ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第87話「雪跡」

この戦闘で勝負が決まると見切った実況担当の武富桜子は、ここぞとばかりの声で観覧席を盛り上げていた。

『さあ、試合もいよいよ大詰めとなりました!工場内のフロアでは月守隊員と天音隊員のコンビと、荒船隊長&柿崎隊長の両隊長のタッグによる熱戦が!そしてはたまた別の工場では身を隠し続ける穂刈先輩と、バッグワームを着て探す地木隊長による緊張感あふれる隠れんぼが展開されています!』

 

隠れながらも慎重な動きで移動する穂刈と、持ち前の機動力で屋内を駆け回る彩笑が映し出されているモニターを見て解説の烏丸が口を開いた。

『穂刈先輩は諏訪さんを狙撃した際に地木隊長に姿を見られていますが、その後素早く姿を上手く隠してから、物音を立てないように慎重に下のフロアに移動してますね。逆に、地木隊長の機動力を生かした捜索は脅威ですが、今探しているのは上のフロアなので、すぐに見つかってしまうということは無いと思います』

『しかし…、それでも地木隊長が有利に見えますね』

『十分なスペースが無いタイプの工場なので、アタッカーが有利ですね。ですが逆に穂刈先輩が地木隊長に気付かれることなく工場から離脱できたなら、決定的な狙撃の機会がもう一度訪れるので、チャンスの一歩手前にいる状態になります』

『なるほど…』

解説に一区切りついたところで、武富は那須の方を見ながらもう1つの戦闘へと話題を振った。

『柿崎隊長達の方は、完全に実力勝負になりそうですね』

『そう…、ですね。一見、普段から連携を取っている月守くんと天音さんの方に分がありそうですけど、月守くんは片腕とトリオンを大きく失ってるので、かなりリスキーで…。その一方で、柿崎隊長と荒船隊長とのタッグは即席とはいえ、個々でもマスタークラスの腕前はありますし、それになにより普段からのランク戦でお互いの手の内は知り尽くしていますので、連携は取りやすいと思います』

那須の言葉を体現するように、モニターでは互いの死角や隙をカバーし合って天音と月守の攻撃を裁く二人の隊長の姿が映っていた。オールラウンダーの万能性と4年の経験値を持つ柿崎と、狙撃のためにログを幾度となく確認してあらゆる隊員の動きの癖を熟知している荒船によるタッグは、即席とは思えない程に形になっていた。

 

隠れんぼと、タッグバトル。

試合はまさに、決着の時を迎えようとしていた。

 

*** *** ***

 

鋭い踏み込みから繰り出される荒船の斬撃を天音は身を引いて紙一重で回避して、その速さを殺さず素早く攻撃に転じる。2本の弧月の優位性を活かし手数を増やして攻め立て、荒船はそれを回避しつつ避けきれないものを受太刀でいなす。手数を重視した天音の太刀は回転数が上がったが、荒船は元から天音が二刀流で来るかもしれないといと想定して試合に臨んでいたため、天音の攻撃はかろうじて捌くことに成功していた。

そんな荒船に月守がハウンドで牽制をかける。キューブを細かく分割し、それぞれの放つタイミングを少しずつズラして荒船に対応を迷わせようとしたが、

「ザキさん!シールド頼みます!」

「まかせろ」

荒船は柿崎にフォローを要請し、柿崎は荒船に代わってシールドを展開して全てのハウンドを防いだ。続けざまに、今度は柿崎が荒船にオーダーを出す。

「荒船、そのまま天音ちゃん抑えててくれ」

「了解っす」

柿崎はアサルトライフルを構えたまま踏み込んで月守との間合いを詰める。そして射撃戦から白兵戦の間合いになったところで弧月を抜刀した。

 

接近戦に持ち込まれた月守に天音は一瞬視線を向けたが、その視線が来るのがわかっていたかのように月守は天音と視線を合わせて、

「神音、そのまま」

左手の掌を向けながらそう言って、天音に荒船と戦い続けるように指示を出した。直後に柿崎は月守に切り込んだが、月守はそれを身を引いて躱した。そのまま柿崎は連続で弧月を振るって切っ先を掠めて月守に小さな切り傷を与えていくが、致命傷に至る攻撃にはならなかった。

 

