ダンジョンに竜の探索に行くのは間違っているだろうか   作:田舎の家

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第九話 眠る白兎

 「今回も収穫は無しか……」

 

 『大樹の迷宮』の探索を終え、『ダンジョン』からオラリオへの帰路に着いていたヒュンケルは、ふと天井の燐光を見つめた。

 

 オラリオにやって来た彼らが、【ヘスティア・ファミリア】に入団して二週間以上が経過したが、ダイの行方には辿り着けていない。

 『ダイの剣』の指し示す事実、拾った『アバンの印』、最早ダイがこの『ダンジョン』の中にいる事は疑い無いのだが、それ以上の手掛かりが無いのである。

 ダイを捜して、今回も『大樹の迷宮』を中心に捜索したが、発見には至らなかった。

 

 「こればかりは、仕方が無いな。何度でも、何処にでも行くしかないぞ、ヒュンケル」

 

 クロコダインが、吼えるような声で戦友を励ます。

 

 「フッ、その通りだな。まだ探索は始まったばかりだ。希望の光は消えていない」

 

 ヒュンケルの背にある『ダイの剣』の宝玉は、今も光を湛えている。

 ダイの生存に、疑いの余地はなかった。

 

 「それにしても、何処に居るんだろうなぁ、勇者ダイはよう?」

 「ダイ様が、何らかの理由で人との接触を拒んでいるならば、さらに地下深くに居る可能性もあるな」

 

 ラーハルトも、進まぬダイ捜索には焦りがあるが、諦めはない。

 例え、収穫がゼロであっても、四人はダンジョンに挑む事を止めはしないだろう。

 ダイを見つけ出すその日まで、彼らの『竜の探索』は続く。

 

 

 

 地上への帰還の為に、ヒュンケル達はダンジョンの正規ルートを歩いていた。

 その間、他の冒険者とは出会わない。地下に居ると時間の感覚が曖昧になるのだが、今は深夜を回った頃なのだろう。

 

 襲って来るモンスターを適当に蹴散らし、彼らは上層へと進んで行った。

 そして、彼らが六階層まで上がって来た時、その光景を目にする。

 

 「んっ? 誰か、戦ってるな」

 

 少し前を歩いていたヒムが、誰かを発見した。

 皆がそこに視線を向けると、確かに誰かが通路で戦闘を行っていた。

 

 ボロボロになった服だけで、防具も身に着けていない若い冒険者。手に持っているのは、ナイフ一本と、モンスターの『ドロップアイテム』らしき爪だけ。

 身体のあちこちから出血し、傷だらけのその冒険者は、足取りもフラフラながら、交戦する蛙型のモンスター『フロッグ・シューター』を切り裂いた。

 

 「なぜ、あいつがここにいる?」

 

 ヒュンケルは、そのズタボロの冒険者に、当然のように見覚えがあった。

 処女雪のような白髪、凡そ戦いには無縁の体格。その兎のような特徴は、半月程前に出会った時と変わらない。

 彼らの所属する【ファミリア】の一員、ベル・クラネルであった。 

 

 「ここは、六階層だぞ。冒険者になって半月のベルでは、ちと厳しいモンスターが出る場所ではないか?」

 

 少年が行なった、その無謀とも言える探索行にクロコダインが唸る。

 ヒュンケルから戦いの基礎を訓練されたとはいえ、元農民に過ぎないベルが、パーティも組まずにソロで生きて帰れるのは、精々二、三階までだろう。

 今のベルの実力で六階層をうろつくのは、自殺行為に他ならない。

 

 ヒュンケルは眉を顰めつつ、ベルに近付いた。

 その気配に気が付いたのか、ベルはビクッと反応して振り返った。

 それだけは意外と良い反応だと、ヒュンケルは感心する。

 兎は、危険に敏感なのだ。

 

 「あ……、ヒュンケルさん。それに、皆さんも……」

 

 現れたのがモンスターではなく、同じ【ファミリア】の団員達だと判り、ホッと息を吐くベル。

 そんなベルの様子を、四人が無言で見つめた。

 

