~119~
「ほむらちゃんがわたしの為に、独りで傷ついて……苦しみながら、頑張ってきてくれたこと……まだ全然理解できていないし……わたしが想像するその何倍も何倍も、大変だったんだと思う。ただ、そんな一言で片付けていい話じゃないし……ほむらちゃんにどんな言葉をかけたらいいのかも、正直わからない。事情を知った今でも、まだ頭の中がこんがらがっていて…………上手く整理ができていないんだ……でも、それに気付けなかった自分自身のことが、本当に情けなくて悔しかった」
訥々とした言葉で――己の罪を懺悔するように、自身の想いを伝え始める。
「今ここに居るわたしだけじゃない。他の世界でのわたしのことも、何度も何度も、ほむらちゃんが繰り返した数だけ――これまでずっと……わたしはほむらちゃんに守られてきた。だからこそ、今のわたしが在るんだと思う。ほむらちゃんのお陰だよ? 本当に……本当にありがとうね。ほむらちゃん」
内心を吐露するまどかちゃんは、感極まったように涙ぐみながらも、一言一言しっかりと、訴えかけるように語りかけていた。
ほむらはもう立つことも出来ず、へたり込むように腰を下ろしていた。
ただただじっと身動きせずに、まどかちゃんの言葉に耳を傾けている。
「ねぇほむらちゃん、一つ訊かせて欲しい――今のわたしと、ほむらちゃんが今までに出会ってきたわたし、それは全く考え方も違う別人だった?」
「…………いいえ…………あなたは……全く変わらないわ……まどかは…………気弱でも……心の芯が強くて…………いつだって……誰にでも優しくて…………幸せを分けてくれる……あなたの傍にいるだけで……春の陽だまりのような……温かさを感じさせてくれた」
「そっか…………うん。だったら、これだけは言える――過去の世界のわたしも、今のわたしも…………ほむらちゃんがいなくなっちゃうことなんて、望んでいないって!」
「…………それが訊けただけで……私は十分に報われたわ…………まどかがいたからこそ……今の私が在る……ここまで…………辿り付くことができたの…………だから……どうか……このまま……私の願いを……叶えて……」
「ごめんね……ほむらちゃん」
ほむらの嘆願に、まどかちゃんは目を閉じて首を振る。
「もういいの……もういいんだよ、ほむらちゃん。あなたはもう傷つかなくていい。苦しまなくていい。もう立ち止まってもいいんだよ。あとは私に任せてほしい」
「嫌! いやいやいやいやぁ…………」
「本当にごめん――わたし、決めたんだ。魔法少女になるって」
ほむらが泣き叫び訴えかけても、まどかちゃんの決意は揺るがない。
「待って…………あなただけは……」
「そんな悲しい顔しないで、ほむらちゃん。大丈夫、安心して。ほむらちゃんが積み重ねてきた大切な想いを、絶対、無駄になんかしないから!」
涙の跡が残っている顏に、力強い笑みを浮かべ――まどかちゃんはほむらと視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「……まどか?」
「だから――改めて、わたしの『願い』を訊いてほしいの」
「……まどかの……願い?」
「うん、そう」
そのままゆっくりと距離を詰め、両腕で包み込むように抱擁し、子供をあやす様に背中を優しく叩く。
「でもね、きっとどの世界のわたしも、同じ願いを抱いていたと思うんだ。そこに存在する“わたしがわたし”だったのなら」
耳元に顔を寄せ、そっと囁くように――穏やかな温かい声音で語りかける。
「わたしが望むのは――『ほむらちゃんと一緒に、この先の未来を歩いていきたい』。それが、今のわたしの『願い』だよ。その為に、わたしは魔法少女にならなきゃいけないの」
「うっ…………ぐ…………あぁ…………ああ……」
ほむらは言葉にならない声で嗚咽を漏らす。
嬉しくて、悲しくて、心の中がごちゃまぜで、感情が滴となって溢れだす。
まどかちゃんが一緒の未来を望んでくれたことは、ほむらがずっと渇望していた夢のようなものだ。でも最初から達成はできないと、諦めていたことでもある。
まどかちゃんを救うことさえできれば、それだけでいいと割り切っていたのに……こうして、まどかちゃんの想いに触れることができたのは、どれほどの悦びだったのだろう。
