恋姫立志伝   作:アロンソ

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二十一話 新たな時代の前触れ

 

 古代中華に農民反乱はつきものだ。

 

 秦の時代に起こった陳勝・呉広の乱。新の時代に起こった赤眉の乱。そして後漢の時代に起こった黄巾の乱。いずれも農民が中心となって起こした世界でも極めて稀で大規模な反乱である。

 

 そしてこれらは、その時代の王朝が滅ぶ直接的な原因となっている。先の時代でもそうだ。唐の時代に起こった黄巣の乱。元の時代に起こった紅巾の乱。清の時代に起こった太平天国の乱。

 

 中国という国は農民反乱が非常に多い。思考・信仰などによって人が集まりやすいという点もあれば、単純に何時の時代も治世が悪いということもあるだろう。そしてその多くが王朝が滅ぶ原因となっている。人は歴史から何も学ばない。同じことを何度も何度も懲りずに繰り返していく。

 

 農民が反乱を起こす理由を普通に考えてみれば、政治の腐敗や重税からくる生活苦が原因だろう。それらが反乱鎮圧後に改善されるのであればいいが、今の王朝に変わることを望むのは難しい。ただ人が多く死に、肥沃な地が枯れ、地方の諸侯や豪族が軍閥化に動き、乱世へと近づく。

 

 内乱期と見れば外の異民族も漢王朝の領内で蛮行を働くはずだ。他にも細かいことは多くあるが、結局これらの積み重なりが王朝の威光を失わせていく。未来の知識を活用して乱に対する先手を打つことも可能であったかもしれないが、結局それは問題を先送りにしているに過ぎない。

 

 仮にオレが張角を見つけ出して黄巾の乱を起こす前に討ち取ったとしても同じことだ。やがては他の誰かが同じような乱を起こす。ただ主犯格の名前と乱の名称が変わるだけのこと。

 

 大きな流れに逆らうことはできない。歴史上の重要な出来事はどれも積もり積もった小さな出来事の積み重ねによって起こっている。ならば官軍が勝つとわかっている戦いであれば無理に動くこともない。張角よりも優れた指導者の手によって反乱が長引く危険性だって十分にあり得る話だ。

 

 ずっとそんな風に考えていた。自分が歴史を動かすことなんて到底出来はしないと。未来の知識を活かして上手く時代の趨勢を見極めればいい。勝ち馬に乗ってのんびりやっていけばいいと。

 

 多少誤差はあったが大筋ではこの時代へやってきた当時から思い描いていた通りに進んでいた。当初の予定通りに進めるのであれば、そろそろ何進の下から離れる準備をしなければならない。

 

 もうずいぶんと偉くなってしまった。早めのうちから根回しをしておかないと官職を辞めるのも一苦労だろう。辞められないのであれば地方領主となるのもいい。戦乱から離れた地であれば何処がいいだろうか。そんなことが頭を過ぎるも、その度に引っ掛かるのはいつも何進のことだ。

 

「水の低きに就くが如し。世の大きな流れは止まることなく、その未来が変わることもまた……」

 

 これまでもオレは結論を保留し続けてきた。それこそもう五年近くにもなるのだろうか。

 

 それでも時代はやがて動き始める。孫家が都を離れてから半年。そしてオレがこの世界へやってきてから七年余り。春はまだ遠く、雪解けも待たずして新たな時代の足音が迫ってくる。

 

 

 

 

 

 年号が改められた中平元年二月。俗に言う黄巾の乱が大陸全土で一斉に蜂起する。

 

 これを重く見た朝廷は外戚の筆頭である何進を大将軍に据え、さらには洛陽近郊にある八関にそれぞれ都尉を置き、都を守護させることを決める。精兵の多くは都の守備に回されるだろう。

 

 それでも大将軍となる何進には実戦経験など無いので、何進に留守を任せてオレが討伐軍を動かすことになる。前々から告知されていた通り将軍位を賜り、さらに下には三名の指揮官がつく。

 

