ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

108 / 121
前書きです。
夏の間に夏らしい番外編を……と考えていたのですが、なんか気づけば夏が過ぎたので普通に本編更新します。最近の夏は恐ろしく早いようで、私は見逃してしまったようです。


第98話「怖いけど甘い子」

 ボフン!

 

 勢いよくベイルアウト用マットに叩きつけられた彩笑は、軽やかに身体を起こした。

 

「これさー、もうちょい優しく落として欲しいなー。玲ちゃん先輩とか、絶対辛いでしょ」

 

相方である月守と同じ文句を言いながら、彩笑はディスプレイに目線を向けて、戦況を確認する。

 

「なんとかイコさんは相打ちに持っていけたけど……、村上先輩残ってるのは辛いなぁ。ゆまちに駿、がんばれ」

 

呟いた後、彩笑は太刀川と迅との戦闘も確認したが、楽しそうに戦う2人の姿を見て、あれこれ考えるのはヤボだなと思い、視線を逸らした。そして、遊真と緑川に口止め用のココアを買うために一旦ブースから出た。

 

 ホールでは多くの訓練生の目が、戦いを映しているモニターに集まっていて、ブースから出てきた彩笑は誰にも気付かれることなく、自販機へと向かう。すると、途中で、

 

「あ、カゲさん見っけ」

 

後から来る、と村上に連絡を入れていた影浦雅人を見つけた。

 

「カゲさんカゲさん」

 

「あ?地木か?」

 

ソファに座っていた影浦の隣に彩笑はちょこんと座り、幼子のような無垢な笑顔を見せた。

 

「カゲさんも来てたなら参加すればよかったのにー。そしたらみんなと戦えたよ?」

 

純粋な好意と疑問をぶつけてくる彩笑に対して、影浦は口元に当てていたマスクを取って答える。

 

「オレはここに来てから鋼に連絡入れたっつの」

 

「ありゃ?村上先輩、気づかなかったのかな?」

 

足をプラプラさせながら話す彩笑に、影浦はモニターを見ながら質問した。

 

「おい地木。あの、白い頭の奴は誰だ?見ない顔だから新人だろうが、やたら動きがいいな」

 

「ゆまちだよ?カゲさんとボクが、次のランク戦で戦うチームのエース」

 

「……ああ、玉狛の『クガ』って奴か。んだよ、鋼と荒船はあんなのにやられたのか」

 

「ボクもやられちゃったよ?」

 

「マジか」

 

「ついでに駿と……あとイコさんも!」

 

多くの正隊員が空閑に負けているという事実を彩笑から聞かされた影浦は、真剣みを増した目でモニターを見る。

 

「ほお……。最初、鋼と荒船が負けたって聞いた時はゲラゲラ笑ったもんだが、実際の動きを見ると笑えねえな」

 

「でっしょー?カゲさん、早速手合わせしたくなっちゃったんじゃない?」

 

ニヤニヤとしながら彩笑が少し態勢を下げて見上げるようにしながら尋ねると、影浦はニヤリと好戦的な笑みをこぼした。

 

「はっ!新人の情報収集に付き合ってやる義理はねーよ。それに、どうせ初めてバトるなら、ランク戦本番の方が燃えるだろうがよ」

 

「あー、そういう考えもアリだねー。美味しいものは後で食べる的な!ボクは先に食べちゃうけど!」

 

 笑みを崩さない彩笑を前にして、影浦は素直に、疑問をぶつけた。

 

「……むしろ、オレからすればランク戦直前に敵に情報出してるお前の方が理解できねーな。不利になるとか、少しは考えねえのかよ」

 

「あはは、やだなーカゲさん」

 

棘がありつつも偽りの無い本音を受けて、彩笑は一層楽しそうに笑い、

 

「ボクだって、ゆまちに手の内全部見せてるわけじゃないよ?」

 

影浦同様に、本音を少しだけ吐露した。彩笑の言葉を聞いた瞬間、影浦の背中に悪寒が走った。

 

「……っ」

 

感情受信のサイドエフェクトを持ってして受信した彩笑の感情を、影浦はなんとか言語化しようとする。

 

(冷たさ……、闘志……、値踏み……、色んなものがゴチャっと混ざってるが、それのどれもが、今のコイツを表すには足りねえ。例えるなら……氷で出来た獣に舐められたみてえな……)

 

 言葉を消して思考を巡らせる影浦だが、無言になった彼に、彩笑はキョトンとした表情で声をかけた。

 

