昨日、友でありライバルである村上鋼に、
「明日ランク戦しないか?会わせたい奴がいるんだ」
と言われて、しぶしぶロビーに来た影浦だが、そこには呼び出した本人の姿は無かった。
『来たぞ。どこにいる?』
村上にメッセージを送るが、返事は来ない。ちっ、と、盛大に舌打ちをして影浦はロビーにあるソファにドカッと勢いよく座った。
影浦のその行動で、ロビーにある大きなモニターを見ていた周囲の訓練生たちが彼に気づき、目線とともにヒソヒソとした声を口にした。
「おい、あれが例の8000点没収の……」
「Aまで行ったのに落ちてきた……」
彼らの声は影浦にまでは届いてないが、どういった意図で話しているかは分かっていた。
『感情受信体質』
他人からの感情を肌で感じとるサイドエフェクトを持つ影浦は、言葉など聞こえなくともその奥にある気持ちをダイレクトで受信するため、下手な言葉で濁ることなく相手の真意を汲み取ることに長けていた。
嘲笑、という言葉が当てはまる感情を、針が刺さるような痛覚で受信した影浦は、ピクリと片眉をあげる。格下に舐められているこの状況は彼の神経をひどく逆撫でし、自然とトリオン体の右手に力が入った。
(……あと一刺し来たら、釘を刺すか……)
影浦がそう心に決めた次の瞬間、
「おい!始まるぞ!」
「おお!マジかよ!」
周囲の訓練生の目がモニターに一斉に向き、興奮を滲ませた声があちこちから上がった。
(あ?こいつら何を……)
周りの反応に首を傾げつつも、影浦は目線を彼らと同じモニターへと向ける。するとそこには、俄かには信じがたいものが表示されていて、
「……どういう状況だ?」
影浦は思わず首を傾げたのであった。
*** *** ***
遡ること十数分前。
彩笑は村上が提案した「お好み焼き無料チャレンジ」に無事失敗した。2タテまではしたが、そこから3連敗を喫した。
「お好み焼きが……」
しょぼんとしながら彩笑がブースに戻ってくると、一足先にランク戦を終えた生駒が、空閑と通信越しで話し込んでいた。
『いやでも、遊真お前ほんまに速いな。寄られたら詰むでこれ』
『どうもどうも。でもいこまさんも凄かったよ。旋空弧月だっけ?あれって、あんなに伸びるの?』
『お、よくぞ聞いてくれたな。あれこそが俺にしか出来ん唯一無二の必殺技や』
彩笑は2人の会話をBGM代わりにしながらスコアを見ると、3ー2で遊真の勝ちとなっていて、その上遊真は初戦を取っていた。
(ゆまちって、初見には特に強いよね。やっぱり、経験値の積み重ねがボクたちより多いんだろうなぁ……)
実戦に勝る経験はないのかなと彩笑が考えていると、ブースの通信に割り込みが入った。
『面白そうなことやってんじゃん』
『おれたちも混ざっていい?』
声のみでそれが誰だか分かった彩笑は、プレゼントを貰った子供のような笑顔を見せた。
『米やん先輩に駿!いらっしゃーい!』
『うお。地木ちゃん相変わらず元気いいな』
底抜けに明るい声で挨拶された米屋は苦笑しながら言葉を返し、それに緑川が続く。
『これって、みんなで個人戦回してる感じ?だったらこの前、遊真先輩と地木先輩と約束したから戦っていい?』
『いいね!ゆまち、どうする?』
『ちき先輩にお任せします』
『あはは、ありがと!じゃあ駿、ボクと戦おーよ!』
『オッケー!』
対戦が決まった2人は手早くステージを決定し、早速ランク戦を始めた。
『よっしゃ。じゃあ白チビ、今日こそやろーぜ!』
『お、いいよ。やっとよーすけ先輩と戦えるね』
彩笑と緑川に続き以前から対戦願望があった米屋と遊真がマッチアップすると、
『じゃあ、残った俺たちも戦いますか』
『せやな。今日は負けへんで』
必然と、残った村上と生駒の対戦が決まった。
