~099~
自分のやってきたことで、救うべき少女の運命をより過酷なものにしてしまった。
その真実が、重く圧し掛かる。
悔しさもあるだろう。憤りもあるだろう。
だが彼女は今、それ以上の無力感に苛まれているのだ。悪意ある言葉によって――失意のどん底に突き落とされた。
ほむらは目を見開き、愕然とした表情で押し黙る。
歯を食いしばり、握り込んだ手は微かに震えていた。
「こうなってしまったら、被害が拡大するのは間違いない。ワルプルギスは見滝原にとどまらず縦横無尽に暴れ回ることになる。壊滅する街は二つ三つじゃ済まないだろうね。どれ程の街が焦土と化し、どれだけの人間が死滅するのか、僕にも予想できない。当然、このままでは全滅だ。勿論、君達に勝ち目なんてない。この状況を打破できるのは、たった一人。『ワルプルギスの夜』を倒すことができる存在は鹿目まどかだけだ。彼女であれば、正位置についたワルプルギスとだって渡り合える。いや、圧倒することができるはずだ」
事実を伝えるためだけの無機質な言葉。
「さて、暁美ほむら、君はどうするんだい?」
選択肢を潰した上での問い掛け。
「頼りだった時間操作の魔術も使えない。残りの武器も僅か。マミも杏子も戦線離脱し、ワルプルギスは『正位置』についた。それでも――無謀だと解っていながら、ワルプルギスに立ち向かうのかい?」
茫然自失としたほむらに向け、白い悪魔は心を蝕む猛毒を吐き続ける。
「或いは、このまま絶望に身を委ねるのか。うん、君たちはそうしてその存在を全うするべきだと僕は思うよ――それともまた性懲りもなく繰り返すのかい? まぁそれもいいだろう。君が繰り返せば繰り返す程、僕達が得られるエネルギーの総量は増えていく。そうやって鹿目まどかの因果はより強固なものに、絶対的なものへと昇華していく」
唯一の活路であった時間遡行――だけどコイツは……ほむらがどう行動しようが、全てはインキュベーターの利益に繋がり、決して結末は変わらないと――言外に語っているのだ。
執拗なまでに言葉で攻め苛み、抗えない運命を突きつける。自覚させる。理解させる。感情を誘導する。自暴自棄に追い込む。
無力を知らしめ、無駄な足掻きだったのだと悟らせる。ほむらを絶望させるため。ほむらを絶望させて魔女へと墜とすため。
彼女はもう前に進めない。
戻ることもできない。
ほむらがその場に膝から崩れ堕ち、声にならない声で慟哭する。
キュゥべえが赤い瞳を禍々しく輝かせ、ほむらの行く末を見届ける。
これがコイツにとって待ち望んだ瞬間。
それがこの悪魔が描いた
彼女の手の甲に張り付いた
キュゥべえの――インキュベーターの思惑通り、ほむらの心が折れ――
――させるかよ!
「待てよ! 勝手に話を纏めんな! まだ僕がいるだろうがぁあああああ!!」
怒鳴るような蛮声を張り上げる。いや、実際僕の心は怒りの炎で燃え盛っていた。
その声に反応し、ほむらがゆっくりと顔を上げ僕を見やる。
放心状態。目は虚ろ。焦点が合っているのかさえ怪しく、酷く憔悴した面持ちで、その表情は今にも消えてしまいそうなほどに、脆く儚いものだった。頬に水滴を垂らし、唇が小刻みに震えている。
いつもの凛としたクール美少女の面影はない。
「おいおい、どうしたんだほむら? この世の終わりみたいな顔して。今のお前、すごい情けない顔してるぜ。いつもの傲岸不遜なお前はどこにいったんだ?」
僕は鼻で笑うような態度で言う。
「諦めの悪さが持ち味だと思ってたのに、何だよ、もう諦めちまったのか? ほむら。お前、何のために繰り返してきたんだよ?」
心底呆れたと侮蔑を込め、僕は吐き捨てる。
「…………知ったような口をきかないで……あなたに……私の何がわかるっていうの?」
確かな怒りを孕んだ声だが、その掠れた声音は酷く冷たい。
どうやらほむらの逆鱗に触れたようで、射殺さんばかりの視線で睨みつけられる。
何がわかる……か。
時間遡行。まどかちゃんを救うため、同じ時間を繰り返してきたって言われても、その全容は知る由もない。何度繰り返してきたのか、どんな出来事があったのか、検討もつかない。
ただ一つ言えるのは、繰り返すってことは、その分それだけ失敗を繰り返したってことだ。挫折を味わい、もがき続けてきたってことだ。抗い続けてきたってことだ。
たった一人で、孤独に。
誰にも真実を打ち明けられず、理解されず繰り返す。それがどれだけ過酷な道で、どれほどの決意で彼女が歩んできたのか――僕には推し量ることもできない。
だから――
「ああ、分かんねーよ。知らねーよ。だいたいお前が隠してきたことだろうが!」
上っ面を取り繕って、同調することなんてできやしない。それは彼女に対する侮辱に他ならない。
「でもな、今、目の前でお前が苦しんでいることは知っている!!」
僕は叫ぶ!
