ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

117 / 121
第107話「未来に届く牙」

「夕陽さーん!? このコートめっちゃくちゃ重いんだけど!?」

 

天音や真香がボーダーに加入する前……彩笑と月守が最初に所属した夕陽隊がA級に認定されたその直後の事。

 

 隊長である夕陽柾が「せっかくA級になったんだし、隊服新調しようぜ!」と提案し、考案された夕暮れ色のコートの隊服を着た彩笑が、着て早々にそんな不満を夕陽にぶつけた。

 

「はっはっは。だろうな」

「だろうな!?」

「彩笑。お前のコートだけめっちゃ重くなるようにデザインした」

「なんで!? バカなの!?」

 

 重さに耐えかねて姿勢が前のめりになり、両腕をダランと床に向けて垂らした状態で彩笑は抗議するものの、夕陽はどこ吹く風と言わんばかりに笑い飛ばす。

 

「わかってねえな、彩笑」

「何が!?」

 

後々隊長になってからは月守に散々突っ込みをさせる彩笑だが、この頃は自分よりも強いボケを放り込んでくる隊長に振り回されていた。

 

「重い服を着込む、利点についてだよ」

「……!」

 

夕陽はこの上なく真剣に、それこそ組織の機密情報をコッソリ話す時ばりの真剣さを醸し出し、彩笑もそれに反応する。

 

「確かに、重い服にはデメリットがある。単純に動きが遅くなるし、精神的な疲労も早めるだろう」

「だよね。あとコートの色が思ったより派手でビックリしてる。こんなの狙撃の的だよ?」

「それについてはオレも完成品を見てから、失敗したなと思ってる」

 

 身軽だったら迷わず腹パンしに行ったのに、と彩笑は心の中で思いつつ、夕陽の言葉をおとなしく聞くことに専念する。

 

「いいか、彩笑……ちょっと想像してみろ」

「……?」

「敵と互角に戦ってて、あと一手を争うような時……お前がコート脱いで身軽になったらスピードアップで一気に形成逆転だぞ? カッコよくないか?」

「なに、それ……」

 

彩笑は少し俯いて呟いた後、

 

「カッコいい……!!」

 

少年が店頭に並んだピカピカのトランペットを見るような目で、彩笑は夕陽がコートを重くした理由を認め、受け入れた。

 

 そんな2人の一連のやり取りを見ていた夕陽隊オペレーターの白金と月守は、

 

「つっきーちゃん、今心の中で『この2人おバカだなぁ』って思ってるでしょ?」

 

「正解です。でも、白金先輩も似たようなこと考えてますよね?」

 

「そうだねえ……。彩笑ちゃんは微笑ましいなぁって思うけど、マー坊はバカだと思う」

 

お互いに笑顔で相棒のことを親しみを込めて馬鹿と言い合っていた。

 

 

 

 

 重い隊服(コート)を着ていた。その出来事が、彩笑の中に1つのスイッチを作り上げた。

 

 もちろん、今彩笑が着ている地木隊隊服には余計な重さなど無く、上着を一枚脱いだところでさほど軽くなるわけではない。

 

 物理的要因ではなくて、精神的な……本人の中ではルーティーンであったり、自己暗示のようなものになっている。

 

 気分が乗った時、調子が良い時に、上着を脱ぐだけ。

 ただそれだけの事で、地木彩笑は最速に成る。

 

*** *** ***

 

 ノーマルトリガーで、ここまで速く動けるのか? という疑問を遊真が抱くと同時に、

「あは!」

影浦の懐に飛び込んでいた筈の彩笑が、危なっかしさを覚える笑みを浮かべて遊真の目前に迫っていた。

 

「っ!」

 

 動き自体は、目で終える。

 

 影浦に繰り出した刺突を薄皮一枚切る程度で辛うじて回避され、影浦が反撃に出る動きをすると同時にスコーピオンを引き抜き、足元に展開したグラスホッパーを踏みつけて遊真(自分)の元へ高速で飛び込んできた。

 

 薙ぐような彩笑の一撃を遊真は身を引きながら受太刀をして、いなす。

 そこから遊真は次の彩笑の動き次第で反撃に転じようとするが、反撃の選択肢が遊真の中で浮かんだ時には彩笑はすでに後退して遊真との間合いを開けていた。

 

 彩笑の動作そのものは上着を脱ぐ前と変わらない。

 

