相手を視線で殺すかのような鋭い瞳。
手にかけた者は意図も簡単に切り裂く爪。
大きく力強い強靭な肉体。
しなやかさを持ち、振ればどんな生物とて吹き飛ばしてしまうであろう尻尾。
空の王者が持つに相応しい巨大で立派な翼。
雪山に溶け込むような白さと薄っすらと青みを帯びた頑丈な鱗。
獲物を一撃で串刺しに出来る鋭利な歯が並んだ口。
フロスト・ドラゴンというかドラゴンの大多数に当たるであろう特徴を変質させてしまったヘジンマールは、これから先にある不安と期待に大きく息を吐き出す。
今日も今日とて日がな一日、世界に対する情報収集という名の読書を行なう為に引き篭もろうとしていると、自分の砦である部屋のドアをぶち壊す勢いで叩かれ表に出る事に…。
父親であるオラサーダルクから冷たい眼で命令を受けたのだ。何でもドワーフや一部のクアゴアと共にこちらに軍を率いてくる連中がいるらしい。それらの見極めを命じられたのだ。逆らう事も断ることも出来ず、追い出されるように行かされた。
フロスト・ドラゴンの特徴を誇るトランジェリットが真横を飛行している。その身体に比べてヘジンマールの身体はぶくぶく肥え、本当に翼で飛べるかどうかも怪しかった。悲しい気分になったがこの身体のおかげで戦闘に参加しなくてよいと言われたのだから今回は自分もよしとする。
ドワーフの元王国に降り立ったヘジンマールは自分達が住んでいる方向へ進む一団を見つけた。ドワーフやクアゴアの軍勢を引き連れた漆黒のローブを纏う骸骨に真っ赤な鎧を装備している少女、黒のフルプレートで性別が分かり辛い者と魔獣に乗るダークエルフの少女。そして人間らしいスーツを着た仮面を付けた者。見た目的に何の問題も無いと思ったヘジンマールだったが、直感が危険信号を鳴らしていた。
何かがおかしい…。
それが何なのかは分からないがとてつもなく不味い気がする。気付いたら足が二、三歩下がっており、横に降り立ったトランジェリットに睨まれた。
「なにをしている。さっさと行って来い」
「な、何か感じないか?」
「感じるってなにを?」
すぐに暴れれない事に苛立ちを隠せないトランジェリッタはヘジンマールの奇妙な行動と発言に余計に苛立っていた。その表情を見てヘジンマールはまったく気づいてないと理解した。
「早く行け!!」
怒鳴られるまま一団に近付いて行く。ドワーフやクアゴアは自分を目にしたときから少しずつ後退している。表情からは恐怖や絶望などの感情が簡単に読み取れる。確かに相手にこちらが上の立場だと認識してもらえれば良いのだが、あまり怖がられると困る。困るというのがヘジンマールは交渉を行なおうとしているからだ。話し合いですむのならその方が良いだろう。後ろの兄弟は不満を言うだろう。そのときは………押し切られるんだろうな。
先頭に立っていた骸骨を書物で知ったエルダーリッチと比べて違う事に気づいた。そもそも装備している物がおかしい。ローブから杖まで今まで見たことのある金銀財宝よりも高価で価値のあるものだと分かる。親父や兄弟と違って書物などで知識などを蓄えてきたぶん、そういう眼には自信があった。
「お前ひとりか?」
眼前に立ったというのに引き下がるどころか余裕のある態度…いや、相手がフロスト・ドラゴンと理解していて警戒のひとつもせずに問いかけた骸骨にヘジンマールは思った。
(あ…これアカンやつだ)
ドラゴンとは全ての生物にしたら強者でしかない。特定の種族やドラゴン種などでは同等になるかも知れないがそれでも楽に勝てる種族ではない。そんな相手になんともなく接する彼らは異常なのだと理解した。
「数を揃えて進軍しているというのに迎撃に来たのはお前ひとりか…。私の知識ではドラゴンと言うのは歳を重ねるごとに大きくなるはず。お前はさほど強くはないだろう」
もしかしたら異常な精神の持ち主か見栄やはったりをかましているとも思ったが、理性的に相手を見定め判断する思考を持っている相手が異常者には見えない。態度から後者も無い。
