと思われるジョブの頭文字が表示されている。
男2人組はGとA。それぞれに武器としてナックルギアと銃が与えられたようだ。
ミオは確認するまでもなくN。武器の代わりに、回復アイテムが数個支給されるようだった。
「え、ちょっとタンマタンマ! これじゃああたしに選択肢ないじゃん!」
正直なところ紫苑は、こういった仕組みだとわかっていなかった。
本来ならば事前にカウンターでジョブを選ぶこともできたのだが、選ばずに直接乗り込むとこういう風になる仕様のようだ。
これはこれでランダム要素が強くて面白そう…なのだが、いかんせん選択肢が少ないのと、デュエリストなどという訳のわからないジョブとサムライの2択になれば、必然サムライを選ぶ他なくなってしまうではないか。
「………はぁ、仕方ないか。野郎共になんかミオちゃん任せられないし、久々に本気、出しちゃうかんね!」
と、もはや自分に言い訳をするかのように、【SAMURAI】のアイコンに手で触れた。
4.
ログイン、完了─────と無機質な電子ボイスが告げる。
次に目を開くと、そこは見るも無残な廃墟同然の建物が立っている目の前だった。
「………はぁー、こりゃすごい……」
東京スカイタワー。かつて2021年に発生した第2次竜災害にて、真っ先に被害に遭った地点でもある。
文献によると、第5真竜フォーマルハウトはここを起点にして空高くに根城を築き、世界中に毒花フロワロを蔓延させていった、という。
このセブンスエンカウントは、その時の東京スカイタワーをそっくり再現した、戦闘シミュレーションゲームだった。
「…ん!?」
ぼやける(気がする)瞼をこすって前を見ると、既に男2人がミオを挟むように立っているのが見えた。
(……あんの
軽く怒り心頭に達しながらも、右の腰元に紫苑の身の丈の2/3程の長さの刀が備えられている事に気付いた。"サムライ"の専用武器だ。
ちゃんと紫苑が左利きであるという事も配慮されているようで更に感心しながら、「お〜い、ミオちゃーん!」と叫びながらどたどたと3人に追いついた。
「あっ、紫苑! 遅かったね、大丈夫?」
「大丈夫よ〜、ちょっと悩んじゃっただけよ」
と言いながら、実にさりげなく男達の間に割って入ってミオを保護する紫苑。
「おーし、じゃあ揃ったところで登ろう!」
先陣を切ったのは、やはりというか男2人組の方だった。女子相手にいいカッコ見せたいというオーラがぷんぷん漏れ出ており、紫苑は呆れながらもミオと共にスカイタワー内部へと乗り込んでいった。
本来ならばスカイタワー自体は、実に単純な構造となっている。エレベーターで展望台へと直行できるし、昇り降りの階段もすぐ近く同士にある。
しかしフロワロの侵食とドラゴン達が暴れたせいで大幅に地形が変動しており、平たく言えば「面倒な回り道を強いられている」かのような構造へと変化していた。当然エレベーターもおシャカだ。
これがもし現実世界ならば、瓦礫を爆破するなりして無理矢理退かせば、無駄な戦闘やフロワロによる害も最小限で済んだのだろう。
だが、ここはあくまで仮想現実・電脳空間。瓦礫のひとつひとつすらも"コース"となっており、いかなる方法を以ってしても撤去は不可能となっていた。
代わりにというよりも当然なのだが、生い茂るフロワロの毒素までは再現されていない。
男達に先陣を任せ、時折ミオが声をかけながら順当に進んでいるのだが、どうやら男共はミオのナビにあまり関心を向けていないようで、雑魚狩りを堪能しながらマイペースに進んでいた。
そうして差し掛かる、2階フロア中腹──少し広めの空間が目の前に映る地点へと4人はやってきていた。
「……! あの広いとこ、少し気になるかも……」
「どしたの、ミオちゃん」
「なんとなくだけど……何か隠れてそうな気が……あ、2人とも待って!」
ミオが咄嗟に声をかけるも、男2人は聴く耳持たずで談笑しながら広場へと歩を進めていってしまった。
そして、ミオの予感は的中することとなる。
「───わ、わぁ!? なんだこいつら!?」
「ちっ、隠れてやがったのか!?」
広場では、男達を取り囲むようにマモノ達が十数体同時に現れた。
「あなた達! こっちに戻りなさい!」
紫苑がそう叫ぶも、ごく軽いパニックに陥った2人はそれぞれの得物をとり交戦を始めてしまった。
多勢に無勢───いくら敵各個が弱くとも、四方八方から狙われれば必ず隙が生まれてしまう。即ゲームオーバーにはならないだろうが、被ダメージによって今後のゲームが不利になるのは目に見えている。何より、
「あーもう仕方ないわねぇ……ミオちゃん、ちょっと下がっててくれる?」
「し、紫苑!? 何する気なの?」
「とりあえず、あのバカ共を助けなくちゃ。ふぅ──────」
深く息を吐き、その分だけ吸い込む。さらに息を吐き、吸う。集中力を研ぎ澄まし、紫苑は左手で鞘に収まった刀を握りしめて、
「──────はぁっ!!」
キィィン……とほんの少しだけ、金属がたわむような音が響き渡った。それから数秒遅れてカチャン、と刀を元の鞘に収める音がする。
その瞬間、広場で男達を取り囲んでいたマモノ達がゴシャッ! と潰れて一斉に血を吹き出し、表現し難い断末魔の合唱を上げてその場へと崩れ落ち、残骸データとして塵のように消えた。
「………えっ!?」
「な、なんだ今の!?」
何が起こったのか。その場にいた、紫苑以外の3人は理解が追いついていなかった。
そんな3人───特に、男2人に対して、ドヤ顔を決めながら紫苑は言った。
「秘技・十六手詰め───なんちゃって☆」
5.
