ダンジョンに竜の探索に行くのは間違っているだろうか 作:田舎の家
「今回も収穫は無しか……」
『大樹の迷宮』の探索を終え、『ダンジョン』からオラリオへの帰路に着いていたヒュンケルは、ふと天井の燐光を見つめた。
オラリオにやって来た彼らが、【ヘスティア・ファミリア】に入団して二週間以上が経過したが、ダイの行方には辿り着けていない。
『ダイの剣』の指し示す事実、拾った『アバンの印』、最早ダイがこの『ダンジョン』の中にいる事は疑い無いのだが、それ以上の手掛かりが無いのである。
ダイを捜して、今回も『大樹の迷宮』を中心に捜索したが、発見には至らなかった。
「こればかりは、仕方が無いな。何度でも、何処にでも行くしかないぞ、ヒュンケル」
クロコダインが、吼えるような声で戦友を励ます。
「フッ、その通りだな。まだ探索は始まったばかりだ。希望の光は消えていない」
ヒュンケルの背にある『ダイの剣』の宝玉は、今も光を湛えている。
ダイの生存に、疑いの余地はなかった。
「それにしても、何処に居るんだろうなぁ、勇者ダイはよう?」
「ダイ様が、何らかの理由で人との接触を拒んでいるならば、さらに地下深くに居る可能性もあるな」
ラーハルトも、進まぬダイ捜索には焦りがあるが、諦めはない。
例え、収穫がゼロであっても、四人はダンジョンに挑む事を止めはしないだろう。
ダイを見つけ出すその日まで、彼らの『竜の探索』は続く。
地上への帰還の為に、ヒュンケル達はダンジョンの正規ルートを歩いていた。
その間、他の冒険者とは出会わない。地下に居ると時間の感覚が曖昧になるのだが、今は深夜を回った頃なのだろう。
襲って来るモンスターを適当に蹴散らし、彼らは上層へと進んで行った。
そして、彼らが六階層まで上がって来た時、その光景を目にする。
「んっ? 誰か、戦ってるな」
少し前を歩いていたヒムが、誰かを発見した。
皆がそこに視線を向けると、確かに誰かが通路で戦闘を行っていた。
ボロボロになった服だけで、防具も身に着けていない若い冒険者。手に持っているのは、ナイフ一本と、モンスターの『ドロップアイテム』らしき爪だけ。
身体のあちこちから出血し、傷だらけのその冒険者は、足取りもフラフラながら、交戦する蛙型のモンスター『フロッグ・シューター』を切り裂いた。
「なぜ、あいつがここにいる?」
ヒュンケルは、そのズタボロの冒険者に、当然のように見覚えがあった。
処女雪のような白髪、凡そ戦いには無縁の体格。その兎のような特徴は、半月程前に出会った時と変わらない。
彼らの所属する【ファミリア】の一員、ベル・クラネルであった。
「ここは、六階層だぞ。冒険者になって半月のベルでは、ちと厳しいモンスターが出る場所ではないか?」
少年が行なった、その無謀とも言える探索行にクロコダインが唸る。
ヒュンケルから戦いの基礎を訓練されたとはいえ、元農民に過ぎないベルが、パーティも組まずにソロで生きて帰れるのは、精々二、三階までだろう。
今のベルの実力で六階層をうろつくのは、自殺行為に他ならない。
ヒュンケルは眉を顰めつつ、ベルに近付いた。
その気配に気が付いたのか、ベルはビクッと反応して振り返った。
それだけは意外と良い反応だと、ヒュンケルは感心する。
兎は、危険に敏感なのだ。
「あ……、ヒュンケルさん。それに、皆さんも……」
現れたのがモンスターではなく、同じ【ファミリア】の団員達だと判り、ホッと息を吐くベル。
そんなベルの様子を、四人が無言で見つめた。
見るからに、ベルの身体は限界だった。
無数に走る傷跡、服や手足にこびり付いた赤い血は、モンスターからの返り血よりも、本人の血の方が多いだろう。
疲労もピークに達している様子で、足が僅かに震えている。
「ベル、ここは六階層だぞ。しかも、そんな恰好とは、おまえは死ぬ為にここに来たのか?」
あえて抑揚のない、抑えた声でヒュンケルはベルにそう訊ねる。
今のベルは、防具はおろか、バックパックも持っていない。外出先から、そのままダンジョンに突入したような格好だ。
命を大事にするようにと、ヒュンケルとヘスティアから諭された事と、真逆の行動。
「い、いえ、その……」