ほぼ同時に始まった3つの対戦は、ランク戦ロビーにあるモニターへと表示され、広場でたむろしていた訓練生や正隊員の目が、一斉に画面へと集まった。
ボーダー屈指のスピードスター同士の対決。
A級アタッカーと有望ルーキー。
ボーダーに数人しかいないソロポイント1万点越えのランカー同士の一騎討ち。
見逃すには勿体なさすぎる対戦カードを前にしてロビーのボルテージが上がる中、
「はは、まるで祭りだな……。どれ、俺も混ざるかな」
黒コートを纏った1人のアタッカーが顎髭をさすりながら、とても楽しそうな表情でそう呟いた。
組み合わせを変えながら対戦を何度か回したところで、再び彼らの通信回線に割り込む声があった。
『随分楽しそうだな。俺も混ぜてくれよ』
落ち着いたトーンの奥に嬉々とした色を潜めた声を聞き、彼らは一瞬驚く。そんな中、彩笑がいち早く笑顔でその声に応えた。
『うわっ!太刀川さんまで来ちゃった!』
『なんだよ地木。俺が来ちゃいけなかったか?』
『いーえいえ!大歓迎です!Welcome to the fest'!』
『地木、日本語で頼む』
『これくらい分かるでしょ!』
簡単でしょー!と彩笑はテンション高く言う。
彩笑の明るさと太刀川のマイペースな会話で空気が和む中、1人、遊真だけが首を傾げていた。
『うーん……おかしい』
『ん?どうした空閑?』
遊真の呟きに気付いた村上が声をかけると、遊真が心底不思議そうな声色で答えた。
『たちかわさんが来てからモニターの表示が、少しおかしくなった。オサムは機械がおかしくなることを「バグ」って言ってたけど、これってそうなの?』
『おかしいって……、どんな風になってる?』
遊真の異変に全員が気づき、どうしたどうしたと口々に言いながら状況の説明を待った。
すると遊真はおもむろに、
『んっと……、たちかわさんのポイントだけ、すごく高い。4位のむらかみ先輩と比べても、3万点くらい高いんだけど……、やっぱりバグか?』
太刀川がいるブースに表示されている45461というソロポイントを見て、それをバグだと言った。
遊真の言わんとすることを理解した、瞬間。
『あっはははは!!』
彩笑は思わずと言った様子で笑ってしまった。
『え?どうしたの?』
いきなり響き渡った彩笑の笑い声に戸惑う遊真に、彩笑が「あーおかし!笑いすぎてお腹痛い!」と言ってから答えた。
『ゆまち!それ、太刀川さんの本当のソロポイントだから!バグじゃないから安心して!』
『バグじゃないのか……』
畏敬の念を込めて遊真はそのポイントをじっと、見ていた。
なかなか収まらない笑い声に、太刀川は苦笑しながら反論した。
『笑いすぎだろ』
『あはは!ごめんなさーい!』
『地木、お前……その謝り方だと絶対反省してないだろ』
太刀川は「ったく……」と言いながら、後でランク戦という名のお灸を据えることに決めた。
まだ少し続く笑い声を無視して、太刀川は遊真に話しかけた。
『玉狛の白いの……、空閑遊真、だったな。こうしてちゃんと話すのは初めてだから、一応名乗っとく。太刀川慶だ、よろしく』
『どうも初めまして、たちかわさん。前の試合、解説してくれたよね』
『そうそう。あの時の空閑はいい動きだったし、何より発想が面白かった。お前とやり合うのはもうちょい先かと思ってたが……、まさかこんなに早く闘えるなんて、嬉しいぞ』
太刀川は言葉に、今自分が感じている楽しさや嬉しさをそのまま乗せて話す。偽らざる本心からの言葉は遊真の嘘を見抜くサイドエフェクトにかからず、遊真は太刀川が心底戦闘を楽しむ人種であることを悟る。
『ん?太刀川さん、ゆまちと戦いたいの?』
『ああ。だめか?』
