活動報告にもあった通り、皆さんの予想外のリアクションにプレッシャーを感じ、
「片方の小説を続けながらこっちはこのままフェードアウトしちゃおっかな~」
なんて風にも考えていましたが、これだけの皆さんに見ていただいておきながらほったらかすのはだらしないとも思ったので、もう少し頑張ってみようと思います。
艦娘は、最初からある程度成熟した状態で生まれ、仕草や振る舞いもある程度外見相応のものとなる。しかし、そこには蓄積された知識などはなく、想定外の出来事などには拙い対処しかできないといった欠点が存在した。
こういった欠点は普通、提督や周りの仲間との集団生活の中で補われていくものだったが、所謂ブラック鎮守府と言われる場所では、そういった内面的な成長がなされないことが常だった。
「解体」を盾にされて提督に手を出せなかったのも、記憶を失った提督を寄ってたかってイジメたのも、それ故。
「過労による貧血状態と殴打によるショックが重なって、一時的に気を失っているのだと思います」
医務室のベッドに眠る提督の横で、椅子に座った明石がカルテに容体を書き込んでいく。話を聞くのは大淀と摩耶。しかし摩耶は暗い顔でうつむいたまま、頷きもしない。
「点滴で不足した栄養を補っていればいずれ目も覚ますと思いますけど…」
明石は不服そうな顔で提督をちらりと見る。彼女も、この鎮守府に古くからいる、提督が記憶を失う前の所業を目の当たりにしてきた一人だ。
「…一応艦娘として、人間の医療の知識も頭に入ってましたが、まさかこの人に使うことになるとは…」
「申し訳ありません」
大淀が頭を下げる。
「いいのいいの、なんだかんだ最近はこの鎮守府も良い雰囲気になってきてるし、それにここで死人なんか出しちゃあたし達も危ないしね」
医務室前の廊下。窓に付けられたブラインドの隙間から中の様子を窺う少女の影が多数。
「見える?雷」
「あそこで眠ってるのが司令官なの?」
「あら…結構いい男じゃない?」
ザワザワと艦娘たちが思い思いの印象を口にする。ここに居るのは、どれも提督の記憶喪失後に着任した艦娘だ。
ガチャリとドアが開き、大淀と明石が出てくる。
「それじゃあ摩耶さん、何か変化があったら教えてください」
明石が部屋の中に残る摩耶に呼びかけた後、廊下に集まった艦娘たちに気づく。
「こら!医務室をそんな風に覗くんじゃありません!」
「やばっ…」
覗き見ていた者たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。
「まったく…」
「あの…」
腰に手を当ててため息をつく大淀に、声をかける少女が一人。いや、後ろにも数人、逃げずに残っていた。
「電ちゃん、どうしたの?」
大淀は姿勢を低くして目線を合わせる。
「その、司令官さんは大丈夫なのでしょうか…」
複雑な心境を押し込め、優しく笑いかける。
「問題ないわ。ただ、今は絶対安静だからそっとしておいてあげてちょうだい」
「フフ…いい気味だな」
間宮食堂の横に新たに設けられた、バー「鳳翔」でグラスを傾けながら、長門が呟く。
「この鎮守府の環境が改善されていく中、いつまでたっても言いようのない不快感がぬぐえずにいたが…今日ほど晴れ晴れとした気分はない。なあ、天龍?」
現在、提督が執務をできない状態にあるため出撃もなく、彼女らは昼間から飲んでいた。
「ああ。このままあの野郎が目覚めなけりゃもっと最高だがな…鳳翔はどう思うよ?」
「え?そう…ですね…」
鳳翔もまた、提督の記憶喪失後に着任した一人。今の会話を複雑な心境で聞いていたが、今はあくまでも店主。客の機嫌を損ねないようにそれとない回答を探す。
「でも、それだと出撃もできなくなっちゃいますし…鎮守府全体の流れが滞っちゃって困りますね」
「…ケッ、それだって、本当なら俺たちだけいりゃあ事足りるんだ」
「そうだな…今のシステムになって艦娘たちにも暇な時間はずいぶん増えたし、そういった者で執務を回せないものだろうか」
