学戦都市アスタリスク-Call your name- 作:フォールティア
「ーー参ったな、これは」
落ちて行く感覚の中、晶は溜め息と共にそう言った。
その腕の中には綺凛がすっぽりと収まっていた。
「あわわわわわわ……!」
「落ち着かんか。どうせ下はバラストエリアだろう」
下から感じる湿気と長く続く落下感に、晶はそう当たりをつけた。
バラストエリアというのは、クレーター湖からの水を流入、または排出することで六花全体のバランスを取っている謂わば大黒柱である。
それを聞いた綺凛は尚の事慌て出す。
「わ、わたし、泳げないんです!」
「……だとしたらしっかり掴まっていろ。それとウェイトを外すぞ」
言うが早いか、落下しながらも綺凛の腰に巻いてあるウェイトを手早く外し、続けて自分のウェイトも空いた片手で器用に外した。
そこまでやったところで、水面が近いのか、いよいよ冷気が強まってくる。
「刀藤、身体の力を抜いて思いきり息を吸え。あとは私がなんとかする」
「は、はい……」
「何、死なせなどしないさ。安心しろ」
綺凛の目を真っ直ぐにみて、安心させるように穏やかな口調で言い聞かせると、自身もまた身体の力を抜くと同時に、落下の衝撃に備えて全身の星辰力を防御へと回す。
そして。
「着水するぞ!」
「……!」
大きな水柱を立てて二人は水中へ沈んだ。
そして、綺凛を抱き込むようにして浮上した晶が見たのは、何本ものコンクリートで出来た巨大な円柱が聳える広大な空間だった。
予想通り、バラストエリアへと落ちたらしい。
六花の地下には幾つもの階層が存在するのだが、見上げれば綺麗に自分達が落ちてきた穴まで一直線に円状に切り抜かれている。
「たかだか二人程度にこれだけ大規模な罠とは。アルルカントも暇なのか?」
半ば呆れつつ晶は咳込む綺凛を抱えて手近な柱へと近づく。
こういったエリアには点検用の出入り口が存在するはずだが、その場所がわからない以上、迂闊に動くのは得策ではない。たとえ《星脈世代》と言えど、人一人を抱えて長時間泳ぐには体力が持たない。
足場らしきものを探そうと周辺を見ても近くにはないようだ。
そこで晶は、足場を作ることにした。
「刀藤、大丈夫か?」
「けほ……はい、少し水が入っちゃっただけですから」
「問題無いようなら、《闇鴉》の鞘を持っていて貰えるか?」
「わ、わかりました」
落下直後に懐に入れていた《闇鴉》を取り出して起動すると、それを綺凛へと渡し、刀身を抜く。
炎のように揺らめきでる紫のオーラが微かに水面を照らす。
「さて、管理業者には悪いが、削らせて貰うとしよう」
「え?まさか」
「そのまさかだ」
星辰力を纏わせた斬撃を都合三閃を放つと、ちょうど二人分のスペースに円柱が抉れ、切り裂かれた鉄筋コンクリートは円柱の左右へと波しぶきを立てて沈んでいった。
多少波に揺られながらも空いたスペースへ先に綺凛を上げ、自身も水を吸って重くなった服に苦労しながら上がった。
「本来の用途と違うとなると、やはり加減が難しいな」
「《純星煌式武装》、やっぱり凄い力ですね……」
「今回はそれに助けられたな。お陰で体力の消耗を抑えられーーっ!」
不意に感じた膨大な気配に、言葉を切って身体ごと振り返ったと同時に巨大な何かが派手な水飛沫を上げて晶達の前に現れた。
視界を阻害していた飛沫が消え、二人が目の当たりにしたのはあまりに現実離れした存在だった。
「……」
「ははっ……何時から六花はジュラ○ックパークになったんだ……?」
それを見て、綺凛は口をぽかんと開けて呆然となり、晶もまた肩をがくりと下げ、頬をひきつらせる。
水中から現れたのは、巨大な竜だった。
見た目は首長竜に近似していて、その大きさは水面から上に出ている部分だけでも十メートル程あり、鎌首をもたげて晶達を睥睨(へいげい)している。
その眼窩は先程の竜擬きかそれ以上の敵意を滲ませていた。
「つまるところ、『これ』が本命と言うワケか」
