ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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前書きです。
以前素敵なイラストを頂いたトピアリーさんから、またまた素敵なイラストを頂きました!


【挿絵表示】


大規模侵攻の決着シーン!
本編の該当シーンにも載せました!


第106話「最速に成る」

『空閑……すまない……』

 

 ショッピングモールへ突入する直前に通信回線から修の声が届いたことに、遊真は驚いた。

 

 遊真は知っている。

 前の試合から今日までの1週間に、修が積み重ねたモノがどれほどのものなのかを、遊真は知っていた。

 

 対戦相手のデータ収集は言わずもがな。

 毎日支部での通常訓練に加えて、本部で太刀川隊、嵐山隊、地木隊との特別訓練。

 そして、少しでも時間があれば練習し、今日も直前まで練習していた新兵器。

 

 もしかするとその積み重ねは、やって当然のことだと言い切る人もいるかもしれない。

 

 それでも遊真からすれば修はこの1週間、これ以上の正解は無いだろうと思えるだけのモノを、積み重ねていた。

 

 しかしその積み重ねも一瞬で……12秒で終わってしまった。

 

 今日のために積んできたものを何一つ発揮できずに終わる。それは、人の心を折るのに十分足りる事実だった。

 

 そんな修がベイルアウトした瞬間に遊真が真っ先に思ったのは、

 

(これが模擬戦(ランク戦)でよかった)

 

 という安心感だった。

 

 倒されれば死に直結する戦いの中で、身につけた力を発揮出来ずに散っていった兵士を、遊真は何人も見てきた。

 

 今回はダメだったけど、まだ次がある。

 

 その事実が遊真の心に安心感をもたらしたが、同時に、修はしばらくヘコむだろうな、とも思った。少なくとも試合中は立ち直れないか……という予想を覆し、修は作戦室から戦うべく声を出した。

 

 折れずに戦いに戻ってきた相棒の声に、遊真は答える。

 

『気にするな、オサム』

 

相棒が考え抜いて選んだステージと天候を無駄にしないという決意を込めて、

 

『点は取ってくる』

 

遊真はランカークラス(かいぶつたち)が跋扈するショッピングモールに足を踏み入れた。

 

 

 

 侵入してからの遊真の動きは、素晴らしいの一言に尽きた。

 

 バッグワームを展開してレーダー上から姿を消すのは当然として、水に濡れた靴裏から発する音を消すためにすぐに水気を拭き取った。

 万が一、他にもバッグワームを着ているかもしれない相手がいることを考慮してルートを厳選し、誰にも見つかることなく、ショッピングモール1階の中央広場で戦っている影浦と地木隊を視界に捉えた。

 

 彼らを目視する際も柱に隠れ、それでいて相手からは見られないように、移動の途中の店から拝借した手鏡を介して、戦況を把握する。

 

(ちき先輩とかげうら先輩が1対1……つきもり先輩はいつでも撃てるように構えてるけど……ずっと周囲を警戒してるな)

 

月守が影浦の斜め右後ろに立って彼の視界にギリギリ入らないポジショニングを取り、遊真がさらにその月守の背後を抑えるという位置関係。月守との距離はおおよそ、40メートル。相手に気づかれる前に間合いを詰め切れる距離で、遊真は隙を探す。

 

 確実に首を狩る機会を狙う遊真に、チャンスが訪れた。

 

 月守の後方にいて、彼より少し広く周りを見ることができていた遊真だからこそ、北添尋が2階に姿を現した事に、誰よりも早く気づけた。

 

(ここだな)

 

北添の登場に合わせて遊真は隠れていた柱の影から飛び出し、月守へと接近を試みる。

 

 遊真の飛び出しからほんの一瞬遅れて、月守が2階に現れた北添に意識が向いた事に気付き、遊真は確信する。

 

(とった)

 

音もなく詰め寄りながら、バッグワームの内側に構えた手に持つスコーピオンを展開する。

 

 その瞬間、

 

 パチ

 

 と、一つの違和感が遊真の身体を駆け巡った。

 

 その違和感を遊真が認識するのと、同時、

 

「待ってたよ」

 

