【完結】孵化物語~ひたぎマギカ~   作:燃月

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ウォッチ(watch):【観察する・見張る・警戒する】【時計】


ほむらウォッチ~その4~(Walpurgisnacht)

~106~

 

 ワルプルギスの纏っていた密度の濃い暴風が――幕が開くように消えていく。

 

 暴風が消えると同時、虹色に発光する無数の魔方陣が魔女の背後に展開され、舞台照明のようにワルプルギスを照らし出す。

 

 ドレスの修復は、既に完了していた。

 

 暴風の幕が開き、魔法陣に照らされ姿を見せるワルプルギスの夜。ドレスを披露する為に用意した、演出の一環にも思えるほどに仰々しい登場だった。

 そう考えるとあの暴風は、ドレスの修復中に邪魔が入らないようにする意図があり、結界的な役割を担っていたのだろう。

 修復作業に従事していた使い魔も、役目を終えたからか姿が消えている。主演女優の邪魔をしないよう、舞台裏に引っ込んだのかもしれない。

 

 群青色のプリンセスドレスを纏ったその姿。

 絢爛豪華にして、演劇衣装のような派手なデザイン。 

 フリルのボリューム感が割り増しされ、胸元には光り輝くコサージュが装着されている。

 銀色の縁取りと金色の刺繍が随所に施され、総攻撃を受けてボロボロに破損していたドレスは、元の状態より一層優美な仕上がりになっていた。

 

「キャハハハハハハハハハハッ!!」

 

 歓喜を知らせるように、甲高い笑い声が響き渡った。背筋に悪寒が走る耳触りな声音。

 

 その途端、ワルプルギスの魔力が更に膨れ上がる。

 

 もう私にもその総量を推し量ることができない。途方もない、桁違いな魔力量。規格外過ぎて、変な笑いがこみ上げてくる。私の心を何度殺せば気が済むのだろうか。オーバーキルもいいところだ。

 

 これこそが『正位置』についたワルプルギスの、完全体とでもいうべき姿。

 

 私には、あれを倒せるビジョンがどうしても見出せない。何をどうしたって勝てるわけがない。

 ああなってしまえばお終いだ。破滅の未来しか残されていない。そうなる前に決着をつけなければならないと改めて認識する。それほどまでに次元が違う。

 

 その凶悪な魔力に当てられ、足の震えが止まらなくなる。身が竦み、全身が凍りついたような寒気に襲われる。

 

 私は、あんな化物と戦えない。逃げ出したい。そう否応無く思わせるほどの圧倒的な魔力。

 それこそ、今すぐに時間遡行を行いこの場所から――この絶望に支配された世界から立ち去りたい。

 

 でも。それでも。

 屈服してしまいそうな心を偽装し、どうにか心を保つ。必死に繋ぎ止める。

 

 私はこの戦いを見届けなければならない。

 

 無謀な戦いであったとしても――

 それが蛮勇であったとしても――

 決して勝ち目のない勝負だとしても――

 

 阿良々木暦が戦う意思を示す限り、私はそれを見届けなければならない。

 

 それが、これから彼に助けを求めようとしている私にできる、唯一のことだから。

 

 

 

 

 

 

~107~

 

 阿良々木暦は、既に臨戦態勢に入っていた。

 いつもの頼りない緩い表情は消え、口を真一文字に結んだ真剣な面持ち。

 吹き荒れる風に煽られ、髪が激しく揺れている。そこから覗く双眸は力強く、ワルプルギスを鋭く睨み付けている。

 

 あのワルプルギスを前に、恐怖の感情は微塵も感じられない。

 

 そしてワルプルギスに対し、ゆっくりと大胆に――真正面から近づいていく。

 あまりにも無防備過ぎる前進。無論、ワルプルギスもこの接近してくる相手に、気づいていないわけもなく――敵対者と見定められていた。

 

 その証拠に、ワルプルギスから真空波が放たれる!

 空間を歪ませるように迫る風の刃。無数の鎌鼬が襲いかかった!