「カーゲさーん?起きてるー?」

 

呼ばれたことで意識を無理やり戻した影浦は、何もないように取り繕ってその声に答える。

 

「あ?授業中のオメーじゃあるまいし、起きてるっつの」

 

「ちょっ、カゲさんその言い方ヒドくない!?っていうか、誰からそれ聞いたの!?」

 

「月守以外にいねーだろ」

 

「あいつめっ!」

 

ガルルル、と、警戒する小型犬のような反応を彩笑は見せた。実のところ影浦が今言ったことは咄嗟に出た嘘だったのだが、すんなりそれを真実だと受け入れた彩笑を見て、月守は日頃からそういう奴なんだろうなと、影浦は密かに思った。

 

 彩笑が月守にどうお仕置きしようか考えていると、周囲のギャラリーが大きく騒ついた。

 

「戦況が動いたな。米屋、緑川、あとクガがほぼ同時にベイルアウトか」

 

モニターを見ながら話す影浦に倣い、彩笑も同じものを見ながら言葉を紡ぐ。

 

「だねー。でも残った村上先輩もダメージ大っきいし……、このままベイルアウトして、太刀川さん達に勝ち負け委ねちゃうのがいいんじゃないかな」

 

「だろうな。……、お。とか言ってたら鋼のやつ自分からベイルアウトしたぞ」

 

「やった!ボクの予想当たり!」

 

ニコニコと、まるで無邪気な子供のように彩笑は笑う。

 

 さっき一瞬だけ見せた様子とはうって変わった彩笑を見て、影浦はどっちの彩笑が本当の彩笑なのかと、困惑した。

 

 いつでも笑顔で周りを無条件で元気にしてしまうような不思議な魅力がある彩笑の姿が演技であるとは影浦は思っていない。同時に、それが全てではない無い、とも思っている。しかし、それを意図して隠しているかと言われると、それもまた違うような気もしている。

 

 人の気持ちの機微を見抜ける影浦でも……、いや、気持ちの機微を見抜ける影浦だからこそ、地木彩笑が得体の知れない何かがあることに気付いていた。

 

 正体を探るような思考に没頭して再度沈黙してしまった影浦を不思議がり、彩笑は首を傾げた。

 

「カゲさん、大丈夫?さっきからなんか、難しい顔して悩んでるみたいだけど……」

 

お前のせいだろ、と言いかけて影浦は口をつぐみ、考えていたことを誤魔化すように、外していたマスクを再び口にかけた。

 

「あ?そりゃあ、あれだろ。あのクガって奴をどうやって倒すか考えてんだよ」

 

「えー?カゲさんもボクと同じであんまし深く考えて戦うタイプじゃないんだし、考え過ぎたら逆に上手くいかなくなるんじゃない?」

 

「おい地木、今さらっとバカにしたな?」

 

「シテナイヨー?」

 

にしし、と白い歯を見せながら悪戯っ子のように笑った彩笑は、上体で軽く反動をつけてぴょこんとした動きで席を立った。

 

「どっか行くのか?」

 

「うん。ココア買ってブースに戻って、またランク戦!」

 

「そうか。おい、もし試合の間に一息つくようなら、鋼にオレが来てるって言っといてくれ」

 

「わかりました!ちゃんと伝えておきまーす!」

 

 変わらぬ笑顔で「カゲさんバイバーイ」と言った彩笑は、元々の目的地である自販機めがけて歩き始めた。

 

 その後ろ姿を見ながら、影浦は右足をあげて左膝の上に置いて足を組み、小さく短いため息を吐いた。

 

(ったく……相変わらず地木のやつと話すと調子狂うぜ……)

 

 お世辞にも、誰からも親しみやすいとは言えない影浦にとって、彩笑は全く自分に怖がらずに接してくる後輩女子であり、影浦にとって珍しく存在だった。苦手なわけではないが、他に同じように接してくる人が少ないため、影浦は度々彩笑の対処に戸惑うことがあった。

 ただそれは決して不快な戸惑いではなく、むしろどこか楽しさが伴った不思議な感覚であった。

 

 その楽しさにつられて影浦は機嫌を良くして、自然にマスク越しで笑っていた。

 

 どちらかと言えば珍しく機嫌が良い影浦であったが、その背後……声を潜めれば会話が聞き取れないほどの距離を取った所に、彼を下に見る目で会話する2人の訓練生の姿があった。

 

*** *** ***

 