気づける筈がないタイミングで月守は振り返り、分割して保持していたキューブを放った。

 

「アステロイド」

 

乱雑に撃たれたアステロイドが遊真に襲いかかる。バックステップに加えてバッグワームを解除してシールドに切り替えたが、1発だけ遊真の身体を掠めて小さな弾痕を刻み込んだ。

 

「バイパー」

 

遊真の回避ルートを限定するように月守は先回りつしつつ、遊真と北添に対してバイパーで牽制を入れた。広場を自由自在に飛ぶバイパーは、戦場に乱入した遊真と北添の動きを制限させ、程よい混乱と全体を見通せるだけの落ち着きを戦場にもたらした。

 

 円を描くような動きで遊真と月守は、お互いがするべき事をするために最適に近い位置を取る。

 

 遊真は乱戦に参加するとも逃走するとも取れる位置に。

 月守は遊真と1対1を張りながら、乱戦の中にいる彩笑に援護射撃ができる位置に。

 

 互いに攻撃できるように構えつつ、半歩単位で相手の動きを警戒する睨み合いの中、遊真は問いかける。

 

「つきもり先輩さ、なんでおれが後ろから来たってわかったの?」

「んー? 勘だよ、勘」

 

躊躇わず流れるように提示された答えに、遊真はどこか面白くなさそうな表情を返した。

 

「つきもり先輩、つまんないウソつくね」

「さすがにダメか。……じゃあ」

 

ほんの少しだけ考えるそぶりを見せてから、月守は答えを訂正する。

 

「ずっと見張ってた星が教えてくれたんだ」

 

紡がれたのは要領を得ない、煙に巻くような言葉。嘘にしか思えない言葉だが、

 

(……ウソじゃない?)

 

その答えに、遊真が持つ『嘘を見抜く』サイドエフェクトは反応しなかった。

 

 以前、不知火が『嘘つきのパラドックス』で遊真のサイドエフェクトを惑わせたように、月守もまた言葉遊びの類いで遊真のサイドエフェクトを欺いた。

 

「試合が終わったら教えてあげるよ」

 

言いながら月守は半歩下がり、再びキューブを散らしてバイパーを放つ。

 

 視界いっぱいに広がって襲い来るバイパーを見て、遊真は素直に厄介だなと感じた。

 

 広場から離脱しやすい方向へ避けたいが、そのコースには濃密な弾幕が貼られている。

 弾幕が殆どない箇所への回避を選べば、乱戦に飛び込む羽目になる。

 シールドを貼ればなんとか突破できそうなルートはあるが、その先には次弾を構えようとしてる月守の格好の的になる。

 

 一見乱雑に見えて一つ一つの弾丸に意味や意図が込められ、その上こうして選択できるだけの猶予がギリギリ与えられる弾速により、遊真は狭められた選択肢を押し付けられる。

 

 瞬時にそれをやってのける月守を見て、彼が日頃から自分と似たような相手と訓練を積んでいるのだろうなと、改めて思い知らされる。

 

 バイパーが迫り来る中、遊真は決断した。

 

「あんたとの1対1は、しんどそうだ」

 

タイマンを貼るより、イレギュラーに賭けた方が分があると。

 

 本音を言えば仕切り直したい気持ちを抑えて、遊真は回避を選択した。

 バイパーを避け、影浦と彩笑が切り結ぶ中へ飛び込び、乱戦を混乱させる道を選んだ。

 

*** *** ***

 

『うへぇ……。ごちゃごちゃしてきたなぁ……』

 

モール内に5人が集まり、大乱闘が始まったのを見て、解説席の当真が面白くなさそうに呟いた。

 

『当真さんなら狙撃し放題な戦況じゃないですか?』

 

三輪が素直に思ったことを尋ねると、

 

『これを狙撃するなら面白いけどよ……解説する側としちゃあ、全然面白くねえのよ』

 

当真もまた、素直に答える。目まぐるしく動き回り、ブレードが煌めき、号砲とキューブの分割音が絶え間なく響く戦場は、スナイパーの当真からしてみれば解説のしがいが少ないものだった。

 

