「やっぱすげえなあいつら。バケモンだ」
「なんでこの運動量で平然としてんだよ……」
あまり知られていないことではあるが、環境省の地下には広大な面積を誇る修練場が存在する。
喰霊白叡を振り回しても問題がないほどの面積、と言えばその大きさが知れるだろう。地下にあるとは思えない巨大施設であり、退魔師用に作られた訓練施設なのである。
そこに、昨夜のパーティーで集められた人間がほぼ一堂に会し、合同で訓練を行っていた。
「ふう、結構ハードじゃんこれ」
「本当にね。汗かいちゃった」
「神楽と剣輔も参加すればよかったのに」
「仕方ないでしょ、家の用事なんだから」
ほぼ一堂に会している、と言えど、その場に立っているのはわずか数名。
所謂各対策室の室長候補と呼ばれる6人のみであった。
皆訓練の途中で倒れ、動けなくなっていく中で、その六人だけは平然と訓練をこなし、ついに6人になった段階でもまだ余裕を残していることが伺える。
「シャトルラン的な感じなのかね?これ。帝さんは何か知ってる?」
「俺も分からん。ホスト側のお前が知らないのに俺が知っているわけがないだろう」
関東支部の室長候補である小野寺凛が、関西支部の室長候補である帝綜左衛門に話しかける。
180cmに達する長身に、程よく鍛えられた肉体。眼鏡の奥の切れ長の目には鋭さがありありと映し出されており、意思の強さが伺える。
帝綜左衛門。
過去に共闘した際に帝が凛の実力に一目置いており、凛も自分に対して敵対するような人間で無ければ友好的に接する人間であるため、二人の仲はほかの室長候補と比べて非常に良好であった。
気の置けない友人がする会話のように二人は話しているが、倒れている連中が息も絶え絶えで話すこともままならない状態であることを考慮すればどれだけ異常なことだかがわかるであろう。
「確かにそれはそうか。……誰が先に倒れていくかみたいな訓練だったらここらで倒れておこうかな」
体調も悪いし、とつぶやく凛。体調が悪いという割にはピンピンしている凛であるが、事実その体は微熱にさいなまれており、万全というにはほど遠い状態であった。
「大丈夫?もう休んだら?」
「そうすっかなー。今日あんまり動きたくないし……」
凛の体調の悪さにいち早く気が付いていた諌山黄泉が、凛に休むことを提案する。
ハーフパンツにTシャツというラフな格好をしている黄泉。しかしその美貌とプロポーションによってそのラフな格好ですらもファッションのようになっており、やはり美人税は投入するべきだと凛に本気で思わせる。
「なら早く帰って休むといい。別にここで無理をする必要もないだろう」
黄泉の気遣いに、帝綜左衛門が同意を示す。
その反応に、凛は「意外だ」という感想を抱いた。
しかしそれは
史実の通りであれば現在の帝綜左衛門は両親を亡くして数年しか経っておらず、とことん自分を追い詰めている機械のように冷たい男であるはずなのだ。
てっきり諫められるかと思っていたので、
「そうしようかな。それじゃ皆様、お疲れ様です」
そう言って手をひらひらとさせながら訓練場を出ていく凛。
体調が悪いのは本当のことだ。この程度の訓練ならば普通にこなすことはできるが、無理をしなければならないことは確かであり、できることならば先に帰りたい。
もう参加者の大半がギブアップしていることだし、訓練も終わりだろう。そう考えて訓練場を後にする。
つもりだったのだが、
「おい待てよ。何勝手に帰ろうとしてやがんだ」
「ん?」
後ろから声がかかる。明らかに敵対心を含んだ、不機嫌な声。
そこに居たのは筋骨隆々の、190cmはあろうという大男。九州・四国地方の対策室の室長候補である、狭間慶太であった。
原作では冷酷な退魔師として登場し、どちらかと言えば剣輔たちの敵側の人間として描かれる立場だ。
ただその弓の腕は確かであり、帝をして「見晴らしのいい戦場では敵対したくない」と言わしめるほどの腕前を持つ。
実際に
