学戦都市アスタリスク-Call your name- 作:フォールティア
翌々日、何時ものように早朝の学園の校舎前で晶は綺凛と待ち合わせしていた。
「おはようございます、八十崎先輩」
「ああ、おはよう刀藤。今日は大分霧が濃いが、問題ないか?」
何の感触も示さない白い靄を軽く手で払いながら挨拶がてらに問い掛ける。
水上都市であるが故にこういった事は日常的にあるが、これ程までに濃い朝靄はこの時期では珍しい。
「見える距離もかなり短いですしね……走りながらはぐれちゃいそうです」
「であろうな。そこで今回はこんなものを用意してみたのだが」
そう言って腰のポーチから晶が取り出したのは輪っか状に結ばれた少し短めのロープだった。
「これは……」
「これの両端をお互いに持って走るとしよう。そうすれば易々とはぐれることもあるまい」
ロープの端を差し出すと、綺凛はおずおずとそれを掴んだ。
「その、宜しくお願いします」
「ああ、任せてくれ。では行こうか」
「はい!」
晶が笑いかけると、綺凛もまた笑みを浮かべて応える。
気持ち緩やかになった空気と共に自然と息を合わせて二人は走り出した。
朝靄の中、アスファルトを叩く二つの軽い足音が鳴っては霧に染み渡って消えていく。
走り出してから早数十分。晶と綺凛の二人はアスタリスク外縁を囲うように存在する環状道路を走っていた。
朝日もまだ昇らないような時間だからか、時折同じように早朝訓練をしている学生や出勤途中の大人とすれ違う程度で、辺りはいまだに静かなままだ。
「刀藤、ペースは問題ないか?」
「は、はい!寧ろ走りやすいくらいです」
呼吸を乱さない程度に会話をしつつ、疎らに聞こえる鳥の声や周囲の音に耳を澄ませる。
二人が握ったロープが走る度にゆらゆらと揺れる。
涼しい気温もあいまって不思議な心地よさを感じていたが、ふとその中に『異物が』混じっていることに気が付いた。
「刀藤、気付いているか?」
「……はい。一人ではなく複数ですね」
「そのようだな……」
背後から追ってくる無数の気配に走りながら互いの意見を交換する。
付かず離れずの距離を保つそれらに、晶は溜め息を吐き出す。
「動きに粗がありすぎるな……本当に人間か?」
「八十崎先輩もそう思いますか?」
「ああ、寧ろ獣のそれに近いがーーむ」
晶が自身の考察を言ったところで、目前に有るものに気が付いて二人は足を止めた。
「……『工事中につき、立ち入り禁止』だと?」
霧のせいで見にくくはあるが、そう書かれた標識が文字通り立ち入りを阻むように道を塞いでいた。
「こんなの、昨日はありませんでしたよね?」
「ああ。近くに工事期間を示すような物も無かった筈だ……何処の誰かは知らんが、とんだお膳立てだな」
小さく舌を打って回りを見渡す。
標識自体は越えようと思えば越えられるが、実際に工事中であったなら危険性が高い。
この濃霧だ。もし足元に穴があっても気付くのは直前だろう。
「かと言って、此方も此方で罠のようだがな」
標識の手前、さながら用意されたかのように存在する迂回路への入り口を見て晶は瞑目する。
どうやら公園の裏口のようだが、あからさまに過ぎてそちらに向かう気も浮かばなかった。
気配の群れは相も変わらず、こちらの動きを探るように一定の距離で止まっている。
「刀藤、付かぬことを聞くが、こういった経験はあるか?」
「それなりには、まあ……八十崎先輩は?」
「《何でも屋》だからな、恨みは幾らか買っているさ。この手のものも、馴れたものだ」
嫌な馴れだと思いつつ答えると、後ろを向いて晶は《闇鴉》を起動した。
背後の気配が動いたのだ。
まるでライオンやチーターのようにじりじりと距離を詰めてきている。
綺凛もそれに気付き、ロープを手離して腰の刀に手を掛けた。
「やっぱり、人の気配じゃないですね」
「少しばかり、星辰力を感じるが……っ、来るぞ!」
一気に距離が無くなったのを感じて前を見ると、靄の中から、全く見覚えのない生物が五匹、姿を現した。
体躯は虎などに近いが、外皮は蜥蜴に類似している。
何とも言いがたい姿形ではあるが、強いて言うならば翼の無い竜だろう。
「五匹か……しかし、珍妙な生き物だな。これは」
「でも、ちょっと可愛いですね」
「刀藤、爬虫類好きだったのかーーっと」
二人の会話を隙と見たのか、その謎生物が飛び掛かって来たが、《闇鴉》を鞘ごと振るい弾き返す。
「八十崎先輩、大丈夫ですか?」
「問題ない。が……ふむ」
同じく謎生物の攻撃を捌いている綺凛の問いに答えつつ、晶は疑問を抱いていた。
弾き返す瞬間、その見た目に反して謎生物の爪が柔らかく感じたのだ。
異物感に眉をしかめ、晶は《闇鴉》を鞘から抜いた。
そして今度は二匹同時に飛び掛かって来た竜擬きに向かって軽く振るった。
「「ーーー!」」
横一文字。
竜擬きはその外皮に一切の抵抗を見せず、小さな悲鳴を上げて両断された。
普通ならば絶命は必至の一閃。
しかしどうやら『これら』は普通ではなかったようだ。
