学戦都市アスタリスク-Call your name- 作:フォールティア
ーー最初に感じたのは、『重さ』だった。
「ぐっ……く」
まるで見えない巨大な手に押し潰されるように、晶は膝をついていた。
ギチギチと軋むような感覚に苛まれながらも首を上げる。
視線の先、大きく抉れたステージの中心。
「…………」
《覇潰の血鎌》を携えたイレーネが浮かんでいた。
その直下には血を吸われ過ぎたのか、プリシラが横たわっている。
暴走……今の彼女はまさにその状態にあると言っていいだろう。
厳密に言えば《覇潰の血鎌》に乗っ取られた、というのが正しいだろうか。途端にステージ全体に広がった重力場によって晶は地面に縫い付けられていた。
「間に合わなかった、か……」
「先輩……無事、ですか?」
「綺凛か」
暴走の瞬間、引き留めようとしていたのだろうか。いつの間にか傍で晶の腕を掴んでいた綺凛が声を絞り出す。
「先輩、これは……イレーネさんの星辰力の流れが、歪んでいます」
「《覇潰の血鎌》に呑まれたのだろう……私の責任だ」
本来ならこうなる前に決着をつけるつもりだった。
そうすれば彼女を一時とはいえ止めることができるから。
……そう、『つもり』だったのだ。明確に『つける』とは思えていなかった。
何処かで驕っていたのだろう、自分の強さに、何よりイレーネ・ウルサイスの力に。その願望の強靭さに。
いざ戦ってみれば見事に対策を打たれ、圧倒され……結果がこれだ。
「ぐぅっ……全く、阿呆は私の方だ……自分を万能などと……烏滸がましいにもほどがあるーーがぁっ!?」
「先輩!?」
自分への罵倒を吐いていた晶が、崩れるように手を付いた。
驚く綺凛が感じたのは晶の星辰力の揺れだった。
刃車の代償だ。莫大な力を生み出す刃車だが、それ故に使用後は星辰力のコントロールがかなり不安定になってしまうというリスクがある。
これが起こるということは、能力の限界時間が来たのだろう。
今の晶では防御に星辰力を回すことですら覚束ない。
「先輩、限界が……っ!」
そしてまるでその時を待っていたかのように重力の圧が一気に増し、晶の体は地に伏した。
圧迫された肺から空気が漏れ、四肢の感覚は鈍くなる。
まるで標本にされた昆虫のように地に磔にされ、意識が遠のく。
(ここまでだと、言うのか)
泣きそうな顔で何かを叫ぶ綺凛が見える。
(この結末を受け入れろと)
止まってしまえと囁き声が聞こえる。
所詮お前はただ少しだけ他人より強いだけの存在だと。
誰かを救うというには弱すぎる者だと。
偉ぶるだけの卑小な人間なのだと。
景色が遠ざかる。暗闇が広がっていく。
その時。
「ーー八十崎」
小さな、声が聞こえた。
「…………っ!」
消え入るような弱った声を聞いた途端、晶は目を見開いた。
イレーネの声だった。確かに自分の名を呼んだ。
応えなければならないと、思った。
「お……おぉぉぉぉぉぉぉーーッ!」
全身が悲鳴を上げるのも厭わず重力に逆らって立ち上がりながら吼える。
無くしたくない、どこまでも『大切な人』の為に。
彼女の笑顔を消したくない。妹と笑い合うあの時間を失わせたくない。
何よりも……自分自身が、彼女を放したくない。
そう思った時、晶は胸に確かな熱さを感じた。心の疼きを。
「は、ははーーそうか、これが」
今までに無かった感情の動き。それを吐露するように自然と口が動いた。
「これが……恋か」
ああ胸が熱い、心が灼ける。身体は痛みを忘れて弾けてしまいそうだーー!
この熱を消してはならない。そして伝えなければ……。
その為にはまず、この戦いを終わらせなければならない。
霧散しかけた思考を纏め上げ、イレーネを取り込んだ《覇潰の血鎌》を睨み付けた。
状況は最悪。何をするにしてもこの重力場をどうにかしない限り活路は開けない。
ガチャリ、と《闇鴉》が震える。
己を使えと鳴くように。
《闇鴉》には公に隠された力が存在する。その力を使えば重力場を消すことが可能だ。
だが代償が大きく、肉体の内も外もボロボロの現状では身体に相当の無理を強いることになる。
《闇鴉》の開発者たちにすら、可能な限り使うなとさえ言われた。
下手をすれば死にかねないと。
「はーーそれがどうした」
一笑する。
死にかねないと言うのなら、死ななければいい。
死ぬ覚悟をする気はないし、死ぬ気もない。
で、あるなら使う他ないだろう。
「綺凛」
「は、はいっ!」
「私が合図をしたら、プリシラを救出してくれ」
傍らで呆然としていた綺凛にそう告げると、一歩前へと踏み出す。
その背中を見て、綺凛は一度小さく息をついて頷いた。
「お任せください、だから先輩は」
「ああ、勝ってみせるさ」
ふと笑って、晶は《闇鴉》を掲げる。
「真名、開帳ーー」
囁くような声が響く。
《闇鴉》から淡い光が溢れだし、重力を跳ね返さんとその手を広げる。
「汝、白翼蒼爪の御剣ーー」
やがてそれはステージ全体を包み込み、視界を真白に染め上げる。
そして最後の詞(ことば)が紡がれーー。
「空(うつろ)をも断てーー《雪鴉》ーー」
輝白の刀がその姿を顕した。
