ガンダムビルドファイターズ Evolution   作:さざなみイルカ

26 / 27
 
 人は、言語で世界を捉える。

 ある時は形有るものに名前をつけ、ある時は形無きものを言葉で表現する。そうすることで、自らの見る世界を創り出すのだ。

 人は、己の使う言語に強く影響を受ける。



 ~言語学者ジョナサン・マクレーンより~



03話-06「数字の翼」

 

 

《⑥》

 

 この世界には、幾多の言語が存在する。英語、中国語、ドイツ語、フランス語、ロシア語……。

 

 友里まどかの身体には、日本人とスウェーデン人、2種類の血が流れている。しかし、彼女が世界を理解するため最初に覚えたのは、日本語ではなく、またスウェーデンの言語でもなかった。

 

 数字である。

 

 物心つき始めた頃、彼女は並べた二つの積み木を見て気が付いた。

 これを半分に分けることができるということを。それなのに、積み木を一つ足して三つにすると、それができなくなる。それは単なる奇数と偶数の違いだが、世に出て3年と少ししか経過していない幼女にとっては、とても新鮮な発見だった。

 さらに色んな数を観察した。

 すると、二等分できるものと、そうでないものがあることに気付く。それどころか、中には三等に分断できる数もある。

 また、四つや九つなら、四方同じ数ので構成された四角ができるのに、多くのではそれがつくれない。

 何故だろう。

 

 まどかは、積み木を抜いたり足したりして、様々な不思議の原因を究明しようとした。

 しかし、幼い子の感じる疑問は、源泉から湧き出る湯水の如し。彼女に解明に導くどころか、さらなる探求の世界に誘っていった。

 

 傍らでは、妹が同じ積み木で倒壊寸前の塔を建てている。それが本来の積み木の遊び方であるはずだが、姉はそんなものに興味を示さなかった。彼女の脳が求めたのは、積み木を介して存在する数の神秘だったのだ。

 

 その日、まどかは陽が暮れても、床に並べた積み木を片付けようとせず、数の観察に没頭していた。

 そんな彼女を見た父親は、彼女に数字と簡単な計算式を教授した。

 

 0、1、2、3、4、5、6、7、8、9――……。

 

 そして、+、-、×、÷、=――……。

 

 自らの関心を奪う数を表す字と、それを扱う計算方法は、彼女にとって乾いた荒野に降り注ぐ恵みの雨だった。教えられた4種類の計算を瞬く間に吸収したまどかは、関心の限りを数式に乗せて算数を楽しんだ。

 

 父親はそれだけに止めるつもりだったのだが、娘が大きな数字を取り扱う計算方法まで求めてきたので、結局その日筆算まで教えることとなった。

 

 彼女は、五十音を全て書けるよりも早く、分数までの計算概念を理解した。

 そしてまどかは、算術の修得によって、身の回りの世界を理解する視野を獲得したのだ。

 

 それは後に、彼女を“天才”としての人生を歩ませるきっかけとなる。

 

 

  ◇    ◆    ◇    ◆

 

 

「ガンプラバトル!」

 

 ほのかの爛漫な掛け声が、バトルスペースに響く。

 

 まどかは、対峙する二人のガンプラファイターをレジカウンターの席から見遣る。妹のガンプラバトルは店長からよく聞いていたが、実際見るのは幼い頃以来だ。

 

 フィールドに選ばれたのは、森。平坦で遮蔽物もないため、もっとも地形効果がないとされるステージだ。

 

「レディィィィィ……」

 

「ゴワス!!」

 

 すでに、お互いのガンプラは粒子ドームに降り立っている。

 妹の対戦相手の機体は、ゲドラフを改造したモビルスーツのようだ。

 

 低い身長に、黄色い身体。両肩に取り付けられたアインラッドらしき環状のパーツと、足の爪先から極端に伸びた鍵爪が特徴的で、手持ちの武器は無い。脚は短いが、肢体は太く、機体自体の重量は軽そうにない。積極的な攻撃よりも、迎撃を得意とするモビルスーツのようだ。

 

 名は、ゲドラフ・ポセイドンというらしい。海神を冠したネーミングだが、まどかはその機体にそんな荘厳さを感じなかった。せいぜい、「太っちょ坊や」といったところだ。

 しかし、嫌いなデザインではなかった。真面目にギリシャ神話の神々を模したロボットなんか出されたら、むしろそっちの方が寒気がする。

 

