恋姫立志伝   作:アロンソ

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六話 潁川郡①

 

 ある程度はわかっていたことであったが、この時代の役人は無能が多い。

 

 それが何進に招かれて虎賁郎中という地位に就いたオレの最初の感想であった。役人といっても高官を見る機会は少なく、周りにいるのが低い地位の者ばかりであったことも原因であるとは思うが、それにしても酷いものであった。

 

 そのくせ差別意識が非常に強かった。士大夫、名士といった層。簡単な話がエリート連中は目に見えて何進やオレのような成り上がり者を軽んじていた。話をまともに取り合わないどころか、露骨な嫌がらせまでしてくる始末。まあ後日、数倍にして返してやったわけではあるが。

 

 エリート連中も別段、優秀というわけでもなかった。家柄や名声、一番は儒教の教えとやらだろう。そんなものを修めているからいい気になっているだけで、実際仕事ができるのかと見てみればそうでもない。都の商人連中のほうがよっぽど機転が利く。

 

 どこかで聞いたような受け売りを言葉を並べては、偉そうに講釈を垂れられたこともあった。そんな時は決まって意地の悪い質問を一つか二つ投げ掛けてみた。すると途端に言葉に詰まる。そんないい加減な知識でよく人に物を言えるものだと逆に関心することもあった。

 

 そりゃエリート連中の中にも当然、優秀な人はいた。それでも絶対数は無能のほうが遥かに多い。そんでもっていい加減、そんな輩の相手をするのもうんざりしていた。

 

「何進殿。もういい加減、足を引っ張られるのもうんざりです。何人か脇の甘い輩を吊るし上げ、失脚に追い込んではみませんか?」

「また物騒なことを平気で言いよるのお……」

 

 無能な輩はだいたい汚職に手を染めていた。

 

 叩けばいくらでも埃は出たし、それを隠し通せるだけの要領を得ている連中ばかりでもない。

 

 そしてエリート連中の属する派閥もいくつかあったが、どれも一枚岩というわけでもなかった。握りつぶされないであろう絶妙なラインの小物を数人ピックアップしては汚職の裏を取る。都の商人達の伝手もあったし、それ自体は難しいことではなかったのだが。

 

「駄目じゃ駄目じゃ。気に入らない者とも折り合いをつけてやっていけねばならんからのう」

 

 何進がそれを是とはしなかった。

 

 どうしてだろうとオレは思った。影響力のある高官には手を回してはいないし、候補に挙げているのは泣かず飛ばずの下っ端ばかりである。何人か見せしめに吊るし上げてやればいい。そうすれば周りから舐められることも減るはずだ。

 

「効果的ですよ?そのための根回しだってオレがやっときます。後になって面倒な騒ぎになるようなことはないと思われますが……」

「駄目じゃ。御主もそうじゃのう。なんでも強引に事を片付けようとしてはいかん。皆が皆、物分かりの良い者ばかりではないからのう」

「それもそうですが、このまま侮られていると後に尾を引くことにも繋がりますし……」

 

 なおも食い下がってみるも、何進の返答が変わることはない。

 

 けっこう名案だと思ったんだが仕方ないか。何進の考えを保守的と見るか大人の対応と見るか。別にどうしてもしたいというわけでもないし、ここは上官でもある何進の考えを汲むべきだろう。調べていたことが無駄に終わってしまったのは残念ではあるが。

 

「焦って事を仕損じればそれこそ大事じゃ。今はゆるりとやればよい。黄河のように広い心で日々を過ごせば、余人の些細な言動に声を荒げることもなし。処世術というやつじゃのう」

「流石に年食ってるだけあって良い事いいますね。言葉の重みが違う。年季が入ってるなあ……」

「なっなっなっ……。だ、誰の年季が入っておるじゃと!?もういっぺん言うてみんか!」

「冗談ですよ。冗談。しかし面白くない。だが仕方ないか。これも経験ということかな……」

 

 虎賁郎中の任に就いていた時期はそれほど楽しいものではなかった。

 

 だからだろうか。何進に潁川郡太守の話がやってきた時は内心、手を叩いて喜んだものだ。これでようやく都から離れることができると。ストレスから解放されたことで、着任当時のオレはかなり機嫌がよかったことだろう。それ故にあんな失態を犯してしまうことになる。

 

 