 上位ランカーが参加するランク戦で盛り上がっていた頃、スナイパー用の訓練室では、

 

「……」

 

 出穂がこの上なく真剣な眼差しでイーグレットを構えて、的に狙いを定めていた。その後ろから、

 

「はい、もうちょい右。もっと、もっと右だ」

 

当真がアドバイスをしているが、彼の隣に立つ真香は、

 

「いやいや、ちょと左、左だよ〜」

 

ニッコリと楽しそうに笑いながら、当真と真逆の指示を出していた。

 

「右だろ?」

 

「左ですー」

 

右、左、と交互に言い合う2人に、焦らされ続けた出穂がとうとう痺れを切らした。

 

「あー!どっちなんすかもう!」

 

プンプンと怒る出穂だが、2人はどこ吹く風と言わんばかりに、涼しい表情で答える。

 

「おいおい。師匠の座を引き継いだ俺だぜ?信じるなら俺の方だろ?」

 

「そうだよ出穂ちゃん。当真先輩が師匠になったんだから、当真先輩の言うこと聞かなきゃダメだよ?師匠の座から降りた私の言うことなんて聞かなくていいんだよ?私の言うこと聞いてくれなくても、私全然悲しくなんてないんだからね?」

 

「いやそれ、和水師匠絶対気にしてるやつですよね!?」

 

「んー、どーだろーねー?」

 

ニコニコと楽しそうに、真香は出穂の指摘を受け流すように答えた。

 

 先輩2人にいじられる出穂を、少し離れた席で千佳とユズルの2人が見ていた。

 

「うーん……ユズルくんはどっちだと思う?」

 

「右かな。的を見れば分かるけど、夏目の狙撃はちょっと右に寄ってるし……。でも、構え方に姿勢自体は悪くないから、一回コツというか感覚を掴めば一気に伸びるど思うよ」

 

「へぇ……ユズルくんすごいね、見ただけでそこまでわかるんだね」

 

千佳は素直に感心してその思いを言葉にしたが、あまりに真っ直ぐな褒め言葉を貰ったユズルは照れ臭くなり、

 

「……これくらい、そんな大したことじゃないよ」

 

右手で頰を軽く掻いて、照れ臭さを誤魔化すようにして言った。

 

 その仕草や声の感じからユズルに親しみやすさを覚えた千佳は、ふと、訓練前にユズルが呟いていたことについて尋ねた。

 

「ユズルくん、そういえば……訓練前に和水先輩が怖い人って言ってたけど……あれはどういう意味だったの?」

 

質問に対して少しばかり意外そうな表情を返したユズルだが、視線を真香たちに向けながら、すぐに質問に答え始めた。

 

「どういう意味って……言葉通りだよ。あの人、今でこそ笑ってここにいるけど……一時期は気が狂ったみたいになってた時があって、あれがあの人の本性なのかなって思うと、軽々しく仲良くするのは怖いなってだけ」

 

「気が狂ったみたいに……?」

 

訝しむように首を傾げた千佳を見て、ユズルは彼女がその当時の出来事を知らないのだと判断した。

 

「そう……。まあ、和水先輩からは言わないと思うけど……。でも逆に、質問されたら隠さないで話すとも思うから……自分で聞いてみればいいと思うよ」

 

「そっか……。今度、聞けそうな時があったら和水先輩に聞いてみるね。ユズルくん、教えてくれてありがとう」

 

「……別に、お礼を言われるほどのことじゃないけど……。……どういたしたして」

 

笑顔で感謝の言葉を贈る千佳に戸惑いながらも、ユズルきちんとお礼を言うことができた。

 

 そして、そんな2人のやり取りを、

 

(やーもう甘酸っぱい!千佳ちゃんはともかく、絵馬くんは初々しくて良きかな良きかな!)

 

真香は人様にお見せできないようなニヤケ顔で聞いていた。

 

 幸いにも一番近くにいた出穂と当真の目線は訓練場の的に向いていたため、そのニヤケ顔は誰にも見られることはなかった。普段は落ち着きを払う真香だが他人の色恋沙汰に対しては別であり、後輩である千佳とユズルとの会話に混ざったほんの少しの甘酸っぱさに反応し、勉強とランク戦で培った頭脳をフル回転させた。

 