『んーん!全然良いよ!ただ、1人余るなーって思って』
『奇数だから仕方ないし、1人は休憩ってことでいいだろ』
余る1人をどうするか彩笑が提起した問題に太刀川が無難な答えを提示した瞬間、
『じゃあ、おれが入ろう。そしたら人数はちょうど良くなるでしょ』
太刀川と並ぶ実力者である迅悠一の声が、響いた。
『迅!』
『迅さんっ!』
迅の声に真っ先に太刀川と緑川が反応して、それに続いて、
『ヤバいヤバい!迅さんまで来ちゃったっ!』
『今日はどないなっとんねん』
彩笑と生駒が驚きに満ちた声を出した。
全員の注目を集めた迅は、笑いながらここに来た理由を答えた。
『いやー、今日は本部ですれ違う人みんなの未来がこれに集まってたからな。折角だし、おれもお祭り騒ぎに乗ろうかなと思ってね』
『理由なんてどうでもいい。迅、早速戦おうぜ!』
ソロ一位である自分と互角に戦える数少ないライバルの登場に熱くなった太刀川は、我先にと迅へと試合を申し込む。が、
『太刀川さん抜け駆けはずるいっすよ!オレも迅さんと一戦交えたいんですから!』
太刀川に近い戦闘マニアの米屋がそれに抗議し、
『……太刀川さんと米屋には悪いが、オレも迅さんとは戦ってみたい。まだ一回も対戦したことがないんだ』
静かな声に闘志を滲ませた村上もそこに割って入った。
迅との対戦権を巡る彼らを見て、遊真は感心したように口を開いた。
『迅さんモテモテだね』
『だろ?でもどうせモテるなら女の子にモテたいな』
『モテないの?迅さんならサイドエフェクト使えば、そういうのって難しくないんじゃないの?』
『おれは、そういうことに極力サイドエフェクトを使わない』
『おお、迅さんカッコいいね』
いつにもなく真面目な答えを返した迅に、遊真は心から感心した言葉を返すと、彩笑がいたずら心に満ちた言葉を投げかけた。
『えー?迅さんモテないんだ?じゃあ、ボクがデートしてあげよっか?』
『地木ちゃんが?』
『うん!時間は今からで、場所はここ!ランク戦デートしよ!』
抜け駆けで迅との対戦を希望した彩笑だが、
『オイこら地木!その抜け駆けはずるいぞ!』
太刀川が目ざとくそれに気づいて釘をさすと、彩笑はさして悪びれもせずに、
『ごめんなさーい!』
お祭り会場に来て浮かれる無邪気な子供のような声を返した。
なかなか迅の相手が決まらない中、生駒が折衷案を出した。
『決まらんし、いっそメンバー適当に分けてチームランク戦形式でええんとちゃう?折角こんなメンバーが集まったのに、普通にソロ戦だけって何かもったいないやろ。普段なら出来んことやろうで』
生駒の意見を聞き、他の7人がしばし固まって沈黙が流れた。そして長いようで一瞬だった無音を、彩笑が破った。
『え、イコさんその発想すごくない?天才じゃん』
『せやろ?試合ごとにメンバー入れ替えれば色々なパターンで対戦できるし、めっちゃお得やろ』
『お得やね!』
にしし、と笑いながら関西弁で答えた地木に対して生駒は内心、
『え?この子何なん?あざと可愛すぎるやろ?』
と思ったつもりだったが、
『イッコさーん!心の声が口から出てる!』
彩笑の指摘通り生駒の心の声は綺麗に口から漏れ出た上に通信回線にて全員に聴こえており、
『しもた!』
やってしまったと言わんばかりに、生駒は口を押さえた。
それが素なのか演技なのかはさておき、それを聞いた彼らの間には暖かな笑い声が溢れていた。
和やかなムードに包まれながらも、全員が高レベルの戦闘員ということもあり、チーム分けやルール決めになると途端にスイッチが切り替わった。真剣な表情に見合う真面目さを持ってルール決めをした結果、弧月を主軸にするメンバーで固めた弧月チームことチーム名、
《男なら弧月だろ》