剣の師から僅かに漏れる怒気を感じて、ベルは硬直するが、それでも、この無茶な行動の理由は言えないらしい。
しかし、ベルの兎のような深紅色の瞳には、自殺志願者の光はない。
あるのは、何かを激しく渇望する者の光。
これまでの、夢だけを見ていた少年の瞳ではなく、現実に存在する『何か』を得たいと望む、冒険者の瞳に変わっていた。
「取り敢えず、傷を治すぞ」
ヒュンケルは、それ以上は訊かずに、腰のポーションホルダーから、『高等回復薬』の入った試験管を取り出すと、ベルの身体の傷にハイポーションを浴びせ掛けた。
「だ、大丈夫ですよ、ヒュンケルさんっ! それって、数万ヴァリスもするポーションッ!」
「逃げるな」
高価なハイポーションを自分の治療に使おうとするヒュンケルを見て、ベルが逃げようとするので、ヒュンケルは一喝した。
そう言われ、ベルは動きを止めると、しょんぼりした様子で、ハイポーションによる治療を受け入れた。
高いだけあって、高等回復薬の効果は大きい。
ベルの傷は、すぐに治療され、歩くのに支障はなくなった。
「その、ありがとうございます……」
傷の治療を終え、ベルがヒュンケルに礼を言う。
「無茶をした理由を言いたくないなら、オレもこれ以上は訊かん。冒険者である以上、どうしても無茶をしなければならない場合もあるからな。だが、ヘスティアは気にすると思うぞ」
今頃は、心配して寝付けずに、ホームの中をウロウロしている筈だと、ヒュンケルは付け足す。
「……はい」
主神に心配を掛けているだろうと言われ、反省したのか、ベルがしゅんと項垂れる。
「ふむ、説教はそれで良いだろうヒュンケル。女神殿が心配しているのなら、早く帰るべきだな。一人で歩けるか、ベル? 歩けないなら、オレが背負って行くぞ」
最年長のクロコダインが、顔に似合わず優しげな眼差しでベルにそう言った。
「いえっ、大丈夫ですっ! 自分で歩きますっ、歩かないと、駄目なんですっ!」
らしくなく、クロコダインの差し伸べた手も取らずに、ベルは自分で歩くと言い張った。
そんな風に、男の意地を見せようとする彼の様子を見て、皆は、ベルがこんな場所まで来て戦い続けた理由にピンと来た。
((((女か……))))
四人の直感に、同じ答えが浮かぶ。
ダイを捜しに『ダンジョン』に来た彼らとは違って、ベルは、女性との出会いを求めてオラリオに来たと、散々彼らの前でも熱く語っていた。
どうやらベルは、その欲しい女を見つけたらしい。
(まあ、こんな無茶をやらかすぐらいだ、きっと手の届かない高嶺の花に惚れたんじゃねーのか?)
(そうなのだろうな。だが、それを励みに高みを目指すというのなら、実にベルらしいではないか)
(くだらん)
ズタボロになってまで戦い続けたベルには、聞こえないように、後ろで三人が呟いた。
ベルが惚れたであろう相手、おそらくは、今のベルでは全く吊り合わないであろう相手。
だから、自暴自棄に等しいような冒険をやらかしたのだろうと、皆が見当付けた。
「本当に、大丈夫なのだな?」
「はいっ」
震える足を踏み締め、ベルはヒュンケルに良い返事を返す。
「では、ホームに帰るぞ。これ以上、ヘスティアを寝不足で心配させる訳には、行かないからな」
「はい……」
そして、五人は、改めてダンジョンからホームへの帰路についたのであった。
【ヘスティア・ファミリア】の団員五人がホームに帰還すると、時刻は早朝五時であった。
皆が教会の地下室に入ると、案の定心配していたヘスティアが、徹夜でベルの帰りを待っていた。
最初は喜んだヘスティアだが、ベルのボロボロの姿を見て、唖然とした。
しかし、ベルの様子から何かを察したのか、怒るような事もしない。
ベルにシャワーを浴びるように言い、ついでに自分のベッドを譲り、冗談なのか一緒に寝ようかと言い出すヘスティア。
「あぁ、そうですね。神様も疲れてますよね。じゃあ、すぐに一緒に寝ましょう」
「……なぬっ!?」
予想外の事をベルに言われて、あたふたするヘスティア。
「神様……、ヒュンケルさん……」
「……! にゃ、にゃんだいっ?」
「……………」
その遣り取りを、ヒュンケルが無言で見つめる。
