ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第100話「チョコはおひとついかが?」

(……甘ったるい匂いがする)

 

 ランク戦ラウンド4……、の前日。月守咲耶は、普段家の中に広まらない独特な甘い香りに鼻腔をくすぐられて目が覚めた。もぞもぞとベットから這い出て、素足から伝わる冬場のフローリングの冷たさに身震いしながら、匂いを辿っていく。

 

 たどり着いた先はキッチンであり、そこには朝早くから何やら料理を作っている母の……不知火花奈の姿があった。セーターにロングスカート、その上にエプロンという楽な格好ながらも、料理の邪魔にならないように髪はしっかりと結わえていて、その顔つきは楽しそうでありながらも程よく真剣味の色が灯っていた。

 

 物音に気付いた不知火は振り返り、寝起き姿の我が子の姿を見てやんわりと微笑む。

 

「おはよう、咲耶。起こしちゃったかな?」

「ええ、まあ。……それ、朝ごはんですか?」

 

作っているものの詳細を問われた不知火は、キョトンとした表情を浮かべ、やがて何かを察したようにクスッと笑った。

 

「なるほどね。案外咲耶はそういうのに頓着が無いわけだ」

「そういうの?」

「いやいや、こっちの話。咲耶。悪いけど、ご覧の通り、台所はワタシが使ってるんだ。朝ごはんと君のお弁当はワタシが用意してあげるから、学校の時間までゆったりしててくれ」

 

 普段あまり家に帰ってこず、帰ってきたところで、

「咲耶〜、今日もお酒に合うお摘みを何か作ってー」

と言うような不知火にしてみれば、朝ごはんとお弁当を用意するという提案は意外だった。

 

 どんな意図があるのか……、と月守は勘ぐったが、作ってくれるならその好意に甘えようと思い、「わかりました」と素直に受け入れた。

 

 台所の秘密を死守できた不知火は安堵するが、そのタイミングで月守はあることを思い出し、声をかけた。

 

「花奈さん」

「ん、うん? 何かな?」

「あー……お弁当なんですけど、1品入るだけのスペースは開けてもらっていいですか? 最後そこに、卵焼き作って入れるんで」

「いいけど……、卵焼き? 作ってあげるよ?」

 

卵焼きくらい作れるぞ? と、不知火が不満げに言うと月守は苦笑した。話すのにほんの少しの躊躇いと恥ずかしさに似た感情を覚えるが、その気持ちを心の中に隠しながら、理由を答えた。

 

「……卵焼き入ってないと、彩笑の機嫌が悪くなるんで」

「ああ……そういえば地木ちゃんは、君の作る卵焼きがお気に入りだったね。でも、1日くらい無くてもいいんじゃない?」

「無理ですね。卵焼き無いだけで一日中ヘソ曲げますから」

「あっはっは」

 

不知火は「咲耶!今日卵焼き入ってない!」と言って怒るであろう彩笑を想像して、それがおかしくて仕方ないと言わんばかりに笑った。そして、

 

「……ふふ。君の隣にいてくれたのが地木ちゃんで、本当に良かったよ」

 

月守に聞こえない小さな声で、嬉しそうに顔を綻ばせながら呟いた。

 

*** *** ***

 

 不知火が「我ながらお弁当は自信作だ、お昼ご飯は期待しててくれ」と言いながら渡してきたお弁当を受け取った月守は、いつものように学校へと向かう。

 

 三門市はそこまで雪が降る地域ではないが、2月はまだ寒く、通学路にはマフラーや手袋を着用した生徒の姿が多かった。月守自身も手先が少し冷えがちということもあり、手袋がまだ手放せずいた。

 

「……さむ」

 

 半ば無意識に呟くと、言葉と共に口からは寒さを物語る白い息が漏れた。

 

 いつも通りの通い慣れた通学路だったが、月守はそこに何か小さな違和感を覚えた。いつもと何も変わってないはずなのに、『何か』が違う。でもその『何か』が分からない。

 

「……?」

 