と、スコーピオンをメインとするスコーピオンチーム、
《さいそくよち!》
の2チームに分かれて試合を行うことになった。
チームごとに通信回線を組み直し、それぞれで作戦会議が行われると、彩笑が真っ先に、
『向こうのチームさー、バランス良すぎない?ソロ一位に攻守完璧に最長のリーチに槍だよ?』
ぶー、とむくれながら不満を口にした。傾きかけた彩笑の機嫌を取るように、緑川が「でもでも」と前置きをしてから自チームの優位を挙げた。
『スピードなら確実にこっちでしょ。地木先輩いるし、速さ負けは絶対しないよ』
緑川の意見に、迅が同意する。
『だな。だから、速さでかき回すのを基本戦術にして、あとは臨機応変に行こう。オペレーターがいたらもう少し戦術の幅を広げられるけど、それは向こうも同じだ。各人の機転で試合を動かしていくか』
迅の語る試合予想を聞き、遊真は純粋な疑問として問いかけた。
『こういう時って、迅さんはどれくらい未来が視えてるの?勝ち負けとか、もう分かってたりしないの?』
『うーん……こういう時は、ある程度行き着くだろうなって未来は何個か見えてるから、どっちの勝率が何割くらいは分かってるけど、そこにたどり着くまでの道筋が膨大…って感じだな』
『ふーん……。つまりまだ未来は決まってないんだね』
それが分かればいいや、と、遊真は呟いた。
スピードでかき回すという基本戦術に納得した彩笑だが、そこに彼女は意見を加える。
『最初の動きだけは決めた方がいいと思うなー』
『最初の動きって言っても、向こうの出方次第じゃないの?』
そう緑川が疑問を呈したが、彩笑は悩まず答えを返す。
『向こうの初手は、太刀川さんが迅さんに突っ込んで来るの一択じゃん?』
『『ああ〜』』
遊真と緑川が納得したように声を揃えると、
『うん、それは間違いない。今視えてるどの未来でも、向こうの初手は全部それだ』
迅がサイドエフェクトにて太鼓判を押した。
太刀川さんどれだけ迅さんと戦いたいのか、と遊真が思っていると、彩笑がニヤっと笑んで、
『作戦ってほどじゃないけど……、こういうのはどうかな?』
普段、ランク戦で隊長をしている時の癖で、嬉々として作戦を提案した。
*** *** ***
カウントダウンがゼロになり、2チームによるランク戦が始まった。開幕と同時にレーダーに目を向けた太刀川は、すぐに向こうの動きに気づいた。
『向こうは2人がバッグワームしてるな』
『あー、ホンマですね。誰や?』
『こっちから使ってない2人が視認できました。隠れてるのは空閑と緑川です』
『そっすね。迅さんがマンションっぽい建物の屋上に陣取って、そこから少し離れた東方向の大通りに地木ちゃんが待ち構えてるって感じっすね』
戦場を頭の中に描いた太刀川は全体に指示を出す。
『よし。迅には俺が行く。村上は地木を抑えて、生駒と米屋は俺と村上の中間の位置で待機して、どっちに奇襲が入っても援護できるようにしてくれ』
『村上了解』
『生駒了解』
『米屋了解』
戦況と布陣を共有した4人は、迷わず行動に移る。機動力では向こうが圧倒的に勝っているため、それの差を少しでも減らすためには動き出しの速さで補うしかないと、全員が直感で理解していたからだ。
トン、トン、トン、と、太刀川はサブ側にセットしているグラスホッパーをリズム良く踏みつけて空中を闊歩し、自分がいた場所から、迅がいる建物の屋上めがけて最短距離を翔ける。スナイパーやガンナーなどの射程持ちがいない上に、相手からの奇襲を受けても対処できる自信があるからこそ、太刀川には臆することなく最短で距離を詰める。
「よお、迅」
屋上に降り立った太刀川は迷うことなく左腰の鞘から弧月を抜刀し、構える。
「来ると思ってたよ、太刀川さん」