「まだ終わりじゃねえだろうが。テメェの一存で決められることなのかよ」
「いいんじゃない?指示無いし」
そう言って、凛は上をみる。訓練場の音声を司る部屋のガラスの向こうには先程まで訓練の指示を出していた室長たちが何もせずに佇んでいる。
狭間は室長候補の中では比較的凛に絡んでくる部類の人間だ。
流石に凛が一番嫌う「なんちゃって室長候補」達ほどのうざさではないが、あまり得意な人間でもないというのが事実である。
「は、どうせ自信がねえんだろ。そんなヒョロイ体じゃこのきっつい訓練に耐えられるわけねぇもんなぁ、小野寺」
「そうかもな。確かに辛いもんな」
そんじゃ、と手を振りながら再度訓練室を退室しようとする凛。こういう輩は絡まないに限る。そう判断して訓練室を後にしようとしたのだが―――
ふと重なる自分と誰かの影。照明によって作り出されたそれが重なるということは、非常に近い位置に自分と誰かが居るということ。
そしてそれはつまり―――
一瞬前まで凛が居た空間に、丸太のように太い腕が恐ろしい速さを持って通過する。
空気が押し出されるかのような、そんな錯覚。それだけの威力のパンチが凛に向かって繰り出されていた。
「あぶなっ!」
言葉の割には軽々と避けた凛ではあったが、もし直撃すればそれは痛いでは済まされなかったであろう。
凡人であれば良くて大怪我、下手をすれば死に至るほどの威力。加減というものを知らない一撃であった。
「ほお。いい動きじゃねえか。伊達に余裕ぶってねぇってことだ」
「……少し肝が冷えたじゃねぇか。いきなりなんなんだよお前」
腰を落として構える凛。
「喧嘩売ってんなら買うぞ狭間」
「いいねぇ。好戦的なのは嫌いじゃない。ちょうどてめえとはやってみたいと思ってたんだ」
バキバキと関節を鳴らす狭間。
「お前の獲物は弓だったよな?待っててやるから用意しろよ」
「優しいこって。別に俺はステゴロでも構わねぇんだぜ?」
「言うじゃんか。でもな、俺相手に素手で挑むのは勇敢じゃなくて蛮勇っていうんだ。一般常識だから覚えておくといい」
「そのギャグ、腹が捩れるほど面白いじゃねえか。ヒョロヒョロのガキでもギャグのセンスは一流みたいだな」
一触即発。まさにその言葉がふさわしい状態。
倒れている退魔師たちもその雰囲気を察したのだろう。なんだなんだとばかりに視線を向けている。
凛が一歩踏み出す。ステゴロで良いと言うのだ。弓の名手だか何だか知らないが、素手で俺に勝てると思っているのならば思い上がりも甚だしいことを教えてやろう。
そう思い、狭間から繰り出された一撃にカウンターでもぶち込んでやろうかと考えた瞬間、咄嗟に凛は横に向かって飛びぬいていた。
「は?」
とは、狭間の言葉である。それはそうだろう。殴ろうとしていた相手がいきなり居なくなり、そして
一瞬遅れて伝わる衝撃。投げられたと気が付いた瞬間には受け身を取っていたため痛みはないが、二つの意味の衝撃が狭間を襲う。
「はい、二人ともそこまで。体調悪いって言ってるのに喧嘩の売買しないの」
理解が追いつく前に、そんな声が鼓膜を震わせる。その振動が音として脳に伝わり、脳がその意味を理解し終えるが、状況の理解は追いついていなかった。
やれやれみたいな感じで頭を振っている小野寺凛は理解しているのだろうと、地面に寝かされながらそう思う。
「てめぇ、俺のこと投げやがったのか」
「正解。よくできました」
ようやく事態を理解した狭間が声の方向に顔を向けると、華麗過ぎる一本背負いをかました黄泉が、お姉さんらしい表情を浮かべながらそう告げる。
二人がぶつかる瞬間、一瞬で距離を詰めた黄泉が二人の間に割り込んでいったのだ。
それが分かった凛は被害を被る前に距離を取り、距離を取り損ねた狭間がターゲットとなって華麗な一本を決められてしまったわけである。
手を離し、狭間から少し距離を取る黄泉。行ったのは神業と言っても差し支えのないそれであるというのに、まるで散歩でもしているような軽い歩みだ。