 

 

 

 予州は潁川郡。

 

 潁川郡はこの時代、有名な人物をかなり多く輩出している。

 

 荀彧を輩出した荀家。孔明達の師匠である司馬徽。袁家に仕えている者の多くも潁川郡出身であると耳にしたことがある。さらには何進の政敵濃厚である宦官の親玉、張譲もまた同郡出身だ。

 

 何進が太守として、そしてオレがその次官に当たる郡丞として潁川郡へ入る。この地は都から近い分治安が良い。名士や地元豪族との折り合いがつけば治めるのは簡単だろう。わざわざ反抗してくるようなことはないとは思うが、備えだけはしておこうと思う。

 

 他に特徴を挙げるならなんだろうか。後の三国時代から見ると潁川郡は守るのが難しい土地だ。どの地もそうだといえばそうなのだが、この地は中原のど真ん中にあり、四方からの攻撃の危険性が高い。立地がいいため勢力拡大の地として攻め込むには打ってつけである。

 

 治め易く、守り難い。それが潁川郡の、いや予州全体のイメージであった。だが今回は別にそうガチガチに縛ってまで治める必要もない。何進はやがて都へ戻ることになる。長い休暇だと思ってのんびりやっていればいいだろう。

 

「そんじゃ豪族達との顔合わせは任せますね」

「なんじゃ御主は顔を出さぬのか?」

「まあ、あんまり興味もありませんし。他にやることだってありますし」

 

 何進の後ろに突っ立ってるのも退屈だしな。

 

 話も長くなるだけで格式ばったものだろうし、内容もある話にはならないだろう。いくらか豪族共も文官を送ってはくるだろうが大物はいないはず。なんせ成り上がり者だ。匙加減を考えて適当な人材を送ってくればそれでいい。そのぐらいのほうが助かる。

 

「オレは何進殿の代理として県や尉の連中を締め上げときますよ。悪さをしていないか調べた上で、上下関係をキッチリ叩き込んどきます」

「派手にやり過ぎるでないぞ。しかし御主は休暇がどうとか言うてなかったか?」

「のんびりやるつもりですが、始めは肝心ですからね。ああ、そうそう。豪族には甘い顔しといてくださいね。この辺は中央とも関わり合いの深い者も多そうですから」

「う、うむ。ようわかった」

 

 反抗はしてこないだろうが協力的とまではどうだろう。

 

 内心では見下してるんだろうな。オレだって逆の立場なら面白くはないだろうし。しかし何進の立場は強くないな。こりゃ苦労も多そうだ。

 

 

 

 地元の有力者達が挨拶に現れ始めたある日のこと。

 

 この日は荀家の者がやってくるらしい。荀家といえば曹操に仕えた大軍師、荀彧を輩出した一族である。流石に興味を惹かれたが顔を出すのはやめておいた。当代はまだ荀彧の親の世代であるようだし、その親を見たところでどうということもない。

 

 そういえば荀彧は長子なのだろうか。上に兄弟がいれば家督はそっちが継ぐのかな。この世界だと姉妹かもしれないな。というかおそらく姉妹だろう。

 

 そんなことを考えながら新たに拠点となった城を闊歩する。いくらか歩いていると一人の少女に出会った。その少女はネコミミフードを被っていて、オレを見るなり明らかに顔を顰める。

 

「……おそらくアレがそうなのよね。まったく憎たらしい顔をしてるわ。どうしてあんなに堂々と歩けるのかしら。まるで理解できないし、あんなの存在自体が不敬罪でしょ……」

 

 聞き間違いだろうか。

 

 小声ではあったが悲しいほど鮮明に耳に入る。もしかしてオレは今罵倒されてたのだろうか。しかしどうしてだろう。どうしてオレは初対面の子に罵倒されたのだろうか。

 

「……普通はその地域の者に補佐を任せるのが通説でしょうに。まったくこれだから学のない成り上がり者は。しかもよりによって男だなんて、こんなの到底甘受できるわけが……」

 

 どうやら聞き間違いではなさそうだ。

 

 それでも一応はオレに聞こえないように言ってはいるみたいだ。まあバッチリ聞こえてはいるがな。子供の悪口に目くじらを立てるのも大人気ないが、どうしたものか。見ない顔だし城の者ではないだろう。豪族の関係者だと面倒だし、ここは知らぬ顔をしておくべきか。