「……だから……なんなの?」
一言、一言噛締めるように……一掃押し殺した声でほむらが呟く。
「さてな。まぁ少なくとも僕はまだ勝負を投げちゃあいないぜ」
「私たちが全力で挑み……未だかつて無い手応えがあった…………今度こそ倒せると……そう思った……でも、その結果は、ただ事態を悪化させただけ! あの膨大で凶悪な魔力……あなたは感じ取れないのでしょうけど……あんなの、もうどうすることもできないわ!!」
僕の気休めにもならない言葉に、ほむらの怒りは増すばかりだ。
涙を流しながら怒鳴りつけられる。感情を露わにする。
確かにワルプルギスの発する、正確な魔力量なんて僕には感じ取れない。
漠然と、威圧感やその脅威を感じ取れる程度だ。魔法少女は、はっきりと魔女の持つ魔力量を見極めることが出てきているのだろう。だからこそ、立ち向かう気力を根こそぎ奪われてしまった。
絶対的な力の差を、感じてしまった。
「あなたに……あなたなんかに、何ができるっていうの!?」
鋭く突き放すような声。
希望のかけらも無い、冷たい眼差し。
ま、そうだよな。僕に期待できる要素なんてない。
吸血鬼化しても、戦力外に置かれている身の上である。
ほむらからすれば 、相手の力量を知らず、無謀に息巻いている愚か者でしかない。
「何を今更馬鹿げたこと言ってんだよ? お前は僕のことなんか最初っから役立つなんて思ってなかっただろ?」
そして、この開き直った態度もさぞ気に食わないことだろう。それがほむらの激情を煽る。怒りゲージは急上昇だ。
"
うん。鬱ぎ込むより怒っている方が似合っている。
絶望は沈み込み、心に穢れを生む。対し、怒りは沸き立つものだ。まぁ憎悪だって穢れを生むのだろうが、絶望しているよりは断然いい。
絶望とは停滞。立ち止まり諦めることに他ならない。
だが怒りは行動に繋がる。前に進む力になり得る。
だから後は"取っ掛かり"さえあれば、彼女はまだ歩き出せる。
"希望"がある限り立ち向える。
ほむらは強い心を持った奴だと――
諦めの悪い奴だと――
僕は知っている!!
「お前は僕と手を組んだ時から、そんなこと知っていただろうが」
「…………阿良々木暦。さっきから……あなたは何が言いたいの?」
要領を得ない言葉で、煙に巻くような態度。ほむらはもう激怒寸前だ。
返答次第ではただでは済まさない、そういった意志が滲み出ている。
「おいおい、忘れんなよな。お前がこれを切り札にするって言ったんだぜ?」
僕はそう言って、徐に影の中から一振りの刀を抜き出し、怪訝な表情を浮かべる少女に見せつける。
長い抜身の大太刀。曰くつきの日本刀。怪異を殺す妖刀。怪異のみを抹殺する刃。掠り傷一つで、此の世ならざる者を屠る凶刃。魔女に対しても効果があることは、既に証明している。
俗称『怪異殺し』――その銘を『心渡』という。
そして僕は、いつか言った言葉を繰り返す。
「なぁ、ほむら――“この刀は”役に立つんじゃないのか?」
『ほむらコネクト~その1~』を踏まえた描写がありますので、軽く読み直して貰うと印象が少し変わるかもしれません。