「なるほど、通りで斬った感触が薄かった訳だ」
上下に分かれた筈の竜擬きの肉体の一部が地面に落ちると、スライムのような粘着質のある液体へと姿を変えた。
そして分断されたのこりの肉体へと近づくと時間の巻き戻しのように元通りの姿となる。
「物理攻撃が通りにくいようですね」
「斬った端から増殖しないだけ、まだマシだがな」
背中合わせに話しながら竜擬き達の攻撃を避けるまでもなく切り伏せていく。
「◼◼◼◼!!」
その最中、五匹の内の一匹が大きく口を開けたかと思うと、そこから火球を作り上げて放つ。
「ちっ……驚いたな、まさか万応素への干渉能力があるとはな」
それを《闇鴉》で切り払い、晶は舌を打つ。
「この子達って、『変異体』なんでしょうか?」
「いや、恐らくそれとは違うだろう」
『変異体』とは、《落星雨》の影響を受けた既存の生命体が異常な進化を遂げたもののことを指す。
変異体となった生物の中には万応素への干渉……つまり《魔女》や《魔術師》と同様の力を振るえるのも存在するが、そういったものは直ぐに話題になるし、そもそもこの六花が浮かぶ湖の『ヌシ』を越えてかつ繁殖するなど考えにくい。
「何にせよ、対処を考えんとな……」
斬っても斬っても終わらないのならいっそ来た道を走って戻ることも視野に入れるべきだろう。
「あの、先輩」
「なんだ?」
「少し、試してみたいのですが、良いですか?」
背中越しに聞こえる綺凛の声に、晶は数瞬考え、頷いた。
「ああ、大丈夫だ」
「ーーありがとうございます」
感謝の言葉を一つ残して、背中から熱が遠ざかる。
他の竜擬きへの警戒を怠らず、首を回して後ろを見ると綺凛が一匹の竜擬きへと近付いていくのが見えた。
「ごめんね」
そして彼女が小さく呟いた次の瞬間。
綺凛へと飛び掛かった竜擬きが中空で胴から真っ二つに断ち斬られた。
しかし、先ほどと同じく、竜擬きの体はスライム状になり、元に戻ろうと動きだす。
だが、それが叶うことはなかった。
スライムが元に戻ろうとするよりも速く、綺凛の振るう刀がその物体を斬ったからだ。
更に斬撃は止まらず。寧ろ加速していき、遂にはスライムの再生速度を上回る。
斬撃が刻まれる度中空に浮かぶスライムの体積は減り、切り飛ばされ地面に落ちた部分は互いに結合したものの、肉体を形成することは無い。
「成程、そういうことか」
段々と小さくなるスライムの、その液体の中。
そこに小さな球体が有るのを晶は捕らえた。
恐らくそれこそがーー
「終わりです」
竜擬きの、核なのだろう。
コトリ、と綺麗に二つに割れた球体が落ちると、スライムはその動きを止め、ただの液体になったかのようにアスファルトへ染みるように広がっていった。
仲間を死に様を見たからか、残りの竜擬きたちが一斉に距離を離し、戦慄くように鳴き声をあげる。
「あの竜擬きに核があると、よく気付いたな。私には少しの違和感しか感じられなかったぞ」
「星辰力の流れが妙だったので……。わたし、昔からそういったものに敏感なんです」
綺凛の答えに晶は苦笑いを浮かべる。
自身の星辰力の流れを感じるならまだしも、他人の、いわんや他の生物のそれを感じとり、把握するなど特殊能力の領域だ。異能と言ってもいい。
「通りで。刀藤がこれだけ強いわけだ」
球体の片割れを取り上げて眺めながらそう呟く。
感触はゴムに近く、握ってみると鉄のような抵抗の強さを指に返してきた。
「人工的な造り……仕掛人はアルルカントか」
鈍色のそれを握り潰し、小さく舌を打つ。
そうなると、この竜擬き達の狙いはーー
「私か」
不意を突くように放たれた竜擬きの火球を切り払い、晶は目を細めた。
火球が継ぎ目なく連続で晶のみを狙って飛来する。
「ちっ……矢継ぎ早とは面倒な」
闇鴉で何度も切り払うが、火事場の馬鹿力なのかやけくそなのか、火球の飛来速度が徐々に速くなってきている。
たまらず晶は距離を離すべく後方へと跳んだ。
その時。
「何……?」
竜擬き達の火球の狙いが晶から離れた。
そして続けて放たれた火球の着弾点は、晶の後方、着地しようとしていた道路だった。
ボゴン、と爆発音が鳴り響き、道路に亀裂が走る。
「……まさか」
後ろ手にそれを見てその後の結末を予想して口元がひくつく。
身体は既に着地体勢だ。どう足掻いてもこの亀裂の範囲外に抜けるのは不可能。
「予測可能回避不可能とはこのことか」
着地がスイッチとなったのか、晶を中心に直径約五メートル程の穴が空いた。
「先輩っ!」
直下に広がる真っ暗闇に呑まれようとしたところで、綺凛が晶の腕を掴む。
「だ、大丈夫ですか、八十崎先輩?」
「すまんな世話をかけーー」
礼を言い掛けて、晶の耳がピシリという嫌な音を捉える。
綺凛も聞こえてしまったのか、口を真一文字に結んで沈黙した。
「「ーーーーーっ」」
そして、綺凛のいる場所まで崩壊を起こし、抵抗虚しく足場の無くなった二人は声にならない悲鳴をあげて穴の中へと落ちていった…………。