俺は生まれ変わりってやつを経験した人間、いわゆる転生者ってやつだ。
前世では大学生をしていた。
些か以上には名前の知れた大学に通い、日々を惰性を貪りながらのんべんだらりと過ごしてしていたのだが、ある日を境にそれが一変。突如として悪性の腫瘍にやられて涅槃へと旅立つこととなってしまった。
末期癌だった。
痛みも何もなく、だるいからという理由で病院で検査を受けたら白血球の数がおかしいとのことであれよあれよという間に精密検査へと連れていかれ。
思考が追い付かぬままにさんざん検査された挙句、そこで下された結論は「余命三か月」の宣告だった。
訳がわからなかった。
末期癌なんてそこらの知らない奴らがかかってる病気だったし、ましてやそれで自分が死ぬなんて想像もつかなかったから理解が全く追いついていなかったのだ。
死ぬ直前までこれは何かの冗談だって本気で思ってしまっていたぐらいに俺は錯乱していた。
22だった。たった22で俺はこの世を去ったのだ。
親に大した孝行もできず、ろくでなしの金食い虫の息子のまま俺は他界した。
悔しかった。俺は家族になんの恩も返せていなかったし、なんの貢献もできていなかったのだ。
ただ無作為に勉強して、普通に遊んで、それで死んだ。
人生に意味がなかったなんて言わない。だらだら過ごしていたとしても少なくとも俺は俺の生き様に絶対的な誇りと自信を持っていた。惰性を貪っていたといえどもそれは人並み以上に努力はした上での物だ。後悔なんて一切していなかった。
―――でも、それでも。
俺は明確に誰かの為になるような人生を送りたかった。自分の為だけじゃなく、誰かを救ってあげられるようなそんな力を持った格好いい人間になることを俺は望んでた。
だから俺は死ぬ間際にこう願った。
―――あわよくば、次は誰かの為になる人生を。
果たして、それは叶ってしまった。
俺は世界に二度目の生を受けたのだ。それも、生前かなり愛好していた喰霊-零-の世界にである。
それに気づいたのは3歳あたりの頃。
前世の記憶持ちなおかげで幼少のころから大人に匹敵する程度の知識を有していた俺は、暇さえあれば父親の書庫で本を読み漁ることで有り余る退屈を消費していた。
俺が生まれ変わった先は俺がいた時代よりも20年以上逆行している世界で、携帯、いわゆるガラパゴス携帯すらろくに発達しておらず、娯楽がそれよりほかに無かったのである。
鈍器みたいな携帯を皆が持ち歩いている時代だったから携帯ゲーム機があるかどうかも怪しかったし。もしかするとカラーじゃないゲーム小僧はあったのかもしれないけど、どのみちこの家には存在しなかった。
それに古風なお家柄のせいで家にある電化製品はテレビと白物家電が限界っていうレベルだからゲームが存在しても買わせてもらえないだろう。
テレビを見ていても怒られるんだよな、この家。
だから俺の娯楽は外で運動をするかそれとも活字の世界に浸るしかなかった。
幸いにして書籍はかなりあった。両親、特に親父が読書家だったのだ。
だが、そんな硬派な父親がライトノベルや漫画などの俺が好むジャンルの本などを所有している筈も無く。
書庫に並ぶ蔵書は殆どが何かしらの専門書だったりバリバリの純文学。
しかしそれしかこのとてつもない暇を潰す手段は無い。
そういう訳で俺はわずか3歳にして漢字たっぷり専門用語たっぷりな本などに没頭する奇抜な子供になってしまった。
本当に暇だったのだ。それをしていないと蟻が行列を成して巣に向かっていくのを眺めているぐらいしかやることが無かった。
一応両親が幼児向けの教育本を買ってきてくれていたが、そんなの一回読んだら飽きる。
最初はもの珍しさに母親と一緒に読んだりもしたものだが、飽きるのに2日とかからなかった。寧ろ1日読み続けてた俺がどうかしてる。
今世で本を読む事しかやることが無かったから仕方なくそれで我慢しているというだけで、前世の環境にいた頃の俺なら本しか読めないなんて状況に陥ったら絶対に発狂してる。
考えても見てほしい。ゲームもスマホもタブレットも何もかもある状態でやることは読書。
そんなの耐えられる訳がない。
本は好きだが、代替物がある状況においてそれを優先するかと言われると首を傾げざるを得ない。
