血の夢に魅入られて   作:Frimaire

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8.目覚め、あるいは狂気の萌芽

 先ほど倒れていた狩人の予備の装束だったであろうそれに身を包み――やけに留め具が多く、また革鎧のような部品も多かったために随分と着込むのに苦労したが――共に袋に入っていた帽子をかぶると、いかにも紳士然としたたたずまいになった。鏡を見ていないので、きちんと着こなせているかについては自信がないが。

 

 不思議だったのは、寸法があつらえたかのようにぴたりと合っていることだ。あの死んでいた狩人は私よりも随分と体格が良いように見えたのだが。

 

 まあ、この際それは置いておこう。まさかあの死体を叩き起こして聞くわけにもいくまいし。なにより重要なのは人前に出ても問題ない状態になったということなのだから。

 

 教会へと歩を進めつつ、外観を改めて眺める。あの尖塔の先にあるものはケルト十字……いや。長老派教会のものだろうか? もう少しわかりやすい場所にも設置すればいいものを。

 

 建物内に立ち入ると、違和感はさらに増す。もしかするとここは教会ではないのだろうか。私が入ってきた入り口、その正面には扉があり、左手にはまた別の入り口が存在する。右手には一段高くなった場所があるが――その先に見えるのは扉だ。祭壇もなければ十字架も存在しない。しかも周囲に立ち並ぶ彫像の不気味なことといったら! どの彫像にも顔がなく、不気味に細い腕を天へと伸ばしている。それをさらに不気味に照らす青い光。あれらが群がる燭台だ。それへと近づくと、不意に奥の暗がりから声があがった。

 

「だれか、いるのかい?」

 

 声の主は赤いぼろをまとった……男、だろうか。いや、男ではあるのだろうが。細長く伸び、奇妙に変形した腕。私の頭など一掴みに出来そうなほどに大きな手に、奇妙に大きな頭。そしてなによりも――白濁した目と、市街地で多く目にした成れの果てどもと同様の、死人のごとく黒ずんだ肌。率直な感想を述べれば、間違ってもまともな人間には見えない。

 

 だが、この男は声をかけて来た。そう、市街にいたわめくばかりの者どもや、この教会の外にいた白塗りと違って。もしかすると友好的に接することができる相手かもしれないのだ。人は見かけによらぬものともいう。(Some say appearance oft deceives.)ここは信じてみるか。

 

 名乗り、この教会の者かと問えば、そうではないという。この教会を住処としている(めしい)であるのだとか。ここ――オドン教会というらしい――は、医療教会以前の信仰の場であり、現在では教会としては機能していないのだという。

 

 では、と医療教会について問えば、詳しいわけではないけど、と前置きされた上で、少し前の獣狩りの夜、医療教会の狩人たちによる旧市街焼き討ちがあり、以来、現体制の教会への信頼は失われているという話を聞くことができた。そして――

 

「もし、外にまともな人がいたら――このオドン教会を教えてあげてほしいんだ。獣除けの香もしっかり焚かれてて、安全だって」

 

 この状況で狩人以外に生き残りがいるとも思えないが、もしも見かけたら伝えることを約束し、オドン教会を後にした。先程の分かれ道まで戻り、今度は階段を上っていく。

 

 階段を上った先には墓地が広がっているように見えるが、そこへと連なる門は閉ざされていた。周囲を歩き回ってみるが、通れそうな場所もなく、開門のためのレバーはあちら側にあるということが解っただけであった。

 

 門の向こう側には墓地と、ひときわ巨大な建築物が見える。おおよそ私の知る教会には程遠い様式ではあるが、おそらくはあれこそが医療教会の大聖堂なのだろう。聖堂街などという名の場所であればこそ、それこそが最も目立つ建物であるはずだから。

 

 しかしそうなると困った。この門以外からとなると――ああ、そうだ。たしかオドン教会には他の入り口があったはずだ。位置を考えると扉のないもう一つ、あるいは扉の向こう側になるか。

 

 オドン教会に戻り、まずは向かいの扉を――押しても引いても開く様子がない。閂はこちら側にあるようなのだが。あちら側に何かあるのだろうか? まあ、開かないものは仕方がない。もう一つの方から外へと向かおう。

 

