「なんで、アンタがここに?持ち場があるはずじゃ……」
「心配には及びません。私の持ち場は既に片付いています」
「はぁ……?」
月明かりに浮かぶ銀嶺の乙女。
その美しさは世の男を魅了し、恋に落とすのに欠片も不足の無い綺麗さであったが、剣輔にとっては一分の隙も無い警戒要因であった。
特にその語った内容。それに対して、剣輔は俄かに信じがたいと言った表情を浮かべる。
「……あの人達が苦戦してたこの戦場で、あんたが?」
この戦場は、諌山黄泉、小野寺凛が苦戦している戦場なのだ。
頭に入れた地図と異なる地形。想定よりも遥かに多いカテゴリーCの数。繋がらない無線と不可能な意思疎通。
今まで剣輔が参加してきた中でも最悪のシチュエーションだ。その戦場を、一人で切り抜けてきたというのだろうか。
そんな剣輔の視線を受けて、諌山冥は少々物言いたげな表情を浮かべるが、すぐにいつも通りの表情になって剣輔に答えを返す。
「そこは小野寺凛の未熟さが表れているのでしょう。この先私たちの上に立つのなら、あの五体程度、容易に屠る器を見せてもらいたいものです」
そう冷静に切り捨てる諌山冥。
少々評価が厳しすぎるのでは?とは思うが、言ったところで面倒なことになるだけなので剣輔は口をつぐむ。
剣輔としては正直諌山冥が得意とは言い難い。
というより正直な所、神楽から聞いている話等を総合すれば苦手だというのが正直なところだ。
出来ればこの疲弊状態で話したいと思うような相手ではないのだが―――。
どこか、剣輔は違和感を覚える。
疲れている今の頭ではスグにその違和感を見つけることが出来ない。しかしながら、どこかが決定的に違うような―――。
「ところで、これはあなたが壊したのですか?」
そう言って、諌山冥は剣輔の近くに転がる鉄縄を手に取る。
剣輔が断ち切る前まではリスポンの手助けを、いや、ほぼほぼその元凶であったとも言える鉄縄。
それは先程剣輔が難なく切断した物だ。これの存在に気が付けていなければ剣輔は恐らくはここで命を落とす結果になっていただろう。
「そうだけど……」
「……成程。相当な修練の跡が垣間見える綺麗な太刀筋でしたので」
珍しく賞賛を投げかけながら、鉄縄を放り投げる冥。
じゃらっと音を立てて地面に崩れる鉄縄。さり気なく剣輔は、斬鉄を成功させているのだ。
対策室に入って一年未満の新人が、これだけの綺麗な太刀筋でこの厚さの鉄を切り裂いたことは賞賛に値するであろう。
「……どうも」
どうやら文句ではなくお褒めの言葉を掛けられたらしいと気が付いた剣輔は、少々気恥ずかしくなりながら、投げ捨てられた縄を手に取る。
あの時は必死だったので気が付かなかったが、さり気なく自分は斬鉄を成功させた。
練習などしたことは一切ないが、これまでの鍛錬の成果がここに出ているのだろう。舞蹴に一つの刃こぼれも無く、この霊的な仕掛けを両断することが出来たのだ。多少は自分を誇ってもいいだろう。
なんとなく、自分が切断した鎖を手に取る。
術というのは、術者の癖が出るものらしい。剣輔はどちらかというと感覚で術を掴んでいる方なので、理論でそれを説明することは能わないのだが、その癖なるものの存在があることぐらいはきちんと理解できているつもりであった。
何故かわからないが、
それが何故かは剣輔にもよくわかっていない。神楽に訊いても「?」という顔をされるし、凛に関しては聞くまでもない。
自分の気のせいかもしれないからあまり大々的には触れ回っていないのだ。
しかしそれを思い出してなんとなく、ホントに何となくそれを手に取ってみたのだが―――
「―――は?」
切断した鎖を手に取った剣輔は、
ぱっと思い出せないが、この感覚絶対にどっかで……。
いやどっかどころか―――
「―――何を呆けているのです?早く立ちなさい」
少々飛んでいた意識が、上から降り注ぐ冷たい声でハッと意識が現実に回帰する。
「休憩は済んだでしょう?この戦場では戦力はいくらあっても足りません。さっさと立ちなさい」
「……うす」
ややビクビクしながら剣輔は立ち上がる。
……この女性を相手に堂々と振舞える同年代は凛ぐらいなのではないだろうか。
神楽も苦手意識を持っているようだし、黄泉は言うまでもない。
そう考えるとやっぱりあの人は変態だななどと思いながらも、先程の鎖にチラリと目をやる。
……あの感覚は。
「次の持ち場が指示されていないのなら私が指示します。付いてきなさい」
「……」
外部の人間の指示に従うべきか良く分からないが、諌山冥は室長候補に並ぶ強者であることには間違いがない。
加えて、正直に言ってしまえば剣輔にはこの後どう振舞うべきかの判断が付かない。戦況も把握しきれていないし、近くに道標があるのならばとりあえずは従っておこう。
少しは休憩も取れた。凛たちも既に目的地へと到達していることだろうとそう考え、剣輔は諌山冥に従うことを選択する。