(千佳ちゃんは普通に仲良い男の子として絵馬くんを見てるっぽいけど絵馬くんはそうじゃないよね千佳ちゃんにちょっとドキドキしてる感じするよね絵馬くん良いよ千佳ちゃんの素朴な優しさに惹かれたのかないずれにしても千佳ちゃんにフラグ立てたのはお目が高いよもうちょっと絵馬くんがグイグイ行くようならフォロー入れた方がいいよねいやむしろ入れなきゃダメなんなら今すぐにでもフォロー入るかいやそれは時期尚早まだちょっと様子見してああもうこの甘酸っぱい関係が尊すぎてニヤニヤが止まらな)

 

言語化能力を超える速さで2人の仲を考察する真香は、半ば無意識に表情を隠すために左手を口元に持っていき、途切れ途切れ聴こえてくる2人の会話を解析して考察を続けた。

 

 放っておけば延々とそれを続けていたであろう真香だったが、

 

「あ、真香、いた」

 

 背後から聞き慣れた声で名前を呼ばれた事により、意識を現実へと引き戻した。

 

 振り返るとそこには、獣耳仕様ではない方の隊服を着た天音がいた。いつもと変わらない無表情を浮かべる天音に、真香はなんとかニヤケ顔を抑えて、色恋モードになっていた脳を必死に通常モードに戻してから、柔らかな笑みで呼びかけに答える。

 

「しーちゃん?こんなところまで来てどうしたの?」

 

真香はまず素直に疑問を口にした。ここは何と言ってもスナイパーの訓練室であるため、他のポジションの隊員が来ても面白みはあまりない場所である。せいぜい、凄腕スナイパーの狙撃ぶりを見て、

 

「変態だなぁ……」

 

と、腕前を再確認するくらいしか、旨味はない。疑問を覚えた真香の問いかけに対して、天音は迷わずに答えた。

 

「真香を、捜してた。お願いしたい、こと、あったから……」

 

「お願いしたいこと?何々?」

 

 果たしてどんな頼み事なのだろうかと、真香は小首を傾げながら予想を立て始めた。

 

(来月は受験だし、それ関連の頼み事……は無いよね。しーちゃんが自発的に学校の勉強をするわけないし……。となるとランク戦関係かな?次の試合に向けた調整を今からしたいとか、かな)

 

そしてものの数秒でランク戦に関する頼み事だと予想を立てた真香に、天音はどこか落ち着かない態度を見せた。

 

 あたりを憚るように視線を左右に揺らしてから、その僅かに碧みがかった黒い瞳で真香を不安げに見つめる。天音はそれからほんの少しだけ躊躇い、そして意を決したように小さく呼吸を取ってから、

 

「その……今週の金曜日……14日、だから……。……美味しいチョコ、用意したい、ん、だけど……」

 

顔をほんのりと赤くさせながら()()()()()()、藁にもすがる思いで真香に頼み事をした。

 

 天音は要件の核となるワードこそ言わなかったが、「14日」と「チョコ」という言葉と、困っていながらも照れ臭そうにする天音を見て、十分すぎるほど要件を把握し、

 

「オッケー!そういうことなら私に任せて!」

 

先程頑張って沈めた色恋モードを全開にさせて、親友の頼みを引き受けたのであった。

 

*** *** ***

 

「コーコアココア♪コッコアココアー♪コッコッアコーコア♪」

 

自販機でちゃんと遊真と緑川へのココアを買えた彩笑は両手に1つずつココアを持ち、ご機嫌になりながらブースへと戻っていこうとしていた。

 

 ホールの大きなモニターを見る分には試合の決着が着いたようで、太刀川がボロボロの身体でありながらも弧月を空に向けて突き立てて、勝利の雄叫びのようなものを叫んでいる姿が映っていた。

 

「あはは、太刀川さん子供みたいに喜んでる」

 

呆れつつも羨ましく思いながら彩笑は呟いたが、その直後、さっきまで仲良く話していた影浦の姿が視界に入った。椅子に踏ん反り返るように座る影浦が何やら不機嫌そうに訓練生2人に何か言っている様子を見て、彩笑は、

 

(あー……あの子たち、カゲさんのサイドエフェクト知らないで、軽はずみに悪口でも言ったんだろうなぁ……。噂に踊らされて色々言っちゃうタイプの子、カゲさんめっちゃ嫌うタイプだから……多分それ方面の悪口だ)

 

大体なんとなく状況を察した。

 

 実際に状況は彩笑の察した通りである。彩笑が席を立った後に2人の訓練生が、過去の暴力沙汰で影浦がソロポイントを没収された件を小馬鹿にするような話をして、影浦が『感情受信体質』のサイドエフェクトにてそれを察知し、ついつい彼らを呼び止め、そこを彩笑が目撃した状態だった。

 

 似たような事は以前にも何度かあったので、それらの経験も幸いして、彩笑はそれなりに的を射た予想を立てていた。ココアを持ちながらテクテクと歩く彩笑は、

 

(カゲさんうっかり怒らないかな……?)

