喰霊-廻-   作:しなー

48 / 78
第14話 -温泉旅行?3-

 響く水の音。

 

 水滴が水面へと滴り落ち、ぽちゃんと音を奏でる。その音は不思議なことにどんな楽器が奏でる音よりも心を落ち着かせる響きがある。

 

 ゆらゆらとく揺る湯気。この暑い夏の日にもはっきり見えるそれは、湯の温度の高さを雄弁に主張していた。

 

「黄泉ー。結局原因ってなんだったの?」

 

「んー。あんまり良くないものかな」

 

 ふう、と言いながら黄泉は背中にある石に全体重を任せ、上を見上げる。

 

 そこに広がるのは夏の大三角が美しく輝く夜空。

 

 見上げれば吸い込まれてしまいそうな、自分と空との境界線が曖昧になってしまうような、そんな幻想的な空が頭上には広がっている。

 

「良くないもの?」

 

「うん、良くないもの。女の子の骨だったみたい」

 

「人の骨だったの!?……随分すごいの埋まってたんだね」

 

「びっくりしたわよー。その処理とかで室長たちは今大忙しみたい」

 

「人の骨が見つかったらそうだよね……。凛ちゃん達は?手伝ってるの?」

 

「凛達はもう戻ってるわよ。多分私たちと同じく今頃お風呂はいってるんじゃないかしら?」

 

 白くしなやかで美しい二の腕に温泉の湯をすくって掛けながら黄泉は答える。

 

 黄泉と神楽が居るのは部屋に備え付けられた露天風呂。

 

 高級層に属するこの旅館は部屋のグレードによっては露天風呂がついており、大浴場とは別に露天風呂を堪能することが出来るのだ。

 

 訓練が終わった後に大浴場のほうには既に入っているため、今回は部屋のお風呂を堪能しているという訳である。

 

「二人とも汗だくだったもんね。黄泉もだったけど」

 

「あの二人ほどじゃないけどね。夜なのに最近暑すぎー」

 

 ふー生き返るーなどと言いながら湯につかる黄泉に神楽がババ臭いとの突っ込みを入れる。

 

 石に両肘を載せながら足を組み、ふいーなどと言っている姿は確かに少女らしくない。凛が見たら神楽と同じように突っ込みを入れるだろう。もし見たのならば凛の辞世の言葉がそれになってしまうかもしれないが。

 

「私は何もしなくていいの?みんな働いてたのになにもしてないのは……」

 

「いいのよ。後の処理は大人たちに全部任せましょ。私たちはよくやったわ」

 

「でも私何もしてないよ?」

 

「いいのよ、面倒くさいのは男どもと大人に任せておけば。私も大したことはしてないしね」 

 

 そういって黄泉は神楽の頭をポンポンと叩く。

 

「……そうだね!凛ちゃんには無茶させてもいいし」

 

「そうそう。凛は手荒く扱ってもそうそう壊れやしないから。……ちょっと最近頑張りすぎだから心配だけどね」

 

 爆笑する二人。仮にも対策室で準エースと呼ばれ、全国に名前を轟かせ、防衛省の第四課の女性に銃を突きつけられるほど警戒されているはずの男が、この二人にとっては仲の良い男子生徒くらいの感覚でしかないのである。

 

 黄泉のうなじから滴が一つ滴り落ちる。それは音を立てることはなかったが、水面に微小な波をたたせて消えていく。

 

 諌山黄泉の身体には傷一つない。全身、白くてきめ細やかな肌であり、とても戦闘に身を置いているとは思えないほどの身体をしている。

 

 そして、それは土宮神楽も同様である。黄泉ほど白くはないにせよ、傷一つない健康的な肌。

 

 温泉で美しく映える、水着になっても恥ずかしくないそれを二人は持っている。

 

 だが、それは異常なことだ。

 

 表の世界において美徳となる美しい肌。シミ一つない銀雪の如き肌を持つことは女性として何よりの誉れであり、年老いてなお女性が追い求めるものである。

 

 しかし退魔師の世界において、女性がそれを維持することはほぼ不可能と言っていい。戦闘に身を置くものが、怪我による傷で肌を汚さないなど普通はあり得ない。どんな天才であっても、跡の残る怪我をすることは避けえないのだ。