「凛は体調悪いみたいだから、やめてあげてね。申し訳ないけど」
「んなもんが理由になんのかよ。体調管理も俺らの仕事だろうが」
「それはそうなんだけど……」
んー、と困った表情を浮かべる黄泉。聞き分けのない弟に対して諭す姉みたいな表情だと凛は思う。
実際はそんな可愛いものではないが、黄泉からすれば大して変わらないのだろう。
「それならアンタが相手してくれんのかよ。俺は別にそれでもかまわねぇぜ?」
「おい狭間。そろそろいい加減に―――」
「帝の坊ちゃんは黙ってな。これは俺らの問題なんだよ」
うーんと、少し悩んだ顔を見せる黄泉。普通に考えて交流の場として設けられたここで喧嘩をすることが良い事なわけが無いのだ。
帝の言葉ならあるいはと思ったが、諫める帝の言葉も狭間には届かないらしい。
室長候補の中で一番年上の二人の制止も聞かないとなれば、もはや上の連中に頼るしかないだろう。
そう思い、黄泉は室長たちが集まっている部屋を見やる。そこには当然その衝突を止めてくれる大人たちが居るはずなのだが……。
「やっちまえってよ、黄泉」
「あの人たちは……」
頭痛を耐えるかのように眉間に手を当てる黄泉。
親指を立てている神宮司室長を始め、皆楽しそうに椅子から乗り出してこちらを見ているのだ。
唯一のストッパーである二階堂桐も室長連中全員を相手にするのは流石に骨が折れるのだろう。今の諌山黄泉と同じような顔をしていた。
「だってよテメェら。どうするよ、なんなら二人がかりでも構わねえぜ?」
室長たちも興味があるのだろう。自分の部下が他と比べてどれ程の力を持っているのかに。
そしてそれは室長候補達も同様であった。凛は勿論、黄泉ですら興味がないと言ったらハッキリと嘘になる。
―――やるしかないかな。
近くに落ちていた木刀を拾い上げ、感触を確かめる。どうやら壊れてはいないらしい。十分に使えるだろう。
「二人でもいいってよ、黄泉」
「あら男前。……とは言っても流石に2対1はね」
「まぁそうだよな。じゃんけんにでもする?」
達観したやる気ではあるが、黄泉も既に戦闘態勢に入っている。
しかし凛としてもチンチクリンだのヒョロヒョロだのと馬鹿にしてくる奴をぶっ飛ばしてやりたいという気持ちに溢れており、正直自分がやりたいのだが……などと思っていると、思わぬ人物が横から入ってきた。
「私が入ろう」
「服部嬢?」
「私が入れば2対2だ。数としては丁度いい」
そういって狭間の隣に並び立つ服部。昨夜話した感触としてはそれほど好戦的な人間だとは思っていなかったのだが……。
そう思い凛がチラリと上を見ると、服部の祖母がどうやらけしかけたらしいことがわかる。
縁談の件と言い、面倒なバアさんだと内心で悪態をつく。
上を見る限り帝の祖父も孫の参戦を楽しみにしていたみたいだが、当の帝綜左衛門自体にやる気がないのでそれは叶わなかったらしい。
東北の室長、室長候補は静かなものだ。静観に徹している。
「私が小野寺とやろう。貴様と小野寺をやり合わせたらどんな事態に発展するかわからん」
「いいぜ。でも終わった後あいつが立ってたら俺にやらせろよ」
「善処しよう」
先程三人で争っているときに取りに行っていたのだろう。狭間に向かって彼の獲物を放る服部嬢。
「気が利くじゃねぇか」
「分かっているとは思うが舐めてかかるな」
「は!勢い余って殺さねぇように気を付けるさ」
「そうか、貴様はあの二人の戦闘を見たことがないのだったな」
「だから何だってんだ。―――相手が神童だろうがなんだろうが俺のやることに変わりはねぇ。ただ目の前の敵をぶちのめす、それだけだ」
「吠え面をかかないことだけ祈っておこう」
そう言ってそれぞれの相手の対面に立つ二人。それぞれ自分の獲物を構え、戦闘準備は万端らしい。
「黄泉、お前倒されるの前提みたいだぞ」
「そうみたい。私が倒されたら敵討ってね?」
「それ、俺からも頼んでおくわ。―――それじゃ」
やろうか。
その四文字の言葉をきっかけに、4人はぶつかり合った。