 間もなく、ポセイドンとフェアリーの間に7文字のアルファベットが表示された。

 

 〈Standby(スタンバイ)――……3!――……2!――……1!GO!!〉

 

 戦いの火蓋が、2つの文字の消失と共に、切られた。

 

「どす恋ビィィィィムッ!!」

 

 ゲドラフの土手っ腹に備え付けられたビーム口から、閃光が吐き出される。とても、太い。カリドゥスのようだ。

 

 ほのかは、軽いステップでそれを(かわ)す。太い光軸は空気を掠め、静かな森に不穏なざわめきをもたらす。小さなオブジェクトの鳥たちが、一斉に飛び立つ。

 

「いっくよー!」

 

 フェアリーは、逃げる鳥たちの中を突っ切り、前に脚を進める。

 

 2発目のビームが、彼女の前に立ちはだかる。木々ごと地面を蹴ったノーベルは、跳躍でそれを回避。

 

 着地と共にビームピストルを抜き、3発返す。

 

「無駄でゴワス!」

 

 右腕のビームシールドで、それらを防ぐドン助。

 

 ほのかは、さらに相手との距離を縮める。フェアリーは、右手に拳銃を持ったまま、別の武器をスカートから取り出した。

 

「えいっ!」

 

 投擲。ビームブーメランだ。

 

 さらに発砲。細い2発の光軸に、その後を追わせる。

 

 しかし、損傷は与えられない。シールドにビームを吸収されたブーメランは、遠心力のバランスを崩しそのまま森に墜落。ピストルから放った光軸も、先刻同様に阻まれてしまった。

 

 その様を見て、まどかはあのゲドラフのビームシールドにアブソーブシステムが備えられていることを看破した。十中八九、変換した粒子を装甲表面に貯めるタイプだろう。

 

 一方、フェアリーとポセイドンの間合いは、接近戦の距離にまで縮まっていた。

 

 ノーベルの本領はここからだ。ほのかも、この間合いに持ち込む為にピストルやブーメランを使っていたのたろう。

 

 銃をホルダーに差したフェアリーは、側転でさらに距離を潰す。

 

 右手からの、手刀。

 

 ゲドラフの太い左腕がそれを阻む。

 

 間髪入れず、ノーベルは反対の腕で正拳突きを放つ。それも掌で受けとめられた。

 

 すると、状況はドン助に傾いた。両手を広げた状態で、敵と密着してしまったのだ。

 

「あっ!」

 

 正面には、カリドゥスの発射口。

 

 咄嗟に森を蹴り、自らの身体を跳ね上げるノーベル。間一髪、ビームの閃光を躱すことに成功した。

 

 格闘戦はまだまだ続く。

 

 着地したフェアリーは、拳打や掌底、蹴り、肘鉄、手甲など、様々な技を組み合わせて攻めた。

 

 しかし、ポセイドンの鉄壁の防御は、それらを決して通さない。最小の腕の動きで、全ての攻撃を捌いてしまったのだ。

 

 そして、一発の張り手が、フェアリーの懐に入る。

 

「きゃっ!」

 

 衝撃が妖精の身体を襲い、2歩3歩よろめき後退する。

 

 一瞬、ほのかは気をとられていた。彼の安閑な雰囲気と、その反射神経のギャップに驚かされたのだ。

 

 さらにポセイドンは、スラスターを噴射させて体当たり。たじろいでいた相手をそのまま空に撥ね飛ばした。

 

 ノーベルの身体が森に落ちる。驚いた鳥たちが再び空に逃げていった。

 

「あちゃー、喰らっちゃった」

 

 ノーベルの身体を起こしつつ、ほのかは指で頬を掻く。体当たりと張り手によるダメージはそれほど大きくない。

 

「ドン君、意外と反応早いんだね。ビックリしちゃった」

 

「恐縮でゴワス。しかし、ノーベルの攻撃を防げたのは一重に、相性の差でゴワス」

 

「相性?」

 

「左様。おいどんのポセイドンはそちらの機体よりウェイトが重く、力もある。防御性能に特化している故、軽い射撃攻撃も簡単に防げるでゴワス」

 

 彼の言う通りだった。

 

 軽量体を活かした運動性能が持ち味のフェアリーノーベルにとって、彼のゲドラフは最も苦手とするタイプの敵だ。破壊力に優れた武器を備えているわけでもないので、堅固な相手に対しては苦戦を強いられざるを得ない。

 