それに答えながら迅も右手にスコーピオンを展開し、戦闘態勢に入る。
「まさかとは思うが……、この下に緑川や空閑が潜んでて奇襲……なんて、つまらないことはしてこないだろうな?」
「さあ、どうだろうね。不安なら確かめてみたらどうかな?」
勿体ぶりながら迅が促すと、太刀川は「それもそうだな」と呟き、
「旋空弧月」
小さく後方に跳躍すると同時に旋空を放ち、建物ごと切り裂く形で迅へと攻撃した。
「うおっと!」
大げさな声とは裏腹に、迅は余裕を持って太刀川の旋空を躱す。
「なんだ、誰もいないのか」
斬られて露わになった建物の内部に着地した太刀川は、誰もいないことを確認すると、安堵にも似た感情がこもった言葉を吐いた。これで迅との1対1ができると思い、心が緩んだ、その一瞬、
「エスクード」
太刀川を挟み込むような形で、迅がエスクードを展開した。虚をついて生成されたバリケードは太刀川を挟み込んで封じるべく迫りくるが、
「これは甘いだろ」
太刀川はそのエスクードを跳躍して回避し、エスクードの生成が完成したところで着地し、そこを足場にして太刀川は迅との間合いを一気に埋めた。
勢いよく振り下ろされる弧月を迅は体捌きで避け、そのまま反撃に転じる。太刀川はそれを受太刀して防ぐが、迅はそこからスコーピオンの軽さを生かした連続技へと繋げ、太刀川はまたそれを全て防ぐ。少しでも大振りになったり技と技との間に僅かな呼吸を挟めば、互いにそれを見逃さず攻守が切り替わり、一瞬の気の緩みすら許されない斬り合いとなる。
迅は予知で太刀川の動きを先読みし、太刀川は膨大な経験と勘により迅の太刀筋を見切る。余計な思考を挟む間もない高速戦闘は、側から見れば決まった型をなぞっている演舞にも見えた。
幾度となく刃同士がぶつかる音が響き、一際大きな音が鳴ったかと思えば両者は鍔迫り合いへと持ち込んでいた。
ギリギリギリ、と鈍い響きと共に力比べをする2人の表情は笑顔だった。
「やっぱりお前と戦うのは楽しいぞ。ワンセットで死なない奴は久しぶりだ!」
「どーも。おれも、先が視えてるのに攻めきれない相手は随分久しぶり、ですよ!」
強い語気と共に迅は鍔迫り合いによる力比べを抜け出し、フリーにした左手にもう一つのスコーピオンを展開した。
「来たな、2本目!」
それに応えるように太刀川も右腰に差していた弧月を抜刀し、二刀流となって両者は再び合間見える。
笑顔で挑んでくる太刀川を見て、迅は一瞬だけ、試合開始の直前に仲間が言ってくれた言葉を思い出した。
ーとにかく、ボクたちで他の3人、引き受けますよ!ー
ーだから迅さんは、太刀川さんとの戦いを思いっきり楽しんじゃってください!ー
そして、その過去の言葉に対して迅は今、
「ありがとう」
そうお礼を言い、太刀川との戦闘に全神経を集中させた。
かつて頂点を競い、繰り広げられていた名勝負が再現される一方、
「かかりましたね!」
村上と相対した彩笑は笑顔が笑顔で言い放つと、
「悪いね、むらかみ先輩」
「3対1だよ!」
大通りにある建物の影に隠れていた遊真と緑川がバッグワームをまとったまま姿を現し、村上を取り囲んだ。
「おっと、これはキツいかもな」
状況を理解した村上は右に持っていた弧月と左に持っていたレイガストを素早く左右持ち替え、それから仲間に連絡を入れる。
『こっちに空閑と緑川もいます。援護、頼みます』
生駒と米屋からの連絡を聞くより早く、ボーダー最速クラスの3人が同時に動いた。
「「「グラスホッパー」」」
機動力系アタッカーの必須トリガーとも言えるグラスホッパーを展開した3人は、周囲を高速で跳び回って撹乱するような動きを取った。村上は辛うじて視線で黒い影を追いながらも、すぐに悟る。
