学戦都市アスタリスク-Call your name- 作:フォールティア
二分後、晶はプリシラを連れて表通りへと戻って来ていた。
「ここまで来れば問題はないだろう。プリシラ、もう大丈夫だぞ」
肩を軽く叩いてサインを送ると、プリシラは閉じていた瞼を開け、安堵の息を吐いた。
「はあぁ……晶さん、助けて戴いてありがとうございます」
「気にするな、今回は運良く見付けられたからな」
深々と頭を下げるプリシラに、手を振って答える。
あの後、二十秒足らずで男達を伸してから周囲を探ったが有り得ないほど静かだったことから、恐らく彼女の『護衛役』が動いたのだろう。
「イレーネはどうした?」
「お姉ちゃんとは別行動してて……そしたら」
「裏路地に連れ込まれた、と。大方、連中はイレーネがカジノで暴れた時の被害者だろう」
「仰る通りです……」
申し訳なさそうに縮こまるプリシラに、そんなに謝るなと苦笑いして、近くのベンチに座らせる。
イレーネは時折、歓楽街(ロートリヒト)にあるカジノに行っては暴れて帰ってくる。
大抵の場合、相手の方が難癖をつけてそこから大乱闘にもつれ込む。単に大乱闘と言っても実質イレーネの無双だが。
そしてイレーネに勝てないと悟った相手は妹であるプリシラを狙って今回のような事を起こす。
「全く、あのじゃじゃ馬娘が……まあいい。プリシラ、イレーネに連絡して迎えにーー」
「プリシラ!やっと見付けた!!」
「あ、お姉ちゃん!」
連絡を促そうとした所でタイミング良くイレーネが『裏路地』から現れた。
駆け寄って来ながら晶に気付くとどこか納得した顔になる。
「八十崎がプリシラを?」
「ああ、偶然見掛けてな。ーー幾ら『猫』が居るからと言って、プリシラを一人にするとは感心せんな」
後半だけイレーネに聞こえるように言うと、彼女は眉根を下げた。
「悪い……ディルクの野郎に呼び出されててよ」
バツが悪そうに頭を掻いて別行動のワケを話すイレーネに今度は晶が納得顔になる。
恐らく、彼女が請け負っている『仕事』に関する話だったのだろう。
レヴォルフ黒学院生徒会長、ディルク・エーベルヴァイン。彼を一言で表すなら、悪辣、という言葉が当てはまるだろう。
事実彼の二つ名は《悪辣の王》である。
そんなディルクにイレーネはある理由から仕事を請け負っているのだ。
「なるほど、そう言うことか」
「ああ……そういや、さっき偶然見掛けたつったけど、アンタがこっちの方に来るなんて珍しいな?」
「訳有って迷子の捜索中でなーーと、丁度来たか」
懐から携帯端末を取り出してディスプレイを出すと紗夜の顔が映し出された。
『ぜえ、あっきー、なんとか……見付かったよぉ、はぁ』
『……助かった』
『あ、晶さんは今どちらですか?』
リスティ、紗夜、綺凛と、画面いっぱいに詰まりながら話しかけてくる。
中でもリスティは息も荒く、紗夜の肩を掴んで話さないでいた。
「そちらで見付かったのなら良かった。私は商業エリアの外れの方に居る」
『……あー、気のせいでなきゃ後ろに居るのはイレーネ・ウルサイスさんではないかな?』
「合っているぞ。少しトラブルに遭遇してな」
『どんなトラブルよ!?なに、ToLoveったとでもいうの!?』
「阿呆な事を言うなど阿呆。兎に角、今からそちらに合流する。ではな」
リスティがさらに何かいう前に通話を切る。
懐に端末をしまったところでイレーネが声を掛けてくる。
「借りができちまったな」
「気にするな、と言っても納得しないのだろう?」
「当たり前だ、借りはきっちり返す性分なんだよ。それにきっちりフラットにしとかないと、アタシがやりづらいしな」
そう言うとイレーネは携帯端末を取り出して晶に見えるように画面を映した。
画面のトップには『《鳳凰星武祭》本選トーナメント表』と銘打たれている。
そして彼女が指差した、その先には晶と綺凛、イレーネとプリシラの名が隣り合って表示されていた。
「《鳳凰星武祭》四回戦、か。」