長門たちに見えないように、後ろの食器棚に皿を戻すタイミングで鳳翔はため息をついた。確かに提督の過去の話を聞けば、ここまで嫌う理由もわかる。だが、その後のイジメの話はいくら何でもやり過ぎである。
「しっかし摩耶も気の毒だよなぁ。せっかくあの野郎をブッ飛ばしたのに今度は世話係とはな」
「それを言うなら瑞鶴もだ。今の鎮守府になるきっかけを作ったというのに、自室で謹慎処分だろう?」
「ああ。今、加賀が労いに行ってるよ」
「加賀が?今夜は雪か…」
「さっきから面白そうな話してるねえ、お二人さん」
天龍の隣にグラスがもう一つ増える。ペースを考えて飲んでいる二人とは対照的に、頬を赤く染めた隼鷹が混ざりに来た。
「ああ、愉快で仕方がないね」
「私たちに何か用か?隼鷹。お前も後から来た口だろう」
「そう怖い顔しなさんな。アタシは別に皆のやってることにどうこういう気はないさね。ただちょーっと気になってることを聞きに来ただけさ」
「気になってること?」
「ああ。提督さんは瑞鶴に爆撃されて記憶を失ったんだろ?もし。もし…今回、摩耶に殴られたことがキッカケで提督の記憶が戻ったら…その時はどうする気なんだい?」
天龍は静かに正面の一点を見つめる。長門は隼鷹の目をまっすぐ見つめ、鳳翔は息をのんで三人を見守る。
「それで奴が再び…同じことをしたなら…殺す」
最後の単語だけが、やけに大きく店の中に響いた気がした。
「殺すさ。そして私が責任をもって処分されよう」
「待ちな、長門」
長門の肩に、手が置かれる。
「その時は俺も一緒だ」
「ふうん…」
隼鷹は納得したようにグラスに口を付ける。しかし内心は…
「貴方も気の毒ね」
テーブルをはさみ、加賀と瑞鶴が湯呑を手に顔を合わせる。
「とはいえ、実行に移すなんて大したものよ。今回ばかりは感謝してるわ、瑞鶴」
感謝の気持ちを表し、「五航戦」ではなく名前で呼ぶ。が、瑞鶴の表情は浮かないままだ。
「まだ何か不満が…って、言うだけ野暮かしら?」
「ええ…あいつはまだ生きてます。悪運の良い…!このままじゃ翔鶴姉ぇが浮かばれません」
「うん…ただ、貴方も気を付けることね。これからはきっと難しくなるわよ」
何故?という顔で加賀を見る。
「貴方も知っている通り、今の鎮守府になってから着任した子が今は多くなってきているわ。イジメのことも知っていれば、すすんで警護する子も出てきかねない」
瑞鶴は拳をテーブルに打ち付ける。
「くそ!忌々しい…!」
「それに摩耶も…」
「?摩耶さんが何か…」
「今回の処分で提督が安静の間の警護を任されたそうだけど、拒否はしなかったそうなの」
「なんで!?」
「私たちの側にいる子も、心変わりする子が現れかねないわ」
「何やら穏やかではない話が聞こえますねー」
二人が扉の方に振り向く。いつの間にか扉は開けられ、青葉がそこに立っていた。
「ダメじゃないですか~、謹慎中の人に提督の許可なしに接触しちゃ」
「青葉さん、私たちに何か御用?」
「いえ、ちょっと鎮守府の皆さんに取材して回ってまして。初めて目にした我らが提督さんの印象をこんどの新聞の記事にしようかなー、なんて。たまたま通りかかったら謹慎中のはずの瑞鶴さんの部屋から話声が聞こえたので」
「どこから聞いてたのかしら?」
「さあ?本当に今通りがかったところなので。何か聞かれちゃまずいことでも話していたんですか?」
「誰にだって人に聞かれたくないことの一つは二つ、あるものよ。貴方も、皆に取材するときは気を付けることね」
「それはどうも。お気遣い感謝です」
「わかったらとっとと行きなさい。お話ができないわ」
青葉はワザとらしく肩をすぼめると、ドアを閉めて足音を遠ざけていった。加賀は改めて瑞鶴に向き直る。
「…わかったわね。今や味方は少ないわ」
「…はい」
静かに点滴の落ちる音だけが響く。摩耶は目の前で眠る男の顔をただ見ていた。