 月守はそんな違和感に襲われながらも、気にせず歩き続けた。こんな寒い中に長居する気など起きず、早く学校に行こうと足を早めようとしたが、

 

「さーくや! おはよっ!」

 

 背後から底抜けに明るく元気な声で挨拶され、出鼻を挫かれた。とはいえそこに不快さは全くなく、月守は微笑しながら振り向いて挨拶を返した。

 

「彩笑、おはよう。朝からテンション高いな」

「どよーんって暗くなるより断然マシでしょ!」

 

そこにいたのはやっぱり彩笑で、挨拶を返された彼女はいつものように笑顔を浮かべながら、普段は持っていない大きめの紙袋片手に月守の隣に並んだ。

 

「今日も寒いねー。コート、もういらないかなーって思ってしまっちゃったのに、今日また出しちゃった!」

 

彩笑が言うように、今日の彼女は制服であるセーラー服の上にキャラメル色のダッフルコートを着込んでいた。暖かそうではあるが、他の防寒着は着ていないため、髪の毛で隠れているだけの首元や、丈の長いコートの袖を掴んでいる手は寒そうだなと月守は思った。

 

「手とか首とか、寒くない?」

「さっむい! コートだけでいけると思って油断した!」

 

 案の定、寒かったらしい。寒いなら家出てすぐに戻ってマフラーとか巻けば良かったのに、と思った月守はそれを素直に言葉にした。

 

「一回帰って、手袋とかマフラーしてくれば良かったんじゃない?」

「やー……、今日はちょっと時間無かったの。家出たのもギリギリ」

「そういえばそうだな。俺も、いつもより遅く家出たし」

「ありゃ、そうだね。咲耶、いつももうちょい早く学校行くよね? まさか、もしかして咲耶も準備してたの?」

「……?」

 

準備してた、という言葉の意味がピンと来なかった月守は首を傾げた後、家から出るのが遅れた理由を答えた。

 

「今日は、は……、家の人が、台所使ってたから」

「あー、不知火さん。朝ごはん作ってたってこと?」

「朝ごはんと……、なんか、凄い甘ったるい匂いがするやつ。あれ、なんだったんだろ」

 

月守は心底分からないと言いたげに答えると、彩笑は不思議そうな表情を見せて首を傾げた後、

 

「チョコじゃないの? 今日、バレンタインだし」

 

何てことないように、そう言った。

 

 バレンタインという言葉を聞き、月守の中で今日感じていた全ての違和感が繋がった。不知火が朝から何やら作っていたものはチョコレートであり、通学路で感じた違和感はバレンタインで高揚した生徒の雰囲気によるものだった。

 

 バレンタインというワードを出せたことにより、彩笑は紙袋の中に自然と手を伸ばし、

 

「ってことで、はい! 咲耶にあげる! happy valentine!」

 

ぱぁっと花咲くような笑顔で、紙袋の中から『咲耶へ!』と丸っこい文字が書かれた小包を取り出した。可愛らしくラッピングされた小包みに月守は手を伸ばす。彩笑からは毎年貰ってるな、と月守は思い出しながら、嬉しそうな淡い笑顔を見せた。

 

「あはは、ありがと。これ、手作りっぽいけど、食べてもお腹壊さない?」

「失礼な! そんなこと言うならあげないよ!?」

「それは嫌だなあ。ごめんごめん」

 

謝りながら月守は小包みを受け取った。月守が丁寧に小包みをバックに入れたのを見て、彩笑はニヤリと笑った。

 

「受け取ったね、咲耶。1ヶ月後のお返しには期待してるよ!」

「ホワイトデーね」

「3倍返し!」

 

ビシッと3本指を立てて3倍返しを主張する彩笑を見て、月守は確認するように問いかける。

 

「3倍じゃなきゃダメか?」

「あったり前じゃん! 3倍しか認めない!」

「そうか……。5倍くらいにして返そうと思ったのに、わざわざ3倍に負けてくれるなんて、なんていい隊長を俺は持ったんだろう」

 

わざとらしく月守が言うと、彩笑は慌ててそれを否定しにかかった。

 