 ただ、ほんの少しのスピードアップ。

 不規則になった動作と動作の繋ぎ目。

 目に入った状況に対して経験と直感のみで行動し、動きの中に思考を介在させない。

 相手に選択肢を見つける時間を与えない。

 

 上着と一緒に、速さのために余計なものを捨てたのが、彩笑にとっての最速の形だった。

 

 しかしそんな最速を前にして、遊真は、

 

(速いけど……速いだけなら、殺しきれるな)

 

勝ちを確信した。

 

*** *** ***

 

 遊真が彩笑相手に活路を見出した頃、

 

「速くなった……とは言え、彩笑自身が劇的に速くなったわけじゃねえんだよ。もちろんあいつ自身も速くなってはいるけど、それ以上に間合いを埋めたことと、動作間のリズムテンポを変えたのがデカい」

 

ヒュースは解説を受けていた。

 

 

 

 

 

 軟禁されている玉狛支部内で、前の試合の時と同じように地木隊と玉狛第二のランク戦を観ようとしていたら、

 

「お、試合観るのか、ヒュース」

「こいつがヒュースか」

 

 いつもと変わらぬ口調の迅が何食わぬ顔で、車椅子の男を連れながら支部に帰ってきたのだ。

 

「迅。誰だそいつは」

「夕陽柾。おれの友達さ」

 

ヒュースの問いに迅はそれだけ答えると、

 

「おっと悪い、おれはちょっと用事があるから」

 

とだけ言い残して、車椅子に座った夕陽を放置してどこかへ姿を消した。

 

「……」

 

 ヒュースが内心、こいつをどうすればいいんだ? と困惑していると、モニターに映されたランク戦開始直前の画面に気づいた夕陽が、

 

「ちょうどいい、試合開始直前じゃん」

 

どこかウキウキした様子で言い、車椅子の車輪を自力で回して画面が見やすい位置に移動した。

 

「……貴様、足を痛めているのか」

「まあな。昨日、やっとこさ退院したんだ」

 

 車椅子に座っているとはいえ、ピクリとも動かない足を軽く撫でながら、夕陽は答える。

 

「任務中に無茶して、骨折した上に神経やっちまってな」

「任務中……? ボーダーのトリガーは、緊急脱出の機能があるだろう?」

「お、よく知ってるな」

 

 真面目だな、と言いたげな顔で夕陽はヒュースを見るが、質問に対して明確な答えは返さない。踏み込んだ質問をしようとしたところで試合が始まり、

 

「すげ、天音ちゃんいつの間に狙撃覚えたんだ?」

 

開始12秒で、修がベイルアウトした。

 

 開幕ベイルアウトした修のことを、なんとも言い難い表情でヒュースが見ていると、夕陽がケラケラと笑いながら解説を始めた。

 

「まあ、三ヶ月のシーズン中に、こういう開幕ベイルアウトは何回かある。オレも彩笑も、咲耶だってランク戦でやらかしたことはあるさ」

 

「……サクヤ?」

 

 忌々しく忘れられない名前が聞こえたことでヒュースは眉をひそめる。そんなヒュースの反応を見て、色々と察した夕陽柾はニヤッと笑った。

 

「ああ……そういや、ちゃんと自己紹介してなかったな」

 

 車椅子に座ったまま、腕を伸ばしても届かない距離にいるヒュースに向けて夕陽は握手を求めるように手を差し伸べながら、

 

「夕陽柾。お前をボコボコにした月守咲耶を育て上げた元上司だ」

 

 ヒュースが絶対に忘れられないであろう形で自己紹介をした。

 

「……そうか」

 

 覚えたぞ、と心の中で呟いたヒュースを見て満足したのか、夕陽は楽しそうに顔を綻ばせながら、ランク戦の解説を再開した。

 

 

 地木隊寄りの解説のまま試合は進み、彩笑が上着を脱ぎ捨てたところで、夕陽が目を輝かせた。

 

「ヒュース、よく見とけ。凄えモンが見れるぞ」

 

 言われてヒュースは無言でモニターに目線を合わせると、彩笑が消えた……と錯覚するほどの速さで動き、影浦に浅い一撃を与えた。

 

「速いだろ?」

「……そうだな。通常のトリガーでここまで速く動ける奴は、正直初めて見た」

 