真っ正面から竜と睨み合い、《闇鴉》の柄に手を掛ける。
元よりここに落として終わりだとは思っていなかったが、予想を上回るの事態に思わず笑う。
綺凛の刀は《煌式武装》では無い。加えて本人はカナヅチである以上、自分がこの竜をどうにかしなくてはいけない。
「先輩……あの竜は」
「ああ、わかっている。上にいた竜擬きと同じなのだろう?」
「多分、ですけど」
「刀藤からの言葉だ。十分、信に足りる」
上にいた竜擬きと同じ……つまりはこの竜も実態はスライムなのだろう。
「◼◼◼◼!!」
様子見を止めた竜が頭を振って晶へと牙を剥く。
巨大な口が迫る中、至って冷静に晶は《闇鴉》を抜き払った。
疾(はし)る刃は荒ぶる波の如く。斯く龍の息吹。それ即ちーー。
「波涛竜胆(ハトウリンドウ)ーー」
下から上へと払われた剣閃に沿って、星辰力の斬波がまるで折り重なる数多の高波の様に竜へと殺到し、その顎を、否、首すらも蹂躙し、刻み裂いて突き抜ける。
縦一文字に惨たらしく裂かれ、竜の頭が液体となりぼちゃぼちゃと水面へと落ちるが、たちどころに再生していく。
「これを耐えるか。やはり大型の敵は厄介極まりないな」
「◼◼◼◼ーー」
面倒くさいと言った体で息を吐く。
再生を終えた竜が晶を脅威と認識したのか、警戒した様子で下がる。
それを見て晶はここで勝負を決めるべきだと踏み、《闇鴉》の鞘を傍らのコンクリートに突き立てる。
「ーーーー」
一つ息を吸い、吐き出す。
意識を鋭く研ぎ澄まし、星辰力の流れをコントロールする。
刀を上段に構え、そこから円を描くようにゆっくりと回してゆく。《闇鴉》の刀身の煌めきが暗闇に妖しくも美しい残像を残す。
やがて刃は再び頂点へと至り、残された残像はさながら紫の満月と見える。
「ーー斬る」
精神統一の後、一言、晶は宣言した。瞳は竜の身体の一点、その奥にあるモノを捉えるかのようだった。
その言葉に偽り無しと示すように《闇鴉》が一層強く輝き星辰力によって構築された巨大な刃を顕す。
大太刀、否、斬馬刀すらも凌駕するその刃には何処までも冷徹な意思が宿っていた。
本能でそれを悟ったのか、竜は恐慌した声を上げて暴れるように逃げ出そうとしたが……その為の時間は、とうに切れていた。
「華山撫子(カザンナデシコ)ーー」
弐の太刀要らずの大上段からの一閃が降り下ろされ、竜の身体を直下の水面ごと両断した。
骸となり、やがて液状となって竜が割れた水面へ没する一瞬、その中に切り裂かれた核を見付け、晶は降り下ろしたままだった《闇鴉》を血払いをするように一度振るうと身体を弛緩させた。
「終い、か。存外大したことの無い敵だったな……刀藤?」
やけに静かな後ろに居る綺凛が気になり振り向くと……目が点になったまま固まっていた。というか気絶していた。
「……殺気を出しすぎたか?」
原因が自分に有ると思い、気まずくなる。
それから様々な手立てを用いたが、中々起きず。結局綺凛が復活したのはそれから十分も経ってからだった。
「す、すいません、気を失っちゃって……!」
「いや、こちらこそすまん。もう少し殺気を抑えるべきだった」
綺凛が無事目を覚ましてから数分。二人は救援が来るのを待つべく、濡れた服を脱いで背中を向き合わせて座っていた。
脱いだ服は《闇鴉》を鞘ごと柱に突き刺して物干し竿にして引っ掛けてある。開発者が見たら卒倒しそうな光景だろう。
《純星煌式武装》には性格があり、モノによっては暴れるとも言われているが、《闇鴉》は特に何か反応するでもなくコンクリートに刺さっている。
「さて……救援が来るまでどれほど掛かるか」
「誰かが上の穴に気付いてくれれば良いんですけれど……」
二人揃って上を見る。落ちた時はかなり大きいと感じた穴も、今では途方もなく小さく見えた。
微かな呼吸音と、水の流れる音だけが耳に入る。
ずっと無言というのも気が滅入る。そう感じて晶は良い機会だと、あの決闘の日から気になっていた事を綺凛に訊いた。
