ダンジョンに竜の探索に行くのは間違っているだろうか   作:田舎の家

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第十一話 怪物祭

 襲い来るモンスターを相手に、長い金髪を靡かせる女剣士が戦っていた。

 二級、三級の冒険者では、見切る事も出来ない疾風のような剣捌きで振るわれる『レイピア』が、蜻蛉型の『ガン・リベルラ』を切り裂き、大型の『バグベアー』を突き刺す。

 

 ここは、二十階層『大樹の迷宮』。

 

 彼女の名は、アイズ・ヴァレンシュタイン。

 オラリオ最強派閥の一つ【ロキ・ファミリア】の幹部を務め、冒険者の中でもトップクラスの剣の腕を持つ、Lv5の第一級冒険者である。

 

 

 数日前、【ロキ・ファミリア】は『深層域』への長期遠征から帰還した。

 それからまだ時間が経っていないというのに、彼女は一人で『ダンジョン』に潜り、趣味の迷宮探索を続けていた。

 彼女の実力を持ってすれば、この程度の階層に出現するモンスターでは、例え大群であっても問題なくあしらえる。

 

 しかし、そんな実力者のアイズにも焦りがあった。

 遠征を終え帰還した彼女は、主神ロキに【ステイタス】の更新を行って貰った。

 その結果は芳しくなく、二週間に渡る遠征で『深層』のモンスターを多数倒したにも関わらず、彼女の基本アビリティにはさほどの変化が見られなかったのだ。

 

 (今のままでは、もう強くなれない……)

 

 その事実は、彼女にとって一種の恐怖ですらある。

 幼い時に彼女の心を縛り、今も縛り続ける漆黒の縛鎖だ。

 それを切り裂き、彼女の心に自由を齎す事が出来るの者は、自分自身しかいない。

 

 彼女は、そう考えていた。

 

 それもまた、彼女の掛けられた呪い。

 アイズ・ヴァレンシュタインを救ってくれる『英雄』はいない、という呪いだ。

 

 そして、彼女は今日も一人で剣を振り続けている。

 

 

 

 無数のモンスターを倒し、一人で所持出来る『魔石』や『ドロップアイテム』が限界に達したので、アイズは地上に帰還する事にした。

 

 その途中、捕獲したモンスターを入れたカーゴを運ぶ、【ガネーシャ・ファミリア】の団員を見つけた。

 明日に行われる『怪物祭』で、調教師が相手をするモンスターなのだろう。

 アイズは、彼らの邪魔にならないよう、正規ルートを外れて上層を目指す事にした。

 

 その道行きの半ばで、彼女は三人の冒険者とすれ違った。

 一人は、軽装の金属鎧に、槍を持つ青年。

 それに、戦闘衣を着ただけで、一切武器を持っていない男。

 後は、見上げるような巨漢で、白銀色の全身鎧を纏い、金属製の盾と大斧と鎖の付いた鉄球を背負っている大男だった。

 

 彼らは地図を睨みながら、通路を進んでいる。

 人の事は言えないが、いずれも、何故『中層』をうろついているのか、疑問に思えるような実力者達だとアイズは感じた。

 

 (こんな冒険者……いたっけ?)

 

 ダンジョン探索以外の事には余り興味を持たないアイズだが、派閥の幹部を務める以上、他派閥の強力な冒険者の名前と顔ぐらいは知っている。

 しかし、第一級冒険者クラスの実力を持つらしいその冒険者達の顔には、彼女も全く見覚えがなかった。 

 

 それでも、冒険者同士がダンジョンの中で顔を合わせたら、その対応は基本的には不干渉である。

 オラリオにある【ファミリア】は、決して友好的な相手ばかりではない為、下手に干渉しようものなら得物の横取りと誤解される恐れもあるからだ。

 

 だからアイズも、彼らとは無難にすれ違おうとした。

 その時、三人の冒険者がアイズの方を見た。

 無関心や好奇心といった、それぞれの視線を感じる。

 

 【剣姫】の二つ名で呼ばれる彼女は、見覚えのない彼らとは逆に迷宮都市オラリオの有名人だ。

 道を歩けば、人々から見られる事にはアイズも慣れているが、彼らの視線はそれらとは少し違うように思えた。

 

 だが三人は、すぐにアイズから視線を外し、そのまま通路の奥に消えて行った。

 

 「……?」

 

 その不思議な出会いに、アイズは首を傾げた。

 

 

 

 「今の娘が、【剣姫】のようだな」

 

 クロコダインは、たった今迷宮内で擦れ違った金髪金眼の美少女が、噂に聞いたオラリオ最強の女剣士にして、ベルの想い人だと気が付いた。

 