 左中郎将皇甫嵩。右中郎将朱儁。北中郎将盧植。三名が招聘された際に少し話したがみんな頭がキレる。朝廷の人選も意外と悪くない。こんな時は派閥や足の引っ張り合いはないのだろうか。

 

 賊の勢力が強いとされるのは冀州方面と豫州方面。そのどちらかに黄巾賊の本隊があり、さらには主犯格の張角がいるはずだが、今のところ居場所まではまだわかっていない。近日中には報告が挙がるはずだ。張角のいる方面にオレが出向き、もう一方に皇甫嵩と朱儁を向かわせる手筈だ。

 

 盧植は都に待機させる。荊北や涼州で大きな事が起こった際に向かわせたいが、涼州は色々と面倒な地であるので正直まだ悩んでいる。国境を越えた先にいる羌族は手強いと聞くし、涼州の漢人は羌族との混血も多いらしい。羌族と結束して漢王朝に反抗してくる可能性も十分にあり得る。

 

 朝廷としては涼州よりも荊北に重きを置けというスタンスだろうが、細かいことまで口煩く指示してくることはない。反乱を鎮圧すればだいたいのことは見逃してくれるだろう。なら他は全て無視して張角一点集中で倒せばいいんじゃないかと言えばそれも違う。そんなことは許されない。

 

「……ま、そんなわけで盧植殿。大変だとは思いますが一つよろしくお願いしますね」

「え、ええっと……将軍?風鈴の活動範囲だけ明らかに広過ぎるような気がしますが……?」

 

 細かいことは盧植に丸投げしようと思う。盧植はかなり優秀そうだし大丈夫だろう。

 

 荊北といっても南陽郡は去年大きく叩いているし、江夏郡に隣接する郡である廬江郡には戦闘マシーンの孫堅が率いる孫家がいる。流石に他郡の領内に入り込むことは出来ないだろうが、中央がもたついている間に、あの周辺の賊を根こそぎ蹴散らしているんじゃないかと期待を寄せている。

 

 荊北がどこら辺までを指すのかはわからないが、南陽郡と江夏郡を抑えておけば一先ず大丈夫だろう。南郡も見ておきたいが人材的にも兵力的にもそこまで中央の手が回ることはない。

 

 それと将軍と呼ばれてはいるが正式にはまだ将軍位を賜ったわけではない。今は内辞が下っただけだ。大将軍になる何進と一緒に近々叙任式を執り行うと聞いた。それでも叙任式が終わってから賊に対する方針を考えているようでは遅すぎるので、こうして今のうちから内々に動いている。

 

「そこら辺は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処して下さい。盧植殿には期待してますよ」

「要するに行きあたりばったり……?」

「そう言わんで下さい。皇甫嵩殿と朱儁殿が率いる軍は徴兵したばかりの新兵中心の編成となりますし、官軍本隊を率いる私が賊に敗れたとなると非常に不味いことになりそうですし……」

 

 漢王朝の領土はあまりにも広い。中央軍だけで全ての賊を討伐するなんてことは不可能だ。

 

 その結果として地方の諸侯や豪族の軍閥化が進む。中央軍の手の届かない地域では、その地域の有力者が中心となって賊討伐にあたる。そうなるとその地域の求心力は徐々に王朝から離れ、その有力者へと集まって行くこととなる。事の顛末を見てみれば王朝が滅びるのも当然だと思う。

 

「国の威信に関わることです。無理は重々承知ですが、我々がやるしかないですからね……」

「なんとも頭の痛い話ですね……」

 

 こうして世は群雄割拠の様相を呈していく。最終的に大陸は三つの国に割れるのだろう。

 

 その後も少し話をした。盧植は元々官職に就いていたが病を理由に一度は去ったようだ。それからは地方で寺子屋を開き、若者を招いては学問を教え、のんびりと過ごしていたそうな。

 

 ウチの公孫賛も盧植の教え子らしい。さらに一人凄い逸材がいるとの話であったが、詳しく尋ねてみると言葉を濁された。ちょっと変わった人らしい。また公孫賛にでも聞いてみるとするか。