「あー! それズル! 5倍! 5倍で!」

「ズルってなんだよ。お返しはマシュマロでいい?」

「文句なし!」

 

3年間の付き合いで相方の扱いを熟知していた月守は、マシュマロでテンションを上げてホクホクとしている彩笑を見て、自然と穏やかな表情を見せていた。

 

 マシュマロをもらえるという約束で満足した彩笑だが、前の方を歩く生徒の中に、クラスの友達を見つけて声を上げた。

 

「咲耶ごめん! みんなにもチョコあげてくるからボク行くね!」

「ん、わかった。……ってか、その紙袋の中全部チョコなわけ?」

「クッキーとかトリュフとか色々! あ、咲耶のはチョコチップクッキーだよ! 自信作!」

 

 そこまで言った彩笑は、「んじゃね! 後でまた!」と言い残して足早に『みんな』の輪の中に入ってあった。

 

「カゲさんゾエさん!おはっよー! 早速だけどチョコあげる! 食べて肥えて!」

「ああ!?」

「こらこらカゲ、落ち着いて」

 

何やら不吉な言葉と共に影浦と北添にチョコを渡す彩笑の後ろ姿を見ながら、月守は先行く彩笑を追いかける形で学校へと向かっていった。

 

*** *** ***

 

 月守や彩笑が学校で授業を受け始めた頃、不知火は自宅のマンションでのチョコレート作りに、一区切りをつけていた。

 

「料理はともかくお菓子作りは大分久しぶりだけど、案外うまくいくものだねぇ……」

 

月守が登校してからすぐに仕上げたブラウニーを前にして、不知火は自信満々にドヤ顔をする。やらないだけで、本来ならば大体のことは出来る程度には不知火の能力はある。ただやらないだけである。YDK(やればできる子)である。

 

 昼頃から出勤してボーダー本部(職場)で配ろうとして作ったブラウニーの数はそれなりにあるが不知火に言わせれば、これはまだ前哨戦に過ぎない。手を抜いたわけでは無いが、これはあくまで()()()に向けたものである。

 

「……さて、と。それじゃあ本番に移ろうかな」

 

リビングのソファーからゆっくりと立ち上がった不知火は、これから作るお菓子に必要不可欠な材料を手に取る。

 

 半透明なボトルの中でゆらゆらと妖しげに揺れる液体……もとい、ウイスキー。言わずもがな、不知火がこれなら作ろうとしているお菓子は、所謂『ウイスキーボンボン』だった。

 

 今すぐそれをグイッと飲みたい衝動に駆られるが、不知火はそれをグッと堪え、

 

(飲んじゃダメだ飲んじゃダメだ飲んじゃダメだ飲んじゃダメだ……)

 

巨大人型決戦兵器の前で逃げちゃダメだと鼓舞する少年兵のように、飲んじゃダメだと言い聞かせて、ウイスキーボンボン作りを開始した。

 

 

 

 

 

 普段、料理やお菓子作りをしない者にとって、レシピに書かれている曖昧な表現を汲み取る事は困難である。『少々』『適量』といった表現や、真の意味での『牛乳』などがその例と言えるだろう。

 慣れた者であるならば本当に適切な『少々』や『適量』を見出せることが出来るが、そうでなければ自身の感覚に委ねるか、監督してもらう立場の人間に教えを請うしかない。

 

 そして、普段料理をしない不知火は今回のウイスキーボンボン作りにおいて、インターネットから適当にレシピを抜粋した。そのレシピの考案者は、

『お酒の強さには個人差があるので、相手に合わせて使うウイスキーの量を調整してくださいね』

という親切心極まるニュアンスを込めて、レシピ上でウイスキーの量を『適量』と表記した。

 

 しかしその『適量』に込められた奥深い意味は、酒豪な彼女に届かない。故に彼女は躊躇いなく、お菓子に使うには信じがたいアルコール度数のウイスキーをドボドボと景気良い音を奏でながらボウルにぶっこんだ。

 

 

 