 

 現に、小野寺凛の身体には多量の傷跡がある。その一つ一つは小さいものであるにせよ、跡が残るような怪我を彼は何度も負っている。鍛錬中しかり、戦闘中しかり。

 

 そうであるのに、この二人は殆ど傷がないのだ。

 

 傷を負うにしても治るものであるような軽いものばかりで、小野寺凛のように身体に残るものはほとんどない。

 

 男女の意識差があるにしても、身体の傷の差が大きすぎる。

 

 これを凛は才能の差であると考えている。

 

 究極まで努力を突き詰めた凡人(小野寺凛)と、努力を一切怠らない天才(諌山黄泉と土宮神楽)の違いであると考えているのだ。

 

 辿り着いた強さには簡単に測れるような優劣も貴賤もない。だが、確固たる差はある。そこに至るまでの過程で生じていた要因という差が。そしてそれが、才能なのだ。

 

「そろそろあがろっか。長く入っちゃったし、あの二人もとっくに上がってるでしょ」

 

「そだねー。夏だし暑いし、そろそろいいかも」

 

 チャポンと静かな音を奏でて黄泉は温泉から上がる。

 

「そうしましょ。そうだ神楽、冷蔵庫に凛が買ってきてくれたアイスがあるの。それを食べながら最後浸かりま―――」

 

「―――あれ?鍵かかってない。開けといてくれたのか」

 

 その声を聴いて、黄泉の足が止まる。

 

 露天風呂を出ると脱衣所があり、そこを超えたところに当然黄泉たちが寝泊まりする部屋がある。

 

 そしてその部屋と外界とをつなぐパスは一枚の扉であり、家であれば玄関に値する重要な防御壁である。通常ならば文字通りキーアイテムを使用しなければ潜り抜けることは能わない、乙女にとっては男子の数百倍以上も価値のある一品である。

 

「黄泉ー。入るぞー」

 

 その防御壁を潜り抜けた先は当然黄泉たちの部屋であり、そこに襖などの仕切りがあるといえどもそれは紙にも等しい防御力しか持ちえない、外敵の侵入を拒むにはほぼほぼ無用の代物しか存在しない。

 

 ガラッと音を立てて開かれる襖。

 

 今日は貸し切りだからと扉に鍵をかけていなかったのが災いした。まさか身内に伏兵がいるとは流石の黄泉も想定していなかったのだ。

 

 開かれた襖の奥にある凛の目と、脱衣所の奥にある黄泉の目が、二人の視線が交差する。

 

 彼のほうは状況を把握し切れていないらしく、目をぱちくりとさせている。

 

 なかなか珍しい表情だが今はそんなことを考えている場合ではない。

 

 温泉を上がったばかりの人間の恰好をご存知だろうか?浴衣、などと答える人間には、ちゃんと日本語を読めと説教をかましてしまっても問題ないくらいには解が明確な問であり、もし間違えた人間がいるのならばその人間は入浴の仕方自体が間違っているのだろう。

 

 そう、脱衣所で体を拭いたためにタオルを纏っているといえども、その防御力は外敵の侵入を許した後の襖のそれに等しく。決して年頃の少女が晒していいものでは無いのだ。

 

 凛の顔が雄弁に状況を理解したと主張する。凛の頭の回転の良さ、機転の利き具合は黄泉も神楽も一目置いている。本人曰くイメトレとケーススタディの積み重ねだと豪語しているが、それを差し置いても称賛に値するものがある。

 

 彼は重要な選択肢を間違えずに、そして即座に弾き出すだけの知性と能力がある。それは事実であり、黄泉はそれを何回も目にしてきていた。

 

 だから、彼が目を見開いてこちらを凝視してきたことは、彼が考える最適な選択肢なのだろう。

 

 まるで知識をフル稼働して数学の問題に向き合う理系学生みたいな本気の顔である。絶対にミスできない一球を待ち構える高校球児のような面構えでもあった。

 

 そう、彼は選択したのだ。黄泉を凝視するという選択を。

 

 それならば黄泉は全力で答えるしかなかった。

 

 彼が見るしなやかな肢体から繰り出される最高速かつ最大威力の横蹴りを、開き直ってスケベ心を隠そうともしない弟分の顔面に容赦なくぶち込んであげたのだった。

 

