~076~
何でこんなことになってしまったのだろうか?
どういうことかと端的に言えば、美樹さやかの様子がおかしい。
それは私が今まで経験してきたどの時間軸でもみたこともないような変容具合で、異常事態と言えた。
けれど、“それに”どう対処すればいいか見当もつかないのが現状であって――故に私が取れる対応はこの程度。
「その…………申し訳ないのだけど、少し離れて貰えないかしら……歩きにくいわ」
「え? なんで? 別にいいじゃんこのくらい。あたしはほむらともっと距離を縮めたいんだよぉ。あ、これは精神的な意味でね! どう、いっそのこと手でも繋いじゃう?」
「…………いえ、遠慮しておくわ」
手と手が接触し、少し横を向けば吐息がかかるような至近距離――俗に言うパーソナルスペースにずかずかと侵入してくる彼女に、私は抵抗を示すも効果は薄い――いや、より悪化した感もある。
そう――このように美樹さやかが過剰なまでに馴れ馴れしく、それはもう気持ち悪いぐらいに私に対して“好意的”なのだ。
これを異常事態と言わず何と言う。
基本的に私と美樹さやかは相性が悪い。相容れない存在と言えた。
この時間軸に於いては、不可思議な巡り合わせによって同盟関係を結び、一応は良好な関係を築いていると言えなくもないが、それは魔女退治をするにあたって情報交換をする間柄――敵対していないというだけであって、あくまでも一線を引いた提携関係であり、それこそ親交を深めることなどあろうはずもなかった。
互いが互いに一歩引いた状態――そこに歩み寄りはない。
だからこそこの彼女の変容に、私は困惑しているのだ。
とは言え、こうなってしまった原因に全く心当たりがないわけでもなく――客観的に分析・推測することは可能だった。
この現状を招くに至った原因は、まず間違いなく昨日の上条恭介への告白が起因してのことだ。
ただし、“それだけ”ではない。
ともすれば、その後の彼女への対応こそが問題だったのではないかと今になって思う。
あの後。
キュゥべえと対峙している最中、雨が降りだし――それに伴って動き出した美樹さやかの後を追ったあれからの出来事について、ざっとではあるが思い返してみる。
しばらくは阿良々木暦と一緒になって彼女の動向を見守っていた訳なのだが――傘も差さず全身ずぶ濡れになった有り様を見るに見かね、私は彼女に声を掛けた。
ただ、阿良々木暦と一緒に行動していることは伏せておきたいので私一人、単独で。
まず雨にさらされている状況をどうにかする必要があったので、不本意ではあったが彼女を私の家に連れて行くことにした。
彼女の住むマンションまで送ることも考えたけれど――位置関係上、距離的に私の家の方が断然近くだったから仕方ない。
それに下手に自宅に帰し家の中に籠られては、監視がし辛くなってしまいそうなので、そういった諸々の事情を鑑みての判断でもあった。目の届く範囲にいてもらわないと。
まぁ例によってすんなり事は運ばず、彼女を私の家に連れて行くのに相応の苦労はあったが、話し出すとまた長くなりそうなので、それについては割愛しておく。
まず家に到着してからどうしたかといえば、何はさておき彼女にはお風呂に直行してもらった。
魔法少女の体質上、幾ら風邪を引くことがないからといって、不快感や肌寒さなどは普通に感じるのだし、流石に衣服が濡れたままで部屋の中を歩き回られたら困る。
私に関しては折り畳み傘を持っており、言う程濡れていなかったので後回し。
ちなみに、折り畳み傘は通学鞄ではなく例の小楯(異空間)の中に入っていたものだ。
阿良々木暦からお前はドラえもんかと不愉快な指摘を受けたので、彼の分の傘を用意するのはやめた。私の傘に入れるような甘いこともしなかった。
そして風呂上りの彼女に寝間着を貸し与え、そのまま私の家に泊まるように提案した。
先ほど提言した通り、彼女が早まったまねをしないよう監視するのが目的であって――だからこれは此方の都合であり、決して好意などではない。
当然、私の申し出に対し難色を……というより遠慮の姿勢をみせる美樹さやかだったけれど、無理矢理納得させた。
今にして思えば、そこから目に見えて、態度が軟化していったような気がする。
半ば強制的に告白させたことで、恨みを買っていたとしても何らおかしくはないはずだったのだけれど、それは彼女も彼女とて、私と上条恭介が相思相愛だと盛大な勘違いをして(人のことは言えないが)、本人の前でカミングアウトするという失態を演じたことにより、私に対し負い目を感じているのか帳消しになっているようだ。
あと、どうやら私のことを『上条恭介に振られ失恋した同じ境遇の人間』と認識しているようで、美樹さやかから一方的に親近感を持たれてしまったらしい。
そういった心情も合わさってだろうか、始めこそ陰鬱な雰囲気で殻に閉じこもっていたものの、買い置きの冷凍食品で晩御飯を済ませた頃になると、徐々に口数も増えていった。
いや徐々になどではなく――“加速度的”にか。
なんせ私が話を振るでもなく、彼女は上条恭介との馴れ初めをのべつ幕無しに語り始めたのだから。
結局それは布団に身を潜り込ませ消灯してもなお止まることなく夜通し続いた。
終始私は聞き手に徹し適当に相槌を打つだけだったのだけれど、それでも異様に疲れた。
ほんと迷惑極まりない。
そんな事情もあり、本日――5月23日は休みの連絡をいれ、私達は学校をサボっている。
幾らなんでも眠すぎる。