「よく避けるな、月守」

「馬鹿げた速さの相方の剣を毎日見てますから。あとは、まあ…、不知火さんに散々いじめられたので」

「いじめ?」

「隙ありです」

会話の最中に月守はそう言い、左手で柿崎の両目を躊躇いなく突きにかかった。だが、それはただのフェイクだった。本当は柿崎の剣技に露骨な隙など無く、月守は斬られる覚悟で強引に特攻に出て柿崎を崩しにかかった。

 

柿崎は月守の目突きを落ち着いて避けたが、回避のために攻撃は止まり、月守はその隙にバックステップを踏んで距離を開けた。ステップと並行して左手を引きながらキューブを生成する。

 

(腕引きながらバイパー用意して…)

 

行動を思い描く月守に向けて、

「そこからバイパーか」

柿崎はそれを見切ったように宣言する。

「正解です」

律儀に月守は答え、バイパーを放った。

 

腕を引ききったところで背後にバラまくようにキューブを散らして放ったバイパーは、狭い室内を一杯に使うように弾道を描いて柿崎のみならず荒船にも襲いかかった。

 

攻撃を見切っていた柿崎は、荒船に指示を出す。

「バイパーだ荒船!一旦引け!」

「どうもですザキさん!」

荒船は天音の剣を強引に弾いて攻撃に間を開けて、大きく下がりながらシールドを展開した。

下がる荒船を見て天音は追撃の構えを見せるが、

「神音、一回下がろうか」

「はい」

月守の指示を素直に聞き、荒船と鏡写しのような動きで下がった。

 

天音が隣に来たのを見て月守は今一度、柿崎と荒船と向き合って、どう立ち回るか考える。

(うーん、厄介…。当たり前と言えば当たり前だけど、柿崎さんはチームメイトのリスクを考える必要が無くなった分、自分のことにしっかりと気を回せるから動きのキレが増してる。柿崎さんは基礎がちゃんとしてる分、こうなったら崩すの難しい…。おまけに、どういうわけが俺の動きも読まれてるし。…散々ログ見れば、癖なんて何個も出るだろうし、きっとそれかな)

2人の動きを観察しながら月守の思考は続く。

(荒船先輩も単純に強いし、おまけに左利き…。普段左利きの弧月使いと対峙することがない分、天音も少しやりにくそうにしてる…。けどそれ以上に、連携をきっちり取れてるのが予想外。今は声かけあってリスク回避してることに終始してるけど…、これ以上時間かけて精度あげられたら困るな)

 

月守が厄介だと感じている荒船と柿崎による即興の連携だが、それこそがランク戦の成果である。3ヶ月に渡るシーズンでほぼ同格の相手と何度も何度も戦うため、隊員間でそれぞれの戦闘スタイルについての理解が深まる。互いを理解し合うことで即興でもある程度の連携が可能となり、それは万が一(大規模侵攻)の事態が訪れた時に強敵を打ち破るだけの力を発揮する。

そしてその隊による垣根を越えた連携による力は、2シーズン分のチームランク戦に参加していなかった地木隊には無いものだった。

 

自分たちには無い力を見せつけられた月守の表情が、ほんの少しだけ口惜しそうなものへと変わる。注視していなければ気付かない程度の変化だが、月守のその変化を、横目でチラリと見ただけで天音は気づいた。

「月守先輩、あの…、大丈夫、ですか?」

たまらず声をかけた天音に向けて、月守は一瞬だけ驚いて目をパチパチと瞬かせたが、すぐに穏やかな表情へと変わった。

「うん、大丈夫だよ、神音」

言いながら月守は右隣にいる天音の頭に右手を伸ばそうとしたが、アイビスによる狙撃で肩から先は無く、もどかしく思いながら月守は天音の頭を撫でることを諦めた。代わりに、小声で天音に問いかけた。

「神音。荒船先輩と柿崎さんの気を…、一瞬だけ逸らすような何かをしてくれない?」

「…一瞬で、いいんです、か?」

躊躇ってから確認するようなその言葉の奥には「それ以上に気を引くこともできますよ」と言いたげなものが隠れていた。

 

この戦いを通じて、月守は天音の成長を十分に感じ取った。

柿崎隊との戦闘の中で、所々視界の端に写っただけだが、その僅かな部分だけでも剣技の上達は見て取れた。

並んで戦っているその僅かな間でも、自分以外の状況を十分に気にかける余裕や安否を気にする心配りが生まれていることが分かった。

加えて今の発言で、天音には余力にも似た何かがあることと、それに対して自信を持っていることが分かった。

 

今日の天音のパフォーマンスがかつてないモチベーションに起因して補正されていることを差し引いたとしても、大規模侵攻以前より明らかに成長していた。

 