 「確かに、腕は立つようだ」

 

 嫌でも目立つその容貌に加え、全く隙のない立ち姿を見れば、囁かれる実力にも偽りがない事をラーハルトも察する。

 

 「やっぱり、ベルには、難しそうな女だよなぁ」

 

 余りにも、高すぎる花。

 とても、ベルの手が届く相手ではないのではないかと、ヒムは思う。

 

 「まあ、憧れるだけなら害はない。その憧れを糧に強くなれるのなら、オレ達も応援してやろうではないか」

 

 今頃、地上でヒュンケルに扱かれているであろうベルの事を思い、クロコダインはそう言った。

 

 今回の探索では、ヒュンケルがベルの特訓の為に地上に残り、三人でダンジョンに潜っている。

 これまでの探索で、『大樹の迷宮』内は粗方巡ったが、やはりダイは発見出来ない。

 次の探索では、いよいよ二十五階層以下の『下層』を目指す事になるだろう。

 

 暫くして、彼ら三人も地上への帰還を始める。

 『祭』の日は、翌日に迫っていた。

 

 

 

 ベルの特訓、二日目。

 この日も早朝からベルとヒュンケルは、人気のないエリアにいた。

 昨日半日の修行で、一週間で勇者になれる『特別』ハードコースの達成は、今のベルには無理だと判った。

 なので、今日からの特訓は、『通常』コースで地道に技の修練をやって行く事になる。

 

 それでも、ヒュンケルのプレッシャーに耐えながらの模擬戦は、Lv1のベルにとっては厳しいものだった。

 昨日と同じく、何度も地に叩き付けられ、挑んでは弾かれるベル。

 憧憬の彼女に追いつく日まで、彼の苦労は続くのであった。

 

 

 

 そして、夕刻。

 昨日と同じく、動かなくなったベルを担いで、ヒュンケルはホームに戻って来た。

 

 「おお、ヒュンケル。戻ったぞ」

 

 ホームの教会には、ダンジョンから帰還したクロコダイン達がいた。

 今回もダイ捜索は空振りだったようだが、皆悲観する事はもう止めている。

 

 「その様子を見ると、この二日間で随分可愛がってやったようだな」

 

 ヒュンケルが担ぐ気絶したベルを見て、クロコダインがニヤリと笑った。

 

 「オレに向かって、強くなりたいと言ったのだ。このくらいは当然だな」

 

 動かないベルをベッドに寝かせ、ヒュンケルは武装を解いた。回復薬でベルの身体の傷は常に治しており、動けないのは単なる疲労である。

 

 「へー、ただの子供にしては、頑張ってるじゃねーか」

 

 ベルが片思いするアイズ・ヴァレンシュタインを、実際に目にしたヒムは、その無謀とも言える挑戦に感心し、眠るベルを見た。

 

 「それでこいつは、少しは成長出来たのか、ヒュンケル?」

 

 ラーハルトも多少は気になるのか、そう訊ねて来た。

 

 「そうだな、意外と筋は悪くない」

 

 ベルと模擬戦を続け、ヒュンケルも少し成長の手応えを感じ始めていた。

 まだまだ未熟で身体能力も低いが、やる気は十分にある為に、ベルも少しずつ化け始めているのかもしれない。

 

 一週間で『アバン流刀殺法』を身に付ける事は無理かもしれないが、三ヶ月も鍛えれば、『空裂斬』の習得まで行けるかと、ヒュンケルは考えた。

 

 「ところで、女神殿はまだ帰らんのか?」

 

 派閥の主神ヘスティアは、昨日の朝、用があると言って出掛けたきりまだ戻っていなかった。

 

 「ああ、彼女もベルの為に、何かをする覚悟だったようだ。時間が掛かってでも、その目的を遂げるまでは帰らないだろうな」

 

 街でドレスを買って、『神の宴』に出席した筈のヘスティアの事を思い出すヒュンケル。

 何をする気かは敢えて聞かなかったが、今頃は女神も頑張っているのだろうと、彼は思った。

 

 

 

 所変わって、場所は真っ赤な塗装が塗られた大きな武具店。

 世界的な鍛冶のブランドでもある【ヘファイストス・ファミリア】が運営する、高級店であった。

 

 その店の奥でこの【ファミリア】の主神、女神ヘファイストスの前で、【ヘスティア・ファミリア】の主神ヘスティアは、頑張って土下座をしていた。

 

 昨日からずっとである。

 その理由は簡単。

 ヘスティアが彼女に求めたのは、ベルの為に【ヘファイストス・ファミリア】の銘入りの武器を、オーダーメイドで作って欲しいというもの。

 