 

影浦がカッとなって手を出してしまわないかハラハラしていたが、幸いにも影浦はすぐに何かを言いながら手を払って追い出す動作を見せたので、彩笑はひとまず安堵した。

 

 しかし、その安堵もつかの間……、影浦から十分に離れたと判断した2人の訓練生が何やらコソコソとした動きをし始めた。例えるなら……人の悪口を小声で話して嘲笑するような、そんな動きだった。

 

 彼らの動きを見てしまった彩笑は咄嗟に影浦へと視線を向けた。彩笑の視線のピントが影浦に合うのと同時に、

 

「……おい、おめーら」

 

影浦はマスクをつける仕草をしながらゆっくりと立ち上がろうとしていた。特別大きな声ではないが、言葉には突き刺さるほど鋭い敵意が込められたせいか、離れた場所にいる彩笑にも影浦の声は届いた。

 

(ああ、これはマズイやつ!)

 

声を聞いた瞬間にそう思った彩笑は、無意識に両手の缶を上に放り投げ、空いた手を迷わずポケットに伸ばした。

 

「やっぱ待て」

「トリガーオン」

 

言葉を重ねながらトリオン体に換装した彩笑は、迷わずメインとサブにセットしたスコーピオンを展開した。

 

「「はい?」」

 

2人の訓練生が訝しみながらも振り返る寸前、影浦と彩笑の手が一瞬煌めく。

 

そして訓練生が振り返った、その瞬間、影浦と彩笑の手が鋭く動き、ホール内でブレードが壊れる甲高い音が響き渡った。

 

「は?」

「え?」

 

当事者である声をかけられた無傷の訓練生や、音に驚き振り向いただけで事情を知らない多くの隊員たちは、何があったのかと騒ついた。

 

 

 

『マンティス』

 

 二本のスコーピオンを繋げるようにして展開する事により、リーチを伸ばして普通の刀身を越える間合いで切りつけることが出来る技であり、影浦が考案して得意としている技である。

 

 影浦はマンティスで2人の訓練生を斬りつけようとしたが、少し離れた場所にいた彩笑が同じくマンティスで対応し、影浦のスコーピオンを真横から叩きつけて訓練生を守ったのであった。

 

 しかし、今このホールでそれを完全に理解しているのは、当事者である影浦と彩笑……そして騒ぎの直前に試合を終えてホールに出てきた村上の3人。そしてマンティスの仕組みは理解できていないものの、彩笑が影浦の妨害をしたという事実を理解しているのは、村上と共にホールに出てきた遊真だけであり、他の隊員には何があったのか分からなかった。

 

 妨害をされた苛立ちから、影浦は彩笑に向けて刺すような目を向けて声を荒げた。

 

「おい地木!テメーこの……っ!」

 

荒々しい声で呼ばれた彩笑だが、それを全く意に介していないと言わんばかりに笑顔を見せて、直前に上に放り投げて落ちてきたココアをキャッチしながら言葉を紡いだ。

 

「あはは!カゲさんどうしたのー?」

 

「どうしたのじゃねえ!テメ、邪魔を……っ!」

 

ワナワナと震えながら話す影浦だが、彩笑は笑顔を絶やさずに答える。

 

「えー?カゲさんボクが()()()()()()()()()ー?ってかそもそも、()()()()()()()()()()()()()()()ー?急に大っきな声出してどうしたの?」

 

疑問形ではあるものの、煽るような雰囲気は微塵もなかった。むしろ声は落ち着いたものであり、影浦はその声と内容、そして彩笑から向けられる感情から、彼女はこの件を何もなかった事にしようとしているのを察した。

 

(チッ……。正直、あのガキ共は腹が立って仕方ねえが……、ここはあのバカに免じて、見逃してやるか……)

 

沸々とした怒りを腹の中に沈めながら、影浦は彩笑の形だけの疑問に答えた。

 

「いや、何でもねぇよ。オレは何もしてねぇし、お前も何もしてねぇな」

 

「でしょでしょ?」

 