 外は広場になっていた。どうやらこちら側がこの教会の正門にあたるらしい。右手を見れば、制御を失って乗り上げたかのような様相を呈する棺桶を積んだ荷車がまず目に入る。馬は見当たらず、掛けられた布も随分と古いもののようだ。おそらくはオドン教会が廃れる以前のものだろうか。荷車の向こうには大階段と、やはり閉ざされた門が見える。こちらも駄目となると、どうしたものか……。

 

 もしかするとこちら側から開くことのできるものかもしれない、という一縷の望みをかけて近づこうとしたその瞬間。荷車の影から突然白塗りが襲い掛かってきた。杖に打ち据えられるが、転がって逃れ、隙を見て一射。体勢を崩したところへ右腕を突きこもうと――するのを抑え、鞭を振るうことに成功した。が、敵はすぐに体勢を立て直して再び杖を振りかぶる。そこへ再び銃撃。崩れた体勢へと努めて意識して鞭を振るう。さらにもう一度同じことを繰り返し、ようやく白塗りは倒れた。

 

 素直に本能に任せるべきだっただろうか。身を任せていれば一発で済んだところを、補充の当てもないままに二発も余分に撃ってしまった。できれば無駄は避けたいところではあるが……。

 

 悩んでいると、突然足元に鋭い痛み。慌てて見やればそこには大鴉の姿がある。小癪にも、飛びもせずに忍び寄ってきたらしい。が、気づいてしまえばどうというものでもない。

 

 あの大鴉には感謝すべきかもしれない。無為な悩みに気を取られて警戒を怠るべきではないという教訓を得られたのだから。どうするかはその時が来るまでに考えるとして、大階段へと歩を進める。

 

 両側に不気味な彫像が並ぶそこは、とても聖堂街という名にふさわしいものとも思えない。物陰に注意を払いつつ上っていくと、前方から降りてくる人影がある。杖に角灯を持った大男――白塗りだ。

 

 どうすべきか、と考えていたのがいけなかったのだろう。気付いた時、すでに白塗りは内臓を引き抜かれ、絶命していた。まったくの無意識にすべてを行っていたのだ。

 

 私はといえば、右腕といわず全身を返り血に赤く染め、それでいて真っ先に考えたことはやってしまった後悔などではなく、今口にしたものは、何と美味なるものか。――そんな、実に救いようのないものだった。

 

 不意に口にしてしまった血が、どうしようもなく、天上の美味とすら感じるのだ。さほど嗜んでいたわけでもないが、酒に酔うのと似たような心地だ。高揚し、興奮し――そしてより一層欲しくなる。求めるものが酒ならば堕落の一言で済む。しかし、求めるものが血、それも温かな、先程まで生きていた人間のそれだとすれば?

 

 なんとおぞましい欲だろうか。血に酔う(・・・・)とは。先刻までは違った。血を浴びて心地よいと思いながらも、それを忌避する心は確かにあった。それが、口にしてしまったとたんのこの体たらく。もはや先程までの悩みなどどうでも良いとさえ思ってしまう。

 

 もっといないだろうか。ああ、こんなことならば先の白塗りもあのような殺し方をせねばよかった。そんな後悔と共に階段を見上げれば――なんて幸運な!(How lucky I am!) 新たな()がやってくるではないか!

 

 熱狂のままに血を浴び、浅ましいほどに酔い痴れ――どれほどの時をそうしていたのか。乾いた血の剥がれる不快な感触に、私は我に返った。

 

 足元に転がる、ひどく損壊した、白塗りだったであろうものから杖を引き抜き、門へと階段を上ってゆく。まったく度し難い。一時の悦楽に飲まれて目的を見失うなど。

 

 いまだ頭を鈍らせる酔いも、先程までの興奮も、門にたどり着き、それを開ける手段がやはりあちら側にあることを知っては急激に冷めてゆく。大聖堂へと続く道が二つながら閉ざされているとは。

 

 再びオドン教会へと駆け戻り、かの(めしい)の男に大聖堂への道を知らないかと問うも、それは無為に終わった。では、と最後に残った扉をあたるが、これも固く閉ざされ開く様子がない。手詰まり、だろうか。

 

 ガスコイン神父に――いや、そうだ。自ら助言者を名乗るゲールマン。彼に聞いてみるとしよう。


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