「……僕、強くなりたいです」
最後に、ベルがポツリと言ったその言葉に、ヘスティアがハッとした顔をした後、静かに頷く。
それを見て、ヒュンケルは彼女もまた、ベルがこんな無茶をした理由に気が付いた事を悟った。
そして、ベルはヨロヨロとシャワー室に入る。
シャワー室からの水音が地下室に響く中、ヘスティアは、大人の眷族達の方を振り返った。
「君達が、ベル君を治療してくれたのかい?」
「ああ、あいつが六階層を彷徨っていたところに、通りがかったからな」
見つけた時は、ボロボロだったとヒュンケルが告げると、ヘスティアは眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「ありがとう、君達」
そして、皆に礼を言う。
「それくらいは、当然だ。同じ【ファミリア】の一員だからな」
その言葉は、『家族』を意味していると、ヒュンケルは聞いている。
「そういう事だ、女神殿。遠慮せず、オレ達を頼ってくれて構わんぞ」
「ほっとけねー、弟分ってやつかな?」
「未熟者の小僧でも、戦いに挑んだ事は誉めてやろう」
このメンバーの中に、『家族』を見捨てる者など、いる筈がなかったのだ。
ダイを捜すという目的を持ち、その為に行動していると言っていても、決してベルを見捨てる事はしない。そんな眷族達に、女神は優しく微笑みかけるのであった。
その後、シャワーを浴びたベルは、極度の疲労によって、そのままベッドに倒れ込んだ。
徹夜でベルの帰りを待っていたヘスティアも、同時に眠りに落ちる。
そんな二人に比べれば、ヒュンケルにはまだ余裕があった。
夜が明けて、朝が過ぎるまでの間に、教会のベッドで休息を取ると、寝ているベルとヘスティア、それに他の三人を置いて、今回の戦利品の換金の為に『ギルド』に向かう。
ギルド本部に着くと、換金所で『魔石』と『ドロップアイテム』を、鑑定員の前に積み上げるヒュンケル。
丸二日以上の探索で『大樹の迷宮』内を四人で駆け回った為、適当な収集でも、戦利品はそれなりの量になる。
それらを、次々と腰の『袋』から取り出すヒュンケルを見て、ギルドの職員達や少数の冒険者が、目を丸くしていた。
下級冒険者が持っていようものなら、即座に奪い合いになりそうな魔道具だが、流石にLv6の持ち物に手を出そうという、無謀な者はいないようだ。
真っ昼間で、他に鑑定を求める冒険者が少なかったせいか、換金は思いの他早く終わる。
窓口で金貨の入った袋を受け取り、ヒュンケルがギルドを出ようとしたところで、エイナに声を掛けられ、二人は面談室に入った。
「あの、ベル君の事なんですけど、彼、無茶とかしていませんでしたか?」
「無茶ですか……、何か心当たりが?」
ベルの事を心配するエイナの様子に、ヒュンケルは、彼女がベルの『あの行動』の理由を知っているらしいと気付いた。
「その、もしかしたらですけど……」
エイナが言うには、数日前、ベルは調子に乗って五階層まで行き、そこで『中層』からトラブルの結果上がって来た『ミノタウロス』に遭遇した。
勿論、今のベルが勝てる相手ではなく、殺されそうになって壁際まで追い詰められたらしい。
そこに、一人の少女が現れた。
都市最強派閥【ロキ・ファミリア】の一角にして、オラリオの冒険者の中でもトップクラスの剣の腕の持ち主。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。
その【剣姫】に、ベルは間一髪のところで命を救われたそうだ。
「それで、ベル君、ヴァレンシュタイン氏の事を、好きになってしまったようでして……」
「………………」
全ての話が予想していた事に符合し、ヒュンケルは嘆息する。
この、世界の中心とも呼ばれる迷宮都市オラリオに居る以上、ヒュンケル達は自分達に対抗しうる実力の持ち主達、即ち第一級冒険者の情報には、一通り目を通していた。
その中には、当然【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタインの情報もあった。
その実力は、Lv5。