影浦が引いてくれたことを安心しながらも喜んだ彩笑は、そのまま小走りで未だにキョトンとしている訓練生の元に駆け寄り、声をかけた。

 

「やあやあ2人とも、こんなところでポヤーっとしてどうしたの?ほらほら、ココアあげるからさ、今すぐ落ち着いた場所に行ってグビっと飲みなよ!美味しいから!」

 

無理やりココアを渡された2人はますますキョトンとしたが、彩笑が優しく2人の背中をトントンと叩いた甲斐もあって、不思議そうな表情を浮かべながらもゆっくりとホールの出口へと向かって行った。

 

 2人が移動していったのを見て安堵した彩笑だったが、その直後に、

 

「あー……ココア買い直さなきゃじゃん……」

 

ココアをまた買いに行く二度手間を背負った事に気付き、しょんぼりとうなだれた。がっかりして重くなった足取りで彩笑は影浦の元に行くと、合流した村上に影浦が何があったのかを一応説明しているところだった。そこへ、

 

「ちき先輩、さっきのってスコーピオンだよね?」

 

遊真が確信を持った目で彩笑に質問をしてきた。

 

「うん、そうだよ。仕組みはね……」

 

鋭い指摘をする遊真を前にして、彩笑は嬉々として質問に答えようとしたが、そのタイミングで彩笑のスマートフォンが着信を告げる音楽を奏でた。相手別に設定してある曲によって真香からの電話だと気付いた彩笑は、

 

「ごめんね、ゆまち。ちょっとだけ待ってね」

 

遊真に申し訳なさそうに謝ってから、素早く電話に出た。

 

「真香ちゃん、どうしたの?何かあったの?」

 

てっきりチーム内での伝達事項か何かだろうと思っていた彩笑だったが、

 

『地木隊長!お赤飯案件発生です!』

 

電話口の真香から、とても嬉しそうな内容と声が返ってきた。予期せぬ内容に軽く驚いて耳を傾ける彩笑に、真香はどことなく興奮した声色で詳細を告げた。

 

『しーちゃんが!14日に向けて!美味しい手作りチョコを用意したいって言ってます!今から材料買いに行って練習しますから!地木隊長も来てください!』

 

「え!?ほんと!?」

 

ガチでお赤飯案件だ!と喜んだ彩笑だったが、珍しく冷静に頭が働き、一応本人確認して真偽を確かめなければ……と思ったが、

 

『ちょっ、真香……!美味しいチョコ、っては、言ったけど、手作りとは、言ってない……!』

 

真香のそばにいたらしく電話口から天音の抗議の声が聞こえたことによって、脳内で彩笑の冷静さを司る部分は消し飛び、残る部分を司る全ての彩笑がお祝いのファンファーレとクラッカーを連発していた。

 

「真香ちゃんオッケー!ボクも今すぐそっちに行く!」

 

そう言って彩笑は電話を切り、スマートフォンを再度ポケットにしまった。そして大人しく質問の答えを待っていてくれた遊真を見て、非常に申し訳ないと感じながら、

 

「ゆまちごめん!」

 

両手を合わせて謝罪の言葉を口にしてから、

 

「えっと……!重大かつ緊急的な事件というか用事が出来たから、ボク今すぐ行かなきゃいけない!質問の続きはまた今度!」

 

目にも留まらぬ速さで振り返って駆け出して、振り返らずにホールを急いで出ていった。

 

 

 

 

 この日、この瞬間を境にして……彩笑と真香と天音の3人はある意味でランク戦以上に熱を捧げたといっても過言ではない、苛烈な数日間を過ごし、決戦の日……2月14日を迎えることになった。




ここから後書きです。

最近とある人のゲーム実況動画を観たんですよ。元々応援してた「とある方」がいたんですけど、「その方」を色んな事情で素直に応援しにくくなって……、今回観たのは「その方」の『対戦相手側』の動画でした。変わってしまった「その方」を『対戦相手側』の人は複雑な思いを抱きながらも、それでも「その方」ならこう考える、こう動く、こう判断する……それを信じ切って戦い抜いた動画で、あれはもはや1つの物語でした。ああ、感動ってこういう事を言うんだな……ってしみじみとなりました。

あと、呟くやつ始めました。まあ、ほぼ呟くことは無いんですけど、ワールドトリガー公式アカウントをフォローしたいがために始めました。

次話は、冬定番の甘いやつです。レシピとかで見る「砂糖適量」「砂糖少々」とかの「適量」「少々」って結局いくらなのか……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。