 見るからに、ベルの身体は限界だった。

 無数に走る傷跡、服や手足にこびり付いた赤い血は、モンスターからの返り血よりも、本人の血の方が多いだろう。

 疲労もピークに達している様子で、足が僅かに震えている。

 

 「ベル、ここは六階層だぞ。しかも、そんな恰好とは、おまえは死ぬ為にここに来たのか?」

 

 あえて抑揚のない、抑えた声でヒュンケルはベルにそう訊ねる。

 今のベルは、防具はおろか、バックパックも持っていない。外出先から、そのままダンジョンに突入したような格好だ。

 命を大事にするようにと、ヒュンケルとヘスティアから諭された事と、真逆の行動。

 

 「い、いえ、その……」

 

 剣の師から僅かに漏れる怒気を感じて、ベルは硬直するが、それでも、この無茶な行動の理由は言えないらしい。

 しかし、ベルの兎のような深紅色の瞳には、自殺志願者の光はない。

 あるのは、何かを激しく渇望する者の光。

 これまでの、夢だけを見ていた少年の瞳ではなく、現実に存在する『何か』を得たいと望む、冒険者の瞳に変わっていた。

 

 「取り敢えず、傷を治すぞ」

 

 ヒュンケルは、それ以上は訊かずに、腰のポーションホルダーから、『高等回復薬』の入った試験管を取り出すと、ベルの身体の傷にハイポーションを浴びせ掛けた。

 

 「だ、大丈夫ですよ、ヒュンケルさんっ! それって、数万ヴァリスもするポーションッ!」

 「逃げるな」

 

 高価なハイポーションを自分の治療に使おうとするヒュンケルを見て、ベルが逃げようとするので、ヒュンケルは一喝した。

 そう言われ、ベルは動きを止めると、しょんぼりした様子で、ハイポーションによる治療を受け入れた。

 高いだけあって、高等回復薬の効果は大きい。

 ベルの傷は、すぐに治療され、歩くのに支障はなくなった。

 

 「その、ありがとうございます……」

 

 傷の治療を終え、ベルがヒュンケルに礼を言う。

 

 「無茶をした理由を言いたくないなら、オレもこれ以上は訊かん。冒険者である以上、どうしても無茶をしなければならない場合もあるからな。だが、ヘスティアは気にすると思うぞ」

 

 今頃は、心配して寝付けずに、ホームの中をウロウロしている筈だと、ヒュンケルは付け足す。

 

 「……はい」

 

 主神に心配を掛けているだろうと言われ、反省したのか、ベルがしゅんと項垂れる。

 

 「ふむ、説教はそれで良いだろうヒュンケル。女神殿が心配しているのなら、早く帰るべきだな。一人で歩けるか、ベル? 歩けないなら、オレが背負って行くぞ」

 

 最年長のクロコダインが、顔に似合わず優しげな眼差しでベルにそう言った。

 

 「いえっ、大丈夫ですっ! 自分で歩きますっ、歩かないと、駄目なんですっ!」

 

 らしくなく、クロコダインの差し伸べた手も取らずに、ベルは自分で歩くと言い張った。

 そんな風に、男の意地を見せようとする彼の様子を見て、皆は、ベルがこんな場所まで来て戦い続けた理由にピンと来た。

 

 ((((女か……))))

 

 四人の直感に、同じ答えが浮かぶ。

 ダイを捜しに『ダンジョン』に来た彼らとは違って、ベルは、女性との出会いを求めてオラリオに来たと、散々彼らの前でも熱く語っていた。

 どうやらベルは、その欲しい女を見つけたらしい。

 

 (まあ、こんな無茶をやらかすぐらいだ、きっと手の届かない高嶺の花に惚れたんじゃねーのか?)