「……ちょっとちょっと! 何なのよ今の!?」
照明は少し絞られ、代わりに超巨大なディスプレイにセブンスエンカウント内の様子が各フロア毎に分割されて表示されている。
そのディスプレイを眺める2つの人影が蠢いた。
「ダメージ指数3841!? いったいどうなってんのよ! セブンスエンカウントの武器の出力じゃあ、せいぜい高くても200が限界の筈よ!? しかもあの数をたった1発で!」
「計測ミス───じゃ、ないみたいだね☆」
「一体何者なの? あの娘っ子は! …まさか、あの娘が?」
「んふー、それは次でわかるんじゃないかな? でもあの様子だとアレだし…」
「わかってるわよ。あのボウヤ2人には悪いけど、あの娘に合わせて軽くレベルを上げるわ」
「オーケー☆」
大声でまくしたてた長髪の
次のボスキャラクターの出現場所は、東京スカイタワー3F・最奥部付近。レベル設定は───通常の5倍。
6.
広場でマモノの大群を一掃してしまったことで、男2人の紫苑に対する態度がほんの少し変化していた。
やれ「どこの訓練学校を出たのか」だの、「どこ出身なの」だの、軽い質問責めに合いながらも、紫苑は適当に当たり障りのない返事を返す。
しかし紫苑は男達のように早足で歩く気は全くなく、ミオの歩幅に合わせてゆっくりとスカイタワー内を進んでいた。必然、質問責めしている男達の歩くペースもそれに倣う形になる。
そんな訳で、スカイタワー3Fまで辿り着くのに実に15分以上の時間が経過していた。
「……ほんと、よくできてるわ」
3階に辿り着くと、そこは下の階層と比べて空気の重苦しさがさらに増していた。フロワロの密度も高く、外部の空間が歪められているために太陽の光もなく、死にかけの電灯がかろうじてフロアを照らしているため、暗い。
鈍そうな男2人組も流石に空気の変化に気付いたようで、ここに来てようやく気を引き締め始めた。
迂回を強いられているのには変わらないが、歩き続けて2回ほど突き当たりで方向転換して直進すると、緩やかなカーブを描いた一本道へと差し掛かった。
その一本道は特にフロワロが多く咲いており。どうやらこの先にボスキャラが待ち構えているようだ。
先程まで先陣を切っていた男達は、さりげなく先陣を紫苑に譲るように下がっていた。
「よ、よーしそれじゃあ行こう!」
が、何故か仕切りたがる男達に、紫苑は内心呆れながらも営業スマイルを絶やさない。
笑顔とは処世術のひとつだ。安易に敵を作りたくないのなら笑顔でいろ。それが紫苑の持論だった。
当然ながら、ミオに向ける笑顔だけは下心もとい本当に心からの笑顔なのだが。
「ミオちゃん、大丈夫?」
「けほ、こほっ……大丈夫だよ」
「そう、でも無理しないでね? ちゃあんと、キミはあたしが守るから」
「えへへへ…私も、ナビのお仕事がんばるよ」
どうにも、ミオは先程から度々咳き込んでいるように見えた。ただの風邪…ならいいのだが、ここ最近は紫苑の住む千葉付近でも、体調を崩す人が少なくはない。まだ少し早いが、インフルエンザの類いでも流行しつつあるのか、と紫苑は考える。
それでも、男2人は聞いちゃいないがミオの分析は異様に精度が高かった。
先の階層で広場に敵が潜んでいる事をいち早く見抜き、男達は何度か脇道に迷い込もうとしていたが、ミオは道を1度も間違えなかったのだ。
空間認識能力───及び、分析能力などにおいて、確かにミオはS級に相応しい能力を保有しているように見えた。
「……この先に、何かいるみたいだよ!」
と、ミオがぱたりと立ち止まって声をかけた。
「しかも、たぶん強い…」
「えっ、マジかよ!?」
と、ここでようやく男の片割れがミオの意見に耳を傾けた。そして男達は実にさりげなく、わざとらしく紫苑に先陣を譲ろうとしたが、
「ちょっとー、あたし1人で行かせないでよー。チームでしょ?」
「あっ、ああ。もちろんだとも」
結局3人並んでボスキャラに挑むことになった。
一本道を抜けて少し広い場所に出ると、そこには今まで現れていた雑魚敵よりも2回りも大きな、妙にでかい仔犬のようなマモノがいた。
「………あれは、」
