「あった」
迅と別れた後、月守は彩笑との賭けの対象であるココアを調達しに来ていた。一応、ボーダー本部にも自動販売機はあり、ココアも販売されているのだが、
「ここのココアは飲み飽きた!」
その一言により、月守は本部自動販売機以外のココアを購入することになったのだ。
コンビニのドリンク販売コーナーの前をウロウロしながら、
(どうせなら美味いやつがいいなー)
どれがいいか月守は品定めをした。
すると、
「……月守先輩?」
背後からか細く、聞き覚えがある声が聞こえた。月守はクルリと振り返り、その声に答えた。
「やっぱり神音だ」
そこにいたのは地木隊のメンバーである天音だった。平日に任務で受けられなかった模試を受けてそのまま来たのであろう、制服姿だった。
「お買い物、ですか?」
天音は無表情ながらも問いかけた。月守は、
「まあ、そんなとこ。彩笑にココアを奢ることになっちゃったからさ」
穏やかで優しい声でそう答えた。
「そうですか……。あれ?そういえば、監視任務、どうなりました、か?今、お昼休み、ですか?」
「ああ、まだ連絡してなかったか。任務はちょっと中断になったんだよ。まあ、その辺は皆揃ってから……」
月守はそう言ってから、もう1人居るべき人が居ないことに気付いた。
「……真香ちゃんは別行動?」
「はい。真香は、着替えるから、一回帰り、ました。合流は、本部でいいって、言ってました」
「なるほどね」
月守は言われてから、和水真香が学校の制服が嫌いということを思い出した。本人曰く、「似合わないから」らしい。
そして月守がそんなことを考えている間に、天音は自然に月守の横に並んだ。
「ココア、選んでるんです、よね?」
「彩笑が飲みたがるようなやつをね。……神音ならどれ選ぶ?」
2人は陳列されているココアを見ながら会話を続ける。
「……んー」
天音は迷った素振りを見せつつも、1つを手に取った。
「それ?」
「はい。前に、地木隊長、このメーカーさんのお菓子、美味しいって、言ってたので、選ぶならこれかな、って」
「へえ」
感心したような声を月守は漏らした。そして、
「神音はやっぱり、皆のことよく見てるね」
そう言って天音の頭を撫でた。
天音の黒髪は柔らかく、撫でても指に全く絡まないので月守はその撫で心地を気に入っていた。
「……ん」
天音は無表情だがほんの少しだけ、どこかくすぐったそうにしていた。
「あの、月守先輩……」
その天音が、呟くように月守の名前を呼んだ。
「……ああ、こうされるの、嫌だった?」
苦笑いしつつ月守は言い、撫でていた右手を離した。
「えっと、そうじゃなくて……。むしろ、撫でられるのは、嬉しい……、でもなくて、えっと……」
「……?」
何かを言ったのは分かったが、小声過ぎて月守には聞き取れなかった。
ふう、と、一息ついてから天音は落ち着いた様子で話し出した。
「地木隊長、よくココア飲む、ので、どうせなら、粉タイプで買っていったら、どうでしょうか?」
「あ!それいいね。なんで今まで気付かなかったんだろう」
月守は天音の意見を採用し、嬉々として買い物カゴに天音が選んだココアを入れた後、粉タイプのココアやコーヒーが陳列されてるコーナーへと移動した。
天音は一足遅れてそれについて行った。
「おー、粉タイプでも色々あるねー」
笑顔で月守はそう言い、陳列されてる粉タイプのココアを買い物カゴに入れていた。そして軽く周囲を見渡して何かを探すようにまた歩き出した。
(月守先輩、こういうとき、楽しそう……)
そう思いながら、天音は月守の後ろをついて歩く。気付けば月守の持つ買い物カゴの中には、パックタイプと粉タイプのココア複数、蜂蜜、メープルシロップ、牛乳、ガムシロップといったラインナップが揃っていた。
「……これ、全部ココアに、使うんですか?」
「うん、そだよ。どうせなら彩笑が自分で飲みたい味にすればいいやって思ってさ」
月守はニコリとして答える。天音は、確かに一理あるとは思ったが同時に、
「……地木隊長、あんまり面倒な、手順とか、手間とか嫌いそう、なので、余分なものは、多分使わないと、思いますよ?」
そう思い、月守に向かって言った。
「あ……」
どうやら月守はそのことが盲点だったらしい。だがすぐに、
「まあ、彩笑が使わないなら俺が持ち帰って使えばいいや。ついでに神音、軽いものでも食べる?」
気を取り直して天音へと尋ねた。天音は頭をふるふると左右に振り答えた。
「お昼ごはん、学校で食べてきた、ので、私はいらない、です」
「りょーかい」
天音の答えを聞いた月守は迷いなくレジへと向かった。
*** *** ***
(……ボク、何かやらかしたっけ?)