さらに言うと、実力に加えて金髪金眼を持つ、女神のような容貌の美少女という話も、付け加えられていた。
そこで、ヒュンケルは思い出す。
数日前、十二階層の白霧の中ですれ違った、風の香りを纏った美少女の事を。
あれが、【剣姫】だったのだ。
ギルドに登録した頃に、オラリオ最強と呼ばれる派閥【ロキ・ファミリア】の精鋭達が、深層域に遠征に行ったという話を、エイナから聞いていた。
あの時から、二週間。
【ロキ・ファミリア】は、『ダンジョン』の奥深くから帰還して来たのだ。
「事情は判りました。オレからも、ベルには命を粗末にするような事はしないよう、言って置きます」
エイナが心配しているのは、アイズに惚れたベルが、彼女に近付く為に『ダンジョン』で無茶をやる事だろう。
既にやらかしてしまっているのだが、ヒュンケルはエイナの心配を取り除く為に、そう言った。
「お願いします」
ホッと胸を撫で下ろし、エイナが頭を下げる。
「だが、ベル自身がそれでも強くなりたいと望むなら、命を粗末にするのとは別に、オレが鍛えてやりますよ」
しかし、戦士であり、ベルの剣の師を引き受けたヒュンケルは、アドバイザーのエイナとは違って、ベルの命の心配だけをしている訳には行かない。
強くなる為に、何をしなければならないか。
ヒュンケルは、それを良く知っていた。
その自信のこもった声に、エイナは少し緊張し、額に汗を浮かべる。
ひょっとしたら、ダンジョンに潜ってモンスターと戦うよりも危険な事をやらせるのではないか、ふとそんな事を考えてしまうエイナであった。
ヒュンケルがギルドを出ると、時刻は昼に近付いていた。
エイナとの話で、思いの他時間を取られたのだろう。
「腹が空いたか」
今朝は朝食も食べていなかったので、ヒュンケルは空腹を覚えた。
街のメインストリートには、食堂や酒場、喫茶店や食べ物を売る屋台まで、人のお腹を満たす物なら何でも揃っている。
大都市だけに、外食は庶民にとっても最大の娯楽の一つなのだろう。
ヒュンケルは、そんな店の中で食事を取ろうと、一軒の店に立ち寄った。
二階建てで石造り、周りにある酒場の中では、一番大きそうな店。
本格的な営業は夕刻からだろうが、昼間でも、ランチは食べられる店の名は『豊穣の女主人』。
店に入ると、ちょうど昼の営業を始めた時だった為か、店内は空いていた。ウエイトレスの女性達が、客に料理を運んだり、テーブルの準備をしたりと動き回っている。
ヒュンケルが空いていたカウンター席に座ると、正面に店の女将らしき、恰幅の良いドワーフの女性がいた。
「おや、新顔だね。もしかして、冒険者かい?」
今のヒュンケルは、普段着姿で、腰に剣と『袋』を下げている。それでも、冒険者の街の酒場の女将は、戦う者の気配をすぐさま見破ったようだ。
「ああ、冒険者だ。オラリオに来てからは、まだ日が浅いから、この店に来たのは初めてだな」
「ふーん、ルーキーにしては、随分『腕の立つ』男みたいだけどねぇ。まあ、うちの店を気に入ったなら、じゃんじゃん注文しておくれよぉ!」
そう言って、女将は良い笑顔でメニューを指差した。
中々、美味しそうな料理が、色々取り揃えられている。味には自信があるのか、メニューに記された値段は強気だ。
ヒュンケルは、お勧めの定食と飲み物を注文する。
出て来た料理は、中々のボリュームだったが、味は確かに上々だった。
店の雰囲気はシックな装いで、ウエイトレスには美女や美少女が揃い、料理も美味しいとなれば、かなり繁盛している店なのだと判る。
しかし、女将を筆頭に、なぜかウエイトレス達のレベルが高い。
容姿ではなく、その戦闘能力が、である。
相手が軍隊であっても、並ではこの酒場の店員に蹴散らされてしまうだろうと、ヒュンケルは感じ取った。
食事を続けていると、そんなウエイトレスの女の子達の会話が、彼の耳にも聞こえて来る。
何でも昨日の夜、店に来た少年が、食事の代金を払わずに飛び出して行ったらしい。
要するに、食い逃げだ。
猫人のウエイトレスが憤慨し、ヒューマンのウエイトレスが宥め、エルフのウエイトレスが黙って話を聞いていた。
「あの食い逃げしたクソ白髪野郎、最低ニャッ!! シル、あんな男とは、すぐに別れるニャッ!」