 元部下を褒められたのが嬉しいのか、夕陽は自信満々にドヤ顔をしてみせる。ヒュースはそんな夕陽には目もくれず、先ほどよりも確実に速くなった彩笑の動きを、つぶさに観察する。

 

 そんなヒュースに、彩笑が発揮している最速の理屈について夕陽が説明したところで、ヒュースは不思議そうに呟いた。

 

「……上着を脱ぐだけでいいなら、こいつは何故、今までそれをしなかったんだ?」

 

「お、ヒュース……お前アレか。同棲してる彼女に『脱いだものは洗濯カゴに入れてって言ったよね!?』って怒られたら、そんな事で怒らなくていいのにって思うタイプだろ?」

 

「……? 脱いだものを洗濯カゴに入れるのは当たり前だろう?」

 

「まあ、そりゃそうか」

 

 例え話をしようとしたところに真面目に返答された夕陽は苦笑したが、構わずヒュースが抱いた疑問についての解答を提示する。

 

「上着を脱ぐってのは、あくまで最後のトリガーってだけだ。そこに至るまでに、アイツの中で色んな条件を満たしてるんだよ」

 

 言わんとする事を理解したヒュースは、納得したように頷いてから確認を兼ねて問いかける。

 

「……いつでも出来るモノというわけではないんだな?」

 

「そういうことだ。察しがいいな、優等生」

 

 優等生、という呼ばれ方に対して、ヒュースは僅かな苛立ちを覚えた。

 

「どうした? 優等生って呼ばれ方は嫌いか?」

 

 表情の変化を夕陽が見逃さず指摘すると、ヒュースはことさら面白くないと言いたげに顔をしかめた。

 

「いや……。ただ、貴様が本当にアイツの元上司なんだなと思っただけだ」

 

「はは、なんだ……大方、咲耶にもそうやって呼ばれたのか?」

 

 図星な指摘を夕陽がしたタイミングで、開戦直前に席を立った迅が陽太郎を連れて戻ってきた。

 

「ゆうひ! ゆうひじゃないか!」

 

「おう。久しぶりだな、陽太郎」

 

 トコトコとした足取りで近づいてきた陽太郎を夕陽は手であしらう。部屋の空気がそこまで重くない事に気付いた迅が、ヒュースのそばのソファに座りながら語りかけた。

 

「随分と仲良くなったみたいだな」

 

「おう、もうマブダチよ」

「こいつと仲良くなった覚えはない」

 

 同じタイミングで2人が答えを返したのを見て、迅は「そうか」と言って小さく笑った。

 

 迅はモニターに目線を向け、画面隅の得点表で修がベイルアウトしてしまった事を確認してから、改めて質問した。

 

「試合はどうなってる?」

「彩笑が久々に脱いだ」

「スピードアップか。……あの状態の彩笑ちゃん、読めてても避けれない時あるから、あんまり戦いたくないな……」

 

 未来を見通す目を持ちながらも苦手意識を持つ迅は、以前見た時よりも、ほんの少しだけ……それでも確実にまた速くなった彩笑の動きを画面越しに見ながら、夕陽に1つの苦言を呈した。

 

「夕陽、あのさ……。元隊長として、彩笑ちゃんにシャツインするように言っといてくんない? 動くたびに、チラチラお腹周り見えてるじゃん」

 

「あ? オレも咲耶も何回も言ってるっつの。んで、その度にセクハラって言われるわ」

 

「マジか……。それにしても細いな……」

 

「細えよな……。これ絶対、会場で見てるC級のガキ共、『見えそう……!』みたいな目で見てるよな」

 

 2人の会話を聞きながらヒュースは、こいつら真面目な顔で何を言ってるのかと訝しんだ目を向けた。

 

 邪な考えを持たない陽太郎は、画面の中で防戦一方になる遊真に向けてエールを送る。

 

「ゆうまー! 負けるなー!」

 

「陽太郎、残念だがこの試合タマコマに勝ち目は無いぞ」

 

 応援する気持ちはわかるものの、ヒュースは冷静に諭すように告げた。

 

「この試合に向けてオサムは何やら用意してたらしいが、それを見せる間も無く倒されている。チカが人を撃たない以上、ユウマは1人でここを打開する必要があるが……」

 

「カゲと彩笑の2人をどうにかすることは無茶があるってか?」

 

