後で加筆修正入るので、明日の15時以降に見ると文章がちょっと洗練されているかもしれません。
「―――?なんだい、これは」
明るい暖色の光に満ちた、地上300メートルの世界。
赤と白で構成された巨大な鉄柱で組み上げられた、煌々と輝きオレンジに染まる東京のシンボル。
東京タワー。その鉄骨の上に、三途河カズヒロは一人佇んでいた。
「カテゴリーAクラスの反応だけど、一体これは?」
ズクン、と疼く殺生石。
共鳴ではないが、圧倒的な力の本流に反応しているのだろう。今まで体験したことがないような反応を殺生石が示している。
「間違いなくこれを行ったのは僕じゃない。殺生石ですらない。ということは僕以外の第三者が僕の知らない何かを呼び起こしたっていうことだ。僕の埒外で、僕の想定外のことをしてくれる人間がいるみたいだ。……これは面白い」
三途河にも特定出来てはいないが、この近くの何処かで、圧倒的な存在の封印が解放されそうになっている。
彼が気が付けたのも本当に偶然。たまたまここに上って、たまたま気を研ぎ澄ませていたら気が付けただけなのだ。
三途河はこと策略を立てることに関しては相当な腕の持ち主であると自負している。
霊力分布を思い通りに操ることも、ばれずに色々とやる方法も当然熟知しているし、恐らくは彼以上にそれに長けた存在は稀有である。
だが、今回の異常は、その彼が行ったことでは決してない。
厳重な警備を潜り抜け、霊力分布の目を掻い潜り、とてつもない技量を以て名も知らぬ第三者はそれをやってのけたのだ。
「誰がやったんだろうね。でも正直やる人間なんて限られてるか。大方、小野寺凛辺りだろう。何を思ってやったのかは知らないけど」
自分に対する布石としてやってくるぐらいのことはありそうだと三途河は思う。
退魔師会には数多くの英傑が存在する。
土宮雅楽は当然そうであるし、以前退魔師として名を馳せた諌山奈落、そしてその義娘である諌山黄泉など、並みの怨霊では太刀打ちすらできない人物達だ。
その中でも三途河が最も警戒しているのは小野寺凛だ。
実力の面で言うのなら土宮雅楽には到底劣るし、諌山黄泉のほうが脅威になる可能性が非常に高い。
退魔師の中でも最強クラスに位置していることは間違いないが、それは自分がこれほど彼を警戒する決定的な理由には到底なり得ない。
多分、この警戒は本能的な物なのだ。
自分の生物としての危機を察知する能力が、あの男を警戒しているのだろう。
「さて。今回のこの爆弾を彼がどう処理するつもりなのかは知らないけど、その前に細工させて貰おうかな。面白いことになりそうだ」
これを仕掛けたのはもしかしたら彼ではないのかもしれないが、それは些事に過ぎない。
三途河としてはどうでもいいのだ。誰が死のうが、誰が企もうが、彼の目標に立ちふさがる障壁にさえならなければ、誰が仕掛けたかなどそれは彼にとってどうでもいいことなのだ。
寧ろこれで小野寺凛辺りが大怪我でも負ってくれれば自分の目標達成がぐっと近づくのだから、好都合とも言えるかもしれない。
事を仕組んだ人間に先回りしようとし、その場を移動しようとしたとき、それは三途河の鼓膜を震わせた。
カン、という乾いた音。
鉄の板に木がぶつかり、静かに奏でられた音。
おおよそこの場にはふさわしくない、自然には絶対に発生し得ないその音。
それは人の存在を、自分以外の他者の存在が、この地上300mの地点にあることを表していた。
「―――お久しぶりだね。元気にしてた?」
柔和な、まるで旧友にでも話しかけるかのような、親しみさえ感じさせる声が鼓膜を震わせる。
少女のような、しかしそれでいて大人の艶やかさを存分に含んだ、美しい声。三途河がそれを聞くのは、人生でこれが二回目だった。
「―――これはこれは。貴女が訪れてくるとは、正直欠片も思っていませんでしたよ」
信じられない、と言った表情を隠しきれず、三途河は少し目を見開く。
そこに居たのは病院で寝ているはずの女。
自分が、退魔師としての人生に引導を渡してあげたはずの女性。
「お久しぶりです、土宮舞さん。いつぞやの夜以来ですね」