胸に僅かな違和感を残しながら、先ほどの術が
『―――対策室より室長候補生へ入電。緊急事態発生。持ち場の制圧が完了した候補生は至急本部へ急行されたし。繰り返す。緊急事態発生。持ち場の制圧が完了した候補生は至急本部へ急行されたし』
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「一応対策室から最初に渡された地図だとここら辺なんだけどな」
「なんか見当たらないよねー」
携帯が示すGPSの位置と、事前に渡された地図の位置を比較しながら俺はそう呟く。
現在神楽と俺がいるのはカテゴリーB、
俺は森での行動には少々自信がある。幼少のころから親父には鍛えられてきたし、自衛隊の訓練に混ぜてもらったりなどもしていたので、正直対策室でもトップクラスな自信はある。
なので正直俺がルートを間違えたのだとは思いにくいのだが、指定された場所に来てもターゲットの姿が一切見えないのだ。
「間違えたのか……?」
「……でもGPSもここだって示してるし、霊力分布図と合わせてみてもすぐ近くのはずだよね?」
あり得ないという感慨を込めて呟いた言葉に、神楽が反応する。
ここまでの道のり、森での戦闘を黄泉に鍛えこまれた神楽も全く同じ回答を導き出していたのだ。
「そうなんだよなぁ。気配もするし、それにあれも残ってるから間違いないはずなんだが……」
ちらっと、左側にある無残な死体を見やる。
ここに最初に入ったエージェントは、残念ながら既に亡骸になっていた。
相当に鋭利な刃物にて切断されたのだろう。左肩から右腰に掛けて一刀両断。正直見るも無残な姿で仏になってしまったようだ。
だが、このエージェントは相当に優秀な方だったようだ。
命を賭してでもカテゴリーBを閉じ込めるべく、四方に結界を形成していたのだ。
正直この程度の結界ならカテゴリーBを閉じ込めるには役者が不足しているが、それでもこの場所からカテゴリーBが動いたのかどうかの判断基準ぐらいにはなる。
そう。この仏になってしまったエージェントが張った結界、
「だから絶対に近くに居るはずなんだが……」
「居ないんだよね……」
結界内を隅々まで探してみたのだ。でも居ない。マジで摩訶不思議過ぎて理解が及ばない。
「……可能性としてはこのエージェントが発動場所を間違えたとか?」
「それは違うと思う。この結界、発動場所を間違えられるようなものじゃないもん」
「成程なぁ。ということはカテゴリーBが居なくなってから発動したとか?」
「……可能性としてはそれが一番高いのかなぁ」
最早一般の術に関しては俺よりも断然詳しくなった神楽に教えを乞いながら一つ一つ疑問を消していく。
「これ、やっぱりくぐり抜けたらその痕跡的な物ってわかるんだよな?」
「それは間違いないと思う。強引に潜り抜けようとしたら壊れちゃうから」
「成程なー」
うーんと唸りながら腕組みをする。
先程仏さんに触れたところ、既に冷たくなってしまっていた。
つまりこの仏さんは切られてから相当の時間が経っているということだ。
そう考えると一番可能性が高いのは、術を発動させたのがカテゴリーBがその結界の範囲を超えた後、っていう可能性だろうか。
……ん?でも。
「なぁ神楽」
「何、凛ちゃん」
「……こういうのって、術者の死後に発動するってあり得るのか?」
「ううん。これに関してはちゃんと術者が印を組んで発動させないとだめ―――凛ちゃん!後ろ!」
気が付けたのは、本当に偶然だった。
爆発的な瞬発力を以て、前方に転がるように倒れる俺。
神楽の声が響いた瞬間には、既に俺は前に向かって本気で飛びのいていたのだ。
もうこれは反射の域だ。考えてからの行動では絶対に出せない圧倒的な速度。しかしそれでもわずかに間に合わなかったらしい。
背中を撫でる冷たく鋭い感触。
まとっていた鎖帷子をも両断し、薄皮一枚程の薄さではあるが俺の背中の肌を右肩から左腰に掛けて恐ろしい鋭さの刃が渡っていく感覚。
一瞬遅れて、地面に着地する感覚と、背中に火を注がれたかの如き灼熱が走る。
薄皮一枚だが、完全に切られた。それが背中を支配する熱さが物語る。
「―――凛ちゃん!」
「大丈夫だ!それよりも構えろ!」
上手く受け身を取ったため即座に態勢を立て直すと、俺は神楽にそう指示を飛ばす。
その指示よりも前に構えを取っていた神楽は、俺の隣に並び立つと、目の前の敵を仰ぎ見る。
「……大きいね」
「三メートルはあるか。何処に隠れてやがったんだ、こんな化物」
俺も手に刃を作り出し、油断なく目の前を見据える。
そこに居るのは普通ではありえない体躯の骸骨。三メートル近い長身に、ちょっとした丸太のように太い骨。
鋭利な長身の太刀を美しいフォームで構え、俺と神楽の前に突然姿を現した化物骸骨。
……でも本当にどっから現れやがった?