(1対1なら問題なく対処できるが……、流石に3人同時は、ちょっと厳しいな)
数の上では不利だが、村上はそこまで状況を悲観していない。
理由は2つ。
1つは、この3人はあくまで即席チームであること。アタッカー同士の連携はガンナーやシューターによるものよりシビアであり、質の高い連携にするためには時間を要する。従って即席チームでは出来ることが限られる。
並みの隊員であれば目で追うだけで精一杯の速さで動く影が、動きの軌道を急に変えて村上に迫る。
(地木か)
右手に持ったレイガストをシールドモードに切り替えて、村上は彩笑の一撃を防ぐ。防がれた彩笑は追撃せずに、そのまま村上の間合いを離脱する、と同時に、村上の死角の位置にいた緑川が迫る。
(逆方向から緑川)
死角の警戒を怠らなかった村上はそれにも気づき、スラスターを噴かせて緑川の攻撃に防御を間に合わせる。
「うわっ!」
重さで劣る緑川はスラスターに押されて弾かれるが、
(ここで空閑か?)
その隙を突くように上方から迫ってきた遊真の一撃を村上は左手に待った弧月で防いだ。
「ちっ、防がれた」
遊真は淡々とした言葉の奥に少量の悔しさを滲ませながらも、態勢を立て直した緑川と同じタイミングで一旦下がり、3人は村上の周囲を回る高速機動を再開させた。
相手の出来ることが限られることを知っていた村上は、あらかじめいくつかの予想を立てた。
(3人で攻めてくるとしたら、1人を軸にして2人がサポートに徹する形、タイミングをずらして3人が波状攻撃をしてくる形、自滅覚悟の同時攻撃、これくらいか?)
その予想を前提として、村上は高い集中力を持ってして3人の動きを良く見た。
3人の動きの加速と減速、そのタイミング。
目線や身体の中心の向き。
死角の取り方や誘導の仕方。
それらの違和感を観察して拾い、村上は3人の攻撃を凌いだ。
違和感を拾ったと言っても、それがなぜ攻撃に繋がったのか、村上は完全には理解していない。正確には、直感で理解は出来ているがそれの言語化はまだ出来ていない。何となく攻撃が来る、というのを予想できただけである。
本来なら『なんとなく』という曖昧なものを、違和感として知覚して戦闘に反映させるのは、理論派の村上とは対極にいる彩笑のような感覚派の芸当である。
感覚派たちは『動きを見て』、それ自体に『言い知れない違和感』を覚える。しかし村上の場合は、『動きを見て』それと『記憶の中にある類似したものから最後の攻撃の型が脳に浮かび』、それを『違和感として知覚』していた。
『AだからB、そこからCに繋がる』
というのが感覚派だとすれば、村上は、
『Aの時の答えはCであることが多い、だからBである』
という形だった。
『違和感からフィニッシュの形を予想する』。それを村上は
村上鋼は感覚派との戦いの中で、彼らの領域に全く逆のアプローチでたどり着いた。
守る構えを取る村上は静かに思う。
(理屈は、戦いが終わってからでいい。今はただ、こいつらの攻撃を凌げれば、それでいい)
その場から動かずに守りに徹する構えの村上は、攻撃を凌いでさえいればこの状況を打開出来ると確信していた。その確信の源にあるのは、村上が戦う前に見出した2つ目の理由……普段は敵対し、切磋琢磨して高め合う仲間が、すぐに駆けつけてくれることを信じていたからだ。
「旋空
遠くから、声が響く。ブレードの間合いでは考えられない、40メートル先から、その声は響く。
弧月」
生駒達人が呟いた一言と共に振るわれた神速の一太刀は、まるで写真をカッターで切ったかのように、綺麗に市街地を一文字に斬り裂いた。
『生駒旋空』