 (そうなのだろうな。だが、それを励みに高みを目指すというのなら、実にベルらしいではないか)

 (くだらん)

 

 ズタボロになってまで戦い続けたベルには、聞こえないように、後ろで三人が呟いた。

 ベルが惚れたであろう相手、おそらくは、今のベルでは全く吊り合わないであろう相手。

 だから、自暴自棄に等しいような冒険をやらかしたのだろうと、皆が見当付けた。

 

 「本当に、大丈夫なのだな?」

 「はいっ」

 

 震える足を踏み締め、ベルはヒュンケルに良い返事を返す。

 

 「では、ホームに帰るぞ。これ以上、ヘスティアを寝不足で心配させる訳には、行かないからな」

 「はい……」

 

 そして、五人は、改めてダンジョンからホームへの帰路についたのであった。

 

 

 

 【ヘスティア・ファミリア】の団員五人がホームに帰還すると、時刻は早朝五時であった。

 皆が教会の地下室に入ると、案の定心配していたヘスティアが、徹夜でベルの帰りを待っていた。

 

 最初は喜んだヘスティアだが、ベルのボロボロの姿を見て、唖然とした。

 しかし、ベルの様子から何かを察したのか、怒るような事もしない。

 ベルにシャワーを浴びるように言い、ついでに自分のベッドを譲り、冗談なのか一緒に寝ようかと言い出すヘスティア。

 

 「あぁ、そうですね。神様も疲れてますよね。じゃあ、すぐに一緒に寝ましょう」

 「……なぬっ!?」

 

 予想外の事をベルに言われて、あたふたするヘスティア。

 

 「神様……、ヒュンケルさん……」

 「……! にゃ、にゃんだいっ?」

 「……………」

 

 その遣り取りを、ヒュンケルが無言で見つめる。

 

 「……僕、強くなりたいです」

 

 最後に、ベルがポツリと言ったその言葉に、ヘスティアがハッとした顔をした後、静かに頷く。

 それを見て、ヒュンケルは彼女もまた、ベルがこんな無茶をした理由に気が付いた事を悟った。

 そして、ベルはヨロヨロとシャワー室に入る。

 シャワー室からの水音が地下室に響く中、ヘスティアは、大人の眷族達の方を振り返った。

 

 「君達が、ベル君を治療してくれたのかい?」

 「ああ、あいつが六階層を彷徨っていたところに、通りがかったからな」

 

 見つけた時は、ボロボロだったとヒュンケルが告げると、ヘスティアは眉間に皺を寄せて考え込んだ。

 

 「ありがとう、君達」

 

 そして、皆に礼を言う。

 

 「それくらいは、当然だ。同じ【ファミリア】の一員だからな」

 

 その言葉は、『家族』を意味していると、ヒュンケルは聞いている。

 

 「そういう事だ、女神殿。遠慮せず、オレ達を頼ってくれて構わんぞ」

 「ほっとけねー、弟分ってやつかな?」

 「未熟者の小僧でも、戦いに挑んだ事は誉めてやろう」

 

 このメンバーの中に、『家族』を見捨てる者など、いる筈がなかったのだ。

 ダイを捜すという目的を持ち、その為に行動していると言っていても、決してベルを見捨てる事はしない。そんな眷族達に、女神は優しく微笑みかけるのであった。

 

 

 

 その後、シャワーを浴びたベルは、極度の疲労によって、そのままベッドに倒れ込んだ。

 徹夜でベルの帰りを待っていたヘスティアも、同時に眠りに落ちる。

 

 そんな二人に比べれば、ヒュンケルにはまだ余裕があった。

 夜が明けて、朝が過ぎるまでの間に、教会のベッドで休息を取ると、寝ているベルとヘスティア、それに他の三人を置いて、今回の戦利品の換金の為に『ギルド』に向かう。

 

 ギルド本部に着くと、換金所で『魔石』と『ドロップアイテム』を、鑑定員の前に積み上げるヒュンケル。

 丸二日以上の探索で『大樹の迷宮』内を四人で駆け回った為、適当な収集でも、戦利品はそれなりの量になる。

 それらを、次々と腰の『袋』から取り出すヒュンケルを見て、ギルドの職員達や少数の冒険者が、目を丸くしていた。

 

 下級冒険者が持っていようものなら、即座に奪い合いになりそうな魔道具だが、流石にLv6の持ち物に手を出そうという、無謀な者はいないようだ。

 真っ昼間で、他に鑑定を求める冒険者が少なかったせいか、換金は思いの他早く終わる。

 窓口で金貨の入った袋を受け取り、ヒュンケルがギルドを出ようとしたところで、エイナに声を掛けられ、二人は面談室に入った。

 