 しかし、この派閥に所属する上級鍛冶師の作品となれば、ナイフ一本でも数百万ヴァリスは下らない。まして、注文して作るオーダーメイド作品となれば、ゼロがもう一つ増えるだろう。

 それを求めるヘスティアの予算は、ヒュンケルから許可を貰った300万ヴァリスのみ。

 

 だが、【ファミリア】の主神であるヘファイストスが子供達の作品を安売りなど出来る筈がなく、彼女の求めを当然のように却下したのであった。

 そのヘファイストスにこの無茶な頼みを聞いて貰う為、ヘスティアは最終奥義『土下座』を続けているのである。

 

 それも、丸一日の間。

 

 「……今のあんたには、第一級冒険者の眷族がいるんでしょ? 必要なお金は、その子達に作って貰えば良いじゃない……」

 

 鍛冶神ヘファイストスは、床に頭を擦り付けている小さな神友に溜め息と共にそう言った。

 第一級冒険者の実力なら、四人で『下層』や『深層』に一週間も潜ってモンスターと戦えば、数千万ヴァリスの稼ぎが上げられる。

 多少の時間は掛かるものの、堂々と確実に、【ヘファイストス・ファミリア】の製品を手に入れる事が出来るだろう。

 

 と言うよりも、それが当たり前の事であり、手持ちの金だけでオーダーメイドを求める方がどうかしているのだ。

 

 「うん、そうだね……。義理堅い彼らの事だから、ボクが頼めば、きっとお金を用意する為に動いてくれる。時間を使って、ダンジョンで稼いでくれる筈さ、でも……」

 

 土下座したまま、ヘスティアが語る。

 

 「……彼らには、『目的』があるんだっ! それもお金を稼ぐよりも、大事な目的が……。それを、ボクの一身上の都合で邪魔したくはないんだよっ!」

 

 ヘスティアは、ヒュンケル達の異世界での冒険の数々を聞き、彼らのダイ発見に掛ける重い決意を理解していた。

 その決意は何があろうとも決して揺るがず、同時に、どんな障害でも乗り越えるであろう覚悟でもあった。

 

 しかし、そんな彼らの力になる事が彼女では出来ない。

 力になれない以上、邪魔をする訳には行かないのだった。

 

 「あんたの眷族でしょ? 力を貸して貰うのが、邪魔する事になる訳?」

 

 神から『恩恵』を授かった子供達は、【ファミリア】の主神の為に金を稼ぐ事を求められる。

 手段は色々あるものの、下界に降臨した神が派閥を作るのはまず生活の為であり、それは当然の事なのである。

 

 「うん、彼らに【ファミリア】の為に力を貸して貰う事は、良いんだ。でも、今回はボク個人の都合でお金が要るだけだ。この話に彼らの時間を使わせるのは、彼らの力を借りるんじゃなくて、彼らを都合良く利用する事になる!」

 

 力を貸して貰う事と相手を利用する事は、似ているようで違うと、女神は一線を引いた。

 世界を越えてまでダイを捜しに来たヒュンケル達にとって、本来それ以外の事は全て他所事に過ぎない。

 それでも、彼らは所属した【ヘスティア・ファミリア】の為に金を稼いで来てくれるし、ベルの特訓も引き受けてくれた。

 いくらヒュンケル達が力を持っているからといっても、その力を利用しては駄目だと、ヘスティアは神友に訴える。

 

 「……それって、私にも適用される訳ね」

 

 再度溜め息を吐き、ヘファイストスは床に擦り付けられたヘスティアの頭を見た。

 少なくとも、彼女に自分を利用しようという意図は無い。

 そう断言出来てしまう付き合いが、二柱の女神達の間にはあった。

 

 「……ヘスティア、教えてちょうだい。どうして、あんたがそうまでするのか」

 

 眼帯を嵌めた鍛冶の神が、炉の女神に問う。

 そのベルという子の為に、なぜここまでするのか、と。

 ヘスティアは言葉を吐き出す。

 

 目標を見つけ、変わろうとしているベルを、手助けしてあげたい。その為に、彼にその道を切り開ける武器を渡したい、と。

 絞り出す、ヘスティアの真心。

 それは、ヘファイストスを動かした。

 

 「……判ったわ。作ってあげる。あんたの子にね」

 

 そう宣言し、ハンマーを置いた棚に向かうヘファイストス。

 

 「あんたの子が使う得物は?」

 「え……ナ、ナイフだけど……、あ、そうだ、ヒュンケル君が凄い『剣術』を、ベル君に教えるって言ってたから、これからは『剣』の方が良いのかな?」

 「そう」

 