 自分にとっての面白みの少なさを隠すことない当真の姿はそれはそれで面白いが、客席の空気がダレないように綾辻が芯のある声で現状を改めて説明する。

 

『現在はモール1階の広場で乱戦! 影浦隊と地木隊が2人ずつ、玉狛は空閑隊員1人という内訳になっています! この状況、三輪隊長はどこが有利だと睨んでいますか?』

 

『影浦隊ですね』

 

迷わず、それが当然であると疑うことなく、三輪は答えた。

 

『これだけ場が荒れて勘と反射神経がモノを言う状況下で、視線で攻撃を察知し得るサイドエフェクトを持つ影浦隊長は頭一つ抜けて有利です。そこに攻撃、防御、援護をこなせる北添先輩が加わったことにより、()()()という意味では数歩リードしてると言えます』

 

三輪が強調した安定感という言葉で、当真は彼が言わんとすることを間違えずに察する。

 

『そういう意味じゃ、確かに地木隊は不利かもな。地木ちゃんの動きを見るに調子はすこぶる良さそうだし、流れ……勝ち目がないってわけじゃねえが……あの2人は、シールドを使った防御が苦手だからな』

 

三輪の思惑と、当真の指摘は的を射ていた。

 

 攻撃力は影浦隊と遜色がない。機動力なら寧ろ勝っている。戦場に常に存在する『流れ』とも言うべき空気感も握りつつある。

 

 だが、そんな利点を帳消しにしかねない、守りの薄さというマイナスポイント。

 

 生来トリオン能力がそれほど高くない彩笑と、トリオン能力の割に何故かシールドが脆い月守。優位に立っているように見えて、2人のトリオン体には擦り傷と言うには大きな傷が、いくつか入っていた。

 

 薄氷の上を歩くかのような状況下に加えて、地木隊は最初からショッピングモールに転送された絵馬ユズルの現在地を……モール6階に潜んでいる絵馬の位置を、知らない。

 

*** *** ***

 

 撃とうと思えば撃てる。

 

 それが6階に潜む絵馬が感じていた正直な思いだった。

 

 ほぼ真上という位置にいるため、撃つためには吹き抜けから姿を晒す必要がある。しかし、事前にレーダーで位置を確認していれば、構えてからほんの少し時間で撃ち抜けるという確信があった。

 

 だが確信と共に同居する、懸念。

 

 それはスナイパーの雨取と、イーグレットを引っさげて参戦して来た天音だ。

 

 絵馬の師匠と同じ……人が撃てないという鳩原と似た雰囲気を持つ雨取と、狙撃初心者ながらもスナイパー目線のオペレートを受けられる天音。

 

 この2人の存在が、絵馬の狙撃に待ったをかける。

 

(天音先輩は良くも悪くも未知数だけど……雨取さんは人が撃てない。なのにベイルアウトしないで残ってるってことは……今までの試合みたいに、アイビスでモールを壊して戦況を変えるくらいしか、出来ることがない)

 

この後戦場がどう動くか、絵馬は想像力を働かせて予測を組み立てる。

 

(けど……それくらい和水先輩は読んでくる。モールの戦況を悪化させて雨取さんにアイビスを撃たせて、天音先輩をそこにけしかける……それがきっと、狙いだよね)

 

絵馬の脳裏には、それを踏まえた上で戦場がどう荒れるかというシミュレーションが展開される。

 

 例えば、天音をこのモール内に参戦させて地木隊が主導権を取りに来る可能性もあれば、遊真が前の試合で村上相手に見せたような新しい技の数々を披露して戦況を覆す可能性。そして、今から自分が狙撃して影浦隊優位に進める可能性。

 

 しかし絵馬は、その全てを脳内で否定する。

 

(地木隊の2人は仲間を待ってるような戦い方じゃないし……玉狛の空閑って人が新技持ってたとしても、カゲさんには刺さらない。それに……オレが撃つのは、もっとない)

 

 他のチーム相手ならいざ知らず、今日の相手にはグラスホッパー持ちが3人いる上に、その中の2人は機動力が特に高い。

 