「ベルさんには、何か事情があったんですよ。食い逃げなんて事、する人じゃないです」
そんな話だった。
(………………)
誰の事か、一瞬で理解し、ヒュンケルは心の中で無言のまま考えを巡らす。
思い浮かぶのは、『ダンジョン』六階層で、ボロボロになるまで戦っていた、今朝までのベルの姿であった。
薄鈍色の髪のウエイトレスが言っていた通り、ベルは食い逃げなどする男ではない。そんな度胸、ベルにある筈がないのだ。
だから、ベルが食事の代金も払わずに、無我夢中で逃げたとしたら、それは別の理由があった筈。
(女、だな……)
それしか、考えられない。
(あの様子と、エイナさんの話から察するに、想い人のアイズ・ヴァレンシュタインとこの店で出会った。だが、そこで現実を直視させられる『何か』があり、今の自分では決して彼女には手が届かない事を自覚して、逃げ出した。だから、そのままダンジョンに行って馬鹿みたいに戦い続けたか……)
ヒュンケルは、昨夜のベルの身に起こった事を、そう推測してみた。
何となく、外れている気がしない。
「女将さん、夕べこの店で食い逃げがあったそうだが?」
「ん、ああ、あったよ。まったく、アタシの店で食い逃げしようなんて命知らずが、オラリオにいるとは思わなかったよっ!!」
女将はそう言って、ぐっと拳を握った。
鍛え抜かれたその腕は、酒場の女将というよりも歴戦の冒険者と呼ぶに相応しそうだった。
(クロコダイン並みか……)
ヒュンケルは、女将の実力を高く評価する。
きっと、オラリオに来て日が経っている者ならば、この店を敵に回そうとはしないだろう。
(冒険者が犯す危険は、全て自己責任だぞ、ベル……)
そんな風に考えるヒュンケルは、女将に視線を向けた。
「その食い逃げ犯は、オレの所属する【ファミリア】の者のようだ」
「なんだって?」
途端に、もの凄いプレッシャーが圧し掛かって来る。並みの冒険者では、竦み上がりそうな圧力だ。
「その冒険者、名前はベル・クラネルで間違いないだろうか?」
「ああ、確かそんな名前だったね」
女将の凄みを受け流しつつ、ヒュンケルは確認を取る。
「では、やはりオレの知る者のようだ」
「ふーん、それでアンタはどうするんだい?」
言外に、おまえが払うのか、と訊かれているらしい。
「全ては、本人の責任だ。どうやら、故意にやった訳ではなく、思春期に良くある病気が原因のようだが、やった事の責任は本人に取らせよう」
食い逃げは間違いでも、食事の代金を支払わずに逃げた事が事実なら、金はベル本人が払いに来なければならない。
ベルを見捨てない事と、甘やかす事は違うと、ヒュンケルは考えた。
「夕べ、思い切り吐き出して、正気には返ったようだから、近日中には謝りに来るだろう。もしも来なかったら、そちらの好きなように罰してくれて結構だ」
ベルにとっては厳しい言葉を女将に告げ、ヒュンケルは食事を続ける。
「アンタも変な男だね。同じ【ファミリア】にいるんだろ?」
「ああ、同じ【ファミリア】の一員だし、剣を教える師も引き受けている。だから、自分の行動に伴う責任の重要さも、教えなければならない」
自分の尻は自分で拭く。
少なくとも、自分で拭けるのなら、他人を頼るべきではない。
ヒュンケルがベルを助けるのは、彼が自分の力だけでは成し得ない事をする時だけだ。
それには、食い逃げした食事代を、代わりに払う事は含まれていなかった。
「あははっ! なるほどね。判ったよ、食い逃げの責任は、あの子にしっかりと取って貰うさぁ!」
女将は、ニイッと肉食獣のような笑みを浮かべて、再び拳を握った。
(まあ、死にはしないだろう……、多分だが)
少しだけ不安になったが、これもベルにとっては、乗り越えるべき試練である。
「アタシは、この店の女将ミア・グランドだよ。アンタは?」
「オレは、ヒュンケル。オラリオに来て、まだ半月だが、冒険者をしている」
『豊穣の女主人』の女将ミアに、ヒュンケルは名を告げた。
自分の食事の代金はしっかりと支払い、ヒュンケルは『豊穣の女主人』を出た。
そのまま、【ファミリア】のホームに帰って来たが、ベルはまだ寝ている。