 一言呟き、ヘファイストスは、紅緋色のハンマーを自らの手に取った。

 それは、ヘスティアが望む武器を、鍛冶神自らが作り出すという宣言。

 喜ぶヘスティアには、代金はきっちり彼女から取り立てると睨みを利かし、ヘファイストスはハンマーをビシッと彼女に向けた。

 

 「でも、作る武器は、そのベルって子供の物だけで、良い訳?」

 

 加工し易い上等級金属『ミスリル』のインゴットを手に、ふと、ヘファイストスがヘスティアにそう訊ねる。

 【ヘファイストス・ファミリア】の武器を必要としているのは、ベルだけなのかと。

 

 「うん、他の皆は、それぞれ凄い武器を持っているからね!」

 

 神匠ヘファイストス自らにベルの武器を作って貰えると、舞い上がったヘスティアは、上機嫌でそう言った。

 ラーハルトとクロコダインは、名工ロン・ベルクが作った伝説級の武器をそれぞれに持っているし、ヒムに至っては自前の拳こそが最強の武器だ。

 

 そして、ヒュンケル。

 

 「ヒュンケル君なんて、『天界産』の『純正オリハルコン』で出来た剣を、二本も持っているんだよ!」

 

 悪気も無く、ヘスティアは笑顔でヘファイストスに話してしまった。

 

 「……詳しく、聞かせなさい」

 

 しかしそれは鍛冶神として、聞き捨てならない情報。

 ヘファイストスの眼光が鋭くなり、声が一段低くなる。

 

 ベルの専用武器を完成させる前に、余計な一悶着が発生するのであった。

 

 

 

 ヘスティアが出掛けてから、三日目の朝。

 たっぷり睡眠を取った事でベルも特訓の疲労を回復させ、体調を整えて目を覚ました。

 

 「それで、今日はどうする?」

 

 朝食を取りつつ、一同は今日の予定を話し合った。

 

 「特に用がないなら、オレはベルの特訓を続ける心算だ」

 

 ヒュンケルがそう言うと、ベルの肩がビクッと動いた。彼も覚悟はしていただろうが、昨日までのハードな特訓が今日も続くとなると条件反射で身体が強張ってしまう。

 

 「オレ達も、今日は用がねーんだよな。昨日ギルドの姉ちゃんが、忙しそうにしてたから、勉強会もなしだよな~」

 

 ヒムにとっては、モンスターなどよりもエイナの勉強会の方がよっぽど強敵だった。

 

 「うむ、何か催し物があるらしい」

 

 昨日、『ダンジョン』から出て来る時、クロコダインはカーゴで運ばれるモンスターらしき姿を目にしている。その場には、エイナも書類を片手に打ち合わせをしていた。

 

 「『怪物祭』という言葉が、飛び交っていたな」

 

 そんな話を集まった冒険者達がしているのを、ラーハルトも聞いている。

 

 「『怪物祭』ですか? 僕も聞いた事がありませんね」

 

 彼ら同様、オラリオに来てまだ日が浅いベルも『怪物祭』の事は知らなかった。

 

 「それなら、今日の特訓はダンジョンで行うか。街中を騒がせても、迷惑だろうからな」

 

 催し物で街が賑わうのなら、厳しい特訓を地上で行うのは控えるべきかと、ヒュンケルは判断する。

 

 「そうだな、では、オレ達も今日はベルの特訓に付き合ってやるかっ!」

 

 クロコダインがそう言うと、ヒムは乗り気で答え、ラーハルトも反対はしなかった。

 団員五人は朝食を済ませると、『バベル』に向かう為に装備を整え始める。

 

 激動の一日は、こうして始まるのであった。

 

 

 

 準備を整えダンジョンに行く為にホームを出た五人は、西のメインストリートに出て通りを進んでいた。

 

 「おーいっ、待つニャそこの白髪頭ー!」

 

 そんな一行を呼び止める声が聞こえた。

 白髪頭と言う呼び名から、ベルの事を指していると、皆が理解する。

 一同が振り向くと、そこは酒場『豊穣の女主人』の店先で、呼んでいたのは猫のような耳と尻尾を持つ猫人、『キャットピープル』という種族の少女店員だった。

 

 「呼ばれているぞ、ベル」

 「僕、ですよね?」

 

 何かと思い、彼らは猫人のウエイトレスに近付く。

 

 「おはようございます、ニャ。いきなり呼び止めて、悪かったニャ」

 「あ、いえ、おはようございます。……えっと、それで何か僕に?」

 

 猫人の少女は躾の行き届いた挨拶をし、ベルもそれに応える。

 

 「そうニャ、ちょっと面倒事を頼みたいニャ。でもその前に……」

 

 ベルにそう切り出しつつ、彼女はベルの後ろにいる四人に、興味津々といった光を宿らせた猫目を向ける。

 