通常ならば「旋空」の起動時間は1秒であり、その間弧月の長さは15メートルにまで拡張する。しかし生駒は「旋空」の起動時間を0.2秒まで絞り、そのわずかなタイミングに合わせて高速で弧月を振るい、40メートルという破格のリーチを手に入れていた。
ボーダーでは生駒しか使えないリーチの旋空は、村上の頭上すれすれを通り、高速機動に意識を向けていた緑川と彩笑の手足を胴体から分離させた。
「うっわ!イコさん達来るの早いっ!」
左足首から下を失った彩笑は素早くスコーピオンで傷口を塞ぎ、そのまま形状を変化させて猛禽類のような脚を形成し、村上達から距離を取る。
「あー、地木先輩の読みが外れちゃったね」
緑川もまた切られた右腕を抑えながら彩笑の隣に並び、
「んー、こうなるとこっちが少しキツくなるね」
唯一、生駒旋空に当たらなかった遊真が、2人の少し前に立つ形で、3人は布陣を組んだ。
生駒旋空の間合いからも外れたところで、彩笑は思考を巡らせる。
(さーて、ここから先どうしよっかなぁ……。イコさんいるし、建物で視界切れるの嫌だから、広いとこ行こっかな)
頭数が揃ったことで整った戦況を前にして、彩笑は普段のランク戦で隊長をやっている時のクセが出て、次の手を打つために耳に手を当てて通信機能を起動した。そして、いつものように、
『真香ちゃん、この近くで広い場所ある?』
頼りにしているオペレーターに向けて情報を請求したが、当然、今は真香はいない。しかし彩笑はうっかりそれを忘れ、そのまま言葉を続けるが、
『そこに移動したいんだけ……、ど……』
隣にいた2人がギョッとした目を自分に向けているのを見て、
「………」
彩笑は自分が何をしたのか気づき、羞恥に襲われ、
「……ぅ……、えっと……ごめん。お願いだから、今の、聞かなかったことにしてぇ……」
顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうに視線を下に向けて、2人にお願いした。
もしこれが月守だったなら、
「オッケーオッケー、聞かなかったことにするよ」
と言いながらも胡散臭い笑みか困ったような笑みを見せるところだが、緑川と空閑は、
「ん、分かった!ココア一本で手を打つよ!」
「あ、じゃあ、おれもそれで。ちき先輩って、おっちょこちょいなんだね」
子供相応の笑顔と共にそう言っただけで、彩笑のミスを無かったことにしてくれた。
(あぁーもお!2人ともめっちゃいい子!ココアでいいなら何本も奢る!)
彩笑は心の中でそう叫びながら、2人に向けて、
「ありがと……」
はにかんだ表情でお礼を言った。
一方、彼らの仕草を遠目で見ていた3人はどう攻めるか出方を窺っていた。しかし不意に、生駒が口を開いた。
「……なあ、米屋」
「なんすか?」
「遠目やからハッキリとは見えんけど、あれ、地木ちゃん笑うてへん?」
「いや、それいつものことじゃないすか?」
「いやいや、よう見て?なんか、こう……、恥ずかしがっとるけど笑ってる、みたいな感じ、あるやろ?」
「んー……」
言われて米屋と村上は目を凝らすが、そこまではっきりとは分からなかった。笑っているのは見えたが、それがどんな笑顔なのかまでは識別できなかった。
「ちょっとそこまでは分かんないっすね」
「同じく」
2人の回答を聞き、生駒は「そうか」と残念そうな返事を返した。
なお後日、真相がどうしても気になった生駒は彩笑に直接「あの時何があったん?」と聞くと、彩笑はあたふたした後、その時と全く同じはにかんだ笑顔で、
「ナイショです」
それだけ答えて生駒を悶々とさせ、
「なんで俺の旋空のリーチは40メートルもあるんやぁ!もうちょい短かったら、あの時もうちょい近付けて会話も聞こえたかもしれんやろぉ!」
行き場のない思いを爆発させたのであった。