だが、その為にまどかちゃんが魔法少女になるというのは、ほむらにとって堪え難い現実だ。
ほむらは、ずっと彼女を魔法少女に――いや、魔女にさせない為だけに刻苦し、戦い続けてきたのだ。
でも、もうまどかちゃんの決意は、揺るぎなき信念によって強く固まっている。
その決意を自分の言葉では、変えることができないと悟ったほむらは、声を上げ泣く事しか出来ない。
止め処となく溢れ出る涙を拭う事もできず、ほむらは号泣した。
張り裂けるような大声を上げ、迷子になった子供のように泣きじゃくっていた。
~120~
「ようやく話が纏まったようだね」
泣き濡れるほむらの姿にも、全く気遣いを見せることなく――無粋な介入者がやってくる。
少女の希望を絶望に換えて搾取する、諸悪の根源にして、この歪んだ不条理なシステムを創り上げた管理者。
白い毛並みの猫のような小動物。その実、この地球上の生物ではない、宇宙の彼方よりやってきた異星生命体。
個の概念を持たず、種全体で統一した意識を共有する、謎多き存在――。
「キュゥべえ」
足元にまで接近してきた相手に対し、まどかちゃんが敵意を込めた声音で呼び捨てる。
「鹿目まどか。魔法少女になる対価として、君は何を願うんだい? 数多の並行世界の因果を束ね、因果の特異点となった君ならば、どんな途方もない願いであっても、叶えることができるはずだよ。不可能を可能にし、奇跡をなすことができるだろう」
「嘘じゃない? わたしの願いは必ず叶えてくれるの?」
「うん、嘘なんて言っていない。君がそれを望むのならね」
「なら、戦場ヶ原さん。お願いできますか?」
「ええ。ということよキュゥべえ。“鹿目さんの願いが如何なるものであったとしても、お前は拒まず、絶対に叶える”――私との『約束』よ」
「はぁ……『約束』するよ。やれやれ、僕は本当に信用されてないんだね。そんなことしなくても、その願いがエントロピーを凌駕するものであるのなら、僕に拒む権利はないよ。それが僕の役割だからね」
戦場ヶ原の能力を使い、キュゥべえとの『約束』を絶対のものにする。
その念の入れように、ややキュゥべえが辟易したように文句を垂れていた。
ほむらは依然として大粒の涙を流し、まどかちゃんの姿を呆然と見ることしかできない様子だ。
しかし……僕はこのまま成り行きを見守るだけでいいのだろうか?
ここで止めなければ、まどかちゃんは魔法少女になる。そうなればもう手遅れだ。
でも…………僕にはある確信がある。
まどかちゃんは、自分自身を犠牲になんてしない――と。
だって、そうだろう?
羽川はほむらを説き伏せるときにこう言ったのだ。
――「もし暁美さんと鹿目さんの立場が逆だったとして、鹿目さんがあなたの為に犠牲になることを選んだとしたら――暁美さんはそれを受け入れることができるの?」――
もし、まどかちゃんが“自身の犠牲の上に成り立つ願い”を叶えたいと言うのなら、羽川の言い分は通らなくなる。
そして、まどかちゃんは、ほむらと共に歩む未来を望んでいる。
それに……あの、勇ましくも凛々しい顔つきになったまどかちゃんを、もう僕には、説得することはできそうにない。
ここまでくれば、口を挟まず見届けるしかないだろう。
まどかちゃんの決心に、水を差すような真似はしたくない。
複雑な胸中でありながらも、どうにか静観することを決め、僕は腹を括る。
と――その時。
この“構想”を企だてた首謀者が――キュゥべえに対して語りかける。
「キュゥべえ。私との『約束』の件、間違いなく達成したということでいいのかしら?」
「ああ、そうだね。確かに戦場ヶ原様の手引きによって、鹿目まどかは魔法少女になる。あとはまどかが魔法少女にさえなれば、僕と君が結んだ『約束』も成立することは保証するよ――ふぅ色々と冷や冷やさせられたけれど、この結果は君の助力あってこそだ」
『約束』が果たされることの最終確認も完了し――長い尻尾を大きく揺らし、迫る運命の瞬間に期待を膨らませているようだ。
その様子を、なぜか満足そうな表情で一瞥してから――
「契約内容を確認しないで、商談を纏めるなんて営業マンとしては失格ね」
キュゥべえの行為を揶揄するように、含みを持たせた声で戦場ヶ原は言う。
「……営業マンとは僕のことかい?」