 「あの、ベル君の事なんですけど、彼、無茶とかしていませんでしたか?」

 「無茶ですか……、何か心当たりが?」

 

 ベルの事を心配するエイナの様子に、ヒュンケルは、彼女がベルの『あの行動』の理由を知っているらしいと気付いた。 

 

 「その、もしかしたらですけど……」

 

 エイナが言うには、数日前、ベルは調子に乗って五階層まで行き、そこで『中層』からトラブルの結果上がって来た『ミノタウロス』に遭遇した。

 

 勿論、今のベルが勝てる相手ではなく、殺されそうになって壁際まで追い詰められたらしい。

 そこに、一人の少女が現れた。

 都市最強派閥【ロキ・ファミリア】の一角にして、オラリオの冒険者の中でもトップクラスの剣の腕の持ち主。

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 その【剣姫】に、ベルは間一髪のところで命を救われたそうだ。

 

 「それで、ベル君、ヴァレンシュタイン氏の事を、好きになってしまったようでして……」

 「………………」

 

 全ての話が予想していた事に符合し、ヒュンケルは嘆息する。

 

 この、世界の中心とも呼ばれる迷宮都市オラリオに居る以上、ヒュンケル達は自分達に対抗しうる実力の持ち主達、即ち第一級冒険者の情報には、一通り目を通していた。

 その中には、当然【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタインの情報もあった。

 

 その実力は、Lv5。

 さらに言うと、実力に加えて金髪金眼を持つ、女神のような容貌の美少女という話も、付け加えられていた。

 

 そこで、ヒュンケルは思い出す。

 数日前、十二階層の白霧の中ですれ違った、風の香りを纏った美少女の事を。

 あれが、【剣姫】だったのだ。

 

 ギルドに登録した頃に、オラリオ最強と呼ばれる派閥【ロキ・ファミリア】の精鋭達が、深層域に遠征に行ったという話を、エイナから聞いていた。

 あの時から、二週間。

 【ロキ・ファミリア】は、『ダンジョン』の奥深くから帰還して来たのだ。

 

 「事情は判りました。オレからも、ベルには命を粗末にするような事はしないよう、言って置きます」

 

 エイナが心配しているのは、アイズに惚れたベルが、彼女に近付く為に『ダンジョン』で無茶をやる事だろう。

 既にやらかしてしまっているのだが、ヒュンケルはエイナの心配を取り除く為に、そう言った。

 

 「お願いします」

 

 ホッと胸を撫で下ろし、エイナが頭を下げる。

 

 「だが、ベル自身がそれでも強くなりたいと望むなら、命を粗末にするのとは別に、オレが鍛えてやりますよ」

 

 しかし、戦士であり、ベルの剣の師を引き受けたヒュンケルは、アドバイザーのエイナとは違って、ベルの命の心配だけをしている訳には行かない。

 強くなる為に、何をしなければならないか。

 ヒュンケルは、それを良く知っていた。

 

 その自信のこもった声に、エイナは少し緊張し、額に汗を浮かべる。

 ひょっとしたら、ダンジョンに潜ってモンスターと戦うよりも危険な事をやらせるのではないか、ふとそんな事を考えてしまうエイナであった。

 

 

 

 ヒュンケルがギルドを出ると、時刻は昼に近付いていた。

 エイナとの話で、思いの他時間を取られたのだろう。

 

 「腹が空いたか」

 

 今朝は朝食も食べていなかったので、ヒュンケルは空腹を覚えた。

 街のメインストリートには、食堂や酒場、喫茶店や食べ物を売る屋台まで、人のお腹を満たす物なら何でも揃っている。

 大都市だけに、外食は庶民にとっても最大の娯楽の一つなのだろう。

 

 ヒュンケルは、そんな店の中で食事を取ろうと、一軒の店に立ち寄った。

 二階建てで石造り、周りにある酒場の中では、一番大きそうな店。

 本格的な営業は夕刻からだろうが、昼間でも、ランチは食べられる店の名は『豊穣の女主人』。

 