 

 あえなく、阿良々木暦は四方から無残に切り刻まれ、腕が千切れ飛び、体中に深い裂傷を負い、血塗れの姿に…………なったその瞬間、その傷は跡形もなく消え去っていた。切り離された腕も、刻まれた衣服も、全て元に戻っている。飛び散った血も蒸発して、傷を負ったという痕跡が、何一つ残っていない。

 

 一瞬見えた目の錯覚のようだった。

 でも、そうじゃないと解っている。驚異的な治癒力でワルプルギスの攻撃を無効化したのだ。これこそが、吸血鬼の不死性。

 

 避けるまでもないと誇示するような、不遜な態度。

 

 何も起きなかったかのように、彼は前進を再開していた。

 まるで意に介していないと知らしめるように、愚直に突き進む。

 

 

 ただ、ワルプルギスにしても、あんなのはただの小手調べに過ぎなかったのだろう。

 次いで、発せられたのは、暴風を押し固めた風の塊だった。

 

 竜巻を無理やり押し込めたような、螺旋を宿した巨大な球体。

 唸りを上げ周りの空気だけでなく、周囲に浮き散らばっていた瓦礫を吸い込み粉砕していく。

 それはまるでブラックホールのように――通り過ぎた空間には何も残っていない。

 

 あれに呑み込まれたら、幾ら治癒力が優れていても、確実に死ぬ。全身が圧搾され押し潰される。肉片一つ残らない。間違いなく“受けてはいけない攻撃”の類だ。

 

 しかし、それが迫ってなお、彼は回避行動に移らない。

 

 寧ろ自ら接近するように近づいていく――いや、そうか。吸引力に抗えず、逃げたくても逃げられないのでは? でも、それにしたって、焦った様子は見られない。

 

 

 螺旋の球体が間近に迫ったところで、阿良々木暦が右腕を掲げ――

 

 そのまま羽虫を払うような手振りで、その右腕を振り払った。

 

「え!?」

 

 思わず声が漏れる。目の前で起こった現象をうまく理解できない。

 事実だけを述べるなら、その腕を払うという軽い動作だけで、迫り来る風の塊を掻き消した。あの軽い手振りで相殺した? 

 

 私の思考が追いついていない状態で、更なる攻防が展開される。

 

 

 今度は何が起こったのか、容易に理解できた。簡単に説明できる。

 

 まずワルプルギスが魔術で、近場にあった高層ビルを根元から引き抜いた。

 次いで、それを操作し、阿良々木暦に向け発射した。暴風を纏わせ、速度を底上げした状態で。

 

 それに対し阿良々木暦は、迫るビルを真正面から受け止め、キャッチボールの要領で投げ返した。

 

 

 ……………………幾らなんでも滅茶苦茶過ぎる。こんなことって!?

 

 理解できるからこそ、理解できることではないのだ。自問せずにはいられなくなってしまうのだ。

 

 目の前で繰り広げられたことなのに、自身の目を疑ってしまう。この出来事を、どう形容すればいい。

 

 

 だが、ワルプルギスもそう簡単にやられるようなことはなかった。

 

 投げ返されたビルが直撃するも、魔法の防御壁でも展開させて対処したのか、損傷は見られず――体勢を大きく崩しているものの、撃墜には至っていない。

 

 

 

 と、そこで。阿良々木暦が大きく動く。

 

 今までは敵の攻撃を受け、それに応じた反撃は行っていたけれど――ここに来て攻めに転じるつもりなのだ。

 

 翼を羽ばたかせ、一気に急上昇し高度を上げる。その遥か上空で異形の翼を大きく羽撃つ。

 そこで私の視界から彼の姿が消えた――これも吸血鬼の能力? いや違う。これはただ単に、目で追える速度ではなかったということ。

 

 それほどまでに異常な爆発的加速。

 

「どこに!?」

 

 視力を強化した上で、注意深く観察していたのにも関わらず見失った。 

 目線を忙しなく動かし、姿を探していると――――ある異変に気付く。

 

 

 ワルプルギスがまた逆さの体勢に戻っていた。上下逆さまになっている。

 

 でもそれは『正位置』から戻ったことを意味していない。魔力の量は全く変わっていない。

 ならば、それは何らかの予兆。危険の前触れ。ワルプルギスが大規模な魔術を放つ前段階、その準備動作なのではと考えたが………………そうではなかった。

 

 ワルプルギスに気をとられ過ぎて、"その存在"に気付けなかった。

 

 逆さになったワルプルギス。その頭部を両手で掴み、持ち上げている吸血鬼の姿を。

 

 刹那の間にワルプルギスとの間合いを零にし、あの魔女の巨体を"力任せに反転"させたのだ。有り得ない光景だった。

 

 それから何をするつもりかと思えば、弓なりに大きく身体をのけ反らせ――スローインするようなフォームでワルプルギスを地面に投げつけた!