 この盤面が崩れない限り、狙撃して1人倒したところで吹き抜けを突っ切って誰かが上がってくることは、想像に難くない。まして、下手に戦況を自分たち有利に傾けようものなら、雨取の大砲アイビスが飛んでくるだろう。

 

 この状況では、狙撃して1人倒したところでカウンターアタックの形になる。明確に逃げ切れるビジョンが持てない以上、どちらかに1点献上する可能性が高かった。

 

 そのデメリット込みで撃つのもアリだが……、

 

『ゾエさん、どう? 援護いる?』

『ゾエさん的には援護ほしいけど……』

 

北添に援護射撃の必要性を尋ねた絵馬だったが、その通信に影浦の声が割り込む。

 

『ワリぃな、ユズル! 援護はちょっとばかり待ってくれ!』

 

この戦いを楽しんでいることを隊長の声で察した絵馬は、自身が狙撃する選択肢を消した。

 

『ヒカリ、オレはモールから出るよ』

『んあ? 玉狛のおチビちゃん警戒するってことか?』

『……まあ、そんなとこ』

『オッケーオッケー! じゃあ、わかってると思うけど、屋外の狙撃ポイント送っとくぞ!』

 

狙撃ポイントが示されたマップを受け取った絵馬は、地木隊と遊真に気取られることなくモールを出た。

 

 

 

 絵馬がモールを離脱する中、1階の中央広場では影浦が心の底から楽しそうな笑みを浮かべて、スコーピオンを振るっていた。

 

 ブレードの常識から外れる、しなやかで歪んだ高速の斬撃を、彩笑と遊真はしっかり見切って躱し、そこから鋭い反撃をねじ込んでくる。

 

 少しでも気を抜けば喰われかねない状況だが、それだけなら珍しいことではない。攻撃手(アタッカー)4位の村上を始めとするランカー勢とソロランク戦をしていれば似たような状況自体は味わえるが、今はチームランク戦。自分だけの順位ではなく仲間の命運を背負う戦いは、全員の本気度が一段階上になる。

 

 普段のチーム戦ではタイムアップや逃げ切りを狙われることが多い中、ソロランク戦よりも集中力が上がった上位アタッカークラスとやり合えるこの状況が、影浦はただひたすらに楽しかった。

 

 加えて、影浦をさらに楽しませる要因が、この2人にはある。

 

(この白チビ……! 東のおっさんと同じで、感情乗せずに攻撃してきやがる!)

 

遊真が何の感情も乗せずに攻撃してきていることに気づいた影浦は、面白さよりも驚きを感じた。

 

 こんな近距離で、こんな鋭い攻撃を、連続で繰り出しているのに、その剣には感情が乗っていない。

 トリオン体とは言え、人を切ることに何の躊躇も、迷いも、昂りもない。

 切ることを何とも思わないメンタルか、そういう感情を感じなくなるまで積み重ねてきたのか。

 攻撃するという意思をここまで完全に遮断できる人間がいることに、影浦は驚愕し、同時に興味が湧いた。

 

(今度メシでも食いながら話してみてえな)

 

影浦が遊真に興味を持ったその瞬間。

 

本当に斬られたと錯覚するほどの鋭い視線が影浦に突き刺さり、同時にタイムラグ無しで彩笑の刺突が影浦に迫った。

 

 持ち前の反応速度で回避した影浦は左手を振りかぶり、彩笑はそれを見て一瞬で後退して距離を取る。影浦は形成したスコーピオンを投擲する形で放つが、彩笑もまた自慢の反応速度で見切って回避に成功した。

 

 間合いを再び取った影浦は確信する。

 

(なるほど、今日の地木はやっぱり……同時にくる方だな)

 

 影浦に言わせれば、彩笑が攻撃するときの感情の刺さり方は二種類ある。

 

 1つは、複数の量が刺さってくる時。ああ攻めよう、こう攻めよう、やっぱりこう攻めよう……そんな迷いとも取れる視線が複数刺さり、影浦の判断を鈍らせる場合。

 

 2つ目は、こう攻めよう、と彩笑が決めるとほぼ同時に攻撃に移り、事前の感知があまり意味を成さない場合。

 