「そうだね。少し元気になったから、きちゃった。三年振りかしらね。君は全く変わってないみたいだけど」
ほー、などと言いながら三途河を凝視する土宮舞。
とても元病人とは思えない身のこなしであり、あれだけの重症を負い、床に数年も伏せていた人間とは思えない。
14歳の娘を生んだとは到底思えない若々しい美貌。大人特有の妖艶さを放ちながらも、子供のようなあどけなさを内包した、ある意味矛盾したその美しさ。
そこに、衰弱の色は感じられない。寧ろ逆だ。生気と活気に満ち溢れている。
「あの時は随分深い傷を負っていたようですが、お体の方はもう大丈夫なので?」
「お陰様で。シロちゃんが頑張ってくれたみたい」
皮肉にも動じる様子はない。
単純な振る舞いにこそ体調の異変と言うものは如実にあらわれるものだが、土宮舞を見る限りその兆候は一切見られない。
「こんな所で会うなんて奇遇だよね。君もお散歩?」
「僕は本当に散歩みたいなものですよ。それよりも、貴女がここに居る理由のほうが気になりますね。お尋ねしても?」
「散歩がてら歩いていたら、東京タワーの上にカテゴリーAが住み着いてたみたいだったから、退治しておこうかなーと思って」
「とんだ偶然があったものですね。さぞかし探すのに苦労されたことでしょう」
「一か月は追い回したからね。苦労したと言えば苦労したかな。良かったら君も協力してくれない?」
「遠慮します。と、そう言ったら?」
「その時は仕方ないかな。生まれてこのかた、奴さん達に遠慮されなかったことなんて一回もなかったしね」
カラカラと笑う土宮舞。
「その時は、一方的に虐殺するだけだから安心して」
「それはそれは安心ですね。天下の退魔師様に掛かっては討伐など一瞬でしょう。枕を高くして眠れるというものです」
もし、狙われている立場でなければ、の話ですが。と三途河は続ける。
「それで、僕の協力無しで目的は果たせそうですか?正直、随分と無謀なようにも感じますが」
「全然大丈夫かな。相手の怨霊には無謀の意味を懇切丁寧に教えてあげるつもりだし」
「それは怖い」
余裕の態度を崩さず、微笑を浮かべながらそう発言する三途河。
絶対に負けることなどないと確信している笑み。
「これから僕は行かなければならない所があるのですが、そちらを優先しても?」
「優先してくれてもいいけど、できるかな?多分すぐ終わっちゃうよ?」
「随分な余裕は結構ですが、錯誤から来た余裕であっては意味も無い―――」
音は、無かった。
「凛君には悪いけど、ここで終わってもらうね。狩れる時に狩っておかないと。君は生かしておいちゃいけない人間だから」
いつの間に準備したのか。
土宮舞の手には美しい蒼の槍が握られており、その槍は槍本来の役割を存分に果たし、三途河の腹を深々と刺し貫いていた。
神速。恐らくは黄泉や凛ですら反応できないであろう速度。
「……これは驚いた。まさか僕が反応すらできないなんて、流石に予想外でしたよ」
「これでも現役時代より大分落ちちゃってるんだけどね。三年は大きかったなぁ」
余裕の表情で話し合う二人。
とても片方が槍で貫き、もう片方が貫かれているようには見えない。
「……やっぱりこれくらいじゃ死なないんだね、君は」
刺し貫いた槍に力を込めながら、土宮舞はそう呟く。
腕が痛くなるほどの力を込めているが、槍はびくともしない。
三年前と全く同じ展開だ。
いくらこちらが攻撃しても、まるで水を相手に戦っているような、空気に対して攻撃をしているような、そんな感覚。
押せば押すほどこちらが不利になる。そんな理不尽さ。
故に負けた。
何をしても、どんな攻撃をしても殆ど効かない。
加えてそれに驚いている間に毒を食らってしまった。初手の段階で前回は負けが決まっていたのだ。
「カテゴリーAの討伐とやらにお力添えできず申し訳ありません」
「皮肉屋なんだね、君は。でも大丈夫。少し考えてあるから」
考え?と三途河が尋ねようとした瞬間、土宮舞が槍から手を離す。
戦闘中に得物を手から離す。それが如何に愚かなことか、戦闘に携わるものならば皆等しく熟知している。