 このガンプラバトル、機体の特性という点において、ほのかが圧倒的に不利だった。

 

 

  ◇    ◆    ◇    ◆

 

 

 

 友里まどかは、数字によって自分の身の回りの世界を理解し始めた。

 

 本来子供は、言語能力の発達によってそれを成していく。散文的な言葉を、やがて体系的に扱えるようになるまでの過程で、自分の内外を認識していくのだ。

 まどかはそれを、数学的算術能力によって成した。それは彼女に高度な合理的思考能力を養わせ、一種の天才にまで仕立てあげたものの、弊害もあった。

 

 会話をはじめとする社会的コミュニケーション能力の発達が、同世代の子供より遅れたのだ。

 

 本来、数字には物事の理解を深める力はあっても、人と人を繋げることはできない。数字は、言語ではないのだ。

 

 必然、同い年の妹や他の子供と話す時、齟齬(そご)が生じる。自分の感情を表現したり、他人の気持ちを理解したりする術を持ち得なかったので、まどかは次第に孤立していった。しかも、大好きな計算は一人でもできるので、彼女は余計に自分の殻に籠ってしまう。

 

 

 4才のある日。こんなことが起こった。

 

 まどかがいつものように、紙に様々な計算式を書いているところに、妹がやってきた。

 

「ねぇ、まどかー。あそぼー」

 

 無視した。

 

 この当時から、まどかはほのかのことが嫌いだった。自分の気持ちを上手く表現できない姉に対し、妹は人当たりよく、両親をはじめ周囲の大人や近所の同年代の子からも好かれていた。

 同じ時に生まれ、同じ年月を歩み、同じ顔を持っているのに、彼女は自分が持ち得ないものを持っている。それが、まどかには何よりも気に入らなかった。

 

「ねー、あそぼー」

 

 ひたすら机に向かうまどかの両肩を掴み、前へ後ろへ揺らすほのか。

 

 「やめて」と言えばいいのだが、当時の彼女は言葉を上手く使えなかったし、言葉を信じてすらいなかった。言ったところで、それが相手の耳に届くとは、思えなかったのだ。

 

 故に、沈黙を貫いた。ひたすら鉛筆を紙に走らせることに集中した。

 

 すると妹は突然、紙を取り上げた。

 

「えいっ」

 

 イタズラか、それとも無口な姉に対する挑発か。いずれにせよ、少しの笑みを浮かべて、彼女は自分から紙を奪った。

 

 刹那、手が妹の髪を掴み、力の限り引っ張った。立ち上がり、身体全体で妹を押す。

 

「いたい!いたい!」

 

 ほのかは手足をばたつかせ、腰をひねり、姉の攻撃に必死に抵抗する。密着した状態で姉を叩き蹴り、髪を引っ張り返す。まどかも、掴んだ彼女の髪を放さない。

 

 幼い姉妹のケンカは、母親の介入までの数十秒間続いた。

 

「やめなさい!二人とも!」

 

 怒号で泥戦を納めると、母親はこうなった経緯を双子に問いただす。自分より舌の扱いが上手い妹は、母に話す。

 

「まどかにあそぼうってこえかけたの。でも、べんきょーばっかりだったから、かみをとったの。そしたらね、まどかがかみひっぱってきた」

 

「本当なの?まどか」

 

 無言。頷きもしなかった。

 

 ほのかは事実を述べた。しかし、そこには自分の感情の一切は欠落してしている。

 ほのかに用紙を奪われた時、まどかは言葉にし難い衝動に駆られた。自分の世界が、壊されたためだ。計算することで得られていた心の平穏を阻害された。そのためまどかは怒り、抵抗したのだ。

 

 悪いのはまどかだと、母は姉を責めた。例えどう思おうと、暴力に訴えるのはよくない、というのが理由だった。

 

 自分とて、暴力に訴えたくない。だが、どうやって自分の気持ち――怒りや不満を表せばいいのかわからなかった。

 

 その夜、まどかは父の製作室の片隅でひとり不満を押し殺しながら座っていた。

 

 部屋の暗闇に怨みと虚無感を溶かして、ひたすら外の世界を呪っていた。

 

「まどか」

 

 ドアの開放音と共に、部屋の明かりが差し込む。父だった。

 

 また何かを作りに来たのか。それとも自分を気遣いにきたのか。机のスタンドライトを点灯した父は、まどかの隣に腰を下ろす。

 どうやら、後者のようだった。

 