ーー約束の日。それはもう、眼前に迫っていた。
レヴォルフ黒学院、生徒会長室。
窓も無く、華美な装飾品も見付からない、無骨な部屋の最奥にある椅子に、ディルク・エーベルヴァインは座していた。
目の前のデスクにさも退屈そうに肘をつきながら片手間に電子書類を片付けていると、一人の少女がノックの後に入ってきた。
「会長、お茶をお持ちしました~……」
「『ころな』か……そこに置いとけ」
ころなと呼ばれた少女、樫丸ころな はおずおずとした様子でコーヒーカップを置いた。
ここまでは何時もと同じ……だが、どうやら今日は違ったらしい。
「……誰だ?」
何かに感付いたディルクが虚空を睨み付ける。
この部屋特有の重い空気とは違う、異質な何かが混ざったような感覚。
言うなれば、『獣』だろうか。
遅れて変化に気がついたころなが怯えてディルクの背後に隠れたところで気配の主は薄暗い部屋の影から現れた。
「危機察知能力は一流、か。流石だな《悪辣の王》」
「……【仮面】」
闇その物を纏ったような姿を見てディルクの全身が総毛立つ。
『裏』に立つ人間なら誰でも知っている、死神。あるいは、人の形をした災害とでも言うべきか。
つい先日、歓楽街の一角で人身売買の取引現場に現れたのは記憶に新しい。死者十一名、重傷者一名という虐殺劇だったらしい。
「死神様が一体何の用だ」
「貴様に一つ、訊きたい事がある」
「なんだと……?」
柱に寄りかかり、こちらを見ずに放たれた一言に片眉がピクリと跳ね上がる。
神出鬼没にして、どれだけ隠蔽しようが六花での裏取引に高確率で現れるような奴が、一体何を訊ねるというのだろうか。
「ーー『天霧遥』を知っているか」
感情を感じさせない声での問いにディルクは呆気に取られる。
だがそれも一瞬の事。即座に頭を回転させありとあらゆる選択肢を選出しようとして、止めた。
「……どういうつもりだ?」
「貴様の口はよく余計なお喋りをするからな……こうでもすれば大人しく答えるだろう」
いつの間にか眼前に突き付けられた煌式武装の切っ先。
つまりは、『さっさと答えだけ言え、でなければ死ね』と言いたいのだろう。
ディルクは忌々しげに舌打ちをすると、自分が持っている情報を話し出した。
「ーーーー俺が知ってんのはここまでだ」
「…………やはり、か」
一頻り話終えた所で【仮面】がぼそりと呟いた。何でもないはずのワード。しかしディルクはそこに違和感を感じた。
その正体を掴もうとした一歩手前で【仮面】が踵を返す。煌式武装は、既に消えていた。
「邪魔をしたな。今日の所は消えるとしよう」
「わざわざこんな事訊くためだけに来たってか。あの女がそんなに気になるか?」
「そうだな……礼だ、一つ答えよう」
振り返ることなく、【仮面】は静かに声を発した。
「歪んだ結末を変える為。私は彼女を取り戻す」
そう言い残して【仮面】は来たときと同じく影に溶けるように消えた。
いっそ圧さえ感じた空気が霧散し、無言に徹していたころなが盛大に息を吐き出した。
「はあああ……こ、怖かった~……」
へなへなと床に座り込む彼女を余所に、ディルクは最後に【仮面】が立っていた場所を睨む。
(歪んだ結末……か。全く意味がわからねぇ)
不鮮明な一言を反芻し、苛立たしい感情を隠しもせずに舌打ちすると、未だにへばっているころなの名を呼ぶ。
「おい、ころな」
「は、はい!」
「治療班を呼べ、すぐにだ」
返答すら許さない命令に慌ただしくころなが生徒会長室を出る。
ころなは気付いていないようだが、部屋の内外から薄く血の臭いが漂っている。十中八九、【仮面】にしてやられたのだろう。
その予想通り、ディルクの護衛につけていた複数人の《猫》はその誰もが負傷し、気絶していた。
「災害ってのは、基本どうしようもねぇってか。チッ、めんどくせぇ……」
夕日の一つも入らない部屋の中、八つ当たり気味にデスクに足を乗せ、ディルクはまた舌打ちをするのだったーー。