そんなこんなで俺としてはただ退屈をつぶす為にやっていただけなのだが、それを見た周囲から「天才児」だの「あの子は神童だ」などと的外れなことを言われるようになってしまった。
中身は元大学生なのだから当たり前ではあるのだが、確かに俺も外見が3歳のガキが経済学とか法学の理解を必要とする文章に向かい合っていたら天才とか鬼才とかの評価を下すに違いない。
正直気持ち悪いと思うレベルだ。
それはさておき、この家の書庫にはたまーにだが出版社を通して世の中に流通しているような本ではなさげな論述本があったりする。いわゆる私家版という奴だろうか?どこを見ても出版会社が書いていないのだ。
そして大抵その手の本は怨霊だのなんだのと訳が分からないことが延々連ねられていて、そしてその中にこんなことが書いてある物があった。
―――土宮家は代々最強の霊獣喰霊白叡をその身に宿す家系であり―――
土宮、霊獣、喰霊、白叡。
非常に耳に覚えがある言葉たちだ。
それにそのフレーズは何度も聞いた覚えがある。
あまり書物内では言及されていなかったが、この後には「白叡を押さえつける為に封印加工された殺生石を用いており、また白叡を使役して危険な戦地に赴くことが多い為に、土宮家の人間は短命になりがちである」などの言葉が続くのであろう。
最初見たときは喰霊-零-という作品のある別世界を疑った。
実は両親か家政婦の方々が俺の同志で、酒を酌み交わしながら二晩くらいは語れそうな方々なのかと一瞬期待もしたものだ。
同志がいるかもっていう反応は阿呆の極みだが、アニメに来たなんて考えないのは当然の反応だと思う。
まさか自分が輪廻転生してアニメの世界に生まれ変わるなど信じられないだろう。
瞬間的にその可能性を思いついただけでも随分ライトな文学に思考が染まっている証拠になる。
最初は認められず、なんども推敲を重ねてそれを検討しなおした。
だが、その度に「
それを専門にしている大学生の卒論とかならまだしも、俺が読んだそれはある程度の権威らしき人物が書いた、しかも一般公開向けではない専門書なのである。
例えるならそこらによく売っている「わかりやすい経済学」とかそんな感じの本だ。
経済学の部分が魑魅魍魎とかに変わったと考えてくれれば問題ない。
だが用心深い性格な俺はそんな疑問を抱きながらもまだそれを根拠に断定することはしなかった。
俺が喰霊-零-の世界に生まれ変わったと確証を持ったのは、父親から自分の家についての説明を受けたときだった。
どうやら俺の一族は
さすがにこれを聞いて喰霊-零-に関係がある世界であることを疑うことはできなかった。
俺は喰霊-零-の世界に生まれ変わったのだと、そこでようやく思い知った。
普通ならこんな話は3歳の赤子になんぞしないそうだ。だが俺の知能がどうやら高いらしいと当たりをつけていたうちの両親は試しに聞かせてみたらしいのだ。
確かにこんな話、3歳児にする話じゃない。
アンパ〇マンだの妖怪ウォ○チだのを見せて喜ばせているような年齢だろうが、神童とか呼ばれていたせいで退魔のエリート教育に親を走らせてしまったようだ。
その話を聞かされた次の週からはさっそく鍛錬が始まった。
3歳なんて普通なら遊びたい盛りで修行なんてくそくらえな年齢だろうが、
―――好都合だ。
幼いうちに努力しておく価値を俺は知っている。三つ子の魂百までじゃないが、この時期の子供のポテンシャルが異常なことを俺は知っている。
ここが喰霊の世界なのだとしたら、そこに生まれ落ちる悲劇を俺が変えてやる。全てとは言わずとも、俺が可能な限りで喜劇に変えてやる。
死ぬ直前に臨んだ、誰かの為になるような格好いい人生を、この世界で送ってやる。
その為の努力を怪しまれないだけの環境ができた。
なら、俺はその意思を貫き通す。
3歳の春、
実はこれ作品自体まだ投稿する予定なかったんですが、設定のミスで投稿しちゃってました。
お気に入りに登録されて初めてそれに気づく体たらく。
とりあえずいったん公開しちゃったのでこのまま投稿しようかとは思います。
中の人最近多忙なので不定期な可能性高いですけど。
そしてお気に入りありがとうございます。
狂喜乱舞する程度にはうれしいです。
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