 「おおっ、この人達が噂に聞く、白髪頭の【ファミリア】の第一級冒険者達ニャ?」

 

 既に彼女も、その情報を知っていたのだろう。

 食い逃げしたベルが、ヒュンケル達と同じ派閥の所属だと知り、一緒にいる彼らがそうだと気付いたのだ。

 

 「なるほど、ベルが食い逃げしたのは、この店だったか」

 

 クロコダインが、納得した様子で頷いた。

 

 「なかなか、料理が美味いんだってなっ! 今度来てもいいのか、猫の姉ちゃん?」

 「勿論ニャ、『豊穣の女主人』は、いつでもお客さん、大歓迎ニャっ!」

 

 ヒムが訊ねると、少女がニマニマとした笑顔で来店を歓迎する。

 

 「……アーニャ、クラネルさんに、用件は話したのですか?」

 

 彼らが世間話に興じていると、店から見目麗しいエルフの店員が出て来た。

 

 「そうニャ、忘れてたニャ。はい、コレ」

 

 アーニャと呼ばれた少女店員は、エルフの店員に言われて忘れていた用件を思い出すと、ベルに『がま口財布』を渡した。

 そして、それをシルという少女に渡すよう、ベルに頼んだ。

 

 しかし、説明不足で何が何だか判らず、ベルが困っている。

 結局、エルフの店員リューの通訳によって、店をサボって『お祭り』を見に行った店員のシルに、彼女が忘れていった財布を届けて欲しいという事情が皆に理解された。

 

 そして彼女達の口から、彼らは今日オラリオの街で行われる『催し物』の事を知る。

 

 「……怪物祭?」

 

 昨日バベルで誰かが話していた単語が、ここでもまた口にされる。その詳しい内容を、彼らは誰も知らない。

 すると、店員のアーニャが鼻息荒く説明してくれた。

 

 『怪物祭』とはオラリオで年に一度開かれるお祭りで、闘技場を使い、捕らえたモンスターを調教し、従える事を見せるイベントなのだそうだ。

 主催は『ギルド』だが、実行は街で最大の構成員を誇る大派閥、【ガネーシャ・ファミリア】が行なっているらしい。

 

 「モンスターを手懐ける、見世物か」

 

 ヒュンケルは、ここ数日の街の賑わいの正体を知り、納得する。

 年に一度の大きな祭りの為に、街の人々だけでなく近隣からも人が集まって来ていて、街が騒がしかったのだ。

 

 「でも、モンスターの調教なんて、出来るんですか?」

 

 突拍子もない話を聞かされ、ベルは咄嗟にクロコダインの顔を見た。

 この街の『ダンジョン』にいる凶暴なモンスターを飼い馴らすのは、ベルでも不可能かと思えるが、彼らの世界のモンスターなら手懐ける事も出来るのだろうかと?

 

 「別にモンスターを手懐けること自体は、おかしい事じゃニャい。白髪頭だって冒険者ニャら一度は経験した事がある筈ニャ。ぶっ倒したモンスターがむくりと起き上がり、仲間になりたそうな眼差しをミャー達に送ってくるあの瞬間を……」

 「いえ、あの、一度もないんですけど……」

 「うむ、昔は良くあったな、懐かしい」

 

 ベルには全く身に覚えが無かったが、クロコダインにとっては、それはかつての日常だった。

 

 ラインリバー大陸の『魔の森』を根城とするクロコダインは、『獣王の笛』を使ってモンスターを呼び集め、彼らを倒して屈服させる事で多くのモンスターを部下とし、百獣魔団を結成した。

 その笛も、今は大鼠のチウに譲ってしまったので手元には無い。

 

 「なるほど、この方は、調教師なのですか」

 「話の合いそうな、おっさんニャ」

 

 リューとアーニャが、それぞれの誤解を口にして白銀の武具を纏う大男を見上げた。

 彼女達によると、祭りを取り仕切る【ガネーシャ・ファミリア】では多くの調教師を抱え、モンスターを調教しているらしい。

 『怪物祭』では、彼らが闘技場で観客にその技術を披露するのだ。

 

 「ぶっちゃけ、サーカスみたいなもんニャ」

 

 街の人達が楽しみにしている年に一度の『お祭り』、それが今日の『怪物祭』なのであった。

 そして、そんな祭りの見物に出かけた少女シルに忘れ物を届けて欲しいと、ベルは頼まれてしまったのである。

 

 「あ、あの、皆さん……」

 

 シルの『がま口財布』を握り、何かを言い難そうに、ベルが皆の方を向いた。その申し訳なさそうな顔を見れば、何を言いたいのかは明らかだった。

 