「お帰り、ヒュンケル君」
流石にヘスティアは起きていたが、付きっきりで眠るベルの世話をしている様子だった。
昨夜から今朝までの無茶な行動の疲労で、滾々と眠り続けるベル。
早く『豊穣の女主人』に謝りに行かないと、死亡確率が上がるのだが、この様子では無理に起こす事も出来ない。
クロコダイン達も起きていて、遅めの食事を取っていた。
「そうだ、皆が揃ったところで、一つ訊きたい事があったんだ」
地下室に四人が集まった時、ヘスティアが彼らにそう言った。
「訊きたい事?」
「うん、君達は、ベル君の事をどう思う?」
眠るベルの白い髪を撫でながら、ヘスティアが皆に問う。
色々と意味の有りそうな問い掛けだったが、ヒュンケルの脳裏に浮かんだベルの印象、それを一言で言うならば、ある動物の名が口に出る。
「兎だな」
随分とシンプルな答えだが、一番適格だと思える。
「うむ、第一印象では、オレもそうなるな」
「似てるよな~~」
「……………」
クロコダインとヒムも同じ答え。ラーハルトでさえ、否定しない。
「兎かぁ……」
うーんと、唸りながら腕組みするヘスティア。豊かな胸が押し潰される。
しかし、彼女も異論は無いらしい。
「ベル君、強くなりたいって言ったよね」
「動機は、女だろう?」
ヒュンケルがそう言うと、他の三人も迷わず頷く。
「ギクッ!! な、なんで『ダンジョン』にずっと潜っていた君達が、そんな事知っているんだいっ!?」
この二、三日迷宮に潜りっぱなしだったヒュンケル達が、ベルの強くなりたい動機を知っていた事に、ヘスティアが動揺する。
「ベルの顔に書いてあるし、全身で表現までしているからな、判らない筈がないだろう。ギルド本部でも話を聞いて来たしな」
ヒュンケルは、数日前のベルの身に起きた事を、皆に語った。
『ミノタウロス』との遭遇と、ベルを助け出した者の事を話すと、ヘスティアが実に悔しそうな顔をして呻く。
「ぐぬぬ~、そうだよ、ベル君はあの女に誑かされてしまったんだっ、ボクのベル君がぁ~っ!!」
黒髪を両手で掻き乱すようにして、『あの女』とやらに敵意を露わにするヘスティア。
「ふーむ、ダンジョンで危機に陥ったところを、その娘に助けられ、一目惚れした訳か。やはり、隅に置けん男だな、ベルはっ!」
「普通、男と女が逆だよな~」
「身の程知らずだがな……」
ベルを助け、結果ベルに惚れられてしまった少女。
その名は、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。
他の三人も、彼女の名前と実力は、情報として確認している。当然、ギルドの資料に載っていた、彼女の似顔絵も目にしていた。
「やはり、ベルには高嶺の花だな」
「そんなもんじゃ、ねーだろ。まるっきり、兎と月くらい離れているぞ」
兎がいくら跳ねても、月には届かない。冒険者になって半月のベルと、オラリオ最強の女剣士では、釣り合う訳がない。
第一、そんな娘がベルを選ぶとも、彼らには思えなかった。
選択する権利は、ベルではなく、彼女の方にあるのだから。
クロコダインとヒムは、やれやれという目で、眠るベルを見つめた。
「だが、ベルは強くなりたい、と言った」
諦めムードの仲間達とは裏腹に、ヒュンケルは、あの時のベルの言葉に、何かの『予兆』を感じていた。
かつて何度も目にして来た、仲間達の覚悟と似たもの。
不可能を覆す、意志の力。
「うん、ベル君の覚悟は本物だよ……」
アイズに対しては、さんざん愚痴を言うヘスティアだが、彼女に対するベルの純粋な想いと覚悟だけは、否定出来なかった。
「本気か、ヒュンケル?」
彼が何をやる気か察して、ラーハルトが口を開く。
「オレ達は、何度も『奇跡』を目撃して来ただろう。ベルが望むなら、オレはその『奇跡』を起こす下地くらいは作ってやりたい」
基本を教えるだけの、片手間の師匠ではなく、かつての自分の師と同じ、『あれ』の家庭教師。
必要とあらば、ヒュンケルはベルに、その『特別』な特訓を受けさせてやろうという気持ちになっていた。
「がははっ、そう言えば、そうだったな。出来る筈のない事を、やってのけたやつがいた事を、忘れていたわっ!」