 数時間後にボーダー本部で悲劇が起こる事を、まだ誰も知らない。ただ1人、気づける可能性があった人物がいた。しかし彼にその未来が視えた時にはどうしようもないくらいに手遅れであり、

 

「これは……もうダメだな。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」

 

ただそう呟くことしかできなかった。

 

*** *** ***

 

 昼前から防衛任務が入っていた月守と彩笑は午前中で特別早退し、本部へと手早く移動して作戦室で昼食を取った。なお、不知火が頑なに、

 

「お弁当は自信作だ。期待しておきたまえ」

 

と言って月守に隠していた弁当の正体はラービットのキャラ弁であり、隣で母お手製のお弁当を食べていた彩笑は目をキラキラさせてラービットキャラ弁を写真に収めた。

 

 この日は地木隊で防衛任務……というわけではなく、たまたま2人が個々に入れていた野良チームでの防衛任務が、別チームながらも同じ時間帯に入ったという形である。

 

 昼食を食べ終え、2人は作戦室を出てそれぞれのチームの集合場所へと向かおうとしたが、そのタイミングで彩笑が月守を呼び止めた。

 

「咲耶、防衛任務終わった後、本部に残るよね?」

 

「んー、まあね。明日のランク戦に向けてちょっと自主練というか調整したいし……。でも、それがどうした? 何か用事でもあった?」

 

月守は彩笑の質問の意図を知ろうとしたが、

 

「ううん! なんでもない!」

 

彩笑はただ嬉しそうに笑って月守の問いかけをはぐらかし、そのまま駆け足で合同チームの元へと向かっていった。

 

 何か狙ってる……そしてその『何か』についても月守は長年の付き合いで薄々察しつつあるが、迫り来る防衛任務の時間を前にしてそれを解き明かしている暇はなく、月守も駆け足で防衛任務へと向かっていった。

 

 

 

 

 この日の混合チームのオペレーターは、ボーダー屈指のパワー型軍師である影浦隊オペレーターの仁礼光だった。

 

『月守はあと15、いや20メートル下がれ! そうすれば照屋ちゃん援護したまま視野も確保できるし、茜ちゃんの支援にもスムーズに対応できるだろ!』

 

パワー型軍師とは言ったものの、モールモッドやバンダーといったトリオン兵の群れに対して月守に指示したポジションチェンジは的確なもので、月守は舌を巻いた。

 

(うわ、ちょっと下がっただけで凄いやりやすい……。これをレーダーで見ただけで気付く仁礼先輩すごいな……)

 

 広くなった視野で月守は全体を見ながら防衛ラインを突破されないように戦況をコントロールしつつ、前衛を貼ってくれる柿崎隊の照屋のサポートをして、殿(しんがり)をつとめる那須隊の日浦に危険が及ばないように立ち回り、何事もなくこの日の防衛任務を終えた。

 

 交代で来た諏訪隊に引き継ぎを済ませて本部へ帰還すると、先ほどまで合同チームに指示を出していた光が満面の笑みで待ち構えていた。

 

「みんなお疲れ! よくやった!」

 

光は試合に勝って帰ってきた弟や妹を褒めるかのように月守たちを労い、彼らが二の句を口にする前に、

 

「というわけで、ホイ! 今日はバレンタインだしチョコをあげるぞ!」

 

後ろ手に持っていたチョコレートを3人に差し出した。

 

「えー! 仁礼先輩チョコくれるんですか!」

 

「おうよ。市販品だから味は保証するぞー」

 

真っ先に目をキラキラさせて反応した日浦茜にチョコを受け取り、次いで上品に微笑みながら照屋文香がチョコをもらい、最後に月守がチョコを受けて取りに行った。

 

「ありがとうございます、仁礼ちゃん先輩」

 

「おう、受け取れ受け取れ! その代わり月守、お前は3倍返しをきちんとするようにな!」

 

「その3倍返しってやつ、今朝彩笑にも言われたんですよね」

 

 苦笑しながらそう言って月守が小さな小包のチョコを受け取ると、光は「だろうなー」と言って笑った。

 