 ヒュースの意見に夕陽が割って入り、玉狛第二が不利な理由を補足した。夕陽の意見そのものには反対は無かったため、ヒュースは渋々と言った様子で頷く。

 

「……そうだな。影浦(カゲウラ)隊や地木(チキ)隊は、エースが多少無茶をしたところでフォローできるヤツが控えている上に、()()()()()()()メンバーも、十分仕事が出来る」

 

 なにより、と前置きをしてから、ヒュースは玉狛が不利な最大の理由をあげる。

 

「今のユウマは『ここを凌げなければ負け』な状態だ。勝負の場でその類いの選択肢を持たされる時点で、それはもう負けだろう」

 

 それはスポーツでもギャンブルでも戦闘でも、あらゆる勝負事に通じる真理だった。『これを引けなければ勝てない』という状況に立たされるのは、往々にして負けに半歩踏み入れている状態なのだ。

 

 陽太郎にとってはまだ小難しい理屈だが、彼なりにぐぬぬと唸りながらヒュースの意見が正しいと認める。正論を通したヒュースに向けて、迅はニッと笑った。

 

「玉狛が不利ってのがヒュースの考えか……。じゃあ、賭けようぜ」

 

「賭けだと?」

 

「おう、誰がどこのチームが勝つかでな」

 

 迅が持ち出した勝負に、ヒュースは露骨に難色を示した。

 

「馬鹿馬鹿しい。くだらない遊びはしないぞ」

 

 ヒュースに続いて、夕陽もそうだそうだと声を上げる。

 

「第一、お前サイドエフェクトあるからギャンブル有利だろ」

 

「えー。じゃあ、2人が先に選べよ。おれは残ったチームに賭けるからさ。そんで、勝った奴は可能な限り1つ頼み事ができるってルールで行こうぜ」

 

 頑なに賭けようと誘う迅が持ち出した報酬に、ヒュースの食指が動いた。

 

 思案するそぶりを見せてから、じゃあ聞くが、と前置きをして迅に例えを提示する。

 

「お前に預けてるトリガーを……ランビリスを返せ、でもいいのか?」

 

「おう、いいよ」

 

「……本当だな?」

 

「嘘言ってるように見えるか?」

 

 疑ぐり深く観察するヒュースだが、何かを誤魔化そうとしている様子を迅から見つけることは出来なかった。可能か不可能かはさておき、できる限り取り合う事はするだろうなと、ヒュースは判断する。

 

「……いいだろう。そっちが出した条件だ。違えるなよ」

 

「わかってるって。んで、どこに賭ける?」

 

 迷わず、ヒュースは答える。

 

地木(チキ)隊だ」

 

 かつて自分に屈辱を与えた相手がいるチームを。

 

「安パイだな。じゃあ、オレは玉狛に賭けるか」

 

 ヒュースに続き夕陽が玉狛を選んだが、その選択にヒュースは目を丸くする。

 

「じゃ、おれが影浦隊だな」

 

 ヒュースが夕陽の判断に口を挟む前に、迅が残った影浦隊に賭けることを宣言し、ギャンブルが始まった。

 

「にしても夕陽、お前よく玉狛に賭ける気になったな」

 

 迅はヒュースが訊きたかった理由を夕陽に問いかけた。誰が見ても劣勢である玉狛に賭けた、理由を。

 

「んー、大したモンじゃねえよ」

 

 自信満々に不敵な笑みを見せながら、夕陽は、

 

「オレのサイドエフェクトがそう言ってたんだよ」

 

 ()とよく似た謳い文句を答えた。

 

*** *** ***

 

 完全な脱力がより機敏な動きを可能にし、全体を捉える不明瞭な視線が攻撃の出所を正確に見極め、彩笑は並みのアタッカーなら三度は死んでいるであろう影浦のラッシュを、無傷で回避する。

 

「んー……ん!」

 

 攻撃の繋ぎ目を息をするように容易く見切り、彩笑は鋭いステップと五指に纏うようにした鋭い爪状のスコーピオンで反撃に出る。

 

 容易く間合いを詰められた影浦は、獣じみた剣技とは呼べない彩笑の連続攻撃を回避する。が、剣よりもより近い間合いでの不規則な高速斬撃の全てを見切ることは難しく、徐々に、それでいて確実に影浦のトリオン体に獣の爪を思わせる切り傷が刻まれていく。

 

 当然、影浦とてやられっぱなしではない。

 