光の消滅と共に重力場が消え失せ、残滓となった星辰力が雪のように降り注ぐ。
時間が止まったと錯覚してしまうほどの静寂の最中、晶は《雪鴉》の白い鞘を構えた。
「綺凛」
「ーーーーはいっ!!」
晶の一言に、弾かれるように綺凛が駆け出す。
音を置き去りにしかねない速度でイレーネの真下、プリシラの元へと辿り着くとその身体を抱えて一息で対岸の壁際まで撤退する。
「先輩っ!!」
「ーー任せろ」
一つ息を吸い、吐き出す。
……さあ、動き出す時だ。
肉体の疲労を一切無視して疾駆する。
それと同時、《覇潰の血鎌》が標的を晶に定めたのか、警戒するように震えると重力球を精製して撃ち出す。
その数は優に千を越える。
もはや分厚い壁と称せる程の量。しかしそれでも晶は足を止めず、真っ向から突っ込む。
「ーー邪魔だ」
《雪鴉》が鞘走り、蒼い刀身が軌跡を描きながら重力球に触れた瞬間、球が『消えた』。
まるでそうなるのが当然かのように次の球も同様に消滅した。
残留する筈の星辰力すら残さずに。
「しぃっーー!!」
烈迫の一声を吐きながら雪崩れくる重力球の数々を文字通り滅しながらブレーキの壊れたバイクのように走り続ける。
《雪鴉》の能力。それは星辰力も万応素も関係なく、担い手の『斬る』という願いの限り認識する総てを切り捨てる刃。即ち『事象切断』ーー。
「波濤竜胆っ!」
折り重なった斬撃が波となって重力球を呑み込み、伽藍の道が出来る。
自らの危機を察したのか、《覇潰の血鎌》は再び重力球を大量に精製すると今度は晶を囲むように前後左右から浴びせかかる。
光を飲み込む暗いドームを一瞥して、晶は目を細めた。
「いっそこの際だ……とことん無理を通すか」
思考を拡げ、自身を中心とした輪をイメージしながら星辰力を張り巡らせる。
その輪郭こそが絶対領域(クリティカルライン)だ。
そして重力球が輪の内側へと入った次の瞬間。
「八十崎流抜刀術、乱刀の型ーー刀舞」
空気の爆ぜる音と共に輪の範囲内にある全ての球が連続して消失、地に居た筈の晶の身体はいつの間にか中空へと跳んでいた。
尚も残る重力球を認識し、止めと言わんばかりに再び刃を抜き放つ。
「八十崎流抜刀術、虚刀の型ーー刹華」
距離が足りない空の一閃。
だが、たったそれだけの事で重力球の動きが止まった。
なぜなら。
「終止」
すでに断たれているのだから。
納刀の小さな音が鳴るのを合図に重力球が消え去り、イレーネとの間に阻む物は何もなかった。
なら後は駆け抜けるのみ。
「返してもらうぞ、《覇潰の血鎌》」
『空を蹴り』、一気に懐へと飛び込むと鞘を振り上げて《覇潰の血鎌》を打ちつける。
イレーネの手を離れ高く打ち上がった《覇潰の血鎌》がガチガチと震える。
それを追い抜くように再び空を蹴って遥か上方、防御障壁の天井に足を着けると下に向かって跳んだ。
目標、《覇潰の血鎌》。
全霊を掛けて一刀を放つーー!
「ーーイレーネ(こいつ)は、貴様の女(モノ)じゃない」
着地と同時、イレーネを蝕んでいた血飲みの大鎌は核であるウルムマナダイトを真っ二つに切り裂かれて地に堕ちた。
それを一瞥もくれず長い息を吐く晶の腕の中には、イレーネが抱えられていた。
「試合終了!勝者、八十崎&刀藤ペア!」
一拍遅れて告げられたアナウンスの宣言に、観客席が一斉に沸き立つ。
実況と解説の二人も戸惑い混じりながらも試合について話している。
それを聞き流し、荒れ果てたステージの真ん中で晶は慌てた様子で現れた救護班の持ってきた担架にイレーネを預けた。
少し離れた所では綺凛が同じようにプリシラを預けて、こちらに向かってきていた。
「終わった、か…………」
《雪鴉》を見れば既に眩い白さは無く、元の《闇鴉》に姿が戻っていた。
「全く、我ながら無茶をしたものだ」
口元を緩めて、自然と笑みが浮かぶ。
その口端から一筋の血が流れーー。
「なーー、晶先輩っ!?」
綺凛の叫びを最後に、晶の意識は深い闇へと落ちていった………………。
「彼の勝ち、でしたね」
アリーナ観客席にある、各学園にそれぞれ設けられた観戦用の部屋の中、クローディア・エンフィールドがステージから視線を動かさずにそう声を発する。
「……そのようだな」
「貴方の予想した結果から外れましたね、【仮面】?」
部屋の入り口近く、闇を人型に切り取ったような存在が壁に寄りかかって立っていた。
関係者以外立ち入り禁止の筈の場所、一部では『死神』とすら言われている【仮面】を相手にクローディアは特に気にした様子も無く、普段通りに話している。
「これが此処の『八十崎晶』の選択、か」
「御目がねには叶いましたか?貴方の言う、『例外』に」
「さて、な……」
はぐらかすように壁から背を離すと【仮面】はステージ中央を眺め、呟いた。
「何れにしても確かめねばなるまい。奴の、願いを」
怨嗟のような暗い感情が籠った言葉を最後に、【仮面】は黒い星辰力の残滓を残して消えた。
一人となり、活気立つ歓声を聞きながらクローディアは微笑みを浮かべた。
「ーーきっと、貴方の願いは今度こそ叶いますよ。【仮面】」