彩笑はボーダー上層部が会議に使う部屋のドアノブに手をかけながら、呼び出された理由を真剣に考えていた。
(せいぜい不知火さんと一緒に、鬼怒田さんのパソコンに大量のダイエット食品のカタログを送りつけたくらいだけど…)
まさかそれがバレたか?そう警戒しつつ会議室に足を踏み入れた。
「来たか」
そこにいたのは4人。
本部の最高司令官である城戸政宗。
開発室長である鬼怒田本吉。
メディア対策室長である根付栄蔵。
外務・営業部長の唐沢克己。
ボーダー本部上層部主要メンバーが勢ぞろいであった。
(怖っ……!うう、心なしか城戸司令が睨んでる気がする…)
彩笑は内心わずかに怯えながらも、
「ご用件は、なんでしょうか?」
姿勢を正してそう言った。
本当は城戸司令さえ居なければ、
「鬼怒田さん、まーた丸くなりましたねー」
「鬼怒田さん、血圧大丈夫ですかー?」
などと、ケラケラと笑いながらそう軽口の1つでも言いたかったが、さすがに自重した。
「ご苦労。さっそくだが先の会議の結論を君に伝えよう」
重く渋みのある声で城戸司令が口を開いた。
(さっきの会議って……、あのクガくんに関する事かな?)
自然と彩笑は背筋をピンと伸ばして城戸司令の言葉を聞いた。
「君ら地木隊と三輪隊が交戦したブラックトリガー持ちのネイバーについてだが……、我々はそのブラックトリガーを手中に収めるつもりだ」
「はい」
彩笑は返事をしながら、
(城戸さんの言う我々って、いわゆる『ネイバーは絶対許さないぞ主義』の城戸さん派閥のことかな……)
頭の中で情報を整理していた。
ボーダーという組織には、大きく分けて3つの派閥が存在する。
城戸司令率いる『ネイバーは絶対許さないぞ主義』。
忍田本部長率いる『街の平和が第一だよね主義』。
林藤玉狛支部長率いる『ネイバーにもいいヤツいるから仲良くしようぜ主義』。
勢力的には城戸司令派閥が一番大きく主流である。
ちなみに、地木隊は強いて所属するなら本部長派閥である。本当に
彩笑が情報を整理する中、城戸司令の説明は続いていた。
「しかし地木隊と三輪隊の2部隊をもってしても倒すことの出来ないブラックトリガーだ。我々はその捕獲任務を迅に託した」
「ブラックトリガーにはブラックトリガーを……、『風刃』をぶつけるということですか?」
彩笑は思わず口を挟んだ。
遊真が持つブラックトリガーは強力だが、ボーダーにもそれに対抗できるモノ、つまりブラックトリガーは2つある。迅がもつ『風刃』がその1つだ。
彩笑の言葉に城戸司令は頷いた。
「そうだ。だが、少しヘマをしてしまってな。恐らく我々が望むような結果には至らないだろう……」
一呼吸して、城戸司令は再び口を開いた。
「そこでだ。もうじき遠征中のトップチームが帰還する。トップチームと三輪隊、そして君ら地木隊をもって我々は確実にネイバーを倒し、ブラックトリガーを手に入れることにした」
その言葉に、彩笑は数拍の間を空けてから、
「……分かりました」
そう答えて頷いた。
しかしその内心は、
(なんか強盗みたいで、気が進まない展開になってきた…)
少なからず不機嫌ではあった。
第一、旧弓手町駅の戦闘でなんとなく彩笑は、迅が言った通りに遊真がそこまで危険だとは思えずにいた。城戸司令が言うように倒して奪うような展開は、面白くはなかった。
そこで今まで黙っていた鬼怒田が口を開いた。
「A級トップチームに加えて三輪隊にお前たちがいればやれんことはないだろう!お前たちには万が一になれば、『切り札』があるからな!」
と。
すぐに、
「なにか、言いました?」
彩笑はそう答えた。
普段のニコニコとした笑顔や明るい声など欠片もない、殺意が宿っているかのような低い声で、答えた。
「……っ!」
会議室に一気に緊張感が張り詰めたが、それはほんの一瞬だった。
彩笑はニコっと控えめに微笑み、
「あはは、皆さん顔つき怖いですよー。んー、なんか聞こえた気がしましたけど、多分ボクの気のせいですね」
殺意など無い、無邪気とすら思える声でそう言った。