「ほのかとケンカしたんだってね」

 

「…………」

 

 何も語らない。話してもわかってもらえるとは思えない。自分の気持ちだって整理できていないし、何より言葉が上手く扱えない。沈黙を貫く以外まどかにはなかった。

 

「計算用紙見たよ。凄いじゃないか。学校に行く前からこんなにできるなんて。それに、とても綺麗に書けている。4才が書いたとは思えないくらい、整然とした字だ」

 

「…………」

 

「まどかは、頭だけじゃなくて、手先を使うのも上手いんだな」

 

「…………」

 

「数字の勉強は好きか?」

 

「…………うん」

 

 頷いた。

 はじめて口を開いた娘の頭を、父は優しく撫でる。

 

「そうか」

 

「……とーさん」

 

「ん?」

 

「べんきょーばかりしてたらだめ?」

 

「どうしてそう思うんだ?」

 

「かーさんがいってた」

 

「そうか……」

 

 父は返答に窮したのか、頭を掻いた。

 

「そうだな……、それは自分の目で確めてみてくれ」

 

 そう言って父は、まどかを別の部屋に連れていった。地下室である。

 

 硬質な六角形の機械机。ガンプラバトルのバトルフィールドが設置されている部屋だ。

 時々、父が家を訪れた友人とガンプラバトルをするところをこの部屋で見たことがある。観戦は面白いが、難しそうなので、自分でプレイしたことは一度もない。

 

 父は装置の電源をつけ、卓上に粒子を散布させる。青白い光が天井に伸び、机本体と合わせてまるで1つの柱のようになった。

 そして、その柱の中で小さな世界が形成される。円上の、海に浮かぶ闘技場だ。

 

 その地に出撃するのは、1体のシャイニングガンダム。当時の父の愛機だ。

 

「見ててくれ、まどか」

 

 そう言って父は立体映像のコンソールを操作し、目の前にキーボードのような映像を開く。

 

 父はそのキーを十の指で叩き始める。その前にあるディスプレイに、数字や記号の配列が素早く打ち込まれていく。

 

 待つこと1分。その間、シャイニングガンダムは敵のいないフィールドでただ佇むだけだった。

 

「よし、できた!」

 

 父が最後のキーを押した時、ガンダムの背中にいくらかの粒子が収束する。

 

「!!」

 

 刹那、それらが弾けると共に、その背中から純白の翼が勢いよく生えた。

 羽が宙を舞い、フィールドに羽毛の雪を降らす。翼は広がり、そのガンダムの印象とシルエットを大きく変える。

 

 その姿にまどかは目を見張らせた。

 本来ただのプラモデルに過ぎないガンダムに、翼が生えたのだ。その様は美しくも不可解で、少女の意識と関心を一瞬の内に引き込んだ。

 

「コントロールパネルで、粒子形成情報をインプットした……って言っても解らないか。要は、計算ができるとこんなこともできる」

 

 父はそう言って、フィールドを離れまどかに歩み寄る。

 しゃがみ、4才の娘と視線の高さを合わせてガンダムを眺めた。

 

「数字は、人により複雑なものを創り出す可能性をくれる。この翼もそうだが、このバトルフィールドにも、沢山の計算が詰まっている。計算ができれば、この翼やバトルフィールドのようにいろんなものを創り出すことができる」

 

 父の腕が、まどかの肩を抱き、その頬が彼女の頭に密着する。

 

「計算を形にすることを学びなさい。さすれば、君の才能をみんなが理解する。自然と言葉も上手くなる」

 

 父は、そうまどかに言った。父は、彼女の才能に新しい道を提示したのだ。

 

 その日から、まどかは計算を形にすることを学び始めた。

 機械、物理、化学、建築………。それらは、最初は図工や簡単な実験からのスタートだったが、やがてすぐにその領域を超越する。父も、その意欲の後を押してくれた。時に彼女にも分かりやすい教材を揃えたり、科学館に連れていってくれたり、彼女の見る世界をさらに広げてくれた。

 小学校に上がる直前には、理数系において彼女の頭脳は大学生レベルまで到達する。並行して、コンプレックスだった会話能力もしっかりと発達し、もう暴力で自分の感情を訴えることもなくなった。

 

 

 そして、彼女はあの日以降、ガンプラバトルを始めた。ガンプラバトルこそが、彼女が身につけた最初の計算を形にする手段だったのだ。

 

 

  ◇    ◆    ◇    ◆

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。