 

 楽隠居と洒落込んでいた盧植も世が乱れると、過去の実績から朝廷に請われて都へ戻されたようだ。辞めたのに呼び戻されるとか堪ったもんじゃないな。それもこんな時に。むしろこんな時だからこそ優秀な人材を招く必要があったのだろうが、なんだか盧植が凄く不憫に思えてきた。

 

 それでも同情なんて真似はしない。存分に働いてもらい反乱鎮圧後に恩賞を以て報いるのがいいだろう。優秀な人材を逃す手はないので、盧植を中央の要職に就けるように進言してみようかな。

 

「皆で力を合わせて頑張りましょう」

「そうですね。泣き言ばかり言って申し訳ありません。風鈴よりも将軍の方が大変ですもんね」

「部下が非常に優秀ですからね。あまり心配はしていませんよ。むしろ配下というよりかは……」

 

 上司である何進が気になる。叙任式の前に一度、腹を割って話し合う必要があるだろう。

 

「将軍?どうかなされました?」

「大したことではないですよ。立場が上がればその分、重責も増えるのだなと思っただけです」

「その通りですね。それでも任された以上は、しっかり責任をもってやり遂げる他ないですよ!」

 

 全くもってその通りだ。今更悩んだり愚痴を零したところで状況が変わることはない。

 

 そんな暇があるのなら素早く反乱を鎮める策を考える方が効率的だ。朝廷にやれと言われればやるしかないのだから。賊如きに敗れ命を落とすのであれば、それまでの人生ということだろう。

 

 

 

 

 

 元の世界にいた頃。この時代のことについての知識はあまり多くはなかった。

 

 この時代よりも次の三国時代の方が遥かに知っていることは増える。三国時代は日本でもかなり人気が高かったし、歴史に興味が無い人であっても一般教養の範囲で知り得る知識もある。

 

 オレの上司である何進遂高の名は一般教養の知識では補えない名前だろう。この時代について深い知識のないオレが何進の名前や経歴を覚えていたことに特別な理由があるわけではない。

 

 何かの拍子に何進の名前を見つけ、そしてその経歴を見た。成り上がり者で分を弁えずに死んだ小物。それが率直な感想であった。こんな小物が次の三国時代まで生き残るはずはないと。

 

 たまたま偶然、その名前を覚えていた。だからオレはこの世界へ来て何進を頼った。無能で傲慢な成り上がり者。はっきり与し易いと考えていた。宥めて持ち上げて甘い言葉の一つでもかけてやれば楽勝だろうと。方針もなく漠然と生きていたオレにとって何進は悪くない腰掛先であった。

 

 何進が思い描いていた通りの人物であれば楽だった。大将軍となることで威張り散らかし横柄な態度を取る何進であればそれでよかった。何進が悪人であるほどオレにとって都合がよかった。

 

「……今日も辛気臭い顔をしてますね」

 

 大将軍となることが決まった何進は以前にも増して思い悩むことが多くなっていた。

 

 大将軍となったことに重圧を感じているのか。それとも宦官との対立が本格化することを懸念しているのか。いつも元気な何進が参っているとオレの気も晴れないので困ってしまう。

 

 盧植と話をした後、オレはその足で何進の執務室へと向かった。何進は何をするでもなく机に両肘をついては俯き、深く思い悩んでいた。ここ最近頻繁に見かける何進が今日もそこにいた。

 

「そういう御主は普段と変わらんの」

「将軍やりたくないなってぐらいですかね。後は辛気臭い貴女を見ていると気が滅入ります」

「相も変わらずわらわに対する敬意が欠けておるのう。いや、こうして用もないのに訪ねて来たことが御主なりの敬意なのかもしれんな」

 

 返事にもどこか覇気が無い。長く何進の軽快なツッコミを耳にしていないので寂しい。

 

 大将軍という位は何進にとって重責なのだろう。ならば辞めればいいんじゃないかとオレは常々思っていた。理由なんてなんでもいい。病を患ったとでも言っておけば大抵のことは通る。