1歩2歩と彩笑は下がり、
「ブラックトリガー回収任務、引き受けますよ。えっと…要件それだけでしたら、ボクは下がりますがよろしいですか?」
そう言って許可を求めた。
城戸司令達に引き止める理由などなく、彩笑は許可をもらい退室した。
「失礼しましたー」
彩笑の足音が完全に聞こえなくなったところで、唐沢が呟いた。
「はっはっは。子猫かと思っていたらいやはや……。猫を被るとはまさにこのことですかね」
*** *** ***
彩笑が会議室の空気を変えた頃、月守と天音は本部へ向かって歩いていた。
「……つまり、空閑くんは、ネイバー、で、ブラックトリガー使い、だったってこと、ですか?」
「そうそう。やっぱり強いよね、ブラックトリガー。俺と彩笑が全力出したとしても勝てなかったかな」
月守は後から聞くことになるとは思っていたが、それでもいいので、と天音が言ったため遊真と戦った経緯と内容、そしてその結果を話した。
月守はそこまで言ったところで、コンビニで小腹が空いたから買った唐揚げを1つ口にした。
「じゃあ、監視任務、どうなるんで、しょうかね?」
「んー……」
口にした唐揚げをごくんと飲み込んで、月守は答えた。
「とりあえず最初の目的の、『三雲くんはネイバーと関わりがあるかどうか』っていう点ならはっきりしたんだし、目標自体は達成されてるけど…。まあ、かと言って放置するのも無いだろうし継続かな?」
「継続、ですか」
「最終的には上の判断次第だけどね」
そう答えた月守は次の唐揚げに手を伸ばした。だが、
「それより神音…、さっきから唐揚げガン見してるけど……もしかして食べたいの?」
ふと、唐揚げを食べる前に天音に問いかけた。
「……え?あ、いや、大丈夫です。私、お昼ごはん食べたので、お腹は空いて、ないです」
天音はそう答えた。お腹は空いていないのは事実だが、隣の人が食べているものは何故か美味しそうに見える現象により、1つ食べたかった。だが、コンビニで遠慮した手前、それは言いにくかった。
そして月守は何となく、その事を察していた。
「本当に食べない?」
「はい」
確認を取るが、天音は否定する。
「本当の本当に?」
「……はい」
再度月守は確認を取る。どこか楽しそうですらある。
「本当の本当に、いいの?」
「…………………はい」
天音の否定する声は、消え入りそうなほどの小声である。
「今食べなくて後悔しない?」
「1つ、ください」
そうして最終的には天音が折れた。その言葉を聞いた月守はニコッと微笑み、
「はい、どうぞ」
唐揚げを爪楊枝に刺して差し出した。
月守が買ったのは箱に入った唐揚げに爪楊枝を刺して食べるタイプのものである。食べるには両手が塞がってしまうため、天音は月守が食べやすいように、コンビニで買ったものを持ってあげていた。
月守としては、爪楊枝を受け取って食べてもらおうと思っていたのだが、
「ん」
天音は爪楊枝を受け取ることはせず、直接爪楊枝の先に刺さった唐揚げを食べた。
小さな口をモグモグとさせて食べる姿はどこかリスを思わせ、心なしか幸せそうに見えた。ゴクン、と、唐揚げを食べきった天音は、
「…ごちそうさまでした。あ、でも、いただきます、言うの、忘れてた」
少しだけショボンとした様子でそう言った。
そんな天音に向かい、月守は言った。
「神音はアレだね。いつも俺の予想外の動きをしてくれるから、面白いや……」
「……?」
月守の言葉の意味を図りかねて、天音は小首を傾げた。
「あの、それは、どういう意味、ですか?」
「ん?特に意味は無いよ?」
天音の言葉に、月守は困ったような笑顔で答え、言葉を続けた。
「ちょっと急ごうか。そろそろ彩笑がココア飲ませろって駄々こねるかもしれないしさ」
「……ふふ、そうですね。急ぎ、ましょう」
2人はさっきよりもほんの少しだけ、足を速めて本部へと向かって行った。
ここから後書きになります。
最近コンビニにはあまり行かないのですが、どれを買うのか迷うほどココアがラインナップされているかはスルーしてください。