「そうよ」
「……まぁそれはいいとして、どういうことだい? 戦場ヶ原様の比喩的表現じゃ、正確な情報を読み取ることができないんだけど」
「お前は、鹿目さんとの契約に執着し過ぎて、その後の『願い』に無頓着過ぎるってことよ」
「要領を得ないな。まどかとの契約が果たされれば、僕らのエネルギー回収ノルマは概ね達成できる算段だよ?」
「ふっ、取らぬ狸の皮算用とはよく言ったものだわ――憐れな無能営業マンに、有り難い教訓を授けてあげましょうか」
戦場ヶ原が不敵に嗤う。
罠に嵌った愚か者を嘲るように、禍々しくも歪んだ、悪辣な笑みを浮かべていた。
「『約束』する相手は選ばなきゃ駄目なのよ。そうしないと、後々後悔することになるわ。ま、今更言っても詮無いことだけど」
そして――最大限の皮肉を込め、愉悦を宿した声音で戦場ヶ原は言った。
「はぁ…………ふぅ…………」
それに続き――まどかちゃんが大きく深呼吸し、射貫くようにキュゥべえを見つめる。
「キュゥべえ。わたしの『願い』を叶えてもらうよ」
覚悟の完了した、迷いのない表情で言葉を紡ぎ――
「わたしの『願い」は――この世界にいる、全ての魔法少女の穢れを癒したい!」
どんなに途方もない奇跡だって成し遂げられる――条理を覆すと言われたその強大な力を行使する!
その瞬間――彼女の胸元から、小さな光が生まれ、光は徐々に膨張していき、神々しい輝きとなって周囲を目映く照らし出す!
「穢れを……癒すだって!?」
まどかちゃんの『願い』を訊いたキュゥべえが、慌てた様子で声を荒げていた。
「穢れが魔女を生み出すというのなら、その原因を取り除けばいい! もう誰も魔女になんてさせない! わたしの力で抑えてみせる! 私の力で癒してみせる!」
「それが君達の狙いか!? でも、そんなことが!?」
ああ、なるほど。そういうことだったのか。
ここに来て、今更ながらに気付けたことがある。
我ながら本当に察しの悪いことで、己の馬鹿さ加減に呆れ返るばかりだ。
こんな時に、なんの話をしているのかと言えば、事前に忍野が僕に与えてくれた、あのヒントの件だ。
覚えているだろうか? あの男が『将棋』を引き合いに出し、僕に何かを伝えようとしていたことを。
忍野は言っていた。
――「如何にして、相手の裏をかくか」――
――「此方の意図を気付かせずに、どうやって相手を欺くか」――
そして更に、こんな例え話もしてくれた。
――「手法としては、王手なり相手の本陣に攻め入るような目立つ一手を指す。或いは敢えて飛車や角を捨て駒に使う。そうやって相手の思考を誘導し注意を逸らす。読み違いを誘発させる――でも実際の狙いは別にある、なんていうのがオーソドックスかな。あとは、序盤の何気ない一手が、終盤に大きな役割を果たすなんてのは、漫画なんかで散見するよね」――
その答えを、ようやく知ることができた。
僕は、捉え方を根本的に履き違えていたのだ。
僕はずっと――“僕が騙されている側”だと思い込んでいた。
将棋をする上での敵側――つまり自分自身のことを対局相手として位置づけていた。
だがそれは違う。勘違いもいいところだ。
戦場ヶ原と羽川、この二人が敵対している相手なんて――決まりきっている。そんなの、キュゥべえしかいない!
だから、忍野の例え話に沿って、僕の役回りを解釈するのなら、差し詰め、敵陣に攻め込み攪乱する飛車や角に準ずる――味方側の『手駒』の一部だった訳だ!
その実、キュゥべえの注意を引きつける為の『捨て駒』だったんだけどね!
ムカつく程に、言い得て妙な例え話である!
相手に意図を気付かせず、何かの目的を果たすこと――戦場ヶ原と羽川はそれを見事に成し遂げていたのだ!
「待ってくれ!」
キュゥべえが制止の声を上げるが、回り始めた歯車はもう止まることはない。
その願いがエントロピーを凌駕するものであるのなら――キュゥべえにそれを拒む権利はないのだから!
「魔法少女になったみんなを、絶望で終わらせたりなんかしない! 呪いなんて生ませない! 魔法少女は夢と希望を与える存在なんだから! あなたの思い通りになんてさせはしない!」
胸に凝縮した凄まじい光を一気に解放し――少女は高らかに叫んだ!!
「さぁ、叶えてよ! インキュベーター!!」