 店に入ると、ちょうど昼の営業を始めた時だった為か、店内は空いていた。ウエイトレスの女性達が、客に料理を運んだり、テーブルの準備をしたりと動き回っている。

 ヒュンケルが空いていたカウンター席に座ると、正面に店の女将らしき、恰幅の良いドワーフの女性がいた。

 

 「おや、新顔だね。もしかして、冒険者かい?」

 

 今のヒュンケルは、普段着姿で、腰に剣と『袋』を下げている。それでも、冒険者の街の酒場の女将は、戦う者の気配をすぐさま見破ったようだ。

 

 「ああ、冒険者だ。オラリオに来てからは、まだ日が浅いから、この店に来たのは初めてだな」

 「ふーん、ルーキーにしては、随分『腕の立つ』男みたいだけどねぇ。まあ、うちの店を気に入ったなら、じゃんじゃん注文しておくれよぉ!」

 

 そう言って、女将は良い笑顔でメニューを指差した。

 中々、美味しそうな料理が、色々取り揃えられている。味には自信があるのか、メニューに記された値段は強気だ。

 

 ヒュンケルは、お勧めの定食と飲み物を注文する。

 出て来た料理は、中々のボリュームだったが、味は確かに上々だった。

 店の雰囲気はシックな装いで、ウエイトレスには美女や美少女が揃い、料理も美味しいとなれば、かなり繁盛している店なのだと判る。

 

 しかし、女将を筆頭に、なぜかウエイトレス達のレベルが高い。

 容姿ではなく、その戦闘能力が、である。

 相手が軍隊であっても、並ではこの酒場の店員に蹴散らされてしまうだろうと、ヒュンケルは感じ取った。

 

 食事を続けていると、そんなウエイトレスの女の子達の会話が、彼の耳にも聞こえて来る。

 何でも昨日の夜、店に来た少年が、食事の代金を払わずに飛び出して行ったらしい。

 要するに、食い逃げだ。

 猫人のウエイトレスが憤慨し、ヒューマンのウエイトレスが宥め、エルフのウエイトレスが黙って話を聞いていた。

 

 「あの食い逃げしたクソ白髪野郎、最低ニャッ!! シル、あんな男とは、すぐに別れるニャッ!」

 「ベルさんには、何か事情があったんですよ。食い逃げなんて事、する人じゃないです」

 

 そんな話だった。

 

 (………………)

 

 誰の事か、一瞬で理解し、ヒュンケルは心の中で無言のまま考えを巡らす。

 

 思い浮かぶのは、『ダンジョン』六階層で、ボロボロになるまで戦っていた、今朝までのベルの姿であった。

 薄鈍色の髪のウエイトレスが言っていた通り、ベルは食い逃げなどする男ではない。そんな度胸、ベルにある筈がないのだ。

 だから、ベルが食事の代金も払わずに、無我夢中で逃げたとしたら、それは別の理由があった筈。

 

 (女、だな……)

 

 それしか、考えられない。

 

 (あの様子と、エイナさんの話から察するに、想い人のアイズ・ヴァレンシュタインとこの店で出会った。だが、そこで現実を直視させられる『何か』があり、今の自分では決して彼女には手が届かない事を自覚して、逃げ出した。だから、そのままダンジョンに行って馬鹿みたいに戦い続けたか……)

 

 ヒュンケルは、昨夜のベルの身に起こった事を、そう推測してみた。

 何となく、外れている気がしない。

 

 「女将さん、夕べこの店で食い逃げがあったそうだが?」

 「ん、ああ、あったよ。まったく、アタシの店で食い逃げしようなんて命知らずが、オラリオにいるとは思わなかったよっ!!」

 

 女将はそう言って、ぐっと拳を握った。

 鍛え抜かれたその腕は、酒場の女将というよりも歴戦の冒険者と呼ぶに相応しそうだった。

 

 (クロコダイン並みか……)

 

 ヒュンケルは、女将の実力を高く評価する。

 きっと、オラリオに来て日が経っている者ならば、この店を敵に回そうとはしないだろう。

 