正確には、人類共通の敵───ドラゴン。一応、目の前にいる種は"リトルドラグ"という、ドラゴンの中でも易しい部類に入る個体なのだが、それでも並の腕前では返り討ちに遭う、その程度の強さを有した個体だった。
『グルルルル………ガウッ!!』
リトルドラグは紫苑達の存在を認識するや否や、突然牙を剥いて突進してきた。
「わぁっ!?」
しかし男達は左右に分かれるように退避し、中央には紫苑だけが残された。だがその背後にはミオが控えている。紫苑までもが退く訳にはいかなかった。
「なっさけない野郎ども、ねっ!!」
素早く抜刀し、紫苑を引き裂こうとして振り上げられたリトルドラグの右前足へと、躊躇なく斬撃を加えた。
『ギャアゥゥゥッ!!』
ぶちゅり、とまるで大きなチーズを包丁で切断したかのような鈍い感触が手に伝わると、リトルドラグの前足は見事に斬り落とされ、ドスン! と音を立ててあらぬ方向へと吹き飛んだ。
そこに、好機とばかりに男達がリトルドラグの脇から銃撃、或いは打撃攻撃を仕掛けた。だが、
「な、なんだこいつ! 弾が効いてないぞ!?」
「俺もだ! 攻撃が全然効かねえ!?」
リトルドラグの外皮は異様に硬く、拳はおろか銃弾すらも跳ね返す程だった。
しかしセブンスエンカウントが娯楽施設だとすると、こういった理不尽な強度設定は考え難い。だが明らかにコレは、素人には討伐など無理な強度設定が為された個体だと、紫苑には一目で理解できた。まるで、特定の誰かを試しているかのように。
(…なるほどね、でもこれで確信が持てた。これは単なるゲームじゃない…!)
あとは、一体何の為に、何を試そうとしているのか。それだけがわからない。
「ぎゃあぁぁ!」
「うわぁーっ!!」
リトルドラグが突如身体をよじり、その太い後ろ足で男達を思い切り蹴飛ばした。
吹き飛ばされた男達は壁に叩きつけられ、力なく崩れ落ちる。意識を失ったようで、足元から分解されて自動ログアウトを受け始めているのがわかった。
蹴りの一撃を受けたのみで『ゲームオーバー』である。
その場に残されたのはあと2人。そのうち1人は戦う術を持たないミオ…つまり、この場で戦闘を続行できるのは、紫苑だけだった。
とにかく、やるしかない。こいつは遊び感覚で手を抜ける個体じゃない。紫苑の刀を持つ手に、より一層の力が込められた。
「上等よ! あたしの本気、見せたげるわ」
「だ…ダメだよ紫苑! 逃げようよ! やられちゃうよ!」
「へーきへーき。最悪、ゲームなんだから死にゃしないんだし。…それに、ミオちゃんに格好悪いところ見せられないからね!」
迫り来るリトルドラグを前にして、不退転、不動の構えをとる。集中力を高め、限界まで引き寄せ─────
「───終わりよ!」
視認できない程の速さから繰り出される、16もの連撃。紫苑の得意技『十六手詰め』が風を切る音と共にリトルドラグに叩き込まれた。
『ガルルル──────グギャ!?』
かちゃん、と紫苑が刀を鞘に収めると同時に、遅れて無数の斬撃の余波が四方八方からリトルドラグに襲いかかる。
男達中の攻撃をものともしなかった外皮からは鮮血が吹き出し、四肢を割かれ、残る胴や頭部さえも細切れの肉片と化し、割れた水風船のように飛び散ってぼたぼたと地に落ちた。
「………すごい。たった一発で……」
ミオは、その様子を呆気にとられたように眺めていた。普通、ドラゴンとも言えど生きたままのモノが目の前で血を撒き散らしながら肉片と化す様は、なかなかにグロテスクなものだ。
しかし『気持ち悪い』とか『怖い』と感じる以前に、紫苑の圧倒的な強さに見入ってしまっていたのだ。
「まーねー、これくらいのヤツなら余裕よ」
「……紫苑って、何者なの?」
「おっと、いい質問ね。まあー他の人には内緒だけど、ミオちゃんにだけは教えたげる」
あれだけの立ち回りをし、目の前でドラゴン1体を細切れにしたというのに、ミオの方へと振り返った紫苑には返り血のひとつもついていなかった。
これはセブンスエンカウントの仕様なのか。それとも紫苑の腕前によるものなのだろうか。どちらにせよ、紫苑の実力は規格外そのものだとミオにも感じられた。
「あたしは天地 紫苑。あなたと同じ"S級"の能力者だよ」
7.