 

 ここ最近。いや、もっと前からだろうか。何進の様子は傍から見ても元気が無かった。体調が悪くて元気が無い。または病を患っていて元気が無いという理由は十分に通りそうなものだ。

 

 今の動乱期に大将軍が退くなど、通常であれば朝廷にとっても大きな痛手ではあるが、正直なところ何進はお飾りである。オレがいなければ皇甫嵩、朱儁、盧植の何れかが指揮を執って張角を討つはずだ。三人の名前は薄っすらとではあるが覚えがある。おそらくはそんな感じなのだろう。

 

「……別に無理する必要はないんですよ」

 

 ここで考えを改めてくれれば何進がこの先、生き残る道もあるんじゃないかと思う。

 

「はっきり言って何進殿に権力争いは向いていません。貴女は善人で優しい人です。宦官なんて放っておけばいいんですよ。王朝の負の遺産です。わざわざ相手をする必要なんてありません」

「…………左慈よ」

「地方に戻ってまた昔みたいにのんびりやりましょう。オレも頃合いを見計らって官職を返上します。それでいいじゃないですか。権力なんて握っても楽しいことないですよ。面倒ばかりです」

 

 これが通らないというのはわかっていた。人は一度手にしたものを手放すことができない。

 

 これは何進に限った話ではない。人は大切なものほど手放すことができない。失ってしまうことに対する恐怖や罪悪感を覚える。権力や地位は時間をかけて積み上げる物だから簡単ではない。

 

 オレも本来であれば何進という重みが取れることを、身軽になれると喜ぶべきであった。何進の謀殺に巻き込まれない手段はいくらでもあるし、そもそもオレは別に張譲を始めとした宦官連中と仲が悪くはない。大尉のところの連中が騒いでいた時も間に入って止める立場にあった。

 

 それでも今は喜ぶことなんてできない。そして通らないとは理解していても言わずにはいられなかった。長閑な地方にでも引っ込んでのんびりやるのも悪くはない。オレは別に権力に固執しているわけではないし、朝廷のいざこざに巻き込まれるのも、何進が死ぬのを放っておくのも嫌だ。

 

「御主の言葉はいつだって正しい。わらわでは張譲の相手など到底務まらんのであろう」

「それでも立場ってものがありますからね。大将軍になってしまえば否が応でも担がれますよ。貴女のことが嫌いな連中も宦官を討つためだのと調子の良いことを言ってすり寄ってきますよ」

 

 そんなの馬鹿馬鹿しいでしょ、とオレは言った。そんなことをする必要がどこにあるのかと。

 

 何進は兵士や下級役人には好かれていても、高官や名家の取り巻きなどの評判は良くなかった。当初から抱かれ続けていた無能な成り上がり者という評価を今日まで覆せてはいなかった。

 

 オレはそのことに気づいていたがあえて何もしなかった。仲を取り持つよりも反発させたままの方が都合が良いと考えていた。そうしておけば何進のことだから、その連中を嫌って手を貸そうなどとはしないだろうと。上手くいけば大将軍を辞任する理由となり得るんじゃないかと考えた。

 

「……わらわはずっと思うておったのじゃ。史に名を残すような立派な人物になりたいと」

「貴女は今のままでも十分立派です。それがわからない人なんて相手にしなければいい。大将軍となれば後世にも名が残るでしょう。ですが他の大事なものを失ってしまい兼ねません」

 

 上手くいく可能性が無いわけではない。それでも賭けとして成立させるには分が悪すぎる。

 

「宦官との権力争いに勝ったとしてもそれで終わりとは限りません。人の欲には際限が無く、いつだって満たされないものです。味方であった人がある日突然、敵となって失脚や謀殺を企ててくる可能性だって大いにあります。あっさり終わるかもしれませんが、永遠に続くかもしれません」

 

 実際に何進は敗れて死んでいる。

 