 

 地響きを伴わせ地表を猛烈な勢いで削りながら、ワルプルギスは吹っ飛んでいく。

 見滝原の中心街に轍のような爪痕が出来上がる。元々戦場になっている場所なので、街に新たな被害が出た訳ではないが、目に見えて地形が変わってしまっていた。

 

 

 修復されたドレスの大部分が、また崩れている。

 それでも致命的なダメージを与えられた訳ではないようで――ワルプルギスは再び浮上を開始する。

 

 その浮上に伴って、周りの瓦礫という瓦礫、放置された自動車や、半壊したビルや木々を根こそぎ――ありとあらゆるものが同時に浮上していく。

 

 元々そういった性質を持っていたが、範囲が拡大している。

 しかも、その浮き上がった物質がワルプルギスを中心とし、渦を巻くように動きだし――次第に強烈な暴風と共に魔女の周りを旋廻し始めた。一瞬にして瓦礫の濁流が出来上がっていた。

 

 その異観は、昔見た有名なアニメの天空の城を守護する『竜の巣』のようだ。

 

 これでは迂闊に攻め込むこともできない。近付けば渦に呑まれるのは明らか。

 

 けれど――阿良々木暦はなんの躊躇もなく、その荒れ狂う竜巻に突っ込む!

 

 台風程度の強風ではない。

 局所的な一点集中型の強力なサイクロン――それもビルのような建造物を巻き上げる程の、通常ではあり得ない暴風。

 

 それに身を投げ入れるなんて、自殺行為以外の何物でもない。

 

 高密度の暴風の中に侵入した事で、その姿は見えなくなった。飛行能力があろうと、当然その制御を失うことになる。暴風に弄ばれ、瓦礫にぶつかり唯では済まない――

 

 そうなるはずだった。

 そうならなければ、絶対におかしい。

 

 しかし『吸血鬼』は人智を超えていた。私の常識を簡単に打ち破ってみせた。

 

 

 私が次に見たのは、暴風の中心――所謂台風の目と呼ばれる箇所から飛び出した彼の姿だった。

 

 しかも、戦利品のおまけつきで。

 

 

「ギャァアアアアアアアアアア!!」

 

 ワルプルギスの叫び声が木霊する。

 展開していた暴風が掻き消え、その姿が露わになる。

 そこには"片腕を無くした"魔女の姿があった。

 

 そして、その"無くなった片腕"は――阿良々木暦の手の中に。トロフィーを見せつけるように頭上に掲げている。ドレスも纏めて魔女の右腕をもぎ取っていたのだ。

 

 

「グァガァアアアアアアアアアア!!」

 

 つい先ほど上がった悲鳴とは趣の異なる咆哮。

 絶対の防御――暴風の防御壁に侵入を許し、あまつさえ自身の腕をもぎ取られたワルプルギスは、狂ったように雄叫びをあげていた。

 

 これは痛みによる悲鳴ではなかった。憤然たる空気を醸し出す怒号。

 ワルプルギスが、確かな『怒り』の感情を露わにしている。

 

 珍しい……というより初めて聞いた。こんな余裕を無くしたワルプルギスを見るのは初めてだ。

 

 

 夢でも見ているような異様な光景だった。

 完全にワルプルギスを手玉に取っている。一方的な蹂躙劇。

 

 敢えて自分の力を誇示するような戦い方なのは、キュゥべえに対してのパフォーマンスなのかもしれない。

 阿良々木暦は、キュゥべえとの交渉を目論んでいる。その一環として、吸血鬼の力の有用性を示すことを目的にしていると話していた。

 正直、私はワルプルギスさえ倒せればそれでいい。まどかさえ無事ならそれでいい。

 

 何にしても、彼の力は――吸血鬼の力は想像以上だった。

 

 これなら――勝てる。

 

 

 そう思った瞬間――それは起こった。

 

 

 発狂したように、悍ましい絶叫を上げ続けるワルプルギス。

 それに呼応するように、魔力が大きくうねり出す。

 

 この魔力の波動は間違いなくワルプルギスのものだった。

 