 回避する自身の身体を死角にして、後ろ手に回したスコーピオンを伸ばし、自身の影を這わせるような不意打ちを放つ。だが、

 

「見えてるよ!」

 

 言いながら彩笑は、影浦の不意打ちを身を引いて躱す。

 

 半歩下がる回避行動から彩笑が再度追撃に移る、その切り替えの一瞬を、遊真が狙いすます。

 

(今度こそ、入った)

 

 背後という完全な死角に、守りから攻撃に意識を切り替えるタイミング。必中の斬撃のはずが、

 

「ここ! かな?」

 

 感覚を研ぎ澄まし、全開にした彩笑はそれすらも防いでしまう。尾てい骨の先から尾を生やすような意識で生成したしなやかなブレードは、まるで尻尾のような挙動で遊真の斬撃を弾いた。

 

「チッ」

 

 弾かれた遊真は、笑顔で振り返って来る彩笑に思わず舌打ちをしながら、戦場でたまにこういった手合いがいることを思い出していた。

 

 側から見れば理解不能な挙動でありながら、ある種合理的でもあり、そして最後にはきちんと生き残る奴。

 

「……グラスホッパー」

 

 思考が戦闘から外れそうになったが、遊真は無理やり思考を断ち切って、意識を目の前に戻して、撹乱のためにグラスホッパーを複数散らすように展開した。

 

「あはっ! スピード勝負する?」

 

 遊真がグラスホッパーを展開したのを見て、彩笑も後追いでグラスホッパーを周囲に散らす。

 

 よーいどん、で2人は同時に踏み込み空中を飛び回る機動力勝負を繰り広げる。猛烈な速さで2人はグラスホッパーを踏み壊し、ピンボールの応酬を展開しながらその都度相手の動きを見てグラスホッパーを追加する。

 

 どちらもアタッカーの中では上位の速さを誇るが、それでも尚、彩笑の方が一手速い。遊真の行く先に先回りしてみせる彩笑は、無邪気に笑う。

 

「鬼ごっこはやめとく?」

「そうしとこうかな」

 

 淡々と遊真は答える。

 

(速さじゃ向こうが上なのは、今ので完全に刷り込んだ。だからここからは……あの速さにゴリ押しされないように気をつけながら自由に動かして、癖を見つけていかなきゃな)

 

 そしてその裏で、着々と彩笑を殺しきるための手段を模索する。

 

 彩笑と遊真がスピード勝負を始めたのを同時に、影浦はフリーになった。当然、グラスホッパーで高速機動を繰り広げる2人を影浦は狙ったが、

 

チリチリチリチリ

 

と、フェイクではない混じり気無しの殺意を乗せた視線が影浦へと突き刺さった。

 

「やっとこっち向いたか、月守ぃ!」

 

 痛みを伴う視線の先にいたのは既に攻撃態勢に入った月守であり、影浦の言葉に答えることなく無数のバイパーを解き放つ。

 

 那須の鳥籠を思わせる取り囲むような軌道の弾幕だが、影浦は持ち前のサイドエフェクトを持ってして視線の刺さり具合が薄い場所……弾幕がわずかに薄い場所を見切り、シールドで防ぎつつバイパーの包囲網を突破する。

 

「ゾエ!」

「あいよ!」

 

 掛け声と共に放たれる、マンティスとアステロイドによる同時攻撃。

 

 避けようと思えば回避しきる事は不可能ではなかったが、

 

「……っ、シールド!」

 

 月守は一瞬の躊躇の末、致命傷を喰らわない最低限の回避とシールドという選択をした。

 

 普通のトリオン能力があれば辛うじてシールドで防げたであろう攻撃だったが、月守が生まれ持った『トリオン能力の割に生成されるものの強度が脆い』という性質が災いし、シールドはあっけなく砕け散り、月守のトリオン体にダメージが入った。

 

 鳥籠もどきとは別ルートで走らせていたバイパーが時間差で襲いかかったことにより影浦隊の攻撃を中断させることが出来たが、たった1回のやり取りで月守は旗色が悪すぎることを悟る。

 

(殴り合いはやっぱ不利かな。ベイルアウトしてもいいって言うなら刺し違えてでも殺しきるけど……)

 

 そんな捨て身の特攻をして、もし失敗しようものなら、残された彩笑が大きく不利になる事が容易に予想できた。月守は傷口を抑えながらそんな選択が取れるはずがないと自嘲する。