 今日の彩笑は、間違いなく後者。視線(感情)が刺さった、と感じた次の瞬間にはもう、刃の切っ先が届いている場面がこの試合でいくつもあり、影浦の身体には浅い傷が複数刻み込まれていた。

 

 影浦雅人は、自分のサイドエフェクトが嫌いだ。四六時中とまではいかなくとも、いつも鬱陶しいほどの視線が肌に刺さり、気が削がれる。戦闘では便利だなと、他人から皮肉混じりな視線を向けられる。

 

 感情受信体質(こんなもの)など無ければいいと、ずっと思っていた。

 

 そう思い続けてきたからこそ、このサイドエフェクトが役に立たない遊真と彩笑を相手にしてるのが、影浦は楽しくて仕方なかった。普通の奴は、こんなスリルをいつも味わっているのかと気持ちが高ぶった。

 

 それゆえに、

 

チリチリチリチリ

 

と、嫌味ったらしく攻撃的な感情を視線に乗せて牽制してくる月守に、苛立ちと殺意を混ぜ込んだ気持ちを覚えた。

 

『チッ……! ゾエ! 月守を押さえとけ!』

『ほいほい、了解!』

 

 影浦からの指示を受け、北添の大型アサルトライフルが火を噴く。通常の銃手(ガンナー)が使うものよりも大ぶりな北添のアサルトライフルから放たれるアステロイドは、一際大きな射撃音を伴って月守へと襲いかかる。

 

「グラスホッパー」

 

 北添の射撃を月守はグラスホッパーを活かした機動力で回避する。高速機動をしている遊真や彩笑には劣るものの、空間を立体的に使う移動を捉えきれず、北添の射撃は後手に回る。

 

 月守の回避と、それに織り交ぜられたバイパーやハウンドの射撃を見続けた北添は、ある種の法則に気づく。

 

(月守くん、本当に()()()な選択肢を踏まないなー。かと言って最適解でも無いし……もー、本当に手を焼いちゃうよ)

 

 北添が気づいた月守の回避と射撃の法則は、言ってしまえば当たり前の積み重ねだった。

 

 まず、相手の攻撃が当たらない、攻撃が届かない位置を選ぶという当然のもの。

 次いで、彩笑の高速機動を阻害しない弾道を選ぶこと。

 それを満たした上で、遊真の機動力を削ぎつつ乱戦から逃げないように退路を断つ形の位置取りと射撃を入れ続けること。

 それよりは優先度が少し落ちるが、程よく北添の攻撃の射程内に入り込んで的になることで銃撃を分散させるような立ち回りを取り込み、かつ、影浦の意識を散らせるように視線による牽制を入れる。

 そして時々、戦場が広がりすぎないように、もしくは狭まりすぎないように立ち位置を意図して変えて、彩笑が立ち回りやすい戦場の広さに調整する。

 

 1つ1つ言われると『当たり前』だと思えるそれを、月守は程よく守りながら動いている。『当たり前』を全て律儀に守る立ち回りをすれば戦況はかなり優位に運べるものの、読まれる確率が上がる。

 

 それを考慮して月守は、行動の際に敢えてその『当たり前』を1つ2つ守らず行動している。その瞬間、その状況下において、100点ではなく90点・80点の行動を意図して取ることによって、月守は北添の読み絞らせない立ち回りをしていた。

 

 無論、被弾がゼロというわけではない。北添の読みと射撃能力が追いつき、撃たれることもある。それでも、防御という選択肢を選べないことを考慮すれば、ダメージは驚くほど少なかった。

 

 月守はグラスホッパーで飛び回りながら、バイパーのキューブを構える。

 

 影浦を挟むような位置にいる彩笑と遊真。

 彩笑の踏み込み具合から影浦狙いの攻撃を仕掛けることを察知。

 遊真の退路。北添が構える銃口が自分に向いていること。

 

 それらを瞬時に、把握できるだけ把握し、

 

「バイパー」

 

空間を裂くようなバイパーを走らせる。

 