そして学校を休んで今まで何をしていたかというと、午前は睡眠にあて、午後からは特に外出することもなく家の中で話し込んでいた。
話の内容は『ワルプルギスの夜』について。
別にこれは私の方から切り出したわけではなく、成り行きというか……私の部屋の中には『ワルプルギスの夜』に関する資料が所狭しと散乱しているので、美樹さやかがそれに気付かないはずもなく、必然的にこの話題になっただけである。
あとあと巴マミの家で同様の話をすることになるが、佐倉杏子の居るあの場所に美樹さやかを連れていく気はなかったし、何より、もう上条恭介のことで語り合うのはうんざりだったので、興味を持った彼女にこれ幸いと詳細を語ることにしたのだ。
そうして『ワルプルギスの夜』の危険性について一通り言及し終えたところで、彼女は神妙な顔つきでこういった(部分的にだけれど、私達のやりとりを抜粋しておく)。
「そんなおっかない奴がこの町に……」
「ええ、そうよ」
「……恭介のことも……だからだったんだ」
「はい? それはどういうことかしら?」
「だから、そのワルなんとかって奴がくる前に、自分の気持ちに決着をつけときたかったんでしょ? そりゃ、もしかしたら死ぬかもしれないんだし、その前にちゃんとけじめっていうか、はっきりとさせたかったんだよね。……まぁ結果は残念だったけどさ。それでも、ほむらのその覚悟、本当に凄いと思うよ。心から尊敬する」
――このような耳を疑う発言があった。
彼女の思考回路は全て上条恭介のことに直結しているらしく、妙な思い違いをした彼女は一人勝手に納得し、私に対する評価が飛躍的に高まっていた。
しかしそれを否定しても面倒なことにしかならないのでスルーしておき、気にせず話を進めていくと――
「まぁ今まで相手してきた魔女よりはるかに強いって言ってもさ、皆で戦えばきっと大丈夫でしょ! 正直怖い気持ちもあるけど、アタシだって役にたってみせるよ!」
美樹さやかが、やる気になっていた。
が、それに関してはスルーできない。
「言うのが遅れてしまったけれど、あなたは戦わなくていいわ」
「え? なんで? アタシだって魔法少女として一緒に戦うよ。戦わせてよ! さっきは怖いって言ったけど、もう失うものもないし、何か吹っ切れちゃってるしさ。この見滝原の為にアタシにできることは何だってやる。魔法少女の使命が命懸けだってことは重々承知してるよ!」
「そういう精神論の話ではなく、もっと現実的な問題よ。あなたは魔法少女としてあまりにも未熟。私の中のであなたは戦力として勘定していない。はっきり言って戦力外だわ」
彼女の言動に煩わしさを募らせていた私は、つい辛辣な口調で言ってしまった。まぁこれは本心であり本当のことだけど。
「………………そっか…………そう……だよね」
私の言葉に消沈する彼女…………ではあったのだが。
「……ほむら、ごめんね。アタシの身を案じて言い辛いこと言ってくれて。アタシが無思慮な所為で、嫌な役回りさせちゃったね。ほんと……ごめん」
どう受け取ればそうなるのか。
あたかも、私が彼女のことを慮って憎まれ役を買い、敢えてきつい物言いでつけ放したとでも言わんばかりだった。
そんな腹積りは一切ないのに……。
かくして、現在に至る。
時刻は午後4時50分。
あと数分で会談の場である巴マミの家に到着しようかという場所まできていた。
そして私の横にはべったりとくっついてくる美樹さやかの姿が…………。
なぜワルプルギスとの戦闘に参加しない(というよりさせない)、彼女が一緒に来ているのかといえば、どうしてだろう? それは私が聞きたいぐらい。
佐倉杏子の居る会合の場に連れて行くことは避けたかったので、何度か断ったのだけれど、勝手についてきてしまったのだ。
もう何を言っても無駄だと悟った私は、渋々同行を認めたかたちだ。
「念を押してもう一度言っておくけれど、佐倉杏子のことは私に任せて、あなたは一切口出ししない。相手の挑発にも乗らないこと。いい?」
「もー大丈夫だってばー。アイツにもアイツなりの事情があるって知っちゃったし、アタシも誤解していた部分があるからさ。邪魔しないって! ほんとほむらは心配性だなぁ。でもそうやって気遣ってくれて嬉しいよ、あ・り・が・と」
うざい。
とは言え――軽い調子ながら、一応は素直に私の言葉を訊きいれてくれる。
喧嘩されても面倒なので、佐倉杏子の身の上について軽く語っておいたことが、抑止力として機能しているのだろうけど、在りし日の彼女ならば、その話を訊く事自体に反発したはずだ(同行することに関しては頑なに譲らず、全くもって聞く耳を持つ様子はないが)。
私の言うことに難色を示すことが非常に多かったからこそ、そういった観点でみれば、この彼女の変容も決して悪いものではないのだろうとは思う。
寧ろ歓迎すべきことだと言える。美樹さやかが従順な態度でいてくれることは、間違いなくプラスであり願ってもない展開なのだ。
だけどうざい。途轍もなくうざい。
悪寒というか、言い知れない気持ち悪さが全身を駆け巡って無性にむず痒くなり、私自身の心理的な問題で拒否反応が出てしまいそうになる。
今の所、表情を取り繕いどうにか堪えることはできているが、いつまで保てるか…………ほんと調子が狂う。
美樹さやかからの好意を受け入れるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。
ほむホーム(ほむら宅)は原作の摩訶不思議空間ではなく、普通の部屋という設定にしています。