 

 

 

 彩笑が上着を脱いでから、月守の動きも変わった。具体的には、彩笑への援護射撃をしなくなり、間合いの調整と牽制で影浦隊と遊真の意識を自身に向けるような立ち回りに終始するようになった。

 

 彩笑への援護射撃をしなくなった理由は、至極単純。

 

 速すぎて援護射撃が間に合わないのだ。

 

 シューターの攻撃プロセスは、キューブを生成し、分割して、狙い、撃つ。この4行程があるためシューターは共通して早撃ちに難がある。

 

 月守はその攻撃まで時間がかかる4行程で彩笑のサポートをするために、彼女の動きを高精度で先読みすることで時間の帳尻を合わせて、援護射撃を可能にしていた。

 

 しかし上着を脱ぎ最高速度を出せるようになった彩笑は、月守の攻撃速度すら追い越した。

 

 まだ彩笑の動きそのものは、月守は読めている。ただどうしても、動きの予備動作を見てから援護に移ろうとすると、4行程を終える前に彩笑は攻撃に移ってしまっている。

 

 事前に攻撃準備を……生成と分割を終えて構えているという手段であればギリギリ間に合うかというところだが、今か今かと射撃のタイミングを待つような状態を、影浦隊や遊真は見逃さない。

 

 彩笑への直接の援護射撃が出来なくなった月守は立ち回りを変えざるを得なくなり、今こうして、影浦隊とマッチアップする形になった。

 

 キューブを散らし、いつでも攻撃できるぞという構えを見せつつ、月守は素早く視線を動かしてモール全体の状況を把握する。

 

(彩笑と遊真はタイマン張ってるけど……遊真の動き、なにかを狙ってるような感じがする。影浦隊は今は完全に俺狙い……速くなった彩笑相手にするくらいなら、俺を落としとこうって感じか)

 

 相手の狙いを大雑把に予想したところで、影浦隊が動いた。影浦が中距離からマンティスで攻撃を仕掛け、月守はそれをギリギリで回避してから散らしていたキューブ……ハウンドを影浦めがけて放つ。

 

 ハウンドは当然のごとく影浦自身のシールドや、彼の奥に控えている北添の援護シールドで防がれる。決定打になり得ないのをわかった上で、月守は立ち位置を変えながら……影浦隊と彩笑の間に自分がいるような立ち位置をキープしながらハウンドを再び放つ。

 

 やはりあっさりと防がれるハウンドを見ながら、月守は打開策を模索する。

 

 元々、彩笑の最高速度に自分の攻撃が追いつかないことなど、わかりきっていたことだった。

 不知火が考案したケルベロスプログラムで戦闘スタイルを洗練させた月守に、もしかしたら追いつけるかもしれないという一縷の望みはあった。だが、それでも彩笑の最高速度には及ばない。

 

 しかし、だからと言って速さを落とせなどとは口が裂けても言えない。彩笑単体での最高戦力を発揮できる形ではあるのだから、それをするなと否定するわけにはいかなかった。

 

 どうあがいても彩笑に追いつけないと思うと同時に、月守の中に悔しさが広がる。

 

 ボーダー随一と言ってもいい速さを持つ彩笑を活かしきれないのが。

 自由に動き回る彩笑に対して邪魔しないようにすることが最上のサポートになってしまってる自分自身が。

 

 悔しくて悔しくて仕方なかった。

 

 どうすればいい

 どうすればいい

 どうすればいい

 

 戦いの中で思考が目まぐるしく駆け回る。

 

 ー彩笑の動き自体はわかってるー

 ーどう動くのかわかるー

 ーただそれにどうしても追いつかないー

 ーどうすれば追いつける?ー

 

 思考がごちゃごちゃと湧いては消えていく中、

 

 不意に

 

 脈絡もなく

 

 答えが見つかった。

 

 それは荒唐無稽な答え。

 

 援護の常識から大きく外れた、邪道にもほどがあるもの。

 

 しかし、月守はその答えに対して、これしかないと強く確信する。問題を解きながら答えが見えた時の感覚が、彼の脳を支配する。逆に、なぜ今までこれに気づかなかったのかとすら思う。

 

 確信に満ちた月守は、それが伝わってくれと願いながら、

 

「彩笑!」

 