 

------------------------------------------------------------

 

「……知らない天井だ」

 

 顔面(特に鼻)と後頭部にサンドイッチされた痛みにたまらなくなった俺はぱちくりと目を開く。

 

 ……本当に知らない天井だった。旅館の天井なのだから当たり前なのだが。

 

 むくりと起き上がる。視界に移るのは何やら枕投げをして遊んでいる黄泉、神楽、剣輔の姿。

 

 ここは黄泉と神楽の部屋か……?はて、なんで俺はここでぶっ倒れてたのだろうか。

 

「あ、どエロ小僧がやっと起きた」

 

「凛ちゃんのエロおやじ!」

 

「……あれで普通に起きるとかアンタ人間すか?」

 

 寝起きの俺に三者からのありがたいお言葉が突き刺さる。

 

 そうだ思い出した。

 

 黄泉が部屋で少し遊ぼうというから風呂を浴びてから黄泉の部屋を訪れたのだ。そしたら鍵が開いているからてっきりあけておいてくれたものだと勘違いしてそのまま入っていくとバスタオル一枚の黄泉に遭遇。

 

 一瞬戸惑ったが目を逸らしては失礼だと思い正面から受け止めたところ見事な一撃を顔面に喰らったのだった。

 

 ……しかし見事なプロポーションだった。脱いだら凄いとはわかってはいたが、さればよ。あの蹴りを喰らうに値する褒美だったといえる。そして紀さんへのヘイトはより一層高まった。

 

 ちなみにであるが、多分冥さんの方が大きい。服の上からの目算なので何とも言えないが。

 

「あったまくらくらする。鼻の奥血なまぐさいし」

 

「あのぐらいで済んで感謝しなさい。獅子王の切れ味を体験させてあげても良かったのよ?」

 

「……お心遣い痛み入ります、閣下」

 

 獅子王での制裁は勘弁願いたい。

 

 俺は一通り武器は使えるのだが、実は一回獅子王を使わせてもらったことがある。

 

 その霊力の迸るさまと切れ味は圧巻の一言であり、斬鉄剣をこの俺ですらできてしまった。安物の日本刀とかだと俺は斬鉄なんてできやしないのだが、獅子王は別格だった。そんなものでなます切りにされた日にはマグロの気持ちがわかるなんてものではない。ぜひとも避けたいものだ。

 

 ちなみに黄泉は安物の日本刀で斬鉄をしてました。あれを見たときは素直に感動してしまった。拍手とは自然と出てくるものなのだと初めて知ったし、こいつに喧嘩は極力売らないほうがいいとも知った。

 

「……で、今は何やってんの?あの七渡しも十捨ても何もない戦略性のかけらもない糞大富豪から枕投げにチェンジしたの?」

 

「……凛ちゃん負けたこと相当根に持ってるんだね。そう、枕投げ!さっきまで99やってたんだけどね」

 

「99?はて、やった覚えがあるような」

 

「それはそうでしょ。千景さんから教えてもらったんだから」

 

 神楽の答えを引き継いで、黄泉が答える。

 

 そうか、あの一部の大学生御用達の基地外ゲームか。そういえば母親に以前教えたことがあった。

 

 手持ちのカードを一枚ずつ出していって、フィールドにある数を足し合わせて99になったら負けという簡単なゲームなのだが、絵札にはそれぞれ効果があったり、足し算を間違えた瞬間に一気飲みなどの制約が加わり始めると、単純なこのゲームが次第に難しくなっていき、最終的には自分が飲まないよう相手を陥れていくゲームへと変貌していく。

 

 このルールも母親に教えたら嬉々として父親を潰していた。大して肝臓の強くない我が父に、鯨飲という言葉がふさわしいほどに酒を飲む母親とではどちらが潰れるのが先かなど火を見るより明らかであった。

 

「あのゲームか。三人だと回り早すぎて決着つきにくいだろ」

 

「だから枕投げにシフトしたのよ。人もいないから騒いでも怒られないし」

 

「俺が寝てたんですがそれは」

 

「あんたのは自業自得でしょ。むしろあれだけで済ませてあげた私の温情に感謝なさい」

 