 中空に描かれた紋様の輝きが増していき、膨大な量の魔力が集まっていく。

 周囲に展開していた魔法陣が目映く明滅、発光し――大規模魔術が展開される。

 

 

 それは、一言で表すのなら――『ワルプルギスの夜』そのもの。

 

 

 別に謎かけをしたい訳じゃない。

 

 本来の意味で使用される『ワルプルギスの夜』という言葉は――中欧や北欧で広く行われる行事を指す。

 その行事では、『復活祭の篝火』として、火を焚く風習が残っている。大きな篝火を焚いて、春の到来を祝う祝祭の日。本来は大きな篝火を焚いて、魔女を追い払う儀式。

 

 そんな光景が今、この見滝原の一角で始まっていた。

 

 ワルプルギスの眼下に広がる荒廃した街並みに、不自然な自然発生ではない火の手が上がる。それはすぐに中心街全域に燃え広がり、見滝原は火の海と化す。

 

 その炎は、青、紫、黒といった色合い混ざり合い、異質な色をしていた。

 

 黒き炎が地表を浸食していき、地を這うように範囲を広げる。一帯が炎で覆われていく。

 

 生命に満ち溢れていた草木は瞬時に炭化し脆くも崩れ落ちた。

 コンクリートで出来たビルであろうと、鉄製の車だろうと――全てが等しく融解し、溶けて爛れ堕ちる。

 溶岩地帯のように、地表はドロドロになり――車の液体燃料に引火したのか、其処かしこで爆発が巻き起こっている。

 

 灼熱の炎――地獄のような光景だった。

 

 そして、燃え広がった炎がワルプルギスの巻き起こした風に煽られ、更に焚き付けられる。

 火の手が一層激しくなり、強風と合わさって逆巻く巨大な火柱となった。

 火災旋風と呼ばれる現象に近いのだろうが――それとは全く異なる魔術的な力だ。

 

 火柱が龍のように立ち昇り、蜷局を巻くようにワルプルギスの周囲を包み込んでいく。

 

 一見すれば、魔女の火炙り――それは火刑に処される魔女を想起させる。

 

 しかし、この炎の発生源はワルプルギスなのだから、自身が焼かれ自滅するようなことはなんてあるはずがない。

 

 これはワルプルギスの意志によって引き起こされた、凶悪な魔法なのだ。

 

 魔女狩りで行われた処刑方法。それに酷似した攻撃手段を用いるなんて、皮肉的だ。

 もしかしたら、そういった最後を遂げた魔法少女なのかもしれないなんて、場違いな考察をしてしまう。

 

 見かけ倒しじゃない、全てを焼き尽くす闇の炎。火種が燃え尽きようとも、その炎は消えることはない。ワルプルギスの膨大な魔力を糧にしているのだから、際限なくどこまでも延焼していく。

 

 

 その火焔地獄を前に、阿良々木暦は初めて逡巡を見せていた。

 表情は相変わらず無表情に近い研ぎ澄まされたものなので、そこから感情を読み取るのは難しいが、攻めあぐねているのは確かだった。

 

 当然だ。ワルプルギスは猛炎を纏っている。近寄よるだけで炙り殺される。焼き殺される。これでは手も足も出ない。

 

 加えて問題なのは、『火』という現象――それは吸血鬼にとって、致命的な弱点に他ならない。

 強大な力を有していることへの反動ともいうべき代償なのか、吸血鬼は数多くの弱点を持っている。

 

 日光、十字架、大蒜、聖水、銀、他にも細かなモノを上げればまだまだあるが、そうした数ある吸血鬼の弱点の一つに『火』も含まれている。世界に普及している代表的な、私でも知っている、吸血鬼の有する弱点の一つ。

 

 しかもそれは、『弱点』と表現するよりも、吸血鬼を退治するために用いられる、かなり有効な『攻撃手段』と言ったほうが正鵠を射ていた。驚異的な不死力、回復力を持つ吸血鬼を再生させることなく殺しきる方法だった。

 

 古来より炎は『太陽の断片』として、神聖なものとして扱われることが多い。現代においても、邪悪なモノを払う儀式などには用いられている。

 

 あの禍々しい炎が神聖なモノだなんて思えないけれど、それでも『火』という性質を持っているのは間違いない。

 

 吸血鬼に対する特効の攻撃手段として、ワルプルギスがこの炎の魔術を発動させた訳ではないのだろうが………………。

 

 

 あと少しだったのに…………希望を抱いた瞬間、それは儚く消える。

 なんでなんでなんで!