相棒の名前を叫んだ。

 

*** *** ***

 

 生身の身体の調子が良くて、気分も良い時。

 

 それが彩笑が最速になるための、必要最低限の条件だった。

 

 他にも条件は色々あるのかもしれないが、少なくとも彩笑自身が把握しているのはその2つである。

 

 最速に成った時の気分は、例えるならゲームで無敵のアイテムを獲得した瞬間の高揚感が一番近い。

 

 横スクロールアクションゲームで、ただ走って敵にぶつかるだけで倒せてしまう、あの無敵の感覚が、最速の彩笑の心を支配する感覚だった。

 

 最初こそ楽しいが、すぐに彩笑の心には孤独にも似た感情が巣食う。

 

 速く動けるのは楽しいけど、誰もついてこれないのは寂しい。加速した意識の中で、彩笑はそんなことを思う。

 

 もちろん、ボーダーのトップランカー達は速いだけの攻撃があっさり決まるような事はなく、厳密に言えば完全についてこれないわけではない。

 

 より正確には、味方として誰も同じ目線に立ってくれないのが、寂しい。

 

 遊真と高速で切り結びながらも、彩笑はどこか孤独な思いをしていた。

 

 孤独の部屋に居座る彩笑に、

 

「彩笑!」

 

影浦隊とマッチアップしていた相棒の叫びが届いた。

 

 横目で、でも確かに自分のことを見ながら、月守は叫びを続ける。

 

()()()()()! ()()()!」

 

それは、ひどくシンプルな立ち位置(フォーメーション)の指示。

 

 でも、それだけで、彩笑は月守が何をしたいのかを理解した。いや、理解させられた。

 

 頭の中に直接アイディアを叩き込まれたような感覚が全身を駆け巡る。

 

「オッケー!」

 

 理解したよと意思を込めて返事をした彩笑は遊真との戦闘を無理やり離脱する形で、グラスホッパーを踏み込んで大きく後退する。

 

 月守(シューター)彩笑(アタッカー)の前に来る形になったところで、月守がこの試合初めてのフルアタックの構えをとった。

 

 アステロイドのキューブを大ぶりに、バイパーのキューブを細かく散らし、露骨にフルアタックするぞと影浦隊と遊真に見せつける。

 

 当然、守りがガラ空きになった月守に向けて、影浦のマンティスと北添のアステロイドが襲い掛かる。遊真も、すぐに攻撃こそ仕掛けないまでも、攻撃の構え自体はすでに整っている。

 

 守りをまるで考慮してない月守の構えを見て、彩笑の内臓が少し冷えた。

 

(ああ、そっか……咲耶はいつも、こんな気持ちでボクのこと助けてくれてたんだね)

 

 普段の自分と同じ、守りなど毛頭考えてない攻撃全振りの構え。

 

 その姿はひどく無防備で、少しでも間違えばすぐにでも倒されてしまいそうで。

 

 こんなにも傷つけられやすい前衛の後ろにいるという事実が、彩笑の心をキュッと締め付ける。

 

 同時に、彩笑は月守の事をひどいなと思う。

 

(後ろにいるのがこんなに怖いってわかってるはずなのに、咲耶は両攻撃(フルアタック)しようとするんだね)

 

 無茶で理不尽で無慈悲な信頼が無ければ出来ないであろうフルアタックを、月守はためらいなく彩笑の前で敢行しようとしている。

 

 あんな大雑把な言葉で、自分の考えが伝わると思っている。

 それを、必ずわかってくれると欠片ほども疑っていない。

 

 そんなバカみたいに自分のことを信じてくれる相棒に、応えたいなと彩笑は強く思う。

 

 

 

 

少し態勢を低くして、彩笑は意識を集中させる。

 

月守の身体の向き。

構える両手の位置。

指先の向く方向、それぞれの曲げ具合。

散らしたキューブの個数、浮遊位置。

影浦、北添、遊真の位置関係。

それぞれが月守に向けてどんな攻撃を仕掛けてきているのか。

これまでの戦闘の流れ。

誰が意識をどの程度誰に向けているか。

 

 拾える情報を全て可能な限り拾い、彩笑は月守がどんな攻撃を仕掛けるのかを。

 

 どの程度の威力・弾速・射程でアステロイドを撃つのかを、どんなコースのバイパーを撃つのかを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()予想する。