「だってここ何日か、彩ちゃんが『咲耶にチョコ渡す時は3倍返しを念入りに伝えておいて!』って言いふらしてたからな」

 

まさかの事実を聞いた月守は目を少し見開いてキョトンとした後、

 

「……あいつは俺を破産させる気か……?」

 

割りかし真面目にそう呟やいた。

 

 真剣な面持ちで破産を予想する月守がおかしくて、光は「あっはっは」と豪快に笑う。

 

「まあ、律儀に3倍にしなくてもいいだろ。適当なお返しを1ヶ月期待するからな!」

 

「あはは、ありがとうございます。期待を裏切らないお返しができるように頑張りますね」

 

月守の答えを聞き、やっぱこいつ一応真面目だわ、と光は改めて思った。そして、最後についでと言わんばかりに、

 

「あ、そうだ月守。明日のランク戦はよろしくな!」

 

明日戦う敵に笑顔で宣戦布告をして、

 

「ええ、こちらこそよろしくお願いしますね」

 

月守もまた、やんわりと笑んで宣戦布告を返した。

 

 その後月守は、照屋と茜からもチョコを貰う事ができた。照屋は笑顔でこそあったが「この前のランク戦はしてやられたわ」という一言にどこか末恐ろしいものを感じ、月守は次に柿崎隊と当たる時は一層気を引き締めようと心に誓った。茜は「那須隊のみんなで作ったんです!」というチョコを弾けんばかりの笑顔で月守に渡した。そしてこの時茜は、

 

「3倍返しとかは、別にいいです。でもその代わり……私からチョコを貰ったってことを、忘れないでいてくれたら嬉しいです」

 

どこか寂しげにそう付け加えた。月守が茜のこの一言の本当の意味を理解するのは、桜舞い散る季節になって那須隊の形が変わってからになるのだが、それはまた別の話。

 

*** *** ***

 

 ひとまず貰ったチョコをどうにかしよう、と考えた月守は一度作戦室に戻り、一旦チョコを保管する事にした。

 

 月守が作戦室に入ると、オペレーター席に座る真香がいた。

 

「あ、真香ちゃんお疲れさま」

 

「お疲れさまです、月守先輩」

 

 挨拶を交わしたところで、早速真香は月守が持つチョコについて問いかけた。

 

「チョコ、貰ったんですね」

 

「ああ、うん。一緒に防衛任務に出た照屋と茜ちゃんと、オペレートしてくれた仁礼ちゃん先輩から」

 

「なるほど。……って、仁礼ちゃん先輩?」

 

なんですか、その呼び方?と言いたげな顔をした真香の意図を察して、月守は苦笑いしながら答える。

 

「前に、そうやって呼ぶように、って何回もしつこく言われたから」

 

「ああ〜……なら納得です。……それにしても……なんとなく、どれが誰のやつなのかわかりますね」

 

外見から送り主の予想を始めるのが真香らしいと思いながら、月守は作戦室に置きっぱなしだった自分のリュックの近くに3つの小包を置いた。

 

 真香は手元にあったスマホに文字を打ち込みながら、月守に話しかける。

 

「月守先輩、私からのチョコはそこの冷蔵庫の中にあるので、食べる時か持ち帰る時に取り出してくださいね」

 

「冷蔵庫の中ね」

 

言われて月守が冷蔵庫を開けると、そこには普段なら入っていない3つの小箱があった。

 

「この箱のやつ?」

 

「はい。中身はチョコケーキです」

 

「え、本当? どこのやつ?」

 

 市内のお菓子処を大体網羅している程度には甘味好きな月守が尋ねると、

 

「どこのかと言われたら……まあ、強いて言うなら和水家ですね」

 

しれっと、真香はそう答えた。

 

「……」

 

答えを聞いた月守は数秒の沈黙を経てゆっくりと冷蔵庫を閉じてから、

 

「……え? 手作りってこと?」

 

念のため、と言わんばかりに確認すると、

 

「そうですよ?」

 

またもや和水はしれっと答えた。

 