 どうしてどうしてどうして!

 

 心の中で叫ぶ。慟哭する。

 

 必死で手を伸ばしやっと手が届きそうだと思ったら、見計らったようなタイミングで消えて無くなる。悔しく、歯痒くて、もどかしくて、胸が締め付けられる。この行き場のない感情をどうしたらいいのかわからない。

 

 もう、苦しくて、見ているのも辛い。

 この現実から目を逸らしたい。

 この理不尽な世界から抜け出したい。

 

「…………え?」

 

 そんな精神的に摩耗しきった私の心に止めをさす、惨憺たる光景が目に入った。

 

 私は呆気にとられ、絶句する。

 血の気が一気に引いていく。

 

 もう駄目だ。

 何をとち狂ったのか…………阿良々木暦が、あの炎の中に――業火を纏ったワルプルギスに突っ込んだのだ…………。

 

 ………………他に方策があるわけではないのだから、そうするしかなかったのだとしても――本当に本当に、正気の沙汰ではない。

 生身で溶鉱炉に身を投げ入れるようなものだ。鉄を融解させる程の熱を持つ炎は、人間なんて完全に燃やし尽くしてしまうだろう。いとも容易く。骨すら残さずに灰燼に帰す。

 

 それが吸血鬼であろうとも。

 

 

 …………もう、十分だ。

 

 これ以上この世界に留まっても――より深い絶望を感じるだけだ。

 私は全てを見届けた――

 阿良々木暦の最後を――

 

 そう判断し、私は――もう一度『繰り返す』為に、小楯に触れ――

 

 

 ようとした――その手が止まる。

 

 

 異音。

 何かが激しくぶつかったような、不可解な轟音が響き渡った。

 

 次いで――

 

 

「グァギャアアアアアアアアアアアアアア」

 

 断末魔の叫び声。ワルプルギスの絶叫が異音に遅れて耳に届く。

 

 崩壊した天空の城のようにワルプルギスが地に落ちてく。いや違う。落とされたのだ!

 

 魔力の供給が断たれたせいか、魔法陣が消失し、黒い炎が消えていく。

 

 いったい何が起こったというの? 阿良々木暦はいったい何をした!?

 

 

 その答えは、焦土と化した地上に横たわるワルプルギスの状態を見て、推察することができた。

 

 

 ボロボロに崩れ落ちたドレス――その半壊したスカートの奥。

 片腕のなくなった上半身と、歯車でできた下半身を繋ぐ、鉄柱のような一本の車軸。 

 身体を支える背骨の役割を担う、その太い車軸が――ぐにゃりと折れ曲がっていた。

 

 

 これが意味することは――あの灼熱の炎の中で、阿良々木暦が問答無用に攻撃を決行したということ。

 

 どうやってあの灼熱を耐えたのかは解からない。でも、彼は吸血鬼としての異能を使って、対処したのだろう。何かしら火に対する耐性、無効化する術を持っていたということだ。

 流石に無策で飛び込むわけがない。そう思った。

 

 

 そう、確かに――阿良々木暦は"その術"を持っていた。

 

 

 しかしそれは、あまりにもあんまりな対抗手段。

 いや――"対抗"なんてしていなかったのだ。

 

 

 阿良々木暦の身に何が起きたのか、彼が何をしたのか――私は、それを知る。

 

 

 地に横たわるワルプルギスの傍に、異様な白煙が上がっている箇所があった。

 他にも煙の上がっている場所はあるけれど、そこだけが、やけに異質な雰囲気を放っていた。

 

 次第に薄れていく煙。

 その薄煙の中に、幽鬼のように立つ黒い影があった。

 

 焦土となった黒き土壌の上に、得体の知れない何かが立っていた。でも、間違いない。それ以外考えられない。煙の発生源は、阿良々木暦だった――――そう思われるモノが立っていた。

 

 

 炭化し黒く変色した肌から、煙を立ち昇らせている。噴出している。

 無謀にも炎に身を投じた代償。無事で済むわけがない。全身の肉が焼かれ、焼け焦げた死体そのものに見える。

 

 だけど、彼は立っていた。揺らぐことなく、地を足で踏みしめている。

 確実に生命としての鼓動を脈打っていた。

 