 「年に一度の祭りでは、仕方がないか。今日の特訓は中止だな」

 

 苦笑しつつ、ヒュンケルはベルに祭り行きを許可する。

 

 「ありがとうございます、ヒュンケルさんっ!」

 

 こうして、ベルの命の恩人であるシルを捜して財布を届ける為、皆の今日の『ダンジョン』行きは中止となった。

 

 「それじゃあよう、オレ達は闘技場に行って、『モンスターテイム』ってやつを見物しねーか?」

 

 祭りと聞き、好奇心の湧いたヒムが皆に闘技場行きを提案する。

 

 「うむ、そうだな。オレもモンスターを手懐ける技というものには、興味があるぞ!」

 

 この世界に来て以来、出会うモンスターは全て敵対する者だけだったので、多少なりとも人との付き合いがあるというモンスターにクロコダインも興味を覚える。

 

 「どうする、ラーハルト?」

 「……好きにしろ」

 

 この街の在り方やパーティの空気に馴染んで来たのか、ラーハルトも『怪物祭』を見に行く事には反対しない。

 こうして、彼らの祭り見物は決まったのだった。

 

 

 

 闘技場に繋がるのは、東のメインストリート。

 そこは既に人で混雑しているだろうとのリューの忠告を聞き、ベルは荷物のバックパックも彼女達に預かって貰う。

 ヒュンケル達も手早く武装を外して『袋』にしまい、身軽な格好になった。

 

 そして酒場を後にし、移動を開始する五人。

 移動を始めてすぐに気が付いたが、今日のメインストリートは大勢の人々でごった返していた。

 通りに出店が立ち並び、飾り付けがされて華やかに演出されている。

 

 「おおっ、祭りって感じになっているじゃねーかっ!」

 

 様々な料理を振る舞う出店から漂う美味しそうな匂いに、ヒムが歓声を上げた。

 

 「人の多い街だと思っていたが、今日は特別に多いな」

 

 通りを埋め尽くす人波の中で、巨体のクロコダインは周囲から目立っている。

 

 「あまり、前に進めませんね……」

 

 闘技場に向かう人混みの中で、ベル達は少しずつ目的地に進んで行く。

 

 「おーいっ、ベールくーんっ! 皆ーっ!」

 

 その時、聞き覚えのある声が皆の耳に届く。

 振り返ると、人混みを掻き分けて近付く、彼らの派閥の主神ヘスティアの姿があった。

 

 「神様!? どうしてここに!?」

 

 数日ぶりに見るヘスティアの姿に、ベルが驚く。

 

 「おいおい、馬鹿言うなよ、君や皆に会いたかったからに決まってるじゃないか! クロコダイン君が立っていたから、見つけるのは簡単だったぜっ! 皆も、元気そうだねっ!」

 

 ヘスティアは、異常に上機嫌だった。

 どこにいたのかベルが訊ねても、会話が成立しないくらいにご機嫌である。

 

 「なんだか神様、舞い上がっているぜ?」

 「うむ、女神殿にとって、余程良い事があったようだな」

 

 ヒムとクロコダインが、終始笑顔でいるヘスティアの様子を不思議そうに見つめた。

 

 「理由を知っているのか、ヒュンケル?」

 「ああ、どうやらヘスティアは、目的を無事には果たせたようだ」

 

 ヘスティアが上機嫌なのは、上手く『目的』の物を手に入れられたからだろう。ヒュンケルは、女神に背負われた布の包みに目を向ける。

 それは、長い棒状の物を包んでいた。

 

 (剣か……)

 

 ヒュンケルは、ヘスティアが苦心して手に入れようとしていた物が、何なのかを悟る。

 おそらくベルの為に、彼に見合った武器を女神は求めに行ったのだ。

 そして、彼女はそれを手に入れ、ベルの下に大喜びでやって来たのだろう。

 

 「君達は、『怪物祭』を見に来たのかい?」

 

 漸く少しは落ち着いたのか、ヘスティアは皆がこの場所にいる理由を訊ねる。

 

 「そうだ。一年に一度の祭りと聞いてな、ベルの特訓を休みにして、見物に来た。ついでに、ベルが人捜しも頼まれている」

 

 ヒュンケルが事情を説明すると、ヘスティアはやっぱりボクの推測通りだ、と呟きながら、納得した笑顔で頷く。

 

 「それじゃあ、ボクがベル君を借りても良いかなっ?」

 「神様?」

 

 ヘスティアの頼みに、不思議そうな顔で彼女を見るベル。

 

 「構わない。祭りだからな、二人で楽しんで来ると良い。ベル、今日のおまえの役目は、ヘスティアの相手と護衛だ」

 