 遊真が彩笑の攻撃を妨害しないように影浦と遊真の間に数発分飛ばし、なおかつ遊真には回避しなければ当たるような弾道のものを十数発飛ばす。遊真がそれを見て回避の択を頭に思い描いたタイミングでバイパーはコースを変え、露骨な戦線離脱方向への回避の選択肢を消す。

 そして撃ちながら立ち位置を、北添と自身の間に影浦を挟む形になるように変える。

 

 北添が自分を狙うのを諦めたのを見た瞬間、月守は次の挙動に移る。

 

(戦場を広げ過ぎたか。少し、狭める)

 

 彩笑の高速機動が十分に活きる広さを保とうとして月守が乱戦の中心へと一歩踏み出したのと、同時。

 

『楽しい! 今日は楽しいよ咲耶!』

 

 心底楽しそうな高い声が、音声通信から届いた。

 

 小さく軽い身体を宙に舞わせ、グラスホッパーで縦横無尽に跳びながら声を飛ばす彩笑に、月守は声を返す。

 

『だろうな、見てればわかる。テンションも随分上がってるみたいだな』

『あはっ! わかる!? そう! ボク今、めっちゃテンション上がってる!』

 

傷口を拭う仕草と共に答える彩笑の笑顔を見て、どちらかというとハイになってるな、と月守は思う。考えながらも身体は自然に動き、彩笑が撃ち落とされないようにハウンドを散らすように撃ち、全員に牽制を入れる。

 

 3人がそれぞれ月守のハウンドを防御、もしくは回避したのを見て、彩笑は素早くグラスホッパーを展開して踏みつけ、月守の左隣に降り立つ。

 

 純粋で、無邪気で、残虐な笑みを浮かべた彩笑は月守に目線を送り、問いかける。

 

「ねえ、()()()()()()?」

 

 その言葉の奥に込められた意味を、月守は嫌というほど知っている。それをすればどうなるか理解した上で、そして彩笑がどう答えるか分かりきった上で、確認する。

 

「止めても聞かないんだろ?」

「うん!」

 

 清々しいほどの即答を返され、月守は苦笑する。

 

 北添の視線がこちらに向く。

 次いで銃口がこちらを向くだろうが、北添のその攻撃行動は、彼の判断に何の影響も与えない。

 

 月守咲耶は嫌というほど知っている。

 

 地木彩笑が自分のやりたいことを通しきりたいエゴイストであることを。彼女がやると言った以上、止められないことを。

 

 だから月守は止めない。止めるどころか寧ろ、思いっきりその背中を押す。

 

「いいよ、やりな。出来るだけサポートはする」

「咲耶ありがと! じゃあ、コレ預かってて!」

 

 彩笑はそう言って新しく仕立て上げたジャージ隊服の襟元を噛み、ジッパーを一気に下げて、上着を脱ぎ捨てた。

 

 

 

 

 

 

「げ」

「わ」

 

彩笑が上着を脱ぎ捨てたのと同時に、影浦と北添が口を揃えて一音発した。

 

 上着を脱ぎ捨てる、彩笑がその行動をする事にどんな意味があるのか知っている2人は、彼女から目をそらすまいと視線を向ける。

 

「?」

 

 影浦隊の2人が発した言葉に遊真は気を取られ、一瞬だけ……本当に一瞬だけ彩笑から視線を外して影浦を見た。

 

 一瞬前まで月守の隣にいたはずの相手が。

 紫苑の花弁と同じ色のインナーシャツ姿の彩笑が、影浦に刺突を入れる瞬間を、遊真は見てしまった。

 

 

 

 

月守咲耶は知っていた。

影浦雅人も知っていた。

北添尋も知っていた。

 

この場で、空閑遊真だけが知らなかった。

 

調子の良い時に上着を脱ぐ。

ただそれだけのことで。

 

地木彩笑がボーダー最速に成ることを。




ここから後書きです。

書いてる時ってどうしてもそれっぽいシーンを脳内検索するんですけど、今回の話を書いてる時は、サイレンで十年後カイル君が敵組織の精鋭相手に一歩も引かずに戦闘仕掛けてライズで天井までドン!って跳ぶあのシーンをよく想起しました。あのシーン好き。


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