クロコダインは、最初に出会った時には、命惜しさにダイを置いて逃げ出した少年の事を思い出した。
その根性無しの少年は、後にどうなったか。
彼の事を『前例』として見れば、ベルの可能性を否定する訳には行かない。
「……君達は、ベル君を信用してくれるんだね」
皆の遣り取りから、ベルへの愛情や真心を感じ取り、ヘスティアは胸に渦巻く嫉妬を一時棚に上げて、眷族達に微笑んだ。
しかし、女神は知らなかった。
強くなりたいというベルを襲う、これからの過酷な日々の事を。
それは当然、眠り続けるベルも同じであった。
そして、翌朝。
ベルは、早い時間帯に目を覚ました。
なぜか、地下から響いたベルの絶叫によって、ヒュンケル達も目を覚まし、皆は一度、地下室に集合する。
「取り敢えず、ベル君の【ステイタス】を更新しよう」
そう言い出したヘスティアによって、ベルの背中に浮かぶ【ステイタス】が書き換えられた。
だが、その作業を続ける女神の顔に、苦渋の色が浮かんだり消えたりするのを、ヒュンケル達は見逃さなかった。
「何か、気になる事でもあるのか、ヘスティア?」
「んぬぬ……」
何か唸りつつも、覚悟を決めたのか、ヘスティアはベルの【ステイタス】の内容を、口頭で全員に伝える。
簡単に言うと、ベルの基本アビリティは、飛躍的に進歩しているらしい。
今が彼の成長期だと、女神は言う。
「なるほど、腹をくくって冒険と戦いに挑むようになり、ベルもついに成長し始めたという訳だな、女神殿」
『男子三日会わざれば、括目して見よ』、その言葉を思い出し、クロコダインが瞑目し、納得した様子で頷いた。
成長を始めた人間の少年が、どれ程強くなるかは、彼も良く知っている。
「才能自体も、成長を始めたのかもしれんな。ポップと同じタイプだったか」
才能が無かったように見えた村の少年から、大魔導士にまで上り詰めた彼らの仲間。
ある意味、ダイ以上の奇跡を起こしたのが、彼なのだ。
そんなベルに、ヘスティアが、心配と励ましの言葉をかける。彼女の初めての眷族であり、惚れてしまった少年への女神の真摯な想い。
ベルは、複雑な顔をしながらも、はっきりとヘスティアに覚悟と生還を誓った。
「それでは、ベル。強くなりたいという言葉に、偽りはないな?」
少年と女神の誓約が結ばれた事を確認し、ヒュンケルが口を挟む。
「はい、僕は強くなりたいです、ヒュンケルさん」
目標を見い出したベルの深紅色の瞳には、確かに宿る覚悟の光があった。
「行く道が険しくても、だな」
「はいっ!」
動機はどうあれ、ベルは冒険者として、さらにその先を本気で目指したいと思っていた。
憧憬の彼女と並ぶには、彼女と同じ『英雄』の座に上り詰めなければならない。
『豊穣の女主人』で、彼を誹った狼人の青年の言葉。
『雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ』
この言葉は、真実だった。
今の自分では、彼女とは釣り合わない。
どんなに悔しくても、その事実は覆せない。
それをするには、強くなる他に道はないのだ。
そして、今のベルの前には、その目標に最も近い、最強の戦士がいた。
「お願いしますヒュンケルさん、僕を鍛えて下さいっ! 僕もヒュンケルさんや、皆さん、それにダイさんのように、強くなりたいんですっ!」
彼らから聞いた、彼らが挑んで来たという、冒険の数々。
自分も、そんな物語の主人公達と肩を並べて戦えるようになりたい。
これまでの、祖父のくれた『迷宮神聖譚』に出て来る、過去の伝説の『英雄』達への憧れだけではなく、今この場にいる『英雄』達への憧れ。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインへの憧憬と同じく、それは強烈にベルの心を燃焼させる。
「いいだろう」
少年の覚悟を聞き、ヒュンケルの口元に笑みが浮かんだ。
それは、彼が強敵と相対した時に浮かべる、絶対の自信を込めた笑い。
戦場で浮かべる、戦士の笑みであった。
「おまえに教えてやろう。『アバン流刀殺法』をなっ!」
異世界に於いて、一人の少年に『勇者』の技が伝えられる時が来た。