 状況を察したヒュンケルは、ベルとヘスティアを二人っきりにさせるようにそう言った。

 

 「おうっ、オレ達は闘技場に行って来るぜっ!」

 「ベル、女神殿を頼んだぞっ、がはははっ!」

 

 皆も気を利かせるように、少年を励ます。

 

 「ありがとう、皆っ!」

 

 大人の眷族達の気遣いに感激し、ヘスティアの機嫌は最高潮に達した。

 

 「よしっ、デートしようぜ、ベル君っ!」

 「……で、デート!?」

 

 そして、上機嫌の女神と困惑する少年は、手を取り合って人混みの中へと走り去って行った。

 

 「行ったか。世話の焼ける神だな」

 

 彼の中の『神』という存在に対する認識を、根底からひっくり返してしまった女神の後ろ姿を見つめ、ラーハルトは呟いた。

 

 「我々の女神殿は、『炉の神』だそうだからな。女神殿曰く、子供達の笑顔が何よりも大事なのだろう」

 

 炉は家の中心にある物、即ちヘスティアは家庭生活と全ての孤児達の守護神であると、クロコダインは聞いていた。

 

 「ああ、珍しい事だが、今回のオレ達は運が良かったようだ」

 

 何かと貧乏くじを引く事が多い彼らだが、異世界に来て最初に出会えた神がヘスティアであった事はヒュンケル達にとっても幸運だった。

 

 彼らの力と事情は、下手をすれば、どうにでも利用されかねない危険性を孕んでいる。

 オラリオで暮らし始めて半月が経過し、この街の事情や神々の実態に触れ、その事を再認識した彼らは、自分達を利用しようとはせず、家族として仲間として接してくれる女神ヘスティアと団員のベルには、心の中で感謝しているのだった。

 

 

 

 そして、二人と別れたヒュンケル達は、都市の東部にある円形闘技場にやって来た。 

 収容人数五万人を誇る巨大な建造物の中に入ると、その観客席には既に夥しい数の大観衆がおり、これから始まる祭りに興奮しガヤガヤと騒ぎ立てていた。

 

 「すげー、賑わいだなっ!」

 

 客席を埋め尽くす人々の数に、ヒムが感嘆の声を上げた。

 

 「それだけ、楽しみにされているという事だろう。どうやら、この街の一般人では、こんな機会でもなければ、『モンスター』を直接見る事も無いようだからな」

 

 『ダンジョン』のモンスターは、『バベル』と冒険者によって抑え込まれ、野外にいるモンスターからは分厚く高い城壁によって守られているオラリオの住人にとって、直にその目で見る『モンスター』とは、非日常のものなのだとクロコダインは思う。

 

 彼らも客席に座り、いよいよ『怪物祭』は始まった。

 

 

 

 闘技場の中央に陣取る、仮面を着けた派手な衣装に身を包んだ【ガネーシャ・ファミリア】の調教師。

 壁のゲートが開き、そこから彼ら目掛けて『モンスター』が突進する。

 中央に立つ調教師は、鞭とマントを駆使し、襲い掛かって来るモンスターを翻弄し軽やかに回避して行く。

 

 それを見て、観客の歓声が闘技場の空に轟いた。

 

 「ほうっ! ああやって、モンスターに実力を認めさせる訳かっ!」

 

 クロコダインは、調教師達の狙いや動きに感心した。

 彼が元の世界でモンスターを従える時には、一度戦って力で屈服させてから従えていたが、ここでは余り暴力的な屈服の仕方をしていない。

 調教師達は、モンスターに彼我の実力の差を認めさせ従わせているのだ。

 

 「それを行なえるだけの、確かな力量を、彼らは持っているようだ」

 

 ヒュンケルはモンスターよりも、闘技場に立つ調教師達の実力を見ていた。

 都市最大の構成員数を持つという大派閥【ガネーシャ・ファミリア】には、最も多くの第一級冒険者が所属しているという。

 この祭りでも、その実力者達が中心になって、様々なモンスターとの優雅な戦いを披露していた。

 

 「でもよ、『闘技場』でやる見世物にしては、お行儀が良すぎねーか?」

 

 調教師とモンスターの関係を目にし、ヒムはふと疑問に思った。

 普通、戦いを見せる闘技場では、血沸き肉躍る両者の激しい攻防こそが、人々の望むものである筈だ。

 見世物として見せるのなら、冒険者とモンスターの直接の戦いを見せる方が自然に思える。

 

 しかし、ここでは観客に血生臭さを感じさせずに、手際良くモンスターを手懐け従えて行く姿を人々に見せていた。

 まるで、人々にモンスターが恐ろしい存在ではなく飼い馴らす事も出来るのだと、見せているようにも思えた。

 