 (冒険者が犯す危険は、全て自己責任だぞ、ベル……)

 

 そんな風に考えるヒュンケルは、女将に視線を向けた。

 

 「その食い逃げ犯は、オレの所属する【ファミリア】の者のようだ」

 「なんだって?」

 

 途端に、もの凄いプレッシャーが圧し掛かって来る。並みの冒険者では、竦み上がりそうな圧力だ。

 

 「その冒険者、名前はベル・クラネルで間違いないだろうか?」

 「ああ、確かそんな名前だったね」

 

 女将の凄みを受け流しつつ、ヒュンケルは確認を取る。

 

 「では、やはりオレの知る者のようだ」

 「ふーん、それでアンタはどうするんだい?」

 

 言外に、おまえが払うのか、と訊かれているらしい。

 

 「全ては、本人の責任だ。どうやら、故意にやった訳ではなく、思春期に良くある病気が原因のようだが、やった事の責任は本人に取らせよう」

 

 食い逃げは間違いでも、食事の代金を支払わずに逃げた事が事実なら、金はベル本人が払いに来なければならない。

 ベルを見捨てない事と、甘やかす事は違うと、ヒュンケルは考えた。

 

 「夕べ、思い切り吐き出して、正気には返ったようだから、近日中には謝りに来るだろう。もしも来なかったら、そちらの好きなように罰してくれて結構だ」

 

 ベルにとっては厳しい言葉を女将に告げ、ヒュンケルは食事を続ける。

 

 「アンタも変な男だね。同じ【ファミリア】にいるんだろ?」

 「ああ、同じ【ファミリア】の一員だし、剣を教える師も引き受けている。だから、自分の行動に伴う責任の重要さも、教えなければならない」

 

 自分の尻は自分で拭く。

 少なくとも、自分で拭けるのなら、他人を頼るべきではない。

 ヒュンケルがベルを助けるのは、彼が自分の力だけでは成し得ない事をする時だけだ。

 それには、食い逃げした食事代を、代わりに払う事は含まれていなかった。

 

 「あははっ! なるほどね。判ったよ、食い逃げの責任は、あの子にしっかりと取って貰うさぁ!」

 

 女将は、ニイッと肉食獣のような笑みを浮かべて、再び拳を握った。

 

 (まあ、死にはしないだろう……、多分だが)

 

 少しだけ不安になったが、これもベルにとっては、乗り越えるべき試練である。

 

 「アタシは、この店の女将ミア・グランドだよ。アンタは?」

 「オレは、ヒュンケル。オラリオに来て、まだ半月だが、冒険者をしている」

 

 『豊穣の女主人』の女将ミアに、ヒュンケルは名を告げた。

 

 

 

 自分の食事の代金はしっかりと支払い、ヒュンケルは『豊穣の女主人』を出た。

 そのまま、【ファミリア】のホームに帰って来たが、ベルはまだ寝ている。

 

 「お帰り、ヒュンケル君」

 

 流石にヘスティアは起きていたが、付きっきりで眠るベルの世話をしている様子だった。

 昨夜から今朝までの無茶な行動の疲労で、滾々と眠り続けるベル。

 早く『豊穣の女主人』に謝りに行かないと、死亡確率が上がるのだが、この様子では無理に起こす事も出来ない。

 クロコダイン達も起きていて、遅めの食事を取っていた。

 

 「そうだ、皆が揃ったところで、一つ訊きたい事があったんだ」

 

 地下室に四人が集まった時、ヘスティアが彼らにそう言った。

 

 「訊きたい事?」

 「うん、君達は、ベル君の事をどう思う?」

 

 眠るベルの白い髪を撫でながら、ヘスティアが皆に問う。

 色々と意味の有りそうな問い掛けだったが、ヒュンケルの脳裏に浮かんだベルの印象、それを一言で言うならば、ある動物の名が口に出る。

 

 「兎だな」

 

 随分とシンプルな答えだが、一番適格だと思える。

 

 「うむ、第一印象では、オレもそうなるな」

 「似てるよな~~」

 「……………」

 