 炭化してしまったどす黒い肌が……確かに死んだ体細胞が……壮絶な勢いで"再生"していく。

 

 この白煙は、再生に伴って生じる現象だったのだ。

 

 間違いなく『死』に直結する致命的な外傷。

 死んだモノは決して蘇らない……その不文律を覆す悍しい異観。

 

 生と死の混在。常軌を逸する所業。

 

「…………」

 

 あまりにも凄惨な光景に、思わず息を呑む。

 

 吸血鬼の治癒力が高いのは知っていた。先の戦いでもその脅威の治癒力は目の当たりにし、知ってはいたのだ――けれど、これほど馬鹿げた治癒力だとは思っていない!

 

 いや、そうだ。阿良々木暦の話はだいたい聞き流していたので、あまり記憶になかったが、思い出した。

 

 彼は伝説の吸血鬼の眷属。吸血鬼の中でも異質な存在なのだと。

 

 だから彼は――世に居るであろう他の吸血鬼とは『別格』であり『例外』なのだ。 

 

 通常なら、炎に焼かれ灰になって死んでいたはずのダメージを、それを上回る不死力で覆した。死を回避してみせた。

 

 そう。治癒速度が著しく減退しているものの――圧倒的な再生能力で、ワルプルギスの炎を"無視"したのだ。

 

 

 肉を切らせて骨を断つなんて言葉があるけれど、それに倣うなら、肉を焼かせて骨を断った――そういうこと。無理も通れば道理になる。

 

 己の身を考慮に入れず……捨て身の攻撃を決行したのだ。強引に押しきった。

 

 

 でもまだ、終わってはいない。グリーフシード化していないということは、まだワルプルギスは生きている。しかし、もう浮上することもできないようだ。既に虫の息。満身創痍なのは明らかだ。

 

 

 魔女に止めをさすべく、緩慢に歩き出す。

 横たわるワルプルギスの方へと、ゆっくりと歩みを進める。

 

 一歩進むたびに傷は癒されていき――皮膚も、徐々に復元されていく。ようやく、表情が読み取れる程度に傷が癒える。

 火傷なんて言葉では表せない傷を負ったにも関わらず、その表情に苦悶はなく、一切の曇りもない。

 

 そして、ワルプルギスのもとに辿り付いた時には、髪も皮膚も服も、時間を巻き戻したように。全てが元からそうであったように。完全に元通りになっていた。

 

 

 ワルプルギスの間近――手を伸ばせば歯車に触れられる至近距離で、阿良々木暦が構えをとる。

 

 その構え――その光景は、何度か見たことがあるものだ。

 

 彼が、ずっと繰り返し練習していた――ワルプルギスに対して、とどめの一撃を放つ為の構え。

 

 両脚を地につけ、腰を落とす。

 弓矢を射るかのように右腕を後方に引き、あきらかな“溜め”の動作へと移行する。

 

 十分に引き絞られれば、おのずと次の行動に移る。標的を射抜く為、矢を放つ。

 

 溜めの状態から一気に引き絞っていた右拳を繰り出した!!

 

 言ってしまえばただの右ストレート。力任せのパンチに過ぎない。

 けれど、それは最強の吸血鬼が、最大の力を込めて放った一撃だ。

 

 即ち、この世界に於ける最大の攻撃手段。

 

 耐久力の高いワルプルギスと言えど――その攻撃に、耐えきることはできなかったようだ。

 

 ワルプルギスを純然たる力で制圧した。

 その確かな証として、ワルプルギスはグリーフシードへと変化している。間違いなく、ワルプルギスは消滅した。

 

 

 ワルプルギスが弱かったなんて絶対に有り得ない。

 

 ただ彼が、それを上回る力で持っていただけのこと。

 

 

 キュゥべえからの伝言――阿良々木暦の言葉を思い出す。

 

 ――紛い物じゃない、偽物じゃない本物の化物の力を、本当の吸血鬼の力を見せてやる! だからまだ諦めるな!――

 

 

 私は一人、小さく頷く。

 

 本当の吸血鬼の力を見せてもらった――と。

 

 ワルプルギスが偽物とは言えないけれど、彼の前では、偽物同然なのは確かだ。

 

 彼こそが正真正銘、本物の化物だ。

 

 

 

 

 

 


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