 「主催者の意図は判らんが、冒険者への街の住民の信用を得ようとでもしているのではないか? 彼らの力があれば、モンスターも恐れる必要はない、とな……」

 

 ここオラリオの街は、良くも悪くも『冒険者』と『ダンジョン』を中心に動いている。

 街の人々に冒険者を信用して貰う為にも、冒険者がモンスターを圧倒する姿を見せているのかも知れないと、ヒュンケルは考えた。

 

 そして、次に登場したのは、体長七Mもある大型のモンスター。

 

 「『ドラゴン』か……」

 

 闘技場に引き出された、小竜『インファントドラゴン』を目にしてラーハルトの瞳が鋭くなる。

 

 竜騎衆の一角、陸戦騎として四足歩行型のドラゴンを乗りこなしていた彼も、『ドラゴンライダー』という名の竜使いであった。

 

 『インファントドラゴン』は、ダンジョンにいる竜種の中では最も弱いモンスターである。 

 それでも、下級冒険者のエリアである十一階層に出現する小竜は、Lv1の冒険者にとっての階層主に等しく恐れられていた。

 

 「それでも、この程度か」

 

 小竜を従え、それに跨る調教師を見てラーハルトは呟く。

 いくら弱体化した、地上の個体のドラゴンとはいえ、彼がかつて従えていたドラゴンの方がよっぽど上物だった。

 

 『ドラゴン』はこの世界に於いても、最強種族のモンスターだと彼は聞いていた。

 『ダンジョン』の奥深くに行けば、さらに強大な力を持つ竜種が存在する事も既に知っている。

 竜を従え、竜に従うラーハルトにとって、『ドラゴン』は特別な存在だ。

 

 ラーハルトは主たる『ドラゴンの騎士』ダイの為に、新たなダイの竜騎衆の結成と、再び己が従えるに相応しい『ドラゴン』の事を考えるのだった。

 

 

 

 「何か、様子がおかしいな……?」

 

 不意にヒュンケルは、熱狂する観衆の中で一部の空気が変わった事を感じ取った。

 見ると、闘技場を取り仕切る【ガネーシャ・ファミリア】の仮面を着けた団員達の動きが慌ただしい。

 彼らの主神である神ガネーシャがいる賓客席に目を向けると、そのガネーシャらしき神物が、奇妙なポーズを取りつつ眷族達に指示を出している様子が見えた。

 

 「トラブルかよ?」

 「うーむ、何か予定外の事が起きたのは、間違いなさそうだな」

 

 ヒムとクロコダインも異変を察知し、表情を引き締める。

 鉄面皮を変えないラーハルトも、既に何があっても対処出来るよう意識を切り替えていた。

 

 「『怪物祭』で起こったトラブル……、しかも、あの実力者の団員達が慌てる状況となると、嫌な予感しかしないな……」

 

 予想される最悪の状況。

 それは、『モンスター』に関わる何かだろう。

 

 「ベルとヘスティアを、二人だけにしたのは失敗だったか」

 

 ヒュンケルは、緊張した面持ちで立ち上がる。

 最悪の予想が事実なら、あの二人の身も安全とは言い難い。よもや巻き込まれてはいないと思うが、万が一の可能性を考えれば、取り敢えず彼らと合流して安全を確保して置くべきだろう。

 

 「行くぞ、ベル達と合流する」

 「うむ、その方が良さそうだな」

 

 クロコダインも頷き、その巨体を揺らす。

 観客席にいた他の冒険者や神達の中にも、彼ら同様異変を察知し、或いは【ガネーシャ・ファミリア】の団員に声を掛けられて、動き出す者の姿が見える。

 

 ヒュンケル達はその場を離れると、闘技場の出口の通路に向かう。

 その途中、ヒュンケルは腰の『袋』の中から預かっていた武器を、ラーハルトとクロコダインに渡した。

 『鎧の魔槍』と『グレイトアックス』が、それぞれの主人の手に戻る。

 

 出入り口が徐々に近付き、ヒュンケルは周囲に漂う人々の不安と緊張、そして恐怖の気配をはっきりと感じ取った。

 

 「やはり、最悪の予想が当たっているらしい……」

 

 彼らの脳裏を過ぎった、悪い予感。

 この『怪物祭』で起こりうる、その最悪とは一つしか考えられない。

 

 「『モンスター』が、街中に逃げ出したのだな……」

 

 そう呟いて、クロコダインが苦虫を噛み潰したような顔をする。

 さっきまで人とモンスターが調教師と従魔という関係とはいえ、共に在るところを見ただけに残念でならないのだ。

 

 

 

 『怪物祭』、その呼び名が、別の意味に変わろうとしていた。       


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