「刀藤。一つ、訊いても良いか?」
「な、何ですか?」
「……刀藤の、闘う理由は一体何だ?」
その問い掛けに、綺凛は沈黙する。
ここ六花に来る《星脈世代》の少年少女達は大なり小なり、目的を持ってやってくる。
《星武祭》に出場して名誉を得たいが為。或いは成すべきことの為に大金を欲する者も居る。
そんな様々な思いを秘めてここに来るのだが、当然、それらは個人の……プライバシーとして秘匿したい場合もあるだろう。
普段ならば問うことすら無い事。だが、晶はどうしても気になったのだ。
刀藤綺凛が、あの叔父に従ってまで闘う理由を。
だからと言って、無理に聞き出そう等とは思わない。彼女が拒否すればそれ以上踏み込むことはしない。
暫くの沈黙を置いて、綺凛が声を上げた。
「わたしには……取り戻したい、大切な人が居るんです」
囁くような小さな声。しかしその言葉の中には計り知れない重さが込められていた。
「大切な人、か」
「はい。大切な……お父さんを」
それから、ぽつぽつとそう願うようになった切っ掛けを話始めた。
「父はわたしと同じ《星脈世代》なんです。そして今は……罪人として収監されています。それを助けたいのです」
罪人の釈放ーー。
確かにどの《星武祭》でも優勝すれば、あらゆる願いを開催元である統合企業財体は叶えるだろう。
死人を蘇らせる、等という現実的に不可能な事以外ならば。ありとあらゆる事をしてでも。
「罪人、と言ったか。もしや……『過剰防衛』か?」
「……はい」
《星脈世代》の肉体的スペックは常人の比では無い。
細身の女性でさえその気になればコンクリートの塊を砕くことが出来る。
もし仮に、その力が非《星脈世代》に向けられたならば、良くて重症、最悪の場合死に至るのは想像に難くない。
「五年前、わたしと父がいたお店に強盗が入りました。……父は、人質にされそうになったわたしを助けようとして…………不可抗力とはいえ、その人を殺めてしまったのです」
当時を思いだしたからか、声が、震えていた。
五年前……つまり当時綺凛は八歳。《星脈世代》であったとしてもまだ幼子といっていい年齢だ。強盗に会い、身体が恐怖にすくむのも無理はない。
「そして父は、投獄されてしまったんです。……わたしが、あの時動けなかったばかりに」
殆どの国において《星脈世代》は立場が弱い。国によっては人権すら有って無いような事もある。
そして《星脈世代》と常人との障害事件等の場合、常人側が先に暴力を振るったことへの正当防衛だとしても《星脈世代》側の過剰防衛にされる事が多い。
相手が犯罪者であれ死亡したとなれば裁判で無罪となることはまず無い。
「その頃から修行はしていましたし、当時のわたしでも強盗を押さえることは可能だったんです……でも、わたしは……弱虫で……意気地が、なくて……!」
「…………」
慟哭にも似た声音と鼻をすするような音が聞こえ、暗闇の中に染み渡る。
「……父はこのままだとあと数十年、出てこられません。そんな時です、叔父様が父を助け出す方法が一つだけあると声をかけてくださったのは」
「……あの分では、相当《星脈世代》を嫌っているようだが」
思い出すのはあの異物を見るかのような、嫌悪感の篭った視線と言葉。
「確かに叔父様は《星脈世代》を嫌っています。でも……わたしに力を貸してくださいました。理由が私利私欲のためだったとしても。わたしは、それにすがるしかないのです」
あの決闘の日と同じ、悲壮感すら抱かせる決意の言葉に、知らず晶は拳を握っていた。
「実際に、叔父様のお陰で父の事が報道される事はありませんでしたし、わたしが今序列一位にいるのも叔父様の計画と戦略があったからです。ですからーー叔父様の言うことにしておけば、わたしはなにも……」
「刀藤」
何かに脅えるような独白を遮って、晶は名を呼んだ。
そして。
「お前のそれは、間違っている」
一言、そう言った。