正当な理由なく得物を手放すなど、殺してくださいとでも言っているような物だ。
それも特に実力の分かっていない、もしかしたら格上かもしれない相手に対してそれを行うなど、愚の骨頂。
愚かという言葉では表現できない程のあきれた行動だ。
何をして、と言おうとした瞬間、腹部をとてつもない衝撃が襲った。
「がっ……!」
「これは効くんだね。成程成程」
思わず片膝をついてしまう。
とてつもない衝撃と痛み。
殺生石で強化されている影響か、槍で貫かれる程度であれば痛みを感じるも問題がない程度に治まるのだが、これは別次元だ。
想像を絶する痛み。
殺生石による回復が進んでいるためこの程度で済んでいるが、そうでなければ一瞬でお陀仏だろう。
こんな気違いにも程がある攻撃を人間に仕掛けるとは正気の沙汰とは思えない。
「くっ……!」
飛びかける意識を何とか保ち、反撃に虫を飛ばす。
即座に展開できる中では最高クラスの殺傷能力を持つそれ。
色も黒く、大きさもそこまでではなく、しかも数が居るため、この夜の闇の中では対処は至難。
この場においては最適解に最も近い攻撃。諌山黄泉ならばここで落ちていてもおかしくはない、そんな攻撃だったが……。
「白叡。喰らって」
事も無げにあしらわれる。
どころか自分までも喰らおうとその口を開けて迫ってくる最強の霊獣。
とてもじゃないがあれに食われては殺生石でも復活することは難しい。かみ砕かれて、そのまま涅槃行きは確定だろう。
愚策だとは分かっていたが、命からがら東京タワーから飛び降りる。
新幹線と見間違えるような速度で迫りくるそれを、近場の鉄骨に飛び移ることで何とか回避する。
正直、奇跡とも言えるような回避だったと三途河は思う。
あそこで自分の人生が終わっていても何ら不思議では無かった。というより、多分普通なら終わっていただろう。
「……随分なことをしてくれる人だ」
ゴホッ、と血を吐きながらも三途河は二本の足で立ち上がる。
今のは完全に自分のミスだ。
あの手法で攻撃を仕掛けてくるとはとても予測できていなかったが、一発目を譲ってしまったのは確か。
多分、攻撃が見えていたとしても、自分はわざとあの一撃を受けていただろう。
「あちゃー。今ので仕留めるつもりだったんだけどな。ここまで距離離されちゃうときっと逃げられちゃうね」
「きっとそうでしょうね。この距離なら、何をしても逃げ切れる自信がありますよ」
普通の家の一階と二階程度の距離。
それが上下に空いただけでも普通は距離を詰めることなど不可能であるのに、今回は鉄骨が入り乱れる東京タワーの上だ。
二人のように戦闘で使用されるためになど一切設計されていないことに加え、地上よりも遥かに強い風圧で移動が制限されてしまう。
今日はかなり風が凪いでいるためそこまで支障にはならないが、確実に邪魔にはなる。
いくら土宮舞が上を取っており、比較的優位な立場にいるとは言え、三途河相手ならば攻め切れない決定的な要因になり得るだろう。
「ねぇ三途河君」
「なんでしょう」
「―――邪魔、しないでね」
およそ敵に向けるとは思えないような微笑み。
柔和で、温厚なそれではあるが、確かな威圧と圧力が込められていた。
「邪魔、とは」
「独り言を聞いちゃってたからね。気が付いてるんでしょ?あの
爆弾。それは先程まで三途河が邪魔をしに行こうと考えていたもの。
恐らくは封印されたカテゴリーA。三途河も知らない何か。
「多分あれの目覚めは必要なものだから、変な細工をしないで上げてほしいんだよね」
「……必要?あれが?」
「そう。多分だけどね」
退魔師の発言とはとても思えない。
必要と、そう言った。変な細工をしないでほしいとも。
別に三途河はあれを目覚めさせようとしているわけではない。
少々手を加えて、引っ掻き回してやろうと、そう思っているだけなのだ。
そして土宮舞が言ったのは、その細工を止めるように、とだけ。
今なら再封印出来るかもしれないというのに、それを阻止するような発言を一切していないのだ。
「気が付いていて復活を止めようとしない……。これは貴女が?」
「私ではないかな。下手人は知ってるけどね」