 おいおいケーキを手作りとかマジか、と月守は戦慄し、尊敬の目を真香に向けた。

 

「真香ちゃんが料理得意なの知ってたけど、ケーキまで作れるの?」

 

「はい。慣れると案外いけますよ?」

 

「えー……それでもすごくない?」

 

尊敬の目を向けられた真香は照れ臭そうにはにかみながら、ケーキを作った経緯を口にした。

 

「……本当はケーキ作るつもりじゃ無かったんですけど……、ちょっと訳あって、大人気なく本気でケーキ作りました」

 

 真香の説明に違和感を覚えた月守は、首を傾げてから、その心を尋ねる。

 

「どういうこと?」

 

「んー、そうですね……。月守先輩は、太刀川さんの戦闘の持論、知ってますよね? この前のランク戦の解説で言ってたんですけど……」

 

「知ってるよ。気持ちの強さは勝敗に関係ないってやつだよね?」

 

 太刀川の持論とは、『気持ちの強さは勝負の結果に関係ない』というものだ。

 勝負を決めるのはあくまで戦力と戦術、そして運であり、よほど実力が拮抗した場合じゃなければ勝敗に気持ちの強さは関係ない。

 彼の持論はひどく現実的であるが、それ故に、『気持ちの強さで勝負が決まるなら、負けた方の気持ちはショボかったのか?』という最後に彼が語る注釈にも、この上ない説得力が出る。

 

 ボーダーに入った頃から太刀川を知る月守は以前にも何度かその持論は聞いたことがあり、月守自身もその通りだと感じて納得しているものだ。

 

「でも、その持論とケーキを作ることは何の関係があるの?」

 

しかし月守の中でその持論とケーキは結びつかず、真香に真意を尋ねた。すると真香は、クスッと小さく笑ってから、月守の質問に答えた。

 

「同じことですよ」

 

優しく穏やかで、諭すような声色で真香は言葉を紡ぐ。

 

「いくら作ったものが綺麗で整って美味しくても、そこに気持ちが込められてるとは限らないんです。不恰好でも少し失敗したとしても、そこに込められた気持ちはまた別なんだよって事を教えるために、私は大人気なく本気でケーキを作りました」

 

 それは昨日……今日(本番)に向けてお菓子を作る際に、先生(真香)生徒(天音)に対して送った最後の教えであり、激励であった。

 

 だが実のところ、天音は真香のその教えが本当に正しいのかを、まだ知らない。その教えの答え合わせは、まだこれからなのだ。

 

 そして天音がこの教えをすんなりと受け入れることが出来ていないように、月守もまた真香が今話した持論を理解しかねていた。

 

「えーと……ごめん、真香ちゃん。それってどういう事?」

 

月守にしてみれば、天音たちがこの2日間集まってお菓子作りに励んでいたことを知らないため、理解できないのは無理もない。真香とてその事は分かっているのだが……、

 

「……月守先輩は、アレです。何作かギャルゲーをしてください。ゲームでもいいので、そういう気持ちの概念を理解した方がいいと思います」

 

「なんで!?」

 

 どことなくトボけた答えを返す月守にイラッとして、笑顔のまま背後に不穏なオーラを漂わせながらギャルゲーを勧めた。

 

「いいから遊ぶべきです。チョイスは私がしますので。キュンキュンしてのたうち回るようなゲーム選びますから……あ、月守先輩はこんな女の子攻略したい、みたいな希望ありますか?やっぱり黒髪ショートの大人しめな後輩キャラがいいですか?」

 

「いや、やらないよ!? なんで遊ぶのがもう確定してるの!?」

 

真香の真剣かつ、ただならない態度に気圧された月守が、このままだと有無を言わされずにギャルゲーを渡されると確信した、その瞬間、

 

『ピンポンパンポーン』

 

ボーダー本部内に館内放送を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 普段あまり使われない館内放送であるため、真香と月守はおふざけを一旦中止して、放送に耳を傾けた。

 

『本部長の忍田だ。本部内にいる全ての者に通達する』

 