俺と神楽。一応退魔師の中でも図抜けた能力を持つ俺ら二人が欠片も気が付けなかったのだ。そんなこと、有り得るのか――――?
そう思った瞬間、相手が踏み込んでくる。
中々に鋭く、巧い踏み込み。
3メートル以上あった巨体が、俺を両断しようとその距離を先方の適切な所まで一瞬にして詰めてくる。
こいつが何処に居たのかという疑問点をとにかく飲み込み、理解が追い付かず混乱する思考を強制的に戦闘用に切り替えトップギアまで持っていく。
「―――見えた」
鍛え上げた動体視力を用いて相手の斬撃を完璧に見極め、敵の太刀に俺の刃を合わせる。
流石に馬鹿力で有名な俺と言えども、先ほど見た骸骨程の大きさの化け物の攻撃をまともに受けるのは危険すぎる。
そのため程々に力を受け止めると、刃の角度を調整し、敵の刃を滑らせるようにして受け流す。
その防ぎ方を知らなかったのか、太刀を地面にめり込ませて体勢を大きく崩す目の前の骸骨。
その隙を見逃さず、足のすねに刃を作り出して目の前にある右腕を本気で蹴り飛ばす。
俺の狙い通り蹴りは敵の右手の尺骨の部分にヒットしたものの、俺の体勢が崩れていたせいで力が乗りきらず、ミシッという音がして刃が少し食い込む程度で終わってしまう。
舌打ちを一つ。本来なら今ので叩き切ってやりたかったのだが、そうはいかなかったらしい。
叩き折る目的で蹴りを放てばよかったと多少後悔しながらも俺は追撃に出る。
左足に作り出した刃をすぐに解除すると後退しようとする相手よりもはるかに速い速度で懐に潜り込み、その巨大な肋骨に向けて掌底を繰り出す。
本来なら体格差故に中たる訳が無い位置にある肋骨ではあるが、今は剣を振り切りった後の体勢だ。この体勢であればギリギリ届く。
骨が砕ける鈍い音。肋骨の一番下の部分に上手く体重と勢いの乗った掌底をぶち込むことに成功する。
クリーンヒット。一本の肋骨を砕くことに成功する。
綺麗に決まった一撃ではあるが、この巨体に対しては些細な一撃である可能性が高い。
もう一撃と思い、攻撃を繰り出そうとするが、流石は痛覚を感じない化け物と言った所か。
こちらの攻撃のダメージなど無かったかのように、砕いた肋骨側の腕で俺に肘鉄を落としてくる。
普通の人間なら痛みで絶対にできないであろうそれを、痛覚の無い化け物は平然とやってくるから質が悪い。
掌底を放った直後で、即座に動くことの出来ない俺は、腕に盾を作り出して両手を以てその肘鉄を食い止める。
―――重い。
骨だけの体のどこにこんな力があるのだと文句を言いたくなるほどの重い一撃。
両の手がびりびりと痺れ、膝が多少落ちるものの、その一撃自体を食い止めることには成功する。
その一撃を受け止めながら、チラリと横目で敵の得物を見る。
その刃渡りの長さから今の位置にいる俺に危害を与えることの出来る取り回し方はないと判断。
肘を力任せにパリィを行うことを選択せず、押しつぶしにかかってくる骸骨の肘を受け止め続ける。
「―――ふっ!」
俺の意を汲み、神楽が
居合抜きによる鋭い一撃。見事な一撃だが、それを
だが、神楽の一撃を避けたということは、俺に対して加えていた肘鉄による攻撃を中断したということだ。
つまりそれは俺がフリーになったことを指している。
居合直後で硬直が生まれている神楽に代わり、俺が飛び上がる。
狙うは頭蓋。一撃で砕いてこいつの討伐を終わらせる。
助走をつけ、
自らの持つ膂力を遺憾なく発揮し、振り下ろされる俺の刃。