 

「……汚い。致命的に存在が汚いわ。同じ空気を吸っていると妊娠しそう。かと言っても先にこの場を離れるのは負けたような気になるし。さっさと消え去らないかしら……」

 

 やっぱり見逃せんな。

 

 周りに人もいないし悪口は別に聞き流してもいいが、それだと面白くもない。やっと都の馬鹿共から開放されたことだし、少しぐらいは楽しまないと損だろう。

 

「おや?何処からか悪口が聞こえてきたような。おかしいな。オレに歯向かう連中は粗方処罰したはずだが、まだ生き残りがいたのか……」

「……っ!?ま、まさかこの私のことかしら。周りに人は……いない!これは不味いわね。バレる前になんとかこの場を切り抜けないと……」

 

 バレバレなんだよな。

 

 しかしどうしようかな。叱りつけるというのも芸がないし、別に腹が立っているということもない。少しお灸を据えてやれば改心するだろう。まあ改心しないのならそれでもいいが、この場はオレに付き合ってもらうとしよう。

 

「おう嬢ちゃん!誰の存在が不敬罪だって?取り繕うにも遅いぞ。全部バッチリ聞いてたからな」

「くっ……。一瞬期待させておきながら腹の立つ男ね。これだから男は嫌いよ。無知で無能で、それでいて汚らわしい!」

「お、おう。開き直るとは予想外だな。しかしどうするんだ?オレの立場はわかっているようではあったが、ごめんなさいするか?」

「するわけないじゃないの!御生憎様。目撃者はいないようだしシラを切り通すわ。状況証拠も何一つないし、弁舌で言い包める自信はあるの。わかったらさっさと消えなさい!」

 

 なるほどそうきたか。

 

 それにしても口の悪い子だな。そしてまったく物怖じしていない。本当に自信があるのだろう。その弁舌とやらを拝聴してみたい気もあるが、豪族の関係者だとやはり面倒だ。着任早々、地元の豪族と揉めましたじゃ見聞も悪い。

 

「なるほど参ったよ。これはもうお手上げだ」

「ふんっ!わかったらさっさと消えなさい!同じ空気を吸っていることが不快でしかないのよ!」

「そう連れなくすることもない。君もひどく鬱憤が溜まっているようだ。この際全部吐き出してスッキリするといい。黙って聞いててやる」

 

 ここは言葉巧みに誘導してみようかな。

 

「そんなこと言って私の粗を探すつもりでしょ。これだから男ってのはセコイわね……」

「黙って聞いているし、手を上げることも絶対にしない。無論、誰かに告げ口をするようなこともなければ、この場での出来事を持ち帰って問題に起こすこともない。我が誇りにかけて誓おう」

 

 誇りなんて別にないけどな。

 

 この世界でなら真名にでもかけて誓ったほうが効果はありそうだが、そんなものはない。もし断られたら諦めて離れるか。そんでもってこの子の関係者を見つけ、揉めない程度に告げ口でもしようかな。

 

「そこまで言うならいっそ、そこの窓から投身自殺を図ってほしいのだけど」

「それは無理だ」

「あっそ。なら仕方ないから信じてあげるわ。そしてその汚らわしい耳の穴を限界まで広げてよく聞きなさい!私がこの世の道理というものを無学の成り上がり者に聞かせてあげるわ!」

 

 そこからは長々と罵倒のスペシャルフルコースを味わった。

 

 オレじゃなきゃ憤死しているか新しい性癖に目覚めていただろう。あまりにも語彙にとんだ言葉の数々に関心の念すら覚える。政治家でもやらせりゃ人気が出そうな子だな。

 

 無表情で聞くというのも芸がない。オレは屈辱に塗れた表情を作って話を聞いた。次第にフードの子の表情が勝利の色に染まる。高い快感を覚えているのだろう。息も絶え絶えに罵声を浴びせてくるものだから面白い子だ。自分が罠に掛かっていることにも気づいている様子はない。

 

「時に嬢ちゃん。一ついいだろうか」

 

 永遠とも思える罵倒の中で一筋の光明が差し込む。

 

 フードの子の背後から忍び寄る影。この時をオレは待っていた。思っていたよりも来るのが遅かったが、これでもう少し面白いことになりそうだ。

 