声の主は忍田であり、声色が真剣そのものであったため、2人はこの放送がただ事でない事を悟った。

 

『今日は日にちが日にちだけに、チョコレートを始めとしてお菓子を贈り合うだろう。それ自体は、ボーダーでは何ら禁止しない』

 

バレンタインという単語を使わないあたりがなんとも忍田さんらしいと思いながら、月守は次の言葉を待つ。

 

『しかし、1つ警戒してほしいことがある。……本日の昼過ぎより、本部内に無数のウイスキーボンボンが出回っている。一口サイズで丁寧に包装されているため、つい食べたくなってしまうと思うが、このウイスキーボンボンからは、目を疑うような異常なアルコール度数が検出されている』

 

異常なアルコール度数のウイスキーボンボン、というワードを聞き、月守の中で嫌な予感が一気に膨れあがった。

 

『不思議な事にアルコールの臭いはそこまでしない。油断して飲み込んでしまうだろう。しかし酒に自信がある大人ですら、数個食べれば酔いかねない危険な代物だ。未成年者は絶対に口にしないように。出所が分からないお菓子は、特に警戒してほしい。もし仮に口にしてしまった場合は、自隊の作戦室など隔離できる環境に周りの者が速やかに押し込むようにすること』

 

本当にそれはウイスキーボンボンなのか? 新手の劇薬じゃないのか? と月守は心の中でツッコミを入れながら、これを作ったであろう人物を思い浮かべる。

 

(十中八九あの人だろうけど……何かの手違いであってほしい……)

 

しかし、月守のその淡い願いは、

 

『最後に……、このウイスキーボンボンを作ったであろう女性エンジニア……もとい、不知火開発室副室長は本部内に未だ潜伏しているものと思われる。見つけ次第、私に連絡を入れるように。以上』

 

 忍田が最後の最後に付け加えた放送にて、完全に潰えた。放送が終わると、同時、

 

「ああああ!!もう!!あの自称25歳児は何してるだよ!!」

 

 月守は不知火が酒に酔った時にたまに言う『ワタシ? 25歳児!』という言葉を抜粋して、不知火への怒りを叫んだ。

 

「月守先輩、落ち着いてください」

 

真香に思わずと言った様子で諌められ、月守は落ち着くために数回深呼吸を取った。

 

「……落ち着きました?」

 

「まあ、なんとか。ありがとね」

 

落ち着けたと言う月守だが、状況は好転したわけではない。本部内にウイスキーボンボンに擬態した劇薬が蔓延る状態は非常に危険であるため、なんとかするべく月守は動く。

 

「真香ちゃん、俺はとりあえず本部内に隠れてるっていうあの人を探すから……手伝ってくれる?」

 

「もちろんです。月守先輩の方が不知火さんの性格とか行動パターンを知ってると思うので、先輩は不知火さんの捜索をメインでやった方がいいと思います。私はオペレーターとかスナイパーの連絡網に働きかけて、お菓子の回収をメインでやります」

 

「そうだね、その方向で。あ、一回司令室の方見てきてもらえる? 忍田さん側でも探すと思うから、そっちの動きも知りたいし、協力できたら早く見つけられそうだからさ」

 

「わかりました!」

 

 素早く意思疎通を果たした2人は、一分一秒を争うように作戦室から飛び出した。

 

 

 

 かくして、後にボーダーで語り継がれる『悪魔のウイスキーボンボン事件』はこうして幕を開けた。




ここから後書きです。

本編100話達成です。達成したから何、というわけではないのですが、亀のような歩みながらも完結という形に向かって歩けてると実感しました。

最近ポケモン剣盾やってます。頭の中で地木隊で遊ばせてみたところ、彩笑はイーブイシリーズ育ててニコニコ、月守は真面目にパーティ作り、天音は生まれ持っての豪運で色違いポケモンを引きまくる、真香はガチで厳選・育成するも国近先輩にボコボコにされる、という感じになりました。なお、不知火さんは「ワタシのミュウツーが……」と、相棒がリストラされた事を嘆いてます(伝説枠以外の相棒はラプラスだそうです)。

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