 クロコダインとヒムも同じ答え。ラーハルトでさえ、否定しない。

 

 「兎かぁ……」

 

 うーんと、唸りながら腕組みするヘスティア。豊かな胸が押し潰される。

 しかし、彼女も異論は無いらしい。

 

 「ベル君、強くなりたいって言ったよね」

 「動機は、女だろう?」

 

 ヒュンケルがそう言うと、他の三人も迷わず頷く。

 

 「ギクッ!! な、なんで『ダンジョン』にずっと潜っていた君達が、そんな事知っているんだいっ!?」

 

 この二、三日迷宮に潜りっぱなしだったヒュンケル達が、ベルの強くなりたい動機を知っていた事に、ヘスティアが動揺する。

 

 「ベルの顔に書いてあるし、全身で表現までしているからな、判らない筈がないだろう。ギルド本部でも話を聞いて来たしな」

 

 ヒュンケルは、数日前のベルの身に起きた事を、皆に語った。

 『ミノタウロス』との遭遇と、ベルを助け出した者の事を話すと、ヘスティアが実に悔しそうな顔をして呻く。

 

 「ぐぬぬ~、そうだよ、ベル君はあの女に誑かされてしまったんだっ、ボクのベル君がぁ~っ!!」

 

 黒髪を両手で掻き乱すようにして、『あの女』とやらに敵意を露わにするヘスティア。

 

 「ふーむ、ダンジョンで危機に陥ったところを、その娘に助けられ、一目惚れした訳か。やはり、隅に置けん男だな、ベルはっ!」

 「普通、男と女が逆だよな~」

 「身の程知らずだがな……」

 

 ベルを助け、結果ベルに惚れられてしまった少女。

 その名は、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 他の三人も、彼女の名前と実力は、情報として確認している。当然、ギルドの資料に載っていた、彼女の似顔絵も目にしていた。

 

 「やはり、ベルには高嶺の花だな」

 「そんなもんじゃ、ねーだろ。まるっきり、兎と月くらい離れているぞ」

 

 兎がいくら跳ねても、月には届かない。冒険者になって半月のベルと、オラリオ最強の女剣士では、釣り合う訳がない。

 第一、そんな娘がベルを選ぶとも、彼らには思えなかった。

 選択する権利は、ベルではなく、彼女の方にあるのだから。

 

 クロコダインとヒムは、やれやれという目で、眠るベルを見つめた。

 

 「だが、ベルは強くなりたい、と言った」

 

 諦めムードの仲間達とは裏腹に、ヒュンケルは、あの時のベルの言葉に、何かの『予兆』を感じていた。

 かつて何度も目にして来た、仲間達の覚悟と似たもの。

 不可能を覆す、意志の力。

 

 「うん、ベル君の覚悟は本物だよ……」

 

 アイズに対しては、さんざん愚痴を言うヘスティアだが、彼女に対するベルの純粋な想いと覚悟だけは、否定出来なかった。

 

 「本気か、ヒュンケル?」

 

 彼が何をやる気か察して、ラーハルトが口を開く。

 

 「オレ達は、何度も『奇跡』を目撃して来ただろう。ベルが望むなら、オレはその『奇跡』を起こす下地くらいは作ってやりたい」

 

 基本を教えるだけの、片手間の師匠ではなく、かつての自分の師と同じ、『あれ』の家庭教師。

 必要とあらば、ヒュンケルはベルに、その『特別』な特訓を受けさせてやろうという気持ちになっていた。

 

 「がははっ、そう言えば、そうだったな。出来る筈のない事を、やってのけたやつがいた事を、忘れていたわっ!」

 

 クロコダインは、最初に出会った時には、命惜しさにダイを置いて逃げ出した少年の事を思い出した。

 その根性無しの少年は、後にどうなったか。

 彼の事を『前例』として見れば、ベルの可能性を否定する訳には行かない。

 

 「……君達は、ベル君を信用してくれるんだね」

 

 皆の遣り取りから、ベルへの愛情や真心を感じ取り、ヘスティアは胸に渦巻く嫉妬を一時棚に上げて、眷族達に微笑んだ。

 