 

 予想した上で、

 

「アステロイド、バイパー!」

 

 月守が被弾覚悟で放ったフルアタックと同時に、彩笑は跳んだ。

 

*** *** ***

 

 何かあるのはわかった。

 

 意図までは読みきれないもののフォーメーションの変更指示や、露骨なフルアタック。

 

 地木隊が『何か』仕掛けてくるのは、影浦は読めていた。ただ、その『何か』の正体までは分からない。

 

 わかるのは、どんな狙いがあるにせよ、敵の前でガードが出来なくなるフルアタックという攻撃を取った月守が、格好のカモであるということだった。

 

 半ば反射で、影浦は無防備な月守に向けてスコーピオンを……マンティスを振るった。

 

 素早く、しなやかに伸びていく蠍の刃はフルアタックを仕掛けた月守の腕を確実に切り裂いた。

 

 伝達系あたりを切った手ごたえを感じた影浦は、カウンターのように放たれた月守の射撃に対してすぐに防御行動に転じた。

 

 No. 1シューター二宮が使うような、左右でサイズを分けた変則フルアタック。本家に比べれば迫力が一歩確実に劣るその攻撃を、影浦はシールドと回避を織り交ぜた動きでしのぐ。

 

 まともに受けるとシールドを割られかねない大ぶりなアステロイドを大きく跳んで避け、回避しきるのが難しい細かなバイパーをシールドで確実に防ぐ。

 

 影浦の行動は、何一つ間違っていない。

 

 彼は何一つ間違えることなく、月守が攻撃を通して押し付けた選択肢の中から、最適解を選んでしまった。

 

 間違えずに月守の思い描く行動を取ってしまった故に、シールドで防ぐ影浦に向けて、バイパーに混じって小さな影が……彩笑が襲い掛かる。

 

(なん……でオメーがここにいるんだよ!)

 

 バイパーの合間を縫うような走りで迫りくる彩笑に向けて影浦が心の中で悪態をつくが、もう間に合わない。

 

「とった」

 

 影浦の貼ったシールドにバイパーが当たると同時に、彩笑のスコーピオンがその薄いシールドを切り裂き、深々としたダメージを影浦に与えた。

 

 

 

 アタッカーの動きに合わせて援護射撃をするのではなく、シューターの射撃に合わせてアタッカーが一撃を叩き込む。

 

 言ってしまえばそれだけの、ただの役割交換。

 

 ただし、それをやるのは自在にバイパーを操るボーダー屈指の技巧派シューターと、最速のアタッカーである。

 

 守りを怠れば蜂の巣。

 反応が遅れれば神速の一撃。

 

 仕掛ける側からしても、互いの手を読み違えれば全く噛み合わずに不発に終わる、危うくて不安定な連携技。

 

 リスクがある攻撃だったが、彩笑は攻撃が失敗するなど、欠片ほども思わなかった。

 

 あったのは、ただ、ひたすらに歯車がカチカチと小気味よくハマっていくかのような、言い表しようのない快感。

 

 バイパーの陰に隠れながら、自分が撃ったわけではないバイパーが自分の思うままのコースを飛び、影浦が思ったような方向に回避し、そこに渾身の一撃を入れる。

 

 短い時間だけとはいえ、未来を見通せたかのような気持ちになれた彩笑は、ほんの一瞬だけ影浦から視線を外して月守を見る。

 

 ーもう1回!ー

 ーわかってる!ー

 

 視線に思いを乗せて交錯させて意思の疎通を果たした2人だったが、その直後。

 

 全てを破壊するアイビスの号砲が、ショッピングモールを襲った。




ここから後書きです。

ちょっと前に、なんかお腹痛いなーって思ってたら熱も上がって、一晩中吐き気に襲われて眠れない夜を過ごしました。病院に行ったら、虚血性大腸炎っぽいですね、みたいな診断されました。今は無事回復しましたが、夜吐きながら、
「天音は月一でこんな思いしてるとか地獄じゃん……」
とか思ってました。ごめんよ天音。

今回の投稿日が6月3日なんですが、明日6月4日は、
・スクエア発売日でワールドトリガー最新話が読める。
・コミックス22巻発売日でラウンド8が一気読みできる。
・影浦先輩の誕生日。
・天音の誕生日。
という日になっています。みなさん、盛大に「もぎゃあああ!」って叫びましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。