(アフトクラトルのブラックトリガーの使い手…、ヴィザおじいちゃんだっけか…。あの戦闘が、よっぽど大きな経験になったんだろうな)

天音が文字通り命をかけて戦ったあの一戦がもたらした成長に、月守はわずかな末恐ろしさを覚えたが、それ以上に嬉しさや好奇心にも近い感情が心の中に湧き出ていた。

 

 

天井知らずに成長する天音(きみ)がどの境地まで辿り着くのか見てみたいと、素直に思った。

 

 

 

しかし月守はそれらの感情全てに一度蓋を閉じた。意識を戦闘へと引き戻して、天音の質問に答えを返す。

「そう、一瞬でいい。そしたら俺が2人を崩すから、神音はそこを仕留めて」

「はい、わかりました」

「うん、いい返事だ」

 

月守が言い終えたところで、天音はすぐさま、

「旋空…」

この試合で何度も放った得意の一太刀の構えを取った。

 

 

 

 

 

その頃、少し離れた別の工場では、

『真香ちゃーん!ポカリ先輩見つからないんだけど!』

『私も探してますよ、もうちょっと待ってくださいね』

穂刈を仕留めようとしながらも見失った彩笑が真香に泣きついていた。

 

穂刈が諏訪を狙撃で仕留めた直後、弾の出所を見ていた彩笑は特攻をかけたが穂刈はすぐさま身を隠した。スナイパーは隠れることに関して高い能力が求められるポジションであり、穂刈とてそれは例外ではない。

6階建ての工場という地形で、本気で隠れたスナイパーを見つけるのは困難を極める。そのことを知っている彩笑は、元スナイパーである真香にフォローを求めた。

 

真香は彩笑の索敵と並行して、穂刈の潜伏位置の予測及び絞り込みを行なっていた。立体マップを使って彩笑が索敵した位置を削除して、残るフロアの中から穂刈の性格や行動の傾向等を元にして潜伏している可能性が高い場所を、真香は予想して絞っていく。

(試合は終盤で、穂刈先輩は追われてて逃げ場は建物の中にほぼ制限されてる。似たような状況は最近…、あった、前の試合。あの時穂刈先輩はベイルアウト覚悟で荒船先輩のフォローを選んだ。なら、今回もそれかな)

穂刈の狙いが逃げでなく攻撃だとあたりをつけた真香は逆算を始める。

(狙うならしーちゃんたちのところ…、地木隊長バッグワームしてるし、位置バレしないから除外。月守先輩がメテオラで開けた大穴があるからそれを使った狙撃…、角度がある工場の上の方から…、いや、その辺の場所はもう地木隊長が探した。ならフラット、同じ高さ、同じ階層から!)

2つの工場の位置、月守が開けた穴の位置、それぞれの高さ、窓の位置、etc…、あらゆる要素から、真香は穂刈が潜んでいる可能性が最も高い位置を探り当てた。

 

『位置絞れました!工場の2階で…、立体マップ送ったのでそれ見て色つけた部屋に向かって下さい!』

『オッケー!』

彩笑の視界に映し出されたのは、今いる工場の立体マップ。マップでは4階に居る彩笑の現在地が逆四角錐のマークで示され、2階にある部屋の1つが赤くなっており、そこまでの最短ルートも表記されていた。

 

一見しただけで分かる丁寧で親切な真香らしいマップで、彩笑は見た瞬間にその仕事ぶりに感心して動きだす。

(真香ちゃん、ほんっといい仕事してくれる。けど、ごめんね)

彩笑はその丁寧さに感謝しながらも、心の中で謝罪した。なぜなら真香が示した正式な最短ルートより上の、超最短ルートが彩笑には見えていたからだ。

彩笑は移動のために必要な階段をスルーして、スコーピオンで壁を斬って外への抜け穴を作り、そこから入り込む冷たい風を感じながら、楽しそうに笑いながら飛び出した。

 

「斜め下!」

真香が示した場所に向けて狙いを定めた彩笑は、そのまま工場の外壁を斜めに疾走する。かつて大規模侵攻で本部がエネドラに急襲された際に駆けつけた忍田が見せたのと同じ外壁走行で、彩笑は穂刈が潜んでいるであろう部屋に向けて急速に接近していった。

 

 

 

 

 

異なる建物でありながら、月守がメテオラで開けた穴と同じ高さの階で、丁度正面に見ることができて、扉を全開にしてしまえば障害物は透明な窓1枚だけ。そんな奇跡的な条件を満たす場所が1つだけあった。