そして何より隣に並んでいる人間の目が怖い。ドワーフ・クアゴアの恐怖や絶望の瞳や骸骨の相手を見定めている感じでもなく、捕食者の眼をしていた。仮面から覗く片方の瞳から放たれる重圧に息が苦しくなる。
「し ・・・ふ く・・・」
ぼそぼそと呟かれた言葉は聞き取れなかったがその一言を呟いた瞬間、男が笑ったような気がした。背筋が凍るような感覚に陥ったヘジンマールは骸骨から眼を放してしまったことに気付いた。
「考えるのも面倒だ。とりあえずお前で試してみるか」
徐に上げたれた片手に嫌な予感しか感じなかったヘジンマールは前足を曲げ、顎を地面に擦り付けるように頭を下げた。犬などがやる伏せのポーズである。
「《心―」
「お待ちを!!」
「―臓…なに?」
困惑の表情を見せた骸骨は片手を挙げたまま止まる。未だと言わんばかりに言葉を続ける。
「わ、私はヘジンマールと申します!貴方様のお名前をお伺いしても?」
「…私はアインズ・ウール・ゴウン。魔導国の国王である。それでヘンジマールよ。お前のそのポーズは何だ?」
「ハッ!ひと目見たときから貴方様とお隣にいる御方が只ならぬ方と理解しこのようなポーズを取らせてもらっております。このポーズはドラゴン最大の敬服のポーズであります」
「…服従するというのか?」
「ゴウン様が許可をくださるなら」
頭を垂れたまま人生最大の瞬間を必死に耐える。予想通りであれば目の前の者はフロスト・ドラゴンなんて敵にもならないような強者である。下手したら一瞬で殺されてしまう。
何やら傍にいた者と話しているようだが自身の心臓の音でまったく聞き取れない。数十秒しか経ってないのだが人生で一番長く感じたのは言うまでもないだろう。
「良いだろう。我が配下加わる事を許す」
「は、ハハァ!ありがたき幸せ」
自分の命を繋ぎとめた事に安堵しつつ顔を上げる。あの人間は笑みを浮かべておらず、何かしら残念そうな表情をしているのは何故だろう。
ゴウンは後ろに下がっていた軍勢に説明する為に人間以外を連れて戻って行く。そこである者の存在を忘れていた事に気づいた。
「この恥さらしが!!」
後ろから猛スピードで突っ込んで来たトランジェリットの拳を受けて横に吹き飛ばされる。ドワーフ達が作った建物がクッション代わりになったからそれほどのダメージではないが、痛いものは痛い。痛みに耐えながら顔を持ち上げて殴ったトランジェリットに眼を向けると高々と持ち上げた片足を、容赦なく人間へと振り下ろした。
「こんなちっぽけな虫けら共に敬服のポーズを取るとは何を考えているのだ!!なにが知識はあるだ。無能の臆病者が!!」
踏みつけた足を見つめながら呆然とした。ドラゴンがどうのこうのと言われた事ではなく、あれほど強者だと認識した人間があんなにあっさりと潰された事が信じられなかった。もしかしたら自分の考えは間違っていたのかとゴウンを見つめると彼は笑っていた。
「何が可笑しい?」
「ハハハハ、ん、コホン。いやぁ、すまない。あまりに滑稽だったのもでな」
「滑稽だと!?この俺に向かって言ったのか!!」
「ああ、そうだとも。お前はヘジンマールを無能呼ばわりしたがそれは自分だと気付かないとは」
本当に可笑しそうに笑うゴウンに対して怒り心頭のトランジェリットは尻尾を何度も地面に叩きつけて怒りを露にした。
「偉そうに言うな小さなアンデット!!見よこの足を。貴様の骨だけの柔な足とは違い巨大な足に立派な爪。これを受けて五体満足でいられると思うなよ」
再び持ち上げられた足を見せつけながら振り下ろそうと体重をかけようとした時に声が聞こえた。
「あ、そうなんだ。で、それが何か問題?」
持ち上げた足の下から聞こえた声に驚きつつ、ゆっくりと足を横に下ろすと先ほど踏み潰された男が平然と立っていた。困惑と驚き、そして恐怖の表情ところころと変えていくトランジェリットに微笑みかける。
「次はこちらの手番かな?」
優しげな彼の微笑を感じたヘジンマールは自分の判断が間違ってなかったと確信したのであった。