一方、とあるモニタールーム内では紫苑の戦いぶりを眺めていた2人が"ようやくひと仕事終えた"ようなすっきりとした顔をしていた。
「……決まりね。彼女なら文句無しに合格よ」
そう呟いたのは、先ほどから女口調で喋る長髪の大男だ。
その傍らではもう1人、眼鏡をかけた赤髪の女がキーボードを叩いてとある情報を捜索していた。
画面に映ったのは、まさにセブンスエンカウント内で無双の活躍を見せたその少女のパーソナルデータだった。
セブンスエンカウントにエントリーする際に測定された、紫苑の身体能力や潜在能力の簡易的な数値が、ずらりと表示されている。
「ほい、出たよー。なになに…天地 紫苑、19歳。千葉県在住の……」
「あら、アタシにも見せなさいよー……って、はぁ!? 何よこのデータ! どっか間違えたんじゃないの!?」
「ジュリエッタ、ちょっと落ち着きなって。…しかしすごいねぇこの娘。まさかここまでとはねえ」
ジュリエッタ、と呼ばれた大男は赤髪の女から半分ひったくるようにディスプレイを覗き込んだ。
「すごいどころじゃないわよ! 特にここ! サムライ・ゴッドハンド・エージェント…この3つのジョブへの適性、オールSだなんて……バケモノね、この娘」
「んふー、まあバケモノくらいが丁度良いんじゃないのかな? それくらいの子じゃなきゃ、この計画は託せない。
それに、もう1人の女の子もなかなか優秀ね? データ解析・戦術予想・探知…オペレーターとしての才能は、間違いなくS級よー?」
「code:VFD……私達人類の、最後の希望……。まあいいわ───ナガミミー、聴こえてるかしら? ゲームを終了したらその子達こっちに連れてきてちょうだい!」
ジュリエッタがディスプレイ越しに語りかけると、『やれやれ、はいよ』という気だるい返答が飛んできた。
「…でも、ホントにこの娘で大丈夫なのかしら?」
「あら、不安なの? ジュリエッタ。実力は文句無しでしょ?」
「うーん、そうなんだけど………」
ジュリエッタは再びセブンスエンカウント内を映すモニターに目をやる。
そこでは、リトルドラグを撃破して一段落した2人の少女達が笑顔で会話を交わしていた。が、ジュリエッタは紫苑の朗らかな表情を見て一言ぼやいた。
「─────この娘、アタシとおんなじ匂いがすんのよね」
「んふー、てことは
「多分ね。アタシの勘だけど」
「その程度の問題なら、ノープロブレムよ?」
「アリー……呑気ね」
「第一そんな事気にしてたら、ジュリエッタこそ今もホームレス生活って事になるよー?」
と言いながら赤髪の女…アリーはキーボードを叩いて、社内ネットワーク以外のルートから新たな情報を検索していた。
ジュリエッタはまたも視線をアリーと同じ方へと戻して、それを眺めている。
「ISDFのデータバンク? そんなとこアクセスしてどうするっての?」
「
ISDF───国際自衛軍のデータバンクのセキュリティをいとも容易くすり抜けると、画面にはアリーが探していた情報が1発で開示された。
その画面の上部に赤の大文字で記されていたテキストはこうだ。
旧ムラクモ機関 第77番試験候補生 【
通称"13班"所属。
クラス:デストロイヤー