さらりとでる爆弾発言。掘れば掘るほど炸裂する女だ、と三途河は思う。
ますます意味が分からない。
「多分あの封印の感じだと明日には破裂すると思うんだよね。そういう意味では君を見つけたのが今日でよかったかも。退治しきれなかったけど、もし邪魔をするつもりならどこまででも追い回してあげる」
「流石にそれは遠慮しておきましょう。少々気が狂った退魔師の方につけられた傷がまだ痛むのでね」
「気が狂ったとは失礼な。アイディアを出していたのは彼なのに」
「実行したのは貴女でしょう。正気の沙汰ではできませんよ、あんな攻撃」
未だ痛みの治まらない腹を抑えながら、三途河は術式を組み立てる。
当然、逃げの一手しか選択肢には存在しない。
あれだけのダメージを負ってこの程度で済んでいるのは流石の殺生石と言わざるを得ないが、それでもこれ以上のダメージは流石に負いたくない。
自分はこの石を持つにふさわしい人間を見極める裁定者なのだ。
決してこの石に取り込まれ、九尾の依り代になってはならないのだから。
「やっぱり逃げるんだ。ここで退治されてくれない?痛い思いはさせないから」
「遠慮しておきましょう。また腹に風穴をあけられてはたまったものじゃありませんから」
蝶が舞う。
「逃げる前に一つお聞きしたいのですが」
「何?」
「その下手人とは、誰なのです?」
これは純粋に興味があった。
既に逃げる準備は整っている。
今ならば喰霊白叡で噛み千切られようが、爆破槍で貫かれようが、無傷で逃げ切ることが出来る。
だから、その疑問を純粋にぶつけてみたのだ。
「んー。それは内緒かなぁ。一つ言うなら凛君の仕業ではないかな。むしろ被害者になると思う。それも盛大に」
「へぇ。彼以外にそんな馬鹿なことをしでかす人間がいたとは驚きです」
「私も少し驚いたかな。違う用件で気になって付け回していたら偶然見つけちゃったんだけどね」
「もう一つ。何故止めないのです?あれが暴走したら多くの死人がでるでしょう。だと言うのに……」
「それは大丈夫。多分出ないように彼女も計算してるから」
「……成程。下手人は女性、と」
「あら。少し口を滑らせすぎちゃった」
あははーと笑う土宮舞。
「もう一回言うけど、邪魔はダメだよ?彼女の、そしてその被害者達のためにならないから」
「そうですね。事の顛末も気になりますし、今回は傍観者でいるとしましょう。―――それでは、またいずれ会う時まで」
蝶が霧散する。
青白い光となって消えていく美しい蝶々達。
そしてそれが全て消え去った後には、何も残ってはいない。
人と言う質量が、魔法でも見ているかのように消え失せて、無くなってしまった。
「お、消えた。初めて見たけど、一体どんな術式なんだろう。……確かに、天才よね」
消えていく三途河を見ながら、土宮舞は独り言つ。
天才だと、本気で思う。
もし彼が退魔師側に居たのならば、全国の退魔師の中でもトップクラスに位置するものになっていただろう。
こと術の才能で言うのなら、諌山黄泉をも凌ぐかもしれない。
玉の世代って奴かしら、などと思いながら、土宮舞はその場にへたり込む。
「流石に緊張したなー」
噴き出してくる汗。余裕を気取ってはいたが、一度殺されかけた相手だ。
一流の退魔師である土宮舞でも、流石に極度の緊張状態にあったのだ。
「身体も全然完璧じゃないし、結構無謀だったかも」
はぁーと安堵のため息をつきながら、東京の街を見下ろす。
……明日にはこの街の外れの方で大規模な戦闘が起きる。
それもかなりの規模の、かなりのものが、だ。
その下手人も発生時間もすべてわかっていて、でも自分は何も行動はしない。
ことが起きてからは動くつもりではあるが、それまでは何もしないと決めているのだ。
「私がここまでしてあげたんだから、上手くやってほしいなぁ」
その下手人は、土宮舞がこうして自分の行動を把握しているとは欠片も思ってはいない。
あくまでこの行動は土宮舞による、土宮舞の勝手な行動なのだ。
「―――踏ん張りどころだよ、黄泉ちゃん。負けないでね」
文字通り暗躍する土宮舞の独り言は、東京のシンボルに照らされる街の闇の中へと消えていった。