 

穂刈は諏訪を狙撃した瞬間を彩笑に見られた時点で、自分は地木隊に1点献上することを覚悟した。多少上手く隠れて時間を稼ぐことはできたとしても、最終的には見つかると半ば諦めた。

逃げきれないと割り切ったことでベイルアウトまでに何が出来るか考えた結果、オペレーターの加賀美の協力も得て、隠れることと攻撃を両立させることができるその部屋を見つけた。

 

息を殺してスコープを覗き、引き金を絞るその瞬間を穂刈は淡々と狙い続ける。今すぐにでも彩笑に見つかるかもしれない緊張感の中、その時は訪れた。

 

穴から見えていた荒船と柿崎の視線が不自然に動き、態勢が少し崩れた次の瞬間、2人めがけて一直線に突撃する月守の姿が穴から見えた。

 

それはスナイパーとしての経験や培った感覚が迷わず撃つべきだと叫ぶほど、決定的なタイミングだった。照準をピタリと月守に合わせた穂刈が引き金に掛けた指を動かした瞬間、

 

「ビンゴっ!」

 

彩笑が唯一の障害物だった窓を割って冷たい風を室内に運びながら、穂刈の元に辿り着いた。

 

「来たか」

彩笑の登場に穂刈は一瞬だけ驚きはしたものの、瞬時に冷静さを取り戻した。同じ建物に入り込まれた時から覚悟していた見つかる瞬間が今だったのだと思い、素早く照準を合わせ直す。

 

そして穂刈は目の前に迫る彩笑に対して慌てることなく、落ち着きを持って引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

弧月を奪い取って二刀となった天音だが、当たり前のようにその二刀はもともと想定していたものではない。故に、サブ側である右手には得意の旋空はセットされていない。

左足を前に出して右足を引き、左手に持つ弧月は右腰に挿した鞘に並べ、右腕は左腕の上を覆うようにして顔を弧月の刀身で守るように天音は構えた。

構えと同時に呟かれた「旋空」の一言に反応して、荒船と柿崎の意識は唯一旋空を繰り出せる左手の弧月に向く。

 

旋空に対して回避するか防御するか、それとも出所を潰しにかかるのか。あらゆる可能性があったが天音はそれらを全て無視して、相手の意識が左手に向いたその瞬間、動いた。

 

「ん」

素早く右腕を引き、引ききったところで上半身の捻りだけの力で弧月を2人に向けて投げつけた。

 

得意の旋空を囮にして弧月の投擲を行った天音だったが、それはあくまで即興で繰り出したものであり、一連の動きの練度は低く、投げつけた弧月には速さと威力が乗らず、狙いも雑で2人がほとんど動かなくても当たらないような、そんな一発。

 

攻撃としてはひどく拙くて、緩い。でもそれで良かった。

 

思いがけずに投擲された弧月に荒船と柿崎が咄嗟に反応する。

そのタイミングで、月守は動いた。

 

事前にすぐに展開できるようにしていたグラスホッパーを足元に1つ用意して踏みつけて、低い姿勢で最短距離を駆ける特攻で一気に間合いを埋める。

一呼吸遅れて荒船は弧月、柿崎はアサルトライフルを突撃してくる月守に向け、それぞれがサブトリガーにシールドをスタンバイさせて月守から来るであろう攻撃に備えた。

 

2人の対応自体は月守の予想の範囲内だった。普通なら特攻が間に合わず迎撃されるが、2人の初動は天音によって少しだけ遅れている。

そのマージンがあればギリギリで間に合う。

月守はそう思っていたが、柿崎の動きが荒船よりも、そして月守の予想よりも早かった。

 

間に合わない、月守がそう思ったのと同時に柿崎は引き金を引いた。

 

だが、その銃弾は月守に届かない。

 

「「なっ…!?」」

撃った柿崎、撃たれるはずだった月守の両名が混乱する中、ただ1人、天音だけはアサルトライフルの銃口の先に圧縮シールドを展開して防いだ天音だけが、冷静な目でいた。

 

この時点で何が起こったのか、月守は理解できていない。

攻撃を決めるのに絶好の機会が訪れた。ただ、それだけが分かっていた。

 

弧月で上段から斬りつけてくる荒船に向けて月守はキューブを生成した左手で、下から迎撃するような素早い掌底を繰り出す。荒船は月守が至近距離で射撃してくる可能性を警戒して伝達脳と供給器官にシールドを張っていたが、月守の狙いはそこではなかった。