 歴史を知っているオレが加わることでそれを覆すことは可能かもしれない。だがオレは歴史知識以上にこの時代の今について深く知っていた。だからこそ物事を現実的に考えてしまう。

 

 宦官の排斥は確かに可能。だが何氏は元々宦官の後ろ盾で成り上がった弱い外戚である。従来の外戚ほどの力は無く、周りとの関係も円滑であるとは言い切れない。はっきりいって隙が多い。黄巾の乱の結果次第では影響力を伸ばせそうだが、それでも盤石であるとは決していえない。

 

 成り上がり者と揶揄している連中がこの隙を逃すとは考え難い。こっちの地盤が固まるまでには手を打って来るだろう。やっぱり面倒だ。都から離れる一手があまりに光っている。

 

「……御主はどうみておる?」

「全てが上手くいく確率は五に一つ。十に一つ。いや、もっと低いかもしれません」

「それでも……じゃ。十に一つであっても百に一つであっても上手くいく可能性はある。その僅かな望みをわらわは捨てきれん。身の丈に合わんとはわかっていても、功名心を求めてしまう」

 

 何進がこう答えることはわかっていた。そんなことは話をする前からわかりきっていた。

 

「孔子だって言っていたじゃないですか。過ぎたることは足りないことよりもずっと悪いことだって。貴女はそれを理解しているのですから、そうならない道を選ぶこともできるはずです」

 

 こんな諭す様なことを言わずに、もっと語気を強めてでも何進を引き止めるべきだろうか。

 

 柄では無いが怒鳴ったり口汚く罵倒して何進が思い直すのであればそうしてもいい。一族に罪が言及されるかもしれないと脅してもいい。それで思い直すのであればいくらでもそうする。

 

「権力を火に置き換えるとようわかる。御主は火が危険と知ればその場から離れられる。じゃがわらわはそうはいかん。わかっておっても引き寄せられる。どうしても抗えんのじゃ……」

「その火に近づくことで身を焼き滅ぼされるとしてもでしょうか。それはあまりにも……」

「馬鹿げておる。その通りじゃ。それでも王朝の膿を取り除き、国をより良く出来るのであればそれでも構わん。都から去ってしまえば一生悔いが残る。悔いだけは残しとうないのじゃ」

 

 それでも結局はこうなる。歴史の成り行きは止めようとして止まるものではない。

 

 これまで結論を長く先延ばしにし続けていたのは、この事実から目を背けるためだろう。わかりきっていたことだった。今更になってどうこうと言ったところで変わることはない。

 

「左慈よ。御主は本当に変わった。昔の御主ならこうも親身に話をすることはなかった」

「根本的には何一つ変わってませんよ。結局こうして引き止めることしかしていませんし」

「それでよい。御主は押しも押されぬ王朝の立派な将軍じゃ。無理にわらわに付き合うこともない。いつまでも御主の世話になっておっては、わらわも大将軍として恰好がつかぬからのう」

「……勿論そのつもりですよ。オレはオレの好きにやります。面倒事はごめんですから」

 

 人が良いだけではやっていけない。そしてそんな人ほど早く死んでしまうのが世の倣いだ。

 

 オレ一人であれば何進と共にやってもいい。だが今そうしてしまうと敗れた時が面倒だ。配下のみんなにも迷惑がかかる。荀家や司馬家にも連鎖して飛び火してしまう可能性だってある。

 

 結局オレもこの世界の歯車にがっつりと嵌っていた。枠組みが大きくなればなるほど勝手なことはできない。負ける未来を知っているオレが情に任せて動くことなんて許されることじゃない。

 

 何進は元々死ぬ運命にある。ならばそれは仕方のないこととして割り切るべきだ。ずっとそうするつもりだったじゃないか。今更どうこうと御託を並べたところで劇的に何かが変わることもない。当初の予定通りに進めればいい。歴史通りに進めて行けば間違いはないはずなんだから。

 

「……左慈よ。そう辛そうな顔をするでない」

「していませんよ。する理由もありませんし」

「それならばいい。今はなによりもまず第一に、反乱を鎮圧することが最優先じゃからのう」

 