ダンプカーによる一撃とまで黄泉に評された俺の一撃は奴の頭蓋に命中することなく、それ以上の膂力を持つ骸骨の大太刀により遮られる。
鈍い音を立ててぶつかり合う俺と
一瞬だけ拮抗する俺と
だが空中に居てそのうち落下するものと、地面に根を張り攻撃に耐えるもののどちらの力が有利かなんて、火を見るよりも明らかだ。
つまり二メートル以上の跳躍をして繰り出した俺の一撃は、力比べという勝負に持ち込まれた段階で失敗したことを示している。
だが。
俺はそのまま
同時にその下では神楽も同様に飛び上がり、高難度の技である空中での居合抜きによる切断を狙う。
正直に言って完璧なタイミング。
今の居合も、俺の虚を突いたこの攻撃も、相当に洗練された連携だったと自負できる。
最初の神楽の居合からここまで、相当にドンピシャな連携が出来たと胸を張って言うことが出来るのだが……。
「強いな」
「強いね」
ドロップキックをお見舞いし、無事に地面に降り立った俺の言葉に、同じく着地した神楽が間髪入れずに同意を示す。
―――強い。そう言わざるを得ない。
結局俺のドロップキックは奴の顔面にきっちりと炸裂した。狙った部位である鼻骨の辺りにしっかりとぶつけることが出来た。
奴の鼻骨を砕くことには成功したし、3メートルあるような化け物からしっかりとノックバックを取ることにも成功するという、我ながら人外ムーブに成功したものだ。
それに加えて神楽の居合も見事命中。空中で繰り出す居合なんて俺には絶対できないし、外すビジョンしか見えないのだが、それを神楽は脛骨、つまりはふくらはぎあたりの骨に中てることには成功したのだ。
一応俺達が狙っていた攻撃はほぼ命中。中てることが目的であるのならば100点満点の攻撃だったのだが……。
―――だが、甘い。入り方がいくらなんでも甘すぎる。
俺は奴の頭蓋全部を砕くもしくは頭蓋を首から外してやるつもりで二撃を繰り出したのだが、一撃は見事に受け止められ、もう一撃は上手い具合に衝撃を逃がされてしまった。
そして神楽も神楽で、比較的切りやすい膝関節を切断するつもりで攻撃を繰り出したのだが、居合を脛骨で受けられたせいで切断には至らず。ダメージは与えることに成功したものの、僅か数センチ刃を骨に食い込ませるだけで終わってしまった。
「……図体のデカさと見た目の割にはテクニシャンじゃんか」
「……同感。なんか凛ちゃんを相手にしてるみたい」
それは褒めてんのかけなしてんのかどっちなんだ、と突っ込みたくなる気持ちを抑え、改めて
本当に強い。
流石にこのレベルのは特別だろうけど、確かにこれに近いレベルの奴が無限に湧いてきたら、カテゴリーA認定間違いなしだ。
つーか普通に日本が終わると思う。
正直勝てないビジョンは見えないが、こいつとの戦いは間違いなく長期戦になる。
さてどうしたもんか。
ちょっと前に髑髏に囲まれた時も同じようなこと思ったな―などと思いながら頭の中で戦略を組み立てる。
次は――――
『―――対策室より室長候補生へ入電。緊急事態発生。持ち場の制圧が完了した候補生は至急本部へ急行されたし。繰り返す。緊急事態発生。持ち場の制圧が―――』
「―――は?」
戦略を考え、神楽に指示を出そうと思っていると、室長候補用の無線に二階堂からの通信が入る。
思わず頭を一瞬空っぽにしてしまう俺。
緊急事態と言えば俺が今直面しているのも緊急事態ではあるのだが……。
だが、その後に続いてきた言葉は、流石の俺でも勘弁してくれと思ってしまうようなものであった。
『―――新たな