「な、なによ。いまさら約束を違えるだなんて通らないわよ。信の無き者に人はついて来ないわ。わかったら黙って続きを聞きなさい」

「オレは確かに黙って聞いていると言った。誰かに告げ口をすることもないとも言った。が、事態は常に移り変わっていくものであってだな」

 

 口の端が緩みそうになる。

 

「桂花!貴方、郡丞殿に向かってなんという口の利き方をしているの!」

「お、お母様!?ど、どうして……」

 

 フードの子の親御さんだろう。

 

 すごい剣幕でやってきてはフードの子を怒鳴りつける。その声に思わずオレの背筋も伸びる。いつの時代の母親の声というのは迫力があるものだ。

 

「意図せず第三者の耳に入った時は知らん。ま、観念して説教されるといい」

「なっ!?アンタもしかしてこれを狙っていたの!?無策を装っておきながら姑息な手を……」

 

 あんなに声を張り上げていて誰かの耳に入らないわけないだろうに。

 

 城だって当然無人ではないし、たまたま通らなかっただけで普段はここも人が行き来する場所だ。あるいは影でこっそり見ていた誰かが報告に言ったのかもしれない。いや、そう考えるのが自然だろう。誰かは知らんがナイスな判断であったと褒めたい。

 

「桂花!貴女は本当に好き嫌いが激しいのだから……。郡丞殿によく詫びなさい!」

「ですがお母様。……って!後ろです!お母様!あの者の顔を見て下さい!!」

 

 親御さんが背を向けている間、フードの子に向かって舌を出しておどけてみる。

 

 そして親御さんが振り返るものなら瞬時に神妙な面持ちに切り替える。役者顔負けの演技力だろう。だが油断していると表情が崩れそうになるから困る。

 

「私も新天地で世のため人のためと希望を胸に抱いてやって来たのですが、こうして早くも嫌われてしまい、自分の徳の無さを恥じるばかりです」

「いけしゃあしゃあと……。アンタ絶対にそんなこと思っていないでしょう!」

「桂花!貴女は何度同じことを言わせるの!礼を逸するような真似はお止めなさい!」

 

 親御さんやっぱり怖いな。

 

 虐めても可哀相だからこのぐらいにしておくか。しかし良いとこの子は教育も厳しいんだろうな。あんまり効果がでているようには思えなかったが、きっとそうなんだろう。

 

「私は仕事もありますので、大変名残惜しいですがこれにて失礼いたします。どうか彼女を責めないであげて下さい。私も大いに学ぶことがありましたので」

「寛大な御言葉痛み入ります。申し遅れましたが私の名前は荀緄と申します。御迷惑をお掛け致しましたのが娘の彧です。桂花、貴女も御挨拶なさい」

「これはこれは御丁寧に。荀緄殿に御息女殿は荀彧殿と申されるのですか……って、荀彧?」

 

 今荀彧って言わなかったか。

 

 荀緄殿の娘さんで彧ときた。流石にこの流れで字のほうを告げるわけないよな。となると姓が荀で名が彧となる。なるほど荀彧か。なるほどオレが煽っていたのは未来の曹操軍の大軍師様ということか。こりゃいかんな。煽ってる場合じゃない。

 

 荀彧と呼ばれた少女を横目で覗き見る。叱られて完全に涙目だ。そんな荀彧を見ているとオレも泣きそうになる。知らなかった。悪気はなかった。今はとても反省している。そんな言葉が脳裏に過ぎるがもう遅いだろう。いや案外、過ぎたことと荀彧はもう割り切っているかもしれない。

 

 そんな一抹の希望を抱いて少女から発せられる言葉を待つ。丁寧な前置きの後に少女は荀文若であると名乗った。あんまり聞きたくはなかったが、間違いではないらしい。

 

「……素敵な名前だね。君は大いに大成すると思うよ。それで今日のことなんだけどさ……」

「うっさいわね!わかっているわよ!今日の屈辱は生涯忘れることはないわ!いつか万倍にして返してあげるから覚えてなさいよ!」

 

 わかってるなら水に流してくれよ。

 

 荀彧の言葉を聞いて荀緄殿が額に手を当てて溜め息を吐いた。オレもまた未来の大軍師に敵対宣言をされたことに大きくため息を吐く。まったく面倒なことになったもんだ。

 


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