「……ありがたいことで。でも枕投げって三人でやっても大して面白くないだろうに」

 

 この枕投げというゲームはなかなか大人数でやるからこそ面白味が増すのだ。

 

 どこから飛んでくるかわからない枕を意識しながら、自分は狩りの相手を探して相手を探す。それに気を取られているうちにぶつけられて……などというのは少なくとも4人以上じゃないとな。

 

「どれ。俺も参加してやるか。中学の頃、枕投げの帝王として名を馳せていた俺の実力を見せてやろう」

 

 首の骨を鳴らしながら俺は立ち上がる。

 

 ちなみにこのあだ名はマジだ。枕にあまりに当たらな過ぎて最終的には11対1とかになった。……流石にそれは負けたけどね。11方向から来たらさすがに回避はつらいし、掴んで投げ返すのも無しだったし。

 

「隙あり!」

 

「おっと」

 

 参戦を表明した途端に飛んでくる神楽の枕。

 

 俺と剣輔の部屋からも持ってきたのだろうか?全体の枕の数がおかしい。

 

「むう。やっぱり避けるね凛ちゃんは」

 

「当たり前だ。つうか参戦確定する前に攻撃してくるのはどうなんですかね神楽さん……って黄泉もかよ!」

 

 飛んて来た黄泉の枕を掴み、黄泉に投げ返す。すると違う方向から飛んでくる枕。剣輔である。

 

 それを紙一重で避けるとまたしても神楽から飛来する枕。

 

「ちょっと待て!3対1かよ!」

 

「体力お化けのあんたを倒すにはこのぐらいしないとね!」

 

「覚悟!」

 

「すんません凛さん!」

 

「剣輔、てめえまで!いいだろう!相手になってやろうじゃないか!」

 

 足元に落ちている枕をドア前にいる神楽に向かって放り投げる。

 

 枕を投げる体制をとっていた神楽にはクリーンヒットするタイミングだ。ジャストタイミング、流石俺。

 

 ついでに剣輔から投げられていた枕を俺の右側に位置する黄泉に向かってその勢いを殺さずに流して投げつけ、枕で黄泉の枕を相殺すると足元の枕を蹴り上げて黄泉に投げつける。

 

 枕で視界を奪っての枕だ。なかなか避けれるものではなく、黄泉にクリーンヒットする。

 

「ぶっ!やっぱやるわねこの男は!」

 

「甘いぜお前ら!この程度で俺に勝とうなんて10年早い!」

 

 明らかに疲れを見せている剣輔にノールックで一発当て、黄泉にしたのと同じ戦法で神楽に攻撃を加える。

 

 なんだかんだ言って俺も乗り気である。精神年齢がそろそろ40歳に近づいてきているというのに何をしているんだか俺は。

 

 神楽のほうを見ずに剣輔からの一撃を回転することで神楽へと受け流し、しゃがむことで黄泉の一撃を回避する。

 

 流石退魔師トップクラスの身体能力を持つ二人であり、パスなども巧みに使って攻撃してくるが、なんでもありのこのルールだと甘すぎる。こんなものじゃ俺に一撃を加えるなど不可能だ。

 

「まじで当たんねえ……!」

 

「ほんと身体能力に関してはキチガイね!」

 

「黄泉!パス!」

 

 三人同時にパスを出して、ランダムな奴が自分の手元にあったものをなげ、そうしなかった奴がパスを受け取って俺に投げてくるなどのとんでもないコンビネーションを見せてくれたが、俺には残念ながら通用しない。

 

 単純な身体能力なら俺はこの三人に圧倒できる自信があるし、事実そうだ。そこに剣術とか霊術が加わってくると全く話は別物になるのだが、ともかくこの戦場において最強は俺であり、絶対は俺だ。

 

 まるで某漫画の赤髪キャプテンにでもなった気分だ。

 

「おらおら!そんなんで俺を狩ろうってか!?頭が高いぞ!」

 

「神楽!接近戦よ!」

 

「黄泉さんパスです!」

 

「零距離なら……!」

 

 そんな俺たちの楽しい枕投げは、俺の投げた枕が、あまりに騒がしいからと覗きに来た二階堂女史の顔面に炸裂するまで続けられたのであった。

 




次話、黄泉との対談です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。