 

 

 

 

 その日の晩、空には血の様な赤い月が光る。

 

 月が赤く見えるのは何が原因だっただろうか。オレは家の縁側に座りながらそんなことをぼんやりと考えていた。とにかく不快な月だった。見ていると次第に苛立ちが募っていく。

 

 立春が過ぎても依然として冬の夜は寒い。すぐに立ち上がって部屋に戻ってもよかったが、別に戻ってもすることもないのでその場に留まった。オレは苛立ちながら赤い月を見続けた。

 

「……わっ!?お、おい左慈。お前なんでまたこんなところにいるんだよ?寒くないのか?」

 

 どれぐらい座っていたことだろうか。焔耶に声をかけられるまで長くその場にいた。

 

 意識を起こすと手がかじかんでいることに気づく。指を動かそうにも反応が薄い。それでもまさか赤い月が不快だったなんて意味不明なことを言うこともなく、話題を変えてみる。

 

「まあ、ちょっとね。そういう君はどうしてここにいるんだ?もうずいぶんと遅いだろ」

「え、そんなこと聞くのか!?夜遅くにこの道を通る理由なんて一つしかなさそうだけど……」

「ああ、すまんすまん。厠だな。そこまで気が回らなかったよ。オレはホントにダメだな……」

「厠なんてはっきり言うなよ……。それとどうかしたのか?なんだか元気がないようだけど?」

 

 あまり楽しい話ではないこともあり、基本的に仕事の話を家ですることはなかった。

 

 焔耶に心配をかけかねないことだ。曖昧にしたまま話を流してもよかったのだが、この時は酷く焦燥感を覚えていたこともあり、ぽつぽつと話をする。愚痴ばかりを長々と零してしまった。

 

「君にだけは前に話していたと思うが、オレは未来のことがある程度わかるんだよ。でもそれは必ずしも良いことばかりじゃない。嫌な未来も見えてしまう。辛いことも本当に多いんだ。自分がしたいと思ってもそうすることが出来ない。落とし穴がある上をわざわざ歩くことはないだろ」

 

 何進は人生に悔いを残したくないと言った。だがオレはどうしても悔いが残ってしまう。

 

 焔耶はオレの話を黙って聞いてくれた。その後も長々と愚痴ばかりを続けてしまう。何に対する愚痴なのかは自分でもわからない。とにかく思いつく限りの不満をオレは言葉にした。

 

「……長々とくだらん話をして悪い」

「話をしてくれて嬉しいぞ!左慈は昔から何でも一人で抱え込むところがあるからな」

「オレは昔から進歩していないな。もっと上手くやっていればと思うことがとにかく多いよ……」

 

 何時だったか言われたことがある。オレは利に目敏く情に薄い人間だと。本当にその通りだ。

 

 割り切ることには時間が必要だろう。それでもいつかは時間が洗い流してくれる。その時はきっと納得しているはずだ。仕方のないことであったと。過ぎたこととして割り切れているはずだ。

 

「左慈は変わったよ。一番近くで見て来たワタシが言うんだから間違いない。左慈の話はやっぱり難しかったけど、一つだけ気になることがある。未来がわかるから辛いって言ってたけどさ……」

 

 ここがオレの分岐点だった。焔耶の言葉で長く心にかかっていた霧が次第に晴れていった。

 

「未来は人の手で創り上げるものだろ?だったら嫌な未来だってきっと変えられるはずだ。そして未来を変えるってことはさ。未来を知っている左慈にしか出来ないことだと思うんだよ。一人じゃ難しいんだったらワタシも手伝うし、きっとみんなも左慈に協力してくれると思うぜ!」

 

 これまでオレはあれこれと悟ったようなことを言いながら結局本気で考えてはいなかった。

 

 この時に初めてオレは未来を変えることを強く意識した。これまでのようにやんわりしたものでも、都合の良い他力本願なものでもなく、自分の力で歴史を動かすことを強く意識した。

 




次話は焔耶視点の回想です。

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