 

弧月と月守の掌底の先にあるキューブが当たる直前、キューブが黒へと変色し、キューブと弧月の刀身がぶつかった瞬間に黒い六角柱が生成されてズシリとした重さが荒船に襲いかった。

「っ!?」

急に加わった重さに荒船が体勢を崩した。

 

鉛弾(レッドバレッド)…っ!」

荒船はすぐにそれの正体を看破するが、すぐに体勢を立て直すことが出来なかった。決定的なまでの隙を作られた荒船だが、月守はもう彼を見ていない。月守の視界には映っていないが、天音が自分に続いてくれていることを信じて、月守は素早く態勢を立て直す。

 

荒船が崩れる中であっても冷静に弧月で斬りかかってきた柿崎に、月守は標的を切り替えていた。交錯の瞬間にレッドバレッドで荒船を崩してから、次の攻撃へと持ち込む月守の動きに無駄なものは無かった。だがそれでも月守の攻撃は間に合わない。シューターの特徴であるキューブの設定を施す少しの時間が僅かなロスになったことに加え、柿崎がアサルトライフルを素早く放棄して弧月に持ち替えて攻めに出た動きの方が早かった。

 

再び月守が間に合わないと感じた、その瞬間。

 

月守の左肩にアイビスの弾丸がめり込み、左腕が宙を舞った。左肩からの僅かな痛みや感覚の消失などに月守の理解は追いつかないが、アイビスの弾丸はそのまま突き進み、月守の目の前にいた柿崎も貫いた。

 

視覚の外からの予想外の一撃を食らった月守だったが、その状況によって右腕を失った時のことがフラッシュバックし、穂刈にアイビスで撃たれたのだと直感的に理解した。

 

両手と残ったトリオンをほぼ全て失った月守だったが、この先どうするかを考える必要はなかった。

左肩を撃たれた月守とは違い、柿崎が受けた1発は腹部を大きく抉って上半身と下半身が分離させ、あっという間にトリオンが吹き出して戦闘体が限界を迎えた。

同時に、月守の背後では天音が指示に従って、態勢が崩れた荒船を仕留めていた。また直後に、

『ポカリ先輩仕留めたけど、最後に1発撃たれちゃった!2人とも大丈夫!?』

という彩笑の通信が届いた。

 

3人分のトリオン体が爆散する音が響き、それをもって月守は勝利が手に入ったことを確信した。

 

勝ちを確信してから、月守は彩笑の声に答える。

『最後それに撃たれた』

『うへー…、あの状況できっちり当てるスナイパーってヤバいね』

いつものような、緊張感がどこか抜け落ちたようなテンションで会話する2人だが、月守のトリオンは絶えず漏れ続けている。戦闘体にも限界を示すヒビ割れがみるみると広がっていく。

 

傷口を抑えようにも両手を吹き飛ばされた月守にはどうすることも出来ず、

(この1点は荒船隊かな…?)

などと呑気に考えながら、点数勘定を始めていた。

 

ベイルアウトを受け入れた月守はゆっくりと倒れながら、完全に油断していた。

ハンティングゲームにおける討伐終了後の素材回収時間のようなもので、ただその時間が来るのを待つだけだった月守に、この試合最後の予想外が訪れた。

 

カランという甲高い音が…、弧月を床に投げ捨てた音に驚き、月守は思わず背後を見た。するといつのまにか月守の眼前まで迫っていた天音がいて、天音はそのまま両手で月守の傷口を覆い隠した。

 

「し、神音…?」

天音の行動に呆気にとられた月守は呆然と名前を呼ぶ。

 

もう間に合わないよ。

ただのベイルアウトだから大丈夫。

俺が退場してもしなくても勝ちは変わらないよ。

離して大丈夫だから。

 

天音にかけるべき言葉が幾らでも浮かんでくるが、それが月守の口から出ることは無かった。目の前で今にも死にそうな人のために、ただただ助けたくて必死になっているような天音に、月守は気圧された。

 

しかし天音の行動も虚しく、月守の傷口は塞がらずにトリオンは流れ続け、その全てが枯渇した。

 

そしてベイルアウトする寸前になった月守は、

「…っ、トリオン体でよかった」

その一言だけ呟いた後、

『トリオン漏出過多、ベイルアウト』

戦闘体の限界を示す音声を聞き入れ、静かに雪が降り続けていた戦場から退場していった。


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