穏やかな寝顔。どんな人間も、眠っているときというのは無害な顔をするものなのかと、どうでもいいことを考える。自らの、女性としての母性なのか、それともこの男を本当に無害だと感じ始めてしまっているのか、無意識に頭を撫でようとしている自分に気づき、慌てて手を引いた。
「…チクショーが…」
この男に対してか、自分に対してなのかはわからない。提督の顔を見ながらいつもの文句を一人ごちた。
「…違う…」
突然、提督が何かを呟く。
「!提督…?」
「違う…俺は…」
段々と、提督の表情は険しいものへと変化していく。
「お前は…?」
目の前に誰かが立っている。いや、誰かはわかる。だが、それを「そいつ」だと受け入れたくない何かがあった。
「災災災災災災災災災災難だな、お前前前前前前前前前前前前前も」
どの筋肉を動かせばいいのかわからないような、嫌みな笑みを浮かべて、「そいつ」は喋り続ける。
「簡単単単単単単単単単単単単単なことととととととだ。一人人人人人人人人人人人人で海に出してしまえまえまえまえまえまえまえまえまえまえば良良良良良良良良い」
頭が痛くなる。
「艦艦艦艦艦艦艦艦艦艦艦艦艦娘はね、命令には逆らえないないないないないないないんだ」
何だか、本当にそうしてしまえばいい気がしてくる。自分の脳みその、思考を司る部分が「そいつ」の言葉とともに、ツタのような何かで浸食されていく気がした。自分を殴った摩耶の映像がよみがえる。ああ、こいつのせいで俺は眠っているのか?痛いじゃないか。どうしてそんなことをするんだ。もうこんな目に遭うのは御免だ。
「艦艦艦艦艦艦艦艦艦艦艦娘は人間じゃないんだから」
脳みそが沸騰し、まとわりついたツタを一気に燃え上がらせる。大淀の涙がよみがえる。
「違う!」
俺は「そいつ」に殴りかかると、
「違う!」
俺は叫びながら上半身を起こすと、誰かの頭にそのまま激突した。息を切らして周りを見渡すと、見覚えのない部屋だった。医療器具、治療に関する張り紙、棚の専門書。ベッドの横では摩耶が頭を押さえて悶絶していた。
「痛ぇー…なにすんだよ…」
遅れて自分のおでこにも痛みがやってきた。さっきぶつかったのは摩耶だったのか。
「わ、わるい…」
思わずおでこを手で押さえると、濡れた感触がした。寝巻を見ると、汗でぐっしょりだった。何か嫌な夢を見た気がしたが、思い出せない。思い出せないと言えば…
「ここは…?」
「ああ、鎮守府の医務室だよ。そのくらい覚えとけよ、提督だろうが」
「悪い。そうか…来ることもなかったからな…」
「提督…なんだよな…」
摩耶が喋りづらそうにうつむく。
「摩耶…いやなら、もういいぞ?俺なら何ともないし…」
「吹雪にさ、怒られたよ。俺よりもひよっこのくせに…」
「摩耶…?」
「雷がさ、給料をずーっと貯金してんだ。『司令官にあったらプレゼントを買ってあげるんだ』なんつってよ…。那智なんかは『どのような御仁なのだろうか、一度酌み交わしてみたいものだ』って、時雨なんかいつか一緒にお出かけするとか言っておしゃれな服かって見たり…」
摩耶の頬を涙が伝う。
「なんで…!最初から“こう”じゃなかったんだよ…!」
提督は何も言えず、ただうつむく。お互いうつむいたまま、時折鼻をすする音だけが聞こえた。
「ごめん…」
何も思いつかず、ただ謝罪を口にする。数拍置き、摩耶は答えた。
「アタシはまだ、アンタのことを許せそうにない」
それだけ言い残して医務室を去ろうとするが、ドアの前で立ち止まり、体を半分だけ提督の方に向けた。
「けど…元気になったら食堂にでも顔見せてやれよ。皆…アンタに会えるの楽しみにしてるみたいだからさ。…大淀に、目が覚めたって報告してくる」
ドアが閉められ、一人になる。提督はふらつく足取りでベッドから降り、トイレに向かった。
用を足し、手を洗う。その間、提督はうつむいた顔を一度も上げなかった。目の前にある鏡から、目を背けたかったから。