「・・・・・・良い湯だ」
午前五時にぼっちはひとり露天風呂に浸かっていた。予想通り誰一人居ない為に独り占めである。昨日は伸ばせなかった手足を文字通り伸ばす。誰かが見たら『化け物』と騒ぎそうだが、現状見れるとしたら警護も兼ねてるアルシェぐらいなもので、見ても『―やっぱり化け物だった』と淡々と呟きそうだけど。
伸ばしすぎた手足を人間サイズに戻して空を見上げると薄暗い夜空が徐々に昇ってきた太陽に照らされ綺麗な青空に変わっていく。近くの岩場に置いてあったお猪口に注いだ酒を含みながら眺める。
(こんな光景を見たら爺さんだったら『陽が明けたぜよ』とかで、姪は『太陽おおおおお!!』とか叫びそう)
風情を感じながらリアルの二人を思い浮かべていると戸が開けられる。こんな朝早く誰だろうと振り向くとバスタオルで身体をしっかりと隠すニニャが。
「・・・・・・・・・」
「…………」
目が合った瞬間、嫌な沈黙が駆け抜けた。お互いに何も喋れず、思考が停止した。まるで時が止まったかのようだったが、時は動き出す。
「…え?え!な、なななな…アルカード伯がなんで!?」
「こ、ここ男湯」
「き、昨日入った方に入りましたよ!」
「時間帯によって入れ替わるんだ。」
「そ、そうなんですか!し、失礼…」
温泉文化の無い世界だからこそ男湯と女湯を入れ替える事すら知らなかっただろう。はははと困った笑みを向けていると大慌てで戻ろうとするが戸の向こうから気配を感じる。スキルではなく向こうから発せられる声によってだ。
戻るに戻れなくなったニニャの元まで駆け寄って手を引く。テレながら困惑するニニャに説明をする間もなく奥の方へと連れて行く。外側の湯に入れて自身を壁にするようにして隠す。入ってきたのはなんとルクルットだった。露天風呂に入りに来たんだと思ったのだが視線はぼっちに向く事無く壁へと向けられていた。真剣な表情で…。
まさかと思うよりも早く駆け出したルクルットは壁を登り始めた。まさか本当に覗き行為を実行しようとは…。
放置してトラップの実験台にしてもいいが、さすがに最初のお客で問題を起こすわけもいかない。とりあえず近くにある桶を手にとって投げ付ける。カポーンと全体に響く音を発した桶は見事に命中して、ルクルットを叩き落した。それほど高くなかったのと一応受身を取っていた事ですぐに立ち上がった。
「誰だ!?俺の至福を邪魔したのは……ハッ!」
イラっとした表情で辺りを見渡したルクルットは薄っすらと笑顔を浮かべるぼっちと目が合った。温泉の熱気ではなく内から出る感情が汗となり、冷や汗でべっちょべちょになっていた。
「こ、これはアルカードの旦那。あ、朝早く一番風呂ですか?」
「ええ、一番風呂を満喫させていただいてます」
「そうですか…それで…あの…見てました?」
「見てましたよ」
「すみませんでした!!」
見事としか言いようの無い平謝りに微笑み許―――訳はない。
「ルクルット…アウトー。タイキック」
「タイキッツウウウウウウ!?」
朝早く部屋を抜け出したルクルットに気付いて少し時間は空いたが後を付けてきたペテルは『タイキック』は分からなかったものの、とりあえずで蹴りをお見舞いする。不意を突かれた一撃に悶絶してその場に崩れ落ちる。2、3度頭を下げて謝ってから回収してこの場を去って行く。スキルで他に誰も居ない事を確認するが、ペテルは回収しにきただけらしくそのまま出て行った。ゆえに今はぼっちとニニャのみである。
「もう大丈夫ですよ」
振り向くのはさすがに不味いので声をかけて出るように促すが反応が無い。さすがどうしたのかなと不安げに振り向こうとするとぎゅっと後ろから抱き締められた。何事か理解出来ずに膠着してしまった。
「ど、どうしました?」
「見ないで…振り返らないで聞いてくれますか?」
「・・・・・・(コクン)」
「僕…本当にアルカードさんには感謝しているんです。僕みたいな一冒険者の為に姉さんを見つけてくれたり…本当にありがとうございます」
「い、いえ…」
言えない。セバスが偶然拾ってきたとかスキルを使ってヤルダバオトの事件前から知っていたなんて言い辛い。というかそれよりも当たってるんですけど。ニニャは胸は大きくないんだけれど女性らしい柔らかい肌が背中から伝わってくるんですけど!
絶賛ぼっち発光中。コンマ000の単位で精神安定化発動中。(ナザリック勢の場合は心の準備が出来たり、予想できたり、娘息子感覚に意識を移行している)
「姉さんがセバスさんと幸せそうにしているのを見て…ほっとして、良かったと思ったりもしたんですけど…羨ましいななんて思うようになって」
「え、あ、はい」
「だから…僕…いえ、私も頑張ってみようかなと///」
えーと…何の話でしょうか?緊張といろいろな感情が混ざり過ぎてて思考能力低下中…。
「アルカードさんは恋人は居ないんですよね」
「居ませんよ…」
「僕…頑張ります!」
そう言い切ると勢い良く立ち上がって脱衣所へと脱兎のごとく駆けて行く。朝早く来た時と同じくぼっちになったぼっちはただ考える。今のってもしかして告白された?
自身が言った発言で顔を真っ赤に染めるニニャは浴衣に着替えて通路に出る。するとその先にはナーベが立っていた。浴衣に覗く肌からほのかに湯気が昇っている事からお風呂に入っていたのだろう。隣の女湯で。
無表情で対面する彼女だが眉間にしわがいつも以上に寄っているのでかなり怒っているのだろう。原因として考えられるのは今までの彼女の反応から理解出来た。
「先ほどの会話…聞こえたわ」
「そう…ですか」
「止めときなさい。貴方では不釣合い。分不相応よ」
「やっぱりそうですよね」
自分でも分かっていた。分かりきっていた事を言われて覚悟していたとしてもかなり心に来るものがある。相手は王国屈指の大貴族で自分はいち冒険者…。釣り合う筈が無い…。
「ナーベさん。ひとつ質問いいですか?」
「…なんでしょうか?」
「ナーベさんはアルカード伯やモモンさんの事が好きなのですか?」
「なぁ!?ななななな、何を馬鹿な事を///」
いつも無表情でそうそう他の表情を見せる事のなかったナーベが慌てながら赤面する様は珍しすぎた。ここにルクルットが居なくて良かった。五月蝿くなるだろうし。
「私とあの方々はそういう関係ではないのです!」
「では嫌いなんですか?」
「―っ!!天が引っ繰り返ってもそれはありえません!!」
「では好きなんですか?」
「何でそう――そんな簡単な話ではありません」
「簡単な話ですよ。好きか嫌いか…それだけですから」
「――――好き…です」
風の揺らぎひとつで消えいりそうな一声を聞き取り笑みを浮かべる。『そっか』と呟いて歩き出す。横を通り過ぎる時、一旦足を止めた。
「僕、負けませんから」
そう言って駆け足で去っていくのだった。
ちなみにこの後、女性陣の部屋では布団に包まって湯気を出し続けるひとりの少女の姿があったという。