 しかし、女神は知らなかった。

 強くなりたいというベルを襲う、これからの過酷な日々の事を。 

 それは当然、眠り続けるベルも同じであった。

 

 

 

 そして、翌朝。

 ベルは、早い時間帯に目を覚ました。

 なぜか、地下から響いたベルの絶叫によって、ヒュンケル達も目を覚まし、皆は一度、地下室に集合する。

 

 「取り敢えず、ベル君の【ステイタス】を更新しよう」

 

 そう言い出したヘスティアによって、ベルの背中に浮かぶ【ステイタス】が書き換えられた。

 だが、その作業を続ける女神の顔に、苦渋の色が浮かんだり消えたりするのを、ヒュンケル達は見逃さなかった。

 

 「何か、気になる事でもあるのか、ヘスティア?」

 「んぬぬ……」

 

 何か唸りつつも、覚悟を決めたのか、ヘスティアはベルの【ステイタス】の内容を、口頭で全員に伝える。

 簡単に言うと、ベルの基本アビリティは、飛躍的に進歩しているらしい。

 今が彼の成長期だと、女神は言う。

 

 「なるほど、腹をくくって冒険と戦いに挑むようになり、ベルもついに成長し始めたという訳だな、女神殿」

 

 『男子三日会わざれば、括目して見よ』、その言葉を思い出し、クロコダインが瞑目し、納得した様子で頷いた。

 成長を始めた人間の少年が、どれ程強くなるかは、彼も良く知っている。

 

 「才能自体も、成長を始めたのかもしれんな。ポップと同じタイプだったか」

 

 才能が無かったように見えた村の少年から、大魔導士にまで上り詰めた彼らの仲間。

 ある意味、ダイ以上の奇跡を起こしたのが、彼なのだ。

 

 そんなベルに、ヘスティアが、心配と励ましの言葉をかける。彼女の初めての眷族であり、惚れてしまった少年への女神の真摯な想い。

 ベルは、複雑な顔をしながらも、はっきりとヘスティアに覚悟と生還を誓った。

 

 「それでは、ベル。強くなりたいという言葉に、偽りはないな?」

 

 少年と女神の誓約が結ばれた事を確認し、ヒュンケルが口を挟む。

 

 「はい、僕は強くなりたいです、ヒュンケルさん」

 

 目標を見い出したベルの深紅色の瞳には、確かに宿る覚悟の光があった。

 

 「行く道が険しくても、だな」

 「はいっ!」

 

 動機はどうあれ、ベルは冒険者として、さらにその先を本気で目指したいと思っていた。

 憧憬の彼女と並ぶには、彼女と同じ『英雄』の座に上り詰めなければならない。

 

 『豊穣の女主人』で、彼を誹った狼人の青年の言葉。

 

 『雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ』

 

 この言葉は、真実だった。

 

 今の自分では、彼女とは釣り合わない。

 どんなに悔しくても、その事実は覆せない。

 それをするには、強くなる他に道はないのだ。

 

 そして、今のベルの前には、その目標に最も近い、最強の戦士がいた。

 

 「お願いしますヒュンケルさん、僕を鍛えて下さいっ! 僕もヒュンケルさんや、皆さん、それにダイさんのように、強くなりたいんですっ!」

 

 彼らから聞いた、彼らが挑んで来たという、冒険の数々。

 自分も、そんな物語の主人公達と肩を並べて戦えるようになりたい。

 これまでの、祖父のくれた『迷宮神聖譚』に出て来る、過去の伝説の『英雄』達への憧れだけではなく、今この場にいる『英雄』達への憧れ。

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインへの憧憬と同じく、それは強烈にベルの心を燃焼させる。

 

 「いいだろう」

 

 少年の覚悟を聞き、ヒュンケルの口元に笑みが浮かんだ。

 それは、彼が強敵と相対した時に浮かべる、絶対の自信を込めた笑い。

 戦場で浮かべる、戦士の笑みであった。

 

 「おまえに教えてやろう。『アバン流刀殺法』をなっ!」

 

 

 異世界に於いて、一人の少年に『勇者』の技が伝えられる時が来た。

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 


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